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金子 成人 付添い屋・六平太 鷺の巻 箱入り娘


付添い屋・六平太シリーズの四巻目です。これまで同様に四つの短編からなっています。

「箱入り娘」 六平太は不意の付添いが縁で、播磨石郷藩米倉家のお抱え屋敷に出入りするようになる。屋敷の主・お佐江の方の娘、結衣の輿入れが決まった。西国へ嫁ぐ前に、六平太は結衣を江戸見物に連れ出す。

「島抜け」 ひと月前、伊豆大島で三人の島抜けがあり、一人の消息がつかめない。男は兇盗・黒弥陀の一味だったくちなわの惣兵衛。黒弥陀は六年前、内部の裏切りにより全員が捕らえられた。一味を売った丑松は、半次と名を変え、六平太も通う元鳥越の髪結い「きのし床」を営んでいた。

「神隠し」 秋月六平太は、困っていた。神田「紙半」の娘・お夏の行き先は、なにがなんでも野巫(町場の陰陽師)の御託宣に従うからだ。大川の川開きの当日、お夏は夕刻から花火見物でごった返す両国に出かけると言い出した。案の定、六平太は大川の橋の袂でお夏を見失う。

「藪入り」 夏の藪入りの十六日、六平太は竹木炭薪問屋「田丸屋」の丁稚奉公・幸助と深川にやってきた。幸助は一年前の夏に父を亡くした。その年の藪入りに実家のある下谷の裏店に行くと、母の姿はなく知らない家族が住んでいたという。幸助の母・おれんは、深川で男に売られていた。

(Amazon 内容紹介より)

本作からは「あとがき」が無くなってしまいました。何故でしょう。シリーズものの宿命として書くべき事柄も無くなるのでしょうか。

直前の巻(第三巻)の折に、一時間ドラマのようだ、と書きました。その理由らしきものとしては、話の展開のしかたとそれぞれの話の決着の付け方とがうまいと感じるのです。段取り良く進みその話を終えるのですね。そしてそれはどことなく現代的なのです。痛快時代小説としての面白さは十分に備えているのですが、例えば剣を銃に起き変えて西部劇としても通用しそうです。

以上のことは、この頃新たに知った作家野口卓の『軍鶏侍』シリーズを同時に読んでいて思ったことでもあります。『付添い屋』シリーズに比べ『軍鶏侍』シリーズのほうが人物の内面描写が格段に多いのです。

舞台の背景、つまりは情景描写にしても同様で、物語のもつ情景の広がりが『軍鶏侍』のほうが、より私の好みにはまりました。物語の持つ「和」の匂いが高いのです。人によっては情緒的に過ぎると感じるかもしれません。そうした方は、本『付添い屋』シリーズのほうが好みに合致するのではないでしょうか。

東山 彰良 流


この東山彰良という作家の『流(りゅう)』という作品は第153回直木賞を受賞しています。審査委員全員の一致で押されたそうです。読み終えてからのインパクトはかなりのものでした。久しぶりに小説を読んで衝撃を受けました。

物語は1975年に始まる。主人公・葉秋生が17才のこの年、偉大なる蒋介石総統が死に、祖父・尊麟が何者かに殺された。なぜ、誰に祖父は殺されたのか。若く、何者でもなかった秋生の青春と、祖父の死を追う旅が始まる。選考委員の北方謙三さんは「とんでもない商売敵を選んでしまった」と最大級の賛辞をおくった。(「著者に訊け」より)

当初はそれほどでもなかったのです。台湾の少年を主人公にしたやんちゃな若者の青春小説、くらいの気持ちでおり、ゲッツ板谷の『ワルボロ』を思い出していた程です。ヤンキー達の喧嘩三昧の日々を描いた作品でした。

しかし、序盤も終わるころからどうも感じが違うのです。小説世界の奥行き、広がりがこれまで読んできたヤンキー小説とはだいぶ違うと思えてきました。読書も半分すぎるあたりになると、そんな程度ではなく、どっぷりとはまっていました。直木賞に押されるはずだと納得です。小説としての厚み、深みがとんでもないのです。

本書の場合、当初書いたように青春小説としての顔があり、次いで家族の物語として一流です。ところがそれにとどまらず、祖父を殺した犯人は誰か、というミステリーとしての要素もあるのです。途中ではお狐様なども出てきて、若干オカルトの雰囲気も漂わせたりする個所もあります。でも、そうした分類など何の意味はなく、この物語自身が強烈なインパクトをもって迫ってきます。

本書の中表紙の次に

魚が言いました・・わたしは水のなかで暮らしているのだから
  あなたにはわたしの涙が見えません。  王璇「魚問」より

という一文が掲げられています。作品中に、この詩がかなり重要な役割を持って登場しますが、この一文でもわかるように、主人公が喧嘩ばかりしているくせにかなりのインテリなのです。親友も将来はヤクザになろうとする奴らばかりなのに、喧嘩相手のひとりがこの一文を口ずさみます。

主人公は著者東山彰良の父上がモデルだそうです。日中戦争後、中国共産党と蒋介石率いる国民党との戦いがあり、敗れた蒋介石側が台湾に逃れ一国(争いのあるところですね)を作り上げた、その時代背景での物語を他には知りません。

もともと祖父の物語を書こうとして資料を集め、父親らから話を聞いていたそうです。そして書きすすめるうちに父親中心の話へとシフトしていったのでしょう。ちょうど私と同じ世代の物語ですが、その世界は全く異なります。平和な日常の中で、ケンカらしい喧嘩をしたこともなく暮らしてきた、普通の日本の世代には理解できない歴史を持った民族、そして家族の物語です。

台湾での物語なので、登場人物の名前が読めないし、紛らわしいのは若干困りましたが、これを変えると違う物語になるでしょうし、だからこそ台湾の雰囲気が醸し出されているのでしょう。

東山彰良の作品では『路傍』という作品を読んだことがあったのですが、私にはその良さが理解できませんでした。しかし、大藪春彦賞を、それも選考委員四人全員の満場一致で受賞したこの作品を馳星周氏が絶賛しているのです。当然、読み手である私の力量不足としか言いようがなく、好みの問題だから仕方ないと無理に納得していたものです。本書を読み終えた今、単に好みの問題ではないことがはっきりしてしまいました。

ついでながらに思ったこと。花村萬月の作品に『ゲルマニウムの夜』という作品があります。エロスとバイオレンスに満ち満ちた作品です。この作品は第119回芥川賞を受賞しているのですが、直木賞を受賞した本作との差異がよく分からなくなりました。何故この『流』は直木賞なのかということですね。いつも思う芥川賞と直木署の差異、純文学と大衆文学との差異は何なのか、という思いを本書でも突きつけられ、やはり答えはありませんでした。

今野 敏 連写 TOKAGE3-特殊遊撃捜査隊


TOKAGE3-特殊遊撃捜査隊シリーズの第三弾です。本作品は、白バイとはまた異なる、刑事の中から選抜された乗員のオートバイならではの捜査が特色の作品ですね。

都内で連続して発生したコンビニ強盗に対応するために、警視庁の特殊遊撃捜査隊チーム「トカゲ」も世田谷署に設置された捜査本部に詰めることになった。なかなか手がかりも見つからないでいたが、TOKAGE3メンバーの白石涼子は、三つの事件の共通点として国道246号沿いに発生していることに気づく。

このところ今野敏作品をけっこうなペースで読んでいます。浅田次郎の作品もそうなのですが、気軽に読めて、それでいてそれなりの読み応えがある作家さんはそんなにはいません。そのために一冊を読むと続けて他の本も読みたくなるようです。

本作もまた、同様です。直前に読んだ『マル暴甘糟』はコミカルな側面をも持った作品でしたが、本作はそうではありません。オートバイによる捜査という、本作品以外では読んだことのない設定での物語です。オートバイによる捜査ということで視点が異なってきます。普通の聞き込みなどとは異なる、本シリーズならではの捜査の面白さが楽しめます。

主人公と言ってもいい立ち位置の上野数馬は、バイクによるパトロール中に風景をまるで写真のように見るそうです。写真のようにということは、後になってその写真を見ることができる、つまりは意識下に収められた風景の中から、特定の場面を写真を見るように思い出すことができる能力が長けているということです。つまりは、写真の連写のように風景を記憶していくのです。本作品のタイトルもこのことを指しています。

この記憶能力を生かしつつ、オートバイによる捜査の特色を織り交ぜながら物語が展開します。

蛇足かもしれませんが、一言。本書をミステリーとして読むとき、事件の解決に結びつくアイディアが、主人公や主人公近くのメンバーの中から出てくるというのは、小説の宿命として仕方のないところではあるでしょう。しかし、強いて言えば、何もTOKAGEのメンバーではなくても、ベテランの捜査員であれば気がつきそうなことを、TOKAGEのメンバーに言わせるのは如何かという気はします。白石涼子の指摘する、犯行現場が国道246号沿いに発生していること、などはその最たるものでしょう。

でも、そうした指摘は言わずもがなのことであり、読者としては素直に話に乗っかっていけばいい、とも思います。特に本作品のように物語として単純に面白く読める作品では尚更です。他の警察ものでは見られない、本シリーズならではのバイクによる捜査のもたらす醍醐味を単純に楽しめばいいのでしょう。

今野敏作品の若干のマンネリ化を危ぶみながらも、物語の一定水準の面白さを維持していることを確認しつつ、次の作品を待ちたいものです。

今野 敏 マル暴甘糟


気の弱い、いつも先輩刑事の顔色をうかがっている、そんなマル暴刑事甘糟達夫の物語です。

北綾瀬署刑事組織犯罪対策課・組織犯罪対策係に勤務する巡査部長甘糟達夫が当番の日、北綾瀬署管内で殺人事件が発生した。被害者が暴力団員であることから、甘糟や甘糟の先輩で相棒でもある郡原虎蔵も捜査本部に呼ばれることになった。しかし、警視庁捜査一課の刑事たちとの捜査にもかかわらず、事件はなかなか解決の様相を見せないのだった。

今野敏という作家はキャラクタの設定がうまいといつも思わされるのですが、本書『マル暴甘糟』もその例にもれません。まずは、主人公の甘糟達夫は気の弱い「マル暴」つまりは暴力団担当の刑事です。いつも自分がなぜにマル暴に配属されたのか不思議に思っています。その甘糟の相棒である郡原虎蔵は甘粕の先輩であり、マル暴刑事の典型のような男です。そこに警視庁捜査一課のエリート警部補梶伴彦が、今回の捜査本部で甘粕の相棒として配置されます。

当然のごとくにマル暴刑事の典型である郡原と捜査一課のエリート警部補の梶とは衝突します。その間で右往左往する甘粕。加えて、暴力団多嘉原連合の若頭唐津晃が、被害者をかわいがっていた兄貴分として、事件をかき回すのです。この唐津晃、通称アキラが、ありがちなキャラではありますが、いい味を出しています。

この甘糟達夫という刑事はそもそも、今野敏の人気シリーズの一つである任侠シリーズ(阿岐本(あきもと)組シリーズ)の中の登場人物だったそうで、作者である今野敏氏が任侠シリーズのネタに困り、任侠シリーズの中で誰か適当な人物ないないかと探していて見つけ出した人物だそうです。ですから、本書は阿岐本組シリーズの番外編的な位置づけでもあることになります。阿岐本組のメンツは誰も出てきませんけどね。

ということで、今野敏の作品の中では「安積(あずみ)班」シリーズや「隠蔽捜査」シリーズとは異なった色合いの、どちらかというとお気楽な、ユーモラスな雰囲気を持った作品として仕上がっています。とはいえ、警察小説としても十分な読み応えのある小説です。今野敏作品ではこのほかに、「横浜みなとみらい署」シリーズがマル暴を主人公とした作品であるのですが、その作品とはかなりタッチが違っていて、読み比べてみるのも面白いかもしれません。

今野敏作品の特徴である、登場人物がある局面を境にして、当初思っていた人物とは異なる面を見せてきて、その異なる側面こそがその人間の本質であり、信頼関係を結ぶに値する人間である、という一つのパターンは本書でも勿論展開されています。お定まりではあるのですが、外せないパターンでもあります。

ただ、このお定まりのパターンが、このごろの今野敏作品には少々多い気がしないでもありません。人物のキャラ設定にしても同じことです。今のところどの作品も、個人的には面白く読ませてもらっているのでいいのですが、今後も同様に続くとなると若干の危惧を抱かないでもないのです。

新刊書で344頁という十分な本の厚みを持った作品ですが、会話文が多いこともあり、かなりな速度で読み終えることができます。それでいて十分な読みごたえを感じることができる作品です。

金子 成人 付添い屋・六平太 鷹の巻 安囲いの女


付添い屋・六平太シリーズの三巻目です。例によって、やはり全部で四つの短編からなっています。

「敵討ち」 神田の口入れ屋「もみじ庵」から1日2両という破格の付添い仕事が舞い込む。依頼人は、塚原七兵衛という老年の侍。塚原は二年前、息子の敵を討つために信州から江戸へやってきた。六平太は敵討ちの付添いを頼まれる。

「用心箱」 口入れ屋「もみじ庵」の斡旋した女が、奉公先の武家屋敷から金を盗んだという。逃げた女を見つければ、人宿組合から三両の礼金が入ると言われ、六平太は探索を引き受ける。犯人とされる女は、片方の眉がないという。

「安囲いの女」 谷中に住む、おようという香聞きの師匠が付き添いを求めているという。おようは、月に三度か四度、麻布谷町へ行き、二日ばかり滞在して谷中に戻る。実は、谷中で煙草屋の隠居の妾をやりながら、麻布では三人の男からそれぞれ月に一両二分の手当てで囲われていた。

「縁切り榎」 六平太は、材木商の飛騨屋の娘・お登世と、その友人であるおしのの灌仏会見物に付き添った。おしのは諸国産物を商う大店、日本橋「久野屋」の娘で、大名家の江戸屋敷に奥女中として奉公している。最近、お殿様の目にとまってしまい、このままでは寝所に行かされてしまうというのだ。
(以上Amazon 内容紹介より)

このところ、この金子成人という作家の付添い屋・六平太シリーズを立て続けに読んでいます。それだけ面白いからではあるのですが、続けて読んだためか、若干、違和感を感じてきました。物語として面白くないということではなくて、それぞれの話のまとまりが実にテレビドラマのようなのです。

つまりは、1時間で完結するということです。各章の話がきちんと完結し、それで終わりです。勿論、シリーズ全体を通しての十河藩との確執などのシリーズを通したドラマは残っていますし、サイドストーリー的に挿入されている小さなドラマもそのまま残っています。でも、各章の話の落ち着き方が一時間もののドラマに感じてきたのです。

理由はよく分かりません。他の脚本家出身の作家の作品も多く読んでいるのですが、そのように感じたことはありませんでした。金子成人という作家だけでの話です。

でも、物語として面白いのは間違いないのですから、続きも読みたいと思っています。

大内 美予子 沖田総司


新選組ものと言えばいつもの東屋梢風さんのサイト「新選組の本を読む ~誠の栞~」に紹介してあった作品です。文藝春秋『オール読物』2013年3月号の記事「この新選組小説がすごい!」に紹介してある名作とのこと、早速読んでみました。

冒頭からしばらくは、それほどのことはない小説だと思いつつ読み進めていました。

本書では、19歳の総司の日野でのとある一日の場面から、京で新選組が成立するまでを、「京へ」という13頁しかない冒頭の章で描いてあります。その後「壬生浪人」「池田屋」との章が続き、それぞれに芹沢鴨暗殺、池田屋事件が語られています。ここまでで全体の四分の一程で、ほかの作品であればこの二つの事件がメインになり、十分な書き込みが為されるところです。

つまりは新選組は重要ではあるものの舞台でしかなく、あくまでそこに生きた沖田総司の物語として成立しています。そのために新選組の歴史を浅くしか触れられていない本書に違和感を感じたのだろうと思います。しかし、この二章を読み終える頃には本書に取り込まれていました。

また、これまでに知っていた歴史的事実と言われていることとは異なる点が少なからずあることも一因だったのかもしれません。しかし、東屋梢風さんの、本書が書かれた頃はまだ知られていなかった事実が多数ある、との指摘を思い出し、単に時代背景の独自の設定として読み飛ばせていました。

この作品は、沖田の描き方が感情過多になることもなく、わりと客観的に、それでいて総司の内面にもそれなりに踏み込んで描かれています。また、新選組の物語ではなく、新選組を舞台とした青春小説としての一面も強く感じます。似たような青春群像として描かれた作品に木内昇の『新選組 幕末の青嵐』がありますが、あちらは群像劇であるのに対し、本書は沖田総司個人に焦点が当てられています。またこちらのほうが若干センチメンタルな仕上がりになっているとも言えそうです。

それは、総司の淡い恋心を描くにしてもそうです。だからと言って感傷過多というのではありません。人を愛することに距離を置く総司、そして、軽口をたたいてばかりの総司、随所で子供とふれあい笑い声の絶えない総司、そうした総司の描き方は近年の新選組の物語を考えると決して目新しいものではないのですが、40年前の作品という事実を無視してもその上手さが光ります。

油小路事件から鳥羽・伏見の戦いなどの歴史的事件は、総司が現場に居ないのですからさらりと触れるだけにとどめ、あくまで総司を描くこの物語は、40年も前に書かれたという時間の経過を感じさせない、のめりこんで読んだ作品でした。

本書について「あとがき」で書かれているところからすると、本書が大内美予子氏の小説としては処女作なのではないかと思料されます。それまでどのような仕事を生業とされていたのかもわかりませんが、そのこともまた驚かされる事実でした。

金子 成人 付添い屋・六平太 虎の巻 あやかし娘


付添い屋・六平太シリーズの二巻目です。例によって、全部で四つの短編からなっています。

「あやかし娘」 味噌問屋浅野屋の娘のお絹の付き添いをしていた六平太は、奔放なお絹の行動に振り回されていた。そのうちに、浅野屋が三五郎という男から脅しをかけられているという。

「武家勤め」 関森藩の藩主の妾腹の子亀太郎を助けたことから、亀太郎の剣術指南をすることになった。しかし、そのことを快く思わないものもいて・・・・。

「むかしの音」 六平太は盲目のお琴の師匠秋絵の付き添いをすることになった。その秋絵は、出稽古のの途中、わき道にそれ、ある音を聞いているかのように佇むのだった。

「霜の朝」 前巻の最終話で、六平太の妹の佐和は、呉服商の美濃屋の手代由蔵のもとに嫁ぐことになったのだが、その後の佐和の姿が描かれる。

定番の構成として、それぞれの話では付き添い屋としての六平太の活躍による人情譚が語られ、その巻やシリーズ全体を通してまた別の話が展開します。本書の場合この巻を通しての話は、六平太が十河藩の伴番であったころの許婚者、小萩の嫁ぎ先である山中伊織との確執です。山中は六平太と小萩の仲を疑い、常に六平太の動向を探っているのです。

とある事情で浪人をすることになったものの、やはりもといた藩との繋がりは切れず、なにかとトラブルのタネとなる、という設定は、これまたこの手の浪人ものの定番でもあります。しかし、本書の場合、もとの藩との話は決して物語の流れを切ることも無く、シリーズを通しての出来事として魅力の一つになっています。

こうしてみると、本シリーズの設定は定番をおさえた構成と言えそうです。そして、人物描写のうまさや、物語の展開の調子など、脚本家として培われた能力が全開していると思われます。ただ、そのことは、逆に言うと特色がないことにもつながります。物語がこのままの展開で進んでいくと若干飽きられるかもしれません。

本書は前巻と同じ調子で心地よい語りのまま読み進めることができる物語です。と言っても、本巻は第一巻である前巻と同時出版だったそうなので、同じ時期に書かれた物語だったのでしょう。

また、イラストに違和感を感じるのは同じです。ただ、このイラストが『JIN-仁』『龍-RON』の村上もとか氏が担当していることには気づきませんでした。言われてみれば村上もとか氏の絵ですね。好きな漫画家さんではあるのですが。やはり、本作のイラストとしては違和感を感じる点に変わりはないようです。

野口 卓 遊び奉行


この作者の『軍鶏侍』の番外編的位置づけの作品。それでいて、独立した物語として肩が凝らずに楽しく読める物語でした。

園瀬藩主斉雅の長子ではあるが、妾腹の子であるために藩主のあとは継げない亀松は、園瀬藩家老九頭目伊豆の婿養子として一亀を名乗り園瀬に国入りすることになる。しかし、そこでは藩政改革のためにと一亀をまつりあげようとする集まりが持たれていた。

さすが『軍鶏侍』の書き手の作品で、同じ園瀬藩を舞台にした非常に読みやすい作品だと思いながら読み進めていると、どうも何か変だと思えてきました。『軍鶏侍』と舞台が一緒なのです。単に園瀬藩という土地が同じということではなく、話の内容が同じです。よく読んでみると、『軍鶏侍』で岩倉源太夫は園瀬藩の政争に巻き込まれますが、その政争を別な視点で描いた物語だったのです。

ただ『軍鶏侍』での園瀬藩の藩主が、本書と同じ「九頭目隆頼」だったことはメモにもあり間違いはありません。しかし、肝心の九頭目一亀という名前は覚えが無いのです。もしかしたら出てきていたのかもしれませんが、少なくとも今は覚えていません。

勿論、本書にも軍鶏侍としての岩倉源太夫の名前も出てきます。そして、岩倉源太夫の仕事の内容が、本書からの視点として語られています。

本書で一番記憶に残ったのは園瀬の盆踊りのことでしょう。本書でかなり詳しく描写してあるその踊りは、つまりは「阿波踊り」のようです。読んでいると「阿波踊り」の美しさが蘇ってきました。いつかは実際に見てみたいと思っていた踊りです。あの男踊りの勇壮さ、女踊りのたおやかさは、他の祭りでは見られない絶妙な美しさがあります。

架空の藩ではありますが、園瀬藩を舞台にした藩の主導権争いが描かれています。物語自体は特別な筋立てがあるわけでもなく、普通の物語です。ただ、園瀬という舞台の描写は美しく、それに前述の踊りが筋立て上も重要な出来事として描かれています。

園瀬藩も、藤沢周平の海坂藩のような、読者にも親しみを持たれる架空の舞台として成長していくでしょうし、成長してもらいたいものです。

東野 圭吾 夢幻花


いつもの東野圭吾の物語を期待していたら、少しだけ自分の思惑とは異なる物語でした。

秋山梨乃の祖父の秋山周治は独り暮らしをしていたが、ある日何者かに殺されてしまう。梨乃は庭から消えた黄色い花のことが気にかかり、預かっていた黄色い花の写真をブログにアップするが、ブログを見て近づいてきたのは、警察庁に勤務する蒲生要介だった。要介の弟の蒼太は梨乃と知り合い、ともに事件の真相解明に向けて動き出すが、西荻窪署の刑事である早瀬も、個人的な事情から事件を追うのだった。

主人公は蒲生蒼太であり、パートナーとして秋山梨乃ということになるのでしょう。この二人が探偵役として秋山周治の殺害事件の真相を探り当てようとするのです。それに、蒼太の兄蒲生要介や、秋山老人とは昔息子の件で縁のあった早瀬亮介刑事が絡んで真相解明の手伝いをします。

東野圭吾の物語の面白さは、社会性のあるストーリーにあり、またそのストーリーに仕組まれた仕掛けの面白さにあると思っています。そしてその仕掛けや伏線の回収の仕方もまたうまいのです。つまりは東野作品の面白さは作品全体を通した、二重、三重の仕掛けの巧みさにあると思っているのです。

ところが、本作品ではその仕掛けが今一つピンときません。「変化朝顔」という道具が、本作品の大きな仕掛けの核になっているのですが、それがうまく機能していない気がします。

物語としては面白いのです。数十年前に起きた殺人事件。そして蒼太の初恋、梨乃の従兄の尚人の自殺などの事件が起き、梨乃の祖父である秋山周治の殺害へと続きます。これらの無関係の事柄が最終的には一つのことへと収斂していく手際はいつものことながらにうまいものだと思います。でも、例えば『新参者』や、先日読んだ『ナミヤ雑貨店の奇蹟』には及ばない作品だと思うのです。

本作品は、東野圭吾の物語のレベルとすれば、その作品群での位置は上位には来ないということなのです。勿論これは個人的感想であることは言うまでもなく、実際本書を最高傑作に近い、と評価する人もいるようです。

宇江佐 真理 寂しい写楽


これまで読んできた宇江佐真理作品からすると、かなり雰囲気の異なる作品でした。

寛政の改革令に反旗を翻した浮世絵板元の蔦屋重三郎は歌舞伎役者の大首絵刊行を試みる。喜多川歌麿の離反にあい、絵師探しが難航するなか、突然現れたのが正体不明の東洲齋写楽という男だった。助っ人に駆り出されたのは不遇の日々を送っていた山東京伝、葛飾北斎、十返舎一九の三人。謎の絵師を大々的に売り出そうとする重三郎のもと、計画は進んでいく…。写楽とはいったい何者なのか。そして大首絵は刊行できるのか。宇江佐真理が史実を元に描いた傑作長編。(小学館文庫)(「BOOK」データベースより)

東洲齋写楽という人物はその背景がほとんど分かっていないことから、別人説や共同作業説など様々な考え方が出されています。ただ、「現在では阿波徳島藩主蜂須賀家お抱えの能役者斎藤十郎兵衛(さいとう じゅうろべえ、宝暦13年〈1763年〉 - 文政3年〈1820年〉)とする説が有力となっている(ウィキペディアより)」そうです。

本書はこの現在の有力説である「斎藤十郎兵衛」説をもとに、版元である蔦屋重三郎を中心に、山東京伝や葛飾北斎、十返舎一九らを周りに据えて「写楽」を描き出しています。詳しくは読んでいただくしかないのですが、要は「写楽」は実在し、実際描いてもいるのだけれど、その実態は合作説に近い、という考え方だと言ってもいいのでしょう。

冒頭に書いたように、これまでの人情話としての宇江佐真理作品を思っていると、裏切られます。読みやすく、それでいて読み手の心にひそやかに暖かな思いを置いていく、そうした作品とは違います。

まず、舞台が浮世絵の世界であり、登場人物の描き方からして異なります。文章も、市井の人々の暮らしを情感豊かに描き出すいつもの文体とは異なり、別人の文章であるかのように客観的な描写を心がけておられるようです。描き出す対象が浮世絵の世界であり、歌舞伎の世界であるためでしょうか、一般読者のための説明が必要なためでしょうか、背景説明に費やす文章量が多くなっています。反面、会話文が格段に減り、蔦屋重三郎軸とした当時の戯作者、浮世絵画家の世界が、わりとクールに描き出されているのです。

そうした違いはありますが、やはり宇江佐真理作品の人を見る目の優しさはそのままです。葛飾北斎や十返舎一九らの売れる前の姿が描かれていて、次第に戯作や浮世絵の世界で自分の在り方を見つけでいく、その過程を楽しむ読み方もできます。

読みにくさを感じる読者もそれなりにいるのではないかと、少々心配になる程の文章ではありますが、読み終えてみるとやはり宇江佐真理作品だと思わされます。

この文章を書いているときに、宇江佐真理さんが、2015年11月7日に乳がんのために亡くなられたという訃報記事を見つけました。驚きました。六十六歳だったそうです。あまりにも若すぎます。残念でなりません。御冥福をお祈りいたします。

堂場 瞬一 警察(サツ)回りの夏


堂場瞬一という作家の作品は久しぶりに読みました。この作家の作品はどの作品を何時読んでも決して軽くは読み飛ばせない、丁寧さを感じます。

甲府市内で幼い姉妹二人の殺害事件が発生し、その母親が犯人の疑いをかけられていた。日本新報甲府支局のサツ回り担当の南は本社復帰への足がかりにと取材していたが、警察内部のネタ元から母親逮捕の感触を得る。特ダネであるその情報は、しかしとんでもない事態を引き起こすのだった。

久しぶりに読み応えのある小説を読んだ、という印象です。数日前に雫井脩介の『検察側の罪人』という、これまたよく書きこまれた作品を読んだのですが、違和感を覚え感情移入できなかった分だけ本書に軍配が上がります。本書の場合も、最後になって動機に関連する設定で少しだけ疑問を感じる個所があったのですが、あまりこだわる場面でもないと、無視することができるほどのものだったのです。

読み始めは普通の新聞記者を主人公にしたミステリー小説だと思っていたのです。しかし、次第に雲行きが怪しくなり、幼子を殺した犯人追及もさることながら、別な問題が大きなテーマとして上がってきます。それがネット社会についての考察であり、報道の在り方についての問題でもあるのですが、より大きな存在へとつながっていきます。

本書の視点も、当初は日本新報の南という記者にありましたが、そのうちに南の恩師である高石へと変わっていきます。この視点の変化こそが作者の本当に書きたかったことへの流れなのでしょう。

そして避けて通れないのが、現実に起きた、あの朝日新聞の問題です。本書の出版日時は2014年9月です。そして、朝日新聞の誤報問題への会社としての謝罪は2014年の9月にありました。まるで、本書の内容が朝日新聞の問題を先取りしていたかのようなことになっているのです。本書の内容はこの朝日新聞の問題によく似た構造を持っています。勿論、本書の小説としての設定の根本は別ですが。

検察側の罪人』は「正義」を問うた作品でしたが、本書は直接的には「報道」についていろいろ考えさせられる作品です。「報道の自由」は国民の「知る権利」に奉仕する、民主主義の根幹をなす重要な権利です。報道の自由が無い場合、知る権利は絵に書いた餅にすぎなくなります。近時わが国でもきな臭さを感じないこともないのですが、本書を読んでいると、そうしたことまで考えてしまいます。

しかし、そうしたことは、ミステリーとしての本書の面白さがあってこその話です。「所詮は田舎で起きた、単なる殺人事件であ」ったはずの事件が、まったくの外部の人間の思惑から、次第に日本を揺るがしかねない大事件へと変質していきます。骨太の構成を持ちつつも、読ませるところを熟知した作家の力の入った作品です。是非一読される価値のある作品だと思います。

今野 敏 廉恥


警視庁強行犯係・樋口顕シリーズの四冊目です。前作『ビート』から十四年がたっています。

警視庁強行犯係の樋口顕は、キャバクラ嬢の南田麻里の殺害事件の捜査本部にいた。被害者南田麻里はストーカー被害届を出していたらしく、管轄の世田谷署は対応に苦慮していた。一方、友人である警視庁生活安全部少年課の氏家譲警部補から、樋口の娘照美のコンピューターから公立中学や高校に脅迫メールが送られた疑いがあるとの連絡を受ける樋口だった。

近時の今野敏の作品は安心して読むことができます。勿論、作品の仕上がりに波があるのは当然でしょうが、決していい出来とは思えない作品でも、小説としての面白さは間違いないのです。

本作品『廉恥』は、主人公の性格設定や主人公の家庭環境の設定に既視感があるという意味では上級の出来とは言えないかもしれません。しかし、物語の面白さは否定できるものではありません。

例えば、どことなく『安積班シリーズ』の安積警部補にも似ているという点では樋口顕の性格設定は既視感があると言えます。しかし、常に自分を省みる主人公の性格ゆえに思いつく事柄や、その主人公に親しみを感じる小森ら他の警察官たちとの仲間意識にもつながり、読んでいて気持ちのいいものがあるのです。

そして、本書ならではの特色というと、ストーカー事案の抱える問題へのアプローチにもあるのでしょうか。警察小説としてのミステリーの側面では、事件の真相へと近づいていく樋口らの行動は読んでいて飽きません。加えて、警察庁から派遣されてきた小泉蘭子刑事指導官の存在は大きく、ストーカー問題の奥深さを知らしめてくれます。小泉指導官との絡みでは、昔ながらの刑事である小森の変化なども面白い書き方でした。

これらの仲間の力を借りながら事件の真相に近づいていく書き方は、他の作品でも同様と言えば同様なのですが、内省的なキャラクタ設定のうまさや、家族の問題をも描写することで、人間としての主人公の深みをも描き出すうまさなどをいつも感じさせられます。そして、今野敏の物語に感じる、人情話にも通じる物語の運び方は、心地よい読後感をもたらしてくれるのです。

金子 成人 付添い屋・六平太 龍の巻 留め女


このごろ時代小説がブームだと言います。そして、面白い書き手が多数登場しているのもまた事実です。この金子成人という作家も有望新人と言っていいのではないでしょうか。

秋月六平太はかつては信州十河藩の供番を勤めていたが、十年前の藩の権力抗争でお役御免となり、今では大店の娘の付き添いなどで口を糊する身分になっていた。六平太いつもは護国寺近くに住む髪結いのおりきの家に転がり込んでいた。血のつながらない妹の佐和が一人で守っている浅草元鳥越の自宅にはたまにしか帰ってはいない。そうした六平太だが、ひょんなことから知り合った、道場の後輩でもある同心の矢島新九郎の力を借りながら、何かと巻き込まれる事件を解決する日々だった。

この作家もネットで見つけた作家でした。いざ読んでみるとこれがなかなかに面白い。作者は『前略おふくろ様』なども手掛けていた著名な脚本家だそうです。手慣れた書き方だと思っていたら、やはり、面白い物語を知った人でした。

先に「有望新人」だと書きましたが、本来はベテランの作家さんだと言ってもおかしくはない人だったのです。

本書は、決して目新しい設定だというわけではありません。かつては宮仕えをしていた剣の達人で、今は血のつながらない妹のそばに居るのが気づまりで、惚れた女のところに転がりこんでいる。いかにもありそうです。ですが、話の運び方がうまいために、どんどん引き込まれていきます。

痛快時代小説と言っていいこの物語は2015年7月現在でもうすでに四冊を数えています。第一巻である本書『付添い屋・六平太 龍の巻』が2014年6月に出版されていますので一年に四冊が出ていることになります。読者の支持を得ているということなのでしょう。

気楽に読める痛快時代小説の新たな書き手の登場です。また楽しみが増えました。ただ、装丁が中身とあっていないような感じを受けるのは私だけなのでしょうか。

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本ブログを別棟として位置付けて、読んだ本を記録していこうと思い立ちました。ここでの文章を母屋であるそのサイトに転記していくつもりです。

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