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堂場 瞬一 十字の記憶


今まで読んできたこの堂場瞬一という作家の作品の中ではわりと軽めの作品です。

東京から車で一時間ほどの距離にある白崎市で、野本前市町の息子が後頭部に二発の銃弾を受け殺された。福良孝嗣は約二十年ぶりに戻ってきた白崎市の長浦新報白崎支局長として、福良と高校陸上部のリレー仲間である芹沢拓は県警捜査一課という立場で、同じ事件を追いかけることになった。しかし、捜査の進展が無いまま、同様の手口で市職員OBの諸岡が殺されるのだった。

この作品の前に読んだこの作者の作品である『警察(サツ)回りの夏』に比べると見劣りがします。正確に言うと、私の好みからは前作のほうがより面白く感じました。

本作品には、探偵役として記者である福良孝嗣と刑事である芹沢拓という二人の探偵役がいます。本来情報交換はできないはずの二人ですが、事件の根っこが二十年前の高校時代の一夜につながるところから協力関係を結ぶことになります。

本書が堂場瞬一という作家の作品として若干異色な面があるとすれば、それはこの郷愁的な側面でしょう。その異色さは、私が本作品に対し抱いた不満点にもつながっています。当事者の過去に関連するとされる犯罪動機が、読者、つまりは私をを納得させられるだけのものではなかった、ということです。

小説として面白く読んだということには間違いはないのですが、犯罪動機の点で不満があるためか、本書終盤の結末のつけ方に対しても不満がそのまま残っています。一応は探偵役と犯人との会話の中で結末に対する弁解めいたことを言わせてはいるのですが、やはり犯人側の最後の行為について、粗すぎという印象しかありません。

作者自らが「本作は警察小説ではありますが、一方で青春小説でもあります。」と言われているように、「高校を卒業し、それぞれが別の道を歩み、時には敵となり時には味方となりながら、果たして当時の友情は復活するのかどうかという微妙な人間関係」が描かれているのですが、青春への悔悟を含んだ思い出を解消する、その点こそが少なくとも私を納得させるものではなかったのです。

舞台背景を丁寧に書いてはあるのですが、これまでの作品に比べると見劣りがします。クールで重厚な書き込みこそがこの作家の持ち味だったと思うのですが、本書はその点があまり感じられず、この作家の作品にしては物語としての書き込みの不足を感じました。

梨木 香歩 西の魔女が死んだ


この小説は、ファンタジーでもなく、童話でもない、ただある少女のその祖母のもとでの夏のひと月ほどの体験を描いた中編の小説です。

小学校を卒業したばかりのまいは、進学した中学に馴染めずにいた。そんなまいを見てまいの母親は、車で一時間ほどのところの山の中に一人暮らす英国人のお婆ちゃんのもと預けることを決めた。自然の中にあるお婆ちゃんのの家で、まいは魔法使いになるために意思力をつけるための訓練をすることになる。それは、「早寝早起き。食事をしっかりとり、よく運動し、規則正しい生活をする」というものだった。

この小説は文庫本で192頁しかありません。しかも、一頁の行数が十五行しかなく、普通の文庫本からすると一行か二行少ないのです。

書き出しが「西の魔女が死んだ」という一文から始まります。この入りの印象が結構強いもので、今後どのように展開していくのだろうという興味を持たされます。このすぐ後からお婆ちゃんと暮らしたひと月についてのまいの回想に入っていくのですが、導入部の描写がうまく、この物語にすんなりと引き込まれたような気がします。

例えば、それは「部屋や庭の匂いや、光線の具合や、空気の触感のようなものが、鼻腔の奥から鮮やかに蘇るような、そんな思い出し方で」あの夏の日を思い出すのであり、母親が父親との電話での会話の中でまいのことを「扱いにくい子」と言っているのを聞き、「認めざるを得ない」とつぶやいてしまった自分の言葉に感心しているところなどにあります。これらの導入で、本書の持つ雰囲気を掴め、主人公の少女がちょっと背伸びしがちで多感な女の子ということをさりげなく知らせてくれています。

文章は決して上手いという感じは受けません。それどころか、少々もたつく感じさえしたほどです。でも、小学館文学賞、児童文学者協会新人賞、新美南吉文学賞という各章の受賞歴からしても、児童を対象とした作品らしく、そう考えれば逆に読みやすいのでしょう。

いざ、お婆ちゃん(西の魔女)との暮らしが始まると、そこはジブリアニメの『となりのトトロ』に出てくるメイの家のような自然のど真ん中の雰囲気をもっています。そこで、まいは「自分で決め」てその決めごとを守ることを学び、意思の力を強くする修業をするのです。

本書は、超能力と言えなくもない、精神的な力を有するお婆ちゃんとの間の、魔法使いのお話としてのファンタジックな側面も持っていて、また、まいとその母親、まいの母親とその母親であるまいのお婆ちゃんとの親子の物語と言う一面もあります。

他方、自然から離れてしまった人間の暮らし、特に子供たちが直接に土や水と戯れることのない現代社会を意識しているような、子供社会でのいじめなどの人間関係構築の難しさを背景にした、寓意的な童話とも受け取れる物語です。

ただ単に一人の女の子の悔悟に満ちたひと夏の出来事を綴った小説として捉えることもできるかもしれません。その場合、まいとお婆ちゃんの家のそばに住むゲンジという粗野な男との関係を忘れるわけにはいきません。まいは、この男を好きになれず、お婆ちゃんと喧嘩をすることにもなるのですから。

一人の少女の成長物語としても読むことができます。多感でクラスに馴染めず、登校拒否になりかけた女の子が、短い期間ではありますが、祖母と暮らす中で次第に自分を律することを覚えていく物語です。

いろいろな読み方ができる作品だと思えます。最後は少々哀しい場面も出てきて、こみあげてくるものもありましたが、読後感はとても心地よいものでした。

本書にはもう一遍の掌編も収められています。「渡りの一日」と題されたこの物語は、まいのその後の一日が語られています。新しくできたショウコという友達との他愛もない、けれども何となく不思議な、そして小さなオチ。作者は何を言いたかったのでしょうか。もしかしたら、「西の魔女が死んだ」という物語で魔法使いの訓練をした、ささやかですが「自分で決める」ことを学んだまいの、自分の意志を貫く姿を描きたかったのかもしれません。

ダシール・ハメット 血の収穫


ハードボイルドと言えば必ず名前が挙がるダシール・ハメットのデビュー作で、古典的名作と言われる作品です。

コンティネンタル探偵社に勤める探偵である主人公は、この町の「ヘラルド」新聞社の社長ドナルド・ウィルスンの依頼でパースンヴィルという町までやってきた。しかし、その日に依頼人は殺されていた。この町は警察署長やギャングらを交えた四人の大物が牛耳っていたが、殺された依頼人の父親で新聞社のオーナーのエリヒュー・ウィルスンからの依頼を受け、この町の掃除をすることを引きうけるのだった。

本書は、実際にコンティネンタル探偵社に勤めていた作者の経験を生かして書かれた作品で、ハードボイルドを語るときには外せない作品の一つです。主人公に名前が無いことから「コンティネンタル・オプ」と呼ばれることでも有名になった作品です。そういえば、作中で主人公に名前が無いことを全く不自然には思わなかったことを、読み終えてから気付きました。

この作品を語るときに必ず挙げられるキーワードとして「乾いた文体」が語られます。それは、主観的な描写を徹底して排し、客観的な事実のみを描くことによってもたらされます。著者のハメットは、本書やこのあとに書かれた私立探偵サム・スペードを主人公とする『マルタの鷹』などの作品でこのハードボイルドスタイルを確立した作家として知られています。ここらの歴史を詳しいく知りたい方はウィキペディアを参照してください。

本作品はハードボイルドの古典的作品というよりも、黒沢映画の『用心棒』の原作、というか原案となった作品と言ったほうが一般には知られているかもしれません。この映画の内容は本書とはかなり違いますが、町を牛耳るヤクザの二大勢力を流れ者が壊滅するという構造がそのままです。この『用心棒』は、そのままにイタリア映画の『荒野の用心棒』としてリメイクされヒットしましたし、更にブルース・ウィルス主演の『ラストマン・スタンディング』としてもリメイクされました。更には、これらの作品へのオマージュとしてある『スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ』もありました。

ただ、名作と言われるこの作品ですが、読み終えた感想としては決して良いものではありませんでした。鍵になる登場人物が多いこともそうですが、主人公がこの町のワルどもを掃除するに至るその動機が今一つはっきりしないのです。

物語の流れとしては、殺された依頼人の父親からの依頼という形をとってはいるのですが、単にそれだけの理由で自分の職を賭しているのは勿論のこと、命までかけているのです。この物語での主人公の個々の行動自体がそうで、理解しにくい動機で自らの命を架けるのですから、若干感情移入しにくいところがあるのです。

物の本を読むと、本来、ハードボイルドと呼ばれる作風は、小説作法として従来のリアリズムの手法の延長線上にある筈で、謎解きなどではなく「行動」をこそ重視して描いていく、筈なのですが、リアリズムの根本である主人公の行動の動機そのものに馴染めませんでした。

ハメットのこの次の作品に『マルタの鷹』と言う作品がありますが、この作品はかなり面白い小説でした。主人公のサム・スペードの主観は全く語られない点は本書と同じで、主人公が暴力的である点も似ているのですが、その行動理由は明確で、感情移入しやすかったと思います。

でも、識者も含め、一般的評価はかなり高い本作品なので、読み手である私の力不足と言うべきなのでしょう。

梶尾 真治 さすらいエマノン


エマノンシリーズの二作目です。本巻では前作よりもちょっとだけ少なめの五作の短編が収められています。とは言っても、本書一話目の短編作品「さすらいビヒモス」が1984年11月号、最後の「いくたびザナハラード」が1992年1月号の「SFアドベンチャー」掲載の作品であり、前巻の『おもいでエマノン』とそれほど傾向、雰囲気が変わっているわけではありません。

本書では特に人間ドラマを描いているというよりは、自然の摂理を越えたところで起きている異常現象にエマノンが絡んでいく、そうした物語が殆どです。

「さすらいビヒモス」では、過去の記憶をもった象が町中で暴れまわるその理由とは。「まじろぎクリィチャー」では、アメリカはメイン州に設けられた禁忌区に出現する怪物。「あやかしホルネリア」では、意思をもった赤潮。「まほろばジュルバリ」では、アマゾンの乱開発を原因として封印が解けそうな悪い精霊。「いくたびザナハラード」では、人間を滅ぼそうとする超意識が。

どの物語も、自然と対立する人間の行いに対する自然または超自然の反撃に、エマノンが手助けをすることで事なきを得る、という構造です。

これらのアイデアと、それを物語として仕上げる梶尾真治と言う作者の手腕が楽しめる作品集になっています。

有川 浩 フリーター、家を買う。


非常に読みやすく、心地よいストーリー展開の有川浩という作家らしい青春小説でした。

大学を卒業し、自分に合わないと早々に退職してしまった武誠治だったが、次の就職先も見つからないでいた。ある日、母親が鬱になり、リストカットまでするようになってしまう。そこまで母親を追いこんだのは直接的には町内のいじめだが、無神経な父親の誠一や誠治にもその一因があると姉の亜矢子から責められる。誠治は一念発起し、まずは転居のための頭金をためること、そして就職するという目標をたてるのだった。

そもそもこの本は、テレビドラマでそのタイトルを聞き、ユニークな題名だと思ったことにあります。勿論、ドラマも見ていないのでその内容は知らなかったのですが、あの有川浩の作品だということで読む気になったのです。

最初のうちは、就職をしなくてもなんとかなるとフリーターをしている若者が、心機一転貯蓄に励み家を買うまでの物語だと思いこみつつ読んでいました。

ところがどうも雰囲気が違います。物語に沿って言うと、主人公が母親に「てめえ!」と怒鳴りながら二階から下りていくと、そこには嫁に行って居ないはずの姉が睨みつけており、そのそばでは母親の様子がおかしいのです。母親からの電話の状態が普通でなく、飛んでくるとどうも“鬱”らしい。その原因は町内の奥さま族の母親に対する二十年来のいじめであり、父親も長男である主人公も母親のそうした状況に全く気付いていなかったと姉は言うのです。

話はフリーターが金を稼ぐお話どころではなく、「家族」の問題を、地域のいじめに絡めて語る、けっこう重めの話のようにしか思えない展開です。

ここでの姉の主人公に対する説明は、今の大人社会のいじめの問題をテーマにしているかのようです。ただ、この著者はこういう重く暗いテーマも、それなりに衝撃を与えつつも、それとなくユーモアを交じえ読みやすくはしてあります。そのうえで本来の筋である主人公が一念発起して働く条件設定が出来上がるのです。

このあとは、社会の落ちこぼれだったはずの主人公に風が吹いてきます。父親との衝突や、就職探しの状況がわかりやすく展開されていきます。そして、やっと見つかった就職先での、主人公の苦労しながらも成長する姿が描かれるのです。

有川浩という作家に限らずの話ではあるのですが、この手の一種の痛快小説とても言うべき物語は、主人公の都合のいいように物語が展開します。たまに逆風が吹いてもそれははじき返せる風であり、主人公には輝ける(?)未来が開けるのです。改めて考えると、この筋立ては突っ込みどころ満載ではあります。

でも、主人公に都合のいい展開は小説である以上は当たり前のことであり、あとはこのご都合主義的展開をいかに自然に見せるかが作家の手腕ではないでしょうか。その点、有川浩の小説は自然です。それは、場面の状況説明や会話文のあり方が違和感がなく成立しているところから来るものと思われます。

無駄のない描写は読むときのテンポのよさにつながります。つまりは非常に読みやすいのです。本書もその例にもれません。この作家の作品群の中では『県庁すぐやる課』にも似た雰囲気を持つ物語です。

高嶋 哲夫 富士山噴火


これまで読んだ高嶋哲夫のパニック、シミュレーション小説の中では一番面白いと感じた小説でした。

御殿場市にある養護老人ホーム「ふがくの家」の施設長である新居見充は、三年前の平成南海トラフ大震災のとき、陸上自衛隊のヘリのパイロットとして救護活動についていたが、自分の妻と息子を救うことができなかった過去をもっていた。そんな折、静岡日報の記者で友人の草加の紹介で日本防災研究センターに行き、富士山が噴火すると聞かされる。噴火の可能性の高いことを信じた新居見は市長の黒田に働きかけ、非難の準備に取り掛かるよう進言するのだった。

本書の主人公は自衛隊員として活躍した人物で、三年前の平成南海トラフ大震災で娘以外の家族を失っています。そのことで娘は新居見から離れ、東京で医師として働いています。この親子の確執が徐々に解けていく様子もサブストーリーとして見所の一つです。

富士山噴火が現実のものとなったときに、新居見を中心としたグループの活躍で、御殿場市や富士宮市など近隣都市の九十万人にもなる住民の避難が開始されます。

この避難行動の描写は、エンターテインメント小説として手に汗を握るスリル満点の読み物として仕上がっており、なかなか本を置くことができませんでした。しかし、この小説に引きこまれて緊張感のある展開に目を離せない状態になってはいるものの、書かれている内容は全くの絵空事ではない、ということが読んでいる間も頭をよぎります。

小松左京の名作『日本沈没』を読んでいたときは、そのスケールの大きさにエンターテインメントとして純粋に楽しむことができました。大地震の可能性は否定できなくても、日本そのものの消滅という事態は無意識のうちに空想と割り切っていたからです。しかし、本書の場合、可能性がたとえ数パーセントであってもゼロではなく、現実に阪神大震災、東日本大震災を経験しているのですから、どこか冷めている自分がいました。

何度も書きますが、小説としてはかなり良くできた作品だと思います。だからと言って難点が無いわけではありません。退官した自衛隊員が事実上自衛隊を指揮する、などということはあり得ないでしょうし、九十万人という住民の避難が数日で可能だとはとても思えません。でも、そうした現実論をも越えたところでこの小説は展開しています。それほどに面白いです。一方、それをしなければ全滅という事態が目前のものとなったときに、人間はいかなる行動を取るものか、考えさせられる小説でもありました。

これまでに『M8』『TSUNAMI』『東京大洪水』と災害小説を書いている高嶋哲夫という作家ですが、ここに『富士山噴火』という小説が加わりました。エンタメ小説としてもよくできているし、啓蒙の書として読むことも可能かもしれません。他に『首都感染』『首都崩壊』というシミュレーション小説も書かれています。

蛇足ですが、先日、NHKテレビの「ブラタモリ」という番組で「富士山」をテーマにした回がありました。そこでは富士山の成り立ちの説明があり、古富士などの名前も出てきていました。同様の説明が「宝永火口」の成り立ちも含めて本書でも為されていて驚いたものです。身内が富士市に住んでいる身としては身近な話でもありました。そこへこの本ですからすぐにこの番組を思い出していました。

野口 卓 心の鏡 ご隠居さん(二)


ご隠居さんシリーズの二作目の連作の短編集です。前作の最後の「庭蟹は、ちと」で、梟助じいさんの正体が明らかになったのですが、本作では相変わらずに鏡を磨いで町を流す日々です。

「松山鏡」 梟助のお得意先である「三味線加良屋」の八重という嫁から、鏡の出てくる落語はないかと訊ねられた。言われて驚くことに鏡の出てくる落語がほとんどない。ひねり出した落語が「鏡のない村」という名も持つ「松山鏡」という話だった。

人はなぜ鏡を見るのだろう、と考えた八重は、鏡を見ないで暮らしてみます。鏡が人そのものを映すのならば、見てくれを気にする必要はないのではないか、というのです。なんとなく寓意的な物語でもあると感じますが、そういえばこの梟助じいさんの物語は全体的にそうした雰囲気を持っているとも言えそうです。

「祭囃子が流れて」 赤坂新町四丁目の菓子舗「狒狒屋」の主人福右衛門は仕事一筋の男だった。この福右衛門が「狒狒屋」を出すに当たっては大変な苦労をしたということだったが、福右衛門は何も話さない。そんな福右衛門のただ一つの楽しみが梟助の話を聞くことだという。そんな福右衛門がある思い出を語り始めた。

今回の梟助は半分ほどは聞き役にまわっています。その聞き役での話しの部分がよく分かりませんでした。物語前半の様々な物売りについての説明話は面白いのです。「親孝行」という商売など笑ってしまいます。ただ、福右衛門の昔語りに出てくる謎の祭りの絵ときについては、その面白さも、絵ときの意味もいま一つ理解できませんでした。

「婦唱夫随」 漆器類を商う「津和野屋」に出向くと、主人の宇兵衛とその妻佐和とが待っていて、犬や猫は人間の言葉がわかるのだろうか、と聞いてきた。そこで梟助は南町奉行でもあった根岸鎮衛(やすもり)の「耳嚢(みみぶくろ)」に書かれている「猫物をいう事」の話をするのだった。

この宇兵衛と佐和夫婦と話しながら、梟助は自分の嫁であったハマを思い出しています。互いに思いやる二人を見ていると、常に蔭になって自分を支えてくれたハマを思い出すのです。本来「夫唱婦随」とは夫の言葉に、妻が従うことを言うそうです。しかし、現在では夫婦仲の良いことを意味するようになっているそうで、この物語もこちらの夫婦の仲のよさを言っているようです。

「夏の讃歌(ほめうた)」 呉服問屋丹後屋のご隠居のナミばあさんは縮緬ばあさんとでもいうべき人だった。ある日、奥さまが急用でいないときに、そのばあさんと話す機会を得た。ばあさんは、人生の三つの節目、誕生と結婚そして死に一日で巡り合わせたことがあったという。

今回は、普段は奥さまと共に聞いているだけのナミばあさんが話し手になり、梟助が聞き手になります。ところが、話をするナミばあさんは娘のように若やいで見えるのです。普段あまり話をすることもないお年寄りは、心の中の昔語りをすることで生き生きとしてくるのでしょうか。それとも梟助が語り手としてだけではなく、聞き役としても上手だということなのでしょうか。

「心の鏡」 ある日初めて呼び止められた武家屋敷で古びた鏡の磨ぎを頼まれた。調べてみると白銅の鏡らしい。屋敷の隠居は「古鏡記」という千年以上も前の唐の本に鏡について書かれているという。梟助はその本について知りたいこともあって、鏡の磨ぎを引きうけるのだった。

鏡磨ぎ職人としての梟助じいさんの面目躍如たる作品です。物語の背景には611年から617年までの出来事を記した唐の書物の『古鏡記』という本が背景にあり、武家屋敷の隠居から頼まれた古鏡の磨ぎに入るのですが、その材質への配慮や作業の手順など、職人の仕事を傍で見ているような感じになる作品です。

梶尾 真治 おもいでエマノン


「エマノン」という名前は、No Nameを逆から読んだに過ぎないのですが、なかなかかわいい名前ではあります。

タイトルからすると少女漫画的な、メルヘンチックな物語のような印象を受けますが、違います。そういう物語も無いとは言いませんが、SFらしいアイデアに満ちていて、梶尾真治という作家の本質はここにあるのではないかと思うほどに、この作者の本質に近いと思える作品です。

私が梶尾真治に出会ったのはデビュー作である『美亜へ贈る真珠』という短編でした。それは、著者お得意のタイトラベルものの走りともいうべき作品で、大いなるロマンティシズムと若干の感傷とに彩られた小説だったと思います。細かな設定はもう覚えてはいないのですが、時間の流れが極端に遅くなる機械の中にいる青年と機械の外にいる娘の恋物語でした。

本書の主人公は地球が誕生した時から現在までのすべての記憶を受け継いでいる娘です。それこそ原初の海のアメーバの頃からの記憶を持っているのです。先の『美亜へ贈る真珠』も本書『おもいでエマノン』もタイムトラベルものの変形と言える作品です。

本書の場合での変形の意味は、主人公の長寿ではなく、記憶の継承です。新しく生まれてくる子供が親の記憶を受け継いでいるのです。そしてその親はそれまでの記憶を失います。過去に会った少女が、自分が年老いてから若い姿で現れる、それは一種の時間旅行にほかなりません。

気になるのは、エマノンが自分が過去の記憶を持っているということを簡単に他人に告げていることです。この能力は誰しも目をつけるものでしょうし、記憶内容を欲しがることでしょう。が、そのことについては何も触れられてはいません。でも、まだ最初の一冊なので他の物語で語られるだろうことを期待しています。

本作品集に収納されている短編作品には、感傷過多と思われる作品もあります。でも、本書は少女趣味とも受けとられかねないそのタイトルにもかかわらず、SFの醍醐味を味わえる作品集になっています。感傷過剰と言われるかもしれない作品であっても、それは基本的にこのシリーズの根っこが空想や夢物語という意味でのロマンにあることからくる、アイディアを生かすための方途であると思うのです。

本シリーズは現時点で五冊が出ています。そして、本書『おもいでエマノン』には八作の短編が収納されています。

簡単にその一端を紹介すると、一番最初の「おもいでエマノン」はフェリーの中で知り合ったエマノンと名乗る少女との出会いと別れ、そして十三年後に会ったエマノンの過去の記憶を持った八歳ほどの少女との出会いが語られます。その少女は、好きだったという思い出は数時間も数十年も同じく刹那であって同じ、だと言うのです。

次の「さかしまエングラム」は、エマノンの血を輸血されたことで膨大な過去の記憶を引き継ぎ、その記憶に押しつぶされそうになっていた都渡晶一少年が、治療のために催眠術療法を施され、逆進化を始める物語です。

このように、基本のアイディアが秀逸であることはもちろんなのですが、各短編もよくぞこれだけのアイディアが出てくるとただ感心するばかりです。でも、SF的設定を受け付けない人、受け付けてもハードなSFが好みの人には受け入れられないかもしれません。

司馬 遼太郎 燃えよ剣(上・下)



新選組をというよりも、土方歳三を描いた小説です。本書は何よりも新選組を主題にした小説の古典とも言うべき存在で、これ以降の新選組を描いた小説、特に土方歳三と沖田総司の性格設定は小説以外のメディアにも大きな影響を与えました。

多くの作品に影響を与えたということは、そのことは逆に、30年以上ぶりに読み返した今の時点では、当時読んだほどの感激を覚えないことに結びついたようです。

この本以降、多くのドラマ、映画、小説で描かれている新選組での、種々の土方や沖田像に接してきたためか、本書で描かれている新選組そのものの姿や、土方、沖田像には特別な印象は抱けず、平板な感触しかありませんでした。

勿論、物語の運び方や場面の描写のしかたなどは別です。やはりそこは大家である司馬遼太郎の名作であり、キャラクターに特色は感じられなくても、描かれている土方像は魅力的であるし、小説としても面白いのです。

土方という人間を端的に表している魅力的な文章を一ヶ所取り上げるとすれば、大政奉還がなった後、近藤などは「滑稽な動揺」を見せる中、土方が病床にある沖田に語りかける言葉があります。

それは、人切りの道具としての刀の単純な美しさを言った後で、「目的は単純であるべきである。思想は単純であるべきである。新選組は節義にのみ生きるべきである。」と言ったあと、更に「男の一生というものは、美しさを作るためのものだ。自分の。」と言いきっているのです。自分の信念を貫いた男としての土方を端的にあらわしていると思います。

上巻では日野の田舎での喧嘩屋だった土方歳三が、近藤勇らとともに京に上り、新選組を設立し、という流れが語られます。山南や藤堂との不和は、誰の作品だったか先日読んだ新選組作品で描いてありましたが、この本で既に描いてありました。

文庫本も下巻になると、その冒頭で伊東甲子太郎殺害の油小路事件が語られたあとは、鳥羽伏見の戦いへの突入し、この巻の中ほどの200頁を越えたあたりまでは大阪での戦いが描かれています。鳥羽伏見の戦いにこれだけの分量を費やしていたとは覚えてはいませんでした。土方の軍人としての才能が開花した時期とも言えるのかもしれません。

その後、敗退して江戸へ帰り、蝦夷へと向かうことになりますが、ここからは筆者も「北征編」と名付けていて、「おそらく、土方歳三の生涯にとってもっともその本領を発揮したのは、この時期であったろう。」と記しています。富樫倫太郎の『土方歳三』を読んだときに蝦夷での土方が詳しく描かれていたのを珍しく思ったのですが、北方謙三の作品以外にもすでに本書でそれなりに詳しく描いたありました。

筆者は、天下の諸侯はそのほとんどが「官軍」になり「日本」に参加したのだけれど、しかし「侠気」をあらわそうとした一群がいたのであり、真実感をのこすためには「まあ、小説に書くしかないか。」と言っています。それほどに、会桑二藩や新選組らは「日本という統一国家」への参加を感情的に許せなかった、ということでしょうか。

本書での特色として他にあげるとすれば、本書にしか登場しないキャラクタ―でしょう。

色を添える役割としては「お雪」という女性が登場します。詩心を持った側面もあるとして描かれている土方の優しさを引きだしている存在でもあります。もう一人は、七里研之助という剣の使い手がいます。土方の日野時代からの敵役であり、京都でも勤王の志士として土方の前に現れます。

本作品が『週刊文春』に連載されたのが1962年(昭和37年)11月から1964年(昭和39年)3月にかけてのことだそうです。 沖田総司の人物像を決定づけた作品としては大内美予子の『沖田総司』が挙げられますが、本書『燃えよ剣』の影響もかなりあったのでしょう。この本については、いつもの「新選組の本を読む ~誠の栞~」に詳しいです。

いつかは再読しなければと思っていた本です。ほとんど忘れていたその内容でした。読み返してみると、やはり司馬遼太郎という作家の偉大さを感じるばかりでした。

プロフィール

siro

Author:siro
このブログの本棟として本の紹介のサイトを開いています。
(こちらです⇒読んだ屋
本ブログを別棟として位置付けて、読んだ本を記録していこうと思い立ちました。ここでの文章を母屋であるそのサイトに転記していくつもりです。

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