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雫井 脩介 途中の一歩 (上・下)



「大人のための愛と勇気の物語」という惹句が書いてありましたが、端的に言って理解しがたい作品でありました。

漫画家の覚本とその悪友の長谷部、覚本の担当だった編集者の玉石とその知り合いの相馬らは、そろそろ恋人を見つけなければと、合コンを繰り返すのですがなかなか良い子は見つかりません。そんな中、覚本の現在の担当編集者である西崎綾子をきっかけに、男どもと同様に自分の年齢に焦りつつ合コンを繰り返すOLの松尾奈留美や、現役の人気漫画家である緑川優、そのアシスタントの紗希、それに綾子自身という女子組は、覚本ら男どもとの間で、思いもかけない恋の綱引きが始まります。

これまで読んできた雫井就介の小説を思っていたら足をすくわれました。ミステリーは勿論、恋愛小説でも読みやすくていながらも読み応えのある作品を発表してきた作家だと思い期待して読み始めたのですが、残念な結果でした。

この作家にしては人物の造形が中途半端な気がします。主人公の覚本はまあ、そこそこ描いてはあるのですが、友人の長谷部は合コンの場面にしか存在感がないし、世間知らずの上から目線の相馬は結局学歴を強調する意味がよく分かりません。まあ、外の登場人物にしても、この作家の他の作品に比べると存在感がありません。

登場人物の仕事振りにしても、漫画家の仕事内容など興味を持てそうではあるのですが、表面的にしか描いてなくてこの点でも物足りません。恋愛ものとしても小さな世界で完結するだけで心に響きません。コミカルな展開なのでそれも当り前かと思っていると、ストーリー自体に興味がもてていませんでした。

このように思うのは、私が恋愛ものが得意ではないから、という理由だけではないと思うのですが、ネット上で評判を見ると、私同様にこれまでの雫井作品とは異なり面白さはない、との評価が散見されつつも、この作品なりに面白いとも声も少なからず見られました。

結局、作家は何を言いたかったのでしょう。「人生で大事なのは、途中の一歩なんですよ。始めの一歩よりありふれているから気づかないけど、自分次第で特別な一歩になる」というセリフを言わせています。タイトルもこの言葉からとっているところからすると、この点を言いたかったのでしょうか。

確かにこの作家の作品らしく読みやすいのは事実ですし、テンポが悪いわけでもありません。そうすると個人的な好みの問題に帰着するのかとも思われます。それでもなお、雫井作品としては高い評価をつけるわけにはいきませんでした。

あさの あつこ 木練柿


熊本地震から三カ月が経ちます。やっと余震も落ち着いてきたかと思えば今度は雨です。屋根の応急処置も劣化し、雨漏りを始めました。

お墓や屋根など、見積もりができてくるのは良いのですが、その値段の高さに目がくらみそうです。相手も商売なのである程度は仕方のないこととは思うのですが、それにしても、と思ってしまいます。

愚痴もいい加減にして本書です。「弥勒」シリーズの第三弾で、シリーズ初となる四作の連作短編集です。個々の物語がこのシリーズに登場する人物を絡ませながら、その人物の背景も垣間見せる物語となっています。

「楓葉の客」

堅気のなりをしてはいるが、その実相当な修羅場を経ていそうな男が殺された。男の袖に残されていた紙くずには「おみつ」との文字が。一方、清之介の遠野屋では、若い娘の万引き騒ぎが起きていた。

遠野屋にはこのおみつの他にも、清之介の家族である義母のおしのや一人娘のおこま、それに手代の信三などの登場人物がいます。清之介の今を支えるこれらの人たちの横顔を語ることで、清之介の人物象を別な側面から描き出しています。

「海石榴の道」

遠野屋で異種の商人たちが集まり新たな商売の道を模索していた集まりは、黒田屋の起こした事件で頓挫していた。なんとかその集まりを再開しようとしていた矢先、今度は帯問屋の三郷屋の吉治が殺しの嫌疑を負うことになってしまうのだった。

「海石榴」は「つばき」と読み、「椿」を意味します。椿の果実が「石榴(ザクロ)」に似ていたところからきているとの説もあるそうです。

前作『夜叉桜』で問題を起こした黒田屋でしたが、今度はその仲間である三郷屋がトラブルに巻き込まれてしまいます。そこで、遠野屋が信次郎に助けを頼むのです。

「宵に咲く花」

伊佐治の息子太助の嫁であるおけいは、何故か子供のころから白い夕顔の花が、気が遠くなる程に怖かった。そんなおけいが買い物の帰途、近道して神社の境内を通りかかったとき、ごろつきに襲われ清之介に助けられる。そのごろつきの内の一人は横網町にある大店の呉服屋である井月屋の息子だと名乗っていた。

このシリーズでは特に重要な役割を担っている、信次郎から手札をもらっている岡っ引きの伊佐治。その伊佐治の家族の物語が、息子太助の嫁のおけいにまつわる逸話を借りて語られます。伊佐治とその嫁おふじ、息子太助とその嫁おけいの心の通い合いが心地よい読後感でした。

「木練柿」

女中頭のおみつが血だらけになり帰ってきた。遠野屋の一人娘おこまがかどわかされたという。早速に連絡を受けた信次郎はお駒の行方を捜すのだった。

おこまの誘拐という事件の成り行きも見所ですが、この話しでは清之介とおりんのなれそめが語られます。清之介は何故に武士を捨てる決心をしたのか、清之介との婚儀に反対していた義母のおしのの過去と今など、遠野屋の家族の物語が情感豊かに語られている物語です。


本書は、信次郎や伊佐治、それに清之介を核としながらも、それ以外の登場人物に光を当てるという、シリーズものではよくあるパターンの作品です。しかしながら、本シリーズの面白さはそのままに持った短編集で、物語に厚みを加える作品集になっていると思います。

柚月 裕子 最後の証人


エンターテインメント性に富んだ、王道の社会派のサスペンス小説です。

元検察官の佐方貞人は刑事事件専門の敏腕弁護士。犯罪の背後にある動機を重視し、罪をまっとうに裁かせることが、彼の弁護スタンスだ。そんな彼の許に舞い込んだのは、状況証拠、物的証拠とも被告人有罪を示す殺人事件の弁護だった。果たして佐方は、無実を主張する依頼人を救えるのか。感動を呼ぶ圧倒的人間ドラマとトリッキーなミステリー的興趣が、見事に融合した傑作法廷サスペンス。(「BOOK」データベースより)

子供を殺されたひと組の夫婦の物語と、法廷場面とが交互に描かれる物語で、冒頭には「王道の」と書いたのですが正確には「実にベタな社会派サスペンス小説」というべきかもしれません。

決してけなしているわけではありません。それどころか面白さで言うと、かなり面白い作品だと言い切っても良いと思います。ただ、熱血的な検事と夢破れたヤメ検との対決はありがちであり、このベタな展開を嫌う人もいるかもかもしれません。

この作品はかなりの疑問点を抱きながら読み進めざるを得ない作品でもあります。

それは、検察側の認定した犯人の動機が今一つ弱すぎ、敏腕検察官であればこの弱い動機では立件しないのではないかということや、息子を亡くした夫婦の行動の起点となる、夫と息子をはねた男との出会いがあまりにも偶然に過ぎることなどです。

そして先にも述べたように、犯人の動機設定及び物語の進行があまりにもベタなのです。作品中、確かにいくつかの仕掛けには驚き、感心もしたのですが、大まかな流れは中盤にかかる時点で予想がついていました。もう少し練り上げることはできなかったのでしょうか。作者は横山秀夫に傾倒しているとのことでしたが、横山秀夫の作品であれば決して抱かない違和感が本作品には満載だったのです。

しかしながら、これらの疑問点にもかかわらず、かなり面白い小説でした。読んでいる途中で以上のような不満点が次々と浮かびつつも、本を置こうなどとは露ほども思わずに読み進めていました。それはこの作者の筆力のためと言っていいのでしょう。

何よりもエンターテインメント小説としての面白さを十二分に持った物語として仕上がっています。以上書いてきた疑問点の他にも、主人公の弁護士の人となりなどは簡単にしか紹介してありませんし、若干唐突とも思える「最後の証人」の登場などもあったのですが、物語の展開が気になり読み進めました。それほどにこの作者の筆力が勝っていたと思います。それほどに私の好みと合致したのでしょう。

この作品には続編があるようです。早速読んでみたいと思います。

あさの あつこ 夜叉桜


雨がやみません。夜中に強い風が吹き、ガサガサという音がするたびに、落ちた屋根瓦の代わりの応急処置のテープがはがれたのではと焦る毎日です。

このごろでは竜巻注意報などという聞きなれない注意報まで出る始末です。「注意」とは言っても、竜巻への注意のしようもないでしょうけどね。

ということで本書ですが、近頃読んだ時代小説では一、二を争う面白さを持っていると感じたあさのあつこ氏の時代小説「弥勒」シリーズの『弥勒の月』に続く第二弾です。

江戸の町で女が次々と殺された。北定町廻り同心の木暮信次郎は、被害者が挿していた簪が小間物問屋主人・清之介の「遠野屋」で売られていたことを知る。因縁ある二人が再び交差したとき、事件の真相とともに女たちの哀しすぎる過去が浮かび上がった。生きることの辛さ、人間の怖ろしさと同時に、人の深い愛を『バッテリー』の著者が満を持して描いたシリーズ第二作。(「BOOK」データベースより)

本作では、個々の登場人物のよって立つ人物背景が少しずつ明らかにされていき、質感を伴った人物象が少しづつ構築されていきます。

即ち、前作では清之介の抱える深い闇が明らかにされたのですが、今回はその清之介の過去が今によみがえってきます。清之介の商人としての生き方をどこまで貫くことができるのかが深く問われてくるのです。

一方、岡っ引の伊佐治の過去も少しですが紹介されています。いつも清之介に対して不満を抱えている伊佐治ですが、それでもなお信次郎についていく、いや本音ではついていきたいという伊佐治の心のうちが明らかにされていきます。それは、つまりは信次郎という人間を認めていることに他ならないし、自らも信次郎と同種の人間であることを認識することでもあるのです。

ただ、伊佐治や清之介の心象風景が丁寧に語られるのは良いのですが、若干ですがくどさを感じる面もありました。その分ストーリー展開が滞った感じです。とはいえ、あえてその点を言い立てるほどのことはなく、ほんの少しの違和感を感じる程度、と言っていいのでしょうか。

とにかく、前作で見られた信次郎、伊佐治、清之介という主要三人の心の内での駆け引きの面白さは十分に堪能できる一冊です。

有川 浩 ストーリー・セラー


今なお、一日か二日に一度、震度2程の余震が続いています。気を抜いているときにドンッと来ると、あい変らず「驚愕」と言っていいほどに驚いています。

加えてわが郷土熊本は、ここのところ地震に加えて雨にまでたたかれています。夜中の雨と雷はとても寝ていられません。未だに屋根は応急処置のままの我が家ですから、いつ雨漏りが始まるかにもおびえている毎日です。

さて本書。ちょっと遊び心の入った、しかしながら決して面白いとは言いたくない、私の好みとは離れたところにある、二編の中編小説で構成されるラブストーリーです。

小説家と、彼女を支える夫を襲ったあまりにも過酷な運命。極限の決断を求められた彼女は、今まで最高の読者でいてくれた夫のために、物語を紡ぎ続けた―。極上のラブ・ストーリー。「Story Seller」に発表された「Side:A」に、単行本のために書き下ろされた「Side:B」を加えた完全版。(「BOOK」データベースより)

どちらの物語にしても有川浩という達者の作者の作品らしく実に読みやすく、物語はテンポよく進みます。ただ、内容が暗い。それも、特に最初の物語「Side:A」の話の介護の問題も絡めながらの主人公の悲惨な状況は、私の現実に重なるところもあって、読みにくい、というか受け入れたくない物語ではありました。

勿論「Side:B」も似たような陰鬱さを持っており、読書に「楽しみ、幸せな時間」を求めている私には受け入れがたい作品でした。

読者によっては、悲恋に終わるラブストーリーで涙を流しカタルシスを得る、という読み方をする方もおられるとは思います。それは個人の嗜好の問題であり、そうした読み方を否定するつもりは勿論ありません。本作品は、そうした読み方が好みの方には、語弊はありますが「面白い作品」と言えるでしょう。

あくまで私の好みに合わないのです。ラブストーリー自体があまり好みではないのですが、雫井脩介の『クローズド・ノート』などは私が読んでも面白い作品だったところからすると、ラブストーリーだからというのではなく、やはり作品ごとの相性の問題だと思います。

この作品は更に読者を惑わせる仕掛けがあり、その仕掛けについての評価も分かれるところかもしれません。

この仕掛けにしても、この仕掛けで作者は何を言いたかったのかが結局分からず、微妙な違和感の残る読後感になってしまいました。この読者の「惑い」こそが作者の狙いだったのかもしれませんが、それにしても「惑い」の対象範囲を限定してほしかったとは思います。

有川浩のテクニックが走り過ぎたと思えるラブストーリーでした。

あさの あつこ 弥勒の月


近頃読んだ時代小説の中では野口卓の『軍鶏侍』以来、私の好みにあった面白さの小説でした。

小間物問屋遠野屋の若おかみ・おりんの水死体が発見された。同心・木暮信次郎は、妻の検分に立ち会った遠野屋主人・清之介の眼差しに違和感を覚える。ただの飛び込み、と思われた事件だったが、清之介に関心を覚えた信次郎は岡っ引・伊佐治とともに、事件を追い始める…。“闇”と“乾き”しか知らぬ男たちが、救済の先に見たものとは?哀感溢れる時代小説。(「BOOK」データベースより)

これまでは、この作家の作品で前に読んだ『待ってる』という人情時代小説が少々感傷過多との印象があり、今一つ私の好みとは合わず、この作家の他の作品を読む気にはなりませんでした。しかしいつも参考にさせてもらっている「第二級活字中毒者の遊読記」というブログでかなり面白いという評価をしてあり、読んでみようと思い立ったのです。

その結果、ハマりました。人物設定のうまさと情景描写の丁寧さは『待ってる』のときの作者とは異なり、別人の作品かと思うほどの内容です。

特に主人公の同心木暮信次郎とその手下である岡っ引伊佐治、そして被害者の亭主である遠野屋主人の清之介というキャラクターのそれぞれのがじつに魅力的です。

冒頭から、どことなく暗く、そして重さを感じさせる文章で遠野屋の若おかみのおりんの入水の場面を描き出され、続けて小暮信次郎と伊佐治が行っているおりんの検視の場面に移り、そこに遠野屋主人の清之介が確認のために登場します。ここまでが第一章。この二十数頁というわずかな分量の第一章で、この三人の関係性と後々に至る伏線とが描き出されています。

伊佐治という岡っ引きは信次郎の親父である小暮右衛門から手札をもらった岡っ引きでしたが、その死後信次郎から手札をもらいなおし、今でも皆から慕われる親分でいます。しかしながら、小暮右衛門とは異なり、信次郎とは心の通いを感じることができず、このまま手札を貰ったままでいいのか悩んでいるのです。

このあと、この物語はほとんど伊佐治の目線で話は進み、伊佐治の信次郎に対して抱えている鬱屈が、少しずつ異なった感情へと移っていくさまも面白く、メインの謎解きに色を添えています。

そして何よりも、信次郎と、何やらいわくありげな雰囲気を漂わせている清之介との会話、やりとりが一番の見どころでしょうか。第一章で垣間見せる清之介の佇まいはどこからきているのか。なにかにつけ伊佐治を惑わせる信次郎の清之介に対する態度の原因は何なのか。この物語の持つ謎は読んでいてつい引き込まれてしまいました。

最後に、そもそもの謎であるおりんは誰に殺されたのか、また何故殺されなければならなかったのか、が次第に明らかになって行くのです。それはつまり清之介の持つ謎めいた雰囲気を醸し出す過去を暴きだすことでもありました。

種々の謎で読者を最後まで引っ張るストーリー、魅力的な登場人物とその会話、少し暗めではあるのですが飽きさせない表現力、私の好みにきっちりはまった小説でした。早速続編を読みたいものだと思わせられた作品でした。

鳥羽 亮 沖田総司壬生狼


ここしばらく、私の住む熊本市中央区では細かな余震が日に一、二度あるくらいでした。日によっては体感するほどの余震は無い日もあります。しかし先日、熊本市の南に位置する八代市では震度5弱、続いて震度4と強い余震が発生しました。ここらは特にエネルギーが解放されずに残っているため要注意とされていた地域ではあったのですが、それにしてもいつまでも終わりません。

熊本市の東部であったり、益城、西原といった被害が大きかった地域では未だに避難所や車中での生活が続いている人たちが多くいらっしゃると聞きました。

本当にこの地震はいつまで続くのでしょう。

さて本書ですが、タイトル通り幕末の剣士沖田総司を主人公に据えた新選組ものです。

幕末に京都を震え上がらせた新選組の隊士・沖田総司は、子どもと鬼ごっこをしていた。殺戮の場で、牙を剥いた悲愴な狼が、幼子のように無垢だった。人を斬った翌日は、血の臭いを振り払うために戯れるのだ。そこへ美しい娘が現れ、総司は魅入ってしまう。天然理心流の剣が何より大事であったが、胸は高鳴るばかり。が、労咳に冒された総司は、ただ、娘の額に口づけしかできなかった…。(「BOOK」データベースより)

新選組ものとして、独自の解釈があるわけではありません。そういう意味では他の新選組を描いた作品の中で特別なものは感じませんでした。

というよりも、鳥羽亮という時代小説作家の個性はあまり感じないと言ったほうがいいかもしれません。剣戟の場面に定評のある作家さんなのですが、本書の場合、沖田総司の三段突きの描写にその冴えは見られるものの、それ以外にあまり惹かれる闘いの場面はありませんでした。

沖田総司と言えば大内美予子の『沖田総司』が思い出されます。史実とは異なる場面が多々見られる作品でしたが、今に残る沖田総司の原型を作った作品とも言えるこの本は素晴らしいものがありました。そして、どうしてもこの作品と比べてしまいます。

軽口をたたいてばかりで、子供と遊ぶ中で笑い声の絶えない人柄でありながら、労咳という病のゆえに人を愛することをためらう総司。そうした人間像は本書でも同じです。しかしながら、どうしても本書で描かれる沖田総司の人間像の薄さばかりを感じてしまいました。

時代小説作家の中では大御所と言っても良い鳥羽亮という作家だけに、かなりの期待を持って読んだということもあるのかもしれません。鳥羽亮の初期の作品というのならまだ分かりますが、本書の出版年度は2010年であり、この作家にしては残念な仕上がりだったと言わざるを得ませんでした。

東山 彰良 逃亡作法 TURD ON THE RUN



2002年度に開設された『このミステリーがすごい!』大賞の第1回受賞作(銀賞/読者賞)です。

舞台は近未来の死刑が廃止された日本。死刑の代わりに「アイホッパー」と呼ばれる、特定範囲外に出ると眼球が破裂する仕組みが導入されている社会。そんな中、「キャンプ」と呼ばれている刑務所を、連続少女暴行殺害犯で「ホリデー・リッパー」の異名を持つ河原昇の被害者の子供たちの父親らが襲います。その混乱の中、ツバメやモモ、そして張、朴というワルどもは一斉にキャンプを脱走し、福岡の街を目指すのです。

どうしようもない暴力があるだけであり、暴力と暴力の間に「猥雑」という言葉しか思い浮かばないほどの、糞便やゲロ、そして血の匂いが満ちている小説です。

物語の核をなす登場人物が多数で、若干混乱しがちです。主人公のツバメこと李燕とその仲間のミユキやモモ、ツバメと対立している在日韓国人の張武伊や朴志豪、暴力団菊池組の組長である菊池保、唯一の女性の登場人物とも言える菊池保の女である大学院生の野崎理子、そして少女暴行殺害犯の河原昇と、その河原に子供を殺され復讐に燃えるカイザーこと飯島好孝ら、と主だった人物を挙げるだけでもこれだけいます。

これらの登場人物の全員が薬や暴力の中で生きていて、一般通常人の感覚は全くと言っていいほどにありません。いわゆる普通の社会生活を送っている人はいないのです。この登場人物らの個性がそれぞれに強烈なので、少々読み進めるのに力が要りました。

主人公のツバメは「キャンプ」の図書室でフロイトの『精神分析学入門』を読んでいます。マルクスとニーチェは理解不能だがフロイトは理解できると言い切る人間です。

ツバメの内心が少なからず語られていますが、少々私の理解できる範囲の外に飛んでいってしまうことがあり、この点でも読みにくさを感じたのかもしれません。

加えて、頻繁でありながら、単にカメラが向きを変えるように場面が転換されます。ちょっと気を抜くと自分の位置が分からなくなるのです。ツバメのキャンプ内での生活が描かれているかと思えば、一行明けてはありますが、そのままキャンプ内で横を見たかのようにキャンプ外でのカイザーの行動が普通に語られています。

反面、物語の流れのテンポの良さは否めず、インパクトは強烈です。決して好みではないのですが、それなりに物語世界に引き込まれていたことは否定できません。

この回はダブル受賞で、同時受賞作が浅倉卓弥の『四日間の奇跡』です。作風は正反対と言っても良いくらいに異なります。こちらは人間の心の美しさを素人離れした文章力で描き出してあります。一方本書は人の心の美しさの対極にある人間の醜悪さが全面に展開されているのです。

決して主人公に感情移入できるわけでもない本書は個人的にはあまり好みではないのですが、それでもなお途中で読むのをやめようとは思いませんでした。それだけの魅力があるのでしょう。

深町 秋生 猫に知られるなかれ


やっと来月から落ちた瓦の修復に取り掛かれるかも、との連絡がありました。お墓も若干の修復が必要であり、屋根や壁、ブロック塀など合わせると、今後いくら位の見積もりが出てくるものか、頭の痛い日々です。それでも、家屋全壊や半壊のお宅が何件もあることを考えると、少なくて済んだと考えるべきなのでしょう。

さて本書ですが、「果てしなき渇き」で一躍ベストセラー作家になった深町秋生の、その後の活躍の舞台であるバイオレンス路線とはちょっと違う、終戦直後の日本を舞台にしたスパイ小説です。

第一章「蜂と蠍のゲーム」 終戦後の池袋。かつて泥蜂と呼ばれた元憲兵の永倉一馬は、陸軍中野学校出身の藤江から、緒方竹虎らがひそかに設立した諜報機関CATに誘われる。その藤江がまず持ちかけてきたのは、終戦時に起こされた襲撃事件の首謀者と目されている大迫元少佐がGHQのケーディスを狙っているというものだった。

第二章「竜は威徳をもって百獣を伏す」 毒物兵器の青酸ニトリールを持ち出していたらしい登戸研究所の元研究員であった闇医者が渋谷で死んだ。元諜報員の藤江忠吾は元陸軍少将岩畔豪雄(いわくろひでお)のもと、捜査を開始する。

第三章「戦争の犬たちの夕焼け」 戦時中、上海で作った特務機関の活動で大金を得、GHQ右派と組んでいる新垣誠太郎の会社が襲撃された。CATは犯行集団がシベリアに抑留されているはずの関東軍特殊部隊と突き止め、藤江と永倉は捜査に乗り出した。

第四章「猫は時流に従わない」 池袋駅前でGI相手に暴れていた永倉は幼馴染の香田徳次に出会い、今やっている仕事を手伝うように頼まれた。しかし、その仕事というのがどうもあやしいしろものだった。

この作家の、バイオレンス絡みの極道か警察の物語、という一連の流れからするとかなり雰囲気が違います。吉田茂や緒方竹虎なんぞという、戦後すぐの日本に実在した大物がちりばめられたスパイアクション小説なのです。それも、主人公の永倉一馬の活動を中心とし、永倉をスカウトした藤江らと共に日本再生を図る組織の一員となることを了とした男の物語なのです。ただ、スパイアクションとは言っても、諜報戦の側面よりもアクションが主だというのはこの作家ならではでしょうか。

だからと言っていいのか、これまでの深町秋生の小説のような、バイオレンスというスパイスの効いたたたみかけるような場面展開はこれほどのようにはありません。それは一つには、戦後日本を取り巻く政治状況や、闇市などに代表される力強く再生しようとする日本の雰囲気の描写などが入っているからでしょう。

また、本書の構成としては四つの「章」から成ってるのですが、実際は短編と言っても良い四つの物語から成っていることもその一因かもしれません。

それぞれの物語で戦争で負った傷を抱えながら苦しんでいる男たちが出てきます。その一人ひとりが負っている苦しみは永倉と同じであり、たまたま立場が異なるところにいるにすぎないともいえ、そうした男たちの物語でもあります。

本書はもしかしたらシリーズ化されるのかもしれません。本作は舞台設定が大掛かりな割には展開される物語が平板であり、せっかくの舞台が生きていない感じはします。しかし、この作者なら今後面白い物語ができそうだし、そうした作品が出ることを期待したいと思います。

有川 浩 図書館戦争


一昨日、昨日と、震度2の余震が立て続けに起きています。しばらく余震らしい余震が無かったので、一昨日の突き上げるような余震にはつい驚いてしまいました。そしてまた昨日のヤツは四月十四日の前震の時と同じ夜九時過ぎという時間であり、同じテレビ番組を見ていたときだったので妙な気分でもありました。

ともあれ、本書です。図書館戦争シリーズの第一話の物語です。

先に第二話に当たる『図書館内乱』を読み、更には映画版の『図書館戦争』を見ていたので、本書の世界観は既によく知ったものとしての読書でした。

本書を読んでまず思うことは、その世界観のリアルさでしょうか。ライトノベル風の会話や場面転換の軽快さの裏には綿密に積み上げられた世界があり、だからこそ、ある種荒唐無稽な物語ではあるのですが物語に立体感が出ていて、物語が持っている主張も含めて破綻無く安心して読むことができ、その軽さも含めて面白い小説になっていると思います。

本書の大きな主題である「図書館を守る」ということは、「表現の自由」という民主主義の根幹をなす価値を守るということでしょう。

「表現の自由」といえば、我が国の体制である民主主義の根幹をなす非常に大切な権利です。端的には、フランスの哲学者ヴォルテールの言葉だとされている「君のその意見には反対する。しかし、君がその意見を言う権利は命をかけて守る。」という言葉によくあらわされているように、自分に反対する意見であってもそれを主張する権利が認められないと、「自由」な社会は成立しえないということです。(本当は、この点には民主主義を否定する言論も保護すべきかを問う「闘う民主主義」の問題も潜み、一概には言えないのでしょうが・・・)

本書で登場する「メディア良化委員会」は、公序良俗の名のもとに図書の内容を制限しようとするものであり、当然検閲にも結び付くもので、「表現の自由」とは相対するものです。この、「表現の自由」と対立する価値の体現者としての「メディア良化委員会」を設定し、「表現の自由」を守る正義の味方として図書館があり、その体現者として具体的には「図書隊」が設定されています。

この図書隊をめぐる状況が、「メディア良化委員会」の存立基盤も含め、実にリアルに設定されています。このリアルさが本書の命と言えると思います。

このリアルさの中で、物語はときにはコミカルに進行していきます。特に主人公の笠原郁と堂上教官のやり取りなどはテンポよくかわされ、読んでいて小気味いいものがあります。加えて笠原の仲間である柴崎や手塚、それに小牧図書正が加わり、ときには少女漫画かと思うほどの恋物語が展開したりと、コメディタッチで物語は進みます。

しかしながら、彼らは図書隊という一種の軍隊の一員であり、現実に銃を持って戦う存在なのです。でも軍隊としての存在を主張しながら物語の中では軍事色は薄く、戦闘場面でも戦死者の描写はほとんどありません。だからと言ってアクション場面が弱いということではなく、「戦争」色をあまり出さないように描写しているのでしょう。

笠原と堂上教官との恋の行方を軸としつつ、話としては全く異なる分野の「表現の自由」の保護という大きなテーマを上手く描いている物語だと思います。

ただ、「表現の自由」を守る物語の側面はあまり語られてはいません。「メディア良化委員会」と「図書隊」との価値の対立に費やしている場面はあまり無いのです。個人的にはこの点の対立をもう少し描いてほしく思いました。でも、この主張を戦わせると小説の色合いは全く違ったものになるでしょうし、それでは本書の良さは無くなってしまうのかもしれません。

結局、本書の良さは有川浩という語り部のうまさにより、「表現の自由」という大きなテーマ扱いながらも、一見軽いエンタメ小説として面白く仕上げられているところにその良さがあるのかもしれません。単純に、笠原郁という女の子の恋物語として読んでも十二分に面白いのです。

蛇足ですが、上部に張り付けてあるこの作品のイメージは新刊書にリンクしています。文庫本へのリンクはこちら(文庫本用リンク)からお願いします。

プロフィール

siro

Author:siro
このブログの本棟として本の紹介のサイトを開いています。
(こちらです⇒読んだ屋
本ブログを別棟として位置付けて、読んだ本を記録していこうと思い立ちました。ここでの文章を母屋であるそのサイトに転記していくつもりです。

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