木内 昇 地虫鳴く―新選組裏表録
![]() | 地虫鳴く―新選組裏表録 (集英社文庫) (2010/02/19) 木内 昇 商品詳細を見る |
木内昇の『新選組 幕末の青嵐』に続く新選組を描いた作品です。『幕末の青嵐』も新しい視点で描かれた面白い小説でしたが、本書も中心となる登場人物の殆どはその名前を知らないであろう人物が配されていて実にユニークです。そうしたあまり知らない人物たちの行動を軸に、伊東甲子太郎が暗殺される「油小路事件」へ向けての新選組が描かれています。
まず、冒頭は史談会での阿部隆明という老人の証言の場面から始まります。この阿部という人物からまず知りません。この阿部が、高台寺党の一員である高野十郎から改名した阿部十郎として本編の主たる登場人物として重点的に描かれていきます。
勿論、高台寺党としては勿論伊東甲子太郎が中心であり、事実、伊東甲子太郎についてかなり書き込まれています、しかし心に残るのは伊東甲子太郎ではなくていつも土方に鬱屈を抱えているような伊東の実弟の三木三郎であり、卑屈でいながら自尊心は強い阿部十郎なのです。三木三郎に「屈折に支配されて振り回されている生き方」が気に入っている、と言われる阿部は全く自分の居場所を見失っています。
こうした、これまでその存在も知らない隊士たちが単に「新撰組隊士」とまとめられる存在では無く、血と肉を与えられて鬱屈を抱えている一個の人間として動き始めています。その夫々があるいは途を見出し、あるいはそのまま袋小路から出れなくなってしまいます。木内昇という作家は、こうした弱い人間たちの描き方が実に上手いのです。
またもう一人良く書き込まれている人物が、山崎烝と共に監察方として働く尾形俊太郎です。伊東一派との新選組脱退の話し合いの場に行く途中で、尾形は以前屯所の家主であった八木源之丞と出会うのですが、その折に思わずこみあげてくるものを感じ、涙を流してしまいます。こうしたシーンには実に作者の巧みさを感じます。まだ新選組という名称も無く、田舎浪士の集団に過ぎなかった頃から立派になった現在までを一瞬で回顧し、これから離別の場に臨むのです。様々の思いを込めた涙は見事です。
心象風景の描き方はインタビュアーとして培われたものでしょうか。この本の五年後に書かれる「漂砂のうたう」でも情景描写が素晴らしく、直木賞を受賞されます。
どうもこの作家は、自分の立ち位置を掴みそこねたような、心に屈託を抱える人間を描かせたら天下一品ですね。「櫛挽道守」のように強い女性も描いておられますが、自分を見失った弱い人間を描くときはより心に迫るような気がします。
『新選組 幕末の青嵐』には一歩及ばない気もしますが、個人の好みの問題でしょう。本作品の方が好みだ、という人もかなり居るのではないでしょうか。いずれにしても掘り出し物の一冊でした。