北方 謙三 黒龍の柩



北方謙三が描く新選組の物語です。これまでの新選組ものとは全く異なる世界観を持った物語で、まぎれもなく北方謙三の世界がひろがっています。上・下二巻、総頁数が一千頁近くにもなろうかという大作なのですが、あまりその長さを感じませんでした。

あらためて言うまでもないことではありますが、基本的には歴史的な事実をふまえた新選組の物語なのです。しかし、歴史の表舞台に現れない裏舞台や、空白の時間は全く異なる視点で描かれています。

そもそも、作品の骨格となるのは坂本竜馬という男であり、その構想なのです。勝海舟も榎本武揚も徳川慶喜でさえも坂本竜馬という男の描いた理想に向かって動き始めます。本作品は北方謙三の考える「男」を体現した主人公の名前が、新選組にいた土方歳三であった、というべきでしょう。

読みながら北方謙三の『水滸伝(全19巻)』を思い出していました。共に、一般的に読まれている作品がいったん破壊され、北方謙三の視点で異なる物語として組み直されているのです。水滸伝では経済的側面の強化策として「塩の道」というしくみを作り、また、致死軍という武力装置を作って、組織としての梁山泊を強固に作りあげています。本書では、土方は武力装置そのものとなり、坂本竜馬の構想を軸として再構築された幕末の歴史の中を、その構想を実現するために疾走するのです。

両作品の出版時期を見ると、水滸伝は2000年から2005年にかけて出版され、本書は2002年の出版ですから、同時期に書かれたものだから似た構成になっているのかとも思いました。しかし、すこし調べると、北方謙三の描く歴史小説は皆、北方ワールドに変化しているようなので、特別なことではなかったようです。

北方版新選組では、近藤勇の夢は幕府であり、土方の持つ夢を共有できずに死んでいきます。沖田総司はひたすら剣に生き、剣に死のうとあがきます。通常の作品と一番異なるのは山南敬助です。自らの死期を悟った男として新選組のためにその死をを利用しようとさえするのです。原田左之助や斎藤一など、少しずつこれまでの人間像とは異なり、死ぬ場所も違ったりします。

独自の設定として、本書には久兵衛という男が登場します。かつては武士であったのですが、現在は料理人として新選組に雇われています。それ以上の素性は明らかではない男なのですが、重要な役割を担っています。この男の存在も、土方との会話の端々に、多くを語らずとも理解しあえる、男と男の繋がりを感じさせます。これらの男達は、前半での新選組としての行動から、後半の竜馬の抱いた構想の実現へと移っていくのです。

また、本作品はやはり北方作品だと痛切に感じるのはやはりその文章でしょう。

近頃読んだ新選組ものの小説では、浅田次郎の新選組三部作と、木内昇の『新選組 幕末の青嵐』とがありました。共に情景の描写などで人間の内心を描きだしている素晴らしい作品です。特に浅田次郎作品は人間の「情」が前面に出ていたように思います。

ところが北方作品では、自然の描写、情景の描写が全くと言っていい程にありません。人間の内心の描写はありますが、「情」に関しては直接の描写は無いと言えるでしょう。

しかし、だからと言って人間の情を描けていないのかと言えばそうではなく、客観的な短文の積み重ねで心の奥底までが語られるのですから見事なものです。沖田総司と「たえ」との別れの場面など、静かな感動があり、あらためてそう思いました。

会話文は現代の言葉です。時代小説の武士言葉などは全く使用されていません。それも北方ハードボイルドを思わせる一因なのかもしれません。

北方謙三の描く新選組、土方歳三の物語です。幕末を舞台にしたハードボイルドであり、意外な結末に至る、新たな視点の歴史小説です。

最後に一点だけ。新選組と言えば「新選組の本を読む ~誠の栞~」を是非読んでみてください。東屋梢風さんの書かれるこのブログは是非お勧めのブログです。

北方 謙三 さらば、荒野

さらば、荒野 (角川文庫 (6022))さらば、荒野 (角川文庫 (6022))
(1985/04/01)
北方 謙三

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東京から3時間も飛ばせばたどり着くN市でキャバレーとバーを経営している川中は、レーザーの研究をしている弟が会社から機密資料を盗みだしたとして、色々なところから接触をうける。莫大な金が絡むその情報を握る弟を助けるべく、川中は行動を開始する。

この本を読むのはもう何度目のことでしょうか。何度読んでもその面白さは色褪せません。

北方謙三の本を読んでいると特に思うのですが、通常一般人にとっては現実にはまずあり得ない出来事が描かれています。やくざに対し度胸だけで立ち向かい、蹴られ、殴られても最後には気力で相手を倒すことなどありえません。そんな喧嘩自体がまず無いし、あってもただ逃げるだけです。敵わないのを承知で理不尽な暴力に敢然と立ち向かい、喧嘩自体は負けても男の矜持自体は常に持ち続ける、そんな男などまずいないのです。

しかし、いる筈のないそんな男が、普通ならば恥かしくて言えないような台詞を口にしても違和感なく成立してしまう、そんな世界がきちんと成立しているのですから見事です。

本書の主人公は特にタフです。なにしろ元ボクサーのパンチを喰らっても倒れずにいる程なのですから。元アメリカンフットボールの選手という設定は伊達ではありません。そして、何よりも「死」に対する恐怖が通常人とは全く異なります。

忘れていけないのは、他の登場人物が魅力的なことだし、その脇役である筈の登場人物もまた「死」についての恐怖をどこかに忘れてきているようで、そのことが男の誇りをより明確にしているように感じます。

「男」の失くしてはならない矜持を描き出す北方謙三の小説は、一歩間違えば三文小説になりかねない、ベタな気障さを常にまといながら、しかし骨太のハードボイルドとして成立しているのです。

本書は「ブラディドール」シリーズの第一作目の作品です。この後、語り部を変えながら、川中やキドニー達が活躍します。絶対に面白いシリーズです。

北方 謙三 檻

檻 (集英社文庫)檻 (集英社文庫)
(1987/03/20)
北方 謙三

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かつてやくざな道を歩んでいた滝野は、今はスーパーの経営者として平凡な日常を送っていた。ある日、店に難癖をつけてきた若者を叩きのめしたことからか、現在の日常に違和感を感じ始めてしまう。そうした折、昔の仲間の高安の手助けとして一人の男を国外へ送り出す仕事を請け負う。そして、その仕事に絡み一和会というやくざと事を構えることとなった。

この本も30数年ぶりに読み返すこととなりました。

さすがに途中の細かい内容は覚えていなかったけど、ラストが近付くにつれ展開を思い出してきました。先が分かるのです。それでもなお引き込まれました。志水辰夫の「飢えて狼」と共に読みなおしたのですが、両方ともに相変わらず面白く読むことが出来ました。

「日常」から飛び出して、非日常の世界で命の限りを生きる。この両方の本を読んで思うことです。文字通り命の限りを燃焼させて生きることなど普通の人間には無いことですし、仮にそのような機会があっても出来るものではありません。それを頭の中で疑似体験させてくれるのがこれらの著者の作品だという気がします。言わずもがなのことではありますが。

脇役がまたいいのです。昔の仲間の高安も深いところで繋がる男を感じさせるいいキャラだし、探偵の平川、老漁師の太郎丸の親方もそうです。しかし、何よりも「老いぼれ犬」こと高樹警部が渋く、滝野というやくざな主人公を生かす敵役の型破りの刑事として配置されています。この配置が滝野の決して賢いとはいえないその生きざまを描き出していると感じます。

普通の、気の弱い小市民である私などが夢想だに出来ない男の姿が描き出されます。

北方謙三の短いセンテンスで描き出されるハードボイルドの名作です。

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Author:siro
このブログの本棟として本の紹介のサイトを開いています。
(こちらです⇒読んだ屋
本ブログを別棟として位置付けて、読んだ本を記録していこうと思い立ちました。ここでの文章を母屋であるそのサイトに転記していくつもりです。

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