上橋 菜穂子 鹿の王(上・下)



さすがは上橋菜穂子作品です。それも本屋大賞を受賞した作品というだけあって、じつに読み応えのある内容の濃いファンタジー小説でした。

「独覚」と呼ばれる戦士団の頭であったヴァンは、東乎瑠(ツオル)帝国との戦いに敗れ、岩塩鉱の地の底深くで奴隷として囚われていた。ある日、黒い獣の一段が襲ってきた後、鉱山の者皆が流行り病で死んでしまう。生き残ったのはヴァンと一人の幼子だけだった。ヴァンはユマと名付けた幼子と共に開拓民に救われるが、流行り病を生き延びたヴァンを追う人物があった。

単に、主人公ヴァンを中心とする冒険物語として読んでも十二分に面白い小説です。ただ、本書はそれだけにとどまりません。物語の舞台となる世界について徹底して考え抜かれていることがよく分かるほどに、登場する部族ごとの習俗や、帝国の政治体制などが厳密に構築されていて、登場人物たちが生き生きと動きまわっています。

その見事に構築された世界を舞台にする本書が抱えているテーマは、病、戦などを抱え込んだ「生命の在りようそのもの」を見据えています。それは重く、処理の仕方次第では陰鬱にさえなるようなテーマである筈です。しかし、本書はその重さを全く感じさせません。テーマは物語の進行の中に自然に溶け込んでいて、「命」という存在への自分なりの解釈が、意識しないうちに読み手の心に居ついているのです。

人間は個々の人間が集まって社会を形成し、そこに他の生き物が加わって一つの世界を形成しています。一方、人間の体自身にも多くの微生物が存在し、それらの微生物の働きによって生命活動を維持しており、それはあたかも人間社会の営みのようでもあります。

この関係性をそのままに物語として取り上げたのが本書です。人間体の仕組みをモデルに小説を書いた作者は小松左京や半村良など居ないことはありません。しかし、本書ほどに正面から取り上げて物語のテーマとした小説は知りません。ましてやその小説が比類ない面白さを持っているのですから、何も言えません。

登場人物をみると、戦士のヴァンという動的な存在の主人公に対し、高貴な存在で有能な医術師であるホッサルという静的な存在が配置されています。このホッサルは、人間の命の救済に正面から取り組む医者であり、本書のテーマを直截に掘り下げる重要な役割を担っています。更に、ヴァンと同じ場所に囚われていて流行り病を生き延びたユマという幼子がいます。このユマの存在がこの物語全編を通しての心の安らぎであり、命の尊厳を思い出させてくれるキーにもなっているのです。

本書には様々の部族(?)が登場し、その住んでいた土地と共に生きている人間、ということを強く意識させる構造になっています。人は動物や植物をも含めた自然の営みの中で、自然と一体になって生きているのです。

本書ではまた、深く掘り下げられているわけではないのですが、宗教との関わりをもまた取り上げてあります。病に対し、自分たちの治療で助からないもの、それは神の意志であり、ホッサルたちの行う治療行為は神の意志をないがしろにするものだとする帝国に元から存在する既存の医師団がいるのです。

そうした集団を物語に取り込む、その仕組みとして東乎瑠(ツオル)帝国があり、被征服者としてアカファの国があって、国ごとの名前のつけ方もよく考えられています。東乎瑠(ツオル)帝国の皇帝は那多留(ナタル)であり、その子は宇多留(ウタル)や与多留(ヨタル)という漢字を振ってあります。こうした仕掛けは小さなことではありますが、国の特色を示してあって、読み手は帝国の雰囲気の一端を摺りこまれるのです。

本屋大賞のみならず、日本医療小説大賞をも受賞している本書は、医療の側面でも高い評価を受けています。そうした専門的にも評価を受けている作品である本書は、飛鹿(ピュイカ)というカモ鹿に似た動物を乗りこなし、戦士の頭としての力量と人望とを併せ持つヴァルの活躍や、ユマの愛らしさと共に、知らず読み手の心に深く入り込んで、さまざまの事柄を考えさせる作品になっているのです。

プロフィール

siro

Author:siro
このブログの本棟として本の紹介のサイトを開いています。
(こちらです⇒読んだ屋
本ブログを別棟として位置付けて、読んだ本を記録していこうと思い立ちました。ここでの文章を母屋であるそのサイトに転記していくつもりです。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR