堂場 瞬一 交錯 警視庁追跡捜査係


なかなかに面白く読んだ警察小説でした。

沖田大輝と西川大和は、共に未解決事件を専門に捜査する警視庁追跡捜査係に属する刑事で、沖田は新宿で起きた無差別の殺人事件の犯人を刺して一人の小学生を助けた男を追跡し、西川は青山の宝飾店で起きた強盗事件の追跡捜査を担当していた。それぞれに捜査が進む中、二つの事件は思いもかけない関連を見せ始める。

どちらかと言うと無神経といっても良い行動派の沖田大輝と、頭脳派の西川大和という対照的な二人の刑事の活躍が描かれています。こうしたコンビ自体は本書独自のユニークな設定とまでは言えませんが、それなりに息のあったバディものとしての面白さがありました。

行動派の沖田刑事の追う男は”名無し”と呼ばれ、わが身の危険も顧みず三人を殺した連続殺人犯から小学生の命を助けた男であり、一種の英雄的な人間とも言える男です。沖田はそんな男を追跡することへのジレンマをも抱えながらも、殺されそうになった小学生への思いやりと、その母親へのほのかな恋心を抱えており、そのことが本書の彩りとなっています。また、沖田刑事は時計マニアであり、その趣味を通して西川刑事との接点が広がっていきます。

一方、西川刑事は、じっくりと考慮しつつ合理的に動こうとする慎重派でもあります。常に仕事のことが頭にあり、家でも書類を読みこんでいるため、家族へのサービスがおろそかになっているのです。

この作者の『刑事・鳴沢了シリーズ』は、父も祖父も警察官という刑事を主人公としたハードボイルドとも言える小説でしたが、本作はそれに比べると軽い作品です。とは言っても、この作家らしい丁寧な書き込みが為されているうえに文庫本で420頁もの長さありますから、普通に言う「軽く読める」小説とは少々その意味合いが異なります。この作者の他の小説に比べれば読みやすい、といった程度でしょうか。

不満があるとすれば、物語が少々ご都合主義的な様相を見せているところでしょう。沖田大輝の趣味が時計だというところはまだ良いのですが、二つの事件が少しずつ関連を見せてき始め、まさかそうはならないだろう、と抱いた懸念が的中すると、それまで感じていた本書に対する好感はかなり減ってしまいました。

ところが、そうして差し引かれた印象でもなお面白い小説であり、この二人が活躍する作品がシリーズとして読めることに期待しているのですから、私個人の波長にあっている作品なのでしょう。まるで人ごとのような書き方でありますが、それほどに堂場舜一という作家が私の好みに一致しているのです。

既に書いたように本作品を第一弾としてシリーズ化されており、2016年3月時点で6巻まで出ているようです。そのうちにゆっくりと読破したいものです。

ちなみに、西上心太氏の「あとがき」によると、本作品の舞台となる「警視庁追跡捜査係」とは架空の部署ですが、この作品が発表された2009年の11月に「特命捜査対策室」という未解決事件(コールドケース)を専門的に捜査する部署が設けられたそうです。

ベロニカ・ロス ダイバージェント



物語の背景となる世界の状況設定こそ命であり、そこがうまくいけば物語の半分は終わったも同じ、と言えそうな、SF仕立ての痛快アクション小説でした。

「性格」により“無欲”“高潔”“博学”“平和”“勇敢”の五派閥に分けられた世界。“無欲”に生まれ、16歳になったベアトリスの適性テストの診断は異端者(ダイバージェント)だったが、そのことを隠したベアトリスの選択儀式での選択は“勇敢”だった。しかし、“勇敢”の派閥では正式に派閥に所属するためには選抜試験を受けなければならない。ベアトリスことトリスはインストラクターのフォーと共に試験に立ち向かうが、その裏には秘められた陰謀があった。

設定は全く違うのだけれど、どこかで読んだような気がする作品です。それは、例えば先日読んだジェイムズ・ダシュナーの『メイズ・ランナー』がそうですし、また映画しか見てはいないのだけれどスーザン・コリンズの『ハンガーゲーム』も同じ匂いがします。

というのも、これらの作品はアメリカでは「ヤングアダルト」というくくりで語られている作品だそうで、日本で言う「ジュブナイル」もしくは「ライトノベル」と呼ばれている分野に相当するそうです。

本書で語られる世界では、戦争の元凶は「人格の欠陥」であると考え、邪悪な性質の排除のために複数の派閥に分類されるようになっています。そして、五つの派閥しか存在意義を認められてはおらず、この五つの派閥に当てはまらないと判断された個人は無派閥になり、社会の最下層で暮らすことになります。

そもそも人間をこの五つに分類できるものかという普通に抱くであろう疑問は、というか、その疑問がこの物語の出発点かもしれませんが、少なくとも三部作の第一部である本書では答えは出てきません。そして他にも、個人の属性を判断する「適性テスト」なるものの妥当性はどうなっているかという点や、利他主義である“無欲”こそが清廉潔白であるから意思決定者としてふさわしいという設定に対しては、“高潔”は清廉潔白ではないのか、など、数多くの疑問もわいてきます。

まあこうした疑問も、そうしたことを前提とした架空の物語の設定だということで一応受け入れて読み進めることになります。ここらがヤングアダルトとして、深みのない小説の代名詞のように分類される原因なのかもしれません。本来はヤングアダルトであろうとジュブナイル若しくはライトノベルであろうと、「小説」の出来には関係のない分類である筈で、個々の作品ごとに判断されるべきとは思うのですが。

ともあれ、主人公は“無欲”を選ばず“勇敢”を希望し、そこでさまざまの試練が与えられ、その様がアクション小説のような展開になっていきます。そのうえで、選抜試験の背後に隠された秘密に肉薄していく様子が軽くミステリータッチで描かれます。

重厚な物語を期待せずに、軽く読めるアクション小説として手に取ればそれなりに面白い物語ではありました。

ギレルモ・デル・トロ 沈黙のエクリプス(上・下)



昔読んだモダンホラーの一連の作品を思い出させる、吸血鬼ものとゾンビものを合わせたような作品。

疾病対策センターのイーフリアムは、離婚協議の途中、ニューヨークのジョン・F・ケネディ空港に着陸した航空機が全く応答がないという連絡を受けた。駆けつけるとアウトブレイクが予想される中、四名以外の全員の死亡が確認される。その四名の生存者に共通する事柄を探るなか、彼らは空港の外へと出ていってしまう。一方、死体安置所でも異変が起き、死者が行方不明となってしまう。

いわゆるノンストップホラーと呼ばれる分野の作品だと思われますが、何よりもこの本の作者のひとりが映画監督のギレルモ・デル・トロだということが一番の特色でしょう。『パンズ・ラビリンス』や『パシフィック・リム』、そして、近年の『ホビット』三部作の監督として有名です。また、共著のチャック・ホーガンという作者は私は知りませんでしたが、映画化もされた『強盗こそ、われらが宿命(さだめ)』という作品でハメット賞を受賞したアメリカの気鋭のサスペンス作家です。

もともとギレルモ・デル・トロの企画をもとにテレビドラマ化され、同時に文章化もされた作品らしく、既に海外ドラマ『ストレイン 沈黙のエクリプス』として放映され、DVD化もされています。

内容は先にも書いたようにモダンホラーそのものです。ゴシックホラーとしてのブラム・ストーカーの『ドラキュラ』の世界が、より現代的に装いを変えて登場したというところでしょうか。乗客全員の死亡、そしてゾンビとしての復活、ヨーロッパから秘密裏に運ばれてきた棺桶、その中にいた吸血鬼のマスター。そのマスターに対抗する存在としてのルーマニア生まれの老質店主セトラキアンと、舞台設定はそのまま吸血鬼ものです。

難点は、話が冗長なのです。文庫版で上下合わせて750頁以上。私はソフトカバー版を読んだのですが、それでも574頁もあります。そしてそのソフトカバー版の中ほどまでは個々の生存者の変貌や、復活した死者たちの様子が執拗に描写されるのです。半ば過ぎにやっと正義の味方たちの結集が始まり、後半四分の一くらいからやっと反撃が始まります。

本書は三部作ということなので、全体からすればちょうどいい分量、ということなのでしょうか。それにしても、書かれていいる内容からすると、もう少し短くすることはそれほど難しいことではないと思うのですが。このような作品を読むと、アメリカの原稿料が文字数で決まると聞いた気もするけれど、だからなのではと勘繰りたくなります。

設定は個人的にも好きな分野だし、DVD版もサンプル版を見た限りではテンポよく進んでいるようですが、本書はもったいないという印象が先に立ってしまいました。この手の物語が冗長と言えば、まずはスティーブン・キングが思う浮かぶと思われます。しかし、キングの話はそれなりに読者を惹きつけていて、その冗長性も物語の世界を構築するのに役だっていると思うのです。

そうした点に目をつぶれば好きな分野でもあり、それなりに面白く読みました。

堂場 瞬一 検証捜査


この作家らしく細かく書込まれた、読み応えのある警察小説でした。

とある失策から伊豆大島署に飛ばされていた神谷警部補は、突然、本庁の刑事部長から、神奈川県警に出頭し警察庁の永井管理官の指揮下に入るようにとの命を受けた。その足で神奈川へと向かった神谷だったが、そこには北海道、福岡など各地から集められたメンバーがいた。明日出るであろう連続婦女暴行殺人事件の控訴審での無罪判決に対する警察庁なりの対応策として、神奈川県警が行った捜査についての調査のために集められたらしい。神奈川県警の反発が予想される中、メンバーによる調査が始まった。

この作品に対するレビューを見ると、決して評価は高くないようです。でも、個人的には好きな作品の一つと言えるものでした。短気ですぐに手が出るという神谷のキャラクターもそれなりに愛嬌はあるし、物語全般にわたる謎の設定にも引っ張られ、読んでいる中での間延び感も無く、面白く読むことができました。

物語の流れとして、神谷が呼び戻された理由や、神谷の以前の失敗、保井凛の個人的な弱みなど、細かな設定が明かされておらず興味をかき立てます。これらの秘密は物語の進行につれ少しづつ明らかになります。そして、大きな謎として真犯人は誰かという点、更には神谷の以前の失敗につながる事件の謎があり、警察ミステリーとしての王道を行くと言えるのです。

神谷が呼び戻され加わることになったチームの個々人の書き込みがもう少しあればという気がしないでもないのですが、それでも、このチームとしての特命班の活躍は、普通の警察小説の「班」とは異なる魅力を持っています。

チームリーダーである永井管理官のキャリアとしての性格付け、大阪府警の監察室の島村の監察官としての尋問能力、福岡県警捜査一課の皆川の体力バカぶりなど、当初はバラバラだった特命班の個々人の振舞いが明確になり、更に次第にまとまっていく様子は、定番とはいえ惹きこまれます。

ただ、保井凛という女性との絡みだけは若干違和感を感じましたが。

こうした警察の不祥事であげられるのは決まって神奈川県警です。他には北海道警や大阪府警の問題もありますが、やはり神奈川県警が警視庁との不仲のこともあり、物語として描きやすいのでしょうか。本書で描かれる神奈川県警のミスは、もはやミスとは言えない緩みきった体質を持った組織として描かれています。現実の警察がこうではあってほしくないと、痛切に思う物語でもありました。

宮下 奈都 羊と鋼の森


一人の調律師の鳴らすピアノの音を聞いて、自分も調律師になり自分の音を探す若者の物語。第154回直木賞、2016年本屋大賞それぞれの候補作になった作品です。

高校生の外村は、体育館に置かれているピアノを調律する板鳥宗一郎の調律する音に魅せられて調律師になる道を選んだ。二年間の調律師になるための研修を終えた外村は、調律師の板鳥のいる江藤楽器に就職する。江藤楽器店の調律師の先輩や、さまざまなお客、そのお客の元にあるピアノとの出会いを通して、外村は調律師として、そして人間として成長していく。

単に直木賞候補作品というだけで読んだ作品ですが、いざ読み始めてみると調律師という、全く未知の分野の物語でした。

まずは、未知の世界についての作品ということ自体の興味で読んでいたのですが、宮下奈都という作家の文章の美しさに惹かれました。決して湿度が高くはないこの文章を詩情豊かと言って良いものか疑問もありますが、ピアノの音そのものや、その音を聞いたときの心情などを表現する言葉の選択、文章の組み立ては美しいものでした。

本書では、ピアノの音を表現するために、主人公が暮らしてきた故郷の森の印象を借り、比喩の小道具とした表現が為されています。例えば、板鳥の調律しながら確かめるピアノの音を表した場面があります。「ぼやけていた眺めの一点に、ぴっと焦点が合う。山に生えている一本の木。その木を覆う緑の葉、それがさわさわと揺れるようすまでが見えた気がした。」などです。森に重ねた音の広がりについての表現の豊かさに魅入られました。

また、調律という仕事についての紹介の話でもあります。例えば、調律とは一オクターブの音を、基準となる音をもとに均等に割り振る作業、だと思っていたのですが、それは「平均律」という調律の一方法でしかないということです。これに対し、音の響きを優先した「純正律」という方法もあり、また、音感が貧弱な私では勿論聞きわけることはできない細かな調整方があるらしいのです。

ここに至るといつも思う事柄があります。それは、絵画や音楽などの「芸術」という分野に属するものは、高度に個人の感性に左右されるということです。それは演者という送り手は勿論のこと、鑑賞する受けて側にも言えることで、それなりの力量が無ければその「芸」なり「芸術」なりの良さは理解できません。そのことは、「芸術」を描写する文章についてもそのままに当てはまり、書き手は勿論、読者もある程度の感性が必要なのだろう、と思ってしまいます。

ましてや本書のようにピアノの音色を聞き分けることなど、一般素人の耳では分からないことです。更には「ピアノの音の柔らかさ」などと言われても殆どの人は理解できないと思われます。でありながら、「柔らかな音」を文章で表現し、読み手に調律の仕事の意味を伝える本書のような作品は、非常に高度な作業を行っているのであり、読み手は自分の感性で著者の意図するところをくみ取ることになります。

つまりは受け手の感性の問題も加わり、感覚の鈍い私などどうすればいいのか、ということになるのです。

でも、こうしたことは考えても仕方がないことで、絵画や音楽の素人だから分からないのではなく、個人の感覚の問題だからいろいろな意見が出て当然、だと割り切ることにしています。

本作品は、青山文平が『鬼はもとより』で受賞した第152回直木賞の候補作になっています。そこでの選評を読んでみると、北方謙三、伊集院静は本作品を押しているものの、林真理子、浅田次郎はあまり評価していません。東野圭吾もエンタメ性の欠如を理由に否定的です。

「エンタメ性の欠如」という理由づけは明快であり、納得できます。確かに、主人公外村の成長を追いかける本作品にエンターテインメントとしての面白さはありません。どちらかと言うと文学的なのです。でも、その文学性の存在を否定し、「登場人物のキャラクターが、少女コミック」のようだとする林真理子のような意見もあるのですから分かりません。

文章を美しいと感じた読み手、すなわち私の感覚も否定された様でもありますが、肯定する作家もいるのですから、やはりは個々人の感性に帰着するのでしょう。

ともあれ、物語としての面白さ、この「面白さ」という言葉も多義的で一概に言えないのですが、「読書している時間を幸せな時間と感じれるか否か」という私の基準から言うと「面白い小説」だと言えると思うのです。

大沢 在昌 北の狩人



この小説の紹介文には「ハードボイルド長編小説」とあるのだけれど、若手刑事を主人公とするアクション小説と言ったほうがよさそうな小説です。

父親が殺された理由を探りだす。その一念で新宿の街に現れた梶雪人は、「田代組」という手がかりだけを頼りにヤクザに声をかけて歩いていた。それを見た新宿署の佐江刑事は、この男に何となく気になるものを感じ、何かと手を貸すのだった。

ネットで、「もんでんあきこ」の雪人 YUKITO』という、原作を大沢在昌の『北の狩人』とする、一巻だけ無料のコミックがあったので読んでみました。これがなかなかに面白く、早速原作を読んでみた次第です。

驚いたことに、lこの作品は以前読んだ『雨の狩人』という作品と同じシリーズの一巻目でした。そのうちに読もうと思っていた作品を思いもかけない出合いで読むことになったわけです。コミックで感じた朴訥とした主人公の佇まいもそのままに物語は始まります。コミックでの印象の通り、新しいヒーロー像の出現をわくわくしながら読み進めました。

ところが、序盤を過ぎたあたりから、物語の雰囲気が微妙に変わってきます。上下二巻のこの作品の上巻も半ばを過ぎる頃には、読み始めに感じていた「朴訥な田舎の青年を中心とする新しいサスペンス」であるはずの物語は、普通のアクション小説に変わっていました。

詳しく書くとネタバレになりそうなので書けませんが、本書の根幹の謎にかかわる人物の生存という設定も、新宿という町で堂々と生きていけるのかという疑問などもあって、当初感じていたこの小説に対する期待感も徐々に薄れていきました。それでも、大沢作品らしいアクション小説として普通に読み終えることができ、無理して読了、などでは決してなく、それなりの面白さはありました。

あとがきで、千街晶之氏が主人公の梶雪人について「純朴な梶は、巻頭の登場シーンこそ不穏な雰囲気を漂わせているものの、後半は何やら頼りなくも見えてくる。」と書いておられます。このことこそが途中で期待が薄れてきた原因だと思われます。「新宿鮫」を思わせるヒーロー像あったはずの存在が普通の青年に変わってしまったのです。

そこでも書いてあるように、代わりに佐江という新宿署の刑事と、宮本、近松というヤクザ、それに新島という正体不明の男が登場します。残念なのは、これらの強烈な男たちの描写が今一つ深みを感じられないところでしょうか。梶という男のヒーロー性の喪失を補ってくれるほどのものではなかったということです。

今ひとり重要な登場人物として杏という女子高校生もいますが、この娘の魅力も感じられず残念なところでした。

辻堂 魁 読売屋天一郎


瓦版屋である主人公が仲間とともに走り回る痛快活劇小説です。

旗本の部屋住みだった水月天一郎は、ある事情から家を出て、部屋住み仲間の絵師の錦修斎、彫師であり摺師でもある鍬形三流、そして売り子の蕪城和助らとともに築地で瓦版屋の「末成り屋」を営んでいた。天一郎は勘定吟味役の高石友則が、油問屋の株仲間のことで賄賂を受け取っているという噂を聞きこみ、調べ始めると、何者かに襲われる。一方、公儀小納戸衆旗本の筒井太七郎という者が島帰りだとの話を聞きこむ水月天一郎だった。

久しぶりに読んだ辻堂魁の新しいシリーズです。『風の市兵衛』シリーズがそこそこに面白かったので、次に読んだのが『夜叉萬同心 冬蜉蝣』だったのですが、これが取り立てて面白いと言うほどではないけど、痛快活劇小説としては中の上くらいかなと。そこで、新しいシリーズの本書を読んでみました。

結論から言うと、やはり中の上、というところでしょうか。

本作品は『夜叉萬同心 冬蜉蝣』とは異なり、出版年が2011年なので『風の市兵衛』シリーズよりも後に出されています。それにしては、物語に新鮮味があまり感じられませんでした。

元は旗本の部屋住みである瓦版屋を主人公に、役職に就こうとする旗本の不正を暴くという、現代で言えば新聞記者ものです。そこに八丈島に流されていた流人の物語が絡み、人情話の色合いも添えられた活劇小説、ということになるのですが、主人公を含めた登場人物に感情移入できません。

主人公が瓦版屋という設定は面白く、その仕事ぶりの紹介も詳細に為されていて、それなりに面白い物語ではありました。しかしながら、人情物語としても活劇小説としても水準以上の面白い小説だった、とまではいかないようです。

上橋 菜穂子 鹿の王(上・下)



さすがは上橋菜穂子作品です。それも本屋大賞を受賞した作品というだけあって、じつに読み応えのある内容の濃いファンタジー小説でした。

「独覚」と呼ばれる戦士団の頭であったヴァンは、東乎瑠(ツオル)帝国との戦いに敗れ、岩塩鉱の地の底深くで奴隷として囚われていた。ある日、黒い獣の一段が襲ってきた後、鉱山の者皆が流行り病で死んでしまう。生き残ったのはヴァンと一人の幼子だけだった。ヴァンはユマと名付けた幼子と共に開拓民に救われるが、流行り病を生き延びたヴァンを追う人物があった。

単に、主人公ヴァンを中心とする冒険物語として読んでも十二分に面白い小説です。ただ、本書はそれだけにとどまりません。物語の舞台となる世界について徹底して考え抜かれていることがよく分かるほどに、登場する部族ごとの習俗や、帝国の政治体制などが厳密に構築されていて、登場人物たちが生き生きと動きまわっています。

その見事に構築された世界を舞台にする本書が抱えているテーマは、病、戦などを抱え込んだ「生命の在りようそのもの」を見据えています。それは重く、処理の仕方次第では陰鬱にさえなるようなテーマである筈です。しかし、本書はその重さを全く感じさせません。テーマは物語の進行の中に自然に溶け込んでいて、「命」という存在への自分なりの解釈が、意識しないうちに読み手の心に居ついているのです。

人間は個々の人間が集まって社会を形成し、そこに他の生き物が加わって一つの世界を形成しています。一方、人間の体自身にも多くの微生物が存在し、それらの微生物の働きによって生命活動を維持しており、それはあたかも人間社会の営みのようでもあります。

この関係性をそのままに物語として取り上げたのが本書です。人間体の仕組みをモデルに小説を書いた作者は小松左京や半村良など居ないことはありません。しかし、本書ほどに正面から取り上げて物語のテーマとした小説は知りません。ましてやその小説が比類ない面白さを持っているのですから、何も言えません。

登場人物をみると、戦士のヴァンという動的な存在の主人公に対し、高貴な存在で有能な医術師であるホッサルという静的な存在が配置されています。このホッサルは、人間の命の救済に正面から取り組む医者であり、本書のテーマを直截に掘り下げる重要な役割を担っています。更に、ヴァンと同じ場所に囚われていて流行り病を生き延びたユマという幼子がいます。このユマの存在がこの物語全編を通しての心の安らぎであり、命の尊厳を思い出させてくれるキーにもなっているのです。

本書には様々の部族(?)が登場し、その住んでいた土地と共に生きている人間、ということを強く意識させる構造になっています。人は動物や植物をも含めた自然の営みの中で、自然と一体になって生きているのです。

本書ではまた、深く掘り下げられているわけではないのですが、宗教との関わりをもまた取り上げてあります。病に対し、自分たちの治療で助からないもの、それは神の意志であり、ホッサルたちの行う治療行為は神の意志をないがしろにするものだとする帝国に元から存在する既存の医師団がいるのです。

そうした集団を物語に取り込む、その仕組みとして東乎瑠(ツオル)帝国があり、被征服者としてアカファの国があって、国ごとの名前のつけ方もよく考えられています。東乎瑠(ツオル)帝国の皇帝は那多留(ナタル)であり、その子は宇多留(ウタル)や与多留(ヨタル)という漢字を振ってあります。こうした仕掛けは小さなことではありますが、国の特色を示してあって、読み手は帝国の雰囲気の一端を摺りこまれるのです。

本屋大賞のみならず、日本医療小説大賞をも受賞している本書は、医療の側面でも高い評価を受けています。そうした専門的にも評価を受けている作品である本書は、飛鹿(ピュイカ)というカモ鹿に似た動物を乗りこなし、戦士の頭としての力量と人望とを併せ持つヴァルの活躍や、ユマの愛らしさと共に、知らず読み手の心に深く入り込んで、さまざまの事柄を考えさせる作品になっているのです。

佐伯 泰英 居眠り磐音江戸双紙(49) 意次ノ妄


居眠り磐音江戸双紙の四十九巻目です。このシリーズも残り二巻だそうです。

ここしばらくはシリーズ最終巻に向けての後始末、及び物語の整理に入っていますが本作も同様です。

田沼親子の死去に伴い、これまでの争いも終わりかと思いきや、田沼意次の最後の刺客が磐根を襲う、という話。

この最後の刺客がこの巻になって突然その存在が明らかになったり、あまりに弱すぎたりと、お話として取ってつけたような感じが否めません。なにせ、九歳になる磐根の息子空也に負ける刺客ですから話になりません。

小説として面白くないとまで言いませんが、残念ではあります。

深緑 野分 戦場のコックたち


1944年の初夏、19歳のティムこと管理部付きの五等特技兵ティモシー・コールはフランスのノルマンディー地方にあるコタンタン半島にパラシュート降下を果たした。兵隊の給食を担当するコックの顔も持つティムは、第二次世界大戦の欧州戦線で、コック兵仲間とともに、料理と戦闘に明け暮れる毎日に飛びこむことになった。

全五章からなるこの物語は、章ごとに何らかの謎が生じ、主人公であるティムと探偵役であるエドらを含めた特技兵仲間が謎を解いていきます。行方不明になった大量の粉末卵の箱や、不要になったパラシュートを集めている兵士の目的、幽霊兵士の出現などの日常の中の謎を解き明かしていくのです。

しかし、謎解きがメインの推理小説というわけでもなさそうです。作者は、衛生兵に光を当てた映画『プライベート・ライアン』などを見て後方支援に関心を持ったとありました。縁の下の力持ちでありながら、自らも命掛けで銃を持つ後方支援という立場に目を向けたいという思いがあったようです。

とはいえ舞台は戦争です。描くのは難しかったと思われます。作者は「戦地に赴いた兵士たちが残したたくさんの記録や証言、使っていた教範。触れられるものには何でも触れて、会える人には会って、そこから想像しました。」とあるように、巻末にも示されている膨大な資料を読み、想像を膨らませたのです。

そうして出来上がった本書の臨場感は見事です。しかし、見事ではあるのですが、読んでいて何か物足りません。更に二段組みで350頁にもなろうかというこの本はかなりの長さがあります。にもかかわらず、物語の流れは平板です。各章での謎解きも決して興を起こさせると言うほどのものでもありません。何度か途中でやめようかと思ったほどです。

一番は日本人作家が何故にアメリカ兵の物語を書いているのか、という疑問が読んでいるあいだずっと頭の中にあったことでしょう。しかし、物語の中にはアメリカ兵を描く必然性を見つけることはできませんでした。このことは、直木賞選考委員の中にも同じ意見を書かれている方がおられるので、私個人の独善的な見方でもないと思われます。

でも、日本人がアメリカ兵の物語を書いている、という点に目をつぶり、物語の平板さが気になりつつも読み終えると、最終的には全体的な構成としては上手くまとめてあった、という印象になっていました。細かな謎解きに対する不満も、最後に残された大きな物語の流れの中にそれなりの落ち着き先があったのです。

では、読後感として面白い小説だったと言えるかと問われれば、諸手を挙げての賛成というわけにはいかないようです。

ちなみに、本書は2016年の「このミステリーがすごい!」、「ミステリが読みたい!」の国内編で共に第2位を取り、週刊文春の2015年ミステリーベスト10で第3位になっています。加えて、第154回直木賞、第18回大藪春彦賞、2016年本屋大賞の各候補作にもなっています。こうみると、本作品が力作であることに間違いはなく、そして作者の力量の可能性は高く評価されているのでしょう。

浅田 次郎 獅子吼


全六篇の短編集です。二編ほど意味を汲み取れない作品もありましたが、残りはいつもの若干のファンタジックさを残した浅田次郎作品でした。

「獅子吼」 文字通り獅子の物語でした。戦時中、各所の動物園で行われたという動物の殺処分に題を取られたのかは不明ですが、一人称で語られるこの物語の語り手は百獣の王である獅子です。「飢えたくなければ瞋(いか)るな。」という父の訓(おし)えを胸に、檻の中で生きています。

一方、炊事当番である草野二等兵へと視点が移ります。その草野二等兵に動物園の動物たちの殺害命令が下るのです。

獅子と動物園の飼育係であった一兵卒の間でそれぞれに語られる独白、加えて草野二等兵の上官たちの振舞いは、浅田次郎の文章の心地よいリズムと琴線に触れる言葉とで語られ、読者の心に迫ってきます。瞋(いか)るとか、訓(おし)えだとか、非日常的な言葉が随所にちりばめられたこの短編は、読み手をも常ならざる世界へと誘ってくれるようです。

「帰り道」 ハイミスの清水妙子という女性の、二つ年下のインテリ工員の光岡に対する想いを描いた作品です。物語自体はあまり好みではなかったのですが、最後の一行へ至るまでの話のもって行きかたのうまさには改めて驚きました。深く書くとネタバレで、それではこの物語の良さが半減してしまいますのでこれまでとします。

「九泉閣へようこそ」 この物語はよくわかりませんでした。この物語も視点が変わります。春と呼ばれる男と真知子というオールドミスの物語かと思えば、彼らの泊まった宿こそが主人公でした。登場人物も含めて、浅田次郎という作家はこの物語で何を言いたいのだろうと、そればかりを考え、そして分かりませんでした。

「うきよご」 「駒場尚友寮」という下宿屋を舞台にした、東大を目指す浪人生の物語です。京都の実家でも東京でも居場所のない松井和夫は、尚友寮でも自分の場所を見つけられないでいますが、二階の東郷さんの部屋から聞こえてきたメンデルスゾーンの調べに救われる感じがします。腹違いの姉との妖しげとも言える微妙な雰囲気を漂わせながらも、一人の浪人の一時期が切りとられているのです。

舞台は東京の東大駒場前あたりですから、渋谷のほど近くが舞台です。にもかかわらず、この物語には街の匂いも無く、かといって昭和の匂いでもありません。浅田次郎という作者と同じ世代である私には東大受験こそ無縁でしたが、当時の空気感は肌で感じた世代であり、よく分かるところです。しかし、その感じとも違う、不思議な雰囲気をもった物語です。

「流離人(さすりびと)」 冬の日本海を眺めながら走る列車で知り合った「さすりびと」と自称する沢村義人という名刺をもった老人の回想の形で話は進みます。

この回想が実にユニークです。終戦近い満州の混乱のさなかに常に赴任途中である一人の軍人の物語。物書きの発想のすばらしさを思い知らされる一編でもありました。この発想が、浅田次郎の手にかかると一片のファンタジックな反戦の思いを忍ばせた物語として仕上がっています。これは好きなお話でした。

「ブルー・ブルー・スカイ」 カジノで大負けした戸倉幸一は、その帰り道にラスベガスの場末の交差点にあるグロサリー・ストアに置いてあるポーカー・マシンで大当たりが出した。しかし英会話もままならない幸一の前に現れたのは、ギャングを思い立ちコルト・ガバメントを握りしめたサミュエルだった。この物語も、意図が分かりにくいお話でした。

全体的にさまざまな印象の物語だったと言うべきでしょうか。でも、どの物語も浅田次郎の物語であり、惹きこまれる作品集でした。

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このブログの本棟として本の紹介のサイトを開いています。
(こちらです⇒読んだ屋
本ブログを別棟として位置付けて、読んだ本を記録していこうと思い立ちました。ここでの文章を母屋であるそのサイトに転記していくつもりです。

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