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中島 らも ガダラの豚




ネットで面白い大エンターテイメント作品として紹介してあったので読んでみたものです。結論から先に言うと、若干の期待外れではありました。紹介されていた文章が、これまで読んだ作品の中でベストの作品というような書き方をされていたので、かなりの期待値を持って読んだ、というのも事実であり、ハードルを高くして読んだこともあったかと思われます。

民族学学者である大生部多一郎は、八年前の家族を伴ったフィールドワーク時に一人娘の志織を失っていた。そのため妻の逸美は新興宗教にのめり込んでしまうが、助手の道満らの力を借り、何とか助けだす。その後、テレビ局の支援を受けた大生部は再度ケニアへ乗り込むことになる。クミナタトゥという呪術師の村に落ち着いた一行を迎えたのは、村人から恐れられているバキリという呪術師だった。一行は多くの犠牲を出しながらもこのバキリと正面から戦い、何とか舞台を東京へと移すことになるのだった。

単行本で598頁、文庫本では三分冊(全940頁)にもなる大長編小説で、確かに面白い物語とは言えるでしょう。

超能力や呪術という超自然的な能力と、それらはマジックでも説明がつくという手品師との対立の場面は、ネタばらしてき興味も含めて面白いものです。

でもこれらの話はフリであって、大生部たちがアフリカにわたってからが本書の話が始まります。そのフリが第一部であり、新興宗教家が見せる奇跡により普通の主婦が取り込まれていく様を描き、その実態を暴くことで終わります。不可思議現象の裏を見せ、その陳腐さ、下劣さを暴きだすのです。

そして本書の本当の物語が第二部から始まり、ケニアを舞台にして展開します。ここで作者はそうした不可思議さを否定することなく、呪術というものは生活の中に根差した、決して否定できないものだと言います。そして、その言葉は、言霊の持つ力として、否定できない説得力を持つのです。物語は生活に根差した呪術とではなく、邪悪な力を持つ呪術師としてのバキリとの対決に至ります。

第三部は日本のテレビ局を舞台に、物語は一気にアクション性を帯び、荒唐無稽な展開になります。そして、多くの死者を出したこの物語はおわります。

本書の奇術や民俗学についての記述はそれだけでも面白く読みました。一方、主人公の大生部多一郎は著者自身を投影してもいるようで、事実アルコール中毒の描写は真に迫っています。

ただ、この物語にこれだけの長さは必要なのかという疑問は常に付きまとっていました。内容に比して少々長すぎるきらいは否めないのです。もう少し簡潔にまとめることは可能な物語ではあると思います。

「まじりけなしの大エンターテイメント」作品と言えるかは疑問があり、また少々長すぎる感じはあるものの、面白く読んだ、というのもまた事実です。ネットで本書名で検索すると分かりますが、この本の面白さを称賛する言葉で溢れています。だから面白いという訳では勿論なく、生命のエネルギーに満ち溢れた小説であることまで否定するものではありません。

ただ、この著者の他の作品を読むかというと、多分読まないと思います。「面白い」と思う基準は人それぞれなのだと思わされる一冊でした。

蛇足ながら、タイトルの「ガダラの豚」というタイトルは、マタイによる福音書にある逸話のことで、悪魔つきの話のようです。ただ、この逸話の意味するところはよく分かりませんでした。

逢坂 剛 銀弾の森 禿鷹3


禿鷹シリーズの三作目です。シリーズ第一作目の「禿鷹の森」のインパクトが強すぎました。第二作目ではバイオレンス性を強めることで何とかその衝撃を維持していたと思えたのですが、本作では少々高めになったハードルをクリアするとはいきませんでした。

冒頭、ハゲタカこと禿富刑事は、当面の敵マスダに対抗するために渋六興業と対立しつつも共同戦線を張っていた敷島組の若頭の諸橋をマスダのアジトへと連れていき、諸橋の身柄をそのまま預けてしまう。あらためてマスダとの共闘を持ちかけるマスダの幹部だったが、筋を通す諸橋はそれに応じようとはしないのだった。

本作品では、禿富刑事、渋六興業、マスダという三者に加え、敷島組の今後についての思惑もあり、その対立が緊張感を持って描かれています。

しかし、禿富刑事の行動の意味がよく分からないのです。作者が本人の内心を描写しない上に、登場人物も禿富刑事の行動の意味が分からないと言っているのですから、読者も当然分かりません。作者は、禿富刑事本人の言葉で、諸橋の女である真理子を手に入れるためだと言わせていますが、それすらも本心かどうかは分かりません。

本来であれば、主人公の内面をあいまいにしていることも、作品としての舞台、雰囲気を形作るうえでの大切な要素になると思われます。

しかし、本作品の場合、逢坂剛という作家にしては珍しく(と言い切っていいのでしょう)、ストーリーがあいまいに感じられるのです。強烈なキャラクターを持つ主人公の魅力で成り立つシリーズだけに、もう少し禿富刑事の行動の意味をはっきりとさせて欲しく感じました。

もしかしたら、本作品はシリーズの中の一冊ですから、シリーズが進めば隠された意味が明確になるのかもしれませんが、それでも本作品は作品として評価されるので、少々残念です。

今後の展開を期待しましょう。

笹本 稜平 尾根を渡る風 駐在刑事


「山岳+警察」小説、というのが惹句にあった文句ですが、どちらかというと『春を背負って』に近い、ミステリーというよりは、人間ドラマメインの連作短編集です。

主人公の江波淳史は、自らの犯した失態のために警視庁捜査一課の刑事という職責を離れ、青梅警察署水根駐在所所長として勤務することになった。自然に囲まれ、山を歩くことで自分を見つめ直す江波は、図らずも持ち込まれる事件をとおして、人間を知り、成長していくのだった。

「花曇りの朝」  世話になっている池原旅館の一人息子池原孝夫が山で行方不明になった犬を探してほしいという。山歩きを兼ねて御前山に登ると、使用を禁じられているトラバサミが仕掛けてあった。その罠が大事件への糸口だったのだ。

「仙人の消息」  池原旅館の主之池原健市がやってきて、皆から仙人と呼ばれている田村幸助という男の姿が見えないという。江波が田村の家に電話をかけて見ると不審な男がでて、職権乱用で告訴すると脅してくるのだった。

「冬の序章」  山に初雪が降ったある日、登山道の点検を兼ねて孝夫と共に山に登ろうとすると、近隣のスーパーの看板娘の真紀が、気になる男女の二人組を見たという。実際登ってみると、トオノクボという広場の近くの斜面で遭難者を見つけるのだった。

「尾根を渡る風」  奥多摩が新緑の季節を迎える頃、トレイルランニングの練習をしている江波は、司書をしている内田遼子からストーカーらしき人物がいるという相談を受けた。調べると、どうも図書館に来た人物に似ているらしいのだが、その人物がトレランの練習中にも表れた。

「十年後のメール」  10年ほど前に山で行方不明になった息子から父のパソコンに、写真が添付されたメールが届いたという。その内容は「助けて」というものだった。

ネット上にあった著者の言葉を読むと、「山里の人々との心の触れ合いを通じて成長する主人公」の物語を通じて、「どんなに荒んだ人の心でも必ずその奥底に眠っているはずの善とでもいったもの」を描きたかったのだそうです。

それぞれの物語が、四季折々の顔を見せる奥秩父の山を舞台に展開されます。やっと、町にもなじみ、自分を取り戻しつつある主人公江波と、いつも江波と共にいる雑種犬のプール、それに主人公の方が世話になってしまった感がある池原孝夫、江波と同じくバツ一の司書遼子、それに江波のかつての同僚だった青梅警察署の刑事課強行犯係係長の南村陽平といった面々が脇を固めていて、それなりに読みごたえのある物語でした。

実は本作はシリーズの二作目だそうです。読み終えて初めて知りました。一作目は『駐在刑事』というタイトルで、寺島進を江波敦史役としてドラマ化されているそうです。ちょっとイメージが違うかな、という感じもしますが、ドラマは見ていないので何とも言えません。

本作などを読んでみると、やはり笹本稜平という作家は山が舞台の作品が良いと思います。越境捜査シリーズなどを思うと、どうしても山岳小説の面白さと比べてしまうのです。本作品などは両方のいいところを取り入れているような作品です。もしかしたら、個人的に山の匂いのする物語が好きなのかもしれませんが。

黒川 博行 螻蛄(けら) - シリーズ疫病神


ヤクザの桑原と建設コンサルタントの二宮とが活躍する「疫病神」シリーズの4作目です。桑原は変わらずに金の匂いを嗅ぎつけるとどこまでも喰らいついて行こうとするし、二宮は桑原に振り回され続けています。今回桑原が目をつけたのは、宗教界です。シリーズの他の作品も長めなのですが、本書も文庫本で746頁という長編です。しかし、その長さをほとんど感じさせないほどに引き込まれてしまいました。

巨大宗教の伝法宗本山から、宗派宝物の絵巻物『懐海聖人絵伝』三巻が就教寺に貸し出された。就教寺住職の木場は、その絵伝をもとにひと儲けを企んだが果たせず、二千万円の手形だけが桑原の手元にまわって来る。金の匂いを嗅ぎつけた桑原は、就教寺の檀家である二宮を手伝いにひと儲けを企むが、東京のヤクザをも巻き込む騒動となるのだった。

相変わらず、敵対するヤクザグループに捉えられ、顔が人前には出れないほどにまで殴られる二宮であり、ぼこぼこにされるのは捕まる方が悪いととぼける桑原です。そのくせ、桑原が殺されるかもしれないとなると、自らの命の危険もかえりみず救出に向かう二宮がいるのも変わりません。

そう言う意味では、このシリーズも寅さんの映画のようにパターン化しているのもしれませんが、そのパターンはこの二人の掛け合いが同じというだけで、物語自体はそれぞれに全く異なります。そして、その異なる物語の舞台背景、一作目の『疫病神』は産業廃棄物処理事業にまつわる利権、二作目の『国境』では北朝鮮を舞台にした追跡劇、未読の三作目『暗礁』は「宅配業者と警察の癒着に絡む裏金」ですが、その調査力というのか、取材力といっていいのか分かりませんが、リアリティがあるのです。

ですから、二人のコミカルな掛け合いに引き込まれていても、物語としてきちんと成立しているので、読んでいて違和感を感じずに、引き込まれていくのだと思います。

また、今回は桑原の兄貴分である、二蝶会の若頭である嶋田が少しですが前面に出て来ます。この嶋田の、敵対するヤクザとの駆け引きがまた迫力があります。本書は桑原という極道を主人公にしている点でピカレスク小説の一面もあるのでしょうが、桑原の迫力もさることながら、嶋田のような男がもう少し活躍する場面も読んでみたいと思いました。

決してヤクザ礼賛になってはいけないとは思うのですが、東映映画で健さんや文太に、また尾崎士郎が描いた『人生劇場』の飛車角に魅せられたように、誰しも負の側面に惹かれる一面があるのでしょう。

この作家の他のシリーズを読んでいないので、違う色の作品も読んでみたいものです。

蛇足ながら、本シリーズは私の好きな役者の北村一輝が桑原を演じ、衛星放送スカパーでドラマ化されるそうです。DVD化もされるそうなので、是非見たいとおもいます。

今野 敏 捜査組曲


「組曲」とは「いくつかの楽曲を連続して演奏するように組み合わせ並べたもの。」と、ウィキペディアに書いてありました。同じような組み合わの楽曲であっても、切り離せば作品単体として成立しない「メドレー」と違い、単体として成立している作品を、組合せの結果、全体としても一つの作品となるようなものをいうそうです。

本書は「カデンツア」「ラプソディー」・・・と、各タイトルを音楽用語にした物語からなっていて、そのタイトルになぞらえた物語が繰り広げられています。これらの楽曲がまとまり、全体として一つの物語、つまりは東京湾臨海署安積班の物語となっているということでしょう。

各短編は、音楽関連のタイトルに擬せられた展開を見せるのですが、話の視点はそれぞれに異なっています。例えば、第三話の「オブリガード」は、安積剛志をライバル視している、強行犯第二係長の相楽の、第四話「セレナーデ」は安積班の新人刑事の水野の、第五話「コーダ」では安積班の黒木啓二の視点でというように、異なった視点で描かれているのです。

また、視点の変化は、おなじみのメンバーの仕事の紹介も兼ねています。「シンフォニー」では鑑識係の石倉の、「ディスコード」では組織犯罪対策課長の榊原肇の視点であり、鑑識や刑事課長の仕事内容を反映した物語となっています。

つまりは、東京湾臨海署という組織は、署長、副署長がいて、強行犯係、知能犯係、鑑識係などを抱える刑事課や水上安全課などの各部署があって、安積の属する強行犯係もその組織の中にあります。これらの各部署の共同作業によって東京湾臨海署は構成されており、動いて行くのだということをも示しているようです。

とは言いながら、それぞれの物語は、いつものことながらとても読み易い文体で、リズムよく読み進めることができます。謎解きをメインするミステリー小説としてみると、出来が良いのかどうかは分かりませんが、ミステリーとして読む人もそれほどいないでしょう。

どことなく、別の人気シリーズである隠蔽捜査シリーズの主人公竜崎伸也と通じるものを感じる、安積警部補を中心としたメンバーの活躍は、私の好みに合致した、読んでいて非常に心地よい作品となっています。

松井 今朝子 吉原手引草


この作品はなかなかの読みごたえのある作品でした。

一人の男が、吉原の中である事件について聞き取り調査をしています。章毎に聞き取りの相手が変わり、その章は聞き取り相手の言葉で語られます。

この物語は構成からして面白いのです。最初の章は、読者には物語そのもののテーマすら知らせないまま、吉原の引き手茶屋の内儀の話から始まります。そこでは、まず吉原の町並みの説明から、吉原で遊ぶ際の手順、しきたり等が語られ、最後に葛城花魁のことを聞くところで追い出されるのです。

次いで、大籬(おおまがき)の舞鶴屋の見世番寅吉の話です。大籬とは妓楼の中でも大手の見世のことで、花魁道中を行うような花魁を抱える見世を言うそうです。ここでは具体的に見世に上がってからのしきたりなどが語られ、最後に葛城花魁のことを尋ねて終わります。

このように、舞鶴屋の番頭、舞鶴屋抱え番頭新造などと、次から次にと聞き取りの相手が変わっていき、葛城花魁の起こした事件とは何かが、次第に明かされていきます。同時に、吉原とはどういうものなのか、時代小説で見聞きする吉原という存在の説明に引き込まれている自分がいるのです。作者の博識多才ぶりがよく分かります。

この作品は、吉原を舞台にしたミステリーなのですが、その謎は何なのか、その謎はどうやって実行されたのか、聞き取りをしている人物は誰なのか、など読み手は吉原の情報と共に、この謎に満ちた物語に引き込まれていきます。

更には、物語の中の語り手も、吉原は虚実ない交ぜた駆け引きの世界であり、その駆け引きこそが面白い、と言い切ります。そして、これまでの語り手の話同士の矛盾に対しても、嘘で成り立つ吉原の言葉を信じたらだめだというのです。

そして、最後の章「詭弁 弄弁 嘘も方便」の章では全ての種明かしが為されます。ミステリーとしてこうした手法が評価されるのかどうかは私には分かりませんが、久しぶりに「意外性」という意味でも面白い小説に出会ったと思わせられました。

吉原についての情報と同時に、それをミステリーとして仕上げたその手法には、ただ感じいるばかりでした。などと感心していたら、第一三七回直木賞を受賞した作品でした。

福田 和代 迎撃せよ


これまで読んだ2作品よりは面白く読めた、というところでしょうか。でも、やはり場面設定の荒さは否めませんでした。

航空自衛隊岐阜基地からミサイル4発を搭載した戦闘機が盗まれ、一発が富士の樹海に打ち込まれた。日本の都市にミサイルを撃ち込むというテロリスト。そのテロリストからの犯行声明に予告された攻撃だった。ミサイル防衛統合任務部隊に所属する安将文一等空尉は、自分の恩師で、かつての上官でもある、加賀山一郎元一等空佐の犯行への加担を疑い、加賀山を探し始めるのだった。

まずは、自衛隊の航空基地から現役の戦闘機、それもミサイルを装備した戦闘機を盗み出す行為が、あまりにも簡単に過ぎます。この小説のねらい所からすれば、戦闘機の奪取行為そのものは枝葉なことかもしれませんが、この行為がテロリストの作戦の大前提になっているのですから、もう少し丁寧に、読み手を納得させるだけの理由づけをしてほしく思いました。

更に言えば、加賀山らの犯行動機も今一つ説得力に欠けます。加賀山自身も愛している日本という国にミサイルを撃ち込もうとするのですから、読者を十分に納得くさせるだけの理由を明示してくれないと、この物語に感情移入できないのです。

残念ながら、以上のような疑問点は他にも少なからず見受けられます。ましてや、この手の、北の国のテロリストという設定や、自衛隊員の愛国心から起こすクーデターもどきの話は一つのパターンとして有るのですし、読み手も、それなりのものを期待して読みますから、ハードルはかなり高くなると思います。

結局、本書では中心となるのはどの人物なのかも明確でないまま、作者の最も言いたいことがあいまいになって終わったような気がします。

残念ながら、『特殊警備隊ブラックホーク』『ハイ・アラート』そして本書と、これまで読んだ三冊が皆、似たような印象であるということは、私の好みとは一致しない作家さんだと思ってもよさそうでしょう。

朱川 湊人 月蝕楽園


様々な愛の形を描いた、「みつばち心中」「噛む金魚」「夢見た蜥蜴」「眠れない猿」「孔雀墜落」の5つの短編からなる小説集です。本の帯には「直木賞作家が描く究極の愛。至上の恋愛小説集。」とありました。しかし、普通の恋愛小説だと思うと、裏切られます。

「みつばち心中」 とある会社のお局様の立場にいる女性が、同僚女性の指に恋をしてしまうお話。単なるフェティシズムと言ってしまえばそれまでなのですが、そう単純には終わらないのがこの作家の魅力だと思います。この短編は、若干のホラーの雰囲気を漂わせており、その結末のオチも含め、本書の中では一番の好みでした。

「噛む金魚」 歯科医の妻である主人公は、「他の女性よりも多くのものを持っている自分が、肝心のものを持っていない」ことは、女として欠けているのではないかと考え、ある行動に出るのですが・・・。

「夢見た蜥蜴」 この作品集の中では一番ホラー小説らしいホラーです。少々グロテスクではありますが、物語としては意外性もあって、引き込まれました。

「眠れない猿」 自分に自信をもてない男と、その恋人。そしてその恋人の過去を知る男達の物語。自分の容姿にコンプレックスを持つ男の意外な行動は、私の好みからは外れた物語でした。

「孔雀墜落」 性同一性障害に苦しむ一人の男の苦悩を、その姉の視点で描き出す物語です。

以前読んだ『かたみ歌』『銀河に口笛』は、共にこの作家の特徴として言われる、ノスタルジー感溢れる物語でした。特に『かたみ歌』はノスタルジックホラーそのものであり、本書も含め私が読んだ作品の中では一番好きな作品です。しかし、本書はホラーではあるものの、ノスタルジー感は無く、その雰囲気を期待する読者にはかなり期待外れになるでしょう。

作者は本作品についてのインタビューの中で、「ボタンを掛け違った中でも何とか幸せを探す人の愛情の形を全否定するのも酷だと思う。その不寛容さが人間から切ない感情すら奪ってるように僕には思えて、せめて自分の小説では来世でもいいから、彼らなりの幸せや居場所を書いておきたかったんです」と述べています。

本書を読みながら、作者はどういう理由でこれらの物語を書いたのか、がとても気になっていましたが、上記にその答えがあった訳です。でも、本書の各作品が、本当に「ボタンを掛け違っ」てしまった人達の居場所を作ることになるのか、よく分かりませんでした。

1、2の作品を除いては、決して私の好みの物語ではありません。やはりこの作家は『かたみ歌』の、どことなく感傷が入っているあの世界観の物語がいい、と思い、そうした作品を読みたいと思ってしまいました。

隆 慶一郎 かくれさと苦界行


残念ながら本作品は、前作で感じた程のインパクトはありませんでした。冒頭での荒木又衛門の登場及び人物紹介の部分と、終盤の荒木又衛門との対決の場面だけで十分だと思ってしまったのです。

前作で松永誠一郎に片腕を切り落とされた柳生義仙は、御屋形さまと呼ばれる荒木又衛門の手によって、更に剣の腕を上げていた。また、幕閣でただ一人『神君御免状』なるものの存在を知る老中酒井忠清は、柳生義仙を使い、何としても『神君御免状』を手に入れようと画策するのだった。

何よりも、前作での吉原の成り立ちにまつわるインパクトが、本書では当然のことながら有りません。それは、荒木又衛門の登場を除けば、物語自体が通常の伝奇小説のレベルで展開されていることになり、特別な優位性を持たないことを意味します。

すなわち、本作品は普通ならば十二分に面白い小説の筈ですが、前作の存在が続編に対するハードルを上げるだけ上げているために、普通の小説としての評価は許されずに、全作同様の衝撃のある冒頭部分と終盤の部分だけで足ると思ってしまったのだと思われます。

本来であれば、宿敵の柳生義仙との戦いや、松永誠一郎の様々な懊悩、そして成長など、十分に楽しませてくれた作品なのですから、前作同様に素晴らしい作品だと評価してもいいはずです。

しかし、私の続編への期待値は高く、一作目ほどの面白さを感じなかったようです。と同時に、その喪失感は、前作の感想にも書かなかった若干の不満点である、全編に漂う説教臭を浮かび上がらせたように思うのです。

とはいえ、誠一郎と幻斎との親子のような会話や、又衛門との交流など心を打つ場面は多数あります。本作も一級の伝奇時代小説であることは間違いありません。

樋口 毅宏 さらば雑司ケ谷


先日、何となくネットを見ていたら、日本のクエンティン・タランティーノという紹介文があり、その作家が樋口毅宏という人でした。タランティーノと言われたら読むしかなく、早速図書館で借りてきて、他に未読の本が山積みしてあるのに、本書を読み始めた次第です。

池袋の東南、というよりも、山手線の内側、目白駅の西にある町「雑司ヶ谷」。そこは、早稲田大学からのほど近く、学習院大学のすぐ東側、日本女子大目白キャンパスのすぐ北にある町です。40年前の学生時代、私はこの町の近くには住んでいたのですが、実際に行ったことはありませんでした。

その町が、新宿や渋谷、池袋といった街よりも危険な町で、池袋を根城にするヤクザ達も決して足を踏み入れようとはしない町だというのです。その町を支配するのが、新興宗教の教祖であり、主人公大河内太郎の祖母でもある大河内泰でした。

とある事情から中国に渡っていた大河内太郎は、5年ぶりに雑司ケ谷に帰ってきた。ところが、親友の京介は既に死んでおり、代わりに、京介から耳を引き裂かれた芳一がこの町のワルを束ねているのだった。太郎は、大河内泰から豪雨により5人が死亡した事故の裏を探るように命令される。そのうちに、太郎の中国行きの原因を作った男でもある芳一と対決することになるのだった。

「エロスとバイオレンスが炸裂し、タランティーノを彷彿とさせる引用に満ちた21世紀最強の問題作」。これは、本書の文庫版の裏表紙にも書いてる惹句の一部です。「21世紀最強」かどうかは判りませんが、「エロスとバイオレンスが炸裂」しているのは間違いありません。それも、ストーリーそのものは奇想天外と言うほかなく、その文体と言いますか、言葉の選択も含め、独特に過ぎるのです。

本書(文庫版)の巻末に、「この小説は文中に表記した以外にも、以下の人物と作品へのオマージュ、霊感、意匠、影響、引用、パスティーシュで構成しているところがあります。」として、あとがきの町山智浩氏によれば「約60余」ものネタ元を挙げてあります。

残念ながら、私はその一割も判りませんでした。タランティーノも好きで殆どの映画は見ているつもりなのですが、私が映画の内容を覚えていないこともあって、特定の場面など分かる筈もありません。

でも、『人間交差点』『グラップラー刃牙』『北斗の拳』といったコミックや、あの『笑っていいとも』などもネタ元になっているのです。特にタモリが語った、テレフォンショッキングに歌手の小沢健二が来たときの「小沢健二論」を取り上げているところはインパクトが強かったようで、この著者の手で、別途『タモリ論』という作品が出版されているほどです。

「猥雑」という言葉がぴったりとくるような、漫画チックとしか言いようがない作品です。人によっては下品としか捉えられないと思います。個人的には少々遊びが過ぎるという印象が強く、もう少し、ストーリー性を重視してあれば、と思ってしまいました。

この作品を読んでタランティーノを彷彿とさせるかどうかはよく分かりませんが、恐る恐る手を出して、若干の火傷を負ってしまった、というところでしょうか。こういう作品には手を出さなければ、何も問題は無いのです。と言いつつ、続編を借りてこようとする自分がいます。

逢坂 剛 無防備都市 禿鷹の夜II

前作よりも、更にバイオレンス度が増していると感じる作品でした。勿論、禿富刑事、通称「ハゲタカ」のワルぶりは健在です。

元敷島組の組員だった宇和島博は、渋六興業の縄張りにある小さなバー「みはる」からみかじめ料を取ろうとしていた。そこに現れた禿富刑事は、宇和島を叩きのめしてしまう。現在の宇和島は、渋谷への進出を図る南米マフィアのマフィア・スダメリカナ、通称マスダの傘下に入っており、渋六興業の縄張りの乗っ取りを図っていた。

本作でのハゲタカの直接の相手となるのは、渋六興業の排除を図る南米マフィアのマスダの幹部となっている宇和島と、マスダの殺し屋王展明です。執拗な宇和島は、何処までもハゲタカや渋六興業の隙を狙い続けます。

一方でハゲタカは、ある意味マフィアや日本のやくざよりもたちの悪い警察官をも相手にしています。勿論、この作品では善良なおまわりさんはまず出て来ません。キャリア、ノンキャリアに関わらず、手に入れている地位、権力を守ろうと必死な警察官ばかりが登場します。どちらがヤクザか分からない警察官が、ハゲタカの前に立ちふさがり、禿富刑事をつぶそうとするのです。

この両者を相手にした立ち回りが本書の全てです。

一点、バー「みはる」のママ桑原世津子が、そこそこ重要なキャラとして登場しているのですが、これも他の男どもの圧倒的な暴力性の前には、その存在感は薄くならざるを得ません。

主人公の禿富刑事、通称ハゲタカの内面が全く描かれていないので、その本心がどうなのかは読者には不明です。でも、だからこそなのか、本書を読み進め、禿富刑事の徹底した悪徳刑事振りを見せつけられると、その見えない内心を推し量り、人間性を読みとろうとしてしまう自分がいます。

そこには、突き詰めた先には人間性が隠されていた、というベタな展開を期待する思いがあると気づかされました。どうしても、悪徳ヒーローでも、究極では「善」であるべき、という私の願望があるのでしょう。通俗的な私ではありますが、これはまた一般的な読者像でもあると思います。また、続編を借りに行きましょう。

結城 充考 躯体上の翼


サイバーパンク作品と言っていいのかどうか、少々判断に迷うSF小説です。どちらかというと、サイバーパンク臭を十全にまとわりつかせたアクション小説、というところでしょうか。SFに関心の無い人はまず読まないであろう作品です。

舞台となる世界は、「佐久間種苗」という会社に事実上支配されている、高度な管理社会である共和国です。そして主人公は員(エン)という名前の、「佐久間種苗」により創造された対狗防衛仕であって、同時に雇用契約を結んでいる存在です。この社会は炭素繊維躯体に覆われた地表に住む「難民」がおり、そのほかに「人狗(ひといぬ)」という存在がいるようです。これらの存在に対し、共和国は一定の期間毎に攻撃を繰り返しています。員が互聯網(ネット)の、色々な情報に接していると、cyと名乗る存在と交流を持つことになります。しかし、共和国の緑化政策は、cyのいる地域への攻撃を決定します。cyを助けたい員は、「佐久間種苗」との契約の更新を拒み、共和国の艦隊を攻撃すべく、出撃するのです。

本書はこうした設定の、また個々の言葉の意味については何の説明もありません。ですから読者が自分でイメージするしかありません。

でも、例えば「炭素繊維躯体」という言葉をみると、普通には「からだ」若しくは「構造を支える骨組」を意味します。しかし、本書を読み進めるとそうした意味とは少々異なり、どうも「樹木」をイメージする方が近い気がするのです。

このように、本書では通常の言葉の意味とは異なる使い方がされている個所があります。ということは、読者それぞれが個別に持つ印象で読み進めていくしかないのですが、この"あいまいさ"のもたらす個々人の印象こそが作者の狙いなのでしょう。

このように、言葉の明確な定義の無いままに、雰囲気だけを身にまといながら読み進めることになるので、かなり読み手を選ぶでしょう。この点で、どこか酉島伝法の『皆勤の徒』を思い出していました。しかし、そちらは有機体の質感をグロテスクなまでに前面に出していたのに対し、本書は無機質です。物語の持つ全体としての雰囲気は全く異なります。ただ、言葉の説明がないこと、作者により作り上げられた世界観の中で、人間とは異質の存在が動き回ること、が共通するのでしょうか。

本書は、一歩間違えば、近時たまに見られる、作者のひとりよがりの小説やコミックと同様の、読者不在の物語になりかねない危うさを感じます。世界観、表現する単語の説明の無さは、そうした危険性もあると思います。

本書はそこまで読者不在だとは思いませんが、語られない世界観をイメージすることに、面白さを感じない読者は少なからず居ると思うのです。常に詳しく描写した方が良いとは思いませんが、少なくとももう少し、イメージを構築する手掛かりがあればと思いました。そうであれば更に面白く読めたのにと、非常に残念に思ったのです。勿論、これは個人的な好みに帰着する問題なので、ことの善しあしを言うつもりはありません。

「員」や「cy」という登場人物の命名の仕方も含め、独特の世界観を持つ物語です。個人的には、決して嫌いではない作風ですので、更に追いかけてみたい作者です。

プロフィール

siro

Author:siro
このブログの本棟として本の紹介のサイトを開いています。
(こちらです⇒読んだ屋
本ブログを別棟として位置付けて、読んだ本を記録していこうと思い立ちました。ここでの文章を母屋であるそのサイトに転記していくつもりです。

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