東山 彰良 路傍


何とも首をひねるしかない、6編の物語からなる長編と言ってもいい連作の短編集です。

千葉の船橋を舞台に、まったく普通のチンピラとしか言いようのない二人の若者の行動を、ただただひたすらに追いかけた、そんな物語です。全体を通したストーリーというべき話の流れを掴むことができません。

いつものバーの帰りに、酔っ払いから抜き取った金でソープに行った帰り、いたずらで目の前のアパートの一部屋にかけた電話を発端として、その部屋に入ったところから、抜き差しならない事態に陥る、俺と喜彦だった

「猥雑」としか言いようのない、雑然とした物語と言うより表現のしようが無い本書は、それでも第11回の大藪春彦賞を受賞しています。何しろ作者の情報は全くなく、単にこの作者の『流』という作品が2015年の直木賞を受賞したので、ついでにほかの本も読んでみようかと思っただけなのです。

ところが、読了後、馳星周氏の「あとがき」を読んで驚きました。大藪春彦賞受賞作だということは本の裏表紙に書いてあったのですが、まさか選考委員四人全員の満場一致で、それも短時間での決定だということまでは思いもしませんでした。

何しろ、馳星周氏の絶賛ぶりはすごいのです。「どれだけ技巧を凝らしたミステリも、・・・・・・サスペンスも、書き手が対象に深く切り込んでいくわけでもなく、頭に浮かんだことをただ綴っていった物語に蹴散らされてしまった。」と述べています。才能だけで書かれているこの物語は人生は不公平であることを立証した、と言いきっているのです。

「頭に浮かんだことをただ綴っていった物語」とは言いえて妙で、まさにその通りなのであり、だからこそ話の流れをまとめることができないのです。

更に、「現実はこうなのだと読者に提示しているだけだ。」として、才能だけで書かれたこの物語は、その語り口の心地よさに最後まで読まされるのだそうです。

この物語を読んで、才能豊かと、誰一人異論なく言いきるプロの作家たちをこそ素晴らしいと思ってしまう私でした。この物語をそこまで評価できる力量が、やはり才能なのでしょう。

確かに、文庫本で233頁という分量を違和感を感じながらも最後まで読み切ったのではあるけれど、酒と暴力と女を繰り返したたきつけてくるこの物語は、この本単体で見る限りは多分二度と読まない作家に入れると思います。しかし、直木賞を受賞するだけの力量を持っていることもまた事実ですから、もう少しは追ってみましょうか。

高嶋 哲夫 M8


かなりリアルなシミュレーション小説でした。

1995年1月17日の阪神淡路大震災の被災者でもある瀬戸口誠治は、地震関連のシミュレーションプログラムを開発する。その結果は、M8クラスの東京直下型の地震が起きるというものだった。同じ被災者である河本亜紀子が秘書をしている堂島智子衆議院議員に会い、東京で起きる直下型地震への対応を働きかける。しかし、地震学会は南海地震の可能性を予測するのみで東京直下型地震は除外している以上、総理への直談判などとんでもないという。そんな中、M5.5クラスの地震が東京を襲う。

この作家のいわゆる「パニック小説三部作」のうちの二作を読み終えました。作品としては『首都感染』『首都崩壊』と合わせて4作目ですが、本作が一番読み応えがあったように思えます。

阪神淡路大震災や東日本大震災を経験している人々が多数いるというなか、実際に起こった阪神の地震を描写することはとても困難を伴うことでしょう。作者が実際に被災された方かどうかはわかりません。しかし、小説ではなく『[体験者が明かす] 巨大地震の後に襲ってきたこと』や『巨大地震の日―命を守るための本当のこと』『東海・東南海・南海 巨大連動地震』といった啓蒙書(と言ってもいいでしょう)を書かれている筆者ならではの描写が随所に記されています。

東海大地震など、確実にくると言われている地震に備えるためにも本書のようなことが起こらないことを祈るばかりです。

しかし、こう言いつつも実際地震に対する備えをしないのがほとんどの人でしょう。どこかで自分の身の回りにはそういうことは起こらない、と思っている自分がいるのです。

地震ではありませんが、大きな台風が九州の真ん中を縦断するコースで北上したばかりです。まずは直前の災害に備えた動きをしましょう。

内容が内容ですので、面白かったというにはかなりの語弊があります。しかし、エンタメ小説してみるとかなり読み応えのある小説であるのも事実です。とはいえ、やはり、本書にも出てくる阪神淡路大震災や東日本大震災を経験した日本人としては面白がってはいられない、というのが本心です。

私の住む九州は両地震とも直接の影響はありませんでしたので、更に他人事として語ってはいけないという気持ちがあります。テレビ画面を通してみるその大惨事は、私には決して理解できるものではなく、安易に語れないのです。

そうした意味では啓蒙の書としての本書の意義はかなり大きいものがあるのではないでしょうか。この作家の書くさまざまなパニック小説には、そうした思いが込められていると思えます。

藤井 太洋 オービタルクラウド


インターネットが発達した現代のテクノロジー社会を前提に、いかにもSFらしい想像力にあふれた作品です。

主人公は、Web上で流れ星予報サービスを運営する青年・木村和海(かずみ)。彼は近々流れ星になるはずの、イランの使用済みロケットが不自然な動きをしていることに気付く。その頃、民間宇宙旅行を主導するIT長者ロニー・スマークは、軌道ホテル滞在に向け、出発の準備を進めていた……。

以上は「週刊文春WEB」上の評論記事でまとめられていた文章です。

ネット上で電子書籍販売をしていた作品が評判を呼び、更に第二作目の作品が2015年の「第35回日本SF大賞」を受賞するのですから見事です。たとえそれが著者が言うように「編集者との共同作業」だとしても、前作の『Gene Mapper』を終え、本作品を本格的に書き始めてから半年で仕上げた、というのですから、ただただ驚くばかりです。

主人公は、流れ星予報サービスをしている木村和海という青年です。フリーランスの若者たちが集うシェアオフィスで、天才的なプログラマーである沼田明利らとともに活動しています。

冒頭から頻出する専門用語はハードSFの常ではありますが、それでも比較的身近な単語です。物理学の難解な理論が展開される話ではありません。スマートホンレベルの話が入り口で、そこから宇宙の話につながるのです。なんといっても現役のプログラマーでもある著者のようなので、こうした世界の描写はお手の物でしょう。

本書の中心となるアイディアは「長く強靭な紐(テザー)を使って宇宙船などの軌道を変更する方法」(by Wikii)である「テザー推進」という概念です。これは全くの空想ではなく、現実に生きている考え方で、その概念をSFらしくふくらましてつかってあるのですが、これがまた面白い。

現在の地球の大気圏の外側、人工衛星が飛び交っている層には宇宙ゴミ(スペースデブリ)が散乱しているらしく、北アメリカ航空宇宙防衛司令部(NORAD)では一辺10cm以上のスペースデブリはすべて把握しているのだとか。

そんな中での著者の描くテロリストの活動はいかにも現代的です。スマートホンの基盤を利用した仕掛けや、アメリカをミスリードするために仕組まれた翻訳エンジンの汚染などが、特別に難しい理論などを使わずに、現在の身近な技術をベースに構築していく、そのアイディアが見事としか言いようがありません。

細かなことですが、例えば物語の終盤近く、シアトルの町でスターバックスの第一号店を訪れようとする和海に、「本物はその奥にある」というくだりがあります。こうした描写もまた物語のリアリティーを増しますね。でも、筆者は現地に行かずにネット情報をメインに描いたということですが、こうした話もネット上で見つけたのでしょうか。

本書はネット上のテクノロジーの他に、冒険小説的な側面をも持っています。テロリストの仕掛けた宇宙での罠を見破る和海と明利、そして彼らを助けるJAXAの職員、そして米軍、CIAのインテリジェンスのプロが彼らを助ける役割に回り、宇宙で展開されるスペース戦争の回避を目指します。

人物像の書きこみ不足や、現実感を欠く登場人物の行動など、気になるところも少なからずあります。しかし、それ以上に、アイディアとそれを生かすテンポ良く進む文章とは、読み手の心を捉まえて離さないのです。

「内なる宇宙」を舞台に展開されることの多いニューウエーブ的な物語の多かった近時のSF作品の中で、久しぶりにハードSFらしい物語を読んだ気がします。

誉田 哲也 歌舞伎町セブン


現代の「仕掛人」の物語でした。誉田哲也の他の作品からすると中くらいの面白さという印象です。

新宿二丁目にある鬼王神社で、歌舞伎町一丁目町会長、高山和義が、死んだ。急性心不全だという。新宿警察署地域課勤務の小川幸彦は、その死に不審を抱く。調べていくと、「歌舞伎町セブン」という言葉に突き当たる。それと、「欠伸のリュウ」という言葉。一方、フリーライターの上岡慎介がゴールデン街にある「エポ」というバーに顔を出そうとすると、「リュウさん」という言葉が聞こえてきた。

かなり前に一度読んだ作品ではあるのですが、本書の続編である『歌舞伎町ダムド』を読むに当たり再読しました。

この作者の作品の「ジウ」、「国境事変」の時系列上にある物語のようで、東警部補という共通の登場人物がいます。とはいっても物語としての関連はないと言ってよく、本書は本書として独立した物語として読むことができます。

難点を挙げると、ページ数が397頁と若干長く、少々焦点がぼけるということでしょうか。その印象は、描写の方法として、前出の陣内や小川、上岡の間で視点が移り変わっていることとも関連があるかもしれません。そのうえ、三人の行動を追いかけるのはいいのですが、これという出来事が少ないので、間延び感が無いと言えばうそになるのです。

本書が面白くないというのではありません。誉田哲也という作家の他の作品と比べると、という話なのです。『姫川玲子シリーズ』ほどの面白さを期待すると当てが外れます。作品としての感想を言うと、「結構面白いよ」ということにはなるのです。

「新宿二丁目にある鬼王神社」がどこなのか、ネットの地図で調べてみました。久しぶりに歌舞伎町の地図を見たのですが、記憶の中の歌舞伎町との違いに驚いてしまいました。一番驚いたのは歌舞伎町ではないのですが、私がアルバイトをしていた店がある新宿三丁目です。今もあるそのラーメン店のすぐそばをに大きな通りができていました。御苑にぶつかるあの通りはどういうことなんでしょう。都営新宿線もできていました。

歌舞伎町での違いを見ると、テレビで見る吉本興業の本社が花園神社のすぐ近所だったのですね。この辺りは学生時代も少々怖くてあまり近寄らない場所ではありました。問題の神社は、その近く、区役所通りを北に上り、職安通りにぶつかる少し前の右側にありました。その職安通りの下を都営大江戸線が通っています。

学生時代によく遊んだ歌舞伎町、その町を舞台にしたエンターテインメント小説です。いまひとつアクション小説ともいえず、中途半端な感じはあるのですが、続編『歌舞伎町ダムド』も出ています。こちらは少しなりとも面白さの増していることを期待します。

佐伯 泰英 願かけ 新・酔いどれ小籐次(二)


小籐次を神とあがめ、ひたすら拝むとご利益があるとの噂が立った。小籐次の仕事場所には参拝客が列をなすようになり、そのさい銭の額も相当な額に上るようになった。一方、おりょうの歌会では門弟の間でいさかいが起き、門弟数が減る事態になっていた。

この作家の一番のヒットシリーズである『居眠り磐音シリーズ』が途中でその色合いを変えた、もしくは変えざるを得なかったことで若干失速気味であったことを思うと、本シリーズは定番の痛快時代劇小説としては王道を走っていると思っていました。

ところが、本シリーズもまた、ある日突然に出版社が変わり、新しいシリーズの第一作目は、登場人物は変わらないものの、内容がほんの少しですが、これまでとは変わったかに思われました。著者自らが「江戸の知られざる異界をテーマ」にすると言われたように、内容が神隠しを主題に置いていて、今後の展開に不安を抱かせるものだったのです。

しかし、本書ではそうした心配は杞憂に終わったかと思われます。「江戸の知られざる異界」については何も触れられず、ただ、小籐次が祈願の対象になる、というだけで、これまでのシリーズの流れに戻ったかに思われます。

小籐次とおりょうとの道行、というほどでもないのですが、この二人の行く末と、一子駿太郎と小籐次との関係など、今後の行く末はまだまだ眼を離せないシリーズだと思われます。

少なくとも、佐伯泰英という作家のシリーズでは私の一番好きなシリーズであり、新シリーズになってそれほど内容の変更もないことを単純に喜びながら、今後の展開を待ちたいと思います。

高嶋 哲夫 首都崩壊


「首都崩壊」というタイトルからくる、地震による惨禍が描写された作品、との思い込みとは異なる内容の作品でした。

国土交通省のキャリアである森崎のもとに、日本の東都大学地震研究所の前脇とアメリカの大統領特使という立場に居るロバートというまったく異なるルートから東京直下型地震発生の可能性が高いという情報がもたらされた。そのすぐ後に同じ情報に接した総理大臣の能田は、国交省内に首都移転チームを立ち上げる。以前首都移転構想のリーダーだった村津を首都移転室の室長とし、森崎もそこに所属することになるのだった。

以前のこの作家の作品である『首都感染』のときもそうだったのですが、主人公の立場があまりにも都合が良すぎます。つまり、アメリカ大統領特使と親友なので外交の重要案件に総理よりも先に接しますし、また日本の地震研究の第一人者とも親友であって、常に最新の情報を抱えている立場にいるのです。一方新室長の村津の娘は世界的な建築家の所員であり、首都移転の青写真を作るチームの一員です。

本書の中心的な論点は、地震そのものよりも、地震をきっかけとする首都移転と、東京の崩壊に伴う経済面での危機にあります。その中心に主人公がいて、地震に対する脆弱性を指摘された日本の格下げを図る格付け会社との折衝や、また乗り込んできたヘッジファンドに対応したりと大忙しで、それには最新の情報が必要だったのでしょう。

こうした特別な視点を持つ物語であることからか、エンターテインメント小説としてみると若干迫力に欠ける印象はあります。また、室長村津の個人プレーとして都合よく進みすぎるきらいもあります。しかし、それでもユニークな視点を持ったシミュレーション小説として、はまる人もそれなりには居るのではないでしょうか。

私も、物語としての面白さを否定しているのではありません。政治的、経済的に関連してくる膨大な問題点を捨象し、首都移転、および必然的に考慮すべき(と書かれている)道州制の問題を中心に据え、その絡みとして格付け会社との交渉、ヘッジファンドとの対決が側面を固めるエピソードとして描かれ、それはそれで面白いのです。

もともと私は「経済」の仕組みが良く分かっていないので、描写されている経済関連の情報があまり意味を持って入ってこないということもありますし、道州制の問題にしても、その本来意味するところまで深く勉強し、考えたことが無かったので、その意味では考えるきっかけにもなりました。

ちなみに蛇足ながら、「ヘッジファンド」の意味が良く分からずに調べてみました。ここでいう「ファンド」とは投資家集団であり、公募ではなく私的に集めた資金を様々な手法で運用するファンドをヘッジファンドと言うそうです。言わば私的な巨大投資家集団ですね。正確には意味合いが異なるようですが、ここではそのようなものと考えてもいいでしょう。

山本 一力 つばき


読み始めてすぐに、この物語は以前読んだ本の続きだと気付きました。本書は、一膳飯屋「だいこん」の女あるじである’つばき’の一生懸命な生きざまを描いた作品なのですが、本書の舞台となる「深川」の前に、浅草での一膳飯屋「だいこん」の繁盛記があったのです。

深川という、江戸でも独特な気風を持つ町で、一膳飯屋の「だいこん」を開店したつばき。浅草で苦労した末の新しい土地での店開きだった。そこに、江戸でも大店である佐賀町の木島屋から、上棟式のときの弁当という大口の注文が舞い込む。新しい土地での幸先のいい仕事に、精いっぱいの心意気で、客先の体面をも考えた弁当をこしらえるつばきだったが・・・。

メモによるとほとんど三年ぶりの山本一力の小説です。しばらくぶりではあったのですが、短い文章をたたみかけるようにかぶせてくるこの人のリズムは、相変わらずに心地よいものでした。決して美しくはなく、武骨と言うほうがしっくりとする文章から紡ぎだされる人情劇は、同様に心に染み入るものでした。

主人公が、困難に直面しながらも、ひたすらに人としての正道を貫き、周りの人の助けを得て、商売の心得を学びながら成長していく、一つのパターンの物語ではあるのです。押し寄せる荒波のような難題に際し、例えば大店の主であったり、例えば裏稼業に生きる侠(おとこ)であったり、という助太刀があらわれ、主人公の危機を救う、という物語ですね。

そうした定番ものではあるのですが、魅力的な登場人物や、巻き起こるトラブルへの、さまざまな人たちの助力を得ながらも主人公の必死な、それでいて真摯に対処していく物語の筋立てが実に魅力的です。

随所にみられる、人間としての誠実さこそ本道である、というメッセージはさまざまな形で読み手の心に迫ってきます。

たしかに、当初の上棟式のための弁当の注文についての発注者のことなど書かれていない事柄もあります。重要の登場人物の一人である、かつては伸助と呼ばれていた閻魔堂の弐蔵との間柄についてもなんとなく中途半端です。

そうした疑問点を持ちつつも、全体を貫くつばきの商売に対する姿勢、取り組みかたは、読者の心をつかんでしまうのです。

この作者の作品は、大体において一気に読んでしまいます。読みやすいので時間もそれほどかからない、ということや、感情移入しやすいキャラクタ設定の故でしょうか。この作家の各物語には、さまざまな職業の主人公が登場し、女性が主人公のものも多数あるのですが、そのほとんどが魅力的であり、本を置くことが難しいと感じさせられるのです。

樋口 毅宏 雑司ヶ谷R.I.P.


一言で言うと、時間の無駄、でした。

雑司ヶ谷の妖怪と呼ばれたさしもの大河内泰もついに死んだ。主人公大河内太郎も中国より帰還する。誰しもが注目するのは泰の跡継ぎの問題であり、そうした中、泰の遺言が読み上げられる。そこに書いてあったのは「泰の全財産は・・・・・・大河内太郎の父親に譲る」というものだった。ここに、太郎を中心として遺産を巡る戦いが幕を上げた。

前作『さらば雑司ヶ谷』は、日本のタランティーノとの評判がそれなりに腑に落ちる作品でした。しかし、本作は少しなりとも読むべきところを感じ取れた前作とは異なり、結果として有意義ではない時間を過ごしてしまったとしか言いようがない作品でした。なにせ、文庫版で526頁もあるのですから、読む読みとおしたと思います。

前作で怪物として描いてあった大河内泰の生涯と、現代の大河内太郎の状況とを相互にかき分けながら全四部の物語として話は進みます。

第一部は、泰と、その参謀ともいうべき秀子との出会いから泰幸会を作り上げるまで。

第二部は、『グラップラー刃牙』という漫画の主要キャラである刃牙(バキ)の父親の「範馬勇次郎」という男を思わせる、石田吉蔵というスーパーマンが登場します。この男が太郎を殺そうとするさまが描かれます。どちらかというと、この石田吉蔵を中心とする現代の描写がメインです。

第三部は、秀子亡き後の泰幸会が権力の頂点に立ちつつも、不幸せと描写する以外形容のしようのない、孤独の中で生きる泰が描かれます。

第四部は「アイ・アム・ザ・レザレクション」と題され、泰と太郎の親子の関係が描かれ、そして終幕へと向かうのです。

昭和の裏面史でも書きたかったのかと思うほどに、戦後の歴史上の出来事に泰を絡め物語は進むのですが、そこに読み取るべきものは何も感じません。前作と同じように多数の作品へのオマージュ、パロディ、引用等に満ちているのでしょうが、元ネタがわからないのでこのような感想になったものだとは思われます。そういう意味では読み手の力量が必要なのでしょうか。

この作品も面白いと評価する方も少なからずいらっしゃるようです。読書の感想など個人の主観以外の何物でもないのですから、異なる意見、感想があるのは当たり前で、無いほうがおかしい。こうした荒唐無稽なある意味ナンセンスでもある作品など特にそうだと思われます。

しかしながら、それでも私の感覚とはあまり相容れないものがあるのでしょう。前作はまだしも、本作は受け入れることはできませんでした。

井上 荒野 キャベツ炒めに捧ぐ


全部で11編からなる、連作の短編集です。もしかしたら長編というべきかもしれません。各章ごとに三人の登場人物のそれぞれの視点で語られています。

一作目である「新米」は、登場人物の紹介を兼ねた作品です。舞台は「ここ家」という惣菜屋さん。この店のオーナーは江子、61歳。従業員として麻津子、60歳がいて、三か月前に入った新入りの郁子が60過ぎで、この章はこの郁子の視点で語られています。

ここに、米屋の配達担当の新人、春日進が現れます。江子、麻津子、郁子、そして進。来る、待つ、行く、進でロイヤルストレートフラッシュだとはしゃぐ江子。

午後八時半に店を終えると、江子と麻津子は行きつけのスナック「嵐」に行き、郁子は一人家に帰ります。そして、三十四年前に二歳で亡くなった息子草(そう)と半年前にこの世を去った夫俊介の写真を前に一人ビールを飲むのです。

おいしそうな香りの漂う「ここ屋」の紹介をしつつ、三人の性格、それぞれの関係をさりげなく漂わせた一遍で、この章を読んだだけで全体の雰囲気がすぐにわかる、うまい文章だと、感心させれられる出だしでした。

三人とも60歳、もしくは60歳を超えたばかりのおばさん達です。還暦を数年前に過ぎた私とほぼ同年代なのです。同年代とはいえ、相手はおばさん。その心根までは分からないのですが、それでも近しい年回りというだけで親しみを覚えます。私の周りにちょうど似たような仲良し三人組のおばさん達がいるので、なおさらかもしれません。こちらは未婚、既婚、出戻りというこれまたきちんとそろった三人組です。本書の設定とは少々異なりますが。

江子は別れたかつての旦那を思いきれず、今でも一、二カ月に一度、元旦那の家を訪ねているのですが、二作目「ひろうす」ではその様子が描かれています。三作目「桃素麺」では麻津子の、そして四作目の「芋版のあとに」ではまた郁子の視点で、と切り替わっていきます。

江子には別れた夫の白山音彦(しろやまおとひこ)、麻津子には旬(しゅん)さんという想い人がいます。郁子は夫を亡くしたばかりで、それでも進とデートをしたりと、なかなかに楽しげです。

本作は各章ごとにおいしそうな惣菜の作り方をも紹介しながら、三人の生活の、そして内心の移ろいを、どことなく哀しみを漂わせながらも、軽いユーモアに包みながら綴っていきます。

たまには、このような善人しか出てこない、日常の幸せをかみしめるような物語もいい、と思わせられる物語でした。文章が肩の凝らない点もよく、それでいて読み返せばかなり味のある文章です。

ただ一点。この物語に出てくるおばさんたちは60歳を超えているのですが、心の動きなど、どことなく若いのです。それとも、私の同世代のおばさん達というものは、本書に登場する女性たちのように若いのであって、若すぎると感じるこちらが認識不足なのでしょうか。

やはり、女性は分かりません。

山岡 荘八 柳生石舟斎


柳生新陰流の開祖である柳生石舟斎の半生を描いた小説です。いかにも山岡荘八の作品らしい、読み易い物語でした。

上泉伊勢守秀綱の、幼児を拉致して立てこもった強盗を出家を装って取り押さえたという、黒沢映画『七人の侍』にも描かれたエピソードから幕を開ける。その足で向かった北畠具教から、近畿で強い兵法者として教えられたのが宝蔵院胤栄と柳生但馬守宗厳だった。柳生宗厳は、宝蔵院胤栄のもとに立ち寄った上泉伊勢守秀綱と立ち合うが、叩きのめされてしまう。こののち、上泉伊勢守秀綱を生涯の師と仰ぐこととなるのだった。

本書序盤は、上泉伊勢守秀綱の描写に力が入れられています。ほとんど上泉伊勢守秀綱の物語といってもいいほどです。当然のことながら、海道龍一朗の『真剣』と重なる部分があります。海道版では詳しく描写されていた上泉伊勢守秀綱と柳生宗厳との戦いが、本書では簡潔に描写されています。ここで後の石舟斎である、伊勢守を生涯の師とする柳生宗厳が誕生し、宗厳の剣豪としての半生が始まります。

中盤では戦国の世を背景とする権謀術数の世界で、世情に流されることなく剣の道に生きる師弟の姿が描かれていきます。上泉伊勢守秀綱は将軍義輝の上覧を受け、天下一の称号を受けつつもその元を辞し、弟子柳生宗厳のもとで生涯を終えようと決意します。柳生宗厳は宿題として与えられていた「無刀取り」の工夫をつけ、師匠に披露するのです。

終盤は、将軍義昭や松永久秀、織田信長らの死を背景に、秀吉、家康といった武将のもと、一族の存続を図る柳生宗厳、そして又右衛門宗矩の活躍が描かれています。

剣の達人としての石舟斎ではなく、大和柳生郷の柳生家の興隆の礎を描いた作品です。もちろん、柳生石舟斎宗厳の剣豪としての側面を十二分に描いたうえで、戦国時代の濁流のなかをいかに生き延びてきたか、も焦点が当てられています。そいう意味では、剣豪小説であるとともに、歴史小説でもあるでしょう。

山岡荘八という巨匠の、皆が知る柳生一族の草創期を描いた作品として一読に値するのではないのでしょうか。

蛇足ですが、本書では柳生兵庫助の妻は、島左近の娘の「琴緒」とありますが、ウィキペディアほかによりますと、島左近の側室の娘の「珠」とありました。

宇江佐 真理 おはぐろとんぼ 江戸人情堀物語


宇江佐真理という作家にしては珍しく、決して明るくはない物語集です。また、若干のファンタジーの匂いを持ちあわせた作品もあります。

「ため息はつかない」 早くにふた親を亡くした豊吉は、薬研掘の近くで、父親の妹であるおますに育てられた。おますは口うるさく、逃げ場のない豊吉は思わずため息をついてしまうのだった。豊吉が12歳になったとき、薬種屋の「備前屋」に奉公することとなった。18歳になった豊吉は、女中のお梅から思いを寄せられる。しかし、行かず後家と陰口をたたかれている備前屋の娘との縁談が進むのだが・・・。

「裾継」 おなわは、江戸は深川の七場所と呼ばれる岡場所のひとつで、油掘(あぶらぼり)に面した裾継(すそつぎ)にある「子ども屋」(遊女屋)の女将だった。亭主の彦蔵の先妻との娘おふさも、乳飲み子の頃から後添えであるおなわが育てていた。そのおふさが13歳になり、おなわの言うことを聞かなくなった。おなわが父親の浮気に気付かないのがいらいらすると言うのだ。

「おはぐろとんぼ」 おせんは日本橋小網町の「末広」という料理茶屋に、料理人として奉公していた。ある日板前が倒れたため、新しい板前がやってきたのだが・・・。

「日向雪」 八人兄弟の三男である松助は、源兵衛堀近くにある中之郷瓦町の助次郎窯で火入れをしている最中に、母親が亡くなった知らせを受けた。四男の与吉によると、家族皆に無心をして回っている二男の竹蔵は女のところにいたらしい。女のために家族に迷惑をかけて良いのかという梅吉を、やっと帰ってきた竹蔵が殴り倒す。

「御厩河岸の向こう」 端午の節句も間近のころ、おゆりの弟の勇助が生まれた。おゆりが手を掛けて育てたため、勇助はおゆりになついていた。その勇助が、生まれる前のことを覚えているという。御厩河岸の川向うにある夢堀の傍に住んでいたというのだ。

「隠善資正の娘」 北町奉行所吟味方同心である隠善資正には、八丁堀界隈の坂本町に、「てまり」という行きつけの縄暖簾の店があった。そこにはおみよという19歳の娘がいた。資正はその娘に行方不明になった自分の娘の姿を重ねているのだった。

江戸の町は、水の都とも言われていたように、運河が発達した町でもありました。その江戸の町に存した6つの堀をモチーフに練り上げられた物語集です。とはいえ、堀そのものに意味はありません。ほかの市井の人情物語と同様で、そこに暮らす人々の生活が人情味豊かに描き出されています。

宇江佐真理の作品群からすると、中庸に位置する、と言えると思います。

とはいえ、常に未来を見据えるこの作者の物語らしく、悲観的ではありません。また、心象を表現する情景の描写も相変わらずにうまい、としか言いようがないのです。とくに「裾継」は、本作品集の中では私が一番好きな作品で、小気味良い言葉の羅列で終わる最後の行など、私の心にぴたりとはまりました。

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Author:siro
このブログの本棟として本の紹介のサイトを開いています。
(こちらです⇒読んだ屋
本ブログを別棟として位置付けて、読んだ本を記録していこうと思い立ちました。ここでの文章を母屋であるそのサイトに転記していくつもりです。

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