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谷口 ジロー・久住 昌之 孤独のグルメ


この物語は最初はテレビドラマとして人気が高くなっているという話から知りました。松重豊という芸達者な役者さんがそこらの食堂や甘味処に入り、ただひたすらに食べ、その感想を独白する、それだけのドラマ(と言っていいものかは分かりませんが)です。私の暮らす地方では昨年でしたかやっと放映されたので勇んで見たものです。

ただただ食し、そして感想を言う、それだけのドラマですが、妙に心惹かれるものがあります。評判になるのも良く分かる、そういうドラマでした。それは松重豊という役者さんのおいしそうに食べるその演技がうまい、ということが一番でしょうが、番組の構成が良くできているのでしょうね。

と、そういうドラマの原作になっているコミックが本書です。テレビドラマ以上に一話が短い漫画でした。何しろ一話分が八頁しかないのです。ただ、谷口ジローという漫画家の絵の力がすごい。

主人公の井之頭五郎は個人の輸入代行業者で、あちこちに顧客を有しています。その仕事の合間に街の食事処に立ち寄り、食すのです。たった八頁に収められた一コマ一コマがものすごく丁寧です。その中で主人公がただ食べる。谷口ジローという漫画家の画力に恐れ入るばかりです。

そしてこの物語の原作を担当しているのが久住昌之という人です。本当に「食べる」ということが好きな人なのでしょう。この人が食べ歩いた実体験を文字に起こし、それを谷口ジローが絵にしている、多分そいうことでしょう。

誉田 哲也 インデックス


久しぶりの姫川玲子の物語でした。

前作『ブルーマーダー』から二年。やっと姫川玲子の物語を読むことができました。今の警察小説の中では独特の地位を得ている作品です。今野敏の『隠蔽捜査シリーズ』や『安積班シリーズ』とはまた違った、シリーズものの警察小説の中でもトップレベルの面白さを持っている、姫川玲子というキャラクターを良く生かしている作品だと思います。

「アンダーカヴァー」

どうも見たことがあると思ったら、テレビドラマ版(「ストロベリーナイト アフター・ザ・インビジブルレイン」)で放送された作品でした。姫川がギラギラの派手な衣装を着て取り込み詐欺グループに乗り込み、エセ関西弁でまくしたてる場面は忘れようと思っても忘れられない場面でした。今回本作品を読むと、あのドラマがかなり原作を忠実に再現していたのだと良く分かりました。ここでの姫川は『インビジブルレイン』事件ののち、池袋署強行班捜査係に異動になってすぐの話です。

勿論、取り込み詐欺の捜査自体の様子も面白いのですが、容疑者と姫川とのやり取りが実に読み応えがあります。

「女の敵」

今泉、石倉らとともに「ストロベリーナイト事件」で殉職した大塚真二刑事の墓参りを済ませた姫川の、姫川が捜査一課殺人犯十係主任を拝命してすぐ、大塚と組んで担当した変死体事案を回想するお話です。

「彼女のいたカフェ」

池袋の「ブックカフェ」に勤務する賀地未冬は、いつも法律の本を読んでいる美しい女性が気になっていた。その後他の店に移り、再び池袋店に勤務することとなった未冬は、意外な場所であの女性と出会うのだった。

第三者目線で姫川の存在を描いた、シリーズの中でもちょっと変わった、しかし姫川の人となりもよく描かれている作品です。

「インデックス」

『ブルーマーダー』事件の「一応の収束」後、しかし被害者の数や、個々の事案の詳細は未だ解明されてはいなかった。そんな折、姫川は本部の刑事部捜査一課への異動の内示を受ける。ただ、池袋署刑事課強行犯捜査係との併任であり、更にはあの井岡も同じ刑事部捜査一課殺人犯捜査十一係への併任配置だというのだ。翌日からブルーマーダー事件の捜査も組むことになってしまうのだった。

本シリーズの名物男である井岡と姫川とのコンビによる捜査の様子を見せてくれる作品です。

「お裾分け」

捜査一課に復帰した姫川は早速小金井署の特捜本部にはいることとなった。そこにはやはり本部から派遣されていた三人がいて、姫川を主任とするチームを組むことになる。何より、このチームには併任を解かれたはずの井岡まで参加するのだった。

この作品でも井岡と姫川との迷コンビの掛け合いが全編を貫いています。

「落としの玲子」

姫川を捜査一課へと引き戻した今泉と飲んでいると、今泉から姫川の取り調べの下手さを叱責されます。しかし、とある写真をきっかけに今泉と姫川との立場が逆転し、・・・。

「夢の中」「闇の色」

墨田区本所署管内で刺傷事件が発生し、応援として本所署へ詰めることになった。被害者の一人である峰岡里美に話を聞くが何故かなかなか意思表示をしない。不審なものを感じた姫川が捜査を詰めると、里美の子供の存在が浮かびあがってきた。

このシリーズの本来のトーンとも言うべき暗い闇が再び戻ってきた、という印象です。

長岡 弘樹 傍聞き


秀逸なアイデアがぎっしりと詰まっている、全四編の短編推理小説集です。

「迷走」

救急隊の隊長である室伏光雄は、娘加奈が交通事故で車いす生活になっていた。そして今、室伏の救急車はその事故の時の担当検事を搬送しようとしていたが、救急病院が近くなったところで何故か病院の周りを迷走させるのだった。

レビューを見ると本作のトリックには疑問を感じている人もいるようです。しかしながら、私はその意見には同意できず、良く練られている物語だとの印象しか受けませんでした。室伏が理由も告げずに救急車を迷走させた訳も、それなりに説明をつけてあるし、作者のテクニックのうまさを感じるばかりだったのです。

「899」

消防署員の諸上将吾が急行した現場の火災は、諸上が想いを寄せる女性の初美が住む家にも延焼していた。ところが初美の生後4カ月の娘がまだ家の中に居るという。諸上は指示された部屋を探すが赤ちゃんは見つからない。しかし、諸上が他の部屋を探す間にその部屋から同僚が見つけ救い出すのだった。

この作品に関しては、トリック自体に無理がありはしないか、トリックの活かし方にも強引さは無いかと、若干の疑問を感じないではありませんでした。でも、若干の疑問を感じながらもいつの間にか惹きこまれてしまったのも事実です。本書中の他の物語に比すと若干無理を感じましたが、それでもなお面白いと言える作品でした。

「傍聞き」

刑事である羽角啓子の自宅裏手に住む老女が居空き窃盗にあい、横崎という窃盗常習犯が逮捕される。しかし、横崎は罪を認めないどころか真犯人を知っていると言い出し、あらためて啓子に告げるというのだった。

日本推理作家協会短篇賞を受賞した作品です。「傍聞き(かたえぎき)」とは「漏れ聞き効果」のことであり、「どうしても信じさせたい情報は、別の人に喋って、それを聞かせるのがコツ。」だそうです。このタイトル自体がトリックのヒントになっているのですが、どれがどのように仕掛けられてるのか、実に読み応えがあります。更には二重の仕掛けという驚きもありました。

ただ、現実的に考えると普通の人間がそこまでの仕掛けを考えることができるものか、などの疑問点はあります。ではあるのですが、物語としての瑕疵になっているとまでは思えず、ただただトリックの上手さ、見事さに感じ入ってしまいました。

「迷い箱」

ものを捨てるためのひとつのテクニックの一つとして、捨てると決断できないものを一時的に入れておく箱のことを「迷い箱」と言います。一旦その箱に入れておいて一日に少なくとも一度その箱の中身を確認する。そうすると処分する思い切りがつくというのです。この物語は、「刑務所を出て行き場のない人を一時的に預かる更生保護施設を舞台にした作品」で、過失で女児を殺してしまった碓井章由という、自らの心の整理のつかない元受刑者を見据える施設長の設楽結子の目線で語られる物語です。

人間心理に深く踏み込んだ作品です。作者自身も言っているように、本短編集のトリック自体が実に心理的なトリックではあるのです。中でも本作品のトリックは人の心を深く考察しないと描けない作品でしょう。一歩の踏み出し、それがなかなかに難しく、踏ん切りをつけるそのための仕掛けであります。


総じて本短編集は良くできた作品集でした。トリック重視の物語をここまで面白く読んだのは久しぶりのような気がします。本作品集がこれまで読んだ二冊よりも早く書かれていたのには驚きましたが、これまでの二冊も根底には細かな仕掛けがあり、その仕掛けの上に物語が成立していた作品であることを思うと、それも納得できる話でした。この作者もしばらく追いかけてみたい作家の一人ですね。

佐伯 泰英 旅立ノ朝-居眠り磐音江戸双紙(51)


「平成の大ベストセラーシリーズ」とは惹句に書いてあった文句ですが、決して大げさではない言葉です。その一大シリーズが全五十一巻目の本書を持って終了しました。

雲ひとつない夏空の下、穏やかな豊後水道の波を切る関前藩所蔵船豊後丸の船上に、坂崎磐音とその一家の姿があった。病に倒れた父正睦を見舞うため、十八年ぶりに関前の地を踏んだ磐音は、帰国早々国許に燻ぶる新たな内紛の火種を目の当たりにする。さらに領内で紅花栽培に心血を注ぐ奈緒の身にも…。春風駘蕩の如き磐音が許せぬ悪を討つ、“剣あり、恋あり、涙あり”の書き下ろし長編時代小説第五十一弾。平成の大ベストセラーシリーズ、ここに堂々完結!(「BOOK」データベースより)

本書では場面のほとんどが、磐根の故郷である関前藩を舞台としています。家老である父正睦が歳をとるのにに伴い、新たな内紛を抱え込んだ関前藩での磐根の活躍が描かれるのですが、なんとなく以前あった内紛劇の焼き直しに感じられたのは残念でした。

また、この長大な物語の初期にあった熱意といいますか、若い磐根が市井の人たちと共に暮らしていくエネルギーは、残念ながら感じられなくなっています。

長年にわたり語り継がれてきた磐根の物語の最後を飾るにふさわしい物語であるかどうかは、個々人の受け取り方次第だとは思います。ただ、個人的にはそれなりの収まり方を見せてくれたのではないかと思っています。

一口で五十一巻といっても、2002年4月に第一巻が出ていますので十四年余りを経ていることになります。作者の苦労は大変なものがあったのではないでしょうか。それなりのネタは出尽くしているでしょうし、そんな中での本巻のまとまり方は評価すべきだと思うのです。

息子空也の新たな旅立ちを物語の締めとするのも、磐根の物語の新たなる旅立ちとすれば、未来に向かっての展望をも見据えたものとして感慨深いものがあります。

この作者には他にも多くの物語がありますが、やはり磐根の物語は別格だと思わされる最後でした。

今野 敏 潮流―東京湾臨海署安積班


東京湾臨海署安積班シリーズ第15作目の長編警察小説です。

8月の穏やかな月曜日、東京湾臨海署管内の複合商業施設内で急病人が出て、救急車の要請があった。同じ症状で救急搬送される知らせが立て続けに入り、同じ毒物で三人とも死亡した。彼らにつながりはなく、共通点も見つからない。テロの可能性も疑う安積。そこに、犯人らしい人物から臨海署宛てに、犯行を重ねることを示唆するメールが届く――。捜査を続けていくなか、安積は過去に臨海署で扱った事件を調べることになり、四年半前に起きた宮間事件に注目する。拘留中の宮間は、いまだ無罪を主張しているという。安積は再捜査を始めようとするが……。(出版社・メーカーからのコメント)

いつものように小気味いいテンポで話は進みます。何度も書いていると思いますが、本シリーズは安積班の個性的なメンバーがそれぞれに等しく活躍し、メンバー全員が力を合わせることによって時間を解決していく、そこが一番の魅力でしょう。

そもそも安積警部補が本事件にテロの可能性を感じたのは、搬送された三人の死亡は「リシン」という毒物によるものだと判明した時、安積班のメンバーである須田が海外で起きたリシンがらみの事件を思い出したことから始まります。小さな鉄球を打ち込むというその手口は今回の事件と一致するのです。その後、犯人しか知りえない情報が記載されたメールが臨海署に届き、ここから安積は臨海署で扱った過去の事件にからむ可能性を疑い、その線を追及するのです。

今野敏の小説は、ミステリー仕立てではありますが、謎解きそのものを楽しむ、と言うよりは、謎を解明する人間のありよう、人間模様こそが面白いと感じます。その点で本書はシリーズの中でも上位に位置する面白さを持っていると思われるのです。

それは、安積班のメンバーの動向は勿論ですが、交通機動隊の速水の存在も大きなものがあります。安積と速水との掛け合いはこのシリーズの名物とも言えるでしょうが、本書でも速水の活躍は光ります。どことなく、パーカーシリーズのホークとの掛け合いを思い出していました。

加えて本書の場合、警視庁本部からやってきた池谷管理官、及びなにかと安積と対立する佐治基彦係長率いる殺人犯捜査第五係の存在が大きいのでしょう。この本部組が敵役となって臨海署組に照明が当たる仕掛けが当てはまり、臨海署のまとまりが小気味良さを見せているのです。

その意味で臨海署署長や刑事総務係長の岩城など臨海署の仲間の、本庁の人間たちの鼻を明かそうとして安積らの動きを支える動きも魅力的です。ここらの「意気に感ず」式の人間描写は、ベタではありますが万人に受け入れられる話ではあり、この作者はベタな設定をも上手く描いて物語の魅力を増しています。

加えて言えば、警察とマスコミとの関係もあります。なにかと安積とかかわりのある東報新聞の山口友紀子をその代表とし、マスコミ側の対立存在として東邦新聞の遊軍である社会部の由良清一という存在があります。正統派の山口と由良という対立存在でマスコミの両側面を表しているようで、この点も上手いと思うところです。

結局、安積班に光をあてる仕組みそれぞれがうまくいっており、この物語がエンターテインメント小説として成功しているとこではないでしょうか。

濱 嘉之 警視庁情報官 ハニートラップ


公安警察官である黒田純一を主人公とする警視庁情報官シリーズの第二弾です。

色仕掛けによる謀報活動―「ハニートラップ」に溺れた日本の要人は数知れず。国防を揺るがす国家機密の流出疑惑を追う警視庁情報室トップの黒田は、漏洩ルートを探るうちに、この「罠」の存在に気が付いたが…。「情報は命」そう訴える公安出身の著者が放つ、日本の危機管理の甘さを衝いた警察小説の最前線。(「BOOK」データベースより)

前巻の『警視庁情報官 シークレット・オフィサー』で、「その職務の紹介、説明はあくまで表面的なものであり、個別な具体性はありません。」と書きましたが、今回その印象は言葉足らずだったと思いながら読み進めていました。

それは本書は職務の内容の個別具体性の描写が無いのではなく、組織としての動きが描かれているというべきだ、ということです。

今回この物語は、前巻の仕事の後に小笠原の警察署署長として赴任している黒田の姿から始まります。彼にとっては休暇のような赴任地ではあったのですが、防衛省がらみの情報漏洩問題が発生し、再び情報室が再結成されることになり、黒田は中央に呼び戻されることになります。

今回はイージス艦絡みの情報の流出を阻止すべく、警察という組織を挙げての一大捜査網が敷かれます。今回も、他の警察小説とは異なり、解説・説明調の文章で綴られていきます。会話文の多い小説に慣れていた身としては若干の違和感を感じたことは前巻と同じです。

でも、これは濱嘉之という人が小説家として新人だからかもしれません。書かれている情報量は相当なものです。慣れた作家さんであれば、かなりの情報をカットし、エンターテインメントとして再構成し、もっとずっと読みやすい物語として書きあげると思われます。

しかしながら、濱嘉之という人だからこその情報であり、物語でしょうから、この作家ならではのリアリティを楽しむべきでしょう。読み手が私のような世間知らずでは無く、もっと世界情勢、経済情勢に知識のある人であれば更に面白く読めるのではないでしょうか。描かれている出来事のモデルを考察してみるのも一興かもしれません。

とにかく一番の特徴は情報の量です。消化しきれないうちに次の情報が提示されます。その情報の波に流されないように、一個一個消化しつつ読み進めることができれば更に面白い小説と思えたことでしょう。

本書ではタイトルにもあるハニートラップという手法を中心に置いて物語が組み立てられています。どこまでが作者の実体験でどこからが創作なのか、それらを考えながら読むのも面白かもしれません。

とはいえ、更に続編を読もうと思っている自分がいるのですから面白いものです。

朝井 まかて 藪医 ふらここ堂


引っ込み思案の娘おゆんとその父三哲、そして二人とりまく人々の騒動を描いた、人情長編小説です。

家族、夫婦、子育て、はては「恋」まで診立てます。天野三哲は江戸・神田三河町で開業している小児医。「面倒臭ぇ」が口癖で、朝寝坊する、患者を選り好みする、面倒になると患者を置いて逃げ出しちまう、近所でも有名な藪医者だ。ところが、ひょんなことから患者が押し寄せてくる。三哲の娘・おゆん、弟子の次郎助、凄腕産婆のお亀婆さん、男前の薬種商・佐吉など、周囲の面々を巻き込んで、ふらここ堂はスッタモンダの大騒ぎに―。(「BOOK」データベースより)

おゆんの父親天野三哲は小児医ではありますが、患者あしらいが雑なことから患者はなかなか寄り付きません。神田三河町では、この家の前庭には「ふらここ」があるところから「藪のふらここ堂」と渾名されているのです。「ふらここ」とはぶらんこのことで、三哲自らが作ってくれたものです。いまでは近所の子供たちの遊び場にもなっています。

読み始めの第一章は、この物語の人物紹介なども兼ねているところからか、朝井まかてという作家の個性をあまり感じられない、宇江佐真理あたりが書きそうな小説としか感じませんでした。勿論とても読みやすい物語ではあります。人物紹介も簡潔であり、それでいて特徴が良く分かります。

登場人物としては、おゆんの幼馴染で三哲の押し掛け弟子になっている次郎助、その母親のお安、そしてお安と良いコンビでもあり「婆さんていうな」が口癖の産婆のお亀婆さんがいます。そして、物語のキーともなる薬種商の男前の佐吉とその息子勇吉という面々です。

この物語について、著者は「市井の、少々ぬけた人々の物語を書きたくて、江戸時代に実在したヤブの小児医を主人公にしました。」と言っています。その前提として「死人の七割が子どもだった」という江戸時代においての「子育て」をテーマに書いてもらった、というのは担当編集者の言葉です。

その編集者の言葉通りに、「母子同服」とは母と子に同じ薬を飲ませることを言うのだそうですが、母親と子は症の根っこが繋がっている、との三哲の投薬の姿が描かれていたりもします。

この著者たちの言葉が実感として感じられ、読んでいてやはり朝井まかての物語だと感じられてくるのは第三・四章あたりからでしょうか。男前の佐吉が長屋に住むようになり、お亀婆さんとお安との掛け合いも調子に乗ってくる頃です。

その後良くできた人情時代小説と思っていたこの物語が、三哲というのはいったい何者か、というミステリアスめいた話もを加わり、小説としての面白さが倍加していきました。

朝井まかてという作家の作品の中で群を抜いた面白さなどとは言えませんが、それなりのうまさで読ませてくれる作品でした。しかしながら、やはりこの作家は「恋歌」のようにしっとりと読ませる作品のほうが本領だと、あらためて感じさせる作品でした。

誉田 哲也 武士道ジェネレーション


誉田哲也の「武士道」シリーズの第四作目であり、最終話です。磯山香織と西荻早苗という対照的な二人の剣道に掛ける青春を描いた物語ですが、大学を卒業してからの二人の姿がこれまでと変わらずにテンポよく語られています。

まず早苗の結婚式での香織の文句の場面から幕を開けます。早苗の結婚という意外性のもと、披露宴での席だというのに、何よりも「腹が減っている」との香織の存在が、この二人を上手く示しています。これまでの三作で二人の高校時代が描かれてきたのですが、本書では大学をも卒業し社会に出た二人が描かれています。

これまでこの作者が描いてきたホラー感満載の『アクセス』や、スプラッター的描写に満ちた『ブルーマーダー』のように、太陽に背を向けたような闇の雰囲気の濃い作品との差に改めて驚かされます。

勿論、剣道が物語の中心にあります。ただ、早苗は足の故障で剣道からは遠ざかっており、剣道そのものにはもっぱら香織がかかわっているのです。でも早苗にしても東京の大学に進学した後、就職も母校(東松学園)に決まっていて、桐谷道場の経理なども見るという形でかかわっています。何より、早苗の旦那が桐谷道場の高弟であって、香織に重大な稽古をつけるのです。

この稽古が古武道の流れを汲むもののようで、「シカケ」「オサメ」の練習を体中あざだらけになりながら行います。もっぱら武道にいそしむのは香織の役目として描かれる本書ですが、早苗には別な役目が割り振られているようです。

それは本シリーズの中ではめずらしい社会的視点です。それはアメリカとの間で戦われた第二次世界大戦のことであり、また韓国との間の慰安婦の問題であったりするのです。それらについての議論の中で叩きのめされる早苗ですが、これらの議論の延長線上には「力」の存在が見据えられているのです。

勿論最終的な目標は「平和」です。その平和を獲得、維持するためには圧倒的な「力」があって初めて可能だという考えがあり、本書は基本的にこの考えのもとにあります。少なくとも私はそう読みました。早苗がつい熱を帯びてしまう戦いについての議論も、本書で語られてきた「剣道」のあり方に強く結びついた話でした。

こうした「力」についての考えには多分強い異論もあることだと思います。しかしながら、本書を強く貫くこの考えのもとに、実に未来志向の明るい青春小説を仕上げていること自体は、強く惹かれるものを感じました。面白い小説を欲する読者の欲求に見事にこたえた一冊だと思います。

門井 慶喜 家康、江戸を建てる


徳川家康が江戸に新たな街づくりを始めるに際しての物語で、全五話の短編からなる時代小説集で、2016年上半期の直木賞の候補作になっています。

読む前は江戸の町を作った武将としての家康の物語、だと思っていました。しかしそうではなく、本書は技術者集団としての配下個々の物語です。「家康を一種のプロデューサーと捉えて、その部下である街づくりのエキスパートを主人公にしようと思いました」と著者である門井慶喜は言っていたそうです。実際その通りの物語でした。

埋め立ての前提である水害の防止策として河川の制御、新しい町に住まう人々の飲み水の確保、江戸を起点とする貨幣経済の確立、そして、江戸城構築の文字通りの礎である石垣のための石の切り出しと物語は続き、江戸城に天守閣を設ける家康の意図と、二代秀忠と家康の親子の物語で締められます。

第一話 「流れを変える」

当時の江戸城の東と南は海、西は萱の原。北は多少開けてはいるものの、七、八十軒の農家が見えるのみ。この江戸の地を大阪にするとの家康の思いは叶うのか。江戸の町の基礎づくりに選ばれたのは臆病者と言われた伊奈忠治であった。伊奈は北から流れ込む川を制御しなけらばならないという。つまり、川を曲げるというのだ。

第二話 「金貨(きん)を延べる」

江戸の町を日本の経済の中心とするために、家康は「上方の後藤家が五代百年をかけて培った金工技術の精髄」を江戸で再現するために、後藤家に仕えていた橋本庄三郎という男を江戸に招いた。庄三郎に下された命は品位(金の含有率)の良い小判を鋳造せよというものだった。

第三話 「飲み水を引く」

菓子作りが得意な感激屋の大久保籐五郎に飲み水を探すように命じる。それから十三年後、鷹狩りに出ていた家康は、武蔵野の原野で内田六次郎という土地の者から湧水のありかを聞き、内田に江戸の町へ水を引くための普請役を命じるのだった。今の井の頭である。内田は江戸への普請で苦労するも、籐五郎の力を得て何とか水を引くことをやり遂げる。

第四話 「石垣を積む」 石を切り出し、石垣を積む。

関ヶ原の戦に勝ち、征夷大将軍の宣下をも受けるであろう家康は天下一の城、千代田城の建設に着手する。代官頭である大久保長安は、石工の「みえすき吾平」と呼ばれる採石業の親方の噂を耳にし、千代田城のための石を切り出すように命じる。

第五話 「天守を起こす」

大坂城の天守閣は黒壁であるのに、家康は江戸城は白壁にするように命じる。家康は、白壁にするように命じた意図を秀忠に問うが秀忠はなかなかその意味を読みとれず悩みに悩むのだった。


第一話は若干説明的になっていたため期待とは異なる作品か、と思っていました。しかし、第二話からは盛り返し、次第に物語として展開が面白くなってきました。第三話あたりからはエンタテインメント小説として興が載ってき、加えて本書の持つ視点のユニークさが生きてきたように思えます。そして最終章でまとめ、結果として全体として面白い作品集になっていました。

その最終章。江戸城にも天守閣があったのですが、1657年の明暦の大火で焼失して再建されることはなかった、ということは聞いたことがありました。でも、その天守閣が白壁であったことは知りませんでした。一般的に二代秀忠は無能若しくはそれに近い存在として描かれるのが普通です。しかし、本書での秀忠は異なり、知将(?)として描かれており、その秀忠の苦悩の描写、また家康と秀忠との白壁についての会話はかなり読み応えがあります。

江國 香織 犬とハモニカ


この作家の作品は初めてで、この本の持つ空気感は普段私が読む作品群には無いものでした。恋愛小説集と言って良いものなのか、そこからよく分かりません。川端康成文学賞を受賞している作品です。

読み始めてすぐに井上荒野の『切羽へ』を思い出したのですが、読み進むにつれ『切羽へ』の持つ官能の香りとはまた違うと思いなおしました。こちらは、短編のそれぞれが、透明ではあるのですが硬質ではない(薄衣のような印象と言えば良いのでしょうか)文章で、主人公の濃密な思いが丁寧に目の前に差し出されたような感じです。

私が一番好むエンターテインメント小説とはまた異なっているため、戸惑いながら読み進めました。でも、その戸惑いは非常に心地よいもので、たまにはこうした作品も読んでみようと思わせるものでした。ベタに言えば暴力、エロスなどに浸った後の清涼剤です。

「犬とハモニカ」 こうした作品もグランドスラム形式と言って良いかは分かりませんが、複数の登場人物それぞれの多視点で語られる物語です。飛行機の中、そして空港の到着ロビーで、視点が切り替わりつつその場面にいる人物たちの内面が提示されます。当たり前ですが、人それぞれに異なる生活を営み生きているのです。エンタメ小説に慣れていると、何のイベントや事件も起きない、場面を切り取っただけの、文章の力だけで読ませるような作品はとても取りつきにくさを感じます。もう純文学の範疇なのでしょうね。

「寝室」 女に振られた男が夜中家に帰りあらためて妻の寝姿をみると、圧倒的な新鮮さを感じるのです。私も男ではありますが、この男の心情がどうも理解できません。振られた男がその直後に裏切っていた妻に対し新鮮さを感じるものでしょうか。それとも、ここでの「新鮮さ」は単に見知らぬ女という意味合いしかないのでしょうか。

「おそ夏のゆうぐれ」 差し出された男の皮膚を食べてしまった女が、男にとらわれてしまっている自分を見つめなおします。おそ夏のゆうぐれに見かけた少女にただ存在していただけの幼き自分を見出し、孤独である自分を確認するのです。

チョコレートの景品である冊子王に書かれた作品だそうです。この本をの読み終えた最後に書いてありました。チョコレートをテーマにこのような物語を紡ぎだす作家に脱帽です。一番しっくりきた作品でもありました。

「ピクニック」 ピクニックを趣味とする妻、その妻に違和感を感じる夫。この夫婦は何故夫婦でいるのでしょうか。発せられる言葉さえも空虚としか感じない、互いに相手を異物としか感じない夫婦。良く分からない物語でした。

「夕顔」 源氏物語の「夕顔」の現代語訳です。六人の作家が源氏物語の現代語訳を競作する、という「新潮」の企画で書いた一片だそうです。

恥ずかしながら私はこの作品で初めてきちんと源氏物語という作品に触れたのですが、恐怖小説めいたこのような物語だったとは驚きしかありませんでした。この作家のアレンジも入っているのかと思ったら、ほとんど原文のままなのです。再度の驚きでした。

「アレンテージョ」 とあるホテルに宿泊しているゲイのカップルの物語。舞台はポルトガルです。実際にポルトガルに取材に行った、とこの本の末尾に書いてありました。この作品も正直よく分かりませんでした。主人公がゲイという設定だからではなく、やはりエンタメ小説ばかりに耽溺してきた身としては、この作品のような文学的香り漂う物語は戸惑いしかないのだと思います。

月村 了衛 黒警


これぞエンターテインメント小説です。舞台は警察がメインであり、主人公も警察官ですから警察小説と言っても間違いではないのかもしれませんが、警察小説と言い切るにはためらいがあります。というのも、何らかの事件が起き、解決のために刑事が捜査に乗り出す、という王道の警察小説からはかなり外れた物語だからです。

街で女を見捨てた警視庁組織犯罪対策部の沢渡と、行きずりの女の命を救った滝本組の幹部ヤクザ・波多野。腐れ縁の2人の前に、女を助けたい中国黒社会の新興勢力「義水盟」の沈が現れる。3人の運命が重なる時、警察内部の黒く深い闇が蠢きだす…。(「BOOK」データベースより)

本書の主人公は警視庁組織犯罪対策部の捜査員である沢渡であり、そこにヤクザの滝本組の幹部である波多野、そしてに中国黒社会の新興勢力である義水盟の沈という二人が加わり物語は展開します。

沢渡は警官ではありますが事無かれ主義のへたれ警官です。自分から他人の厄介事に首を突っ込むことは無く、ただ上司の叱責だけを免れれば良い、との考えの持ち主で、夜の街で絡まれている女性を見ても手を差し伸べようとはしないのです。

ヤクザの波多野は、沢渡とは逆にヤクザのくせに困っている女を見ると手を差し伸べずにはいられない性分です。というのも、かつて見捨てた女がその後で殺された過去を持っていたのです。沢渡との腐れ縁もその時にできました。沢渡が持っている負い目も助けを求める女を見殺しにしたことであり、その女は波多野が見捨てた女と同じ女だったのです。

ともに命取りとなりかねない弱さを抱え生きています。そこに、中国マフィア義水盟の沈という男が絡んできて、波多野を男と見込んで女を預けるのです。共にその場にいた沢渡も同じ船に乗り込むことになります。しかしながら、沈と思惑とは異なり沈の戦いの相手は強大な力を有していました。沢渡も自分が戦うべき真の敵を見つけることになりますが、その敵は意外な相手だったのです。

自らの失うものの大きさを考慮することなく危険に飛び込んでいくというお話。ある種の人情物語やハードボイルド、それにかつての任侠映画などにも同様の構造が見られました。

あらためて言うまでも無いことですが、人情に絡んだ自己犠牲の物語というのは私個人の嗜好というだけではなく、一般的な好みとして人気があるものだと感じます。

ましてや、月村了衛という作家の上手さが加わるのですから、面白い筈です。

月村了衛の『機龍警察シリーズ』は、シリーズの幾編かが「日本SF大賞」や「このミステリーがすごい!」他の大賞を受賞していて、骨格がきちんと練り上げられた物語でした。それとは異なり、とても軽く読むことができるエンターテインメント小説も多数書かれている月村了衛ですが、本書もわりと気楽に楽しむことができるエンタメ小説と位置付けられる作品でした。

夢枕 獏 呼ぶ山 夢枕獏山岳小説集


山を舞台にした、ホラー小説と言ったほうがよさそうな八編の物語を集めた短編集です。

山が、そいつに声をかけるんだよ、長谷。順番が来たことを教えてくれるんだ。―お前の番だよ。こっちへおいで、と。(表題作「呼ぶ山」より)山を愛し、自らも数々の山に登ってきた著者の作品群より、山の臨場感と霊気に満ちた7作品を厳選。『神々の山嶺』のスピンオフである表題作を併録した。山で起こる幻想的な話、奇妙な話、恐ろしい話…人々を魅了してやまない、山の美しくも妖しい側面を切り取った著者初の山岳小説集。(「BOOK」データベースより)

本書を紹介した「BOOK」データベースなどでは「著者初の山岳小説集」と謳ってあります。確かに山を舞台とした短編小説集ではありますが、こうした物語をも山岳小説と言って良いものか疑問です。山岳小説と言う場合、明確な定義は無いでしょうが、一般には山とそれに対峙する人間との緊張関係を描いたり、山という大自然の中で交わされる人間ドラマを描いた作品を言うと思います。

夢枕獏の山岳小説と言えばまず挙げられる『神々の山嶺』はまさに山岳小説ですが、『神々の山嶺』を思って本書を読むと裏切られます。しかし本書の場合、山そのものを描いたというよりは、山で起きる、若しくは山を背景として起きた事柄を描いたホラーチックな物語集と言ったほうが適切です。夢枕獏の物語自体が好きなのだという方以外は注意した方が良いでしょう。

ところで、本書は過去に出版された夢枕獏の短編集から山関連の作品を選び出し再構成した作品集でした。解説も書かれている大倉貴之氏が編まれた作品集だそうです。

そして個々の短編の出典を書いてあったのですが、何とほとんどは過去に読んだ作品集に収められていた作品でした。読みながらも、過去に読んだ作品に似ているとの思いは確かにあったのです。しかし、既読だとは思いませんでした。ほとんど三十年近くも前に読んだ作品でああのですが、既読か否かも気付かないとは少々ショックです。

「深山幻想譚」 小気味いいどんでん返しのある、軽いホラー作品。

「呼ぶ山」 著者自身のあとがきには『神々の山嶺』のスピンオフ作品だとありました。名前は出てきませんが、著者自身が長谷常雄だと言っています。

「山を生んだ男」 まさに山岳小説として始まりますが、途中からはファンタジーへと移行します。

「ことろの首」 山で迷いこんだ山小屋での出来事を描いたファンタジーです。

「霧幻彷徨記」 捕らえられた霧から抜け出そうとあがく男の幻想譚。

「鳥葬の山」 チベットで見た鳥葬の儀式に取りつかれた男のホラーチックな物語。

「髑髏盃(カパーラ)」 ネパールで購入した髑髏盃にまつわるこれまたホラー要素の強い物語です。

「歓喜月の孔雀舞(パヴァーヌ)」 ネパールで暮らす一人の女に恋した主人公は、事故で死んだ彼女からある男に渡すように託された石を渡しそびれていた。

上記各物語の中でファンタジーとは書きましたが、かつて出版された短編集では「幻想譚」と記されていました。この二つの言葉の差異は正直よく分かりません。ファンタジーというと恐怖の要素はあまり無い夢物語で、幻想譚というと恐怖のニュアンスが強くなる、と言っていいのでしょう。

いずれにしろ、夢枕獏の初期から近年に書かれたものまでが取り上げられています。このごろは陰陽師の物語など、恐怖物語にしても上質な雰囲気をまとうことの多い気がするこの作者の小説です。本書はそんな夢枕獏のまだ粗削りな作風の垣間見える作品集になっています。

蛇足ながら、本文章を書いてこのブログで夢枕獏を取り上げるのは初めてだと気付きました。この作者の作品はほとんど読破しているのですが、ここ数年は読んでないことになります。メモを見ると2011年の11月に『新・餓狼伝 巻ノ2』を読んだのが最後でした。驚きです。

渡辺 容子 罪なき者よ、我を撃て


あい変らず細かな余震が続いている我が郷土ですが、今度は台風12号が直撃しそうです。私が住んでいるあたりは屋根のブルーシートもあまり見られなくなりましたが、最も被害のひどかった御船などは今だ手つかずのところさえあると聞きます。ニュース映像で見てもその状況は悲惨です。そこに台風が来ればひとたまりもありません。被災者の方々の心配、はっきり言えば’恐怖’はかなりのものでしょう。何もできない身を悔しくも思います。

さて本書。以前読んだこの作家の『エグゼクティブ・プロテクション』は女性ボディガードの八木薔子を主人公とするエンターテインメント小説でした。本書は八木薔子と同じ会社の同僚である二ノ宮舜を主人公としたエンターテインメント小説で、八木薔子シリーズのスピンオフ作品という位置づけです。

『結婚式を中止せよ。さもなくば、惨劇が起きる』。警備保障会社に勤める二ノ宮舜は、アダルトグッズ会社社長の義娘、風間小麦の警護を任された。社長夫妻が挙式した数時間後、同会場で花嫁が脳幹をライフルで撃ち抜かれ死亡する。式の後、小麦は舜の目をかいくぐり、義父の経営する工場に潜入しようとする。その翌朝、小麦の自宅に一発の銃弾が撃ち込まれた。江戸川乱歩賞作家入魂のボディガード・ミステリー!(「BOOK」データベースより)

この人の作風はどことなく大沢在昌を思わせます。ただ、大沢在昌ほどのアクション性は無いところが違いと言えば違いでしょうか。

「八木薔子シリーズ」はボディガードを主人公とした小説ですが、ボディガードという職務内容の描写もかなり詳細です。その描写の詳しさから、今の日本でもこうした身辺警護が実際あるのではないかとさえ思ってしまいます。本書中で二ノ宮舜らは銃器の知識も詳しく、実際発砲事件に際しての素早いガードもあるのです。でもまあ、現実にはこうした事案は無いでしょうから、虚構の物語作りのうまさという点でも大沢在昌に似た印象を持つ所以かもしれません。

このようにエンターテインメント小説としての面白さは十二分でした。本来は、警護対象者の安全を図ることこそ任務とするプロのボディガードが、脅迫状を出した犯人を捜し出すなどということはあり得ない筈です。でも、そこはガードの方法論として、究極的には警護対象者を狙う者がいるのならばその相手を撃滅するのが警護を十全に果たすことになる、という論理ですりぬけます。まあ、それは警護象者は特定の者からしか狙われないという前提が必要ですが、この際そこまでは言わないこととしましょう。

少しだけ文句をつけるとすれば、本書はとある少女との出会いの場面から始まるのですが、たまたまその後の仕事の対象者が今回の警護対象者だった、というところから物語の本筋に入ります。しかし、「偶然」という事柄が物語に入ってくると、物語のリアリティが無くなってしまうと感じ、どうしてもなじめません。

更に言えば、警護対象者が高校生であり、主人公がその高校生を恋愛の対象としている点もマイナス要因でした。せっかく、プロのボディーガードのリアリティをきちんと描き出しているのですから、高校生を対象とする恋愛はやめてほしかった。百歩譲って、高校生に惚れるだけの状況を描いてほしかった。

とはいえ、こうした印象はかなり個人的嗜好に近いものでもあるでしょうから、この点は差し引いて物語自体の面白さを見ると、エンタメ小説として十分な点数をつけることはできると思います。

笹本 稜平 分水嶺


ここのところ、震度1ないし2という細かな余震が続いていた我が郷土ですが、昨夜は震度5弱がありました。私の住んでいる区では震度4だったのですが、久しぶりの強い揺れにあの時のことを思い出してしまいました。東日本大震災の時には半年も経ってから震度5クラスの揺れが来たという話も聞きます。いつまでも気を抜けません。

それはさておき、本書です。山を舞台とする長編小説です。山を舞台とはしていますが、背景が山だということであり、山岳小説とは言っていいものか。あくまで主眼はエゾオオカミです。

風間健介は広告カメラマンとしての人気の凋落を感じていたが、父親の死去によりその意思を継ぎ山岳カメラマンとして再出発を期していた。そんなとき山で田沢保と名乗る男に出会う。死んだ父とも山で出会ったというその男は、人を殺して出所したばかりだという。そして、絶滅したと言われるエゾオオカミに命を助けられたことがあり、エゾオオカミ探しに熱中しているというのだった。

山岳小説と言えば、自然に対峙する人間、自然と人間との共存という視点は、避けては通れない視点だと思えます。特に「死」と隣り合わせとなる冬山では特にそうでしょう。同時に、動物、特に野生動物が登場する場合もまた同様の視座が要求されます。

本書ではオオカミがその野生動物です。殺人罪での服役という過去を持ち、変人で通っている田沢保は、オオカミに命を救われたという過去をも持っています。そのため、絶滅したと言われているエゾオオカミの存在を確信し、ここ大雪山系でその痕跡を探しているのです。

その探索は、また大雪山系のリゾート開発計画とは衝突する事柄であり、田沢の殺人罪での服役もリゾート開発を推し進める一派に陥れられた結果だとも言われているのです。

田沢はまたエゾオオカミの探索中に風間健介の父親とも山の中で遭遇しています。そして、山に魅せられた男同士の魂のつながりを感じていたのです。この大雪山系での健介の父親との話は、健介の再生物語へと連なっています。この物語は、エゾオオカミへのオマージュであるとともに、健介の再生の物語でもあるようです。

しかしながら、エゾオオカミの話になると、小説としては若干冗長でした。ある程度は仕方のかないことなのかもしれませんが、人間存在とオオカミに代表される大自然との共存を語る筆致が繰り返しになり、説教臭すら感じてしまうのです。

物語としては、ミステリーの側面も有してはいるのですが、それもオオカミメインの話の陰に隠れています。また、登場人物も幾人かはそれとなく胡散臭さを持っているような人物として登場し、裏の顔を表すのはいつか、という期待を持って読み進めたりするのですが、ネタバレ覚悟で言うと、裏切られます。

自然に対する不遜な人間という構図は繰り返し言われているところです。作者の自然に対する溢れんばかりの愛情は感じますが、物語としては若干空回り気味ではありました。

大好きな作家さんであるためにかなり辛口になったようです。

ところで、本書では「オオカミ」と表記してあり、決して「狼」ではないのです。これにはどういう意味があるのでしょうか。

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本ブログを別棟として位置付けて、読んだ本を記録していこうと思い立ちました。ここでの文章を母屋であるそのサイトに転記していくつもりです。

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