乙川 優三郎 逍遥の季節

逍遥の季節 (新潮文庫)逍遥の季節 (新潮文庫)
(2012/02/27)
乙川 優三郎

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「竹夫人」「秋野」「三冬三春」「夏草雨」「秋草風」「細小群竹」「逍遥の季節」の七編からなる、女性を主人公に据えた芸道小説です。

「竹夫人」では、芸の道にまい進する女は、同じく三味線を心の糧として生きている男と共に生きる道を選びます。苛酷さしかないその道ではあるけれども「女の旅は終(つい)の棲みかを目指すことであろうかと考え」るのです。「芸の向かうところへ幸二も自分もついてゆくだろう」という主人公の思いは、この作者の自然でしっとりとした描写によって、しずかに情景に溶け込んでいくようです。

また「秋野」でも、愛してもいない男に捧げた年月の末に、いま女は茶席で知り合った同郷の男の傍にいて、妾の身から旅立つ自分を思う姿が描かれています。

七つの作品の夫々に三味線、茶道、画工、根付、糸染め、髪結い、活け花をテーマとしており、女性が主人公だからなのか殆どの作品で男との関係に悩む女の姿が描かれます。それも、男の存在はその女性の人生そのものに関わってくるような重大事です。女一人で生きていくことを自ら選んだ、若しくは選ばざるを得なかった女性たちが、芸の道を、ある者は選んだ男と共に、ある者は全く一人になって歩んでいくのです。

一方、男が主人公である芸の道に生きる男を描いた小説としては山本周五郎の『虚空遍歴』を思い出します。この作品は浄瑠璃を極めようとする男の物語で女性が絡んでいたと思うのですが、女性の存在は芸と対立するようなものではなかったと記憶しています。これは勿論作者の描き方によるものでしょうが、男と女の本質的な差によるところが大きいのではないでしょうか。

「三冬三春」では、師匠である酒井抱一の吉原逗留のために師匠の代筆をする阿仁が主人公です。師匠の落款を押すための画を書くということは自分が書きたい画を殺すことでもあります。自分の心の赴くままの画を書きたいとい思いは強くなるばかりであり、阿仁はある日一歩を踏み出します。乙川優三郎が、三月毎に移ろう江戸の四季を繊細な描写で描きだしています。

この作品では谷文晁を師匠とする同居人のさちの存在がまた見どころです。そういう意味では、先に述べた「竹夫人」では主人公の祖母の澄(すみ)が同様にその存在を主張しています。

この他に表題作の「逍遥の季節」に至るまで四編の芸に生きる女たちが、美しい文章で語られる季節感と共に語られていきます。

例えば『白樫の樹の下で』での青山文平の文体は叩けば硬質な音がするようですし、葉室麟の『蜩の記』では山奥の澄みきった空気のような透明感があります。でも本書での乙川優三郎の文章はどこか水の中を歩くような、何かまとわりつくものを感じます。それでいて、別に湿った感じはありません。ただ、数年前に読んだ『武家用心集』ではそのような印象を持った記憶はありません。

だからと言って本書の文体が嫌だという訳ではありません。まだ読んだ作品数が少ないので何とも言えないのが本音ですが、文章が美しい作家さんだという思いがまずあります。ただ、本書の場合芸道に生きる女性を描いているので特に情緒的な側面が強いのではないかと思っています。

まだまだ、他の作品を読んでみたいものです。

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このブログの本棟として本の紹介のサイトを開いています。
(こちらです⇒読んだ屋
本ブログを別棟として位置付けて、読んだ本を記録していこうと思い立ちました。ここでの文章を母屋であるそのサイトに転記していくつもりです。

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