春日 太一 仁義なき日本沈没―東宝VS.東映の戦後サバイバル
春日太一の作品では以前『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』を読み、描かれた内容の持つ熱気と情熱とが、作者の映画に対する愛情を感じさせる作品だったので、本書を読む気になったものです。
しかし、残念ながら本書に関しては『あかんやつら』ほどの情熱は感じられませんでしたし、それに伴って読み物としての面白さも感じにくいものでした。
その差がどこにあるのか良く分かりませんが、本書は映画産業全体を俯瞰した描き方であることからくるのではないかと思います。つまり『あかんやつら』はミーハー的な見方をしていた私の読み方に応えてくれていたのに対し、本書はそうではなかった、と言うことではないでしょうか。
『あかんやつら』は子供のころ見た映画スターの実像であったり、映画そのものの制作過程での裏話などが、それなりに細かく描かれていました。それに対し、本書はより大きく、映画産業史に近い描き方であったというところでしょう。
ですから、本当に映画史をしっかりと知りたい人にとっては読みやすいのかもしれません。ただ、現実に映画産業に携わっていた人たちからの若干の批判めいたレビューがあったのも事実です。こうしたレビューはネットを探すまでもなく、Amazonでのレビューに見られるところです。
蛇足ながら、この本を読んで数日後にテレビで映画『待ち伏せ』が放映されました。この本には、この映画が作られた時代にあってはスターシステムで作られたこの映画も、その神通力はもはやない、と書いてありました。
しかし、今回初めてこの映画を見て感じたのは、そもそもこの映画はストーリー自体に魅力を感じなかったのではないか、ということです。つまりはスターシステムや役者の演技を言う前に、脚本そのものの魅力を感じなかったのでしょう。中村錦之助や石原勇次郎には存在感は無く、三船敏郎も用心棒のイメージを引きずっているだけでした。ただ、勝新太郎だけが存在感があったように思います。それと浅丘ルリ子の演技はさすがでした。