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又吉 直樹 火花


現役の人気漫才師でありながら、小説を書き、処女作でありながら芥川賞を取ってしまったという、今話題の漫才師、ピースの又吉の小説です。

スパークスという漫才師の片割れである徳永は、お笑いの先輩である神谷から自分の伝記を書くように命じられる。神谷を笑いの天才だと信じる徳永は、いつも神谷のそばに居て言われるままに神谷の言動を記録する。二人の間では常に「笑い」があり、「笑い」のために日常があるのだった。

ほとんど全編が神谷の心象のみで成立していると言えなくもありません。徳永が心酔する神谷の存在でさえも、徳永の語る「笑い」のための道具であるようです。徳永が語る「笑い」は人間の生き方そのものであり、彼にとっての存在理由なのです。神谷と徳永の会話重視で成り立っている本書『火花』ですが、その意味では全編、徳永の思う「お笑い」の追及であり、神谷と徳永の関係性の変遷の歴史です。

中盤を過ぎて、神谷先輩の新しい彼女の家で、テレビに出ているスパークスを見たときの二人の場面は圧巻です。スパークスのネタで笑わない神谷。その神谷に対し辛辣な言葉を投げつける徳永。そこには、芸人として売れているか否かという厳然たる事実があるのでしょう。世間からは全く評価されていない神谷は、テレビにそこそこ出ている徳永の痛烈な言葉に対し何も反論しません。

なんとなく、神谷を神格化している自分に気づいていた徳永が、普通の人間であるところを見せる神谷に対して吐く言葉は暴力的でさえあります。そんなことを言うつもりはなかった徳永ですが、神谷を傷つける言葉は止みません。

ここでの徳永は寂しさに溢れているのでしょう。自分にとって普通の人間であるべきではない先輩が普通の人である顔を見せた時、徳永の笑いに対する思いも共に霧消してしまう気がして寂しかったに違いないのです。

ここでは徳永の思うお笑いと、神谷の言うお笑いとのギャップさえ感じられ、それに気が付いている徳永の心情もまた哀れですらあります。

しかし、作者の言いたいことはそんなことでもなさそうな気もします。純粋に、お笑いというものに対する彼なりの答えではないかという気もするのです。

正直なところを言えば、徳永の語る言葉は、その意味が半分は理解できませんでした。エンターテイメント小説ではあまりしない、何度も読み返すという作業が随所に必要でした。それでもよく分からない。

そもそも「面白い」という言葉自体主観的なものである以上は、徳永の追及する「純正の面白い」の意味は他人が分かる筈もないのではないでしょうか。分かる筈もないものを分かろうとしても無理である以上は、最大公約数を見つけるしかなく、それは客である素人の目線につながると思うのですが、徳永はそうは考えていないようです。

この作品の映画化の話があるようで、監督として同じ吉本所属のダウンタウン松本、品川庄司の品川らの名前が挙がっているようです。いずれにしてもお笑いとは何ぞや、という質問に答えを出す必要があるでしょうから難しい作業になるのでしょう。それとも、他の描写の仕方があるのかもしれませんね。

それにしても、芥川賞作品は久しぶりに読んだのですが、ここまで直截的に主人公の内面に焦点の当てられた作品も珍しいのではないでしょうか。ここに至り、あらためて純文学とは何か、大衆文学との違いは何かということを考えさせられた作品でもありました。

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このブログの本棟として本の紹介のサイトを開いています。
(こちらです⇒読んだ屋
本ブログを別棟として位置付けて、読んだ本を記録していこうと思い立ちました。ここでの文章を母屋であるそのサイトに転記していくつもりです。

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