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梶 よう子 五弁の秋花: みとや・お瑛仕入帖




読み始めてすぐに、本書の舞台となる「みとや」についての、「食べ物以外なら何でも扱う三十八文均一の店」だという説明があり、本書の主人公である長太郎お瑛兄妹の境遇について述べてあります。その説明がどうも別の物語のように詳しいため本書の帯を見ると「みとや」シリーズ第二弾だとありました。

図書館で目の前に「梶よう子」の名前があったので、一も二もなく借りてきたため分からなかったのです。でも、第一作目を読んでいなくても十分に面白さを堪能できる物語でした。

本書は「鼻下長物語」「とんとん、かん」「市松のこころ」「五弁の秋花」「こっぽりの鈴」「足袋のこはぜ」の六編の連作短編からなる作品です。

兄の長太郎が店の仕入れを担当しているが、「ときどき、いわくつきの刀とか、大名家で誂えた高価な皿だとか、騒動の種となるような物」も仕入れてきます。

第一話「鼻下長物語」で仕入れてきたものも「黄表紙」、即ち大人向けの絵入りの読み物でした。ご隠居さまによると、鼻の下、つまり口から出る長い物語の意であり、早口言葉となるらしいのです。

このようなものがみとやで売れるものかどうか、お瑛は長太郎に文句を言いますが、聞く耳を持たない長太郎でした。

後日、長太郎の友人である寛平が、自分が約束をしていた吉原花魁の中里が旗本に身請けされてしまうと泣きついてきました。そこでお瑛が一計を案じ、もと吉原の花魁で、みとやの近所に「はなまき」を開いたお花やご隠居の力を借りて身請けを阻止するのです。

第二話「とんとん、かん」は、田舎にひっこむ船大工の茂兵衛、第三話「市松のこころ」はボヤを出した巴屋という人形屋から仕入れてきた人形、第四話「五弁の秋花」は菅谷直之進のために仕入れてきた平打ちの簪、第五話「こっぽりの鈴」、第六話「足袋のこはぜ」は店替えをするという手代から仕入れた下駄。

このように、物語は兄長太郎が仕入れてきた品物に絡んだ形で展開していきます。それと同時に、長太郎お瑛兄妹の身の上にまつわる話が縦糸として絡み、この作者の丁寧な文章のもとで人情話が繰り広げられるのです。

これまでの梶よう子の作品と同じく、とても読みやすく、それでいて心がホッとするような物語でした。それは、長太郎、お瑛兄妹の人物造形がとても心地よいものであること、兄長太郎という人物が今ひとつつかみどころのない人物として描かれていること、などのほか、ご隠居さんやお花などの脇を固める人物らの人物造形もうまいと感じられることなどからくるものなのでしょう。

これまでも『御薬園同心 水上草介シリーズ』などで人情話には定評のある作者ですが、また新しい魅力を感じる作品でした。勿論、シリーズの他の作品も読んでみるつもりでいます。

梶 よう子 ヨイ豊


幕末から明治初期の市井の様子を交えながら、浮世絵が忘れられていく姿が丁寧に描かれている長編小説です。第154回直木賞の候補作品です。

三代豊国が逝き、歌川門を率いる四代豊国を誰が継ぐかが関心の的だった。二代目歌川国政を経て二代国貞を継いでいる清太郎は、弟弟子の八十吉の実力こそが相応しいという本心と共に、八十吉に対する妬心もあって自らが継ぐとは言い出しかねていた。そうしているうちに時代は移り明治の世となり、江戸は見る間に無くなっていくのだった。

本書の主人公は二代国貞の清太郎という浮世絵師です。この男の絵師としての心意気、弟弟子への嫉妬などの浮世絵に対する思いを、これでもかと言わんばかりに追及し、描写してある力作です。

代わりに、エンターテインメント小説としての起伏のあるストーリーはありません。勿論、消えゆく絵師たちの動向、幕末から明治初期にかけての市井の様子、錦絵の世界に関心がある人には、それなりの展開のある物語と言えるでしょうが、それ以外の人にはいわゆる面白みには欠けると映るのではないでしょうか。

私も序盤途中まではこの作家にしては今一つ好みに合わないかと思いながら、それでも直木賞の候補作なのだからと言い聞かせ読み進めました。しかし、本書の性格、内容が把握でき、主人公の浮世絵そのものに対する思い、そして浮世絵を描く自らの力量について煩悶が少しずつ分かってくるにつれ、この物語に引き込まれていました。

「浮き世は憂(う)き世。はかなく苦しい現の世なら、憂(うれ)うよりも、浮かれ暮らすほうがいい。極彩色に彩られた浮き世の絵は、俗世に生きる者たちの欲求そのものだ。」というのは本書冒頭で書かれている文言です。続いて「卑俗で、猥雑で、美しい」のが浮世絵であり、禄をはむ奥絵師や本絵師などとは異なり、「刹那に浮き世を描くのが町絵師だ」ともあります。

物語全般がこの絵師の心意気で彩られ、そして終盤、本書の「ヨイ豊」というタイトルが深い意味をもって読者に迫ってくるのですが、併せて、失われていく江戸の町を哀しみながら「江戸絵」を書きたいと言う絵師たちの言葉は、深く心に染み入ります。

主人公の清太郎の師匠である三代歌川豊国という人は、歌川門の中興の祖と言われるひとで、美人画・役者絵は抜きんでていたそうです。後に四代豊国を名乗る清太郎は、その力量において三代には遠く及ばないというのが一般の評価で、その事実が本書の主題ともなっています。

本書ではもう一人、八十吉という弟弟子が登場します。三代歌川豊国に一番近いという実力の持ち主で、その奔放さに振りまわされる清太郎です。この男が後の豊原国周で、この名前も物語上大切な意味を持ってきます。

八十吉が鳶と役者のけんかに巻き込まれ、師匠の三代豊国から「国周」というその時の画名の使用を禁じられる場面があります。その時清太郎が八十吉のために師匠に土下座をして画名を取り戻すことを頼みこむのですが、ここでの描写にはせつないものがあります。「八十吉がいなくなれば、どこかでほっとする自分がいることも感じている。・・・だが、あいつは歌川にいなきゃあならねえ」と思うのです。

本書は文体としては三人称の物語なのですが、全般的に視点は清太郎であり物語全般が清太郎を中心として回っています。また、激動の明治維新期という歴史の一大転換点において、その事実は物語の背景で触れられるだけです。一般市民の生活はそうした事実とは無関係に営まれているのです。。

芸事の、難しい世界を描いた読み手の心に深く迫る佳品だと深く思う一冊でした。

蛇足ながら、本書の装画・挿絵を描いている一ノ関圭氏は、昔ビッグコミックという雑誌で何度か読んだ人です。思いもかけずこういう形で見かけるとは思いませんでした。画力の高さには定評のある作家さんで、浮世絵氏の物語も書かれていた記憶があります。

梶 よう子 連鶴


これまで読んだ梶よう子の作品の中では若干異色の作品でした。梶よう子といえば『一朝の夢』や『御薬園同心 水上草介』のように、どちらかと言えば自然を対象に、人の想いやありようを軽いユーモアに包んで表現すること特徴としていると思っていました。しかし、本作品は、幕末の動乱期の桑名藩の藩士を主人公に、侍の生き方を真摯に問うた、決して明るくはない作品に仕上がっています。

速見丈太郎はかつて道場で話をした坂本竜馬が暗殺されたという知らせを受ける。海外への雄飛を語っていた竜馬同様に海のかなたの国へと想いを馳せていたのだが、時代の流れはその夢を語ることも許ず、ただ薩摩との戦いへとひた走るのみであった。丈太郎の弟の栄之助もまた、商人となる意思を固めていたものの、兄と異なる立場に身を置こうとしていた。

小説で幕末を描く場合、幕府に与する側で描かれることが多いのは、水戸藩か会津藩というところでしょうか。会津藩と言えば動乱の京都において治安部隊として名を馳せた新選組を抱えた藩であり、最後まで新政府軍と戦った藩です。その会津藩の藩主の松平容保の実弟が桑名藩主の松平定敬です。定敬は京都所司代の職にあって、京都守護職であった兄容保と共に京の治安維持に努めています。

本書はこの桑名藩の藩士兄弟の、時代に流されそうになるも必死で生きようとする姿を描いた物語です。

例えば葉室麟や青山文平のように、侍の行動を通して武士の生きざまを問いかける、という書き方とは少し違い、主人公の周りの出来事を描きつつも、主人公の内心の苦悩を中心に描かれています。ですから、どちらかと言えば調子よく読み進める物語とは言えません。

それどころか、いつまでも主人公の内面の葛藤に焦点が当てられているく印象です。町人となることを決め、祝言を間近に迎えている弟の藩への裏切りを思わせる行動や、その弟とも幼馴染である丈太郎の妻美郷と弟との関係などの出来事が語られますが、本書の中盤過ぎに、江戸在府の身である丈太郎が京都守護のために桑名藩への帰郷し、実際に戦いに身を投じるまでは、あまりテンポが良いとは言えないのです。

丈太郎の苦悩は、自分が刀を取って戦うだけの理由が見いだせないことでしょう。掲げるべき大義と言っていいかもしれません。大義なき戦いは力を発揮できないのです。主人公の丈太郎が自らの戦いの意味を問いかける中、幕府の旗頭の徳川慶喜は兵士を置き去りに江戸へと帰り、松平兄弟もそれに同行し江戸に帰ってしまいます。丈太郎は戦いの最中にも関わらず大義を見失ってしまうのです。

以上のような苦悩を描く小説、つまりは幕末の動乱期において時代の波に流される若者らを描いた小説は多数ありますが、残念ながら本書はそうした作品群の中で個性が光っているとは思えませんでした。そういう意味ではこれまでの梶よう子の作品のタッチを期待していると若干期待外れの印象があるかもしれません。

蛇足ながら、表題にもなっている「連鶴」とは、一枚の紙から「多数の折鶴を完全に切り離さずにくっついた状態で」折り出す折り鶴のことを言います。この連鶴が物語の要となり、随所に出てきます。人と人との繋がりなどを示しているのでしょうが、例えば竜馬が殺される場面にこの連鶴があったりと、逆に違和感を覚える使い方をされていたのは、個人的には残念に思えてしまいました。

梶 よう子 桃のひこばえ 御薬園同心 水上草介


私が一番最初に読んだ梶よう子の作品が『柿のへた 御薬園同心 水上草介』でした。その続編がやっと出ました。

小石川御薬園での毎日を植物の世話に明け暮れる水上草介(みなかみそうすけ)のもとに、吉沢角蔵(よしざわかくぞう)という二十歳そこそこの見習い同心がやってきた。角蔵は何事にも融通が聞かず気難しく、園丁達からは堅蔵(かたぞう)と呼ばれるほどの堅物なのだが、更には角蔵とは正反対の性格の妹美鈴まで現れ、二人して草介の日常に何かと問題を巻き起こすのだった。一方、千歳との仲は相変わらずで、ただ、千歳の振る舞いが折に触れ草介の胸の奥に奇妙な痛みをもたらしていた。その千歳に縁談が持ち上がる。

前作と変わらずに非常に優しい筆致です。読んでいる間中、あたたかな気持ちで満たされながら、草介の行いの一つ一つにやきもきさせられます。この頃、ハードな物語を読む機会が多かったので特にそう思うのかもしれませんが、とにかく読後感が爽やかです。ほっこりとした気持ちがとても心地良い時間でした。

当初は御薬園という舞台設定や主人公の性格設定もあって印象が優しいなのかとも思いましたが、この作者の作品を何冊か読んでみると本質的に優しい人なのだろうと思えて来ました。薬園や朝顔、小鳥などの自然の描写を巧みに取り入れながら、人間の営みの中で起きる様々な出来事を、無理をしないで一つずつ解きほぐしていけばいい、と言っているようなのです。

どの作品も派手ではありませんが、心温まる物語として仕上がっています。悪人という悪人は出てこず、ゆっくりと時が流れ、それでいて単に優しい文章が続くのではありません。草介と千歳との掛け合い、角蔵とその妹美鈴の有りようはユーモアに満ちていて、ほのぼのと、そしてコミカルに物語が展開するのです。

この後もいつまでも続いてほしいシリーズの一つです。

ちなみに、タイトルの「桃のひこばえ」とは「樹木の切り株や根元から生えてくる若芽のこと」です。「元の幹に対して、孫のような若芽」ということで呼ばれているらしく、漢字を当てると「孫生え」だそうです。

梶よう子 ことり屋おけい探鳥双紙

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(2014/05/20)
梶よう子

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江戸は日本橋の小松町にある飼鳥屋(かいどりや)「ことりや」の女主人おけいを主人公とする連作の中編小説集です。店で扱う対象が小鳥ということもあってか、梶よう子という作家らしい慈愛に満ちた暖かい視線で語られる物語です。

亭主の羽吉(はねきち)が、夜になると胸元が青く光る鷺(さぎ)を探しに旅立ってから三年が経つ。羽吉と同道した旗本お抱えの鳥刺しは一人で江戸に帰ってきていたが、羽吉とははぐれてしまい消息は判らないという。おけいは、羽吉のいない年月を「ことりや」を守ることに捧げているのだ。

ある日十五、六ほどの娘が紅雀(べにすずめ)、相思鳥(そうしちょう)、十姉妹(じゅしまつ)と次々と鳥を購っていった。小鳥が好きでも無さそうなその娘が次に来たときに、「あなたには、もう小鳥はお売りできません」と告げるおけいだった。

本作品の最初の物語である「かごのとり」は一人の娘の奇妙な行動の理由(わけ)が解き明かされていきます。このあとに「まよいどり」「魂迎えの鳥」「闇夜の白烏」「椋鳥の親子」「五位の光」「うそぶき」と続きます。

どの物語も、おけいが一人寂しさに耐えながらも、店を訪れる客や定町周りの永瀬の持ち込む話に一生懸命に耳を傾け、鳥にまつわる疑問を解いていきます。そのことが事件の裏に隠された真実を暴きだし、そこにある人間模様が心に沁み入る物語として描き出されています。

若干、物語のきっかけとなる出会いなど、偶然というのか、強引さが気になるところもあるのですが、それは小説の進行上、ある程度は仕方のないところではあるのでしょう。それよりも、この作者の話の進め方の上手さなのでしょうか、優しく語られる物語の先行きが気になり、きっかけの強引さも不自然とまでは言えないとして気にならなくなってしまいます。

脇役として、まずは曲亭馬琴がおけいの後見人的立場で登場します。戯作者である馬琴は物書きの間に息抜きに訪れる客ではあるのですが、おけいの良き相談相手となっているのです。次いで、先にも述べた北町奉行所の永瀬八重蔵という定町周りが登場します。この永瀬が持ち込む事件も、おけいが謎ときをしていくことになります。

この作家は「あさがお」であったり、「薬草」であったりと、自然の有りようを小説の中に取り入れ、展開していく作品が多いようです。その自然に対する作者の対峙のあり方が物語にもそのまま反映しているのだと思います。

毒が無い、と言えば確かにそうで、強烈な悪役も事件もありません。その点に物足りなさを感じる人もいるでしょう。しかし、そのことを補う語りの上手さで語られる、人情ものの中でもより視点の優しいこの作家の物語は、一息つける時間でもあるのです。

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Author:siro
このブログの本棟として本の紹介のサイトを開いています。
(こちらです⇒読んだ屋
本ブログを別棟として位置付けて、読んだ本を記録していこうと思い立ちました。ここでの文章を母屋であるそのサイトに転記していくつもりです。

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