岡本 さとる 取次屋栄三


近頃ブームの文庫本時代小説のど真ん中を行くような、連作短編の痛快人情時代小説集です。そんな言葉があるのならですが。


「幼馴染」
大阪時代の幼馴染の蓑助が訪ねてきた。なにか屈託を抱えていそうでわけを聞くと、蓑助の仕える商家の江戸店が売掛金の回収が出来ずに困っているという。栄三郎は御数寄屋坊主の宗春に話を持ち込むのだった。

「現の夢」
ある日、栄三郎の剣の師匠を通じて親交のあった、旗本三千石の永井勘解由の用人である深尾又五郎が訪ねてきた。永井家に婿に入ることになった塙房之助の姉を探して欲しいというのだ。しかし、その姉は、弟のために自ら苦界に身を沈めたらしく、探索は難しそうな話だった。

「父と息子」
栄三郎の弟弟子であった岩石大二郎が役者になっていた。大二郎は、近く大二郎の父親で柳生新陰流を修めた剛直の士である岩石勘兵衛が江戸へ来るので、何とか助けて欲しいというのだった。

「果し合い」
道場仲間だった松田新兵衛が森田源吾と果し合いをするという。かつて新兵衛が試合で誤って殺してしまった男に可愛がられていたのが森田源吾だった。新兵衛に惚れた娘の頼みもあり、栄三郎は何とか丸く収めようとするのだが・・・。

本書の解説は文芸評論家の縄田一男氏が書かれていて、「その平明達意の文章に接していると、・・・(中略)・・・作中人物の人柄が自然と心の中に刻まれ」ると書かれています。更に、この本を「大変気分よく読み終えたのは、この連作が目に見えないもの、人の絆や思いをテーマにしているからである。」とまで書かれているのです。

縄田氏の評論は私もこれまでかなり読ませていただき、また参考にもさせてもらってきたのですが、本書に関しては、どうも首をひねることになりました。どうしても、縄田氏の言うような高評価にはならないのです。

たしかに、この手の通俗的な痛快小説では読みやすいこと、登場人物のキャラクターがきちんと描かれていることなどが必要条件として挙げられ、そして本書はそうした条件はクリアしているとは思います。

しかしながら、物語の組み立てが他の同種の作品から一歩抜きんでているとまでは感じませんでした。

「幼馴染」での解決も河内山宗春が登場し、例のごとく葵の御紋を振りかざして終わりですし、「現の夢」にしても、探す相手の女郎が栄三郎がかつて思いを寄せた女であった、などとご都合主義そのままですし、でありながらその女郎についての描写はあまり無く、感情移入がしにくい描き方でした。

つまりは本書には、登場人物の心象や情景描写も含め、多くの時代小説の中から抜きんでるものを感じなかったのです。

ただ、松田新兵衛や新兵衛に惚れているお咲、その父親の田辺屋などの新たな登場人物が現れています。こうした栄三郎を取り巻く人たちが物語の世界を広げ、物語が練られていけば面白くなるのかもしれません。もう少しだけ読み続けてみましょう。

野沢 尚 魔笛


独特の文体で迫る、長編の警察小説、と言っていいのでしょう。

白昼、渋谷のスクランブル交差点で爆弾テロ!二千個の鋼鉄球が一瞬のうちに多くの人生を奪った。新興宗教の教祖に死刑判決が下された直後だった。妻が獄中にいる複雑な事情を抱えた刑事鳴尾良輔は実行犯の照屋礼子を突きとめるが、彼女はかつて公安が教団に送り込んだ人物だった。迫真の野沢サスペンス。 (「BOOK」データベースより)

本書の冒頭で、まずは犯人である照屋礼子の文章があって、本書が照屋礼子の手記である旨が明記されています。それに続いてすぐに渋谷のスクランブル交差点での爆薬によるテロの場面で幕を開けます。それもなかなかグロテスクに近い描写が続きます。

一番の特徴は、本書の視点が冒頭のテロ行為の犯人で為されていること、しかしながら描写は第三者視点という、実に微妙な構成であることでしょうか。その場にいない筈の犯人ではありながら、その視点は客観的な第三者目線なのです。犯人の主観も随所に入りながらの客観的描写ですので、若干の戸惑いが無いとも言えません。この点はすぐに慣れますが。

そして、語り口がまるでレポートです。「言わば分析報告である。」と冒頭の照屋礼子の言葉にもあるように、その印象は当然と言えば当然のことでした。第三者目線でありながら犯人の主観で語られるこの物語は、ときに視点が紛らわしくなることもあったのですが、結果的に実に効果的だったと思えます。

この物語自体が、犯人の人間像を明らかにする、そういう目的があったかのような物語です。ただ、だからこそと言っていいのかもしれませんが、探偵役である警視庁渋谷署刑事課の鳴尾良輔巡査部長と、その獄中の妻である安住籐子との心の交流が今一つ分かりにくい面はありました。鳴海刑事が安住籐子に惚れこむ理由にしても、私が読みとれなかっただけかもしれませんが、よく分かりません。

また、ある事件の犯人と捜査官との恋自体は他の小説でもたまに見られる設定ではあるのですが、本書の場合、獄中の妻がまるでアームチェア・ディテクティブのような位置にいるという重要な役割を担っている割には、犯人の真意を推理する能力を持っている理由付けが全く無いのが残念でした。

こうした不満点はあるものの、物語としては面白い作品でした。かつて日本を震撼させた「オウム真理教」を思わせる坂上輪水という教祖とその信者である照屋礼子。そして刑事警察と公安。テーマ自体は決して目新しいものではないのですが、材料の処理の仕方でこのような物語にもなるのだと、あらためて作家と言われる人たちの想像力の豊かさに驚かされました。

この作家の作品は本書が最初なので、他にはどのような作品を書いているのかという興味があります。早速読みましょう。

長岡 弘樹 赤い刻印


傍聞き」で日本推理作家協会賞短編部門を受賞した長岡弘樹の短編集です。惹句には「長岡ミステリー史上、最も巧緻な伏線と仕掛け」とありました。しかし、私の読み方に問題あるのかもしれませんが、面白く読みはしたのですが、そこまで言うほどとは思えませんでした。


「赤い刻印」
「傍聞き」に登場した羽角啓子、菜月親子が登場します。啓子から思いもかけず、お祖母ちゃんは生きている、と聞かされた菜月は、祖母チサのいる老人ホームに行くが、冷たくありらわれてしまう。しかし、時を経るにつれ心が通い、思いもかけない事実が浮かび上がってくる。

「秘薬」
K女子大医学生の水原千尋は、記憶障害を患い、記憶が一日しかもたなくなってしまった。千尋の担当である教授の久我良純は、千尋に一日の記録としての日記をつけるように言う。だが、いつの間にかバインダー式の日記の頁が入れ替わっていた。

「サンクスレター」
息子が自殺した原因を調べるよう要求する父親葛城克典は、授業中の教室に押し入り、直接子供たちを問い詰めようとするのだった。担任である城戸万友美は、葛城に対しある言葉を言う。

「手に手を」
認知症の母鈴子と、精神に障害のある弟の久登の面倒を見て婚期を逃してしまった和佳は、歩道橋で突然誰かに触られたり、風呂場の手すりが外れていたりと、立て続けに細かな、しかし不思議な事件に遭うのだった。

私には、この四編の物語の中では「赤い刻印」が一番読みやすく、また分かりやすい物語でした。しかし、ネットで読んだ書評を見ると「サンクスレター」の完成度を高く評価してあります。

しかしながら、「サンクスレター」は、確かに仕掛けがうまいとは思うのですが、教室内での担任教師万友美と葛城とのやり取りに現実感を感じられませんでした。教室の中でパソコンで侵入者である葛城にメールを打つという行為はいかにも現実感がありません。普通はそれだけの余裕があれば外部に助けを求めると思えるのです。その点を除けば意外性や落ち着きどころなどは上手いと認めざるを得ないとは思います。

どの物語も、細かなところまで気をつけて読んでいないと伏線を伏線と気付かないほどに緻密に組み立てられています。それでいて、親子や家族、そして師弟間など、情感豊かな人間模様を描き出すのです。そうした仕掛けを見ると「最も巧緻な伏線と仕掛け」という惹句の文句も、売らんがための大げさな言葉とまでは言えないと思う作品集ではありました。

あさの あつこ 燦 6 花の刃


燦シリーズの第六弾です。

領民のためにも田鶴藩を立て直そうとする圭樹は、いよいよ田鶴へと帰国することになった。田鶴藩立て直しのためには、国元の田鶴藩筆頭家老である伊月の父吉倉伊左衛門と江戸藩邸にいる田鶴藩年寄の山内兵庫之助のような重鎮のみならず、伊月や燦ら若者の力をも必要だとする圭樹だった。

いよいよ圭樹の入部、帰国の運びになります。この巻は、圭樹が帰国するまでのいきさつが語られ、圭樹の国造りの思惑も明らかにされます。

加えて、前巻から少しずつ描かれていた静門院の過去がより明らかとなり、お吉との触れ合いもあって、お吉ともども、より物語に深くかかわってくるのです。

それと共に、伊月の父親の貌も見え始め、圭樹の真実をも含め、物語の真の姿が露わになりそうな巻でした。巻を重ねるごとに伝奇小説的興味が増し、物語としての面白さも倍増しているような気がします。

この作家はストーリーテラーとしてもかなりの力を持っていそうな気がしています。

あさの あつこ 燦 5 氷の刃


燦シリーズの第五弾です。

静門院のもとを訪れた伊月は、その帰り道で資格に襲われ、危ないところを燦に助けられるが、飲まされていた薬のために精子の境をさまよう羽目に陥ってしまう。その事実を燦から知らされた静門院は、すべての事実を知りたいと燦に持ち掛けるのだった。

圭寿と伊月、そして燦を巡る動きは、行きつくところ田鶴藩のお家騒動へと結びついていく様相を見せ始めます。伊月の周りでお家騒動に巻き込まれ、生き方をも左右される多くの人たちの姿が、情感豊かに描かれていきます、

燦たちに敵対する闇神波の動きさえもお家騒動の動きの一つであるかもしれないという事態に、圭寿らはどのように対処していくのか。

痛快時代小説の醍醐味が満喫できるシリーズへと成長しているようです。

辻堂 魁 遠雷 風の市兵衛


風の市兵衛シリーズ第十一弾です。

元京都町奉行・垣谷貢の息子が誘拐された。市兵衛は、京時代からの仲間でもある矢藤太の頼みで、誘拐された幼子の探索を引き受けることになる。しかし、誘拐されたその幼子こそは京での市兵衛の初恋の人であるお吹の子でもあった。

やっと、と言っていいものか、まだ描かれていない市兵衛の過去での恋模様の一端が垣間見える物語でした。そして単にそのことのみならず、今回の物語での市兵衛の雇い主である元京都町奉行の垣谷貢と矢籐太との関係性や、お吹の父親と矢籐太と市兵衛との人間模様など、これまで記されてきた市兵衛の来歴に、京都時代での市兵衛の暮らしの一端が若干ですが加わっています。

これまでの物語でもそうだったように、このシリーズでは、市兵衛が仕えることになる雇い主と、その雇い主に害をなす敵役との関係性が、他の痛快小説とそれと比べても実に丁寧に描写してあります。だからこそ人気シリーズにもなっているのでしょうが、その状況設定についての説明のやり方にしても、説明的でないのです。

野口卓の『軍鶏侍シリーズ』でも思ったのですが、風景描写の美しさなどで構築されつつある文章の中に、説明のための説明文が入り込んでくるたびに物語の世界から読み手の現実に引き戻されてしまい、読み手のテンポが崩されてしまいます。

その点この物語では登場人物の会話なり、その場の舞台背景の描写なりの物語の流れの中にうまく織り込んでありますから、そのことは小説の読みやすさ、つまりは調子の良さに繋がってくると思われます。

また本書では、「遠雷」というタイトルにも使われている言葉が物語の流れの中で何箇所かで使われています。それはまるで「遠雷」という言葉に乗せてこの物語での遠い過去の日々を示しているようで、その点でも作者の上手さを感じさせるものでした。

辻堂 魁 乱雲の城 風の市兵衛


風の市兵衛シリーズ第十弾です。

伊勢七万石の譜代大名である門部伊賀守邦朝は、公儀奥祐筆組頭の越後織部の力を借りて老中職になるために各方面に働きかけてきたが、公儀十人目付筆頭の片岡信正の異議により、あと一歩というところでその望みは絶たれてしまう。それでも老中職を狙う門部伊賀守は越後織部と謀り、返弥陀之介を捕らえ、拷問により片岡信正の不正の証拠としようとするのだった。

今回の市兵衛は、いずこかに雇われてその雇い主のために働くというのではなく、市兵衛の兄やその妻佐波、親友の返弥陀之介の窮地を助けるために、今回の敵役である門部伊賀守と越後織部との密謀を暴くべく、北町同心の渋井鬼三次らの力を借りて奔走します。

こうなると「渡り用人」としてではなく、「風の剣」の使い手としての唐木市兵衛の話ですね。それでもなお唐木市兵衛の物語であって、敵役の裏の顔をどのようにして暴きたて、市兵衛の剣はどのように生かされるのか、が焦点になってきます。

本書での市兵衛の下の兄である重文や、姉である千恵との会話はシリーズで初めてではないかと思います。下の兄の存在はどこかで語られていたかとも思いますが、信正と佐波の祝言であるからこそ少しでありますが登場させたのでしょう。

また、新婚早々謀りごとに巻き来まれた佐波と佐波の父親である静観の行動も見ものです。これまでも少しずつ語られてきた片岡信正と佐波の馴れ初めも静観の口から語られたりと、このシリーズの奥行きがまた少し深くなったようにも思える物語でした。

辻堂 魁 春雷抄 風の市兵衛


風の市兵衛シリーズ第九弾です。

北町同心の渋井鬼三次は、老舗の酒問屋「白子屋」が密造酒を仕入れ不当に廉売しているとの話があり、隠密に調べるよう命じられた。一方唐木市兵衛は、飲み仲間の蘭医である柳井宗秀から、砂村新田名主の伝左衛門の依頼との断りで、代官所手代である清吉という男の捜索を頼まれる。調べが進むにつれ、渋井が調べている事件と市兵衛が依頼を受けた事件とが繋がりを見せてくるのだった。

今回の市兵衛は、「渡り用人」としての経済についての知識が若干ですが役に立つ仕事についています。それは人探しの結果として見つかった酒の密造の問題です。

そこには江戸経済の一環として新田の開発があり、そこから上がる年貢米の横領、つまりは川欠引という免租の仕組みや、どれだけの量の酒を造るかという酒造鑑札の仕組みも絡んでくるのです。

行きつくところ、金に目のくらんだ役人や商人の横暴のために代官所の手代である清吉という正直者が失踪し、残された妻と娘が行方不明になった夫であり父親を探そうとする物語です。

父親探しの手伝いとして正義の味方としての市兵衛が乗り出し、悪を懲らしめ、事件を見事解決して見せるという、勧善懲悪を貫く王道の物語であることになります。

痛快時代小説の醍醐味が満喫できる一冊でした。

あさの あつこ 燦 4 炎の刃


燦シリーズの第四弾です。

「闇神波は本気で我らを根絶やしにする気だ」。刺客、暗殺、陰謀。江戸で男が次々と闇から斬りつけられる中、燦はついに争う者たちの手触りを感じ始める。一方、伊月は藩の代替わりの準備に追われるが、圭寿の亡き兄が寵愛した美しき個室・静門院が面会を求めてきて…。少年たちが苦悩する、文庫オリジナルシリーズ第四弾。(「BOOK」データベースより)

どんどん伝奇小説の雰囲気が濃くなってきています。ただ、若干物語の展開が遅くなっているように感じますが、そのような印象はどこにも書いてないので私だけの印象でしょうし、この物語の面白さが無くなってきているわけでもありません。

それどころか、雑事に忙殺される伊月ですが、物語自体は、藩主長城守が死亡したり、圭寿の兄継寿の側室である静門院が伊月に働きかけてきたりと、更に謎は深まっているのです。

この物語もやっと半分まで来ました。残り半分でどのように展開するのか、楽しみです。

あさの あつこ 燦 3 土の刃


燦シリーズの第三弾です。

伊月が石崎文吾が殺されたとの知らせを受け検分のために外出していた折に、江戸の藩邸で圭寿が襲われる。しかし、最後だと覚悟を決めた圭寿の命を救ったのは燦だった。燦の助力で何とか命を長らえた圭寿だったが、今度は版元の「須賀屋」に自ら行きたいと言いだすのだった。

今回は圭寿自信がそれも藩邸内で賊に襲われます。

その後版元の「須賀屋」もこの物語で重要な位置を占めていることが明らかになったり、「闇神波」一族なる存在が明らかになったりと、どうにも伝奇小説的な色彩が強くなってきました。

物語として伝奇的な色彩を帯びてくること自体は個人的には嫌いではなく、話の広がり方次第では楽しみとも言えます。このまま既に借りている続巻を読むつもりです。

朝井 まかて 眩


様々な形で小説にも描かれてきた、それも北斎が描かれる際に、脇役として変わった女として描かれることの多かった娘栄(えい)。本書はその栄を主人公として、女絵師応為(画号)を活写した長編小説です。

偉大すぎる父・北斎、兄弟子・渓斎英泉への叶わぬ恋、北斎の名を利用し悪事を重ねる甥―人生にまつわる面倒ごとも、ひとたび筆を握れば全て消え去る。北斎の右腕として風景画から春画までをこなす一方、自分だけの光と色を終生追い続けた女絵師・応為。自問自答する二十代から、傑作「吉原格子先之図」に到る六十代までを、圧倒的リアリティで描き出す。(「BOOK」データベースより)

本書のお栄(応為)は、これまで描かれてきたどの作品よりも一番生きてると感じられ、本書帯の文句にあった「圧倒的リアリティ」という言葉に納得させられました。それは絵師としての応為であり、女としての栄の思いであり、更に北斎と小兎の娘の栄であって、時次郎の叔母としての栄でもあるのです。

浮世絵という世界に浸っている北斎と、同じくその世界であがいている応為の姿が、「絵(浮世絵)」というものの素人である私たち読者に分かりやすく描かれています。

彼女の悩みは、父親のような美しい、思いきった線を引けるようになることでもあるのでしょうが、何よりもこの世の真の色を絵の中に落とし込むことでもあります。全編を通して、応為はいつも色を作り出しています。それは、つまりは貝殻をすりつぶすなどの、絵の具を作りだす作業なのです。

こうした、「色」を作ろうとする応為の行為は、最終的には本書の装丁にも使われている「吉原格子先図」へと結びついていくのでしょう。この光を描く作業は「夜桜美人図」などにも見られるところであり、「東洋のレンブラント」などと称され、応為の再評価につながっているそうです。

一方、女としての応為が随所に顔を見せています。善次郎に寄せる秘めた想い。その想いが成就する場面は官能的です。ここでも「あたしはとうとう毒を食らうのだ。そう思うと、目眩がした。」と「眩」が出てきます。このあと大火などがあって、北斎の家にも寄り付かなくなった善次郎を思う場面で、「誰かと深くなれば、そのぶん遠ざかるものがある。あたしは何を失ったのだろうか。」と独白している応為の姿が印象的でした。

変人北斎のもと、口うるさい母親の小兎(こと)の小言を聞き流し、絵師として名を為していて、「いい女を抱くため」に頑張っているという善次郎こと渓斎英泉にいつしか心惹かれ、そして北斎一家に災難しかもたらさない甥っ子の時太郎に振り回されるしかない応為で、その姿は同じく淋しげです。

クライマックスで、吉原の夜景の美しさをいかに写すか呻吟する場面は圧巻で、そして「命が見せる束の間の賑わいをこそ、光と影に託すのだ。そう、眩々(くらくら)するほどの息吹を描く。」と決めるのです。ここでもタイトルの「眩」が貌を見せています。

まだこの物語の始めの頃、善次郎と共に女芸者である善次郎の妹たちの三味線、琴、胡弓の合奏の場面があります。彼女らの演奏の音を追いながら蝶が飛び立つ想を得るのです。この場面の直前に善次郎が妓楼の襖絵に描いた蝶の絵を思います。ここで大空へ飛び立つ蝶は、侍の身分から解き放たれ、自由を得た善次郎であり、一人の女にもとらわれない善次郎なのかもしれません。

この思いは、この物語の最後に、応為が「どこで生きても、あたしは絵師だ。」と踏み出す姿に重なりました。

最後に挙げられている参考文献は十九冊にもなっていました。緻密に調べられているこの物語は、朝井まかてという作家の上手さを思い知らされる物語でもありました。

原田 マハ カフーを待ちわびて


あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

昨年の熊本は大地震にに振り回された一年でしたが、本年は静かな、しかし明るい年であれと願いたいものです。

さて、本書は『暗幕のゲルニカ』で直木賞候補になった原田マハの小説家デビュー作品だそうで、第1回日本ラブストーリー大賞を受賞している長編恋愛小説です。

もし絵馬の言葉が本当なら、私をあなたのお嫁さんにしてください―。きっかけは絵馬に書いた願い事だった。「嫁に来ないか。」と書いた明青のもとに、神様が本当に花嫁をつれてきたのだ―。沖縄の小さな島でくりひろげられる、やさしくて、あたたかくて、ちょっぴりせつない恋の話。選考委員から「自然とやさしい気持ちになれる作品」と絶賛された第1回『日本ラブストーリー大賞』大賞受賞作品。(「BOOK」データベースより)

全338頁という文庫本を読んだのですが、一頁の行数が十四行と少なく、更に余白も広めにとってあるので、本の厚さに比べて文章の量は少なめで思ったより時間がかかりません、というのは文字の量という物理的な話で、何より、読みやすい文章です。

数年前に一度だけ我が家の家族旅行で行った沖縄の空気感は、湿度の高い九州の空気とは違ったものでした。行ったのが秋口だったので、暑い盛りの夏の沖縄の太陽は味わえませんでしたが、それでもなお九州とは違う晩夏の沖縄でした。

そんな、沖縄の雰囲気の端っこをかじっただけの私にもその時のことを思い出させるこの作品の文章は、さらに冒頭からのファンタジックな内容とも合わせて、ほのぼのとした佇まいで気楽に読み進めることが出来ました。

主人公の明青は、たまたま訪れた旅行先の神社で、戯れに「嫁に来い」と書いた絵馬を残します。ところが、その絵馬を見たという一人の「幸」という女性から「結婚してください。」との手紙が届くのです。幸が現れるまでの何かと心待ちにしている主人公明青の振舞いがほのぼのとしていて、とてものこと小説家デビュー作品などという印象は無く、本来、ラブストーリーは得意ではない私ですが、なかなかに惹きつけられるものがありました。

沖縄の、それも家から少し行けばそこには青い空と海、そして白い砂浜があるという絵にかいたような沖縄を舞台に、そのパラダイスを開発という名のもとに売らなければならない人たちを絡めて物語は進み、一方主人公の明青はミステリアスな美女に振りまわされます。

明青の家の裏に一人住む、島唯一人のユタであるおばあと共に、明青は幸との暮らしを続けていくのですが、この暮らしを維持する努力すら積極的にはしようとしない明青の態度はあいまいです。読んでいて、明青のあまりのあいまいさに、ファンタジーの側面がさらに膨らんできました。

また、「幸」というミステリアスな謎の美女の存在は、いかに小説だとしてもちょっと無理がありはしないかとも思っていたのですが、最終的には、あり得ない話だからこそファンタジーなのであり、心温まる物語として成立したのかもしれないと思うようになってしまいました。

人間、たまにはこうしたラブストーリーもいいものです。

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このブログの本棟として本の紹介のサイトを開いています。
(こちらです⇒読んだ屋
本ブログを別棟として位置付けて、読んだ本を記録していこうと思い立ちました。ここでの文章を母屋であるそのサイトに転記していくつもりです。

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