松井 今朝子 似せ者


松井今朝子という作家のお得意の歌舞伎の世界を舞台にした時代短編小説集です。このところ数冊はアクション小説ばかり読んでいたので、本書のように丁寧に人物の心象を語る作品は心豊かな時間をもたらしてくれます。

「似せ者」

籐十郎の世話を焼いてきた与一は、名優坂田籐十郎亡き後、籐十郎そっくりの芸を見せる桑名屋長五郎を二代目籐十郎として売り出そうとする。当初は物珍しさもあり二代目籐十郎人気は素晴らしいものがあったが、次第に先細りとなる。そうした中二代目坂田籐十郎こと長五郎は、自分本来の芸を見せたいと思うようになるのだった。

永年籐十郎の面倒を見てきた与一は、京の芝居のためにも、何とかドサ回り役者を二代目の藤十郎として金の取れる役者として売りだそうと模索します。しかし、長五郎も芸人であり、自らの芸の追及の夢もあります。そうした長五郎の心根と、かつては自らも役者であった与一の芸に対する思いが語られます。

「狛犬」

市村助五郎と大瀧広治はいつも一緒にいる。なんでも器用にこなす助五郎に対し、広治は一人では何もできずにいつも助五郎の後を追ってばかりいたのだった。その二人が舞台でとった勧進相撲が大当たりをし、広治もそれなりに自信をつけ、役者として成長をしていく。しかし、代わりに二人の仲は遠ざかるばかりだった。

二人が通った踊りのお師匠さんとその娘お菊を物語の彩りとし、助五郎の広治に対する微妙な思いを細やかに描き出してあります。自分がいてこその広治であり、自分がいなければ何もできない広治、との思いは、広治が売れるにつれ微妙に変化していき、物語のラストは思わず胸をつかれる好編に仕上がっています。

「鶴亀」

人気役者の鶴助は、突然、一世一代(引退)興行を打つと言い出した。いつも我がまま放題であった鶴助であり、何とか引退を翻意させようとするお仕打(興行師)の亀八も、途中からは鶴助の一世一代の引退興行を打とうと心に決めるのだった。その引退興行は後世まで語り継がれるような工業にはなったものの・・・。

引退興行が盛況に終わり、鶴助も芸人として更に一皮むけた芸を披露できたそのことが、鶴助の芸人としての心に火をつけてしまいます。ただひたすらに鶴助のためにと走り回ってきた亀八の、芸のためにのみ生きようとする鶴助に対する思いの微妙な変化を余すところなく描写してあります。

「心残して」

江戸が東京と名まえを変える頃、江戸三座の一つ市村座の囃子方の杵屋巳三次は、旗本の次男坊の神尾左京と出会う。その美しい声に魅入られた巳三次は、左京の妾である吉乃に三味線を教えることになる。しかし、左京は彰義隊に参画するのだった。

本書に収められた四編の中では一番惹きこまれた作品でした。全編が巳三次の視点で語られているのですが、巳三次の、左京の声に魅かれ、人柄に惚れこんでいく様が実に自然です。

芸人としての矜持を持った巳三次は臆せずに左京に向かい、左京はまた正面からそれに応えます。加えて吉乃という魅力的な妾の存在が巳三次の心を騒がせる様子は、密やかだからこそ心に響いてきます。明治初期の江戸の町の様子や囃子方の豆知識などが持ちりばめられたこの物語は、私の好みにピタリとはまる好編でした。


震災後、何かと心穏やかでない日々を送っていたのですが、そんなときは痛快小説で忘れてしまうという読み方もありますが、本書のような作品に触れ、心穏やかな豊穣なひと時を過ごすというのもまた贅沢な時間の持ち方なのだと、あらためて思わされる作品でした。

松井 今朝子 吉原十二月


前に読んだ松井今朝子の『吉原手引草』という作品に続く吉原ものです。正月から師走までの12月それぞれの風景を織り込んだ、連作短編12編より成っています。というより、12章に分かれた長編というべきかもしれません。

本作では「舞鶴屋」という大籬の楼主、四代目舞鶴屋庄右衛門の語りという形態をとっています。『吉原手引草』のときは聞き取りに応えるさまざまな人の語りでしたが、本作は楼主ひとりの語りです。

正月は深山花魁の二人禿であった「あかね」と「みどり」の紹介と、庄右衛門との関わりについて語られ、2月如月は16歳となった「あかね」と「みどり」が、それぞれに「初桜(はつはな)」と「初菊(はつぎく)」という新造名を得て振袖新造となり、次いで「小夜衣(さよぎぬ)」と「胡蝶」という花魁となる次第が、初午に絡めて描かれています。

このように、その月の行事などに絡めながら、二人の花魁の成長を親代わりでもある楼主の目線で語っていくのですが、そこは吉原での出来事なので、俗世の通念とは全く異なる絢爛たる世界が繰り広げられます。

エンターテイメント小説としてみるとき、特別に派手な出来事が巻き起こるわけではない本書は、若干の心配があります。『吉原手引草』ではミステリーとしての興味で読み進める面白さがありました。しかし、本書の場合それもないので、吉原という見知らぬ世界を覗くということに興味を持てない人には面白さを感じられないか、と心配になるのです。

「解説」を文芸評論家の杉江松恋氏が書かれていて、そこでは『吉原手引草』での直木賞選考委員の言葉を引いて本書の成り立ちについても解説しておられます。しかし、そこで書かれているような高尚な議論は一般読者が読むときには及びもつかない事柄だと思うのですが、読み終えてから改めて本書を振り返ってみるとき、自分が読んでいる時に感じた事柄の原因、理由を示している場合が多々あって、非常に力になりました。

でも、宮城谷昌光氏の、「作品と読者の距離」が本書では埋められている、と書かれてあるのは分かりませんでした。作者の視点の高さはやはり高いと感じたからです。

作者の知識の膨大さは読んでいればすぐに分かります。そして、読み手はその膨大な知識量、情報量を消化しきれないまま物語は進むので、若干取り残される感じはあります。それでも、本書で繰り広げられる絢爛たる吉原という世界の物語に引き込まれてしまいました。それほどに本書が垣間見せてくれる世界は魅力的です。

松井 今朝子 吉原手引草


この作品はなかなかの読みごたえのある作品でした。

一人の男が、吉原の中である事件について聞き取り調査をしています。章毎に聞き取りの相手が変わり、その章は聞き取り相手の言葉で語られます。

この物語は構成からして面白いのです。最初の章は、読者には物語そのもののテーマすら知らせないまま、吉原の引き手茶屋の内儀の話から始まります。そこでは、まず吉原の町並みの説明から、吉原で遊ぶ際の手順、しきたり等が語られ、最後に葛城花魁のことを聞くところで追い出されるのです。

次いで、大籬(おおまがき)の舞鶴屋の見世番寅吉の話です。大籬とは妓楼の中でも大手の見世のことで、花魁道中を行うような花魁を抱える見世を言うそうです。ここでは具体的に見世に上がってからのしきたりなどが語られ、最後に葛城花魁のことを尋ねて終わります。

このように、舞鶴屋の番頭、舞鶴屋抱え番頭新造などと、次から次にと聞き取りの相手が変わっていき、葛城花魁の起こした事件とは何かが、次第に明かされていきます。同時に、吉原とはどういうものなのか、時代小説で見聞きする吉原という存在の説明に引き込まれている自分がいるのです。作者の博識多才ぶりがよく分かります。

この作品は、吉原を舞台にしたミステリーなのですが、その謎は何なのか、その謎はどうやって実行されたのか、聞き取りをしている人物は誰なのか、など読み手は吉原の情報と共に、この謎に満ちた物語に引き込まれていきます。

更には、物語の中の語り手も、吉原は虚実ない交ぜた駆け引きの世界であり、その駆け引きこそが面白い、と言い切ります。そして、これまでの語り手の話同士の矛盾に対しても、嘘で成り立つ吉原の言葉を信じたらだめだというのです。

そして、最後の章「詭弁 弄弁 嘘も方便」の章では全ての種明かしが為されます。ミステリーとしてこうした手法が評価されるのかどうかは私には分かりませんが、久しぶりに「意外性」という意味でも面白い小説に出会ったと思わせられました。

吉原についての情報と同時に、それをミステリーとして仕上げたその手法には、ただ感じいるばかりでした。などと感心していたら、第一三七回直木賞を受賞した作品でした。

松井 今朝子 道絶えずば、また


何とも言いようのない、不思議な感じの物語でした。歌舞伎の世界を描いているということで粋筋の物語かと思っていたらそうでもなく、華麗というのも違い、かと言って読みにくいわけでもない、今までにない印象の物語なのです。

江戸中村座の立女形である三代目荻野沢之丞が奈落に落ち、舌を噛んで死んだ。果たして沢之丞は誰かに殺されたのか。北町奉行所の同心薗部理市郎は大道具方の甚兵衛を疑うが、その甚兵衛も首を吊ってしまう。調べが進むうちに、数人の大工が行方不明になっていたり、奇妙なことが続く。ところが、そうした事実はみな谷中の感王寺という名刹に繋がっていくのだった。

本書のタイトルの『道絶えずば、また』は、世阿弥が著した『風姿花伝』という芸術論の書の中にある「道絶えずば、また、天下の時に会うことあるべし」という言葉からとったものだそうです。「たとえ人から見捨てられても、決してあきらめずにひとつの道をずっと歩み続けていれば、再び浮かび上がるときがあるだろう。」というその言葉は、本書のテーマそのものでした。

本書は登場人物が多彩です。物語の進行は決してテンポ良く進むとは言えず、多彩な登場人物の相互関係、立ち位置等が不明で、最初のうちは何となくの読みにくさを感じていました。ましてや舞台は芝居小屋であり、素人にはわかりにくい世界なのでその感じも増幅されています。ただ、本書はシリーズの三作目だということなので、順序良く読んでいればこうした分かりにくさも感じなかったのかもしれません。

作者の松井今朝子という人は歌舞伎評論家としての顔も持ち、種々の歌舞伎入門書の監修もしている程の人なので、歌舞伎の世界の描写は細かなところまで目が届いています。何よりも、役者の心の内を掘り起こして物語の軸に据えているところは余人の許すところではないのでしょう。

とくに本書終盤での兄弟の会話の場面は圧巻です。芸の道に生きる者の心情を示していて、それまでの長い振りはここのためにあったのかと思うほどで見事です。

ただ、エンタメ小説という意味での読み易さという点では、同じ芝居の世界を舞台にしている田牧大和の『濱次お役者双六』シリーズの方が読み易く、文章の小粋さも感じました。ここらは個人の好みに帰着するのかもしれません。

物語の一つの柱ともなるべき謎解きそのものは若干のご都合主義的な匂いを感じないでもないのですが、しかしながら作者は「家族」のあり方を主題としていたらしく、そうしてみれば全体がそれとしてまとまって見えてきます。

先にも述べたように、三部作の夫々を独立して読むことができる、とは言っても、やはり順序立てて読んだ方がよさそうです。他の二冊も読んでみようと思います。

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(こちらです⇒読んだ屋
本ブログを別棟として位置付けて、読んだ本を記録していこうと思い立ちました。ここでの文章を母屋であるそのサイトに転記していくつもりです。

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