浅田 次郎 わが心のジェニファー


今まで読んできた浅田次郎作品とは、少々趣の異なる長編小説です。

アメリカ人青年のラリーは、日本をこよなく愛するジェニファーから、プロポーズの前に一人で日本を見てきて欲しいと、そして旅先からはメールではなく手紙を書くように頼まれる。日本へと旅立ったラリーは、日本行の機内で早々と洗礼を受けるのだった。

一言で言うと、一人のアメリカ人青年を通して見た日本という国の紹介物語です。ただ、そこには若干の違和感が付きまといます。それは単に日本を外から見たという意味での客観的日本ではなく、ラリーというアメリカ人青年の主観を通した日本感であり、それは作者である浅田次郎の主張のはいったところのラリーの主観であるということからくるものでしょう。

ラリーの主観を通した日本感という意味では、ある程度の客観性もあると思われます。作者は本書を書くに際し、日本に留学している外国人留学生に多くの日本の印象を聞いてこの物語を書いたと言っていますから、かなりの客観性はあると思われるのです。

この点では外国人の驚きという感想に対しての私たち日本人としての驚きはもちろんあります。そこには文化や生活様式からくる違いがあるのでしょう。ここで評される日本人観はそれなりに面映ゆくはありますが、誇って良い側面なのでしょう。

ただ、日本に対するラリー個人の感想は、あたりまえですが作者浅田次郎の思惑がかなり入っているようです。ラリーの目を通して語られる日本は過剰なまでのサービスの国であり、行き交う人は皆親切です。現実の日本がそうとばかりは言えないことはわたちたち自身が知っています。勿論作者もそうであり、でありながらラリーに過剰な日本の親切心を語らせている意図は何でしょう。ここらがよく分からない違和感があるのです。

単純に考えれば一種の皮肉と捉えることができそうですが、作者が浅田次郎ということを考えると他の意図も考えられます。特に、物語の後半に主人公のラリーが湯の街別府を訪れるあたりから物語がファンタジーへと移行していることを思うと、あらためてそう思います。

結局よく分からない。

物語として見た時の本書は、面白いかと問われれば、決して面白作品だとは言えませんでした。ただ文章を読んでいるだけで、何とはなしに心地よさを感じる作品ではありました。それは浅田次郎の文章そのものが持つ魅力なのでしょう。日本語としての心地よい韻を踏んだり、七語調をベースにしていたりすることもない、普通の散文なのですが、心地よいのです。それは選ばれている言葉とか文章の長さ、区切り方などという作法が読み手としての私の波長にあうからなのでしょう。そういう意味ではまぎれもない浅田作品でした。

浅田 次郎 夕映え天使


日中の若干の余震を除いて、平穏な日々が続いています。でも、その若干の余震があるたびに、続けてあの大きななヤツが来るのでは、という若干の恐怖があるのもまた事実です。震度5前後の大きなヤツが来る恐れが十分にあるという気象庁の発表は、常に心の片隅に残っています。

さて本書は、浅田次郎お得意のファンタジックな色合いの濃い短編集です。

「夕映え天使」 東京下町の商店街の片隅で、男やもめの親子がやっている中華料理屋があった。住み込みで雇ってほしいと現れたその女は、親子二人の生活に入り込み、そして馴染んだ頃に居なくなった。しばらくして警察から一本で電話が入った。

謎しかない一人の女をめぐる、男たちの心の揺らぎが語られています。結局この女のことは何一つ分からないのですが、それでもなお、いつの間にかそれぞれの心の中にひそかに住みついてしまった女を通して男の哀しみが語られます。

「切符」 父は借金を残し女と逃げた。母も男と出て行った。今、広志がじいちゃんと暮らす家の二階には、間借り人である八千代さんが男と暮らしている。八千代さんは運動会を見に来てくれると約束したけれど、東京オリンピックの開会式があったその日、八千代さんは二階の部屋を出ていくことになった。

寂しさを背負った広志という名の子供を主人公にした、昭和の匂いを強烈に漂わせた作品です。「さよなら」と言い続けた広志の、愛情に飢えた思いが強く伝わってきます。

「特別な一日」 定年を迎えたと思われる男の「特別な一日」を追いかけたSFチックな短編です。

浅田作品にはめずらしく、最後のひねりにこそ意味がある掌編になっています。男と同期でありながら社長にまで上り詰めた若月の「どうして俺なんだよお」という言葉の意味が最後になって腑に落ちます。

「琥珀」 十五年の間、三陸のとある町の裏路地で「琥珀」という名の珈琲専門店を営んでいた荒井敏男は、流れてはくれない時間を呪いながらの単調な毎日に倦んでいた。そこに、定年前に有給休暇を消化するための旅をしているという男が飛び込んできた。

世の中の片隅でひっそりと生きてきた男と、嫁にも捨てられ職場でも疎んじられていた男との思いがけない邂逅がもたらすものは何か。浅田次郎の書きたかったものは、本書の解説で鵜飼哲夫氏が書いているように。「理屈だけでは割り切れない人生の陰影」だったのでしょうか。

「丘の上の白い家」 丘の下に住みそれぞれの不幸を背負う少年たちと、丘の上の白い家に住む天使のような少女との人生の交錯を描いた作品です。

鵜飼哲夫氏の言によると、少年たちと少女との人生の交錯により起きた悲劇の説明がないことは、「人生という尽きせぬドラマの不可解な断面を斬り取り、生きてあることの謎に迫る」ということだそうです。こうした表現は私ら素人の為すところではありませんが、小説より奇なりといわれる現実の人生の一断面を示しているとは言えそうです。

「樹海の人」 著者の自衛官時代の経験より紡ぎだされた作品でしょう。演習で富士樹海に取り残された主人公の遭遇したものは現実なのか、それとも・・・。

本書の解説での鵜飼哲夫氏によると、本書は浅田次郎の「新たな境地」を示しているのだそうです。表現したい思想や感情を念入りに表現するのが浅田流だったのだけれど、感覚的に捉えたものが思想であるとする小説作法に似ている、らしいのです。

そうした捉え方は私の読書力の範囲を越える理解であり、これまでの作品との差異を捕らえることはできません。しかし、浅田作品の持つさまざまな人間模様の切り取り方はやはり人間としての在るべき姿を追いかけているようには思えます。

浅田 次郎 霧笛荘夜話


今朝方の四時頃と五時過ぎの二回、軽い余震で起こされました。後で調べると我が家付近は震度2だそうです。寝ぼけていたためか、震度2だとは思えませんでした。でも昼間の余震についても自分が思った震度とはずれがあり、震度に対する感覚が鈍っているようです。

ところで本書。運河のほとりの古アパート「霧笛荘」の六つの部屋に住んでいた六人の住人について管理人の老婆が語る、全七編のせつなさあふれる短編集です。

「港の見える部屋」 星野千秋と名乗る女が来たのは横なぐりの雨が沫(しぶ)く嵐の晩だった。何度も死にそこねた末にこのアパートにたどり着いたらしい。そんな女の世話をしたのは、やがて彼女の隣人となる眉子という名のホステスだった。

「鏡のある部屋」 そんな眉子というホステスが住んでいたのが次の部屋だった。本名を「吉田よし子」というこの女は、二枚目の夫との間に二人の子をもうけ、経済的にも恵まれ、幸せを絵にかいたような結婚生活を送っていた。しかし、そんな家庭をあとによし子は家を出た。

「朝日のあたる部屋」 次の部屋の主は鉄夫という名の半ちくなヤクザ者が住んでいた部屋だった。眉子に可愛がられていた鉄夫は、その人の良さからすぐ上の部屋に住む四郎という売れないバンドマンのために一肌脱ぐことになる。

「瑠璃色の部屋」 バンド仲間と共に、すぐ上の足の悪い姉のおかげで北海道の田舎町から上京出来た四郎だったが、バンド仲間はすぐに行方しれずになっていた。そんな四郎に、隣の部屋に住むオナベのカオルは文句を言いながらも何かと気を使ってくれるのだった。

「花の咲く部屋」 札幌から集団就職でこの工場にやってきた花子は、その給料も先に上京していた一回りも年の離れた兄が前借りで持って行ってしまう生活だった。そんな花子が駆落ちの末に転がり込んだカオルの部屋は、馥郁たる香りが溢れるゼラニウムやブーゲンビリアの花園だった。

「マドロスの部屋」 終戦直前に遺書を書いたまま何の連絡もしていなかった恩師の娘のもとを訪ねた園部幸吉は、現実を前に途方に暮れるしかなかった。そして、復員後一年近くも着ていた軍服をマドロス服ひと揃いと取り換え、「霧笛荘」にやってきたのだった。

「ぬくもりの部屋」 山崎茂彦は「霧笛荘」の買収を担当して半年近くも成果を上げられないでした。山崎に特に目を掛けていた社長は買収費用として高額の資金を準備し、早急の解決を求めるのだった。

登場人物は連鎖していき、連作短編とも言えそうですが、それぞれの話は独立しています。

「霧笛荘」という一棟のアパートを舞台に、通常の「幸せ」な生活からはずれた人生を送らざるを得ない、「不幸せ」な人生を送っている人たちの織りなす人間模様を描き出した短編集です。

しかしながら、ここに暮らす人たちは自分の人生に一生懸命であり、自分に正直に生きようとした結果今の暮らしに落ち着いた人たちです。そこにはそれなりの幸せがあるといって良いものか、それは分かりませんが、浅田次郎は、通常の「幸せ」の基準とは合わない、自分の生に真剣に立ち向かう人々へエールを送っているようでもあります。

浅田 次郎 薔薇盗人


常の作品集と変わらずに文章のうまさを感じる全六編の短編集です。

「あじさい心中」 不況の中、会社からリストラを言い渡され北村は無聊の日々を過ごしていた。ふと思い立ち出かけたローカル競馬にも負け、とある温泉町のストリップ小屋に立ち寄った北村だったが、思いがけなく盛りを過ぎた踊り子と一夜を過ごすことになるが・・・。

 場末のストリップ小屋を訪れた、リストラにあった中年カメラマンと盛りを過ぎたストリッパーとの交流を描いた佳品。本短編集の中では一番心に残った作品です。物語の途中、踊り子の自分語りの独白の場面がありますが、浅田次郎の面目躍如の場面です。この作家はこうした哀切に満ちた語りをさせると右に出る者はいませんね。この物語の最後がまたいい。

「死に賃」 死の苦痛と恐怖から免れることができるならばいくら払うか、と聞いてきたのは長年の友人の小柳だった。その半年後、小柳は真夜中の心不全で逝った。抗癌剤が効いた中の一時帰宅中のことだったらしい。その小柳からもらったダイレクトメールが大内惣次の手にあった。

一種のファンタジーと言えるのでしょうか。金儲けのために一生懸命に働いて苦労をした主人公の、死の床で語られる物語は夢か現実か。主人公に尽くした秘書の美しさがファンタジーの中に光る好編です。

「奈落」 一人の男が何故か未到着のエレベーターの扉が開いたため、そのまま乗りこみ落ちて死んだ。その通夜の後、男の属していた会社の社員たちは男についていろいろ語るのだった。

最初は会社の女子社員の会話があり、次いで男の属していた庶務課の課員らの、その後今は取締役になっている男と同期の仲間、そして会社の会長と社長それぞれの会話と、死んだ男をめぐるそれぞれの思惑を絡めながらの会話のたびに、隠された秘密が少しずつ明かされていきます。全編会話文だけで成立している、サラリーマンの悲哀も漂う、少々考えさせられる短編です。

「佳人」 母はお嫁さんの紹介とを生きがいともしていた。この日もまた一枚の写真を持ってきたが、何故か吉岡英樹という一人の完全とも言える部下のことを思い、紹介してみる気になった。そして、吉岡を呼び母に会わせたのだが・・・。

15頁ほどしかない、ショートといっても良いほどの短編です。しかし、ショートだからこその意外なオチが待っています。

「ひなまつり」 三月生まれの小学生の弥生はもうじき中学生。お母さんは今日もホステスのお仕事で遅い。そんな夜遅くに前に隣の部屋に住んでいた吉井さんが訪ねてきてくれた。こんな人がお父さんだったらと思うけれど、お母さんとは年が離れているし、ダメなんだろう。でも、・・・。

弥生の視点で語られる本作品は、昭和の匂いが強く漂う小品です。もうすぐ中学生なろうとする女の子の一途な思いを描いてあります。

「薔薇盗人」 本作品では全編が小学六年生の男の子の手紙、という形式で進みます。豪華客船の船長である父親に向けての手紙で自分や母親、そして学校の先生、お友達についての近況を報告しているのです。つまりはすべてが無垢な子供の視点で、客観的に記されています。そこには、母親が家庭訪問に来た先生と長いこと話しこんでいたりする姿も報告してあるのです。

今更改めて言うことでもないのですが、浅田次郎という作家は台詞回しで天下一品の上手さを持った人であることは勿論のこと、ストーリーテラーとしても凄いのですね。本作品を読んで改めてそう思いました。

これまで浅田次郎の長編小説は勿論、いろいろな短編小説集を読んできたのですが、物語ごとに時代小説も含めてさまざまな時代設定で、さまざまな年齢、職種、性格の人物が登場し、そのそれぞれの物語でいろんな物語が展開されています。それでいて、ユーモアがあったり、センチメンタルなものもあったり、情感豊かであったりとかき分けられつつも、全部が浅田次郎の物語なのですね。

半村良という作家の職人的上手さも好きだったのですが、浅田次郎も素晴らしく上手い、職人ともいえる小説家なのだと、あらためて思いました。

浅田 次郎 獅子吼


全六篇の短編集です。二編ほど意味を汲み取れない作品もありましたが、残りはいつもの若干のファンタジックさを残した浅田次郎作品でした。

「獅子吼」 文字通り獅子の物語でした。戦時中、各所の動物園で行われたという動物の殺処分に題を取られたのかは不明ですが、一人称で語られるこの物語の語り手は百獣の王である獅子です。「飢えたくなければ瞋(いか)るな。」という父の訓(おし)えを胸に、檻の中で生きています。

一方、炊事当番である草野二等兵へと視点が移ります。その草野二等兵に動物園の動物たちの殺害命令が下るのです。

獅子と動物園の飼育係であった一兵卒の間でそれぞれに語られる独白、加えて草野二等兵の上官たちの振舞いは、浅田次郎の文章の心地よいリズムと琴線に触れる言葉とで語られ、読者の心に迫ってきます。瞋(いか)るとか、訓(おし)えだとか、非日常的な言葉が随所にちりばめられたこの短編は、読み手をも常ならざる世界へと誘ってくれるようです。

「帰り道」 ハイミスの清水妙子という女性の、二つ年下のインテリ工員の光岡に対する想いを描いた作品です。物語自体はあまり好みではなかったのですが、最後の一行へ至るまでの話のもって行きかたのうまさには改めて驚きました。深く書くとネタバレで、それではこの物語の良さが半減してしまいますのでこれまでとします。

「九泉閣へようこそ」 この物語はよくわかりませんでした。この物語も視点が変わります。春と呼ばれる男と真知子というオールドミスの物語かと思えば、彼らの泊まった宿こそが主人公でした。登場人物も含めて、浅田次郎という作家はこの物語で何を言いたいのだろうと、そればかりを考え、そして分かりませんでした。

「うきよご」 「駒場尚友寮」という下宿屋を舞台にした、東大を目指す浪人生の物語です。京都の実家でも東京でも居場所のない松井和夫は、尚友寮でも自分の場所を見つけられないでいますが、二階の東郷さんの部屋から聞こえてきたメンデルスゾーンの調べに救われる感じがします。腹違いの姉との妖しげとも言える微妙な雰囲気を漂わせながらも、一人の浪人の一時期が切りとられているのです。

舞台は東京の東大駒場前あたりですから、渋谷のほど近くが舞台です。にもかかわらず、この物語には街の匂いも無く、かといって昭和の匂いでもありません。浅田次郎という作者と同じ世代である私には東大受験こそ無縁でしたが、当時の空気感は肌で感じた世代であり、よく分かるところです。しかし、その感じとも違う、不思議な雰囲気をもった物語です。

「流離人(さすりびと)」 冬の日本海を眺めながら走る列車で知り合った「さすりびと」と自称する沢村義人という名刺をもった老人の回想の形で話は進みます。

この回想が実にユニークです。終戦近い満州の混乱のさなかに常に赴任途中である一人の軍人の物語。物書きの発想のすばらしさを思い知らされる一編でもありました。この発想が、浅田次郎の手にかかると一片のファンタジックな反戦の思いを忍ばせた物語として仕上がっています。これは好きなお話でした。

「ブルー・ブルー・スカイ」 カジノで大負けした戸倉幸一は、その帰り道にラスベガスの場末の交差点にあるグロサリー・ストアに置いてあるポーカー・マシンで大当たりが出した。しかし英会話もままならない幸一の前に現れたのは、ギャングを思い立ちコルト・ガバメントを握りしめたサミュエルだった。この物語も、意図が分かりにくいお話でした。

全体的にさまざまな印象の物語だったと言うべきでしょうか。でも、どの物語も浅田次郎の物語であり、惹きこまれる作品集でした。

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本ブログを別棟として位置付けて、読んだ本を記録していこうと思い立ちました。ここでの文章を母屋であるそのサイトに転記していくつもりです。

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