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荻原 浩 海の見える理髪店


2016年の第155回直木賞を受賞した、家族のありようを描いた全六編の短編集です。

伝えられなかった言葉。忘れられない後悔。もしも「あの時」に戻ることができたら…。母と娘、夫と妻、父と息子。近くて遠く、永遠のようで儚い家族の日々を描く物語六編。誰の人生にも必ず訪れる、喪失の痛みとその先に灯る小さな光が胸に染みる家族小説集。 (「BOOK」データベースより)

「海の見える理髪店」
海の見える場所に店を移し営業していた理髪店に一人の若者が訪れます。理髪店の店主は、この客に対して自分自身やこの店の来歴について語り始めるのでした。

高倉健のエピソードを思わせるこの設定は、当初の私の予想外の展開を見せ始めます。その後の意外性を持った展開があって、最後の一行が泣かせます。何よりも店主の語りを描写する文章が美しく、心地よいひと時を過ごせました。

「いつか来た道」
母親のもとを久しぶりに訪ねると、やはり会話はかみ合いません。しかし、・・・。

この物語は今の私にはかなりきつい物語でしたね。話の流れ自体は冒頭から展開が読める話ではありました。というよりも作者自体が意図的にそのように描いている節があります。頭のどこかで分かっていながらも認めたくない主人公の心情を、そういう形で表現されたのでしょうか。

「遠くから来た手紙」
冒頭から家出をしてきた祥子の姿が描かれます。そこに夫からと思われる、しかし仕事用でもあるかのような意味不明のメールが届くのです。

何とも言えないファンタジックな物語です。設定は特別ではないのですが、文章のうまさ、物語の組み立て方の巧みさについついい引き込まれてしまいました。

「空は今日もスカイ」
家出をして一人海を目指す小学三年生の茜は、途中で知り合った森島陽太という少年と出会い、二人して海を目指します。

この物語はよく理解できない話でした。結局、作者は何を言いたかったのでしょうか。幼い子らの言葉の大人への届きにくさ、を言いたかったのか、とも思いましたが、それにしては結末があいまいな気がします。

「時のない時計」
父親の形見の腕時計の修理のために訪れた時計屋ではいろいろな時が流れており、時計屋の親父の時につきあわされる主人公です。

腕時計はほとんどしない私ですが、親父の形見のちょっといい値段の時計だけはしばらくの間付けてましたね。その時計も今はもう壊れて動きません。「止めてあるのと、動かないのとでは大違いですから」との言葉は、私が常々思っていた事柄とも結びついて心に残りました。

「成人式」
娘を亡くした夫婦の色を亡くした日々の描写から、一転、とんでもない行動に出る夫婦の姿が描かれます。

この物語も最後に親の子を思う心根を偲ばせる一言で終わっています。やはり、話の進め方、文章のうまさが目立つ作品でした。



本書は、これまで読んだ二冊『オイアウエ漂流記』『四度目の氷河期』とは、かなり印象の異なる作品であることに驚きでした。

どの作品も主人公の目線で語られる、「家族」についての物語です。「空は今日もスカイ」だけは少々分かりにくく感じましたが、それ以外の作品はどれも普通の言葉で、深い情感を漂わせている物語でした。

荻原 浩  四度目の氷河期

四度目の氷河期 (新潮文庫)四度目の氷河期 (新潮文庫)
(2009/09/29)
荻原 浩

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とある博物館の部外者は立ち入り禁止の部屋の中、一万年前の人間のミイラの前にいる主人公の一言から本書の幕が開き、そこから場面は回想に入ります。そこで主人公が発したせりふは「父さん」という言葉でした。

主人公の名前は南山ワタル。母子家庭で母親は父親のことを何も教えてくれない。だけどワタルは本当の父親を知っていた。ワタルの父親はクロマニヨン人だったのだ。

ひとことで言うと本書はワタルの青春期です。正確には四歳から十八歳までの成長の記録です。読み始めてしばらくはスティーブン・キングの『スタンド・バイ・ミ-』を思い出していました。

あとがきは北上次郎氏が書いておられます。この人に言わせると荻原浩という作家はかならず「ひねり」をきかせる作家だそうです。本書で言えばクロマニヨン人であり、やり投げなのだとか。確かに、父親がクロマニヨン人だという設定(?)は本書を個性的なものにしており、「普通に書けば陳腐すれすれの話や見慣れたはずの風景を一変させることが出来る」のです。

確かに、本書のストーリーを形だけ追うと単純です。即ち、母子家庭で育っている少年の、一人遊びの中での少女との出会い、周りから無視される小学生時代、性への目覚めがあり、中学校に上がってからやり投げと出会い、そして旅立ち・・・。

それが、父親がクロマニヨン人というキーワードで、各場面でのワタルの行動の意味がその様相を異にします。少年時代の自分の家の裏山を駆け巡ることは父親であるクロマニヨン人の行動を追体験しているのであり、後のやり投げへと結びついて行く石器で作った槍はマンモスを殺すための道具なのです。ワタルは周りから排斥されてはいるものの、クロマニヨン人にとって野山を駆け巡る行為は生きる行為そのものであり、一人遊びはかえって都合のいいものでした。

ワタルの成長記録であり、一人の少年の青春期でもあるこの本は、繰り返しますが、クロマニヨン人というキーワードによって全編が彩られていて、このキーワードによって本書が青春小説として独特の色合いを帯びていると言えると思います。

思春期の少年の性に対する畏怖などの細かな心理描写も含め、母親への思いなどのワタルの心の記録は、普通とは少々異なった環境にいる少年の日常を日常として描いた上質な青春小説であるとともに、家族愛を描いた物語とも言えるのではないでしょうか。

続けて他の本も読んでみたい作家さんの一人です。

荻原 浩 オイアウエ漂流記

オイアウエ漂流記 (新潮文庫)オイアウエ漂流記 (新潮文庫)
(2012/01/28)
荻原 浩

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読み始めは何となく展開がまどろっこしく、面白さとしては今一つなのかと思いつつ読み進めていたのですが、しかし、実際サバイバル生活に入った頃から俄然面白くなってきました。

ネットでユーモア小説を調べると荻原浩という名前が随所で見かけられましたので、機会があれば読んでみたい作家さんでした。この作家の作品は初めて読んだのですが、この作品を読む限りでは他の作品もそれなりに読み応えがありそうと思えるような、そんな作品でした。

南太平洋の小さな島に辿り着いた10人の遭難者達のサバイバル生活が、ユーモアたっぷりの文章で描かれています。子供の頃「十五少年漂流記」を読んで以来の漂流記ものではないでしょうか。でも「十五少年漂流記」が少年たちを主人公にした冒険小説だったのに対し、本作品は南の小島での日常が描かれているにすぎません。海賊も、悪漢も現れません。ひたすらその一日を生きるのです。

でも、その一日を生きるその姿が読ませます。水を確保するその方法、火のおこし方、トイレの確保等々、サバイバル生活に必要な知識がこれでもかと詰め込まれています。

そして、遭難者同士の実社会での力関係が遭難後でも微妙な関係性を保ちつつ生きていたり、恋人や夫婦(になろうとする者)の関係性の変化など、ネタにはつきないようです。

かつて南の島で戦争をした経験を持つじいちゃんを配することで基本的なサバイバルの知識を持たせたりと、まずは生きていく上での基本は確保したうえで、「生きる」ということに特化して人間関係を絡めたドラマ作りが為されているのです。

それにしても、作家という人種はそのイマジネーションと共に調査力も素晴らしいものがあることは、様々の作品を読むごとに感じさせられます。本作品はまたイマジネーションもさることながら、南の無人島での生活そのものが未知の領域で、調べることは山ほどありそうです。南の魚や動物の生態などはもちろんのこと、極端なことを言えば南の島の砂浜を歩く、そのことから普通とは異なる可能性があるのですから大変です。その大変な作業をこなし、読者に納得させるのですから見事なものです。その上、作家としての力量は当然前提とされるのですから。

そうした様々の要素の上に成り立っているのこ作品は、やはり面白いです。冒険小説や推理小説のような刺激的な展開はありませんが、それでもなおユーモアを抱えながらの意外な物語の展開は読者を引きつけてくれます。

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Author:siro
このブログの本棟として本の紹介のサイトを開いています。
(こちらです⇒読んだ屋
本ブログを別棟として位置付けて、読んだ本を記録していこうと思い立ちました。ここでの文章を母屋であるそのサイトに転記していくつもりです。

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