宮下 奈都 羊と鋼の森


一人の調律師の鳴らすピアノの音を聞いて、自分も調律師になり自分の音を探す若者の物語。第154回直木賞、2016年本屋大賞それぞれの候補作になった作品です。

高校生の外村は、体育館に置かれているピアノを調律する板鳥宗一郎の調律する音に魅せられて調律師になる道を選んだ。二年間の調律師になるための研修を終えた外村は、調律師の板鳥のいる江藤楽器に就職する。江藤楽器店の調律師の先輩や、さまざまなお客、そのお客の元にあるピアノとの出会いを通して、外村は調律師として、そして人間として成長していく。

単に直木賞候補作品というだけで読んだ作品ですが、いざ読み始めてみると調律師という、全く未知の分野の物語でした。

まずは、未知の世界についての作品ということ自体の興味で読んでいたのですが、宮下奈都という作家の文章の美しさに惹かれました。決して湿度が高くはないこの文章を詩情豊かと言って良いものか疑問もありますが、ピアノの音そのものや、その音を聞いたときの心情などを表現する言葉の選択、文章の組み立ては美しいものでした。

本書では、ピアノの音を表現するために、主人公が暮らしてきた故郷の森の印象を借り、比喩の小道具とした表現が為されています。例えば、板鳥の調律しながら確かめるピアノの音を表した場面があります。「ぼやけていた眺めの一点に、ぴっと焦点が合う。山に生えている一本の木。その木を覆う緑の葉、それがさわさわと揺れるようすまでが見えた気がした。」などです。森に重ねた音の広がりについての表現の豊かさに魅入られました。

また、調律という仕事についての紹介の話でもあります。例えば、調律とは一オクターブの音を、基準となる音をもとに均等に割り振る作業、だと思っていたのですが、それは「平均律」という調律の一方法でしかないということです。これに対し、音の響きを優先した「純正律」という方法もあり、また、音感が貧弱な私では勿論聞きわけることはできない細かな調整方があるらしいのです。

ここに至るといつも思う事柄があります。それは、絵画や音楽などの「芸術」という分野に属するものは、高度に個人の感性に左右されるということです。それは演者という送り手は勿論のこと、鑑賞する受けて側にも言えることで、それなりの力量が無ければその「芸」なり「芸術」なりの良さは理解できません。そのことは、「芸術」を描写する文章についてもそのままに当てはまり、書き手は勿論、読者もある程度の感性が必要なのだろう、と思ってしまいます。

ましてや本書のようにピアノの音色を聞き分けることなど、一般素人の耳では分からないことです。更には「ピアノの音の柔らかさ」などと言われても殆どの人は理解できないと思われます。でありながら、「柔らかな音」を文章で表現し、読み手に調律の仕事の意味を伝える本書のような作品は、非常に高度な作業を行っているのであり、読み手は自分の感性で著者の意図するところをくみ取ることになります。

つまりは受け手の感性の問題も加わり、感覚の鈍い私などどうすればいいのか、ということになるのです。

でも、こうしたことは考えても仕方がないことで、絵画や音楽の素人だから分からないのではなく、個人の感覚の問題だからいろいろな意見が出て当然、だと割り切ることにしています。

本作品は、青山文平が『鬼はもとより』で受賞した第152回直木賞の候補作になっています。そこでの選評を読んでみると、北方謙三、伊集院静は本作品を押しているものの、林真理子、浅田次郎はあまり評価していません。東野圭吾もエンタメ性の欠如を理由に否定的です。

「エンタメ性の欠如」という理由づけは明快であり、納得できます。確かに、主人公外村の成長を追いかける本作品にエンターテインメントとしての面白さはありません。どちらかと言うと文学的なのです。でも、その文学性の存在を否定し、「登場人物のキャラクターが、少女コミック」のようだとする林真理子のような意見もあるのですから分かりません。

文章を美しいと感じた読み手、すなわち私の感覚も否定された様でもありますが、肯定する作家もいるのですから、やはりは個々人の感性に帰着するのでしょう。

ともあれ、物語としての面白さ、この「面白さ」という言葉も多義的で一概に言えないのですが、「読書している時間を幸せな時間と感じれるか否か」という私の基準から言うと「面白い小説」だと言えると思うのです。

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Author:siro
このブログの本棟として本の紹介のサイトを開いています。
(こちらです⇒読んだ屋
本ブログを別棟として位置付けて、読んだ本を記録していこうと思い立ちました。ここでの文章を母屋であるそのサイトに転記していくつもりです。

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