FC2ブログ

野口 卓 心の鏡 ご隠居さん(二)


ご隠居さんシリーズの二作目の連作の短編集です。前作の最後の「庭蟹は、ちと」で、梟助じいさんの正体が明らかになったのですが、本作では相変わらずに鏡を磨いで町を流す日々です。

「松山鏡」 梟助のお得意先である「三味線加良屋」の八重という嫁から、鏡の出てくる落語はないかと訊ねられた。言われて驚くことに鏡の出てくる落語がほとんどない。ひねり出した落語が「鏡のない村」という名も持つ「松山鏡」という話だった。

人はなぜ鏡を見るのだろう、と考えた八重は、鏡を見ないで暮らしてみます。鏡が人そのものを映すのならば、見てくれを気にする必要はないのではないか、というのです。なんとなく寓意的な物語でもあると感じますが、そういえばこの梟助じいさんの物語は全体的にそうした雰囲気を持っているとも言えそうです。

「祭囃子が流れて」 赤坂新町四丁目の菓子舗「狒狒屋」の主人福右衛門は仕事一筋の男だった。この福右衛門が「狒狒屋」を出すに当たっては大変な苦労をしたということだったが、福右衛門は何も話さない。そんな福右衛門のただ一つの楽しみが梟助の話を聞くことだという。そんな福右衛門がある思い出を語り始めた。

今回の梟助は半分ほどは聞き役にまわっています。その聞き役での話しの部分がよく分かりませんでした。物語前半の様々な物売りについての説明話は面白いのです。「親孝行」という商売など笑ってしまいます。ただ、福右衛門の昔語りに出てくる謎の祭りの絵ときについては、その面白さも、絵ときの意味もいま一つ理解できませんでした。

「婦唱夫随」 漆器類を商う「津和野屋」に出向くと、主人の宇兵衛とその妻佐和とが待っていて、犬や猫は人間の言葉がわかるのだろうか、と聞いてきた。そこで梟助は南町奉行でもあった根岸鎮衛(やすもり)の「耳嚢(みみぶくろ)」に書かれている「猫物をいう事」の話をするのだった。

この宇兵衛と佐和夫婦と話しながら、梟助は自分の嫁であったハマを思い出しています。互いに思いやる二人を見ていると、常に蔭になって自分を支えてくれたハマを思い出すのです。本来「夫唱婦随」とは夫の言葉に、妻が従うことを言うそうです。しかし、現在では夫婦仲の良いことを意味するようになっているそうで、この物語もこちらの夫婦の仲のよさを言っているようです。

「夏の讃歌(ほめうた)」 呉服問屋丹後屋のご隠居のナミばあさんは縮緬ばあさんとでもいうべき人だった。ある日、奥さまが急用でいないときに、そのばあさんと話す機会を得た。ばあさんは、人生の三つの節目、誕生と結婚そして死に一日で巡り合わせたことがあったという。

今回は、普段は奥さまと共に聞いているだけのナミばあさんが話し手になり、梟助が聞き手になります。ところが、話をするナミばあさんは娘のように若やいで見えるのです。普段あまり話をすることもないお年寄りは、心の中の昔語りをすることで生き生きとしてくるのでしょうか。それとも梟助が語り手としてだけではなく、聞き役としても上手だということなのでしょうか。

「心の鏡」 ある日初めて呼び止められた武家屋敷で古びた鏡の磨ぎを頼まれた。調べてみると白銅の鏡らしい。屋敷の隠居は「古鏡記」という千年以上も前の唐の本に鏡について書かれているという。梟助はその本について知りたいこともあって、鏡の磨ぎを引きうけるのだった。

鏡磨ぎ職人としての梟助じいさんの面目躍如たる作品です。物語の背景には611年から617年までの出来事を記した唐の書物の『古鏡記』という本が背景にあり、武家屋敷の隠居から頼まれた古鏡の磨ぎに入るのですが、その材質への配慮や作業の手順など、職人の仕事を傍で見ているような感じになる作品です。

野口 卓 ご隠居さん


これまでの作品とはかなり趣の異なった、しかしながら実に面白い小説でした。「三猿の人」「へびジャ蛇じゃ」「皿屋敷の真実」「熊胆殺人事件」「椿の秘密」「庭蟹は、ちと」の六編の連作短編からなっています。

腕利きの鏡磨ぎである梟助じいさんは、落語や書物などの圧倒的な教養があり、人あたりもさわやか。さまざまな階級の家に入り込み、おもしろい話を披露し、ときにはあざやかに謎をときます。薀蓄は幅広く、情はどこまでも深い。このじいさんの正体やいかに…。江戸の“大人”を描く、待望の新シリーズ誕生!(「BOOK」データベースより)

まずは主人公の梟助じいさんの職業が「鏡磨ぎ」と、これまでとはかなり趣が異なっています。更にはこの梟助じいさんがかなりの博識で、しゃべりもうまいのです。そのために様々な得意先が梟助じいさんと話すのを楽しみにしています。このかなりの「博識」の中に、落語にも詳しい、ということがあります。落語家の柳家小満んさんの「あとがき」にも書いてあるように、この設定は旗本や大店、お妾さんに至るまで「あらゆる階層の老若男女と接することができる」のです。

最初の「三猿の人」は、本書の主人公の梟助じいさんの紹介を兼ねた物語です。双葉屋の内儀が梟助じいさんのことを何も知らないので推測していくのに合わせ、梟助じいさんの仕事である鏡磨ぎの説明、当時は鏡には主鏡、合わせ鏡、懐中鏡の三点がセットになっていたこと、鏡そのものの製造方法などが語られていきます。加えて、「土用の丑の日の鰻の意味」について問われ、そのまま「鰻の落とし話」を語るのです。

この「三猿の人」に続いて「へびジャ蛇じゃ」を読んでいるときは、これは著者の落語に対する知識や当時の生活についての博識ぶりは分かっても、物語としては外れかもしれない、などと思いつつ読み進めたのです。

しかし、三話目の「皿屋敷の真実」あたりから風向きが変わってきました。この話は瀬戸物商但馬屋の、嫁いでそして出戻ってきた娘真紀の話ですが、人情豊かな風合いが加味され、暖かな心映えになる話として仕上がっています。合わせて高名な怪談話の「番町皿屋敷」をめぐるトリビアともなっています。

そして、「熊胆殺人事件」では捕物帳の趣を楽しみ、「椿の秘密」に至っては「八百比丘尼」の物語を絡めたファンタジーとなり、共に人情話としての物語として一級の楽しみを得ました。

とどめは最後の「庭蟹は、ちと」です。この話では、これまで皆がその正体を探ろうとして失敗してきた梟助じいさんの正体が明かされます。そして、極上の人情話が語られます。

本書について、「『ご隠居さん』を読んだときの驚きは、「時間でもつぶしていくか」と気軽に寄席に入ったら、泣きながら寄席を後にした――そんな体験と似ている。」と文藝春秋の本の話WEBに書いているのはスポーツライター・ジャーナリストの生島淳氏です。若干大げさかとも思うのですが、本書を読み終えたときほどの喜びはめったにあるものではありません。

私自身、一時期は落語にはまり、古典落語をテープでで聞きまくったものです。(実際に高座に行き、本当は作者も言うように、その目で、その耳で落語家の演じる総合芸を堪能するべきなのでしょう。)だからかもしれませんが、本書を読み終えたときの喜びは、本書自体に対する感動と、思いもかけず良い本に出会った幸せとを併せ持った喜びなのです。

こうして読了後は早く続きを読みたいと欲しているのです。

野口 卓 隠れ蓑: 北町奉行所朽木組


北町奉行所朽木組シリーズの前作『闇の黒猫』に続く第二弾で、二作目ということで慣れてきたものか、前作よりは面白かったように感じました。

「門前捕り」 新任の同心である名倉健介は「門前捕り」を任されるが途中で泥坊を取り逃がしてしまい、腹を切ることになってしまう。面目にかけて賊を捉えなければならない町方だったが、朽木勘三郎も朽木組を挙げて探索に乗り出すのだった。

江戸時代、武家屋敷内で泥坊を捕らえたときは、門前で待つ町奉行の配下に突き出し、町方は「召し捕った」などと、大声をあげ、芝居がかりに逮捕したそうで、これを「門前捕り」と言ったそうです。武家屋敷と町方では警察権の管轄が異なっていて、町方を取り締まる町奉行所の役人を屋敷内に入れないための処置を言います。

本作では、これからもシリーズに顔を出すであろう勘三郎の藤原道場での後輩の北村太一郎が、屋敷内で泥坊を捉まえた侍として登場します。

「開かずの間」 勘三郎の配下である岡っ引きの伸六は、手下の弥太の相談に乗った。弥太の幼馴染である下り酒問屋和泉屋のひとり息子文太郎が、女の幽霊の「・・・恨みを晴らすときが来た。和泉屋を滅ぼしてやる。・・・」との言葉を聞き、寝付いてしまったという。弥太が調べた結果を聞きながら、伸六は一つの結論を得る。

この話では勘三郎はほとんど顔を出しません。代わりに、伸六がまるで安楽椅子探偵のような立場で事件を解決するという、少々変わった雰囲気の捕物帳です。また、本作は弥太の幼い頃の話をも示していて、弥太の育ちを説明する作品にもなっています。

「木兎引き」 千八百石旗本大久保家の隠居、主計(かずえ)は小鳥を育てることに執着していた。その主計が「ズク引き」というミミズクをおとりにして小鳥を捕らえるところを見ようと言う。餌刺(えさし)の手引きで「ズク引き」を見ることになったが、そこに珍しい鳥がかかり・・・。

鷹狩りの鷹の餌にする小鳥を捕らえる鳥刺しのことを「餌刺(えさし)」と言うそうです。この作者の人気シリーズの『軍鶏侍』では軍鶏の生態が詳しく述べられていますが、本作品では江戸期における小鳥の飼育に関して種々の知識が記載されています。捕物帳というよりは、「ズク引き」を中心とした小鳥に関するトリビア的知識の作品です。

「隠れ蓑」 北村太一郎が、勘三郎が藤原道場時代に免許皆伝を巡り遺恨のあった小池文造を見かけた、との知らせを持ってきた。非常に荒んだ雰囲気だったという。そのころ、主人や奉公人は勿論、腕の立つ用心棒まで殺すという賊を追い掛けていた勘三郎だったが、小池文造を見かけたという見世物小屋を調べさせるのだった。

藤原道場時代の性格に問題のある部屋住みの同僚、という設定は特別なものではないのですが、その後の探索で浮かび上がってくる小池文造の様子は普通ではありません。いや、小池文造は普通なのです。普通であるところが、物語としては普通ではないのですね。そうした矛盾を抱えた小池について、勘三郎は「人というものがわからなくなった。」と伸六に一人ごちます。

本作品を読むと、北町奉行所朽木組シリーズとしての世界観がはっきりとしてきたように思えます。

第一巻ではまだ本シリーズの性格が不明で、これまでの捕物帳とは少々異なる印象、チームとしての朽木組を前面に出した作品という程度の印象しかありませんでした。

しかし、『軍鶏侍』で見せた物語の情感、奥行きが本シリーズでも感じられ、次回作がとても楽しみになっています。単に、捕物帳としてではなく、勘三郎を中心とした朽木組というチームそのものが生き生きとして動き出している印象です。単なる捕物帳としての構成を超えたところで、物語としての面白さを発揮してくれるシリーズとして成長してくれることを期待できる作品だと思います。

野口 卓 闇の黒猫: 北町奉行所朽木組


『軍鶏侍』の野口卓による北町奉行所の定町廻り同心である朽木勘三郎を主人公とした捕物帳形式の新しいシリーズで、「冷や汗」「消えた花婿」「闇の黒猫」の三篇が収録されています

「冷や汗」 京に本店がある呉服・太物商の桜木屋の支配役の金兵衛が、池之端仲町の自身番で勘三郎を待っていた。金100両が無くなっているものの、いつ盗られたかは不明だという。勘三郎は父親が「闇の黒猫」と呼んでいた凄腕の盗賊の仕業ではないかと疑うが・・・。

「消えた花婿」 呉服町にある諸国銘茶問屋の大前屋から、祝言をあげたばかりの息子俊太郎が行方不明だとの相談を受けた。気が弱く、遊び仲間からの誘いを断りきれない俊太郎の、勘当寸前の最後の望みの綱として嫁を迎えたのだという。しかし、何か隠し事があるようで、密かに調べを入れる勘三郎だった。

「闇の黒猫」 夜遅く、塗物問屋の北村屋から出てきたひとりの盗人を捉えた。この男こそ「黒猫」だとの思いを強くする勘三郎だったが、男は一時の気の迷いによる盗人だと言いはり、名を歌川吉冨という絵師だというのだった。

情感豊かに描かれた『軍鶏侍』の印象が強かったので、本作品の読み始めは戸惑いがあったのが事実です。本作品はどちらかというと、抒情性を排し、客観性を重んじているようで、勘三郎の主観もその描写はほとんどありません。本書が捕物帳であることから、作者はあえてそのような手法を取っておられるのでしょう。

作者は、本書の舞台背景の説明にも心を砕かれていて、邪魔にならない程度に、それでも他では見ないほどに用語や小道具の説明が入り、それはそれで興をそそられます。

最もユニークと感じたのは、勘三郎の配下として岡っ引きの伸六とその手下である安吉と弥太がおり、それに見習の和助と喜一とがいて、彼らが朽木組と呼ばれるチームとして活躍することです。勘三郎は探索の方向性を示し、伸六が具体的な指揮をとり、安吉と弥太が和助と喜一を使いながら調べに走るのです。

そのそれぞれが一人前のあかしとも言われる渾名、異名を付けられており、腕は確かな「減らず口の安」とか、見かけによらず優しい「地蔵の弥太」などと、はっきりとした性格づけが為されています。見習いである安吉と弥太についても同様で、「独言和尚」「ぼやきの喜一」という渾名を持っています。勘三郎も勿論渾名があり、その名前の頭の三文字からから「口きかん」と呼ばれています。

『軍鶏侍』において、園瀬藩という風光明美な里を設定し、軍鶏というこれ以上無いほどにユニークな舞台を設けた作者らしい、新たな捕物帳が誕生したと言えるでしょう。

このシリーズは一作しか読んでいないので、次の作品を楽しみにしてみましょう。

野口 卓 危機 軍鶏侍


軍鶏侍シリーズの第六弾はこのシリーズ初の長編です。とは言っても、外伝として『遊び奉行』という長編があるので厳密にはシリーズ初とは言えないのかもしれません。

園瀬の里に「雷」つまり、音だけの花火である煙火(えんか)が打ち上げられた。「雷」とは藩に緊急の出来事が起きた時の知らせのことだが、周りには何の異変もなく、誰が何のために打ち上げたのか分からないままだった。源太夫や芦原讃岐、それに裁許奉行であった九頭目一亀らは、この出来事は公儀隠密の仕業ではないかと疑う。そして、その狙いは園瀬の名物となっている盆踊りで騒動を起こすことにあるとの感触を得るのだった。

今、私の中でシリーズものの時代小説では一番面白いと思っているシリーズです。今回は源太夫が藩の政治の波に巻き込まれていき、改革の時の仲間と共に活躍する姿が描かれています。

「雷」が打ち上げられたその背景を探るうちには、かつての藩の改革で起きたような藩の重職と有力商人との結託や、園瀬藩の特産である莨栽培の秘密を狙う隣藩の存在などが疑われ、それらの疑いを一つずつつぶしていく作業が描かれます。その過程で、これまでシリーズの中で語られてきた園瀬の自然や来歴、成り立ちなどが整理されたり、更なる積み重ねがあったりと、園瀬藩の表情がより明確になっていくのです。

特に『遊び奉行』でもそうだったのですが、園瀬の「盆踊り」、つまりは「阿波踊り」をイメージしていると思われる「盆踊り」への作者の思い入れが強く感じられる物語になっています。「阿波踊り」の美しさは私も個人的に常々思っているところでもあり、いつかは本物の「阿波踊り」を見たいものです。

シリーズ当初では人嫌いで、なるべく人とのかかわりのない生活を望んでいたはずの源太夫ですが、ここにきてみると人との関わりを忌避するどころか、これからの人材である若者に剣を教え、見守り、相談に乗り、それのみならず藩の中枢に居る人物たちとのかかわりから、事実上藩政に関わりを持たざるを得ない立場にさえいます。話の中でも、折に触れそのことには触れられてはいるのですが、読者にとっては楽しいばかりです。

美しい園瀬の里を舞台にしたこのシリーズは、剣の使い手である源太夫を中心にして様々な顔を見せる物語として大きく成長しています。若者たちの成長譚、剣豪もの、アクション、恋物語、そして軍鶏、そのそれぞれがこのシリーズを語る作者の情感豊かな文章で綴られていくのです。今後の展開を心待ちにしたい作品です。

プロフィール

siro

Author:siro
このブログの本棟として本の紹介のサイトを開いています。
(こちらです⇒読んだ屋
本ブログを別棟として位置付けて、読んだ本を記録していこうと思い立ちました。ここでの文章を母屋であるそのサイトに転記していくつもりです。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR