浅田 次郎 夕映え天使


日中の若干の余震を除いて、平穏な日々が続いています。でも、その若干の余震があるたびに、続けてあの大きななヤツが来るのでは、という若干の恐怖があるのもまた事実です。震度5前後の大きなヤツが来る恐れが十分にあるという気象庁の発表は、常に心の片隅に残っています。

さて本書は、浅田次郎お得意のファンタジックな色合いの濃い短編集です。

「夕映え天使」 東京下町の商店街の片隅で、男やもめの親子がやっている中華料理屋があった。住み込みで雇ってほしいと現れたその女は、親子二人の生活に入り込み、そして馴染んだ頃に居なくなった。しばらくして警察から一本で電話が入った。

謎しかない一人の女をめぐる、男たちの心の揺らぎが語られています。結局この女のことは何一つ分からないのですが、それでもなお、いつの間にかそれぞれの心の中にひそかに住みついてしまった女を通して男の哀しみが語られます。

「切符」 父は借金を残し女と逃げた。母も男と出て行った。今、広志がじいちゃんと暮らす家の二階には、間借り人である八千代さんが男と暮らしている。八千代さんは運動会を見に来てくれると約束したけれど、東京オリンピックの開会式があったその日、八千代さんは二階の部屋を出ていくことになった。

寂しさを背負った広志という名の子供を主人公にした、昭和の匂いを強烈に漂わせた作品です。「さよなら」と言い続けた広志の、愛情に飢えた思いが強く伝わってきます。

「特別な一日」 定年を迎えたと思われる男の「特別な一日」を追いかけたSFチックな短編です。

浅田作品にはめずらしく、最後のひねりにこそ意味がある掌編になっています。男と同期でありながら社長にまで上り詰めた若月の「どうして俺なんだよお」という言葉の意味が最後になって腑に落ちます。

「琥珀」 十五年の間、三陸のとある町の裏路地で「琥珀」という名の珈琲専門店を営んでいた荒井敏男は、流れてはくれない時間を呪いながらの単調な毎日に倦んでいた。そこに、定年前に有給休暇を消化するための旅をしているという男が飛び込んできた。

世の中の片隅でひっそりと生きてきた男と、嫁にも捨てられ職場でも疎んじられていた男との思いがけない邂逅がもたらすものは何か。浅田次郎の書きたかったものは、本書の解説で鵜飼哲夫氏が書いているように。「理屈だけでは割り切れない人生の陰影」だったのでしょうか。

「丘の上の白い家」 丘の下に住みそれぞれの不幸を背負う少年たちと、丘の上の白い家に住む天使のような少女との人生の交錯を描いた作品です。

鵜飼哲夫氏の言によると、少年たちと少女との人生の交錯により起きた悲劇の説明がないことは、「人生という尽きせぬドラマの不可解な断面を斬り取り、生きてあることの謎に迫る」ということだそうです。こうした表現は私ら素人の為すところではありませんが、小説より奇なりといわれる現実の人生の一断面を示しているとは言えそうです。

「樹海の人」 著者の自衛官時代の経験より紡ぎだされた作品でしょう。演習で富士樹海に取り残された主人公の遭遇したものは現実なのか、それとも・・・。

本書の解説での鵜飼哲夫氏によると、本書は浅田次郎の「新たな境地」を示しているのだそうです。表現したい思想や感情を念入りに表現するのが浅田流だったのだけれど、感覚的に捉えたものが思想であるとする小説作法に似ている、らしいのです。

そうした捉え方は私の読書力の範囲を越える理解であり、これまでの作品との差異を捕らえることはできません。しかし、浅田作品の持つさまざまな人間模様の切り取り方はやはり人間としての在るべき姿を追いかけているようには思えます。

海堂 尊 モルフェウスの領域


私のまわりでは、若干の余震を除けば日常が戻ってきています。しかしながら、繁華街の店は未だ半分くらいしか開いていないと聞きました。通院の途中でも、何軒かの店先には「頑張ろう熊本」の張り紙も見えました。

ところで本書は、久しぶりの海棠尊の作品です。

俯瞰

この作家には珍しい、SF仕立ての小説です。若干のとっつきにくさと、顔なじみのキャラクタの登場による安心感とがないまぜになった不思議な感じの物語でした。

時間軸としては「ナイチンゲールの沈黙」に続く物語であり、このあとの「アクアマリンの神殿」へとつながるそうです。

主人公は誰かと言われれば、佐々木アツシと答えるべきなのでしょう。しかし、本書はその冒頭から日比野涼子という女性の物語として始まり、進行します。未来医学探求センター非常勤職員としての涼子は、このセンターで眠り続ける佐々木アツシの世話を一手に引き受けているのです。

論理展開の難解さ

この未来医学探求センターでの涼子の役割や行動は、この作者お得意の論理展開が勝っている場面であり、私のような読者はついていけない場面でもあります。

つまりは、このセンターの設立基盤でもある曾根崎伸一郎教授が提唱した「凍眠八則」、そして「凍眠」の根拠づけの法律である「人体特殊凍眠法」をめぐる曾根崎教授と涼子との会話の場面であり、またコールドスリープ技術を開発した技術者である西野昌孝と涼子との会話の場面です。彼らの論理展開にはいつものごとくついてはいけませんでした。

若干の疑問点

それよりも、涼子の立場がよく分かりません。このコールドスリープ技術は、国家の一大事業であり、先進医療技術の最先端技術の賜物であるはずです。しかしながら、日々のチェック、点検を単なるバイトの一女性に委ねられてしまっていること、更にはそもそも、最先端技術であるはずなのに、単なるチェックを越えた個人の手作業での管理が要求されることなど、あり得ない状況設定だと言わざるを得ません。

ステレオタイプな官僚描写

特に涼子の直属の上司の八神など、官僚の描きかたはこの作家の常で硬直的です。自己保身と打算で動く官僚というステレオタイプな見方及びその見方に則った人物の描きかたはいい加減鼻につくようにもなっています。

ストーリーテラーとしての海棠尊

とはいえ、高階権太や田口公平というシリーズで馴染んだメンバーが登場すると、物語の展開が非常に読みやすく、分かりやすくなります。とくに如月翔子看護師長の存在は貴重です。

この作家の紡ぎだす物語は、高尚な論理展開の部分を抜きにすればかなり面白く、魅力的な物語世界が構築されていることは多くの人が認めているところであり、続編の「アクアマリンの神殿」も楽しく読めるものと期待したいです。

今井 絵美子 花あらし


ここのところ、震度2程の余震は日に一度程度で収まっていて、夜中にたたき起されることが無いだけでも助かっています。

ところで本書の写真画像ですが、Amazonへのリンクイメージ画像が大きなものしか表示されないので、大きな画像での紹介です。

「いざよふ月」 二十歳になったばかりの雪路は十九も歳の違う嶋村鞆音(しまむらともね)の後沿いとして嫁ぐが、雪路が二十四歳のとき鞆音は落馬して絶命してしまう。それから二年、明日は嶋村の嫡男裕一郎が嫁を迎える日だった。

嫁ぎ先でも勿論、実家でさえ居所の無い、夫を亡くした女の悲哀を、女の目線で丁寧な筆致で描き出してあります。

「平左曰う」 武具方御弓組の脇田平左衛門は自らの出世にあくせくすることも無い、かなりおおらかな性格をしていた。事実、小頭にはなったものの昇進はぴたりと止まってしまっている。そんな平左衛門だが、酒が入ると同一人物かというほどに曰(のたま)い始めるのだった。

やりきれなさが漂う本書の中で、めずらしくユーモアの香り漂うホッとする物語です。

気になったのは、「曰う」という言葉の使い方です。本書では「大きな態度で言う」などの意味でつかわれていますが、辞書によるとこれは現代語としての使い方らしいのです。現代の小説なので、そういう使い方もありだと言われればそれまでの話です。

「花あらし」 寿々は義姉の萩乃とともに下女として立花家へきていた。奥祐筆立花倫仁(たちばなみちひと)はとある事情で腹を切ることになるが、その時、萩乃は、そして寿々は・・・。

武家社会でひたすらに自分の思いを抑え込み、他者の心を推し量り生きようとする人々。そのことは、男も女も変わりません。 義姉は夫に尽くし、義妹は義姉やその夫に尽くし、自分の想いはひたすらに内に秘めている。それぞれが互いを慈しみ、思いやっているものの、ときの流れはそれらの思いをも押し流してしまう。美しい文章と共に、武家のたたずまいを浮かび上がらせている、切ない物語です。

「水魚のごとく」 杉浦甚内は竹馬の友である布施威一朗の出奔後、威一朗の妻華世を娶り、威一朗の子小百合をも自らの子として育てていた。ところが、華世亡き後、小百合の夫が殺されてしまう。陣内は小百合とその子の幼き慶之助のために助太刀をすることになるが・・・。

この話も、本当は重い話なのですが、語り口をユーモラスにすることで読みやすく作られている物語です。ただ、結末が示されていません。おかしみを語ることで、もしかしたら悲惨な結末になるかもしれない余韻を和らげようとしたのでしょうか。

「椿落つ」 保坂市之進がその妻実久と子と共に住む家の離れには、大祖母槇乃と保坂本家の伯母加世も暮らしていた。早くに父母を亡くした市之進は槇乃の手により育てられていたが、槇乃には誰にも言えない秘密があった。

この物語も、武家社会の中でひっそりと息づく女性の生きざまを描き出そうとしているのでしょう。情景描写を豊かにすることで人物の内面をより立体的に描き出そうとしてるいかのような、丁寧な筆致です。

保坂家の物語はこの連作シリーズの第一作目『鷺の墓』の第一話から語られている物語でもあります。

近年の、若干説明口調になっているこの作者の作品群の中では丁寧に、そして情感豊かに描かれている作品集です。瀬戸内に面する小藩を舞台にしたこの連作は、保坂市之進や白雀尼などの登場人物が繰り返し登場したりと、出来れば通して読んだ方が分かりやすいかと思われます。

時代小説の中でも、女性目線の、それも耐え忍ぶ女の姿を静かに描き出している作品集としてまずは挙げるべきシリーズ作品だと思います。

百田 尚樹 永遠の0(ゼロ)


今朝方五時過ぎ、小さくぐらりときた余震で目が覚めました。でも、Yahooの地震情報をみるとその頃には余震の記録はありません。しかし、決して車が通ったために家が揺れたのではありませんでした。筈です。と思います。

1、読むきっかけ

この作品が世間の高評価を得ていた頃、同時に作者本人の過激な政治的な発言を耳する機会も増えていきました。単におしゃべりな人という印象が、物事への決めつけが激しい高圧的な人との印象へと変化していったのです。と同時に、あまりにさまざまな評価を受けることになった本書も、この作家の作品への期待の喪失もあり、読まなくなりました。つまりは、作者の言動への批判的意味合いがあったのかもしれません。

しかしながら、映画を見、一番耳にしていた特攻礼賛、戦争賛美という印象を受けなかったので、原作もそうなのか確認しなければならないと思うようになった次第です。

2、読みながら感じたこと

まず、浅田次郎の『壬生義士伝』との類似を感じました。このことは私自信が作者本人が『壬生義士伝』を参考にしたと言っているのをテレビで見ましたので間違いのないところです。

勿論、先人の著作を参考にすることが悪い筈も無く、それどころか芸術は模倣から始まるということは多々言われているところです。ただ、本書に関しては、単なる物語の構成や運び方だけではなく、主人公の設定や読み手の感情の誘導までをも計算で無されているように感じられたのは残念でした。

3、小説としての評価

次に、小説としての本書を見た場合、インタビューの相手は八十歳を越えた人たちでありながら、かつての出来事を具体的な数値まで挙げて如実に語ることの不自然さがあります。戦記ものとしてこういう作法があるのかは知りませんが、小説としては決して出来が良いとは言えないのではないでしょうか。

読了後、Amazonのレビューを読むと、本作はコピペにすぎないとの文言さえありました。もしそれが本当であるのならば、小説として上梓する以上は、既存の文章のコピーであること、少なくとも複数の人間がそのように感じるということは如何なものでしょう。

4、作者個人に対する感情の影響

とはいえ、小説としての面白さが無いかと言えばそれはまた別の話で、それなりにこの物語に引き込まれたのも事実です。主人公の行動についての謎で引っ張る点などは、それが成功しているかは別として上手さはあると思います。ただ、本書の一番の魅力が、コピペとの指摘がある、現実に戦争を経験した方々の文章にある、とは言えると思います。

5、特攻讃美との批判について

「まさに全方向から集中砲火」と著者本人が言うように、さまざまな批判を受けている本書です。なかでも戦争礼賛、特攻讃美という批判がありますが、決してそのようには読めませんでした。それどころか、作者自身が言っているように、特攻の否定としか読みとれませんでした。

反面、幕僚たちの非人間性を強調し過ぎるきらいはあり、図らずも作者のものの見方についての一面性を現しているようでもあり、読者の涙を誘うとの計算が見え隠れしている感じはあります。この点は作者の処女小説ということなので、ある程度は仕方がないのかもしれないとは思うところです。

6、全体として

先にも書いたように、物語としての面白さは否定しきれないところはあります。そして、この本のあとに書かれた多数の本が一般読者の支持を得、本屋大賞まで受賞することを考えると、作者の物語の紡ぎ方のうまさは否定できないところではないでしょうか。

ただ、いかんせん口が悪い。単に歯にきぬを着せないだけではなく、その言葉は暴力的ですらあります。作者本人とその作品とは別物との考え方もあるでしょうが、どうしてもこの作者の作品というフィルターが掛かってしまうことは否定できません。

その上で、私が検証していない他の作品からのコピーが多用されているとの批判は抜きにしても、やはり流される涙を計算したあざとさを感じる、というのが正直な感想ではあります。

浅田 次郎 霧笛荘夜話


今朝方の四時頃と五時過ぎの二回、軽い余震で起こされました。後で調べると我が家付近は震度2だそうです。寝ぼけていたためか、震度2だとは思えませんでした。でも昼間の余震についても自分が思った震度とはずれがあり、震度に対する感覚が鈍っているようです。

ところで本書。運河のほとりの古アパート「霧笛荘」の六つの部屋に住んでいた六人の住人について管理人の老婆が語る、全七編のせつなさあふれる短編集です。

「港の見える部屋」 星野千秋と名乗る女が来たのは横なぐりの雨が沫(しぶ)く嵐の晩だった。何度も死にそこねた末にこのアパートにたどり着いたらしい。そんな女の世話をしたのは、やがて彼女の隣人となる眉子という名のホステスだった。

「鏡のある部屋」 そんな眉子というホステスが住んでいたのが次の部屋だった。本名を「吉田よし子」というこの女は、二枚目の夫との間に二人の子をもうけ、経済的にも恵まれ、幸せを絵にかいたような結婚生活を送っていた。しかし、そんな家庭をあとによし子は家を出た。

「朝日のあたる部屋」 次の部屋の主は鉄夫という名の半ちくなヤクザ者が住んでいた部屋だった。眉子に可愛がられていた鉄夫は、その人の良さからすぐ上の部屋に住む四郎という売れないバンドマンのために一肌脱ぐことになる。

「瑠璃色の部屋」 バンド仲間と共に、すぐ上の足の悪い姉のおかげで北海道の田舎町から上京出来た四郎だったが、バンド仲間はすぐに行方しれずになっていた。そんな四郎に、隣の部屋に住むオナベのカオルは文句を言いながらも何かと気を使ってくれるのだった。

「花の咲く部屋」 札幌から集団就職でこの工場にやってきた花子は、その給料も先に上京していた一回りも年の離れた兄が前借りで持って行ってしまう生活だった。そんな花子が駆落ちの末に転がり込んだカオルの部屋は、馥郁たる香りが溢れるゼラニウムやブーゲンビリアの花園だった。

「マドロスの部屋」 終戦直前に遺書を書いたまま何の連絡もしていなかった恩師の娘のもとを訪ねた園部幸吉は、現実を前に途方に暮れるしかなかった。そして、復員後一年近くも着ていた軍服をマドロス服ひと揃いと取り換え、「霧笛荘」にやってきたのだった。

「ぬくもりの部屋」 山崎茂彦は「霧笛荘」の買収を担当して半年近くも成果を上げられないでした。山崎に特に目を掛けていた社長は買収費用として高額の資金を準備し、早急の解決を求めるのだった。

登場人物は連鎖していき、連作短編とも言えそうですが、それぞれの話は独立しています。

「霧笛荘」という一棟のアパートを舞台に、通常の「幸せ」な生活からはずれた人生を送らざるを得ない、「不幸せ」な人生を送っている人たちの織りなす人間模様を描き出した短編集です。

しかしながら、ここに暮らす人たちは自分の人生に一生懸命であり、自分に正直に生きようとした結果今の暮らしに落ち着いた人たちです。そこにはそれなりの幸せがあるといって良いものか、それは分かりませんが、浅田次郎は、通常の「幸せ」の基準とは合わない、自分の生に真剣に立ち向かう人々へエールを送っているようでもあります。

長谷川 卓 空舟―北町奉行所捕物控


ここ数日は、深夜に大きな余震で叩き起されることもあまりありません。それなりに平和に眠れています。勿論、一日中余震が全くない、というわけではありません。

我が家の奥さんが用事で久しぶりに市の中心部へ行ってきました。やはり従来の街ではなく、災害にあった街の貌だと言っています。店はまだあまり開いておらず、活気というには程遠い状態だそうです。それでも、デパートも一部営業を開始し、少しずつですが、勢いを取り戻そうとしています。

さて本書。前に書いたように、まとめて借りていたものをやっと読み終えました。シリーズも三作目となると、それなりに落ち着きを見せてきています。

京、尾張、駿河と殺しを続ける、通称「絵師」と呼ばれる男が江戸に潜入した。臨時廻り同心・鷲津軍兵衛は、最古参の与力・嶋村の命を受けて、駿河本町奉行所から「絵師」を追ってきた同心の西ヶ谷の力添えをすることとなった。「絵師」とは、知り合ってから殺すまでの間、殺す相手の似顔絵を描き続け、絵の完成とともに殺すことから名付けられたのだという。謎の男「絵師」の正体とは果たして誰なのか?軍兵衛の必死の探索が始まるのだが…。北町奉行所シリーズ、好評の第三弾。(「BOOK」データベースより)

相変わらずに主人公とそれ以外の同心との書きわけが明確でない気がすることと、主人公と今回の敵役となる剣術使いとの邂逅があまりに偶然に過ぎること、などの難点はありますが、それでも、物語に厚みが出てきているように感じます。

主人公の鷲津軍兵衛とその配下たちとのチームがうまくまとまってきており、読んでいて小気味良さを感じるようになっています。

とはいえ、どこか一歩引いてしまう自分がいるのが残念です。

冲方 丁 天地明察


今日は5月の16日です。熊本地震の本震からひと月だと、いろいろなところで目にし、耳にします。個人的なことですが、背骨の病からきているぶどう膜炎が再発し、また眼球注射の日々に戻りました。ひどくはないので、多分もう打たなくても良いと思われます。二年近くの発症していなかったのもう大丈夫と思っていたのに、ストレスなのでしょうか。原因は不明です。

読もうと思ったきっかけ

今となっては理由は忘れたのですが、何故か本屋大賞まで取っているこの作品に対して拒否感があり読まずにいました。ところが、槇えびし氏の描くコミック『天地明察』の一巻目を読み、それまで抱いていた本書に対するいわれのない先入観が取り払われたのです。その時の印象からすると、本書の内容を勝手に決め付けていたものと思われます。

実際読んでみて

実際本書を読んでみると、コミックは本書の冒頭をかなり正確に再現してあり、コミックの面白さをそのままに本書の面白さとして捉えることができました。本来は本書こそが原作なのであり、おかしな言い方ではあります。

作者はSF作家として高名な人だったそうですが、本書はとてものこと初めての時代小説だとは思えない、見事な作品として仕上がっています。

主人公の人物像

渋川春海(しぶかわ はるみ)という名は過去に聞いたことがありました。しかし、その人が本書の主人公だとは全く思いもしませんでした。渋川春海という人は本来は二世安井算哲として徳川将軍の御前にて行われる御城碁の打ち手であるのですが、算術(数学)や暦法を学び、当時かなりの誤差が生じていた暦の改暦に挑むことになります。その様を描き出したのが本書です。

数学の面白さにのめりこみ、彼の生活のすべては数学が中心にある人のようです。本来の職務である囲碁もそうですし、暦法も勿論数学が基礎にあってこそのものです。二刀を邪魔なものとしか思えず、数学の問題を考え始めたら他のことは目に入らない人です。 本来は武士ではないのですが、二刀を帯び武士として将軍の御前で碁を打ちます。碁を打つそのことに武士である必要はないのですが、そこは深い思惑が働いており、その点は実際読んで確かめてみてください。

時代背景

水戸の徳川光圀らの後押しを得て、京の公家衆の間の根回しなどの苦労がよく描かれています。私でさえその前だけは知っていた関孝和らも登場し、本書では彼らの応援もあって改暦が成ったとされています。

特に面白く感じたのは、「会津家訓十五箇条」で有名な会津中将と呼ばれた保科正之についての描写がかなり詳しくなされていることです。名前だけは知っていたこの大名の人となりを詳しく描写し、作者のかなりの思い入れを感じさせる描き方が為されています。この保科正之や光圀らの後ろ盾があってこその春海の業績が成ったとの流れは歴史的な事実のようで、非常に納得でき、また面白いものでした。

改暦 その重要性

唐の宣明暦によっていた日本の暦を、中国からもたらされた授時暦による暦へ変更しようとする作業です。それは日本全国の生活の根底への変革をもたらす一大事業なのです。それを政を委託されている立場の幕府が行っていいものかという問題を始め、簡単にはいきません。単純に、発行される暦自体からもたらされる富だけでも膨大な金額になります。

この改暦の問題は明治維新期にもありました。すなわち、太陰暦から太陽暦への変更です。この改暦の結果今の私たちの生活があるのです。

映画化 ほか

滝田洋二郎監督により岡田准一主演で映画化されました。他に宮崎あおいや中井貴一なども出演しているそうです。未だ未見のこの映画です。早速DVDを借りてきましょう。

また、第31回 吉川英治文学新人賞、第7回 本屋大賞を受賞した作品でもあります。

池井戸 潤 下町ロケット


私の住んでいる熊本市中央区を震度5強の地震が襲ってから(四月16日午前一時二十五分ごろ)、今日でちょうど四週間が経ちました。街を歩くと、ここらでは全壊している家屋はありませんが、それでも壁が崩れている建物が散見され、壁にひびが入っている建物や瓦が落ちている建物は数知れません。

余震が続いているのは変わりません。小さな余震でもその先に少しの恐怖があります。でもしばらくはこの状態を我慢するしかありません。

さて本書。テレビドラマで評判を博した池井戸潤ものです。『半沢直樹』のドラマ版のあまりの評判の良さと、主演が好きな役者さんである阿部寛ということもあり、原作は未読ではあったもののドラマ版を見てしまいました。その予想以上の面白さに、『半沢直樹』の評判がいいことの意味も確かに腑に落ちると感じたものです。

そして、今回ドラマの前半部分の原作を読み終えたのですが、読んでいる途中もドラマの役者さんの顔や演技が脳裏に浮かび、読み進むにつれ頭の中で役者さんの演技が再現されていくのを感じました。

それほどに原作のイメージをそのままにドラマ化されていたのですね。また、そのことは原作が痛快小説の型をきちんと押さえている作りになっていることをも感じさせるものでした。

主人公の佃航平という中小企業の社長は、大企業の横暴による資金繰りの苦労や社内での労務管理の難しさなどの困難に直面します。それでいて主人公の誠実な業務遂行の態度は変わらず、社内外での佃製作所及び佃航平という人物への評価も好転していきます。

読み手のカタルシスを醸成するストーリー展開があり、そのストーリーを読みやすく構成する作者の筆力があって、物語の世界に素直に入っていけるように組み立てられています。手放しでほめちぎっていますが、痛快エンターテイメント小説のお手本のような物語だと思うのです。

幼い頃、映画館に行けばいい大人たちがスクリーンに向かい歓声をあげ、拍手をしている姿を思い出しました。一介の中小企業の親父が大企業に立ち向かい、その壁を乗り越えてゆく。面白くないわけがありません。読みながら拍手喝さいをしている自分がいるのです。

他にも、大企業の中にも佃製作所の技術力を評価する人物が現れたり、法務関連の救世主が現れたりと、一面ではご都合主義と取られかねない点があることも事実だと思います。

しかしながら、そうした点もふまえた上で一般読者の欲求をうまく拾い上げ、爽快感を味あわせてくれる作品になっていると思います。

理屈抜きで楽しめるこの作品は、第145回直木賞を受賞しています。

乙一 平面いぬ。


次第に余震も間遠になっています。たまにあってもここらで震度1か、強くて震度2です。でもたまにある余震の震源に近い阿蘇や御船の避難所の方々は変わらずにつらい毎日を送られているようです。

明日は前震のあった四月十四日からちょうど一月目にあたります。はやいと言っていいものか分かりませんが、それでもまだ震度5程度の余震に気をつけるようにとの発表は気持ちのいいものではありません。

さて、本書はホラーと言い切るには少しのためらいがある作品でした。強いて言えば、ダークファンタジーとでも言うのでしょうか。四つの物語が収められた短編集です。

「石ノ目」 その目を見ると石になってしまう、石の目と呼ばれる存在をめぐる物語。ギリシャ神話のメドューサの物語のような設定でいて民話的雰囲気を漂わせるお話です。

「はじめ」 実在はしていないのだけれど、小学四年生の自分と親友の木園の二人にだけは実在する「はじめ」という名の女の子。二人にだけの実在である「はじめ」という少女をめぐる、せつなさに満ちた物語です。実在しない筈の存在と二人は共に遊び、幼き日々を過ごすのです。郷愁すらも感じさせるファンタジーとして仕上がっています。

「BLUE」 人の知らないところでは動き出す人形たち。雨宿りのつもりで入った骨董屋で購われた布切れで作られたのは、王子様、王女様、騎士、白馬、そして青い残り布をメインに作られたブルーという五体のぬいぐるみだった。とあるお客に買われていった先にはウェンディという女の子と、テッドという男の子の姉弟がおり、ブルーは乱暴者の弟テッドに渡され、さまざまな試練に会うのだった。

ブルーの行く末についての設定自体はありがちなものかもしれませんが、物語作家としてのこの作者の手腕で一片の寓話として仕上がっています。このお話も、せつなさがあふれる物語です。

「平面いぬ。」 上腕に入れた青い犬のタトゥー。その犬が鳴き声を挙げ、体の表面上をあちこちと逃げ回ります。話はそれなりに面白いのですが、個人的には作者の意図がよく分かりませんでした。

本書は非常に評判が良い短編集です。しかし、少なくとも本書に関しては、私の好みには合いませんでした。独特な世界観を持っていて、寓話的に人間の心の奥底に潜む何かを引っ張り出すような力強さを持ちながら、人の心を優しく包み込む魅力的な文体で、評判が高いのもよく分かる物語集ではあります。

しかし、そこに提示される登場人物の心理はかなりひねったものであり、文章の裏に思いを馳せなければいけないと感じられ、私のようにある程度のエンタメ性を求める人物にはむかないように思いました。

この作者に対しては「せつなさ」という単語が指標として言われているようです。確かに本書においても心をギュッとつかまれるような若干のやるせなさや哀しみを感じさせられます。その感覚に浸りたい人にはもってこいの作品ではないでしょうか。

朝井リョウ 何者


昨夜は珍しくゆっくりと眠れました。8時間近くも眠ったようです。Yahooの地震情報を見ても、昨夜は熊本地方を震源とする大きな余震は無かったようです。でも、天草・芦北地方を震源とする地震はあったようですが。

代わりに強い雨が降っています。阿蘇などの山間部方面は余震と同じように怖い代物で、心配はいかばかりでしょう。何もできない身が恨めしく思えます。

さて、本書は第148回直木賞を受賞した作品です。五人の若者の「就職活動」に焦点を当てた青春小説です。

就職活動を目前に控えた拓人は、同居人・光太郎の引退ライブに足を運んだ。光太郎と別れた瑞月も来ると知っていたから―。瑞月の留学仲間・理香が拓人たちと同じアパートに住んでいるとわかり、理香と同棲中の隆良を交えた5人は就活対策として集まるようになる。だが、SNSや面接で発する言葉の奥に見え隠れする、本音や自意識が、彼らの関係を次第に変えて…。直木賞受賞作。(「BOOK」データベースより)

主人公は二宮拓人という演劇青年。その同居人として神谷光太郎という人気者がいます。それに光太郎のかつての彼女であり、拓人の片想いの相手でもある田名部瑞月がいます。そして拓人の上の階に住む瑞月の友人の小早川里香、その同居人である宮本隆良の五人で間で話は進んでいきます。

本書は上記の五人それぞれの就職活動の様子を示したものです。いまどきの就職活動をする学生の生態が、主人公である拓人の一人称の形をとり語られている青春小説なのです。

それにしても、驚くべきはその生活様式、といって良いものかスマートに過ぎる学生生活の在りようです。まあ、私の学生時代と比べると、私と同世代であっても共感を感じる人の方が少ないでしょうが、それにしても四畳半一間に暮らすことが普通であった時代とは隔世の感があります。こういう感想は年寄りの繰り言でしかないでしょうから、もうやめます。

一番の違和感は、ネット社会という状況でしょうか。コンピュータであったり、スマートホンであったり、その道具は異なっても、瞬時の情報交換を前提に暮らしが成り立っていて、会社訪問であれ、訪問先の先輩であれ、ネットを前提としていることには驚きです。

また、これは本書限定のものではありませんが、ツイッターを駆使して自分の内面を外部に対して発信するという行為、それ自体に違和感が満載です。仲間内に限定されたつぶやきであればまだ理解の範疇です。しかし、それが世の中一般に対しての発信ということになるともうついてはいけません。その「つぶやき」自体、本心かどうか不明の、実体を伴わない空虚な言葉を前提とした他人(ひと)との繋がり、としか思えないのです。

この作品で描かれている状況は現代の一般的な「就活」の状況だと思っていいのでしょうか。これは一部大企業に限定された話ではないのでしょうか。

個人的にはきちんとした「就活」というものをしたことが無いので、そもそもの前提が分からず、物語の世界に入っていくことが難しかった、ということはあります。

でも、若者たちの自分を表現する方法は異なっても、他者との繋がり方を模索し、その繋がりができたり、切れたり、形だけのつながりだったりと、さまざまな関わり方の中でひたすらに悩み、苦しみ、もがく、という点では今も昔も無いように思います。

本書はそうした青春小説という側面に加えて、若干のミステリーチックな仕掛けが最後に待っています。こうした構成は上手いものだと感心するばかりです。

この作者が『桐島、部活やめるってよ』の作者だということは読了後に知りました。映画を見た限りでは青春小説の面白さをおさえた作品のようで、原作を読まねば、と思っていたところでした。本作品を読み、更にその思いを強くしたところです。

長谷川 卓 黒太刀―北町奉行所捕物控


今朝方は5時に突き上げるような揺れ。目が覚めはしたものの、まだ早いからとうつらうつら。と、再度更に大きな揺れで眠りに落ちそうなところを引き戻されました。時計を見ると5時半過ぎ。それでも根性で眠ろうとしましたが、もはや眠気は遠い彼方。今頃になって眠気がやってきています。

ネットで調べると、震度は1と2。たいした揺れではありませんでした。でも、体感はそれぞれ1ずつ足してもよさそうな印象なのです。感覚がおかしくなっているのかも。

この作品は前作『風刃の舞』の個所で書いたように、その前に読んだ『戻り舟同心』の面白さから、地震の前にシリーズ三冊をまとめて借りていたものです。ただ、期待していたほどではなかったというのはシリーズ一作目と同様です。

御袋物問屋・伊勢屋の主人が、料理茶屋で斬り殺された。臨時廻り同心・鷲津軍兵衛は死体に残された凄まじい斬り口から、「黒太刀」と呼ばれる殺し屋に目星をつける。数年に一度殺しを繰り返す「黒太刀」の背後には、殺し屋一味の元締めと殺しの依頼人がいるはず。殺された伊勢屋の主人が元武士だったことから、彼の過去に殺しの動機を求めると同時に、殺し屋一味を追うのだが…。北町奉行所臨時廻り同心・鷲津軍兵衛の活躍を描く、時代小説の傑作長篇第二弾。(「BOOK」データベースより)

本作は法により懲らしめることのできない悪人を、天に代わって成敗するという仕置人のような殺し屋集団を相手にしている物語です。

登場人物としては集団の元締めだったり、実行犯である剣の達人だったりと種々の人物がいるのです。しかし、それらの人物をどのように描きたいのかよく分からず、少々半端な印象をも持ってしまった作品でした。

やはり、面白くないことはないのだけれど、それ以上ではない作品と言わざるを得ません。

三浦 しをん 政と源


あれほどの地震があっても、一日は普通に過ぎていき、あの地震から三週間も過ぎてしまいました。

余震は次第に弱く、そして間遠くなってはいますが、更に大きな奴が来るのではと、誰もが小さくない不安の中で一日を送っています。

昨夜は余震では一度だけ目が覚めました。朝になってネットで確認すると、震度1だということでした。自分の感覚はいつも一つ分だけ大きく感じています。

今回の本は震災後最初に読んだ本です。この作者の作品はとても読みやすくいつもほのぼのとしているので、ささくれ立った神経を休めるには一番だと思ったのです。しかし、若干の期待外れでもありました。

七十歳も過ぎた爺さん二人が織りなす人情喜劇です。三浦しをん氏の作品群の中ではお勧めの程度は高いとは言えない作品でした。

嫁さんに愛想を尽かされ、現在別居中の真面目だけが取り柄という国政、対してこめかみに残ったわずかな毛をさまざまな色に染め分ける、つまみ簪職人の源二郎という二人が織りなす人情劇です。

勿論、三浦しをんという名手が紡ぎ出した物語ですからそれなりの面白さはあります。しかし、七十歳も越えた老人二人の元気良さはまだしも、何故か感情移入ができにくいのです。『まほろ駅前シリーズ』の多田と行天、『神去シリーズ』の勇気と与喜など、この作家の登場人物はどれもひと癖もふた癖もありそうな個性豊かな人間で、それでいて身近にいそうな親しみを感じる人たちでした。

本書の二人の場合、この身近に居そうなという感じがしません。つまみ簪という初めて耳にする言葉を知ったことが収穫と言えば言えるかもしれませんが、人間ドラマというほどに人間が描かれているとも感じられず、三浦しをんという作家にしては厚みのない物語だと残念に思いながらの読了でした。

本書の二人には感情移入がしにくいのは、私と年齢が似ているためかとも思ってみました。といっても私よりは十歳位は年上なのですが。その二人が若者に喧嘩を売ったり、別居状態の嫁さんとよりを戻すべくあがいてみたりと何かと動き回りますが、源二郎の弟子である徹平の行動も含め、あまりに軽いとしか思えないのです。

違和感の原因の一つは、本書のイラストが少女漫画のそれだということもあると思います。とてものこと七十過ぎの爺さんではありません。

読後にこの物語が少女小説雑誌に掲載されていたものだと知りました。だから物語の厚みをあえて無くした書き方になっているのかと、もともとゆるめの作風である三浦しをんという作家ですから、読み手の年齢を考慮するとこう言う書き方になるのかと、納得したのです。

木村 友馨 御赦し同心


昨日は午前中に阿蘇地方で震度四の余震が二回。我が家のあたりでは体感は震度3はあったろうとの感じでしたが、震度2との発表でした。震度1やそれに至らない地震の時もここから大きくなるのではと一瞬思ってしまい、疲れます。

それでも、余震のためか突然弱音を吐き、寝たきりになった年寄りの疎開も終え、懸念事項が一つ減りました。

ところで本書。典型的な勧善懲悪のパターンに 則った痛快時代小説です。それでいて、書き込みが結構濃密でずしりとした読み応えのある作品でした。

北町奉行所定廻り同心の伊刈籐四郎強すぎるほどの正義感の持ち主ですが、残念ながらやっと髷が結えるかどうかというほどの若禿であった。その籐四郎が手下の錠吉と共に女捕(めとり)、すなわち婦女暴行犯人を捉まえるがその被害者は籐四郎と錠吉が想いを寄せているお凛という娘だった。犯人の新助という男は公儀呉服師の伊勢屋の息子であり、とある大名の若君との遊びで女を犯したのだという。思わず新助に怪我を負わせた籐四郎は閑職に回され、いわゆる御赦し同心となってしまうのだった。

単に勧善懲悪というだけでなく、若禿(わかはげ)というキャラクタも特異なものがあるのですが、強烈な正義感と、主の禿さえいじり倒す錠助というこれまた個性豊かな手下との掛け合いの面白さ、加えて有沢伝蔵という籐四郎の上司である定廻り筆頭同心の存在もこの物語の個性に色を添えています。

籐四郎の立ち向かう相手が、通常であれば同心ごときが立ち向かうことなど考えられない公儀御用達の町人であること、更にはその町人と共に暴行を加えたのが将軍の娘を娶る予定になっている大名の若君であることが、犯人を挙げることの大きな障害となるのです。

この困難に敢然と立ち向かうヒーローこそが籐四郎であり錠助です。「定廻り同心は、町人を守るがつとめ。」と言い切る籐四郎が公儀という巨大な権力を背景とする大商人や大名に挑む、痛快時代所小説の醍醐味はここにあると言える設定です。

この主人公たちの活躍を描きつつ、籐四郎たちに蔭ながら力を貸す仲間たちの存在が本書の面白さを倍増させています。定廻りからも外され、二重に捜査権を失った籐四郎が、じわじわと目指す犯人に迫る様子はなかなかに読ませるものがあり、楽しめました。

柚月 裕子 孤狼の血


変わらずに余震の続くなか、昨夜も小さな余震に気づかないまま一度だけ目が覚めました。小さなものでしたが、こちらの眠りの浅いときだったのでしょう。

流通については、私の住むあたりでは二、三のマーケットを除けばお店はまだまだ復旧途中だと嫁さんが言ってました。鮮魚は全くなく、また、服関連の店は開いておらず、下着などを売っている店を探している人もいたそうです。介護すべき人や小さなお子さんを抱えているご家庭など、大変だと思います。

さて、本書ですが、地震の前に読み終えていた作品で、文章もある程度書いてはいたのです。ただ、途中でしたので手を入れようとアップせずにいたら今になりました。

端的に言って、これは面白い。菅原文太主演の映画『仁義なき戦い』を思い出させる、ヤクザの交わす小気味いい広島弁が飛び交う小説です。それでいてヤクザものではない、エンターテインメントに徹した警察小説なのです。この手の暴力団ものが嫌いな人には最も嫌われるタイプの本かもしれません。第154回直木賞候補になった作品です。

抗争事件が頻発する呉原東署に赴任してきたばかりの日岡秀一は、直属の上司になる呉原東署捜査二課主任の大上章吾に会うべく待ち合わせ場所の「コスモス」という喫茶店に赴いた。そこにいたのはベージュのパナマ帽を被り、開襟の黒シャツを着た極道そのものといった雰囲気の男だった。日岡はこの男について暴力団係の捜査のイロハを学んでいくのだが、目の前に繰り広げられるのはヤクザと癒着する警官そのものの姿だった。自分の信ずる警察、正義との狭間で苦悩する日岡。しかし、一人の男の失踪事件を機に、呉原の街は暴力団同士の抗争が今にも始まろうとするのだった。

悪徳警官ものはこれまでにもいろいろ読んできましたが、本書も文字通りの悪徳警官の物語です。しかし、大上章吾という男の強烈な個性は類を見ません。日岡が最初に大上に会ったとき「なに、ぼさっとしとるんじゃ!上が煙草出したら、すぐ火つけるんが礼儀っちゅうもんじゃろうが!」と怒鳴られます。「ええか、二課のけじめはヤクザと同じよ。・・・ヤクザっちゅうもんはよ、日頃から理不尽な世界で生きとる。・・・そいつら相手に闘うんじゃ。わしらも理不尽な世界に身をおかにゃあ、のう、極道の考えもわからんじゃろが」と言い切ります。

そのあとヤクザと喧嘩をさせられたり、ヤクザの事務所に情報収集に回ったりと、一言で言ってめちゃくちゃに振り回される日岡なのです。そのうちに神風会と明石組という二大全国組織の系列に連なる五十子会系列加古村組と尾谷組との対立の構図に巻き込まれていきます。いや、巻き込まれるというのは正確ではないですね。大上と日岡は警察官であり、自ら暴力団の対立の中に踏み込んでいきます。

大上は神風会系列にも瀧井組の瀧井銀二という幼馴染がおり、明石組系列の尾谷組の一之瀬とも深い絆があります。そのうえでヤクザから金を受け取り、共に酒を酌み交わす大上にどこか違和感を覚える日岡です。

呉原の街を舞台にした抗争劇が今にも起きそうになり、それを回避すべく大上の独走は続き、物語の終焉に向けてひた走るのです。

菅原文太の広島ヤクザものに加え、勝新の兵隊やくざものの雰囲気をも持った、エンターテインメントに徹した小説です。それでいて主要な登場人物の書き込みもあり、内面の描写も適宜にあって感情移入もしやすく組み立てられています。ただ、日岡秀一と大上章吾以外の警察のメンバーについての書き込みが若干弱く、警察の側面をもう少し描いてほしかった、という不満はありました。でも、それがヤクザの側に軸足を移している本書の魅力かもしれず、無い物ねだりなのかもしれません。

また、直木賞の選評をみると、新鮮味に欠けるとか、人間の機微が足りないなどという言葉が目立ちます。東映映画を思い出す、という感想も結局は既存の映像に直結するという意味では独自性が無いのかもしれませんね。

しかし、面白かった、のです。久しぶりの小気味良い小説であり、この作家の他の作品も読んでみたいと思います。

長谷川 卓 風刃の舞―北町奉行所捕物控


気づかないほどのものは何度かあったようですが、私が気付いた昨夜余震は小さな一度のみ。たまたま目が覚めていたときにあったもので、そうでなければ多分気づかないままでしたでしょう。日中も大きなものはありませんでした。

ここ数日で久しぶりの仲間からお見舞いの連絡もあり、私が知らない他の仲間の情報も知らせてくれます。幸い大けがをした仲間はいないものの、家が半壊のものも数人いるようです。

ともあれ、読んだものの書かずにいた作品の感想です。

四谷伝馬町の町中で、いきなり飛んできた矢が通行人を殺めた。その矢は四町(四百三十六メートル)以上も飛び、矢羽は鷹羽で極上の、御大名家か大身の御旗本でないと持てぬものであるという。事件は定廻り同心から、北町奉行所の臨時廻り同心・鷲津軍兵衛にひきつがれることになった。誰が何の目的で矢を放ったのか?軍兵衛は事件の目撃者探しや、遠矢の名人の話を聞くことから始めたのだが…北町奉行所臨時廻り同心・鷲津軍兵衛の活躍を描く、新シリーズここに開幕。(「BOOK」データベースより)

本書は同心が主人公の捕物帳ものの典型的な作品という印象でした。前に読んだ『戻り舟同心』がかなりの出来栄えであったので、期待を持って読み始めたということもあったのかもしれませんが、上げに上げたハードルの下をくぐってしまいました。

『戻り舟同心』が今の祥伝社文庫の前に出ていた学研M文庫から出版されたのが2008年4月で、本書が2005年8月の出版です。その三年足らずの差が作品の差として現れたのでしょうか。

本書は本書として捕物帳の面白さは十分に持っているとは思うのですが、残念ながらキャラクタの魅力で一歩及びません。主人公は北町奉行所臨時廻り同心の鷲津軍兵衛という男なのですが、冒頭に出てくる定廻り同心の小宮山仙十郎とキャラが被ります。二人の区別がつきにくいのです。このことは軍兵衛や仙十郎の手足として動きまわる岡っ引きたちにも言えます。書きわけが今一つなのです。

更には、鷲津軍兵衛の年齢が五十歳を越えているという設定も気になります。動けない年齢とは言いませんが、この時代に第一線で動き回れるものなのか。

何も考えずにただ物語の流れに乗ればそれなりに面白いとは思います。ただ、前に読んだ作品が面白かっただけに残念です。

佐伯 泰英 姉と弟 新・酔いどれ小籐次(四)


昨夜はめずらしく余震も無く、若しくはあったとしても私は気付いておらず、久しぶりにゆっくりと眠れた気がします。

そう思いながら顔を洗っていた矢先に震度3の揺れが来ました。余震にも「慣れた」と口にはしますが、本音はやはりドキッとするものです。

ところで、今日は強い雨になるらしく、テント生活をされている人たちにはつらい雨になりそうです。

さて、今回は昨日の続編です。

小籐次一家との身延山久遠寺への代参旅から戻ったお夕は、父のもとで錺職修業を始めた。だが父を師匠とする関係に、お夕は思い悩む。一方、駿太郎は実父・須藤平八郎の埋葬場所が判明し、小籐次から墓を建てるよう提案される。姉と弟のような二人を小籐次は見守るが、当の本人もまた騒ぎに巻き込まれ…。シリーズ第4弾!(「BOOK」データベースより)

新しく奉公を始めたお夕の苦悩。そして実父を殺した小籐次との暮らしに悩む駿太郎。二人は幼いころから兄弟のようにして育ってきており、実の兄弟のようにお互いの悩みをわかちあいます。

今回は、自分が命を絶った駿太郎の父親須藤平八郎や母親お英の墓のありかが次第に分かってきます。駿太郎も幼いころから剣の稽古に励んだ甲斐があり、それなりの腕を身につけてきています。

小籐次の周りは相変わらずにこまごまとした事件も起きつつ、小籐次と駿太郎との親子の物語が主軸になってきているようです。

小籐次達を襲う側も苦労をして剣の腕を磨いているはずなのですが、駿太郎の強さの前には彼らの苦労も意味をなしません、という設定は如何なものかという気もしますが、痛快時代小説の調子はいいようです。

佐伯 泰英 桜(はな)吹雪 新・酔いどれ小籐次(三)


熊本地震から半月が経ち、私の周りでは日常が戻りつつあります。しかし、熊本市も東区や益城方面では日常生活はまだまだ遠いことだという方々も多くいらっしゃるようです。

日常が戻りつつあるとは言っても余震は日に何度となく起きており、突き上げる振動に、夜中にたたき起されることも幾度かあります。

セミリタイアの身ゆえにのんびりとしていました。しかし、そうとばかりも言ってはおられません。前を向いて行きましょう。このブログもゆっくりと元に戻したいと思います。ということで、地震後すぐに能天気に読める作品ということで読んだこの本から。

近ごろ呆けの進んだ新兵衛が妙な間合いで「南無妙法蓮華経」のお題目を唱えるため、みんなは困り果てていた。身延山久遠寺に詣でたことがあり、それを思い出しているらしい。どうにかしようと、孫のお夕の付き添いで小籐次はおりょう、駿太郎とともに代参の旅に出るが、一行を何者かが待ち受けていた。好調シリーズ第3弾! (「BOOK」データベースより)

おりょうと所帯を持ち、駿太郎との三人で望外荘暮らしを始めた小籐次だが、その暮らしは変わらずに酒と剣なのです。佐伯節が光る、痛快活劇小説の調子は快調のようです。

今回の小籐次は、ボケが進み南無妙法蓮華経のお題目を唱え続ける新兵衛に代わり、新兵衛の孫のお夕が身延山久遠寺に代参することになります。その付き添いとして小籐次とおりょう、それに駿太郎とが同行することになるのですが、相変わらず小籐次の命をつけ狙う輩は後を絶ちません。

『居眠り磐音』シリーズがその色調を変えてからは、本シリーズが市井に暮らす浪人を主人公にした従来の活劇小説の面白さを維持しているようです。

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このブログの本棟として本の紹介のサイトを開いています。
(こちらです⇒読んだ屋
本ブログを別棟として位置付けて、読んだ本を記録していこうと思い立ちました。ここでの文章を母屋であるそのサイトに転記していくつもりです。

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