沼田 まほかる アミダサマ

アミダサマ (新潮文庫)アミダサマ (新潮文庫)
(2011/11/28)
沼田 まほかる

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「沼田まほかる」という少々変わった名前を、ここ数年見かけるようになっていました。特に女性にうけているとか、何かに書いてあったような気がします。ホラー作家だということは聞いていたのですが、やっとその一冊を読むことが出来ました。

書評家の吉田伸子氏が「あとがき」で、沼田まほかるの作品は「どの作品もずしりと重く濃い」と書いておられました。まさにその通りで、とにかく読んでいる途中でもその重さに辟易することがたびたびありました。止めようかと思った事もあります。しかし、それなりの評価をとっている作家でもあり読み通しはしたのですが、読了には体力を必要としました。

住職である筒井浄鑑は、修理工場の廃車置き場で、「コエ」に導かれやってきた工藤悠人という青年と出会う。捨てられていた冷蔵庫を開けると、中にはミハルという幼女が閉じ込められていた。「濡れ濡れと光っていて黒く、底知れない瞳」に捉えられた悠人は、「自分が自分ではない別の人間になっていくような不可解な感覚に」襲われる。浄鑑は幼女に呼ばれた悠人をミハルに会わせてはならないと考え、「現象が捻じ曲げられるようなことを絶対にひき起こしてはならない」と悠人に言い聞かせ、幼女は北国の知り合いに預けると嘘を言うのだった。

この後悠人は自分の家に戻り日常生活に戻ろうと努めるのですが、なかなかにミハルのことを忘れることができません。その五年後、悠人はコエに導かれ、昔分かれた祖父工藤多摩雄と再会します。その後、多摩雄の棲むアパートに住む女リツコと出会い、そのまま犯し、リツコの部屋に通い始めるのです。リツコは多摩雄の世話を焼き、悠人の面倒を見ますが、悠人はリツコに暴力を持って接します。

一方、浄鑑のもとのミハルの周りでは飼い猫のクマが死んだ頃から、浄鑑の母千賀子の行動を始めとして、次第に奇妙な事柄が起き始めます。

こうしたホラー作品も色々な形態があります。誉田哲也のホラーはやはりエンタメ満載だし、帝王と言われるキングも同様で、一大ブームを巻き起こした鈴木光司の『リング』も超自然的存在を前提としていたものの、やはりその面白さは怖さというよりもエンターテインメントとしての面白さでした。

しかし、本作はそうではなくて心理的というか、雰囲気としての怖さが描かれています。死んだ猫のクマについてとか、リツコに対する暴力の描き方などの具体的な描写を言うのではなく、文章全体として持つ濃密な「欲」で満ちあふれているのです。

前述したように、個人的にはあまり好きになれませんでした。内容が暴力的だからではないのです。「暴力」という面では花村万月の『ゲルマニウムの夜』は更に強烈ですが、この本ほどの重さはありませんでした。怖さという面では貴志悠介の『黒い家』の方が怖かったと思います。この作品のもつ重さと濃厚さは、読書の幸福感を全く感じられないのです。読書にそうした「豊かで幸せ」と思えるひと時を求めない人にはたまらない本かもしれません。

著者は僧侶経験があるそうで、だからこそ本作の浄鑑が描けたのでしょう。

イヤミス(読んだ後にイヤな後味が残るミステリー)の旗手と言われているそうで、納得です。

しかし、いやな後味があるのに人気があるというのは私には良く分かりません。

高田 郁 残月 みをつくし料理帖

残月 みをつくし料理帖 (ハルキ文庫)残月 みをつくし料理帖 (ハルキ文庫)
(2013/06/15)
高田 郁

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久しぶりにこのシリーズに接したと思ったら、第七巻の「夏天の虹」を読んだのが二年以上も前のことでした。相変わらずに、丁寧な文章で語られており、落ち着いた心穏やかなひと時を過ごせたと感じさせてくれる作品でした。

前作では吉原の大火という思いもかけない災難に出会いながらも、それに立ち向かっていく澪が描かれていました。その災難は「つる家」の人々にとっても辛いもので、シリーズの雰囲気も暗くなっていたものです。

しかし、本作では明るい兆しが見えてきています。

二話目「彼岸まで - 慰め海苔巻」で、行方不明になっていて何の手掛かりも無かった天満一兆庵の跡取りで芳の息子の佐兵衛の消息が分かるのです。また、四話目「寒中の麦 - 心ゆるす葛湯」では、澪と共にあって、苦労ばかりを重ねてきた芳の身の上に大きな変化が訪れます。二話目では「人の気持ちも物事も、全てのことはうつろうてゆく」と、「諦念を語る芳」ですが、物語自体に光がさしてくるこの巻はこの物語の完結が近いことを意識しているのでしょうか。

それでいて食に関しての澪の努力の場面を描くことは忘れられていません。三話目の「みくじは吉 - 麗し鼈甲珠(べっこうだま)」では、何かと澪の前に立ちふさがり澪らを困らせる、料理番付大関位の料理屋「登龍楼」の主人采女宗馬が登場し、難題をふりかけます。

このように、なにかと辛い思いばかりをしてきた澪たちにほのかな明かりが見えつつも、澪の前にはいつも「食」に関しての問題が示されています。冒頭にも書いたように、澪が、提示された問題に立ち向かい、それをを乗り越えていく様が、この作者の丁寧な語り口で語られると、良い本に出会えた喜びを感じるのです。

本シリーズはこの後「美雪晴れ」へと続き、その後の「天の梯」で完結となるそうです。話は次第に完結へと向かいつつ、まとめられつつあるのでしょう。

心穏やかに、爽やかな読後感をもたらしてくれるシリーズだと思います。

鈴木 英治  陽炎時雨 幻の剣 - 死神の影

陽炎時雨 幻の剣 - 死神の影 (中公文庫)陽炎時雨 幻の剣 - 死神の影 (中公文庫)
(2014/04/23)
鈴木 英治

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本書の主人公秋重七緒は、みたらし団子を求めてやってきた団子屋の「常葉屋」で、以前来た時に比べて活気が無く、お客も減っていて、団子自体の味も微妙に落ちているように感じられた。店の者に以前いた娘のことについて聞いてみると、その娘おひのは旦那の波津彦と共に行方不明になっているという。そこで七緒は行方不明の娘夫婦の探索を請け負うのだった。

本シリーズの第一作目の「歯のない男」では設定された謎、筋立てに不自然さを感じたので、続刊である本書では持ち直しているだろうと期待を持って読み始めました。しかし、その期待も冒頭からすぐに崩れ始め、残念ながら最後まで持ち直せませんでした。

例えば秋重七緒のおひの夫婦のかどわかしへの関わり方が、単にその店の雰囲気が変わっていたことをきっかけに店の者に話を聞いた縁があるというそれだけなのです。話をを聞いたから見捨てることが出来ない、という理由では見知らぬ夫婦の行方を捜すきっかけとしてはあまりにも単純過ぎると思ってしまうのです。

この作家のもう一つの『若殿八方破れシリーズ』も一種のファンタジーと言ってもいいほどの気楽さ加減で物語は進んでいきますが、本シリーズも同様なのでしょう。つまり、細かな設定にこだわらずに単純に鈴木ワールドに入ればいいのかもしれません。

しかし、若殿様の道中記である『若殿八方破れシリーズ』とは異なり、本書は謎ときを主軸に据えて物語が展開する以上は、個人的には状況設定をもう少し詰め、筋を練って欲しいと感じます。もともと鈴木英治という作者の作風自体が「殺気」や視線に対する「気配」といった感覚的なものを多用している作家であるにしても、これまではそれなりに練られた筋立てがありました。本書はその練られた感じがあまり見えないのが残念なのです。

勿論、鈴木英治らしさはあって、そういう単純な娯楽に徹した物語だと割り切って読めばそれなりの面白さは楽しめると思います。

色々と文句はつけても、新刊が出ればまた読むのは間違いはなく、切り捨てることはできないでしょう。

辻堂 魁 雷神 風の市兵衛

雷神 風の市兵衛 (祥伝社文庫)雷神 風の市兵衛 (祥伝社文庫)
(2010/07/23)
辻堂 魁

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「風の市兵衛」シリーズの二作目です。前作の面白さを維持したままなのか若干不安な気持ちで読み始めましたが、残念ながら、前作程では無かったかな、と思ってしまいました。

今回は、内藤新宿の磐栄屋(いわさかや)という呉服太物問屋を舞台としています。この磐栄屋が何かと問題に見舞われているのです。というのも、店の主人が暴漢に襲われるし、跡継ぎである息子は仕入れ先の武州で古参の手代と共に山中で盗賊に襲われて落命したというのです。店主が寝込んではいても仕入れはしなければならない。そこで死んだ息子の代わりに妹のお絹が代わって仕入れに行くことになります。そのために腕が立ち算盤もできる者を探しているという話を、請け人宿の宰領屋(口入屋)から聞いて主人公の市兵衛が登場するわけです。ただ、磐栄屋の災難は麹町に店を構える呉服店の岸屋が糸を引いていると言われており、地元新宿の大黒屋重五というやくざを手先として嫌がらせを仕かけていたのです。

読了後「あとがき」を読んでみると、文芸評論家の縄田一男氏が私の感想とは真逆に、「本書は、一作目の二倍は面白い」と書いてありました。

確かに、本書は磐栄屋の主人の人となりに結構焦点を当てていたり、他方では市兵衛を宰領屋から磐栄屋へと案内する羽目になった小僧の丸平(がんぺい)がこまっちゃくれてはいるが憎めない小僧として描かれていたりと、市兵衛だけではない登場人物への配慮が一作目よりも更に為されているようです。

しかし、その点が市兵衛が一歩引いた形となり、一作目ほどの面白さを感じなかったと思います。

とはいえ、縄田一男氏が書かれているように、本書がエンターテインメント時代小説として面白い作品であることは間違いありません。

一作目で大変な目にあった同心の渋井鬼三次が本作でもなかなかに重要な役割を果たしていたり、市兵衛の影の仲間とも言うべき存在も変わらずに活躍します。

現時点(2014年8月)では四作目まで出ているようで、なかなかに面白い作者を見つけたと楽しくなります。

風野 真知雄 沙羅沙羅越え

沙羅沙羅越え (教養・雑学)沙羅沙羅越え (教養・雑学)
(2014/07/01)
風野 真知雄

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佐々成政が徳川家康に対し本格的な秀吉との戦いを持続するように依頼するために、厳寒の立山連峰を越えて浜松まで行った史実を描いた物語です。

さすがに読みやすく、一気に読んでしまいました。

佐々成政のさらさら越えという行為は、これまで他の戦国期を描いた小説の中でたまに触れられてはいました。しかし、単に冬山を越えてきた佐々成政のあまり意味のない行為、という程度にしか触れられていなかったと思います。この頃の出来事としては決して大きくはないこのエピソードを、このような物語として仕上げるのですからさすがです。

本書を読むまで、西に秀吉の意を汲んだ前田利家がおり、東に上杉景勝がいるなか、わざわざ厳寒の立山連邦を越えてまで家康のもとへ行くその理由は何なのかなど、これまであまり考えたこともありませんでした。

その答えも本書の中で触れられてはいます。しかし、決して納得のいくものではありませんでした。命をかけて厳寒の冬山を越える理由が本書の示す答えでは弱過ぎるとしか思えないのです。佐々成政という武将の性格を前田利家他の武将と比較する場面などで、実に真面目な一徹者であることを強調してあるところなど、理由づけの補強なのでしょうが、個人的には納得できませんでした。

ということで、佐々成政のさらさら越えについてネットで調べてみたのですが、やはり対秀吉戦のために家康と共同戦線を図るべく直談判をするために山越えをしたということしか書いてありません。というよりも、その理由が当たり前のように記述してある文章ばかりでした。多分残されている資料等からも学問的にもその理由づけしかないのでしょう。

とすれば、山越えの理由付けが弱いという印象については要求する方が無理なのでしょう。でも、小説として見た場合、もう少し何か考えて欲しかった気はします。

作者としても、山越えをするという事実だけでは物語としては寂しいと思われたのでしょう。佐々成政の城にもぐりこんでいる間者を洗い出す場面など、種々の色付けが為された物語として仕上がっていて、勿論面白い小説です。

ただ、これまで読んできた風野真知雄という作家の物語とすると、少々普通の小説になっている、という印象がします。この作者独特のちょっとひねった筋立ては影を潜めているのです。その点は、先に述べた山越えの理由づけと共に、欲張りな読み手としてはもの足りませんでした。

でも、この点も、著者の自由に描けるフィクションではなく、史実をもとにした歴史小説だということを考えると、素人の過大な要求なのかもしれません。

辻堂 魁 風の市兵衛

風の市兵衛 (祥伝社文庫)風の市兵衛 (祥伝社文庫)
(2010/03/11)
辻堂 魁

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本書の著者である辻堂魁という人も時代小説の新しい書き手だそうです。数日前に読んだ田牧大和の『緋色からくり』という小説は楽に読めて、筋立てもとても面白い作品であり、このところの新しい時代小説の書き手が結構面白い、と思っていたのですが、本書の辻堂魁という作家もまた面白い書き手の一人でした。

主人が「相対死(あいたいじに)という武士にあるまじき不祥事」で死んだ三河以来の旧家の高松家に一人の侍が渡り用人として雇われることになった。「歳の頃は三十五、六。五尺七寸ほどの上背に一見痩躯で、艶やかな総髪を麻の元結で束ねて、頭に一文字の髷(まげ)を結ってい」て、「高い鼻筋に大きめのきりりと閉じた唇の不釣り合い加減が、手習い塾を始めたばかりの新米師匠を思わせる、頼りなげな顔立ちを作っていた」。名を唐木市兵衛といい、算盤を片手に雇われ先の家計を預かるのが仕事だった。この唐木市兵衛が高松家の借金の現状を調べていく中、様々に不審な事柄が明らかになっていく。

先の『緋色からくり』もそうでしたが、主人公の設定が面白いのです。本書の場合、「渡り用人」というはじめて聞いた職業を設定してあります。これまで「用人」という言葉はよく耳にしました。「用人」とは、身分等により職務の内容も異なるようですが、旗本等では「金銭の出納や雑事などの家政をつかさどった者」を言うそうです。また、「渡り」という言葉も「渡り中間」などと聞いたことはありました。期間を区切って雇われる者を意味しているようですが、その用人版があるとは知りませんでした。

その前に、そもそもこうした職業が実在したものなのか、簡単に調べたのですが分かりませんでした。ただ、藤原緋沙子の作品に『渡り用人片桐弦一郎控』というシリーズがあるので、本当にあった職業なのかもしれません。

この珍しい職業の主人公が算盤を使いこなし、高松家の収入を知行地の石高から即座に計算し、支出も諸経費等を積み上げていく様は、当時の生活も垣間見えてトリビア的な面白さもあります。

勿論、物語の主人公ですから剣の使い手でもあります。とある理由から関西で放蕩をしているときに剣を学び相当な使い手になっていて、「風の剣」の使い手として名を馳せたらしいのです。となれば、敵役も勿論必要で、異国の剣の使い手を配置してあります。

更には、唐木市兵衛の過去が明らかになるにつれ、幕府内でそこそこの力を持つ後ろ盾や、いざというときに力になり得る仲間が現れたり、物語の冒頭から登場する少々ひねた性格の腕利き同心渋井鬼三次が絡んだりと、エンターテインメント小説としての、定番と言えるであろう要素が十二分に配してあるのです。

よく練られていて破綻の無い筋立てと、十分に書き込まれている主人公の設定と、それを助ける登場人物の面白さと、面白い時代劇小説の要素を全部持っていると言えるのではないでしょうか。

田牧 大和 緋色からくり―女錠前師謎とき帖〈1

緋色からくり―女錠前師謎とき帖〈1〉 (新潮文庫)緋色からくり―女錠前師謎とき帖〈1〉 (新潮文庫)
(2011/09/28)
田牧 大和

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近年は時代劇ブームだそうです。そのブームに乗ってか需要の拡大に合わせて供給方である時代劇の新しい書き手が次々と現れていると言ったのは、今読み終えたばかりの辻堂魁の『風の市兵衛』のあとがきにあった細谷正充氏の言葉です。その辻堂魁氏の小説も実に面白かったのですが、本書もそれに劣らずの掘り出し物のエンターテインメント小説でした。

まず、キャラクター設定がいい。主人公は「どんな錠前も開ける」と評判の女錠前師で、名前はお緋名(ひな)。「どんな盗人、錠前破りも尻尾を巻いて逃げだす」錠前職人だった父常吉の腕を継いでいます。

そのお緋名が襲われた。そこに現れたのが幼馴染の元大工町で髪結いをしている甚八から頼まれたという榎康三郎という浪人だった。榎康三郎とは何者なのか。お緋名は何故に襲われたのか。次第に四年前に死んだ恩人のお志麻の死との絡みが明らかになっていく。

主人公のキャラもさることながら、忘れてはならないのが、大福という名の猫の存在です。おっとりした性格で、見た目のとおり敏捷さに欠ける、猫らしくない猫だそうです。この猫の存在が場面々々で雰囲気を和らげているのです。

勿論、文章も読みやすく、楽に読むことが出来ます。これまでによんだ新しい時代小説の書き手と言われる作家さんの中にはストーリーが何となく中途半端な作品や、筋立てに無理があったり、矛盾があったりする作品が少なからずあったのですが、本書はその心配もありませんでした。楽に読め、なお且つ筋立ても面白いのです。

本書の副題に「女錠前師 謎とき帖」とあるように、本書はミステリー仕立てになっています。と言っても本格的な探偵ものという訳ではなく、謎解き風味の時代劇エンターテインメントと言えるでしょう。

ユニークなキャラをメインにした娯楽小説です。シリーズ続編で榎康三郎という存在が変わらずにでてくるのか、また新しい登場人物が出てくるのか分かりませんが、早速次の作品を読みたいと思わせる作品です。

佐伯 泰英 居眠り磐音江戸双紙(45) 空蝉ノ念

空蝉ノ念-居眠り磐音江戸双紙(45) (双葉文庫)空蝉ノ念-居眠り磐音江戸双紙(45) (双葉文庫)
(2014/01/04)
佐伯 泰英

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本シリーズもいよいよ終盤に入ったようです。もしかすると初めてかもしれない著者自身の手による「あとがき」には「あと五巻、かな。」とありました。

前の巻でも書いたのですが、本シリーズの面白さが戻ってきています。そう思っていたところに「あと五巻」の言葉は残念です。でもそれでも全五十巻ですから、シリーズものとしては終わっても良い頃合いなのかもしれません。

本編では大きな出来事が起きるわけではありません。ただ、博多から松平辰平と恋仲の大豪商箱崎屋次郎平の末娘お杏が江戸に到着し、小梅村の尚武館坂崎道場での宴が開かれる様が描かれます。

ただ、それだけでは活劇場面は全くないことになるので、「肱砕き新三」という異名を持つ河股新三郎という老武芸者を登場させ、磐根との立ち会いが設定されているのでしょう。

このように全くと言って良いほどに田沼親子との対決場面はないのですが、物語として別に間延びすることも無く進んでいきます。松平辰平の恋物語を中心とした展開はそれなりに面白く読み進めることが出来ました。

最終局面を前にした中休みかもしれないのですが、こののちに「尚武館改築祝い 大名諸家対抗戦」が控えていて、それなりの山がありそうです。勿論最終的には田沼親子との対決が控えていて、今は嵐の前の静けさ、と言ったところなのでしょうか。

読みやすく、物語展開も読者を飽きさせることが無い、佐伯泰英の代表作は健在でした。

コロッケ マネる技術

マネる技術 (講談社+α新書)マネる技術 (講談社+α新書)
(2014/06/20)
コロッケ

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コロッケという芸人さんは改めて言うまでも無い「ものまね」の達人です。その芸はかならず私たちを笑わせてくれます。驚くのは大体において見るたびにネタが異なることでしょうか。例え同じネタであっても確実に笑わせてくれるのですが、全く同じネタということは無いのではないでしょうか。どこかしら進化していますね。100%の面白さをもたらしてくれる芸人さんだと思っています。大ファンです。

そんなコロッケが本を書いたというのですから、これは読まないわけにはいきません。でも、残念ながら個人的には若干の期待外れの本ではありました。

誤解を恐れずに言えば、書いてあることが聞いたことがあるような印象を受けるのです。ものまねの対象となる方には愛情を持って接することや、ものまねという芸には終わりはなく、常に進化し続けるものだとか、常日頃コロッケがテレビの画面の中で語っている事柄です。そのことが少々の味付けを変えて語ってある、そういう印象です。

決して読む価値が無い本だと言っているのではありません。あくまで個人的に、コロッケがテレビで言っていた諸々の事柄以上に目新しいことが少なく感じたということです。結局、私がコロッケという芸人が好きで、この人の出るトーク番組等はよく見ていたのでそう思うのでしょう。ですから、これまであまりコロッケという人を知らない人や、ネタを見るだけだった人には面白い本ではないでしょうか。

例えば第一章は、「第一印象」はいらない、というタイトルです。第一印象にとらわれるべきではなく、対象を楽な目で見て柔軟に発想したほうがいい、という意味のことが書かれています。素人考えでは第一印象にその人のイメージが現れているように思え、少々違和感を覚える言葉ではあります。でも、その意味は、一つの印象に捉われてしまうと本質を見失う恐れがありますよ、ということを具体例を交えながら読みやすい文章で語っています。

第二章の「好奇心が現実を変える」もそうです。柔軟な観察の先には洞察力を持って、本質を見抜く力を養いましょう、と言っていて、ものまねの第一人者であるコロッケの芸に対する姿勢や考え方を知るには最適の本といえます。

コロッケがデビューした番組である「お笑いスター誕生!」は私も見ていました。形態模写で大爆笑を取っていました。その後、コロッケがいつの間にか声帯模写まで見事にこなしているのを見て驚いたものです。

この人は私の住まう熊本市の出身ということは知っていたのですが、彼が当時私が飲みに行ってたそのビルの別の店でものまねをやっていたと聞いたのはずっと後のことです。

この人の芸の進化については改めて言うまでも無いことで皆知っています。それまでの「色もの」と言われていたものまねという芸を、超一流のエンターテインメントとして昇華させた人と言えるでしょう。

とても軽く読める本でもありますし、未だコロッケのことをよく知らない人がそのコロッケの一端を知るためには良い本かもしれません。

荻原 浩  四度目の氷河期

四度目の氷河期 (新潮文庫)四度目の氷河期 (新潮文庫)
(2009/09/29)
荻原 浩

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とある博物館の部外者は立ち入り禁止の部屋の中、一万年前の人間のミイラの前にいる主人公の一言から本書の幕が開き、そこから場面は回想に入ります。そこで主人公が発したせりふは「父さん」という言葉でした。

主人公の名前は南山ワタル。母子家庭で母親は父親のことを何も教えてくれない。だけどワタルは本当の父親を知っていた。ワタルの父親はクロマニヨン人だったのだ。

ひとことで言うと本書はワタルの青春期です。正確には四歳から十八歳までの成長の記録です。読み始めてしばらくはスティーブン・キングの『スタンド・バイ・ミ-』を思い出していました。

あとがきは北上次郎氏が書いておられます。この人に言わせると荻原浩という作家はかならず「ひねり」をきかせる作家だそうです。本書で言えばクロマニヨン人であり、やり投げなのだとか。確かに、父親がクロマニヨン人だという設定(?)は本書を個性的なものにしており、「普通に書けば陳腐すれすれの話や見慣れたはずの風景を一変させることが出来る」のです。

確かに、本書のストーリーを形だけ追うと単純です。即ち、母子家庭で育っている少年の、一人遊びの中での少女との出会い、周りから無視される小学生時代、性への目覚めがあり、中学校に上がってからやり投げと出会い、そして旅立ち・・・。

それが、父親がクロマニヨン人というキーワードで、各場面でのワタルの行動の意味がその様相を異にします。少年時代の自分の家の裏山を駆け巡ることは父親であるクロマニヨン人の行動を追体験しているのであり、後のやり投げへと結びついて行く石器で作った槍はマンモスを殺すための道具なのです。ワタルは周りから排斥されてはいるものの、クロマニヨン人にとって野山を駆け巡る行為は生きる行為そのものであり、一人遊びはかえって都合のいいものでした。

ワタルの成長記録であり、一人の少年の青春期でもあるこの本は、繰り返しますが、クロマニヨン人というキーワードによって全編が彩られていて、このキーワードによって本書が青春小説として独特の色合いを帯びていると言えると思います。

思春期の少年の性に対する畏怖などの細かな心理描写も含め、母親への思いなどのワタルの心の記録は、普通とは少々異なった環境にいる少年の日常を日常として描いた上質な青春小説であるとともに、家族愛を描いた物語とも言えるのではないでしょうか。

続けて他の本も読んでみたい作家さんの一人です。

阿木 慎太郎 闇の警視 乱射

闇の警視(9) 乱射 (祥伝社文庫)闇の警視(9) 乱射 (祥伝社文庫)
(2013/03/13)
阿木 慎太郎

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読み始めて暫くはヤクザの組同士の対立を描いた、かつてヒットした東映やくざ映画の『仁義無き戦い』のような物語かと思っていたのですが、元公安警察官の男を主人公に据えたアクション小説でした。

冒頭から東京駅での乱射事件で幕を開けます。一般市民をも巻き込んだこの抗争事件は関東最大の暴力団『新和平連合』の内部抗争であり、関西の暴力団をも巻き込みかねない抗争へと発展していくのです。

登場人物が多く、その人間関係も絡み合っていて筋がつかみにくい印象で、舞台背景の説明はあるものの、物語展開が唐突な感じは否めませんでしたが、それも当然でシリーズ九冊目だったのです。

当初は「極道狩り」シリーズとして、祥伝社のノン・ノベルから出版されていたシリーズです。その後新しいシリーズとなり、当初の「極道狩り」も改題されて「闇の警視」シリーズとして統一されたのだそうです。本書は新シリーズになってからでも四冊目であり、唐突な感じがするのも当たり前でした。

この手の徹底したエンターテインメント小説はストーリーの面白さは勿論必要なのですが、キャラクターがそれなりに魅力的でないと読み手を満足させられないと思っています。その点、登場人物の造形が似たところがあり、若干区別がつきにくい感じもあったのですが、それでもシリーズ当初から読んでいるとまた違った印象になるのでしょう。だからこそ九刷目にもなる人気シリーズになっているのだと思います。

これまでの話を全く知らずに読んだため上記のような違和感を持ったのでしょうが、そういう私でもアクション小説として何も考えずにただ楽しんで読むには結構面白い小説でした。シリーズの最初から読んでみたいものです。

乙川 優三郎 逍遥の季節

逍遥の季節 (新潮文庫)逍遥の季節 (新潮文庫)
(2012/02/27)
乙川 優三郎

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「竹夫人」「秋野」「三冬三春」「夏草雨」「秋草風」「細小群竹」「逍遥の季節」の七編からなる、女性を主人公に据えた芸道小説です。

「竹夫人」では、芸の道にまい進する女は、同じく三味線を心の糧として生きている男と共に生きる道を選びます。苛酷さしかないその道ではあるけれども「女の旅は終(つい)の棲みかを目指すことであろうかと考え」るのです。「芸の向かうところへ幸二も自分もついてゆくだろう」という主人公の思いは、この作者の自然でしっとりとした描写によって、しずかに情景に溶け込んでいくようです。

また「秋野」でも、愛してもいない男に捧げた年月の末に、いま女は茶席で知り合った同郷の男の傍にいて、妾の身から旅立つ自分を思う姿が描かれています。

七つの作品の夫々に三味線、茶道、画工、根付、糸染め、髪結い、活け花をテーマとしており、女性が主人公だからなのか殆どの作品で男との関係に悩む女の姿が描かれます。それも、男の存在はその女性の人生そのものに関わってくるような重大事です。女一人で生きていくことを自ら選んだ、若しくは選ばざるを得なかった女性たちが、芸の道を、ある者は選んだ男と共に、ある者は全く一人になって歩んでいくのです。

一方、男が主人公である芸の道に生きる男を描いた小説としては山本周五郎の『虚空遍歴』を思い出します。この作品は浄瑠璃を極めようとする男の物語で女性が絡んでいたと思うのですが、女性の存在は芸と対立するようなものではなかったと記憶しています。これは勿論作者の描き方によるものでしょうが、男と女の本質的な差によるところが大きいのではないでしょうか。

「三冬三春」では、師匠である酒井抱一の吉原逗留のために師匠の代筆をする阿仁が主人公です。師匠の落款を押すための画を書くということは自分が書きたい画を殺すことでもあります。自分の心の赴くままの画を書きたいとい思いは強くなるばかりであり、阿仁はある日一歩を踏み出します。乙川優三郎が、三月毎に移ろう江戸の四季を繊細な描写で描きだしています。

この作品では谷文晁を師匠とする同居人のさちの存在がまた見どころです。そういう意味では、先に述べた「竹夫人」では主人公の祖母の澄(すみ)が同様にその存在を主張しています。

この他に表題作の「逍遥の季節」に至るまで四編の芸に生きる女たちが、美しい文章で語られる季節感と共に語られていきます。

例えば『白樫の樹の下で』での青山文平の文体は叩けば硬質な音がするようですし、葉室麟の『蜩の記』では山奥の澄みきった空気のような透明感があります。でも本書での乙川優三郎の文章はどこか水の中を歩くような、何かまとわりつくものを感じます。それでいて、別に湿った感じはありません。ただ、数年前に読んだ『武家用心集』ではそのような印象を持った記憶はありません。

だからと言って本書の文体が嫌だという訳ではありません。まだ読んだ作品数が少ないので何とも言えないのが本音ですが、文章が美しい作家さんだという思いがまずあります。ただ、本書の場合芸道に生きる女性を描いているので特に情緒的な側面が強いのではないかと思っています。

まだまだ、他の作品を読んでみたいものです。

三浦 しをん 舟を編む

舟を編む舟を編む
(2011/09/17)
三浦 しをん

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やっと読むことが出来ました。予想通りの実に心地よい読後感をもたらしてくれる本でした。2012年の本屋大賞を受賞してかなり話題になった本であることは改めて言うまでも無いと思います。

先任者の荒木公平が定年で退職した後の辞書編集部を継ぐことになった馬締光也は、監修者である国語学者の松本朋佑と共に、荒木公平を顧問として中型の辞書「大渡海」の出版に向けて乗り出す。「大渡海」という辞書の完成を目指す、玄武書房辞書編集部を中心とした努力を、編集者馬締光也を主人公として描く物語です。

今まで「辞書」そのものについて、その作成過程について示されることはありませんでした。しかし、本書は簡単にではありますが辞書の作成過程を示し、その作業がいかに困難なものかを示してくれています。

本書で編纂されようとしている「大渡海」のような中型の辞書の見出し語で二十万語を越えるそうです。その見出しの大半に使用例や、用例の出典が載っていたりするのですから、チェックすべき事項は膨大な数になります。更には装丁を考え、また紙質へのこだわりがまた半端ではなく、と編集者の苦労の一端が読者の眼に示されます。

読者はその作業の困難さに眼をみはりつつ、物語の世界にどんどん引き込まれていくのです。

更に、馬締光也には林香具矢という女性が現れ、その成り行きも気になるところです。

うまいと思ったのは、登場人物の配置です。前半は馬締とは何もかの反対の性格の西岡正志という男が仕事上のパートナー的存在として配置され、途中でこの西岡の位置に岸辺みどりという女性が配置されるのです。補佐する人物の切り替えで年月の経過を示し、同時に読者の関心を新たなものとしているようです。

辞書監修の中心にいる松本朋佑という国語学者がいて、馬締を支える存在としての荒木公平がいて、馬締のもとで辞書の完成に向けて見事なチームワークを発揮するのです。

身近でいながらその成り立ちについてはあまり知らない「辞書」の編纂という作業が中心であり、従って「辞書」の世界への知的好奇心を満たしてくれるとともに、このチームの人間模様が面白く、爽やかな感動をもたらしてくれます。

さすがに2012年の本屋大賞を受賞した作品です。

なお、本書はどことなく夏川草介の『神様のカルテ』を思い出す作品でもありました。共に自分の仕事に真摯に取り組む主人公とそれを支える女性の存在が描かれています。そしてその女性は手に職を持ち、自分というものをきちんと持った女性なのです。

松田龍平主演で2013年に映画化もされたのですが、この両作品の女性を宮﨑あおいが演じています。

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