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浅田 次郎 ハッピー・リタイアメント

ハッピー・リタイアメント (幻冬舎文庫)ハッピー・リタイアメント (幻冬舎文庫)
(2011/08/04)
浅田 次郎

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この作家の作品にしては少々中途半端な印象でした。公務員の「天下り」をテーマにしたユーモア小説なのですが、その実、登場人物を「きんぴか」から借りてきて、「天下り」を論じさせた物語になっています。

ひたすら律儀に職務をこなしてきた財務官僚の樋口慎太郎と叩き上げの二等陸佐であった大友勉の新しい職場はJAMS(全国中小企業振興会)という神田にある会社だった。この会社は戦後の財閥解体に伴う新規事業の成長を補佐すべくGHQの指令により作られた金融保証機関であり、当時はそれなりの役目を果たしていたものの、現在は天下り用の会社としての意義しかない会社だった。

先に書いたように、この二人は「きんぴか」の登場人物である軍曹こと「大河原 勲」とヒデさんこと「広橋秀彦」をそのまま氏名だけ変えて配置したと言ってもおかしくありません。

この二人が立花葵という元銀行員の女と共に、あろうことか普通に仕事を始めるところから物語の本筋は動き始めます。まわりの天下った職員達は皆、いかに何もせずに夕刻を迎えるかに腐心しているというのに、時効により強制的な取り立てもかなわなくなっている債権の回収に乗り出そうというのです。

一方、矢島純彦という人物が配されており、天下りという機構を体現する具体的な存在として描かれています。が、その存在もあまり意味が感じられないのは残念です。

本作品は2009年という浅田次郎も脂ののりきっている時代にに発表されているわりにはエンターテインメント小説としての完成度はそんなに高いとは思えず、この人の作品にしては珍しく、決して「オススメ」とは言えない本でした。天下りというシステムの仕組みについては、あとがきで勝間和代氏によって詳しく語られており、ここだけ読めば足りるほどです。

ちなみに、冒頭にとある小説家が既に時効の来ている債務の支払いをする話が描かれていますが、この話は新田次郎本人の実体験だそうで、この体験をもとに本作品が描かれたそうです。

荻原 浩 オイアウエ漂流記

オイアウエ漂流記 (新潮文庫)オイアウエ漂流記 (新潮文庫)
(2012/01/28)
荻原 浩

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読み始めは何となく展開がまどろっこしく、面白さとしては今一つなのかと思いつつ読み進めていたのですが、しかし、実際サバイバル生活に入った頃から俄然面白くなってきました。

ネットでユーモア小説を調べると荻原浩という名前が随所で見かけられましたので、機会があれば読んでみたい作家さんでした。この作家の作品は初めて読んだのですが、この作品を読む限りでは他の作品もそれなりに読み応えがありそうと思えるような、そんな作品でした。

南太平洋の小さな島に辿り着いた10人の遭難者達のサバイバル生活が、ユーモアたっぷりの文章で描かれています。子供の頃「十五少年漂流記」を読んで以来の漂流記ものではないでしょうか。でも「十五少年漂流記」が少年たちを主人公にした冒険小説だったのに対し、本作品は南の小島での日常が描かれているにすぎません。海賊も、悪漢も現れません。ひたすらその一日を生きるのです。

でも、その一日を生きるその姿が読ませます。水を確保するその方法、火のおこし方、トイレの確保等々、サバイバル生活に必要な知識がこれでもかと詰め込まれています。

そして、遭難者同士の実社会での力関係が遭難後でも微妙な関係性を保ちつつ生きていたり、恋人や夫婦(になろうとする者)の関係性の変化など、ネタにはつきないようです。

かつて南の島で戦争をした経験を持つじいちゃんを配することで基本的なサバイバルの知識を持たせたりと、まずは生きていく上での基本は確保したうえで、「生きる」ということに特化して人間関係を絡めたドラマ作りが為されているのです。

それにしても、作家という人種はそのイマジネーションと共に調査力も素晴らしいものがあることは、様々の作品を読むごとに感じさせられます。本作品はまたイマジネーションもさることながら、南の無人島での生活そのものが未知の領域で、調べることは山ほどありそうです。南の魚や動物の生態などはもちろんのこと、極端なことを言えば南の島の砂浜を歩く、そのことから普通とは異なる可能性があるのですから大変です。その大変な作業をこなし、読者に納得させるのですから見事なものです。その上、作家としての力量は当然前提とされるのですから。

そうした様々の要素の上に成り立っているのこ作品は、やはり面白いです。冒険小説や推理小説のような刺激的な展開はありませんが、それでもなおユーモアを抱えながらの意外な物語の展開は読者を引きつけてくれます。

重松 清 エイジ

エイジ (新潮文庫)エイジ (新潮文庫)
(2004/06/27)
重松 清

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以前読んだこの作家の作品の「空より高く」は高校生を主人公とした青春小説だったのだけど、今一つその世界観を受け入れることが出来ませんでした。またその後に読んだ中年のおっさんの大学の応援団生活を描いた「あすなろ三三七拍子」もまた’軽さ’が先に立った作品でした。

しかし、本書「エイジ」は中学二年生という実に微妙な年頃の男の子が主人公なのですが、その心理描写が素晴らしく、この頃の中学生の思考方法と言いますか、考える筋道が明確に示されていて実に面白く読むことが出来ました。勿論、作者の考える中学生の考え方ですのでもしかしたら違っているかもしれません。しかし、その描写は現実的で、多分違っていてもそう遠くはないだろうと思える描写なのです。

本書では重要な出来事として通り魔の存在があり、その通り魔が主人公の生活に密接に関係してきます。また、バスケットクラブでのいじめの問題ももう一つの焦点として取り上げられています。更には青春小説の定番の片想いの場面もありました。これらの出来事が主人公の一人称の語り口によって、内心の展開が実にリアルに描き出されているのです。

自分の中学生の頃のことを考えると、とてもではありませんがこの本の主人公のようには考えてはいなかったと思います。遥か遠い昔のことなのですが、当時は単純に運動のこと、女の子のこと、友達のことをとりとめも無く思い浮かべていたように思います。

家庭のことに関しても、本書の主人公のようにホームドラマのようだなどと、どこか他人事のように俯瞰的な視点で見るなどとてものことではなく、ただ、クラブを終えて遅くの帰り道に、帰って寝て、また学校へ行ってクラブといういまの生活は何なのだろうと、それも何となく考えながらな帰っていたことを覚えています。

通り魔と自分の違いは何だろうかと突き詰めて考える主人公。そしてそこに差を見出すことが出来ない主人公。自分を日常に結び付けている紐を「切る」ことがキレることではないかと考える主人公。そして小さくキレる主人公。

この主人公の行動は決して平均的な中学生の行動だとは思えないのだけれど、しかしながら先にも書いたようにリアルな中学生像として迫ってくるのです。それはこの作者の筆力によるところが大きいのでしょう。

「一日一日はいやになるくらいだらだらしているのに、それが連なった毎日は、滑るように過ぎていった。」(73頁)などという青春の一日の描写は、読みながら小さな感動すら覚えました。こういう表現で中学生の心理を描いているのですから、読み手は引き込まれる筈です。

これまで読んだこの作者の二冊の作品は本書の後に書かれているのに、本書ほどの感銘は在りませんでした。本書が最高の作品なのでしょうか。山本周五郎賞を受賞している作品だけのことはあると思え、だとすれば、やはりプロの文筆家が認めた作品こそが面白いのでしょうか。

浅田 次郎 きんぴか

三人の悪党―きんぴか〈1〉 (光文社文庫)三人の悪党―きんぴか〈1〉 (光文社文庫)
(1999/07)
浅田 次郎

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血まみれのマリア―きんぴか〈2〉 (光文社文庫)血まみれのマリア―きんぴか〈2〉 (光文社文庫)
(1999/08)
浅田 次郎

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真夜中の喝采―きんぴか〈3〉 (光文社文庫)真夜中の喝采―きんぴか〈3〉 (光文社文庫)
(1999/09)
浅田 次郎

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対立する組の総長を殺(と)って十三年収監された後、シャバに出てきたヤクザ「ピスケン」、自衛隊の海外派兵反対を叫び、たった一人で武装蜂起した挙げ句、自殺(自決)未遂をやらかした元自衛隊員の「軍曹」、そして大物政治家の収賄の罪を被り、社会的にも家庭的にも抹殺された元大蔵キャリア「ヒデさん」。第一巻の冒頭で、三人は退職間際の刑事「マムシの権佐」が引き合わされる。

以上は第三巻のあとがきでの作家の篠田節子(しのだせつこ)氏の本書の登場人物の紹介文です。さすがに簡潔にまとめてあるので引用させてもらいました。

本書は浅田次郎のごく初期のユーモア長編小説です。既に今の浅田次郎の泣かせのテクニックや、見せ場の盛り上げ方などは備わっています。全体として一本の長編ではあるのですが、各章が短編としても読めるエピソードで構成されています。

中でも第二巻の表題にもなっている「血まみれのマリア」では、その後に書かれた「プリズンホテルシリーズ 」にも登場した阿部マリアがその本来の職場での勇士を見せてくれています。勿論、マリアの男勝りの活躍がたっぷりと描いてあるのです。

やはり浅田次郎という作家の本拠は江戸ッ子にあるようで、この作品でも荒唐無稽な設定のもと冒頭に記した三人が文字通り暴れまわるのですが、全編を貫いているのは’義’であり、江戸ッ子の’粋’であり、はたから見ると馬鹿な行動にしか見えない’男気’の物語に仕上がっています。

この作品の延長線上には「プリズンホテル」があり、「天切り松 闇がたり」の物語が控えています。そればかりか、この作品でも描かれている夫婦や家族の物語は、極道の物語ではない「壬生義士伝」での吉村貫一郎の家族への思いや「黒書院の六兵衛」の的矢六兵衛の行動にも通じるものがあるようです。

ただ、やはり浅田次郎の作品であり、その面白さは間違いのないところなのですが、現在の作品を読んだ後に本作品を読むと、どうしても何かしらの物足りなさを覚えてしまいます。それは、当時の浅田次郎の文章の力の不足なのか、作品の構成の問題なのかは判りません。多分、それら全体について浅田次郎が現在ほどの力量を持っていないからなのでしょう。無い物ねだりではありますが、作家の初期の作品を読むと大体覚えるこの感覚にこの作品でも出会ってしまいました。

とはいえ、面白い作品です。

木内 昇 櫛挽道守(くしひきちもり)

櫛挽道守櫛挽道守
(2013/12/05)
木内 昇

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主人公の登瀬は、名人と言われた父吾助のもと、自分も父のように櫛を引きたいと願い、ひたすらに家の作業場である板の間に執着して生きていきます。そうした自らの意思を貫こうとする姉の姿に妹喜和は反発心を燃やし、母はひたすらに家を守ることを大事と考え、女だてらに技術を覚えようとする登瀬に女のあるべき姿としての家を守ることを教えるのみでした。世の中は黒船の来航により攘夷や勤皇の嵐が吹き荒れているにも拘らず、登瀬にとっては板の間こそが世界であり全てだったのです。

中山道は木曾山中の藪原(やぶはら)宿を舞台とする、暗いトーンの物語です。職人の娘である主人公の登瀬の成長譚という側面も見えますが、明治維新という時代を背景にした一人の女の自分の意思で自分の生き方を選択しようとする女の職人としての生き様に焦点が合っているようです。

テーマとなる櫛、それも「お六櫛という藪原名産のこの櫛は、飾り櫛とも解かし櫛とも異なり、髪や地肌の汚れを梳(くしけず)るのに用いられている。」そうです。また「梳櫛であるがゆえにとりわけ歯が細かく、たった一寸の幅におよそ三十本も挽かねばならない」のです。これほどに間隔の狭い櫛の歯を、「吾助は板に印もつけもせず、勘だけで均等に引くことができる」のです。父吾助はこのような職人であり、この父の技を盗むべく、登瀬はただひたすらに父の刻むリズムを体に覚えさせようとするのです。

重要な登場人物として登瀬の弟の直助の存在があります。物語の全体を通して、節々に早世した直助の書いていたという物語が登瀬の前に現れます。同時に、直助と共に旅人に直助の書いた物語の載った草紙を売っていた源次という男も登瀬の心の片すみに残る男として現れます。

もう一人実幸というこれもまた天才肌の男が職人として吾助と登瀬の前に現れ、登瀬の家に住み込みとして働き、吾助の技を学んでいきます。この男もまた重要な役目を担っています。

家の跡取りとなる男子を産み、家を守ることこそが女の務めであった時代に、職人として生きることを選んだ一人の女の生き様が描かれており、親子、家族、そして夫婦の在り方まで考えさせられる一冊です。

決して軽く読める本では無いし、エンターテインメント性に富んでいる本でもありません。そうした作品を好む方には向かない本でしょう。

蛇足ながら、木曽のお六櫛公式サイトでは「薮原では一口に『お六櫛』と総称していますが、その種類は多義にわたり、梳き櫛・解かし櫛・挿し櫛・鬢掻き櫛などがあります。」と記されていて、若干『お六櫛』についての説明の記述が違います。少々気になりましたので記しておきます。

木内 昇 新選組 幕末の青嵐

新選組 幕末の青嵐 (集英社文庫)新選組 幕末の青嵐 (集英社文庫)
(2009/12/16)
木内 昇

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書名の示す通り、新選組の物語です。なかなかの掘り出し物でした。

全七章の中に短い項が立てられて、その短めの項毎に視点が変わります。語りは三人称ではあるのですが、視点の主の主観を通して試衛館時代から明治維新に至る流れの中での新選組が語られています。夫々の項で光を当てられている人物の内心に深く立ち入り、その視座から近藤や土方らについて語られるのです。光のあたる人物を深く造形するとともにその人物から見た他者が語られるという二重の構成です。

これは新鮮な構成でした。個々の出来事について新しい解釈があるわけではありません。しかし、様々な視点から新選組を描き出すこの手法は、例え新しい解釈は無くとも実に新鮮で面白いものでした。これまでも芥川龍之介の「藪の中」のように、一つの出来事について異なった側面から光を当てて、その実態を浮かび上がらせる手法は無いわけではありません。でも、新選組についてここまで細かく視点を分けて描写している作品を私は他に知りません。

この手法のために、維新期の命をかけた若者たちの青春群像が、まるで多方面から照明が当てられた舞台上の登場人物達のように、くっきりと浮かび上がって感じられるのです。

もっとも、様々の視点の先に据えられているのは最終的には「土方歳三」という人間です。近藤勇や沖田総司といった人物についても照明はあたっているのですが、結果として近藤勇ではなく、土方歳三が中心に浮かび上がっています。

読み終えてみると、木内昇という作家は思いのほかに情感豊かで優しい作風の作家さんでした。

例えば、土方の義兄にあたる佐藤彦五郎の視点で語られる「盟友」の項では「どこまで行っても手に入らぬと思い込んでいた美しいものは、存外、自分のすぐ近くにあるものだ。それを知ったとき、今まで感じたことのない確かな幸福が、その人物のもとを訪れる。」(255頁)と記しています。「名主」という立場の彦五郎は、夢に向かって走り出せない自分だけど、代わりに夢を果たしている盟友を持つが故に、自分にも豊潤な日々の暮らしはある、と思いを巡らします。そうした彦五郎の内心を語った言葉です。

更に、「脱走」(354頁)の項では沖田総司の視点で山南敬助の脱走事件の顛末が語られます。他のどの作者の作品でもポイントとなる場面ではあるのですが、本作品でも特に胸に迫るものがあります。山南を追いかける総司。その総司の内面の描写。帰営してからの特に永倉の言動が簡潔に描かれます。その解釈にとりたてて新鮮なものがあるわけではないのですが、本作品での山南と総司の描かれ方が描かれ方でしたので、一層に心に迫るのです。

他に、「油小路」の項(444頁)では永倉新八の視点で藤堂平助の最後が語られますが、これがまたせつないのです。

このところ、浅田次郎の新選組三部作を読んで間も無いこともあり、読み手として新選組という題材自体の持つセンチメンタリズムに酔っているところがあるかもしれません。しかし、そういう点を差し引いても本書の持つ魅力は褪せないと思うのです。

蛇足ですが、私はあとがきを読むまでこの木内昇という作家が女性だとは知りませんでした。「きうち のぼる」ではなく、「きうち のぼり」と読むのだそうです。

誉田 哲也 吉原暗黒譚

吉原暗黒譚 (文春文庫)吉原暗黒譚 (文春文庫)
(2013/02/08)
誉田 哲也

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江戸は吉原で花魁が狐のお面の集団によって立て続けに殺されるという事件が起きた。大門脇の面番所に詰めていた同心今村圭吾は「狐面」が出たという声に番所を飛び出し現場に行くが、犯人たちは鉄漿溝(おはぐろどぶ)に渡した橋を使って逃走してしまう。調べてみると、殺された花魁たちは皆晴海屋という女衒の元締めである丑三(うしみつ)の店の女だという。今村圭吾は丑三のもとへ行き、5百両で犯人を捕まえようと持ちかけるのだった。

著者の三作目の作品だそうです。

さすがに誉田哲也の作品らしく、テンポよく読み進めることができ、それなりの面白さを持った小説でした。でも、決してのめり込むほどに面白い、というのではなくて、単純に時間の無駄とまでは言えないというだけではありますが。

著者の言葉として、今の吉原である新宿の歌舞伎町を舞台にしたハードボイルドの話が「ノワール」であるのならば吉原を舞台にしたノワールを書こうと思ったそうです。その割にはノワール小説にはなっていないようで、単に主人公の貧乏同心がワルから裏金を貰い事件解決に向かう、というだけのことに過ぎません。同心今村圭吾は決してノワールものの主人公とは言えないでしょう。

物語自体がエロスの入った伝奇小説的な雰囲気を持ったダークな話なのですが、話の展開がいまひとつ練られたものとは感じられませんでした。

やはりまだ三作目の作品を「ストロベリーナイト」シリーズなどと比べてしまう方がいけないのは分かっていますが、誉田哲也ファンとしてはどうしても比べてしまいます。実に勝手な言い草ですがご容赦を。

笹本 稜平 恋する組長

恋する組長 (光文社文庫)恋する組長 (光文社文庫)
(2010/03)
笹本 稜平

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首都圏にあるという、東西の指定広域暴力団の草刈り場となるには狭いが地場の独立系の組が参入しての陣取り合戦は無くならない街、S市を舞台にした、"探偵"と呼ばれる"おれ"の活躍を描く連作短編集です。 おれの得意先は主に暴力団であり、各々の組からちょっと面倒な依頼を受けて動き回っていて、その様が各短編で語られています。

「死人の逆恨み」  おれの事務所で首を吊った男がいて、その後始末と事件の裏側を探る顛末が描かれます。ここで、事務所の電話番である尻軽女の由子や、常におれを誤認逮捕するS署一係の通称ゴリラという門倉権蔵刑事などが顔を見せます。

「犬も歩けば」  山藤組の組長から愛犬の「ベル」を探してほしいとの依頼があります。断るわけにもいかず捜索するのですが、とある事件の裏を探り出してしまうのです。

「幽霊同窓会」  山藤組の若頭が消息不明になった。捜索を開始すると電話番の由子がとある連れ込みホテルで見かけたという。早速そのホテルに行って見ると、問題の部屋には眉間を拳銃で打ち抜かれた死体があった。と、のっけからホラーのような展開で始まりますが、その実・・・。

「ゴリラの春」では、S署のゴリラが恋女房の浮気を疑い、調べてくれと言ってきます。ところが話は妙な風に展開を始めます。

「五月のシンデレラ」  山藤組の若頭が由子のために見合い話を持ってきます。由子の家系が由緒ある家系だというのです。しかし、・・・。

「恋する組長」  橋爪組の組長橋詰大吉が一目惚れをしたと言ってきます。ところがその相手はゴリラの恋女房の愛ちゃんだったことから、"おれ"は橋詰とゴリラの間に挟まれて身動きが取れなくなるのです。

以上のような、コミカルな物語が続きます。当初は今野敏の「任侠シリーズ」のようなヤクザの親分が主人公のコメディタッチの物語と思っていたのですが、そうではなく、名無しの探偵の軽いタッチのハードボイルド(と言って良いのでしょう)でした。

面白いのは面白いのですが、この作家の作品にしては少々中途半端な気がしないでもありません。コメディとも、かといって軽妙なハードボイルドともつかない物語になっています。

登場人物も電話番の由子とゴリラ、そしてS市の暴力団関係者と限定していて、小じんまりとまとまってしまった感じです。登場人物だけでなく、主人公の"おれ"も暴力団の親分の言葉には逆わない使いっぱしり的立ち位置なのですが、それなりに存在感を出したそうでもあり、何となくキャラがはっきりとしない感じです。

この作家の山岳小説を続けて読んでいると、そのスケールの大きさなどが印象的であったためにそう思うのかもしれませんが、もう少しスケールアップして欲しいと思ってしまいました。

プロフィール

siro

Author:siro
このブログの本棟として本の紹介のサイトを開いています。
(こちらです⇒読んだ屋
本ブログを別棟として位置付けて、読んだ本を記録していこうと思い立ちました。ここでの文章を母屋であるそのサイトに転記していくつもりです。

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