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葉室 麟 潮鳴り


襤褸蔵とまで呼ばれるほどに堕ちた一人の男の再生の姿を描いた長編時代小説で、葉室麟が直木賞を受賞した『蜩の記』と同じ羽根藩を舞台にした、羽根藩シリーズの第二弾です。

俊英と謳われた豊後羽根藩の伊吹櫂蔵は、役目をしくじりお役御免、いまや“襤褸蔵”と呼ばれる無頼暮らし。ある日、家督を譲った弟が切腹。遺書から借銀を巡る藩の裏切りが原因と知る。弟を救えなかった櫂蔵は、死の際まで己を苛む。直後、なぜか藩から出仕を促された櫂蔵は、弟の無念を晴らすべく城に上がるが…。“再起”を描く、『蜩ノ記』に続く羽根藩シリーズ第二弾!(「BOOK」データベースより)

一編の時代小説として、面白くないことはない、というほどの物語でした。というのも、あの『蜩の記』の続編という期待を持って読んだため、私の中でハードルが最高に上がっていたからそう感じたと思われます。しかし、そうした高いハードルではなかったとしても、多分高得点はつかなかった物語だったと思います。

伊吹櫂蔵という文武に秀でた男が、ある失敗のためにお役御免となり、酒におぼれる日々となります。代わりに家督を継いだ義弟が出世の道をひた走っていると思っていたところ、腹を切ったという知らせが届くのです。残された遺書により、義弟の死に隠された真実を知った伊吹は、再度仕官の機会を得たことから義弟の死に隠された秘密を明らかにするのですが、その設定自体が安易さしか感じませんでした。

つまり、後にその経歴が生きてくる、江戸の呉服問屋三井越後屋の大番頭であったという過去を持つ咲庵(しょあん)という俳諧師と偶然にも酒の仲間になっていたり、彼ら二人が会う飲み屋の女のお芳が、敵役の井形清四郎から捨てられた女であったことなど、偶然が重なり過ぎて舞台設定が安易に思えるのです。

また、物語の必然として、伊吹櫂蔵は恥辱に耐え抜き、再仕官の話をきっかけに再起を図るのですが、その際の話の進み方も都合が良すぎるとしか思えませんでした。

勿論、葉室麟の作品ですから一応の物語として仕上がっていると思います。しかしながら、『蜩の記』と比べても仕方がないことだとは思いますが、『蜩の記』のときの清廉なまでの、張りつめた緊張感を持った文章の美しさ、心打たれる情景の描写など、本書ではほとんどみられません。通常の痛快エンターテインメント小説と同列であり、物語に高潔は侍のあり方を見つめる趣きなど求めてはいけないのだと言わんばかりです。

ただひたすらに残念な物語でした。

巻末に、解説文を朝井まかて氏が書いておられます。「再生の物語にして青春の文学」と題されたこの一文は、本書を「他者の失われた人生を取り戻す『再生の物語』であり『青春の文学』」だと評しておられます。また、「そして羽根藩の海沿いの風景、山々、季節の巡りの描写が、物語のリアリティを深める。そこに吹く風が見え、寄せては返す波音、人生の潮鳴りが聞こえる。」とも書かれています。この評価には首をかしげざるを得ません。

このシリーズにはまだ続編があるそうです。葉室麟という作者の力量はこんなものではない筈だという期待から続いて読みたいと思います。

三上 延 ビブリア古書堂の事件手帖


この作者は本が好きな方なのだろう、そう思わせてくれる、四編からなる連作短編集、ではあるのですが、一編の長編推理小説と言ってもよさそうな物語でした。

鎌倉の片隅でひっそりと営業をしている古本屋「ビブリア古書堂」。そこの店主は古本屋のイメージに合わない若くきれいな女性だ。残念なのは、初対面の人間とは口もきけない人見知り。接客業を営む者として心配になる女性だった。だが、古書の知識は並大低ではない。人に対してと真逆に、本には人一倍の情熱を燃やす彼女のもとには、いわくつきの古書が持ち込まれることも、彼女は古書にまつわる謎と秘密を、まるで見てきたかのように解き明かしていく。これは“古書と秘密”の物語。 (「BOOK」データベースより)

本書は、主人公である五浦大輔という大学を卒業したての男と、北鎌倉にある「ビブリア古書堂」という古書店の主である篠川栞子とを中心に、栞子の妹の文香、そしてせどり屋の志田を始めとするビブリア古書堂の常連たちを巻き込んで繰り広げられる軽いミステリーです。

軽いミステリーとは書きましたが、読みやすいという程度の意味であって、ミステリーとして軽薄ということではありません。

ミステリー作品は論理を追いかけない読み方しかしない、というかできず、そこで展開される人間模様にこそ惹かれた読み方しかできない私です。その点、本書はユーモアを交えた文章も実にかろやかで読みやすく、登場人物たちの性格設定も良く練られていると感じました。

主人公の一人である五浦大輔は本は好きなのですが、「読む」ということができません。その理由には若干の疑問はあるものの、その設定が大輔と篠川栞子さんとの仲を取り持つのですから、まあ目くじらを立てるほどでもないでしょう。

それより、篠川栞子さんが美人であることや人見知りであることもさることながら、彼女の古書に関する知識の深さに驚かされます。それはとりもなおさず作者の知識の深さであり、エンターテインメント小説に限られる私の読書量など何ほどのものか、と思わせられる知識量です。

この読書量、知識があって初めて、本書の行間に漂う本に対する愛情がにじみ出てくるのだと思われます。

そして、その知識を前提として、各短編ごとに特定の書籍に関連した事件が起き、その事件に絡む謎を解いていくという構成になっています。各話で紹介される書籍は、私はまず読んだことのない作品ばかりです。第二話に出てくる小山清という人は初めて知りましたし、第三話のヴィノグラードフ・クジミンにしても同様です。第一話の漱石や第四話の太宰治という名前は知っていますが『漱石全集・新書版』も、『晩年』という作品も読んだことはありません。

本書の古書店という設定からしても本をが好きであること、大切にしていることはよく分かります。活字中毒ではあってもあまり本を大切にしているとは言い難い私でさえ、やはり本を足下にしたり、捨てたりは出来ないものです。

アスキーメディアワークスという出版社から出されているこの作品は、いわゆるライトノベルというジャンルに分類される作品でしょう。だからでしょうか、大輔の一人称で語られる本書の文章は、人物の心象を示す背景描写もなく、心裡を掘り下げることもありません。交わされる会話文も軽いのです。

でも、改行が多用され、テンポが良い分読みやすいのです。それでも、対象となっている本自体や内容にまで踏み込んでいるからなのか、物語が上っ面をなぞっているという印象はありません。それどころか、しっとりと落ち着いたたたずまいすら感じます。それこそ古書店の、古い本の匂いの漂う雰囲気というのは言いすぎでしょうか。

提示される謎はそう重いものではなく、大輔と栞子さんとの掛け合いも気持ち良く読むことができ、本書がベストセラーになるのもよく分かります。

本書を第一巻とするシリーズは全部で七巻になるそうです。気楽に読める作品として、今後も読んでみたいと思います。

今野 敏 マインド


警視庁捜査一課に属する碓氷警部補を主人公とする長編警察小説で、碓氷弘一シリーズの六冊目です。

同日の同一時刻に二件の殺人と二件の自殺という事件が起きる。だが、「刑事は偶然という言葉を嫌う」のだ。警視庁の田端捜査一課長もそうで、「同じ時刻に、四人の人間が死んだってことに、俺はどうもひっかかるんだ」という田端捜査一課長の言葉に、碓氷警部補の属する捜査第五係が捜査を開始することになった。

警察官であれば誰しも気になる「偶然」という言葉。同一時刻に四件の人死にが起きることの不自然さに、念のために捜査を開始する第五係です。

二件の殺人事件の被疑者に直接会ってみると殺したことを覚えていないと言い、どうも嘘をついているようには思えません。そこに藤森紗英もこの事件に関心があるとの話がもたらされます。同じ時刻に強姦未遂が二件、盗撮事件が一件起きているというのです。

この藤森の捜査への参加で話は一気に心理学の分野へと移行します。つまりは、藤森の心理学的見地からの意見が重要性を帯びてきて通常の警察小説とはその趣を異にすることになるのです。

本書を読んでいて、近頃の今野敏の小説にたまに見られることですが、会話文が多くなり、加えて情景描写があまり無いためか、何となく一場面ものの舞台上での役者の演技を見ているような印象を覚えることがあります。刑事達の多くの場面での聞き込みなど、場面の切り替わりの印象が薄くなり、登場人物たちの静的な印象だけが強くなるのです。

本書などまさにそうで、藤森の心理学的な説明に碓井を始めとする捜査員たちが聞き入り、人の動きを感じにくくなるのです。つまりは舞台上での会話劇さながらの印象を受けることになります。

勿論、今野作品の面白さはそれなりに持っているので面白くないなどと言うつもりはないのですが、『隠蔽捜査』などのような、警察官の動きと、心情とを緻密に読ませる作品とは微妙に印象が異なってくるのです。

四件の事案に何の関連性も見つからないなか、あるクリニックとの関連性が浮かび上がり、事件は一気に動き始めます。そこらあたりからは捜査員の動きも感じられるようにはなってきます。しかし、やはり藤森中心で動くことに変わりはなく、碓氷警部補の存在感も今ひとつです。そういう意味では、主人公の碓井警部補が一歩引いた物語だと言えるかもしれません。

ちなみに、警察庁の心理捜査官、藤森紗英は、シリーズ4冊目『エチュード』で登場している人物でもあり、その時も碓井警部補と組んでいます。

藤沢 周平 霧の果て


「針の光」「虚ろな家」「春の闇」「酔いどれ死体」「青い卵」「日照雨」「出合茶屋」「霧の果て」の八編から成る短編時代小説集です。

北の定町廻り同心・神谷玄次郎は14年前に母と妹を無残に殺されて以来、心に闇を抱えている。仕事を怠けては馴染みの小料理屋に入り浸る自堕落ぶりで、評判も芳しくない。だが事件の解決には鋭い勘と抜群の推理力を発揮するのだった。そんなある日、川に女の死体が浮かぶ―。人間味あふれる傑作連作短篇集。 (「BOOK」データベースより)

久しぶりに読んだ藤沢周平作品でした。藤沢周平作品に同心が主人公の捕物帳という形態の作品は他にあったかどうか。多分この作品以外には無いと思うのだけれど、間違っていたらごめんなさい。

主人公は北町奉行所の定町廻り同心で、怠け者として通っている神谷玄次郎という男です。普段はお津世という女将のやっている蔵前の小料理屋「よし野」の二階でぶらぶらとしています。

本書冒頭に、神谷玄次郎とお津世との、ほんのりとした色気があって、そして微笑ましいやり取りがあります。そこに玄次郎配下の岡っ引きである銀蔵が殺しの知らせを持って呼び出しにくるのです。

この冒頭の数ページで、本書の主な登場人物である三人を紹介し、なお且つ三人それぞれの人となりをそれとなく読者に分からせてくれているのですが、その文章の運びはさすがに藤沢周平だというところでしょうか。

神谷玄次郎には母と妹を惨殺されたという過去があります。その事件は何故か途中で打ち切られ、犯人も不明のままなのです。この母親と妹を殺した犯人探しという大きな謎を持っている主人公ではありますが、この謎は個別の話にはまず関わってきません。個々の話は別個の独立した話としてあります

各短編は一応独立した話としてあるのですが、各話の捕物帳としての面白さにも今ひとつの切れが感じられません。更には、どうもいつもの藤沢周平作品らしさを感じられません。ぶっきらぼうな主人公の探索の様子や手下である銀蔵とのやり取りなど、藤沢周平らしさが垣間見える個所ももちろんあるのですが、全体として、藤沢作品としてのしっとりとした佇まいが感じられないのです。

それは、藤沢周平の文章の特徴の一つだと感じている、人物の心象をも表現する穏やかな情景描写が無いことや、登場人物の心情に対するもう一歩の踏み込みがないと感じる描き方にあるのではないかと、読後に思いました。

好みの問題だと言われればそれまでのことではあるのですが、藤沢作品には、身勝手な読者の要求を軽くこなすだけの広さ、奥行きがあると常々思っているため、かなり高い水準での要求があることは事実です。でも、その期待に応えてくれていたのもまた藤沢作品なのです。

冲方丁 十二人の死にたい子どもたち


冲方丁初の本格派の長編推理小説で、第156回直木賞の候補作になっている作品です。

廃業し別のものに作り替えられることになっている病院に、十二人の子供たちが集まってきた。ネット上で知り合った彼等は、安楽死をするために集まったのだが、安楽死の予定の場所には既に一人の少年の死体が横たわっていた。十二人の少年少女たちは。このまま安楽死を続行し続けるべきかどうか、全員で話し合うことにした。

言うまでもなく、本書はアメリカ映画の名作であり、密室劇の金字塔として名高い『十二人の怒れる男』をモチーフに書かれた作品でしょう。この映画は、ある殺人罪の裁判で、絶対的に有罪だと思われていたにもかかわらず、一人の陪審員の無罪の主張により、次第に他の陪審員が意見を翻していく様子を描くものでした。

本書もその例にならい、一人の少年が、皆が横たわるべきベッドの一つに先に横たわり死んでいるという異常な状況のままに、皆で自殺することはできないとの意見を主張。そのうちに一人ずつ意見を変えていく様子を描いています。

十二人の子供たちは、ときには探偵役が入れ替わりながら、それぞれの行動を丁寧に追いかけて病院内で起きている数々の異常な状況という謎を一個ずつ解き明かしていくのです。しかし、それはまさに私に苦手とする、きちんと積み上げられた論理をもって構築されていく謎の解明ということなのです。

十人の子供たちがそれぞれに自殺すべき理由をもっており、それは他者から見れば死ぬようなことでは無かったりもしますが、読者はまずは自殺願望の子供たちが集まっているという状況を受け入れる必要があります。その上で、少年少女たちのロジックを駆使した討論の様子を読み進めることができるのです。そして、この点が私が気になる点でした。

十二人の討論という点で、映画『十二人の怒れる男』では、自らの評決が犯人と目される少年の命を奪うことになりかねないという状況があり、有罪の評決を下すために討論をするということは至極当然です。

しかし、本書の場合討論する前提がありません。十二人の少年少女たちは集団自殺をするために集まっているのであり、そこでの集団自殺をそのまま続行するか否かという討論は必然とは言えません。

勿論、作者は彼らの討論すべきという理由を用意していて、その流れで話は進むのですが、物語を違和感なく成立させるだけの理由かと言えば個人的にはあまり納得はできなかったのです。

映画版との差で言えば、いわば「一場面もの」である『十二人の怒れる男』に対し、本書の舞台は地下一階、地上四階建ての病院として使用されていたビルであり、その点でも異なります。ただ、外界から断絶された、限定されたビル内の出来事という意味ではいわゆる「クローズド・サークル」と言えなくもないでしょうか。

物語としては個人の好みを抜きにして言えば「良くできている」というところでしょうか。さすがに第156回直木賞候補作となっている作品だと思います。

ただ、残念なのは私個人の好みとは若干ずれがあるということだけです。それでも、あまり苦労と感じずに最後まで読みとおしたので、こうした本格派のミステリーの中では読みやすかったのだと思います。

村山 早紀 桜風堂ものがたり


本書は、本が好きな人のために書かれたような、書店員が主人公の長編小説で、2017年の本屋大賞ノミネート作品です。

万引き事件がきっかけで、長年勤めた書店を辞めることになった青年。しかしある町で訪れた書店で、彼に思いがけない出会いが…。田舎町の書店の心温まる奇跡。(「BOOK」データベースより)

読み始めてすぐに、夏川草介の『神様のカルテ』を思い出してしまいました。それほどに文章のタッチが似ているのです。主人公は、特別漱石にかぶれているわけでも、古風な口調でもありません。しかし、その描写される優しげな人柄なのか(もしかしたらそのネーミングのせいか)、私のイメージはすぐに栗原一止に結びつきました。

本書の主人公月原一整は、人付き合いの下手な、しかし本が好きで「新刊はもとより、既刊からも売れる本を見つけ出」す名人であり、店長の柳田からは「宝探しの月原」と呼ばれるほどの人です。

この一整が、彼の勤務する銀河堂書店での万引き事件に絡み、ネットを中心とする心ない中傷などのために銀河堂書店をやめざるを得なくなってしまいます。その時に救いの手を差し伸べてくれたのが、一整がかねてからブログを中心に交流のあった桜野町の桜風堂という書店の店主だったのです。

こうして一整の新たな生活が始まるのですが、この物語には一整が勤めることになる桜風堂書店の物語とは別に、「4月の魚」という本の話が語られています。一整が銀河堂書店をやめる前に出会い、この本は売れる、売らなければならないと感じた本。この本が書店員たちの努力によって、世の中に知られていくようになる話です。

本がどのように売られているのかの仕組みについて、書店員の書棚の整理や手作りのPOP(ポップ:購買意欲を高めるための広告手段)の作成などを通じてお客の目にどのように情報を届けるのかなどの情報も語られています。

本書で一整が書店をやめざるを得なくなった原因でもある、書店での「万引き」事件については、これまでもいろいろな場所で見聞きしてきました。基本的に薄利である書店の本を盗む行為がどのような意味を持っているのか、物語としては、有川浩氏の『三匹のおっさん』の中でも触れられていました。そこでは被害書店の店主の言葉を借りて、具体的な数値を挙げた被害状況の説明があり、それは説得力のあるものでした。

本書での万引きについての文章も、それに劣らないものがあります。万引きという行為の、単なる卑劣な行為というにとどまらない実態を知らしめてくれるものだと思います。

この「万引き」についての描写もそうですが、なによりも、本書は、本が好きだというその心が読者に響くものでした。

勿論、物語の流れの中で「偶然」による人物のつながりが見えるところなど、不満点ももちろんあります。しかし、この小説の持つ物語の暖かさは、そうした私の不満をも軽く越えてしまっていました。

その点でも本書はある種のファンタジーとも言える物語です。それは著者も言うように、現実にはあり得ない物語、という意味でもそうですが、個人的には、「本」が好きな人のその思いが如実に表れた物語という意味でそうなのです。

有川 浩 塩の街


有川浩のデビュー作であり、自衛隊三部作の第一作でもある、SFともファンタジーともつかない長編です。

ある日突然空から巨大な白い隕石らしき物体が降ってきて、人間の塩化がはじまった。人間の塩化と隕石との因果関係も分からず、治療方法も不明のまま塩害と名付けられた人間の塩化は現在も進んでおり、関東の人口は三分の一にまでなってしまっていた。高校生の小笠原真奈は、暴漢に襲われていたところを秋庭高範という元自衛官に助けられ、彼の庇護のもとで生活していたが、猫、犬を拾ってきた末に拾ってきたのは人間だった。

隕石を原因として人間がその形のまま塩の彫刻と化してしまう、という設定は、怪獣の発する光線を浴びて人間が炭化するというB級映画に出てくる構造と何ら変わりのないものです。それでいて、単なる塩化という現象とすることで、派手なアクションはないままに、怪獣の恐怖は存在するのです。いい大人と少女との恋模様を静かに描き出すことができるうまい設定だと思います。

この作品がデビュー作だはとても信じられないくらいに、有川浩という作家の基本的な文章のリズムが既にできていると感じる作品でした。本書は、秋庭高範という元自衛官と真奈という少女との年齢差を越えた恋愛感情を軸に描かれている物語で、三部作の中では一番恋愛要素が強い作品でしょう。

反面、自衛隊三部作とは言っても、本書では自衛隊そのものの描写はそれほどはありません。秋葉元二尉という男とその友人である入江という基地司令を名乗る男は、このあと有川作品に出てくる男らの基本形のようでもあります。この二人を中心に「世界を救う」ために行動を起こすのですが、そのへんはあまり詳しい書き込みはありません。

なにせデビュー作です。人物の書込みの薄さや舞台設定の甘さなどは否定はできません。しかし、それを無視して楽しめる作品でもあります。でも、ライトノベル的な恋愛物語の甘さが苦手な人は敬遠した方が良いのかもしれません。とはいえ、気楽に軽い気持ちで読める作品なので、そう身構えることもないと思える作品です。

大人にもライトノベルが欲しいと思って作家になった(「あとがき」より)、という有川浩という作者ですが、その思いは十分にかなっていると思います。

文庫本(角川版)で444頁という本書ですが、本編は中ほど250頁ほどで終わり、あとは「塩の街、その後」として「-debriefing- 旅のはじまり」「-briefing- 世界が変わる前と後」「-debriefing- 浅き夢みし」「-debriefing- 旅の終わり」の四編の短編が収められています。

主に「塩の街」本編のその後について書かれている作品群です。これらの作品も併せて「塩の街」と言っていいのでしょう。

夢枕 獏 ヤマンタカ 大菩薩峠血風録


久しぶりの夢枕獏の作品を読みました。この作家には珍しく剣豪小説です。それも、時代小説の中でも異彩をはなつ中里介山著の『大菩薩峠』を再構成し、机竜之介と新選組の土方歳三を絡ませた物語です。

四年に一度開かれる御岳の社での奉納試合。「音無しの構え」で知られる剣客・机竜之助や甲源一刀流の師範・宇津木文之丞ら、実力者たちが御岳山に集う。土方歳三はこれに出場するため天然理心流に入門し、自分の強さを見極めようとする。真剣で生命を賭ける男たち。彼らは善も悪もない、ヤマンタカ(閻魔大王をも殺す最凶の菩薩)の世界を生きている―。死闘のゆくえは。そして、互いの因縁が明らかになったとき、彼らがたどる数奇な運命とは…。(「BOOK」データベースより)

夢枕獏の時代小説としては『陰陽師シリーズ』を別とすれば『大帝の剣』しか思い浮かびませんでしたが、ちょっと調べてみると『大江戸釣客伝』など結構ありました。他にも短編小説にもあるかもしれませんし、『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』などの空海を描いた作品も時代小説と分類されるのでしょう。

しかし、いわゆる「侍」の物語として見るとき、『大帝の剣』の他には本書『ヤマンタカ』しかないような気がします。これも、近年の夢枕獏作品はあまり読んでいないので私が知らないだけなのかもしれません。

ところで本書ですが、中里介山が著わした全41巻もある未完の大河小説『大菩薩峠』の、その第一巻目で描かれている御嶽神社の奉納試合までを、夢枕獏式に再構築してより活劇小説としての面白さを増幅させた物語です。

その作品を『餓狼伝シリーズ』や『サイコダイバー・シリーズ』などの夢枕獏が描きなおすのですから期待は高まります。もともと『大菩薩峠』に新選組が絡んでくることも知らなかったのですが、本書では、もともと脇役でしかなかった土方歳三をメインに、巽十三郎という多分ですが新キャラクターと思われる人物を加え、本来のキャストである机龍之介と宇津木文之丞との奉納試合までの関係を描きます。

そこに、やはり『大菩薩峠』本来の登場人物である七兵衛という盗賊や、色気担当のお浜という女、それに近藤勇や沖田総司などの新選組のおなじみのメンツまで絡み一大アクション小説が展開するのです。

ですが、描くのが夢枕獏という実に個性のはっきりとした作者の作品ですから、いわゆる剣豪ものの時代小説とは異なります。これまでの夢枕獏の『餓狼伝』や『獅子の門』という格闘技ものの延長上にある作品として仕上がっています。つまりは、夢枕獏の描く剣戟の場面が、これまでの彼が描いてきた肉体の衝突である格闘場面の延長上にあるのです。

確かに、机龍之介の秘剣である「音なしの構え」についての新解釈など、独特の解釈はあります。ですが、御嶽神社での奉納試合を待つまでもなく、奉納試合に至る前に描かれる個々の立ち合いの場面など、結局はサイコダイバーの九門鳳介や餓狼伝の丹波文七などの闘いを見ているようでもあるのです。

そういえば、机龍之介をも含めた本書の登場人物は、『サイコダイバー・シリーズ』や『餓狼伝シリーズ』の登場人物にあてはめてみることもそう難しいことではない気もします。それほどに夢枕獏の物語なのです。

ちなみに本書の書名になっている「ヤマンタカ」とは、チベットでは文殊菩薩の化身のことを言うとされ、本来は仏教の憤怒尊のことを言うと、本書の冒頭に書いてありました。

梶尾 真治 杏奈は春待岬に


いかにも梶尾真治らしい、変形のタイムトラベルものの恋愛小説でした。

主人公の少年白瀬健志は、十歳の春休みを利用して天草で銃砲店を営む祖父母のもとへ行き、春待岬という名の、春になると見事な桜が咲くという岬の先端にある洋館で見かけた、「あんな」と呼ばれている美しい少女に恋をしてしまう。それから健志は毎年春になると天草の祖父母のもとへ行くことが楽しみになり、ある年ついにその洋館に入ることになるのだった。

梶尾真治という作家は1971年にSFマガジン誌上で作家デビューしています。その時の作品が『美亜へ贈る真珠』という短編なのですが、この作品が異なる時間軸にいる恋人同士のロマンチシズム溢れる物語でした。本書はその作品の現代版とも言うべき物語となっています。

主人公の少年白瀬健志は天草の西北端にある春待岬の洋館で杏奈という少女と出会いますが、この少女は春先の数日間しか現れない、つまりはその数日間だけの存在だったのです。杏奈が不在の間は、彼女にとっては連続した日々であっても、健志少年にとっては一年が経過しているのです。

異なる時間軸にいる男女の物語というプロットはまさに『美亜へ贈る真珠』のそれです。『美亜へ贈る真珠』の場合は流れる時間の速度が異なりますが、本書の場合は共有できる時間が一年に数日しかないという設定です。

健志少年は純粋に恋心を抱き、彼の人生をただ杏奈のためにだけ生きようと決意し、実行します。彼の人生には勿論他の女性も現れるでしょうし、実際、彼の人生に大きくかかわってくる青井梓という女の子も現れるのです。

カジシンの小説では、純粋な少年は本当に純粋無垢であり、その意思の強さはまた無類です。他には目もくれず健志少年はひたすら杏奈だけを思い、そして杏奈を残して自分一人年老いていくことになります。

本書には他に重要な登場人物として杏奈の兄と、健志を春待ち岬の洋館に連れて行ってくれたカズヨシ兄ちゃんという存在がいます。共に、この物語全般にかかわってくるのですが、青井梓も含めて、すべては健志少年のためだけの存在でしかありません。

この物語は、結末が決して納得のいくものではなく、梶尾真治であればもう少し他の書き方、まとめ方もあったのではないかという印象はあります。でも、梶尾真治ひさびさの時間ものは若干肩すかし気味ではありましたが、やはり面白いエンターテインメント小説を書く作家さんだと思いました。

中山 七里 いつまでもショパン


岬洋介シリーズの第三弾です。今回はショパンコンクールの行われるポーランドのワルシャワが舞台の物語です。

2010年10月2日午前10時に国際ショパンコンクールの一次予選一日目がワルシャワ・フィルハーモニー・ホールで始まった。ただ、今年のコンクールは、4月の大統領専用機の墜落事故に続いて、5月の旧市街市場広場での爆弾事件、次いで7月の聖ヤン大聖堂のパイプオルガンに仕掛けられた爆弾事件とテロ行為が続く中で強行されたコンクールだった。そして、10月7日の一次予選最終日に事件は起きた。テロ特別対策本部所属の刑事であるスタニフワフ・ピオトル刑事が10本の全部の指が第二関節から切り取られるという状態で見つかったのだった。

本作品は、これまでの二作品とは異なり、ショパンコンクールという限定された期間の出来事が記されています。

ポーランドという国が、ロシアやプロイセン、オーストリアといった近隣の大国に呑みこまれながらも自国の独立を勝ち取ってきた歴史があり、ロシアによるワルシャワ侵攻に際して「革命のエチュード」などを書いたショパンという人物を産んだ国だからでしょうか、コンクール期間中のテロという卑劣な行為に対する抗議の意味も込めてコンクールの続行を決めます。

そうした中、コンクールへの参加者たちは平常心での演奏をしなければならないのですが、なかなか困難なことでした。そんな中、日本人参加者である榊場隆平と、そして岬洋介は大喝さいを受けるのです。

本書の主人公はヤン・ステファンスというワルシャワの少年で、彼の家系はショパンコンクールの準優勝者を出してきた家系です。彼にとって、コンクールでの優勝は至上命題でしたが、榊場隆平や岬洋介の演奏を聞くにつけ、自分の力量を思い知らされるのでした。

この主人公ヤン・ステファンスの視点で本書は進行していきますが、父親の言う「ポーランドのショパン」への疑問が頭をもたげ苦悩する様が描かれます。ここらは私たち素人にはよく分からないところですが、そうしたピアニストたちの音楽に対する感覚までをもこの作者は示してくれています。

ピアニストという人種を知らず、想像すらできない私にとって、ショパンコンクールがどのような意味を持つのかは分かりません。しかし、本書を読む限りはその心境がほんの少しですが理解できるような気がしてきました。そして、ショパンという作曲家についてのポーランドの人たちの思い入れや、ショパンという作曲家のクラシック界での特別な位置づけについてもほんの少しですが分かったような気もします。

ただ、本書を小説として評価すると、これまでの二冊に比べると面白さにおいては劣っていると感じました。あまりにも演奏者の演奏、楽曲の解釈についての描写が多すぎるのです。

更に言えば、クライマックスで描写される岬洋介の演奏の影響、効果についての描写は過剰すぎるのではないかと思われます。いくらなんでもという気しかしないのです。

とはいえ、決して小さくは無いと感じたマイナス評価はあっても、やはりこのシリーズのそれなりの面白さはありました。まだ続編があるようなので、続けて読んでみたいと思っています。

辻堂 魁 うつけ者の値打ち 風の市兵衛


風の市兵衛シリーズ第十五弾です。

算盤侍唐木市兵衛を、北町同心の渋井鬼三次が手下とともに訪ねてきた。岡場所を巡る諍いを仲裁してくれという。見世に出向いた市兵衛の交渉はこじれ、用心棒の藪下三十郎と刃を交えるが、互いの剣に魅かれたふたりは親交を深めていく。三十郎は愚直に家族を守る男だった。だが、愚直ゆえに過去の罪を一人で背負い込んでいる姿を、市兵衛は心配し…。 (「BOOK」データベースより)

前作の『秋しぐれ』は、どこか講談話の趣きを持った物語でしたが、本書もまた講談話の香りを濃密に持っています。

話の中心となる藪下三十郎は家族のためにと一人出奔するのですが、それは彼一人に罪をなすりつけ、自分たちは素知らぬふりでいようとする悪い上司たちの思惑通りの振舞いにほかなりませんでした、という、如何にもよくあるあらすじです。

しかしながら、ありふれた筋立てであるはずの物語が、細かな状況設定や人情豊かに描かれる描写で、ありふれた物語以上の情感に満ちた人情ものに仕上がるのですから、この作者の筆力には恐れ入るばかりです。

若干、市兵衛の剣の冴えが光るほどに、あまりにスーパーマンすぎるその強さが目立ち過ぎると思わないでもありませんが、そこは痛快時代小説の醍醐味として目をつむるべきところなのでしょう。

ともあれ、痛快時代小説の王道を行く、今のっている物語であることには間違いなく、続刊を待つばかりです。

ちなみに、本稿は私のミスで、前巻の内容を記した下書きのメモをそのまま再度記載しておりました。ここに訂正いたします。失礼しました。

高杉 良 勇気凛々


自転車の開発・輸入・販売を業務とする実在の株式会社ホダカの創業者武田光司の苦労を描く、実名小説です。

放送局に入社した武田光司は、型破りの伝説的な営業マンとして実績を上げた。だが、サラリーマン生活にあきたらず、友人の勧めで独立を果たし、自転車の輸入販売を始める。当初は失敗が続いて苦悩するが、持ち前の明るさと根性で踏ん張り、たび重なる困難を乗り越えていく。やがて販路として開拓したイトーヨーカ堂の信用を得て、その成長と共に事業を拡大、ベンチャー企業を見事に育て上げる。夢の実現に全力で立ち向かう男のロマンと、イトーヨーカ堂の伊藤雅俊会長をはじめ、人との得難い出会いを描いた力作長編。 (「BOOK」データベースより)

私はこの作者の作品は初めて読むのですが、一言で言うと経済小説としてあまり面白い作品とは思えませんでした。作者の高杉良と言えば、映画化もされた『金融腐蝕列島シリーズ 』を始め、現実の社会を経済の側面から骨太に描き出す作家というイメージでしたが、本書を読む限りでは期待外れとしか言いようがありません。

本書は実在の会社ホダカの創業者の起業時からの姿を描く小説ですが、どうも人間が見えません。主人公である武田光司という人物の紹介こそそれなりにあるものの、それ以外の登場人物は表面的な紹介に終わっている印象しかありません。

読み終えてから印象に残っている人物は嫁さんである山本香榮子という人しかいないのです。その山本香榮子氏でさえ、縁の下の力持ちという通り一遍の印象で終わっています。銀座のクラブを経営していたという経歴しか頭にありません。もう少し、描き方もあったと覆われるのですが、そうした印象はそのほかの登場人物にしても似たようなものです。

勿論、主人公とそれぞれの人物との関わりやエピソードを描いてはあるのですが、起こった事柄の羅列に過ぎないのです。それまで勤めていた文華放送をやめ、サンポール物産に移り、その後自転車業界で起業してからの今に至るまでの数々のエピソードが同列に描いてあるために、物語の起伏があまり感じられないのだと思われます。

もしかしたら、この物語の舞台となる自転車業界や、少なくとも企業人として生きてきた人たちにとっては読みとるべき事柄も多くあり、小説として面白い側面もそれなりにあるのかもしれません。しかし、私のように企業というものを知らない人間にとってはドラマを感じることのできない物語は感情移入できないのです。

本書の主人公である武田光司という人物は、多分企業人として魅力に溢れた人なのでしょう。だからこそ作者も小説の題材として選んだものと思われます。

しかしながら、繰り返しますが、小説として読む限りにおいてはエピソードの羅列しかないのでは魅力に欠けます。でも、この作者の他の作品が人気を誇っているところを見ると、こうした印象を持たれる作品は本書に限ってのものではないか、という期待はあります。

もう少し、他の作品を読んでみましょう。

富樫 倫太郎 生活安全課0係 ファイヤーボール


なかなかにコミカルで、気楽に読むことができる長編の警察小説でした。

杉並中央署生活安全課に突如誕生した「何でも相談室」。通称0係。署内の役立たずが集まる島流し部署だ。そこへ科警研から異動してきたキャリアの小早川冬彦警部。マイペースで、無礼千万な男だが知識と観察眼で人の心を次々と読みとっていく。そんな彼がボヤ事件で興味を示した手掛かり、ファイヤーボールとは?KY(空気が読めない)刑事の非常識捜査が真相を暴くシリーズ第一弾!(「BOOK」データベースより)

富樫倫太郎という作家の作品は、新選組の土方歳三を描いた『土方歳三』しか読んだことが無く、活劇小説の書き手という印象しかありませんでした。

しかし、本書を読む限りでは実に読みやすい、それでいてそれなりの読み応えもある小説の書き手ではありました。

主人公小早川冬彦という男は、キャリアでありながら現場の仕事をしたいという思いを持っているずば抜けた頭の良さを持っている男ではあるのですが、頭の良さは対人関係には全く無関係のようで、人の心に無神経に踏み込んでいることにも気付かない人物、という設定です。

無類の運動神経の無さや対人関係の悪さなどから警察庁から科警研、即ち「犯罪行動科学部捜査支援研究室」に出向していた冬彦が、暇つぶしに警察の裏金問題についてのテレビや新聞の報道をもとに推論で書きあげたレポートがお偉いさんの目にとまり、レポートのことを忘れるという条件でかねてよりの念願の警察の現場に出ることになります。

そのために配属先の杉並中央警察署生活安全課に設けられたのが、杉並中央署の吹きだまりである「何でも相談室」です。ゼロをいくつ掛けあわせてもゼロのまま、というところから通称「0(ゼロ)係」と呼ばれています。

冬彦は四十歳になる巡査長のベテラン刑事である寺田高虎と組んで現場に出るのですが、この寺田という男が傍若無人を絵にかいたような男で、何かと冬彦に突っかかります。でも、冬彦には通じず、かえっていらいらする寺田です。

現場に出て早々に立ち小便に関する苦情や、認知症のお婆さんの保護、放火事案などに出会うのですが、これらの事案の陰に事件性を見る冬彦です。それに対し、あきれるほかない寺田でした。

こうした個々の事案の他に、杉並中央署には暴力団に情報を流している内通者がいるらしいということから、警視庁の監察室から二人の人物が派遣されてきていて、その捜査も続いています。

本書は通常の警察小説と異なり、軽くて非常に読みやすい作品です。それは冬彦を始めとする登場人物たちのキャラクター設定にもよるのでしょうが、とにかく深く考えずに読み進めることができます。プロファイリングの得意な冬彦の推理はことごとく外れますが、その後事実関係が明確になっていくにつれ、当初見当違いと思われていた冬彦の言葉が次第に現実化していく様子は小気味いいのです。

『土方歳三』で感じていたこの作家の特色の無さは本書で見事に覆りました。

本書には続編もあるようですし、また別のシリーズもあるようです。改めて読んでみようと思います。

有川 浩 海の底


有川浩の初期作品、自衛隊三部作と言われるものの中の一冊です。他に、『空の中』『塩の街』という作品があります。

4月。桜祭りで開放された米軍横須賀基地。停泊中の海上自衛隊潜水艦『きりしお』の隊員が見た時、喧噪は悲鳴に変わっていた。巨大な赤い甲殻類の大群が基地を闊歩し、次々に人を「食べている!」自衛官は救出した子供たちと潜水艦へ立てこもるが、彼らはなぜか「歪んでいた」。一方、警察と自衛隊、米軍の駆け引きの中、機動隊は凄絶な戦いを強いられていく―ジャンルの垣根を飛び越えたスーパーエンタテインメント。(「BOOK」データベースより)

巨大ザリガニが横須賀の街にあらわれ、そのとき開催されていた桜祭りに集まっていた市民を襲います。ちょうど入港していた海上自衛隊潜水艦「きりしお」は、逃げてきた子供たちを艦内に避難させますが、今度は回りを巨大ザリガニに囲まれ逃げ道を失ってしまうのです。

本書は、「きりしお」艦内に取り残された夏木大和三尉と冬原春臣三尉の庇護のもとにある十三人の子供社会を中心にした話と、艦外の後に「レガリス」と呼ばれることになる巨大ザリガニ撃滅戦の描写とに二分されます。

「きりしお」内部での子供社会では、子供たちの中でのヒエラルキーがあり、なかなかに一筋縄ではいきません。そのヒエラルキーは彼らの親社会の鏡であり、結局は子供たちを見守っていた筈の親の問題が反映されているのです。そうした子供社会と二人の自衛官との関係性は、コミカルでもあり、現実の子供対大人のミニ社会でもあって、なかなかに考えさせられる側面をも有しています。

匿われていた子供たちの中に一人の女子高校生がいて、彼女の存在がこの物語に大きな幅を持たせています。それは、男子社会の中にいる女性問題をそのまま象徴するようでもあり、本書の主人公の一人でもある夏木三尉との恋模様の側面をも見せてくれるのです。

人間を捕食するレガリスせん滅の前線には神奈川県警の機動隊が当たるのですが、人間大もあるレガリスは甲殻類であり、けん銃の弾すらはじいてしまいます。勢い、武器をもたない機動隊はジュラルミンの盾を武器にしての肉弾戦しか撃退の術を持ちません。そこで、自衛隊の参戦を望むのですが、警察の縄張り意識や米軍の絡んだ大人の思惑などに阻まれ上手くいきません。

そこで、警察内部でも型破りと言われる神奈川県警警備部警備課所属の明石亨やキャリアの警察庁警備部参事官烏丸俊哉などが活躍し、レガリスを排除しながらも、重火器の行使が可能な自衛隊を引っ張り出そうと仕掛けるのです。

有川浩という作家の作品ではいつも思うことですが、この警察内部の描写など細かな点での描写が実に丁寧で、物語そのものの真実味が増してくるのです。それは、武器そのものの描写のような物理的な側面は勿論のこと、本書では警察や自衛隊などの組織論についても同様なのです。

有川浩のその後の作品の特徴を満載した、実に読みやすい一冊として仕上がっていて、初期三部作の中では一番完成度が高い作品だと感じました。

垣根 涼介 室町無頼


本書は才蔵という棒使いの少年を間に挟み、骨皮道賢と蓮田兵衛という二人の無頼の、室町時代の末期という時代背景のもと、京の町を舞台にした痛快時代小説で、2016年下半期の直木賞の候補となった作品です。

ならず者の頭目・骨皮道賢は幕府に食い込み、洛中の治安維持を任されていたが、密かに土倉を襲撃する。浮浪の首魁・蓮田兵衛は、土倉で生き残った小僧に兵法者への道を歩ませ、各地で民百姓を糾合した。肝胆相照らし、似通った野望を抱くふたり。その名を歴史に刻む企てが、奔り出していた。動乱の都を駆ける三人の男と京洛一の女。超絶クールな熱き肖像。(「BOOK」データベースより)

ソフトカバー本で530頁という決して短くはない物語ですが、その面白さに一気に読んでしまいました。登場人物それぞれのキャラクターが立っていて、文章のテンポもよく、非常に読みやすいのです。

読後に本書について調べてみると、かなりの部分が史実でした。本書のクライマックスになる一揆も「寛正の土一揆」として記録に残っており、なによりも骨皮道賢と蓮田兵衛という本書の中心となる人物二人が実在の人物だったのには驚きました。その点では、乱暴者の代表のように描かれている馬切衛門太郎という登場人物さえも実在の人物だというではありませんか。

本書のクライマックスで重要な位置を占める相国寺大塔なども、その具体的なありようを丁寧に調べ書かれている( 室町小説の誕生 早島大祐 : 参照)とのことです。そうした調査の上にある本書だからこその迫力なのだろうと納得させられたものです。

本書で重要な位置を占める登場人物の一人に、骨皮道賢と蓮田兵衛との両方に可愛がられる才蔵という少年がいます。この少年が、幼いころからボテ振りをしていたため棒術の基礎が自然にできていたというところから、一人の老人に預けられます。そこで過酷な修業を終え棒術の達人として京にもどり、蓮田兵衛の右腕ともなるのですが、前半は彼の成長する姿こそが物語の焦点になっています。

見方によっては、本書前半はこの少年が主人公と取れなくもなく、後半は道賢と兵衛との物語色が強くなってくるので、焦点がぼけているとも言えそうです。しかしながら、作者の筆の力はそうしたことをもねじ伏せ、痛快小説として成立させています。

そしてもう一人、無頼二人の間にいるもう一人の重要人物として芳王子という遊女がいます。まあ、物語に色を添える役割ではあるのですが、この女性の言葉が重い。暗いという意味ではなく、文字どおりに重みのある台詞を発する女性であり、単に物語に色を添える以上の存在感を示しています。

こうした強烈なキャラクタがそれぞれに際立っていて、史実を背景に室町時代という、めったにない時代設定の物語としてできあがっているのですが、劇画調の物語は痛快小説として見事に仕上がっていて、直木賞の候補作となるのも納得でした。

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本ブログを別棟として位置付けて、読んだ本を記録していこうと思い立ちました。ここでの文章を母屋であるそのサイトに転記していくつもりです。

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