近藤 史恵 ねむりねずみ


歌舞伎の世界を舞台にした正統派の推理小説です。

矢倉一子が中村銀弥こと棚橋優の妻になり二年ほど経ったある日、銀弥が「言葉が頭から消えていく」と言いだした。雨、車、時計、時間・・・、言葉が出てこない。
 一方、大部屋の舞台女形である瀬川小菊は学生時代の友人今泉文吾の訪問を受けた。二年前に道頓堀の恵比寿座で起きた、河島栄という料亭の女性経営者が殺された事件について聞きたいのだという。小菊はこの今泉に付き添い、殺人事件の解明に手を貸そうとするのだった。

二年前に起きた事件とは、小川半四郎の舞台の最中に、半四郎の婚約者である河島栄が、一階客席最後列の花道の横に腹部に包丁を突き立てられて死んでいたというものです。この殺人事件を、今泉文吾と小菊、それに今泉の助手である山本公彦という少年と言ってもいい男の子の三人を探偵役として解決していくのです。

久しぶりに本格派の推理小説を読んだ気がします。とはいっても、あまり推理小説を読んでいるという気はせずに過ぎてしまいました。物語の舞台が歌舞伎という世界であるうえに、芸の道をテーマにしているので、若干感情移入しにくいことがあったかに思われます。

私にとっては、一幕目のイントロともいうべき話、つまり中村銀弥の言葉を失うという物語が、この「ねむりねずみ」という物語とどのように関連するのか、という興味が先行していました。

二幕目に入り、今泉と小菊という探偵役が登場し、推理小説としての本編が始まると、更に中村銀弥の問題はどのように処理されるのか、が関心事となってしまっていました。勿論、随所に挟まれる歌舞伎の演目や芸事に対する役者たちの思いなど、目を見張る個所も多数あります。ありますが、下手な本読みとしては本書の構成面に目が行ってしまうのです。

最終的に、ミステリーとしてのこの物語の顛末は今泉の活躍により終息するのですが、謎ときの不満は多いに残りました。それも、まずはトリック以前の、衆人環視の中での殺人事件の成立可能性という本書の根っこに関わる不満であり、そしてトリックそのものに対する不満が残ったのです。

この点については、西上心太氏が本書の解説で「無理を承知の上で」、ある意図のもとにあえてこのような舞台設定にしたのだろうと書いておられます。西上氏の解説は非才の身には若干分かりにくいものではあるのですが、本書ん設定がかなり無理のあるものであることはだれしも認めるところのようです。とすれば、歌舞伎に詳しい作者が素人でも思う無理な場面をあえて設定しているのは、西上氏の言うように、あえて書いた、という指摘が正しいと思わざるを得ないのです。

ともあれ、本書は近藤史恵という作者が『凍える島』でデビューして間もないころに書かれた作品のようです。それでいてこれだけの濃密な作品を書かれるのですから、見ごとなものです。推理小説好きの読者が、本書をどのように評価するのかはまた別な話ですが。

近藤 史恵 サクリファイス


プロの自転車競技(ロードレース)という、珍しいスポーツをテーマにした小説です。

高校陸上界の中距離走の世界では将来を嘱望されていた白石誓(しらいしちから)は走ることが苦痛でしかなかった。しかし、18歳のとき、チームのために走るという新たな魅力を持ったロードレースに出会う。社会人となり、チーム・オッジの一員に入るが、このチームのエースの石尾豪という選手には、ライバルにまつわる黒い噂があった。

この作者の時代小説作品は、歌舞伎の世界を垣間見せてくれる作品であったためか、とても落ち着いたミステリー小説という印象でした。しかし、本書はそれとは異なり、動きにあふれた、青春小説のイメージをもあわせ持った小説です。本書がロードレースの世界を描いているので、当たり前と言えば当たり前なのですが、この作者の異なる一面を垣間見せてくれます。

ロードレースについては、一般的にはその存在は知られていても、そのルールを含めた内容は全くと言っていいほどに知られていないと思います。本書では、その競技の内容について冒頭から丁寧な説明が為されていて、知識欲をくすぐられると同時に、スポーツ小説としての面白さに引き込まれてしまいます。

読み進むにつれ、自転車競技が団体競技である、ということの意味がゆっくりと心に染みてきます。とはいえ先入観を払拭することは簡単ではなく、「優勝」という現実が目の前にあるのに、ペダルを漕ぐ足をゆるめるということはなかなかに理解できないままでした。 でも、サッカーやラグビーという例を挙げるまでもなく、団体競技である以上、自分の役割を果たすというおとは、当たり前のことなのです。単に団体競技として見ることができていないから理解できないと思うだけのことでした。

スポーツ小説として読み進みにつれ、いつしかサスペンス感にあふれた小説に変化しています。そこではある悲劇にまつわるミステリーが展開されるのです。

自転車競技の世界を知っている人からすれば、実情とは異なる、という批判もあるようです。しかし、実際のことは分かりませんが、よほど極端に間違った情報を与えられているというのであれば別ですが、自転車競技の素人が読んで、自転車競技のそれなりの雰囲気を味あわせてくれていることは否めないのではないでしょうか。

本書には恋愛を絡めた部分もあるのですが、その点に関しては、個人的には、不要とは言わないまでも、消化不良の感じはしました。

ただ、そうした不満はあっても、大藪春彦賞を受賞した作品であることが思い知らされます。舞台がユニークだあるだけでなく、スポーツ小説としても、青春小説としても抜群の面白さを持った小説でした。

近藤 史恵 巴之丞鹿の子―猿若町捕物帳


正統派の時代劇ミステリー小説と言っていいのではないでしょうか。先般読んだ「寒椿ゆれる―猿若町捕物帳」のシリーズの第一作目です。

大川端に娘の絞殺死体があがった。それも続けて二人。共に鼠色の鹿の子が首にまかれていた。その鹿の子は、中村座に出ている今人気の女形水木巴之丞が舞台で締めているもので、巴之丞鹿の子と呼ばれているものらしい。

主人公は南町奉行所同心の玉島千蔭といい、小物の八十吉によると、「顔はなかなか整っているが、眉間に寄せられた深い皺と鋭い眼光で台無し」で、「だだでさえ、長身と同心でござい、という風体で目立つのに、その上全身から近寄りがたいような気を発している」男で、酒も飲まず、女も苦手という堅物らしいのです。本書は、この堅物同心の小物として、常にそばにいる八十吉の視点で語られていきます。

一方、八十吉の視点とは全く関係なく、お袖という娘の目線での物語が並行して語られます。雨の中、草履の鼻緒が切れたところを助けてくれている侍の肩を蹴るお袖。この二人の仲は意外な方向に進みます。

本文庫本の解説を書いている作家の西條奈加によると、時代小説にもたとえば、「江戸情緒や人情を読ませるものや、あるいは剣戟を見せ場にするなど」、「ミステリーというよりも、人情ものや剣戟ものと読んだ方がと呼んだ方がしっくりくる」作品があるが、本書は「『半七捕物帳』の流れを汲む、まぎれもないミステリーだ」そうです。そして本書の近藤史恵のミステリーの土台は、「冷たく、透きとおった水。そんなイメージがわく」ような、よけいなものが徹底的に削ぎ落とされた、濁らない文章と構成にあると書いています。

その無駄なものが削ぎ落されて簡潔になっている文章は、しかし、読み手にとっては多くの情報を与えてくれることになり、とても読みやすい文章なのです。その上に、大藪春彦賞を受賞したこの作家の力は、本書でもミステリーの構築にその力量を示してくれていて、同心千蔭の事件の謎を解いていく様が明快に示されているのです。

ただ、個人的には、謎解きにおいて示される動機が、犯人が娘たちを殺すことを納得させるほどものか、という点には疑問があるのです。しかし、そのような感想を述べている人は誰もいないようなので、私の本当に個人的な印象に過ぎないのでしょう。

私の中では決して小さくはない動機についての違和感なのですが、その点を除けば、本書は文句のない面白さです。加えて、本書には巴之丞という女形や、その巴之丞に瓜二つだという吉原花魁の梅が枝らの、魅力的な人物が配置されていて華やかです。もう一人、千蔭の父親である玉島千次郎もいます。やはり同心であったこの父親は、酒と遊女をなによりも苦手としている千蔭とは異なり、「粋で、くだけていて、融通の利いた男だった」そうなのです。この父親が何かにつけ、千蔭を影から支えています。

文庫本で200頁強という本書は、読み易さにおいても、ミステリーとしての面白さでも一級だと思います。

ちなみに、本書で言っている「鹿の子」とは、伝統的な絞り染めの柄をした、帯枕を包む小道具の一種である「帯揚げ」のことを指しています。普段和服に接しない身としては、こうした言葉を知らないことも日本人として恥ずかしいことですね。

近藤 史恵 寒椿ゆれる―猿若町捕物帳


この作家の作品は始めて読みました。本作品はシリーズ第四作目らしく、登場人物等の説明はありませんので、少々物語世界に入るのに戸惑いました。とはいえ、一つの巻に短編と言うには少々長い連作の短編が三作収められていて、かなり読み易く、面白い作品です。

「猪鍋」 この物語の主人公の同心玉島千蔭が、つわりで食の進まなくなっている継母のお駒を連れていった評判の猪鍋屋「乃の字屋」の女将が変死を遂げる。千蔭らが訪れているときに騒ぎを起こした男を調べると、「乃の字屋」の亭主龍之介が修行に行った先の「山くじら屋」の息子だと言い、「山くじら屋」の亭主を龍之介が殺したのだというのだった。

「清姫」 水木巴之丞が若い女に刺されたという報せが飛び込んできた。幸い深手ではないとのことだが、巴之丞は見知らぬ女だという。巴之丞の住いに事件の様子を聞きに行くと、その帰りに巴之丞の家の様子を伺う若い女がいた。

「寒椿」 金貸しの内藤屋に盗賊が押し入った。ところが、北町奉行所の同心大石新三郎が内通したらしいという。大石のために疑いを晴らそうと動く千蔭だった。

本作、と言うよりも本シリーズは謎ときを中心に据えた物語のようで、夫々の短編で巻き起こる事件を、主人公の同心玉島千蔭が父千次郎や、人気女形の水木巴之丞、花魁の梅が枝などの手助けを得ながら解決していく人情時代小説のようです。とは言っても、他の時代小説と同様に謎解きそのものは軽く流れていきます。

どうも視点が普通の三人称ではなく、千蔭の小者である八十吉の視点のようだ、などと考えていたら、始めの方に、「めでたいことは、ひとりではやってこない。たいてい、気がかりの種を一緒に連れて来る。」との文章があり、それまでの文章の運びもあって、うまい導入だと、一気に物語に入り込みました。

読了後、何となく違和感を感じていたところ、何かと参考にさせてもらっている「時代小説SHOW おすすめ時代小説ガイド」に、奉行所と猿若町、吉原以外は舞台を巧みにぼかしていて、芝居のように物語の独自の世界を構築している、との指摘がありました。

言われて初めて、街並みや自然の移り変わりなどの舞台背景の描写が少ないことに気づきました。こうした手法は、下手をすると物語の奥行きが無くなり、平板な印象を受けることになりかねないと思うのですが、本書の場合はそうしたことは杞憂に過ぎないようです。

本書では「おろく」と言う女性が全編を通して登場し、夫々の話で事件の解決に尽力します。このおろくは主人公玉島千蔭のお見合いの相手として登場するのですが、この女性が独自のキャラクター付けをされていて、見事です。このシリーズでは各巻毎に異なる女性が千蔭の花嫁候補として登場しているらしく、本書ではそれがおろくという女性であるようです。

登場人物のキャラクタ設定もなかなかに面白く、シリーズの最初から読んでみようと思います。

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本ブログを別棟として位置付けて、読んだ本を記録していこうと思い立ちました。ここでの文章を母屋であるそのサイトに転記していくつもりです。

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