朝井 まかて 残り者


時は幕末、徳川家に江戸城の明け渡しが命じられる。官軍の襲来を恐れ、女中たちが我先にと脱出を試みるなか、大奥にとどまった「残り者」がいた。彼女らはなにを目論んでいるのか。それぞれの胸のうちを明かした五人が起こした思いがけない行動とは―!? (「BOOK」データベースより)

もしかすると、朝井まかての作品の中で一番私の好みにあっている作品かもしれません。直木賞を受賞した『恋歌』も素晴らしい作品でしたが、本書の持つ空気感とでも言うべきもの、本書の醸し出す雰囲気、趣きが、私の琴線に合致したようです。

それは本書が浅田次郎の『黒書院の六兵衛』の舞台設定が似ている、というとこから来ているものなのかもしれませんが、多分そうではなく、言ってみれば浅田次郎の作品に感じられる人間のこころのありようの一致であり、人情話の根底に流れる他者に対して示される信頼と同質のものがあるから、と言っていいのだろうと思います。

りつという奥女中の視点で語られる本書の文章は、漢字、そしてルビが多用され、大奥の様式美を体現したかのような表現になっていて、読者は、知らずの内に荘厳な雰囲気の中に放り込まれています。そんな語りでありながら、登場人物の描写になるとその人物の心象をたたみ掛けるように描いてあり、いつしか心の裡に染み入ってくるのです。

物語は江戸城明け渡しの前夜の大奥での出来事を描いた作品です。浅田次郎の『黒書院の六兵衛』を思い起こさせる内容ですが、こちらは大奥での五人の奥女中らの振舞いを描き出してあります。

天璋院付の呉服之間で勤めている奥女中のりつは、江戸城明け渡しに際し、天璋院の「ゆるゆると、急げ」との言葉を気にしながらも、自分の職場である呉服之間での後始末の見落としが無かった気になり、皆とは反対に呉服之間へと向かうのでした。

すると大奥には天璋院の飼いネコ「サト姫」を探す御膳所の御仲居のお蛸がいて、更には御三之間のちかがおり、そして天璋院の御部屋、すなわち新御殿の御下段之間には御中﨟のふきと和宮方の呉服之間のもみぢとがいたのです。

大奥の描写の美しさ、お針子や賄いなどの職種の解説など、それは丁寧に描写してあり、いつものことではあるのですが、よく調べてあると言うしかありません。巻末の参考文献も十四冊をかぞえています。

この五人は最後の夜を江戸城内で過ごすことになるのですが、その折の五人それぞれの行いがまた、コミカルでもあり、実に読みやすい物語であるとともに、五人がそれぞれの理由で江戸城に残ったものの、互いに疑心を抱きつつ次第に心を通わせていく様は、かなりの読みごたえを感じたものです。

市井の無名の人々とも若干異なる、歴史の表には決して出てくることの無い、大奥に住まう様々な役目の女たちの生き方さえをも明らかにしてあり、初めての視点でもありました。

朝井まかてという作家は、今後もずっと追いかけちきたい作家の一人であることには間違いなさそうです。

朝井 まかて 洛陽


昨年の秋、NHKのドキュメンタリー番組で明治神宮の特集番組がありました。神宮の杜の成り立ちから丁寧に解説していたのですが、百年の未来を見越した明治神宮の杜の設計には感動すら覚えたものです。

明治天皇崩御直後、東京から巻き起こった神宮造営の巨大なうねり。日本人は何を思い、かくも壮大な事業に挑んだのか?直木賞作家が、明治神宮創建に迫る書下ろし入魂作! (「BOOK」データベースより)

そして今年、朝井まかての未読作品を調べていると「神宮造営」という文字が飛び込んできました。あの朝井まかてが明治神宮造営という一大事業をを書いているというのですからすぐに読んだのです。

結論から言うと、私が思ってたものとは異なる内容の物語でした。NHKのドキュメンタリーを見たこともあって、明治神宮や神宮外苑の成り立ちをダイナミックに描き出している作品だと勝手に思い込んでいたのです。

実際読んでみると本書は、明治という時代についての作者の想いを一人の青年に託して表した作品でした。しかしながら、私の思い込みは外れたものの、作品としてはそれなりの面白さを持った作品でした。

主人公は東都タイムズという編集長以下三人の記者しかいない弱小新聞社の記者の一人である瀬尾亮一という記者です。明治天皇崩御に際し、瀬尾は二重橋前でひれ伏す大衆を見て「天皇とは、誰なのだろう。」という疑念を抱きます。この疑念が本書が私の思惑とは異なる世界へと導かれていくきっかけでした。

明治天皇の御陵は京都の伏見桃山に作られることが決まり、代わりに東京には明治天皇と昭憲皇太后を祭神とする神社を作ろうという話が起きます。

当初、神宮の荘厳さには針葉樹が必要だが、東京の代々木、青山付近は針葉樹が育つ環境には無く、神宮造営には不向きだという反対論が起きます。しかし、結局、現在の地に神宮を造営するととになり、反対論者ではありましたが、帝国大学農科大学講師の本郷高徳らは「明治を生きた人間として」「己が為すべきことを全うするだけ」だとして造営作業にまい進するのです。

本書は、そうした明治神宮造営事業を記事にしようとする瀬尾亮一や、同僚の記者である伊東響子の姿を追いかけています。そして、伊東の神宮造営に対する熱意とは逆に、瀬尾は明治という時代を生きた明治天皇個人の人間像へとその関心は移っていくのです。

十六歳で即位し、十七歳にして住み慣れた京都を離れ、まだ維新後の整理もできていない東京という町へ移られた若き天皇の心の内は如何ばかりだったのだろうかと思いを致す瀬尾でした。それは、天皇を通してみた明治という時代への作者の思いでもあったのではないでしょうか。

その後、瀬尾は「正史」のない明治天皇について調べていくのですが、それはつまりは作者自身の持つ明治という時代についての認識を、自分の中で再構成しようとする作業でもあるようです。

このところ、朝井まかてという作家が非常に面白い、読み応えの作品を書かれています。今私が一番好きな青山文平と作風は異なるものの、迫力では劣らない作品を書かれているようで楽しみです。

朝井 まかて 藪医 ふらここ堂


引っ込み思案の娘おゆんとその父三哲、そして二人とりまく人々の騒動を描いた、人情長編小説です。

家族、夫婦、子育て、はては「恋」まで診立てます。天野三哲は江戸・神田三河町で開業している小児医。「面倒臭ぇ」が口癖で、朝寝坊する、患者を選り好みする、面倒になると患者を置いて逃げ出しちまう、近所でも有名な藪医者だ。ところが、ひょんなことから患者が押し寄せてくる。三哲の娘・おゆん、弟子の次郎助、凄腕産婆のお亀婆さん、男前の薬種商・佐吉など、周囲の面々を巻き込んで、ふらここ堂はスッタモンダの大騒ぎに―。(「BOOK」データベースより)

おゆんの父親天野三哲は小児医ではありますが、患者あしらいが雑なことから患者はなかなか寄り付きません。神田三河町では、この家の前庭には「ふらここ」があるところから「藪のふらここ堂」と渾名されているのです。「ふらここ」とはぶらんこのことで、三哲自らが作ってくれたものです。いまでは近所の子供たちの遊び場にもなっています。

読み始めの第一章は、この物語の人物紹介なども兼ねているところからか、朝井まかてという作家の個性をあまり感じられない、宇江佐真理あたりが書きそうな小説としか感じませんでした。勿論とても読みやすい物語ではあります。人物紹介も簡潔であり、それでいて特徴が良く分かります。

登場人物としては、おゆんの幼馴染で三哲の押し掛け弟子になっている次郎助、その母親のお安、そしてお安と良いコンビでもあり「婆さんていうな」が口癖の産婆のお亀婆さんがいます。そして、物語のキーともなる薬種商の男前の佐吉とその息子勇吉という面々です。

この物語について、著者は「市井の、少々ぬけた人々の物語を書きたくて、江戸時代に実在したヤブの小児医を主人公にしました。」と言っています。その前提として「死人の七割が子どもだった」という江戸時代においての「子育て」をテーマに書いてもらった、というのは担当編集者の言葉です。

その編集者の言葉通りに、「母子同服」とは母と子に同じ薬を飲ませることを言うのだそうですが、母親と子は症の根っこが繋がっている、との三哲の投薬の姿が描かれていたりもします。

この著者たちの言葉が実感として感じられ、読んでいてやはり朝井まかての物語だと感じられてくるのは第三・四章あたりからでしょうか。男前の佐吉が長屋に住むようになり、お亀婆さんとお安との掛け合いも調子に乗ってくる頃です。

その後良くできた人情時代小説と思っていたこの物語が、三哲というのはいったい何者か、というミステリアスめいた話もを加わり、小説としての面白さが倍加していきました。

朝井まかてという作家の作品の中で群を抜いた面白さなどとは言えませんが、それなりのうまさで読ませてくれる作品でした。しかしながら、やはりこの作家は「恋歌」のようにしっとりと読ませる作品のほうが本領だと、あらためて感じさせる作品でした。

朝井まかて ぬけまいる

ぬけまいるぬけまいる
(2012/10/30)
朝井 まかて

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武家のお内儀であるお志花、商家の女将のお蝶、一膳飯屋の行かず後家のお以乃という、かつて「馬喰町の猪鹿蝶」と呼ばれたおばさん三人組のお伊勢参り道中記です。

最初に読んだこの人の本が「恋歌」という落ち着いた恋模様を描く物語だったし、その次に読んだ「先生のお庭番」もしっとりとした話だったので、本書は少々意外でした。更に冒頭三分の一位まではどうも文章に乗り切れず、外れだったかと思いながら読み進めたのです。

でも、中盤に至る前の人情物語が絡んできたあたりから興が乗り始め、本来ならご都合主義的と言えなくも無い展開や、結末への伏線が見える出会いなど、そんなものはファンタジー物語である以上は許容範囲として、リズムに乗ってきました。

元々丁寧な文章を書く作家さんだしその点が逆に仇となっているかも、などと思っていたその文章が跳ねて感じられ始めました。

やはりイベントの起き方によるのでしょうか。最後はそれなりの一大イベントの末に結末に至ったのです。

ただ、その後の三人はどうなったのでしょう。少々気になりました。

最終的には、読み終えてみれば結構面白かった作品でした。

朝井 まかて ちゃんちゃら

ちゃんちゃら (講談社文庫)ちゃんちゃら (講談社文庫)
(2012/12/14)
朝井 まかて

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その子が庭師の辰蔵の家に来た当初「俺のことを親とも思え」といった言葉に「チャンちゃらおかしいや」と答えたものだ。それからその子は「ちゃら」と呼ばれるようになり、庭師見習いとして成長してきた。

その庭師辰蔵の一家「植辰」に嵯峨流という京の名門庭師の家元と名乗る男が目をつけ、何かと言いがかりをつけてくるようになった。その理由には心当たりのないまま、「植辰」の仕事先の庭木が枯れていく。

この本の「ちゃんちゃら」という題名と、冒頭での辰蔵の娘百合の江戸っ子らしいおきゃんな言いまわしなどで、宇江佐真理の「おちゃっぴい」のような、ユーモアあふれる人情ものだと思っていました。ところが、少しずつ作庭のうん蓄などを織り交ぜながらの「ちゃら」の成長譚へと雰囲気が変わってきました。

登場人物も石組みの名手の玄林、水読みの名手である福助、そして京で庭師の修業をしてきたという辰蔵、その娘百合等個性的な面々が揃っています。

本作が2作目だそうですが既に格調の高さの片鱗が見えていて、テンポ良く、読みやすい文章です。

ただ、最後の大詰めになってのアクション性が高い見せ場になって、少々分かりにくくなっていたのが残念でした。「ちゃら」の行動の描写に少々辻褄が合わない個所があるのです。

その最後の点に若干の不満はあるものの、時代小説の新しい書き手として楽しみな作者がまた現れたと楽しみに出来そうです。

ただ、最初に読んだ「恋歌」と言う素晴らしい作品を先に読んでいたのでこの本の読み方も変わっているのかもしれませんが。

残りの未読の本も早めに読みたいと思っています。

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このブログの本棟として本の紹介のサイトを開いています。
(こちらです⇒読んだ屋
本ブログを別棟として位置付けて、読んだ本を記録していこうと思い立ちました。ここでの文章を母屋であるそのサイトに転記していくつもりです。

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