FC2ブログ

畑野 智美 南部芸能事務所


お笑い中心の弱小芸能プロダクションである「南部芸能事務所」を舞台に繰り広げられる、芸人たちの日々を描いた連作の短編小説集です。

大学2年生の新城は、親友に誘われて見た「南部芸能事務所」のお笑いライブに魅了され、その日のうちに芸人を志す。漫才の相方探しをするうちに、女芸人の津田ちゃんから、同じ大学に通う溝口を推薦されるが…。弱小お笑いプロダクションを巡る愛すべき人々を、誰にも書けない筆致で紡ぐシリーズ第1弾! (「BOOK」データベースより)

この作家の作品はこれまで三作を読んできました。当初は読んだ作品がタイムマシンをテーマにしている物語だということもあり、短めの文章をたたみ掛けてくる書き方をある種の効果を狙っているのかと思っていたのですが、どうも違うようで、この作者の個性のようです。

本書には全部の七つの物語がありますが、そのすべての話が異なる人物の一人称で語られています。

問題は、どの物語も似た雰囲気であったことです。短めの文章のタッチがどの物語もあまり変わらず、語り手が変わっていることを忘れてしまいそうになります。

本書は売れていない芸人の物語です。芸人として売れるということが何を意味するのか、テレビに常時出ることなのか、それとも少なくてもいいから本当に芸人の芸を見に来てくれるお客さんを掴むことなのかなど、悩むところのようです。

しかし、本書の登場人物たちのほとんどは、売れることの意味を考える以前の段階にも達していません。彼等は、グループを続けていいものなのか、芸人の道をあきらめ、普通の社会生活に戻った方がいいのではないかを悩んでいます。

そんな彼らを優しく見守ってくれているのが、南部芸能事務所の社長である南部というおかまさんです。南部社長はいつも抱えている芸人たちの様子を観察し、芸の行き詰まりなどをチェックしてくれています。そして保子師匠もこの事務所の重鎮として見守ってくれているのです。

お笑いコンビピースの又吉直樹が書いて芥川賞を受賞した『火花』も同様の話でした。しかし、本書は、芸人自身が書いた芸人の内面を真摯に見つめる『火花』とはかなり異なります。本書の場合、人物の心象描写にしても、一人称で語られているにもかかわらずどこか客観的なのです。

タッチが同じだとか、人物の描写が深みに欠けるとか、残念な部分は少なからずあります。とはいえ、この作者の他の作品と同様に本書も実に読みやすく、さらりと読み終えることができました。言いたいこともそれなりに描かれているとは思います。今は終了しているこの全部で五巻になるシリーズを最後まで読むことでしょう。

畑野 智美 夏のバスプール


まさに青春小説と呼ぶべき、長編小説です。

夏休み直前の登校中、高校一年生の涼太は女の子にトマトを投げつけられる。その女の子・久野ちゃんが気になるが、仙台からきた彼女には複雑な事情があるらしい上、涼太と因縁のある野球部の西澤と付き合っているという噂。一方、元カノは湿っぽい視線を向けてくるし、親友カップルはぎくしゃくしているし、世界は今年で終わるみたいだし―。どうする、どうなる、涼太の夏!?胸キュン青春小説!(「BOOK」データベースより)

運動神経と、国語の成績は良いものの、数学や科学は赤点です。何しろ掛け算ができないのです。クラスというよりも学年で最下位に近い高校一年生の涼太。登校時にトマトをぶつけられた女の子に恋をしてしまいます。

同じ高校の同学年なのに顔を知らない、などと思っていたら、仙台からの転校生というのです。残念ながら、彼女は野球部の西澤と付き合っているらしく、西澤から彼女に近づくなと言われてしまいます。

親友の青野らの話では彼女は仙台で何かつらい目にあったらしいのですが、誰もそのことを教えてはくれません。

という話の運びは、青春小説ど真ん中の物語でした。『ふたつの星とタイムマシン』を読んだときも思ったのですが、この作者の文章は難しい単語は全く使ってありません。更に、短めの文章をたたみ掛けてくるその文体は、心地よいリズムで実に読みやすいものです。

本書に登場する高校は、中高大との一貫校らしく、それほど受験勉強に精を出さなくても、よほどのことがない限りは大学までは行けそうなのです。ところが、本書の主人公の涼太はその「よほどのこと」にあたりそうなまでに成績が悪いのですから始末に負えません。

でも彼に友達は多く、内部生、外部生、そして運動部系の区別なく声をかけられ、慕われています。この「内部生」「外部生」との区分けが良く分からないのですが、中高大一貫校なので、高校からの入学生を外部生として区別しているのだろう、と勝手に思っていました。

成績はよくないのだけれど、運動神経はいい主人公は、青野や望月といった仲間にも恵まれ、まさに青春を謳歌しているように思えます。この主人公の性格のよさなども、読んでいて心地よく、読みやすい理由の一つと思われます。

ただ、『ふたつの星とタイムマシン』のようなSF仕立てではないからなのか、仲間との関係性など少々腑に落ちない点も垣間見え、若干の物足りなさを感じたのも事実です。青春小説として、確かに読みやすく、そして面白い作品なのですが、もう一歩心に残らないのです。それは、主人公らの生活が、私らの青春時代とのあまりに違うことからくるのかもしれないし、もしかしたらこの作者の作風があまりに読みやすいことからくる思いこみなのかとも思ってしまいました。

畑野 智美 ふたつの星とタイムマシン


タイムマシンでは、行けない明日』と世界を共通にする、SFと言っていいのかな、と疑問符が付きそうな短編集です。

疑問符が付きそうな、というのは、本書が『タイムマシンでは、行けない明日』以上に科学的な描写は無いからであり、更には内容が実に「普通」であるからです。

本書の構成は

「過去ミライ」
 過去の自分に会い、ある忠告をしようとする女子学生の物語。
「熱いイシ」
 その石を持っていると、質問に対する答えが分かるという不思議な石の話。
「自由ジカン」
 望み通りに時間を操ることができる中学生の物語。
「瞬間イドウ」
 無意識に自分が思う場所へと瞬間移動するOLの物語。
「友達バッジ」
 これをつけていると誰とでも友達になれるというバッジの話。
「恋人ロボット」
 男子学生と恋人の美歩ちゃんと家庭用ロボットとの話。
「惚れグスリ」
 田中君と長谷川さんと惚れ薬の話。

となっています。

社会の全員が超能力者というわけではないけれど、超能力者であっても普通に暮らすことのできる社会。多分、今この私たちの世界とは異なる、パラレルワールドの出来事を描いた小説集です。

特に最終話の「惚れグスリ」は、『タイムマシンでは、行けない明日』に連なる話であり、共通する人物の名前が出てきます。共通する人物という点では第一話の「過去ミライ」もそうでした。

この第一話は仙台の大学の平沼教授の教室の話であり、そこにあるタイムマシンを使った学生の物語で、この物語をベースに、最終話の「惚れグスリ」の設定を膨らませた話が『タイムマシンでは、行けない明日』になった、と言って間違いではないと思われます。

どの物語も主人公の一人称で語られていますが、主人公の内面描写などはほとんど無く、実に淡々とした文章で綴られた物語となっています。

本書の惹句を読むと、一応SFというジャンルに括られているようですが、どうもSFというには単にタイムトラベルがテーマになっている話があるというだけで、物語の根底の科学的な根拠づけなどは何もありません。理由づけも無く既にあるタイムマシンを利用して過去に行く、という話であり、要は過去に行くという設定だけを利用してあるだけなので、SFというよりはもはやファンタジーという方がしっくりくる気がするほどです。

まあ、これはSFの定義にも関わってくる話ですが、そういうことはどうでもいい話でもあります。

とにかく、この作者の文章は心地よい。全く難しい単語は使って無く、こんな文章なら誰にだって書ける、などという不遜なことを言い出す輩が出てきそうな、それくらいに普通に思える文章です。

でも、このタッチで書けることはなかなかにできなさそうです。ほとんどの物語が、青春恋愛小説、と分類できそうな内容ですが、それでいて、全く湿った所がありません。それどころか、普通の言葉で若者の行動をさらりと描写することで、彼らの心裡を上手いこと表現しています。

ここのとは先に読んだ『タイムマシンでは、行けない明日』でも感じたことで、短めの文章でたたみ掛けるように描きながら、どこか俯瞰している印象なのです。

この作家の描く物語には全く「毒」がありません。暴力らしい暴力も無く、勿論悪人も出てきません。ただ、たんたんと事実を列挙しつつ、それでいながらどこかユーモラスで、ひねりも効いています。

軽く、時間も取らずに読めるので、もっと他の作品も読んでみようと思います。

ちなみに、本書の装丁もお笑いコンビキングコングの西野亮廣さんの手になるものです。私の中では、時計が組み込まれた自転車に乗っている女の子、というイメージは、背景描写も含めて予想外に良いものでした。

畑野 智美 タイムマシンでは、行けない明日


梶尾真治をを思わせる、タイムトラベルもののSF長編恋愛小説です。

高校一年生の丹羽光二は、ロケットの発射をみるために、同級生の長谷川葵さんと待ち合わせをしていた。そこに車が突っ込み、彼女は車の下敷きになってしまう。彼女を救おうと、光二はタイムマシンの研究をするために仙台の大学へとすすみ、そこで思いもかけず、過去へと旅をすることになるのだった。

ある日の図書館での返却済みの本のところにあったこの本を見つけました。すぐに借りてきた次第です。

というのも、私いつも参考にさせてもらっている「第二級活字中毒者の遊読記」の焼酎太郎さんと、そしてもう一人、ひだまりさんのブログ「*ひだまりさん日記* ~晴れ 時々 読書とパン~」に面白いと紹介してあった作品だったのです。

端的に言ってお二人の言うように面白い作品でした。タイムマシンもの、パラレルワールドの話は小説でも映像でも山ほどあります。作品のネタとして、アイディアさえあればどれだけでも面白いものが欠けるということなのでしょうね。

しかし、そのアイディアが難しい。

畑野智美という作家の作品は始めてなのでよく分からないのですが、本書の一人称で描かれる文章はかなり客観的です。主観表現が無いという意味ではなく、物語の場面を主人公が俯瞰的に眺めており、それを描写しているという感じなのです。そして、わりと淡々としている短めの文章がたたみかけられています。

このタッチは読んでいて小気味いいです。この物語の後半になり、主人公も年をとり、あちこちに、それこそ本書の始まりから物語の全体にわたって振りまかれている伏線が回収されていくのですが、その折にはこの文章がゆっくりと染み入ってきます。

とくにラストは印象的です。宇宙センターにいた村上さんはおそらく事故した村上さんの子供ではないかとは、焼酎太郎さんのブログに書いてあったのですが、たぶんそうでしょう。この点は読んでもらうしかないのですが、この物語の世界観が一気に広がった感じがしたものです。

焼酎太郎さんのブログには、この作者には本書と関連する『ふたつの星とタイムマシン』という作品もあると書いてありました。調べてみると『ふたつの星とタイムマシン』のほうが先に書かれた作品のようです。その作品あって、本書が描かれています。

この「パラレルワールド」という世界に関しては以前から思っていることがあります。本書の中でも主人公が言っているのですが、今自分がいるこの世界では自分(主人公)はそれなりの満足を得た生活をしているのかもしれませんが、自分が以前いた世界では自分の生活は以前のまま、つまりは自分の不満は解決されないままだということです。

本書で言うと、恋人は死んだままなのです。この世界では死んだはずの恋人は生きていて、自分はそれなりの満足を得ていますが、元の世界では何の解決にもなっていません。

小説では読者は主人公目線で考えますので、今の主人公の世界が大団円ですのでそれでいいと言えばいいのですが、その点がどうも気になるのです。

ちなにみ、本書のカバーイラストは、お笑いコンビキングコングの西野亮廣さんが描かれています。『ふたつの星とタイムマシン』もそうで、思いのほかにうまく、印象的な絵で感心してしまいました。悪くないですね。

プロフィール

siro

Author:siro
このブログの本棟として本の紹介のサイトを開いています。
(こちらです⇒読んだ屋
本ブログを別棟として位置付けて、読んだ本を記録していこうと思い立ちました。ここでの文章を母屋であるそのサイトに転記していくつもりです。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR