辻堂 魁 夜叉萬同心 冬蜉蝣


この作家の『風の市兵衛』を読んだときは、その綿密な書き込みや、良く練られた筋立てなど、新人にしてはうまい作家さんだと思っていたのですが、本書は残念ながら期待に反するものでした。

本書の主人公尾は、萬七蔵(よろずななぞう)という北町奉行所隠密廻り同心です。この男、一刀流の免許皆伝という使い手であり、奉行直属の隠密御用を命じられる身なのです。言わば「殺しのライセンス」を持つ同心、とでも言えそうです。

一話目の「桜花」は、萬七蔵が、旗本の部屋住み連中が集まり名乗っている「紅組」の乱暴狼藉を懲らしめる、典型的な勧善懲悪の物語です。

二話目の「かどわかし」は、根岸の里で瑞龍軒清墨という絵師が殺されます。どうも清墨が暗黒亭黒主という号で描いていた春画が絡んでいるらしく、萬七蔵に探査の命が下るのです。

三話目の「冬蜉蝣(ふゆかげろう)」は、ある日七蔵が北町奉行の小田切土佐守に呼ばれとる料亭に行くと、磐栄藩当主の用人を勤める斎藤弥兵衛という侍から、蜉蝣と呼ばれている辻斬りを切るように頼まれます。しかし、その蜉蝣の正体は・・・。

どの物語も、多くの振り仮名交じりの漢字を多用した文章で、その時々の街並みの情景や季節の移ろい感、それに登場人物の着ている着物など、細かなところまで良く書き込まれています。しかし、書込みについての印象は抱いても、物語そのものについての興味が今一つかきたてられません。普通のありがちな時代小説でしかないと感じてしまうのです。

調べて見ると、今一つ乗れないのも仕方のないことで、本書は著者のデビュー作でした。本書が、面白くない、つまらない小説というわけではありませんが、微妙な表現方法や間合いなど、何かあるのでしょう。面白いと感じた『風の市兵衛』は、丁度この二年後に出された作品です。二年であの上手さを得ているのですから、逆に凄いことなのでしょう。本シリーズも今の辻堂魁という作家の力量からすると、痛快時代劇小説として面白くなっているのだろうと思います。

現に、今の時点で本シリーズも四冊が出されているのですから、進化していると思って間違いないのでしょう。しばらくは追いかけて見ようと思います。

中島 京子 小さいおうち


2015年2月27日に開かれた第38回日本アカデミー賞授賞式で、最優秀助演女優賞は黒木華(くろき はる)という女優さんが受賞され、その時の出演映画が「小さいおうち」という映画でした。そしてつい先日、いいタイミングでこの映画がテレビで放映されました。原作は直木賞を受賞した作品だということです。すぐに図書館で借りて来ました。

本書の主人公は、東京郊外の私鉄沿線の町に建てられた、赤い屋根を持つ洋館の平井家に奉公する、タキという名前の女中さんです。平井家の奥様の時子さんは、誰にでも愛される可愛い女性であり、タキさんともとても仲が良く、旦那様の平井雅樹氏、平井家の長男の5歳になる息子の恭一さんと共に、幸せに暮らしています。そこに旦那様の会社のデザイン部の社員である板倉正治さんが来るようになります。世情はだんだんきな臭くなる中、奥様は板倉正治さんと恋愛事件を起こすのです。

本書は、晩年のタキさんが、昔を思い起こしながら綴っているもので、少なくとも途中までは、この回想録を盗み見している妹の孫の健史を読者として書かれているようです。つまりはタキさんの一人称で語られる回想録なのです。

読了後、かつて見た『初恋のきた道』という映画を思い出していました。あのチャン・ツィーのデビュー作です。父の葬儀で田舎に帰ってきた息子は、小さくなってしまった母の初恋の話を思い出す、という映画でした。映像の美しさやチャン・ツィーのかわいらしい笑顔と共に、娘の一途な想いに感動を覚えたものです。本作品でも、ひとり寂しく亡くなった健史の大伯母であるタキさんの、回想録の中での活き活きとした娘時代の姿に、誰しも情熱を持って生きた歴史があるのだという思いを抱いたのです。

違うのは、本書の最終章です。最終章は一転して現代に飛び、健史の視点で語られています。そして、タキさんの回顧録を心ならずも検証することになるのですが、ここで語られていることは「哀切」とでも言うべき事柄で、先に映画を見ていたことが残念に思えてなりませんでした。

タキさんがあのような行動を取った理由や、ひいてはこの本、即ちタキさんの回想録自体の性質など、いくつもの疑問点がわいてきます。

ここまで記すのはネタバレかもしれませんが、友人の松岡睦子さんの言葉や、タキさん自身の言葉など、物語の随所にあらわれる時子という女性に対する賛美ともとれる文章を読んでいると、結局この本は単なる回想録ではなく、タキという女性の平井時子という女性に対するある種の想いを描いたもの、としか思えなくなりました。これは、作者の意図にそのまま乗っかった考えなのかもしれません。

文章は、タキさんの言葉という形ではあるものの、とても品が良く、読み易い文章です。時代の流れを一歩引いたところから、庶民の感覚でとらえています。健史に、タキさんの描写は時代の背景としての戦争を意識していない、と言わせ、現代からの視点を提示し、当時の一般庶民の感覚との差異を明示しているようです。

蛇足ながら、タイトルの「小さなおうち」、即ち本書と言ってもいいかもしれませんが、絵本の「ちいさいおうち」をモチーフにしているとは思いませんでした。幼い頃に読んだ記憶のあるあの絵本、どこで読んだのかも覚えていないのですが、心に残る良い絵本でした。

井上 荒野 切羽へ


本書の文庫本の裏表紙にも記載されている惹句には「繊細で官能的な大人のための恋愛長編。」とありました。本来、恋愛小説は苦手とするところなので手を出さないのですが、直木賞受賞作ということで読んでみました。

九州のとある離島の小学校で養護教諭をしているセイは、画家である夫と平凡な日常を送っていた。そこに「人生に倦(う)み疲れたようなたたずまい」をみせる、石和という新任の教師がやってくる。セイは、そんな石和に次第に心惹かれていく。「二人の通じ合う際の何気ない所作が」「性よりも性的な、男と女のやりとり」を醸し出す。

括弧で括った引用部は、あとがきを書いている山田詠美氏の文章です。このような描写(文章)を見せつけられると、プロの凄みを思い知らされますね。言葉の選択が素人では思いつきません。語彙の豊富さもさることながら、言葉選択が見事です。これは、著者の井上荒野氏にも、またあとがきを書いている山田詠美氏にも言えることです。だからこそのプロなのだと割り切り、駄文を書くことにします。

本書の登場人物は九州の方言そのままで語っているのですが、その言葉からすると、多分福岡県のどこかの島だろうと思われます。

「明け方、夫に抱かれた。大きな手がパジャマの中にすべり込んできて、私の胸をそうっと包んだ。」という文章で始まるこの物語は、やはり私の範疇には無い物語でした。出だしこそインパクトのある書き出しですが、その続きは殆どと言っていい程エロスを感じさせません。先にも書いた山田詠美氏の言葉のように二人の所作が「性的」でもあるのですが、その後の物語の中での主人公の心裡を語っている場面もまた官能的です。

例えば、本書の冒頭近くでセイが散歩をする場面の情景描写で、「今日は薄曇りだが、空気は湿っていて、暖かい。海の香もずいぶん春めいてきたと思う。春の海はなまめかしい匂いがする。」という表現があります。何ということもない、単なる春の海の普通の描写なのですが、ほのかに官能的な匂いが漂ってきます。セイの視点での一人称で語られる本書は、全編がこのような雰囲気の文章で組み立てられているのです。

全体的にやはり理解できない物語なのです。登場人物の中に月江という奔放な女がいます。本土さんとよばれている、妻ある男との不思議な生活を送っているのですが、この女の存在も個人的にはよく分からない。小説の中の登場人物としての話ではなく、月江に代表される女性の生き方の話です。

小説としての話で言うと、やはりこの手の話は苦手としか言えません。文章の見事さ、物語の作り方のうまさなど、小説としての出来は素晴らしいのでしょうが、やはり、男と女の物語はよく分からないのです。しばしば出会う、良い本だろうけど、私の読みたい本とはちょっと違う、ということです。

蛇足ながら、作者はあの作家の井上光晴の長女だそうなんですね。全く知りませんでした。でも、文章の美しさ、主人公の心理描写の確かさはやはり血なのか、と思ってしまいます。

佐伯 泰英 神隠し 新・酔いどれ小籐次


本書のあとがきには、まずは読者へのお詫びが書いてあります。その全文は文春:本の話WEB上にも同じ文章が書かれています。

そこには長期中断の理由を「作者の都合」という言葉だけで片付けてありますが、出来れば中断の本当の大人の事情を教えて欲しかった。とは言っても無理な話だろうし、実を言えば、それほど知りたい訳でもありません。要は、読者に面白い物語を届けて欲しい、その一点です。

新シリーズになったのだけれど、別に内容が大きく変わったわけではありません。ただ、物語に数年の経過があり、ほんのちょっと、シリーズの色合いが異なっているようです。

あとがきに「新作『神隠し』は、江戸の知られざる異界をテーマにした。」とあるように、本書では長屋の元差配の新兵衛が忽然と消える、という不可思議なことが起こります。でも、この不可思議な現象を描くことにどんな意味があるのでしょう。少なくとも私にはあまり意味は分かりませんでした。この現象がなくても物語は普通に成立するでしょうし、本書にはそれなりの面白さがあると思います。

また、本書の一大イベントとして駿太郎らがさらわれるのですが、そこの成り行きが良く分からない。何故にあのような手の込んだことをする必要があるのか、たまたまの機会を利用した、とも言えない状況ので、拐しのための舞台設定の必然性がないとしか思えません。この作者のストーリーではあまりこのようなことが無かっただけに、気になります。

この二点が少々気にはなるのですが、従来の小籐次の痛快活劇物語は、今のところその面白さは保たれたままだと感じます。

ともあれ、シリーズは新しくなり、多分、新しい敵も登場した、と思います。できれば、磐根シリーズのようにシリーズの内容が変質してしまわないように願うばかりです。

松井 今朝子 道絶えずば、また


何とも言いようのない、不思議な感じの物語でした。歌舞伎の世界を描いているということで粋筋の物語かと思っていたらそうでもなく、華麗というのも違い、かと言って読みにくいわけでもない、今までにない印象の物語なのです。

江戸中村座の立女形である三代目荻野沢之丞が奈落に落ち、舌を噛んで死んだ。果たして沢之丞は誰かに殺されたのか。北町奉行所の同心薗部理市郎は大道具方の甚兵衛を疑うが、その甚兵衛も首を吊ってしまう。調べが進むうちに、数人の大工が行方不明になっていたり、奇妙なことが続く。ところが、そうした事実はみな谷中の感王寺という名刹に繋がっていくのだった。

本書のタイトルの『道絶えずば、また』は、世阿弥が著した『風姿花伝』という芸術論の書の中にある「道絶えずば、また、天下の時に会うことあるべし」という言葉からとったものだそうです。「たとえ人から見捨てられても、決してあきらめずにひとつの道をずっと歩み続けていれば、再び浮かび上がるときがあるだろう。」というその言葉は、本書のテーマそのものでした。

本書は登場人物が多彩です。物語の進行は決してテンポ良く進むとは言えず、多彩な登場人物の相互関係、立ち位置等が不明で、最初のうちは何となくの読みにくさを感じていました。ましてや舞台は芝居小屋であり、素人にはわかりにくい世界なのでその感じも増幅されています。ただ、本書はシリーズの三作目だということなので、順序良く読んでいればこうした分かりにくさも感じなかったのかもしれません。

作者の松井今朝子という人は歌舞伎評論家としての顔も持ち、種々の歌舞伎入門書の監修もしている程の人なので、歌舞伎の世界の描写は細かなところまで目が届いています。何よりも、役者の心の内を掘り起こして物語の軸に据えているところは余人の許すところではないのでしょう。

とくに本書終盤での兄弟の会話の場面は圧巻です。芸の道に生きる者の心情を示していて、それまでの長い振りはここのためにあったのかと思うほどで見事です。

ただ、エンタメ小説という意味での読み易さという点では、同じ芝居の世界を舞台にしている田牧大和の『濱次お役者双六』シリーズの方が読み易く、文章の小粋さも感じました。ここらは個人の好みに帰着するのかもしれません。

物語の一つの柱ともなるべき謎解きそのものは若干のご都合主義的な匂いを感じないでもないのですが、しかしながら作者は「家族」のあり方を主題としていたらしく、そうしてみれば全体がそれとしてまとまって見えてきます。

先にも述べたように、三部作の夫々を独立して読むことができる、とは言っても、やはり順序立てて読んだ方がよさそうです。他の二冊も読んでみようと思います。

近藤 史恵 寒椿ゆれる―猿若町捕物帳


この作家の作品は始めて読みました。本作品はシリーズ第四作目らしく、登場人物等の説明はありませんので、少々物語世界に入るのに戸惑いました。とはいえ、一つの巻に短編と言うには少々長い連作の短編が三作収められていて、かなり読み易く、面白い作品です。

「猪鍋」 この物語の主人公の同心玉島千蔭が、つわりで食の進まなくなっている継母のお駒を連れていった評判の猪鍋屋「乃の字屋」の女将が変死を遂げる。千蔭らが訪れているときに騒ぎを起こした男を調べると、「乃の字屋」の亭主龍之介が修行に行った先の「山くじら屋」の息子だと言い、「山くじら屋」の亭主を龍之介が殺したのだというのだった。

「清姫」 水木巴之丞が若い女に刺されたという報せが飛び込んできた。幸い深手ではないとのことだが、巴之丞は見知らぬ女だという。巴之丞の住いに事件の様子を聞きに行くと、その帰りに巴之丞の家の様子を伺う若い女がいた。

「寒椿」 金貸しの内藤屋に盗賊が押し入った。ところが、北町奉行所の同心大石新三郎が内通したらしいという。大石のために疑いを晴らそうと動く千蔭だった。

本作、と言うよりも本シリーズは謎ときを中心に据えた物語のようで、夫々の短編で巻き起こる事件を、主人公の同心玉島千蔭が父千次郎や、人気女形の水木巴之丞、花魁の梅が枝などの手助けを得ながら解決していく人情時代小説のようです。とは言っても、他の時代小説と同様に謎解きそのものは軽く流れていきます。

どうも視点が普通の三人称ではなく、千蔭の小者である八十吉の視点のようだ、などと考えていたら、始めの方に、「めでたいことは、ひとりではやってこない。たいてい、気がかりの種を一緒に連れて来る。」との文章があり、それまでの文章の運びもあって、うまい導入だと、一気に物語に入り込みました。

読了後、何となく違和感を感じていたところ、何かと参考にさせてもらっている「時代小説SHOW おすすめ時代小説ガイド」に、奉行所と猿若町、吉原以外は舞台を巧みにぼかしていて、芝居のように物語の独自の世界を構築している、との指摘がありました。

言われて初めて、街並みや自然の移り変わりなどの舞台背景の描写が少ないことに気づきました。こうした手法は、下手をすると物語の奥行きが無くなり、平板な印象を受けることになりかねないと思うのですが、本書の場合はそうしたことは杞憂に過ぎないようです。

本書では「おろく」と言う女性が全編を通して登場し、夫々の話で事件の解決に尽力します。このおろくは主人公玉島千蔭のお見合いの相手として登場するのですが、この女性が独自のキャラクター付けをされていて、見事です。このシリーズでは各巻毎に異なる女性が千蔭の花嫁候補として登場しているらしく、本書ではそれがおろくという女性であるようです。

登場人物のキャラクタ設定もなかなかに面白く、シリーズの最初から読んでみようと思います。

高嶋 哲夫 ジェミニの方舟


自然を相手にしたパニック小説です。この著者の『M8』『TSUNAMI』という作品とあわせてパニック小説三部作があり、本書はその三冊目だそうです。

東京の荒川領域は、「街は川の流れよりも低い位置に広がってい」て、堤防が決壊すればひとたまりもなく壊滅するだろう海抜ゼロメートル地帯である。静岡県牧之原の「日本防災研究センター」に出向している東都大学理工学部地球物理学科の講師・玉城孝彦は気象を専門とし、スーパーコンピュータを使っての台風の発生メカニズム等の研究をしているが、そのシミュレーションは超巨大台風の襲来を描き出した。数日後、中心気圧が820ヘクトパスカルを下回り、最大瞬間風速は80メートルを超えるという超巨大台風が首都東京に襲いかかる。

エンターテインメント小説としては一級の面白さを持った小説です。台風が次第に巨大化していく様を描く前半は次第に不気味さが広がっていきます。20年ほど前にあの19号台風の直撃を受けた身としては、いやでもその時のことを思い出してしまいました。

後半は実際に超巨大台風に直面した時の行政の動きを描きつつ、主人公家族のありようを追い掛けています。

本書はパニック小説です。決してシミュレーション小説とは言えないと思います。危機に際しての行政の対応を追い掛けてはあるのですが、そこに重点があるのではなく、あくまで主人公やその妻、子らの動きがメインです。

台風の脅威を背景に、主人公家族の戸惑いを中心に人間の自然の脅威に対する対応を描いていて、パニック小説としての面白さが十二分に展開されています。国や東京都という行政の活動の描写が二次的であるのが功を奏していると感じました。

勿論、小説の宿命として、特に台風の規模などはデフォルメされている部分もあるでしょう。しかし、現実に福島原発での惨事を経験している現在では、その誇張も決して誇張とは思えないところが怖いです。自然の前では「何が起こるか分からない」という主人公の言葉が重く感じられます。

初めてこの作者の作品を読んだ、と思っていたら、あの映画化された『ミッドナイト・イーグル』の作者でした。まだ、原作本は未読ですが、本書を読む限りは変に専門的な言葉をちりばめるでもなく、読み易い文章で、一気に最後まで読んでしまいました。他の作品も読んでみたいと思わされる作家さんでした。

佐伯 泰英 居眠り磐音江戸双紙(47) 失意ノ方


本シリーズも最早47巻目です。最終巻に向けてこれまでに設けてきた色々な設定をまとめに入っているというところでしょうか。前巻で佐野善左衛門政言の田沼意知殺害事件という結構大きな事件の裏側をシリーズに絡めて描いた後を受けて、本書は息抜きと言いますか、一息ついた巻と言えます。

佐野善左衛門の事件を処理するためにかつての仲間を殺さざるを得なかった松浦弥助のそれからを描きつつ、山形で窮地に陥っている奈緒への救済の手を差し伸べています。また絵師の北尾重政をふたたび登場させ、更に本書での戦いの相手として鹿島神陰流卜部派を名乗る卜部沐太郎忠道という老人一味を設定し、物語の趣向を高めています。

まずは、次の巻に向けての舞台設定と言うところでしょうか。少々大仰な台詞回しが気になるところではありますが、それこそ二時間強で読み終えることができる程に読み易く、面白い物語ではありました。

田牧 大和 質草破り 濱次お役者双六 二ます目


「濱次お役者双六」シリーズの二作目です。本シリーズでもまた一作目よりも面白く感じました。この作者の他のシリーズでも同様に、読み手の期待を裏切らない、と思っているのですから、この作者の作品ははよほど私の波長に合うと思われます。

本作ではまず江戸の質屋のトリビアが示されます。それは、巻頭の「質草」についての一文での、江戸の質屋は現代の質屋と異なり、質流れ品の売却ということをせずに利子が収入源であり、代わりに質草も客の心意気や体面に関わるものが一般的だった、というものです。無形のものも質草にとっていたということですね。

本書の始めの方に、大工が質入れした月代(さかやき)をめぐる揉め事の場面が出て来ます。月代を質入れすると月代を剃れません。つまりは見てくれの悪さの「恥ずかしさ、ばつの悪さ」と引き換えに金を貸し、客は受け出そうとする、ということなのです。この場面で月代を剃ることが本書のタイトルである「質草破り」です。

さて、本書は濱次がそれまで住んでいた長屋を追いだされ、新しい住まいに移るところから始まります。新居となる長屋の家主が「竹屋」という質屋です。この質屋で、先の大工の月代の一件があったのですが、この質屋の女主人が美人だけども男勝りのおるいであり、話の中心となる人物です。この長屋、通り名を「烏鷺入長屋」と言います。「烏鷺(うろ)」とは碁石のことで、碁石を入れる入れ物は碁笥(ごけ)であり、転じて後家さんが暮らす長屋だというのです。

この「竹屋」に訳ありの三味線弾きが「掛け声」を質に入れることになるのですが、これが騒動を巻き起こします。そこには、前作でも狂言回し的な存在であった奥役の清助が再び絡んできて、同時に濱次が演じる筈の舞台の配役へも飛び火することになります。

この物語全体が濱次の独白を織り込みながら、調子のいい会話もあり、テンポよく進みます。物語の舞台が芝居小屋だけに全体として実に粋な雰囲気が漂っていて、うまい作者だとあらためて思わせられる仕上がりです。濱次の師匠の有島仙雀や森田座の座元である森田勘弥らも当然のことながら登場し、相変わらずのんびりと見える濱次の振る舞いにやきもきさせられているのです。

葉室麟や青山文平といった、「武士」を正面から見つめ、”生きる”ということを考えさせられながらも、清新な感動をもたらしてくれる作品も素晴らしいのですが、本書のように軽妙でいて、なお且つ読み応えのある人情ものも、たまらない面白さがあります。こうした作品が増えてきているのは、読書好きにとっては嬉しいことです。

中二階の女形である濱次の今後の活躍を楽しみにしながら、早速に次の作品を読みたいと思いますし、他のシリーズも読んでみましょう。

宇江佐 真理 昨日のまこと、今日のうそ 髪結い伊三次捕物余話


「共に見る夢」、「指のささくれ」、「昨日のまこと、今日のうそ」、「花紺青(はなこんじょう)」、「空蝉(からせみ)」、「汝、言うなかれ」の六編の連作短編集です。

相変わらず、この作者の名調子が心地よい作品です。シリーズも13巻目ともなると、シリーズ当初の伊三次とお文の二人だけの雰囲気はほとんどなく、代わりにその子供達が主役となって物語は進んでいきます。と言っても、伊三次やお文、それに不破友之進といった面々も引退したわけではなく、勿論重要な登場人物としてそれなりの活躍を見せてくれています。ただ、前巻でもそうだったのですが、お文の影が少々薄いかな、という気はします。

「共に見る夢」は不破友之進・龍之進親子の物語です。龍之進ときい夫婦の間にに子が生まれますが、友之進の同僚の岩瀬からの祝儀が届きません。捕物のことで岩瀬と話しているうちに、それは岩瀬の奥方が病で伏せているためであることを知ります。友之進は夫婦のあり方に想いを馳せ、いなみと共に伊勢参りに行くことを思うのです。

「指のささくれ」は伊三次の髪結いの弟子である九兵衛の物語。九兵衛は大店である魚佐の娘のおてんとの祝言のことで悩み続けでいます。男としての矜持や気になる娘の存在など、若者の心の揺らぎが描かれます。

「昨日のまこと、今日のうそ」は、友之進の長女で蝦夷松前藩江戸下屋敷に別式女として奉公している茜の物語です。松前藩嫡男である松前良昌の茜に寄せる想いをいなしつつ、良昌の病への思いやりとの間で悩む茜の心が、その重さに揺れるのです。

「花紺青(はなこんじょう)」は、伊三次の息子で歌川豊光のもとで絵師の修業を続けている伊与太の話です。なかなかに一人前になれない伊与太は葛飾北斎のもとを訪ね、自分の腕の未熟さや嫉妬心などを思い知らされるのです。

「空蝉(からせみ)」は、不破龍之進と緑川鉈五郎は、内与力の山中寛左から内密の調査を命じられます。奉行所内で押し込みと通じているものがいるというのですが、龍之進は同輩を疑いきれません。そうした中、父友之進も同様の密命を受けていることを知り、何か不審なものを感じるのです。

「汝、言うなかれ」は、柳町の漬物屋の村田屋を舞台にした、視点を変えたスピンオフの物語のような匂いのする作品です。青物問屋八百金の主である金助が殺されます。村田屋の女将のおとよは、かつて信兵衛から聞いた打ち明け話を思い出し、信兵衛に対しほんの少しの疑いを抱きます。その疑いはやがて伊三次の知る所となり・・・。

やはりこの作者の物語は心地よいですね。読んでいるときも、その後も、時間がゆるやかに流れるような感じがします。丁寧な情景の描写と共に登場人物の心情が思いやられ、近頃では親としての伊三次とお文、不破友之進といなみらの心根を、やはり親としての自分と重ね合わせたりしています。

このシリーズがいつまで続くのか判りませんが、終わってほしくないと心から思うシリーズの一つです。

辻堂 魁 帰り船 風の市兵衛


残念ながら、巻を追うごとに主人公の魅力が薄れていくような印象を受けました。とはいえ、軽く読めてなお且つ面白い、という小説であることには間違いはありません。

渡り用人唐木市兵衛の今回の雇われ先は日本橋小網町の醤油酢問屋「広国屋」です。この店の責任者である頭取たちが、主人をないがしろにして店の経営を私しているらしいというのです。そこで、兄の公儀十人目付筆頭である片岡信正から市兵衛に話がまわってきます。調べていくと、古河藩の用人と結託して抜け荷を企んでいる様子がうかがえるのでした。

本書は唐木市兵衛の用人としての魅力はそれ程ありません。かわりに剣の使い手としての唐木市兵衛が大活躍をするのですが、反面、本書の最大の魅力である”経済面からみた時代小説”としての色合いが薄れています。極端を言えば、本書の筋書きならば他の剣豪小説であっても、例えば用心棒としての唐木市兵衛であっても十分成立すると思えるのです。

冒頭で「主人公の魅力が薄れて・・・」と書いたのはそういう意味です。せっかく「渡り用人」という独特なキャラで経済の面から江戸の市井を描くという特色を出しているのにもったいないと思いました。

でも、アクション面を重視する人であれば本書は十分にその期待にこたえてくれるのではないでしょうか。唐木市兵衛の「風の剣」での立ち回りを十分に堪能させてくれます。

今回も第一話から登場している異国の剣の使い手である「青」が登場します。この青がたまたま敵役となる古河藩の用人のもとに拾われているという設定なのですが、この作者にしては少々安易な設定ではないかと思わせられます。シリーズを通しての敵役を登場させる方途として仕方がないのかもしれませんが、この作者ならもう少し自然な展開を考えつけるのではないかと思うのです。

「渡り用人」としての見せ場、つまりは江戸の経済の側面に焦点を当てて物語を紡ぎだすというのは、素人考えでも相当に難しいと思います。でも、だからこそ新しい視点での時代小説を期待したいと思います。またそんな我がままな読者の期待にこたえるだけの力を持った作者だと思うのです。

今のところこの作者の作品は「風の市兵衛」シリーズしか読んでいません。そろそろ違うシリーズも読んでみようかと思います。

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Author:siro
このブログの本棟として本の紹介のサイトを開いています。
(こちらです⇒読んだ屋
本ブログを別棟として位置付けて、読んだ本を記録していこうと思い立ちました。ここでの文章を母屋であるそのサイトに転記していくつもりです。

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