葉室 麟 橘花抄


侍の生き様と、侍の家に生まれた女たちの、清廉な生き方を描き出した作品です。

両親を亡くした卯乃は、筑前黒田藩で権勢を振るう立花重根に引き取られたが、父の自害に重根が関与したと聞き、懊悩のあまり失明してしまう。前藩主の没後、粛清が始まった。減封、閉門、配流。立花一族は従容として苦境を受け入れるが追及は苛烈を極め、重根と弟・峯均に隻腕の剣士・津田天馬の凶刃が迫る。己の信ずる道を貫く男、そして一途に生きる女。清新清冽な本格時代小説。(「BOOK」データベースより)

藩主とその二人の息子らの、三すくみの争いに巻き込まれる立花重根(しげもと)とその弟峯均(みねひら)、それに重根の家に預けられることになった卯乃の、波乱に満ちた運命が描かれます。

葉室麟の作品を読んでいて気になることがあります。それは、本書の前に読んだ葉室麟の『陽炎の門』も、その前に読んだ『この君なくば』などにしても、禁欲的であくまで主君に対する忠節を貫く侍の生き方を描くと共に、そのような時代の中での恋模様を描いているところです。

有名な「葉隠」の中にも「忍ぶ恋」という文言があるように、武士道と恋という相反するように思える生き方、想いの間には相通ずるものがあるのでしょうか。この点の「忍ぶ恋」解釈にもさまざまなものがあるのでしょうが、簡単に書かれた文章の一つに「823夜『葉隠』山本常朝|松岡正剛の千夜千冊」があります。

ここでは、葉隠れの中での「常住死身」と「忍ぶ恋」との関係についても書かれています。誤解を恐れずに書けば「常住死身」とは「単に死を覚悟する」ことを超えたところでの「奉公」であり、「忍ぶ恋」とは衆道をも前提とした片想い、すなわち相手は知らない一方的な恋のことであって、武士道とは主君の知不知を超えたところでのご奉公ということを意味しているようです。

本書においても重根はひたすら黒田のお家のため、現藩主である綱政の不興を買うことは分かっていながら、前藩主光之と光之の三男現藩主綱政、更には不行跡を理由に廃嫡された光之の嫡男綱之の三者の仲を元に戻そうと図ります。しかし、やはりそれらの行為は、現藩主綱政やその取り巻きにはには重根が自らの利益のために為しているとしか受け取られず、立花の家は過酷な処置を受けるのです。

重根の弟峯均はかつて試合で佐々木雁流の流れをくむ剣士に敗北した過去を持っていますが、その後の研鑽で宮本武蔵の二天一流を会得した使い手でもあります。峯均はそんな兄の護衛として共に藩のために尽力します。そして兄と同様に流されるのです。

卯乃についてみると、現在では出家して泰雲と名乗っている嫡男綱之の廃嫡のときの騒動のために、父村上庄兵衛を亡くしているのですが、誰も手を差し伸べようとはしないなか、幼い卯乃を引き取ったのが重根でした。その卯乃も、父の死に重根が関わっているとの話を聞き、懊悩から盲いてしまい、重根の継母りくの元に行きます。そこに峯均も共に住んでいまたのです。

主だった登場人物だけでも多くいて、それぞれの関係性も複雑です。若干物語を追うのに苦労しかねないストーリーです。加えて、少なくない場面で引用される古歌により登場人物の心情を表現していたり、りくを中心としておこなわれる香道による香りもまた人物の内心、心情をあらわしたりと、本書の内容はかなり濃いものがあります。加えて、本書には剣の使い手としての峯均の、剣豪小説的な側面もあるという、実にぜいたくな内容です。

有名な田騒動に続く、第二の黒田騒動とも言われる事件に題を取り、実在の立花重根、峯均という人物を中心に、武士の生きざま、そして恋模様を描いた本作品は、葉室麟の作品の中でも多くの人が名作と評しているのも分かります。

ただ、個人的にはやはり『蜩の記』に軍配を上げたいのです。本書で多用される人物の心象表現が、少々人智を超えたところで働く力に頼り過ぎると感じました。峯均の剣戟の場面にしても同様で、いまひとつ入り込めませんでした。

三浦 しをん 仏果を得ず


三浦しをんという作家は、さまざまな職種の主人公を設定していますが、今回は文楽です。日本を代表する伝統芸能の一つである人形浄瑠璃文楽は、太夫・三味線・人形が一体となった総合芸術で、今回の主人公はこの太夫の語りに精進する若者です。

高校の修学旅行で人形浄瑠璃・文楽を観劇した健は、義太夫を語る大夫のエネルギーに圧倒されその虜になる。以来、義太夫を極めるため、傍からはバカに見えるほどの情熱を傾ける中、ある女性に恋をする。芸か恋か。悩む健は、人を愛することで義太夫の肝をつかんでいく―。若手大夫の成長を描く青春小説の傑作(「BOOK」データベースより)

あい変らず読ませ方がうまい作家さんです。文楽の世界など全く知らない私ですが、どこかで聞いたことのある「義太夫」とか「仮名手本忠臣蔵」などの名詞が飛び交う中、いつの間にか作中の世界に浸っていました。

そもそも人形浄瑠璃というものを詳しくは知りません。テレビの画面の中で数回、それもいくつかの場面を見た事があるだけです。今では「文楽」という言葉は人形浄瑠璃のことを意味しますが、本来は人形浄瑠璃専門の劇場の名だったそうです。その文楽での語りを担当する太夫が今回の主人公になります。

芸の道を生きる人を描いた作品は、芸道とは縁遠いところで暮らしている私たちのような一般人にとって理解のしにくい分野ではあります。見知らぬ分野であっても、この作者の作品でいえば『船を編む』の辞書の編纂の世界もその実際は分からないものの、まだ理解の範疇にあると思えますし、『風が強く吹いている』の駅伝の世界でも同様です。本当は知らない世界であっても、普通人の日常の生活から追体験できる気になれる分野なのです。

しかし、「芸」の道は感性の問題であり、とても一般人の理解できる世界ではないと思うのです。それを小説家という人たちは、感性の世界を私たちも理解できると思える世界に再構築してくれています。

本当は柔道や格闘技を描く武道小説も、剣豪小説の剣の道にしても同様のことが言えるのでしょうが、「芸道」よりは身近に思えます。それは、単に自分が芸の道から遠いところにいるからなのかもしれませんが。

ただ、その感覚が離れすぎていると、読者も引かざるを得ないのですが、三浦しをんという作家はそこらがうまく、私のような一般素人でも、浄瑠璃の作品世界の解釈に苦しんでいる主人公の内面を理解できるような気にさせてくれるのです。

そうはいっても、やはり少々ついていけないところもあります。最もそう思うのは、小学生が浄瑠璃の舞台を見て涙を流す場面であり、やはり理解できません。まず、小学生は高学年ではあっても言葉の意味すら理解できないでしょうし、言葉の意味を教えていたにしても小学生の感性で涙まで流す表現にはついていけません。私にとってその場面は物語の世界を壊す場面でした。

とはいえ、三浦しをんという人は、やはり物語の作り方がうまい作家という印象しかありません。若干好みは分かれるかもしれませんが、面白い小説ではありました。

蛇足ですが、わが郷土の熊本でも人形浄瑠璃の常設小屋(と言っていいのか分かりません)があります。阿蘇の南、宮崎県との県境近くの山都町にある「清和文楽館」というのがそれです。私の奥さんは行ったことがあり、素晴らしかったそうです。残念ながら私はまだ行ったことがありません。

池井戸 潤 オレたちバブル入行組


先に続編を読んでしまっていたのですが、本書もまた十分に面白い小説でした。もちろん本書も勧善懲悪の物語です。主人公がいわれなき中傷を乗り越え、非道な上司や横暴な得意先に対して反撃するくだりは、十分に溜飲を下げることができる、痛快エンターテインメント小説です。

バブルも華やかなりしころに産業中央銀行に入行した半沢直樹も、今は大阪西支店融資課長となっていた。その半沢は、支店長の浅野の命により融資をした会社が回収不能に陥ってしまう。ところが浅野支店長はすべての責任を半沢に押しつけようとするのだった。しかし、それに黙って従う半沢ではない。今、半沢直樹の反撃が始まる。

惹句にある通りの痛快エンターテインメント小説です。経済のど素人の私にも銀行の仕組みを分かるように解説しつつ、中間管理職の悲哀を十分に示してくれます。それでいて、非道な上司の身勝手な言い分をも覆し、更にはヤクザと見まがうばかりに腹黒い中小企業の経営者に対しても反撃を加える半沢の活躍が、この作者のテンポがよく、分かりやすい文章で語られていて、面白くないはずがありません。ありふれた言葉ですが、まさにカタルシスをもたらしてくれるのです。

確かに、見方によっては登場人物はステレオタイプである、と言えなくもありません。成功は自分の手腕であり、失敗は馬鹿な部下の責任だとする、能力のない上司の典型として語られるタイプがそのまま登場していますし、本書で半沢が振り回される銀行の顧客にしても、自分のことしか考えない経営者です。

しかし、型にはまった登場人物ではあっても、現実を反映しているからこそ一般に受け入れられているのでしょう。更に、銀行内部のさまざまな手順や処理のしかたが、銀行の内情に絡めてテンポよく描写してあるため非常に読みやすく、先の展開に対する期待を持って読み進めることになります。

個人的には大企業内での人間関係、パワーバランスなどの実際は知りません。勿論銀行内部の事柄も知りません。しかし、そんな読者も、設けられている舞台設定が実際在り得る状況であろうし、また現実に見聞きする舞台設定と同じだと、素直に受け入れることができるのです。

とにかく、痛快小説のパターンに則った物語であり、安心して読めるお勧めの小説です。

野口 卓 闇の黒猫: 北町奉行所朽木組


『軍鶏侍』の野口卓による北町奉行所の定町廻り同心である朽木勘三郎を主人公とした捕物帳形式の新しいシリーズで、「冷や汗」「消えた花婿」「闇の黒猫」の三篇が収録されています

「冷や汗」 京に本店がある呉服・太物商の桜木屋の支配役の金兵衛が、池之端仲町の自身番で勘三郎を待っていた。金100両が無くなっているものの、いつ盗られたかは不明だという。勘三郎は父親が「闇の黒猫」と呼んでいた凄腕の盗賊の仕業ではないかと疑うが・・・。

「消えた花婿」 呉服町にある諸国銘茶問屋の大前屋から、祝言をあげたばかりの息子俊太郎が行方不明だとの相談を受けた。気が弱く、遊び仲間からの誘いを断りきれない俊太郎の、勘当寸前の最後の望みの綱として嫁を迎えたのだという。しかし、何か隠し事があるようで、密かに調べを入れる勘三郎だった。

「闇の黒猫」 夜遅く、塗物問屋の北村屋から出てきたひとりの盗人を捉えた。この男こそ「黒猫」だとの思いを強くする勘三郎だったが、男は一時の気の迷いによる盗人だと言いはり、名を歌川吉冨という絵師だというのだった。

情感豊かに描かれた『軍鶏侍』の印象が強かったので、本作品の読み始めは戸惑いがあったのが事実です。本作品はどちらかというと、抒情性を排し、客観性を重んじているようで、勘三郎の主観もその描写はほとんどありません。本書が捕物帳であることから、作者はあえてそのような手法を取っておられるのでしょう。

作者は、本書の舞台背景の説明にも心を砕かれていて、邪魔にならない程度に、それでも他では見ないほどに用語や小道具の説明が入り、それはそれで興をそそられます。

最もユニークと感じたのは、勘三郎の配下として岡っ引きの伸六とその手下である安吉と弥太がおり、それに見習の和助と喜一とがいて、彼らが朽木組と呼ばれるチームとして活躍することです。勘三郎は探索の方向性を示し、伸六が具体的な指揮をとり、安吉と弥太が和助と喜一を使いながら調べに走るのです。

そのそれぞれが一人前のあかしとも言われる渾名、異名を付けられており、腕は確かな「減らず口の安」とか、見かけによらず優しい「地蔵の弥太」などと、はっきりとした性格づけが為されています。見習いである安吉と弥太についても同様で、「独言和尚」「ぼやきの喜一」という渾名を持っています。勘三郎も勿論渾名があり、その名前の頭の三文字からから「口きかん」と呼ばれています。

『軍鶏侍』において、園瀬藩という風光明美な里を設定し、軍鶏というこれ以上無いほどにユニークな舞台を設けた作者らしい、新たな捕物帳が誕生したと言えるでしょう。

このシリーズは一作しか読んでいないので、次の作品を楽しみにしてみましょう。

雫井 脩介 犯人に告ぐ2  闇の蜃気楼


「振り込め詐欺」の手法を使い仕組まれた「誘拐ビジネス」に対する神奈川県警の巻島史彦警視を描く警察小説です。警官がテレビに出演し犯人に呼び掛けるという衝撃的な内容だった前作からすると、少々見劣りのする物語でした。

ミナト堂社長水岡はその息子裕太と共に何者かに誘拐されてしまうが、水岡のみが解放された。犯人は何故に水岡のみを簡単に開放してしまったのか。神奈川県警の巻島史彦警視は、この誘拐犯の捜査指揮を任されることになり、再び陣頭指揮に立つことになった。

本書は前作とは異なり、犯人探しの要素は全くなく、犯人側の視点と警察の視点とが交互に描かれ、犯人と警察、すなわち巻島との知恵比べが見どころになった小説です。この点で、前作同様の緊迫したサスペンス小説だとの私の思い込みは外れ、見劣りする、という印象になったのでしょう。

本書の冒頭は「振り込め詐欺」の詐欺の様子が描かれ、その犯人チームの詐欺行為に傾ける努力の様子などが示されます。そこで焦点が当てられているのが砂山知樹、健春の兄弟であり、指南役である淡野悟志です。この振り込め詐欺の実行の様子それ自体も一つの物語であって、その後の物語の伏線ともなっているのですが、個人的にはこの部分は余分としか思えませんでした。

何しろこの本を手に取ったのが前作『犯人に告ぐ』の面白さのためであり、本書の内容に対しては何の予備知識も無かったのです。つまりは前作のような緊迫感に満ちたサスペンスを期待していたにもかかわらず、「振り込め詐欺」の実行の様子が淡々と(と言っては語弊がありますが)語られるのですから、肩すかしをくらった印象なのです。

その後、神奈川県警の様子が少しずつ描かれていき、巻島警視が登場し、巻島の読みが深くなってくる後半はそれなりの面白さが出てきます。特に正体不明の淡野の仕掛けに振り回される被害者、警察に対し、巻島が少しずつ巻き返していく過程は、お定まりの流れはいえやはり読ませる作家という印象です。

ただ、やはり前作のインパクトが強く、どうしても引きずってしまいます。

他にも、前作から登場する県警本部長である曾根要介の描き方が若干強引過ぎると思われることや、特別捜査隊隊員の小川かつおの在り方が、やはり安易に過ぎるように思えることも気なるところではあります。共に、県警本部長になるキャリアにしては乱暴に過ぎるし、小川にしても一人前の捜査隊員ではありえない設定ではないかと思えます。

でも、こうした点は小説のデフォルメの範囲内であり、巻島を目立たせる細工の一つとして取り立てて言うほどのことではないとも思うのです。

ともあれ、前作の面白さが群を抜いていたため、そのハードルの高さで本書を見ていたことは否めず、そうした先入観を無くしてしまえば、やはりそれなりの面白さを持った警察小説ではあります。

とくに、今回犯人として登場した淡野はそれなりに魅力を持った悪役であり、今後のこのシリーズの行く末を暗示しているようです。今後の展開を待ちましょう。

高村 薫 マークスの山(上・下)



決して「重い」「暗い」とは言いたくはないのだけれど、そうした言葉さえも決して誤りとは言えないような、主人公の内心も、またその場面の状況でさえも濃密に書きこまれた小説でした。第109回(1993年上半期)直木賞、第12回日本冒険小説協会大賞を受賞した作品です。

昭和51年10月、「口なし岩」と呼ばれている岩田幸平は、酒の妄想もあり、工事現場を訪れた若者を撲殺してしまう。その16年後、畠山宏というヤクザが殺され、このあとに続く連続殺人事件の幕が開く。警視庁捜査第一課七係に属する合田雄一郎刑事は、事件の裏に潜む異常性が、かつての事件との関連を見せてくることに戦慄を感じるのだった。

一言で言うと、サイコパスによる連続殺人事件を解決する捜査陣の物語、ですが、そう言ってしまうとこの物語の本質はどこかに消えてしまいます。

本書の一番の特徴は、警察内部の描写のしかたが独特で、合田雄一郎刑事を中心とする刑事たちの群像劇として側面が強いことでしょう。

近時の警察小説は多かれ少なかれ群像劇としての要素を含む作品が多いのですが、本書の場合、警視庁捜査第一課七係内部での個々の捜査員毎の描写が緻密で、個性豊かに描き分けられています。捜査員それぞれが情報を抱え込み、他者の抜け駆けを極端に恐れています。同じ班同士で情報を共有し合い、他班との競争を出し抜く、というのではなく、捜査員個々人の競争のレベルまで描写しているのです。

そういう点では、組織としての捜査員の描き方が、実際を知らない素人にはリアリティーを持って迫ってきます。とくに、常に自身を省み、見つめなおしている合田雄一郎刑事についてはその心理描写は比類なく、「暗い山」を抱えた本書の殺人犯と同様に彼なりの闇を抱えているのではないかと思ったほどです。

一方、犯人側の描写も濃厚ですが、この点については少々嫌う人も出てくるかと思われます。抽象的な表現もあって若干ついていきにくい場面も少なからずあるのです。

本書は1993年3月に早川書房より出版され、2003年一月に全面改稿されて講談社から出版されたのだそうです。その改稿では最後の一頁が無くなったらしく、そこには義兄との会話があって、今回の事件でひとり娑婆で生きるある男について、どこまでも追い詰めると言う合田の意思表示が示してあったそうです。

私は新潮社の文庫版を読んだためこの点については分からないのですが、調べてみると、改稿前、すなわち単行本のほうがいいという声が大半でした。改稿によって「回りくどい独特な心理描写が増えた代わりに、情緒的な人間描写や会話などのやり取りが減った。」のだそうです。人によっては「別作品」だと言う人さえいるくらいです。何故その頁が削除されたのか、作者はどういう考えだったのか、聞きたいものです。

富樫 倫太郎 土方歳三(上・下)



新選組の活動に対する奇をてらった新たな解釈もない、歴史小説としてではなく活劇小説としての、楽しく読める新選組小説という印象の作品です。

日野の田舎で喧嘩や女のことで奉公先をしくじってばかりの歳三は、奉公人は務まらないとして石田散薬の行商に出る。出先で剣術修行に励んでいた歳三は、日野村に剣術の出稽古に来ていた天然理心流の島崎勝太、後の近藤勇と立ち合い、義兄弟の契りを結ぶ。その後、天然理心流の道場の試衛館に居候するようになっていた歳三は、試衛館の仲間らとともに京に上る決意をする。

以上のところから物語は始まり、京での新選組結成、池田屋事件までが上巻です。下巻では、山南敬助の脱走事件、油之小路事件、鳥羽伏見の戦いの敗戦を経て江戸への退却、北海道へ渡り蝦夷政府を立ち上げ、そして新政府軍との戦うまでが描かれています。

富樫倫太郎という作家さんは名前だけは知っていても読んだことはありませんでした。いつかは読んでみよううと思いつつ今に至ったのですが、真っ赤な装丁のこの本が目にとまり、富樫倫太郎の土方歳三というので早速借りました。

上下二巻で七百頁を超えるボリュームなので、覚悟をして読み始めたのですが、思っていた内容とは異なりサクサク読めてかえって驚いています。平易な文章で会話文が多く、時代背景も必要最小限の説明なのでじつに読みやすい。逆にもう少し新選組に対する独自の解釈を入れてもらってもいいのではないかと思うほどです。

勿論、歳三と近藤勇の出会いの場面など、細かなところでは富樫倫太郎という作家なりの見方で登場人物が動いていて、それはそれなりにおもしろいのです。しかし、それ以外の歴史的事実の解釈での面白さはありません。代わりに活劇小説として読めばかなり面白い物語だと思います。

しかし、下巻に入り、江戸への退却のあたりからは、土方歳三の人間像が生き生きとしてきたように感じました。特に北海道へ渡り、蝦夷政府を立ち上げ、そして新政府軍と戦うころになると、これまでの本書の印象とは異なってきます。会津での戦いを経て、榎本武揚と共に北海道に渡るころの新選組、つまりは土方歳三の消息について私があまり知らない、ということもあるのかもしれません。

これまでこの時代を詳しく描いた小説で思い出すのは北方謙三の『黒龍の柩』くらいではなかったかと思います。著者の富樫倫太郎氏もここらの物語は思い入れがあるようで、他に『箱館売ります』を始めとする『蝦夷血風録』シリーズも書いておられます。

繰り返しになりますが、全般的にみて、私がこれまで読んだ新選組ものからすれば一番通俗的と言えるかもしれません。土方歳三の幼いころから新選組を立ち上げ、北海道で新政府と戦い戦死するまでを700頁を超える痛快読み物として仕上げてあります。しかしながら、その頁数の割には軽く読みとおすことができました。会話文が多く、様々な出来事も深く踏み込むことなく流してあります。

蛇足ながら、「朝日新聞デジタル:土方歳三の最期を記した書」などには、歳三の最後は明確ではなく、一本木関門近くでの戦死という話も「司馬遼太郎の『燃えよ剣』の影響」ではないかと書いてあります。やはり、子母沢寛の三部作もそうですが、何より『燃えよ剣』はあちこちで出てくる作品であり、もう一度読み返してみようと思います。

今野 敏 警視庁FC


先日読んだ、今野敏著の『マル暴甘糟』の雰囲気に似た、ユーモラスな警察小説でした。

警視庁の地域部地域総務課所属の楠木肇は、地域部の中に新設された「FC室」との兼務を言い渡された。そこには通信指令本部の管理官であった長門室長を始め、組織犯罪対策本部組織犯罪対策四課、いわゆるマル暴の山岡諒一、交通部都市交通対策課の島原静香、交通部交通機動隊の服部靖彦らが集まっていた。そして、ある映画の撮影のために西新宿に来ている今、「ロケバスの中で人が死んでいる」という声が聞こえてきた。

そもそも『警視庁FC』のFCとは「ファンクラブ」でも「フットボールクラブ」でもなく、「フィルム・コミッション」を意味します。つまりは撮影場所誘致や撮影支援をする機関であり、「映画やテレビドラマの撮影に対してさまざまな便宜を図ること」を意味するらしいのです。

現実には、JR西日本などのように民間企業で同様のサービスを行う部署を設けていたり、関連部署にフィルム・コミッションを設け、地域活性化、文化振興に役立たせようとしている地方自治体が多いようです。

そうしたサービスを警察内に設けて市民サービスを図ろうとしている動きを描いたのが本書です。実際にはロケ地での交通整理などが主な仕事でしょうが、ロケ地を縄張りとするヤクザを排除する、などの仕事をこなすことを期待されている部署でもあります。

本書では、こうした舞台設定がユニークというだけではなく、主人公がまた独特です。地域課でサラリーマンのような生活こそ幸せと思っていて、余分な仕事はできるだけ自分の作業領域内から排除しようとする男なのです。近時の今野敏作品に見られる独白場面が多いことも特徴として挙げられるでしょう。

というよりも「内心の声」といったほうがいいかもしれません。事件現場で作業する警察官らに対しての作業量を増やすなという愚痴であったり、同僚のマル暴刑事山岡に対しての批判的言動などががすごいのです。勿論内心の声ですから、表には出しません。それどころか反論することこそエネルギーの無駄だとして状況に流されていきます。その結果、捜査状況をいい方向へと導いてしまうのです。

物語の流れとしては、どんでん返しが続き、とても面白い物語として仕上がっています。ただ、いつものことではありますが、突っ込みどころもそれなりにはあります。

一番は主人公楠木が「FC室」に選ばれた理由が何も示されていないところでしょうか。上司にからは「やはり面白いやつ」などの言葉があるもの、楠木を選んだ理由については何もありません。確かに、この言葉が最後にはそれなりの意味を持ってはくるのですが、どういう点で楠木を選んだのかという理由にはなっていないようです。

また、事件の解決に向けての様々な流れも、少々都合が良すぎるところも感じられます。

しかしながら、そうした疑問点も、まあいいか、とスルーさせてしまうだけのテンポの良さがあり、またそのテンポに乗っかって、楽しく読み飛ばせる作品です。

ジェイムズ・ダシュナー メイズ・ランナー (2) 砂漠の迷宮


メイズ・ランナー三部作の二作目です。前作である第一部目の作品からすると、個人的な興味、興奮度は下がったとしか言えない作品でした。

前作で迷路から脱出し、文明社会に戻ってきたはずのトーマスたちだったが、目覚めるとテレサは行方不明であり、部屋にはひとりの男が本を読んでいるだけだった。その男によると、これまでは第一段階の試験であり、更に困難な第二段階の試験が待っているという。その試験とは、外へ出て真北約160Kmの地点にあるセーフ・ヘブン(安全地帯)に二週間以内にたどり着く、ただそれだけのことだと言うのだ。ただ、トーマスたちはフレアという病に感染させられており、セーフ・ヘブンで治療してもらわなければ死を迎えるのみらしい。しかし、踏み出した外の世界は白熱の太陽に照らされた灼熱の世界であり、息をするのも苦しいほどの世界だった。

前巻で共に脱出してきた仲間と共に新たな冒険が始まります。しかし、本シリーズの、太陽フレアに襲われた世界であることや、その世界を救うべく設立されたWICKEDという機関、などの物語の背景はすでに示されていて謎でも何でもなく、やはり第一巻目の持っていたインパクトは当然のことながらありません。

更には、第一巻目の物語の舞台が、巨大な「迷路」で囲まれた子供たちだけしか存在しない限定された世界、という点も大きなインパクトだったと思いますが、その舞台も使えないために、物語の持っていた大きな謎も、その大部分が無いことになります。

しかしながら、本作品が面白くないというわけではありません。ただ単に前作ほどの衝撃はないというだけです。まあ、その点が重要なのではありますが、本作品ではWICKEDという機関そのものに対する謎は残っていますし、更にはトーマスとテレパシーでの意思疎通が可能だったテレサの存在がより大きなものとして現れます。また、新たな仲間も加わり、灼熱の荒野、廃墟を進む冒険譚が繰り広げられるのです。

この冒険譚では、フレアという病を抱えた人類が主人公たちの進行を妨害する敵として現れます。このフレアに罹った人たちが、存在がゾンビのもつイメージと変わるところが無く、個人的には残念な設定ではありました。とはいえ、フレアという病の存在がトーマスたちの生存にも関わってくるわけで、それなりの意味は持っています。

総じて、第一巻目ほどの衝撃や魅力には欠けるけれども、シリーズを通して設けられているWICKEDという機関の持つ謎や、主人公たちが挑戦させられる「試験」そのものの持つ意味、トーマスがたまに見せる過去の記憶、テレサとの関係などの謎は相変わらずに読者を引っ張ってくれます。ヤングアダルト向け小説ではあっても、冒険小説として、またSF小説として十二分に読むに値する物語だと思います。

野口 卓 危機 軍鶏侍


軍鶏侍シリーズの第六弾はこのシリーズ初の長編です。とは言っても、外伝として『遊び奉行』という長編があるので厳密にはシリーズ初とは言えないのかもしれません。

園瀬の里に「雷」つまり、音だけの花火である煙火(えんか)が打ち上げられた。「雷」とは藩に緊急の出来事が起きた時の知らせのことだが、周りには何の異変もなく、誰が何のために打ち上げたのか分からないままだった。源太夫や芦原讃岐、それに裁許奉行であった九頭目一亀らは、この出来事は公儀隠密の仕業ではないかと疑う。そして、その狙いは園瀬の名物となっている盆踊りで騒動を起こすことにあるとの感触を得るのだった。

今、私の中でシリーズものの時代小説では一番面白いと思っているシリーズです。今回は源太夫が藩の政治の波に巻き込まれていき、改革の時の仲間と共に活躍する姿が描かれています。

「雷」が打ち上げられたその背景を探るうちには、かつての藩の改革で起きたような藩の重職と有力商人との結託や、園瀬藩の特産である莨栽培の秘密を狙う隣藩の存在などが疑われ、それらの疑いを一つずつつぶしていく作業が描かれます。その過程で、これまでシリーズの中で語られてきた園瀬の自然や来歴、成り立ちなどが整理されたり、更なる積み重ねがあったりと、園瀬藩の表情がより明確になっていくのです。

特に『遊び奉行』でもそうだったのですが、園瀬の「盆踊り」、つまりは「阿波踊り」をイメージしていると思われる「盆踊り」への作者の思い入れが強く感じられる物語になっています。「阿波踊り」の美しさは私も個人的に常々思っているところでもあり、いつかは本物の「阿波踊り」を見たいものです。

シリーズ当初では人嫌いで、なるべく人とのかかわりのない生活を望んでいたはずの源太夫ですが、ここにきてみると人との関わりを忌避するどころか、これからの人材である若者に剣を教え、見守り、相談に乗り、それのみならず藩の中枢に居る人物たちとのかかわりから、事実上藩政に関わりを持たざるを得ない立場にさえいます。話の中でも、折に触れそのことには触れられてはいるのですが、読者にとっては楽しいばかりです。

美しい園瀬の里を舞台にしたこのシリーズは、剣の使い手である源太夫を中心にして様々な顔を見せる物語として大きく成長しています。若者たちの成長譚、剣豪もの、アクション、恋物語、そして軍鶏、そのそれぞれがこのシリーズを語る作者の情感豊かな文章で綴られていくのです。今後の展開を心待ちにしたい作品です。

池井戸 潤 オレたち花のバブル組


半沢直樹シリーズの第二弾小説です。勧善懲悪の痛快経済小説と言うべきでしょうか。そんな言葉があるのかは知りませんが他に言いようがないのです。

前巻では大阪支店勤務であった半沢直樹は、本書では東京中央銀行の営業第二部次長に栄転していたが、老舗ホテル「伊勢島ホテル」の再建を押し付けられる。しかし、東京中央銀行のこのホテルに対する二百億円の融資後、莫大な損失が出ていることを把握できていないという失態が隠されていたのだ。そうした折に金融庁の検査が入ることになり、半沢は主任検査官である黒崎駿一と対決することになるのだった。

池井戸潤原作のテレビドラマといえば、「半沢直樹」が一大ブームとなったのが2013年のことで、昨年(2015年)が『ルーズヴェルト・ゲーム』『花咲舞が黙ってない』、そして今年(2015年)が『下町ロケット』と続いています。『下町ロケット』の出演陣に惹かれてドラマを見たらこれが予想外に面白く、ついには、今さらですが池井戸潤作品に手を出すことになりました。

いざ読んでみるとこの本がまた面白い。ドラマ『半沢直樹』で話題になった主人公半沢直樹の「倍返しだ!」という文句もちゃんと原作にある言葉であり、これまた大きな話題になった香川照之が演じた大和田常務や、片岡愛之助演じる金融庁検査局の黒崎駿一も、ドラマを見ていない私には新鮮でした。この作品をもとに作られたドラマであるのなら、見ている者に爽快なカタルシスをもたらし、高視聴率を獲得したということも納得だと、ある種の感動を覚えながら読み進めたものです。

池井戸潤といえば、かつて政治小説である『民王』を読んだことはあるのですが、私の好みには合わず、そのほかの作品を読む気にならなかったのです。しかし、今回本書『オレたち花のバブル組』という作品を、どのテレビドラマの原作だったかも不明なまま読んだところ、その面白さについつい一気に読み終えてしまいました。

経済小説と言えば経済用語も知らない身としてはなんとなく敷居が高く、なかなか手を出しにくかったのですが、いざ読んでみると実に読みやすい。何より、物語自体が経済小説に対し持っていたイメージとは全く異なり、勧善懲悪の痛快小説仕立てになっているではないですか。気づいて見ると、今現在進行形で見ている『下町ロケット』も、事前の印象とは異なり勧善懲悪のドラマでした。

勿論、経済小説としての基本はきちんと押さえてあります。少なくとも、経済には全くの素人の私には、銀行マンであったという池井戸潤という作家本人の経歴からしても十分な知識を持っている、と思われ、銀行にもこんなにもドラマを産む業務があるものだと感じ入るばかりです。

ということは『ルーズヴェルト・ゲーム』や『花咲舞が黙ってない』、『下町ロケット』の原作シリーズも、同様に勧善懲悪の物語として仕上がっているのでしょうか。しばらくはこの作家の作品を読み続けることになりそうです。

野口 卓 ふたたびの園瀬 軍鶏侍


「軍鶏侍」シリーズの第五弾です。「新しい風」「ふたたびの園瀬」「黄金丸」の三編が収められています。

「新しい風」 源太夫の息子市蔵が実の親のことで家を飛び出した折に、出先で市蔵と共にいたのが亀吉だった。その亀吉が軍鶏に魅せられ、岩倉道場に下働きとして加わることになる。

「ふたたびの園瀬」 岩倉道場師範代の東野才二郎は、芦原讃岐の命で出た江戸で、源太夫の親友である秋山精十郎の子の園がチンピラに絡まれているところを助ける。かつて園瀬藩に行き、いつも園瀬藩のことを思っていた園であったが、その偶然は二人の仲を急速に近づけるのだった。
本シリーズの第二巻の「青田風」で登場した園が再び登場します。若干、二人の結びつきが唐突に過ぎる感じが無きにしも非ずではありますが、園瀬の風景と共に爽やかさが薫る物語になっています。

「黄金丸」 ある日岩倉道場に、軍鶏を入れた小さめの駕籠を下げた鳥飼唐輔という浪人がやってきた。その浪人は源太夫との立ち合いを望むが、問題はその連れている軍鶏の素晴らしさだった。
「軍鶏侍」シリーズの面目躍如といった、まさに軍鶏を中心としたお話です。

本書には二つの短編と一つの中編が収められている、と言ったほうが良いのかもしれません。「新しい風」は岩倉道場の新顔としての亀吉の物語ではあるのですが、「黄金丸」とともに軍鶏に絡んだ話です。それに対し「ふたたびの園瀬」は、岩倉道場の師範代である東野才二郎の嫁取りの物語で、若干長めの物語です。

このシリーズを読み続けていて、若干の欠点(それは瑕瑾というほどのものでもないと思うのですが)を挙げるとすれば、それはそれぞれの話においての決着のつき方が少々簡単にすぎる、話が都合よく進みすぎる場合がある、ということかもしれません。

本書の「ふたたびの園瀬」では東野才二郎と園との結びつきが描かれていますが、二人の出会いが江戸という大都会で出会うという偶然に頼った話ですし、そもそも二人が恋に落ちる展開もまさに一目ぼれ同士とはいえ、読者によっては簡単に過ぎると思いかねない展開です。実際、少々都合が良すぎる話だ、とは私も思ったものです。でも、そのことを考慮してもなお、この瑞々しい物語のあり様が良いと思うのです。

これまでも、一人悩んでいる岩倉道場の弟子について、何らかの出来事に助けられて弟子自らが解決する話など、源太夫が乗り出すまでもない話などもありました。しかし、その話でさえもひとりの若者の成長していく姿をあたたかく見守る師匠の話としては何の問題もないとも言え、やはり指摘する程のものでもないと思うのです。

つまりは、あえて欠点としてあげつらうことの程ではない、と言うべきなのでしょう。情感豊かに展開されるこの物語を、ただひたすらに楽しみたいと思います。

野口 卓 水を出る 軍鶏侍


「軍鶏侍」シリーズの第四弾です。「道教え」「語る男」「口に含んだ山桃は」「水を出る」の四編が収められています。園瀬藩の暮らしが情感豊かに語られるこのシリーズも、巻を重ねるにつれ更に安定感が増し、シリーズとして落ち着いた形が出来上がりつつあるようです。

「道教え」 源太夫の師匠である下駄の師匠こと日向主水は病の床にあった。その枕もとにはかつて源太夫と共に日向道場で学んだ仲間たちが坐していた。かつて日向道場に通う時に見たハンミョウ(斑猫)又の名を「道教え」をモチーフに、死を間近にした母の望みを断ち切ったと、ひとり悩む弟子を見守り、導く源太夫の姿が描かれます。

「語る男」 突然、源太夫が江戸勤番のおりの椿道場での相弟子であった榊原佐馬之助が訪ねてきた。かつての面影はさらになく、今は乾坤斎夢庵と名乗る軍記読みとなっていた。この夢庵が、園瀬藩にとっての大事件をもたらすことになるのだった。

「口に含んだ山桃は」 源太夫は岩倉道場の高弟である柏崎数馬から、源太夫の道場に学ぶ黒沢繁太郎が、同じ弟子の小柳録之助の妹の色香に迷い、道を踏み外そうとしている、との相談を受けた。その話の裏には園瀬藩の改革につながる複雑な事情もあったのだが、男女のことには疎い源太夫はその処置に悩むのだった。

「水を出る」 源太夫の息子市蔵が自らの出生の秘密を誰かから吹きこまれたらしい。源之丞がかつて打ち取った男の子が市蔵だったのだ。ひとり思い悩む市蔵だったが、ある日出奔してしまう。そこに下男の権助が、何か心当たりがあるらしく、旦那様夫婦は普通どおりにしておいてくれと言うのだった。

道場主として、また父親として、更には剣士として、また園瀬藩改革の一員として、源太夫の周りは様々な問題が巻き起こるのです。改革もひと落ちつきし、平和な日々が続く園瀬藩です。そこにこのシリーズの今後の展開にも問題になりそうな、幕府の隠密の影がちらつき始めます。

今回は幕府隠密の問題の話と、弟子の問題が二話、そして自分の子の話が一話です。そのそれぞれの話に、園瀬藩の美しい情景がおりこまれ、物語の背景が空間的にも大きな広がりを見せて展開されます。先にも書いたように、シリーズが進むごとに情緒豊かな物語に奥行きが増していき、話としてより安定してきています。

近頃、時代劇で楽しみな作品が増えてきていると感じるのですが、どちらかというと痛快活劇調が多いようです。葉室麟や青山文平といった作品のように、じっくりと構えて読みこむほどではないのですが、それでもなお情緒豊かに、ゆったりとした余韻をもたらす作品はそうはないと思います。本シリーズはそうした意味でも大切にしておきたい作品です。

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本ブログを別棟として位置付けて、読んだ本を記録していこうと思い立ちました。ここでの文章を母屋であるそのサイトに転記していくつもりです。

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