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米澤 穂信 王とサーカス


「週刊文春ミステリーベスト10」「このミステリーがすごい!」「ミステリが読みたい!」という三賞において第一位になるという三冠を達成した長編推理小説です。

ある仕事の前のりでネパールの首都カトマンズに来ていた太刀洗万智は、たまたま王宮で起きた王族殺害事件に遭遇します。早速その事件を取材しようとする太刀洗でしたが、取材のために会った軍人が翌朝死体となって発見されるのでした。その軍人は、ジャーナリストである自分と会ったために殺されたのか、それとも他の理由があったのか、太刀洗万智はジャーナリストとしてその軍人の死の真相をさぐるのでした。

本書が三冠を達成するほどに面白いのかというと、よく分からないというのが本音です。ミステリーとしてはこの作者の『真実の10メートル手前』のほうを面白いと感じたのは何故なのか、それは、ストーリー自体の面白さが謎解きの心地よさを上回ったことにあるのではないかと思っているのです。

舞台がカトマンズという見知らぬ街であり、その町の様子が詳細に語られていて、歴史上の事実である王族の殺害という一大ニュースを背景とした物語である上に、掲げられたテーマがジャーナリストとしての太刀洗万智にとって本質的なものであることから、太刀洗万智の心象の描写が上手く、物語として魅せられたと思われます。

主人公が殺された軍人と会った際に、「お前はサーカスの座長だ。お前の書くものはサーカスの演し物だ。我々の王の死は、とっておきのメインイベントというわけだ。」と、言い切られます。ジャーナリストとしての心構えを問われた太刀洗は、その指摘に対しきちんと反論することができませんでした。

「悲劇を娯楽として楽しんでいる側面」を指摘され、そのことを否定できなかった太刀洗は、自分の仕事について、「知る」ということについて、そして「伝える」ということについて深く考察することになります。

結局、その太刀洗が事件の真実を暴き、その裏に隠された事実を明らかにするという謎ときの部分も勿論面白いのですが、太刀洗万智が自分の仕事、「報道」という言葉の持つ意味をきちんと認識する過程も含めて丁寧に描写してある、そのことが読者に受け入れられたのではないでしょうか。

ミステリーとしても勿論素晴らしく面白いのです。その上で太刀洗というキャラクター造形が見事であるだけ、彼女が思い悩むその真摯な姿に読者も頼感情移入するのだと思いました。

他にも読み応えのある作品が多数ありそうです。それらの本を読むのが楽しみな作家さんであるのは間違いありません。

佐伯 泰英 狐舞: 吉原裏同心(二十三)


吉原裏同心シリーズの第二十三弾です。

吉原にある日本橋の呉服商島原屋喜佐衛門の出店の番頭繁蔵の娘お縫が襲われた。調べていくと繁蔵は病に冒されており、店も辞めさせられようとしているらしい。さらに、島原屋は賭け事に目が無く、使用人の給金にも手をつけているらしく、ある日死体となって発見された。南町奉行所定廻り同心の桑平市松と相談し、繁蔵親子の行く末を案じる幹次郎だった。

まさに捕物帳であった前巻と異なり、本書は老中松平定信が行った寛政の改革の波を受けた不景気な吉原を背景に、吉原の裏同心ならではの事柄に対し走り回る幹次郎や吉原会所の番方の仙右衛門之姿が描かれ、それなりの読み応えのある物語でした。

加えて、幹次郎がかつて世話になていた豊後岡藩から復藩の誘いがあったり、吉原会所七代目頭取の四郎兵衛の娘である玉藻に男の影が見え隠れしたり、また、当然のことではありますが、幹次郎の剣戟の場面もちゃんと用意してあり、なかなかに盛りだくさんです。

こうして裏同心本来の仕事をこなす活躍や復藩の誘いなどの、幹次郎の個人的な事柄も見どころとして用意してあり、次の巻への関心を整えてあります。その流れで言うと、幹次郎と花魁薄墨との恋模様にも若干の進展が見え、こちらも目が離せない仕掛けになっているのです。

本シリーズの予定を見ると、あと二巻でシリーズが一旦終わるようです。その上で、新しいシリーズへと模様替えをするらしく、そちらにも薄墨が絡んでくると惹句にあります。先のことを知ると興が失せるものですが、この場合はかえってシリーズの展開が気になってしまいました。

早速続刊を読んで見ようと思います。

木下 昌輝 敵の名は、宮本武蔵


剣豪宮本武蔵の姿をこれまでとは全く異なる観点から描きなおした歴史エンターテインメント小説で、第157回直木賞候補になった作品です。

七人の敗者たちから描く、剣聖の真の姿。 かつてない宮本武蔵像が誕生した
剣聖と呼ばれた男の真の姿とは──。
島原沖畷の戦いで“童殺し”の悪名を背負い、家中を追放された鹿島新当流の有馬喜兵衛の前に、宮本無二斎と、弁助(武蔵)と呼ばれる十二、三歳の子供が現れた。弁助は、「生死無用」の真剣で果し合いをするというのだが……。(「有馬喜兵衛の童討ち」より)少女を救うため、避けられぬ戦いに命を賭す「クサリ鎌のシシド」、武蔵の絵に惹きつけられるも、一対一の勝負に臨む「吉岡憲法の色」、武蔵の弟子たちが見た剣の極地「皆伝の太刀」、武蔵と戦う宿命を背負った小次郎「巌流の剣」、そして次には……。敵たちの目に映った宮本武蔵。その真の姿とは──。著者渾身の歴史小説。(「内容紹介」より)

本書の構成は、

「有馬喜兵衛の童討ち」
「クサリ鎌のシシド」
「吉岡憲法の色」
「皆伝の太刀」
「巌流の剣」
「無二の十字架」
「武蔵の絵」

となっています。これまでの宮本武蔵の物語を思っていると全く異なる物語であることに驚くことでしょう。

冒頭の「有馬喜兵衛の童討ち」では、島原沖畷の戦いでの“童殺し”の悪名を背負い、いまでは博徒にまで身を落としている有馬喜兵衛が、兄弟子の仇討とばかりに無二とその子弁助に挑みます。

ここでの武蔵は、細身だが筋肉質で背丈は大人ほどもあるものの、未だ十三歳の子供です。しかし、子供ではありながら既に剣士であり、あの一般に印象付けられている「武蔵」の雰囲気を身につけています。ただ、父親の無二斎と共にいて、父から剣を学んでいる様子がこれまでの多くの小説とは異なります。

武蔵の持つ“情”は次の「クサリ鎌のシシド」でも同様です。一般には鎖鎌の使い手である宍戸梅軒ということになるのでしょうが、ここでのシシドは無頼の仲間であり、鎖鎌も自分で生きるために身に付けた武器でしかありません。千春という娘との淡い恋心がほのかに色を添えています。

その次の闘いの相手は京の吉岡一門で、物語自体は吉岡一門の当主である吉岡憲法の物語になっています。党首の名前は一般に言う清十郎とは違って源佐衛門であり、その後戦った人物も伝七郎という名ではなく、又一郎となっています。また、一乗寺下がり松の決闘はその決闘自体の描写がなく、幼子であった又七郎という存在自体触れてありません。

このあと、武蔵は微妙にその行動が変わってきて、「皆伝の太刀」という物語では、弟子であった幸坂甚太郎と立ち合い、これを破りつつ皆伝を与えます。

そして津田小次郎という人物が主人公となる「巌流の剣」から物語は全く別の様相を見せ始めます。一般に佐々木小次郎と呼ばれている剣士の本名だそうです。

小次郎は武蔵の父親の無二斎と立ち合い、これを破るのですが、それには本位田外記という人物が関わっています。ここまで書くことすらネタバレの分野に踏み込んでいると思われ、これ以上は書きませんが、作者の仕掛けが徐々に表に出てきます。

次の「無二の十字架」で本書の仕掛けが一気に展開されます。エンターテインメント小説としての本領が発揮され、武蔵の物語が無二斎の物語として語られていたことに気付くのです。

本書の内容はこれまで一般に言われてきた武蔵像とはかなり異なります。それは吉川英治の『宮本武蔵』との決別であり、資料を読みこんだ末の物語の再構成でもあります。全くの荒唐無稽な物語のようでありながら、その実、資料の裏付けがある新解釈のエンターテインメント小説でもあります。

本書の冒頭では、舞台設定も含めてこれまでの多くの武蔵を描いた小説とは異なる印象で、期待が持てると思っていましたが、次第に独自の解釈に走った特異性を狙った物語かと、思うようになりました。しかしながら、読み終えた頃には全く新しい武蔵像があって、新しい宮本武蔵の物語が存在していたのでした。

直木賞候補になった作品というのも納得の読み応えのある作品でした。

ロバート・A. ハインライン 夏への扉


SF界の巨匠ハインラインによる名作中の名作と言われる、時間旅行をテーマにした長編小説です。

ぼくの飼っている猫のピートは、冬になるときまって夏への扉を探しはじめる。家にあるいくつものドアのどれかひとつが、夏に通じていると固く信じているのだ。1970年12月3日、かくいうぼくも、夏への扉を探していた。最愛の恋人に裏切られ、生命から二番目に大切な発明までだましとられたぼくの心は、12月の空同様に凍てついていたのだ。そんな時、「冷凍睡眠保険」のネオンサインにひきよせられて…永遠の名作。(「BOOK」データベースより)

この作品を読んだのはいつのことだったのか、もう覚えてもいないほどの昔です。高校時代だったのか、それとも大学、その後、遅くとも二十歳代だったとは思うのですが。

先日、畑野智美の『ふたつの星とタイムマシン』『タイムマシンでは、行けない明日』を読んで本書を思い出し、読み返したものです。久しぶりに読んだこの作品は、やはり今でも面白いものでした。

主人公のダンは天才的な技術者であり、家庭内の煩瑣な労務から主婦を開放してくれる、今で言うならば家事ロボットにあたる「文化女中器」などの機械を作り出します。しかし商売に無知なダンは、親友のマイルズ・ジェントリィと共に会社を興すのです。

「文化女中器」は大ヒットし、新たに雇ったのがベル・ダーキンという女性でした。美人で頭の切れる彼女にのぼせあがったダンでしたが、この二人の裏切りにあい、絶望の果てに冷凍睡眠という手段を選ぶのでした。

本書が書かれたのが西暦1956年です。そして現在が2017年。本書での舞台となっている年代は1970年で、主人公のダンが冷凍睡眠により目覚めたのが2000年です。

本書ではバラ色の未来である西暦2000年では、目覚めたダンが最初に会った医者が、まず空中で振るだけで火がついたタバコを吸うところから始まります。また、ダンの世話をするのは人型のロボットであったり、服を着ようとするとジッパーが無かったりと、少々首をひねる描写が続きます。

こんな2000年の描写も見どころの一つではありますが、それよりなによりストーリー自体が面白いのです。

ただ、さすがに2000年の描写や、翻訳の点でも「文化女中器」などの言葉でも分かるように少々の古さを感じるところもあるのですが、そうしたことは何の障害にもなりません。

未来への冷凍睡眠と過去への時間旅行を組み合わせて組み立てられたストーリーは、こまかな内容をほとんど覚えていなかったこともあり、一気に引き込まれてしまいました。

ハインラインというと多くの作品がありますが、本書と同じ頃に書かれた作品で言うと『異星の客』や『宇宙の戦士』などの名作もあります。どちらかというと本書のほうが異質だということもできるかもしれません。

何せ本書の場合、主人公のダンのタイムマシンとの出会いは少々雑としか思えませんし、時間旅行ではつきもののタイムパラドックスの問題も、神の摂理としてあり得ない、の一言で片づけてあるのです。物語の流れが少々ご都合主義にすぎないか、とも思えるのですが、それでも面白いのです。

この物語が魅力的であるのは、タイムパラドックスの問題にしても無視するのではなく、本書では問題にしないという理屈(?)をそれなりにつけてあるように、読者が抱くであろう疑問について一応の答えを準備してあるというところも含めたストーリーの面白さであると同時に、冒頭で猫のピートの紹介を兼ねて書いてある、ダンとピートは「夏への扉」を探しているという観点でしょうか。

つまりは、このロマンチシズムこそがこの物語が日本で愛されている理由なのでしょう。本書のような楽観主義と併せてハインラインという作家の本質に根ざすものなのかもしれません。

誉田 哲也 硝子の太陽Rouge


「姫川玲子×〈ジウ〉サーガ、衝撃のコラボレーション」という本書の惹句がかなりインパクトがあり、早く読みたかったのだけれど、図書館組の私の手元に届くのは今になってしまいました。

祖師谷で起きた一家惨殺事件。深い闇の中に、血の色の悪意が仄見えた。捜査一課殺人班十一係姫川班。警部補に昇任した菊田が同じ班に入り、姫川を高く評価する林が統括主任として見守る。個性豊かな新班員たちとも、少しずつ打ち解けてきた。謎の多い凄惨な事件を前に、捜査は難航するが、闘志はみなぎっている―そのはずだった。日本で一番有名な女性刑事、姫川玲子。凶悪犯にも臆せず立ち向かう彼女は、やはり死に神なのか? (「BOOK」データベースより)

早速読み始めたら、期待に違うことなく、一気に読み終えてしまいました。何と、誉田哲也の両シリーズのオールスターキャストといっても良いではないですか。

エンターテインメント小説としての面白さを十分に持っている小説、という点ではトップクラスの面白さをもった小説だと思います。というか、それくらい私の好みに合致した小説だということでもあります。

ただ、万人に好まれるかといえば若干の疑問もあります。というのが、このシリーズの『ブルーマーダー』でもそうだったのですが、殺害行為の描写が非常にグロテスクなのです。単に猟奇的な興味からの描写ではないというのは分かるのですが、女性などには嫌悪感を持つ人もおられるかもしれません。

そうしたグロさという点はあるにしても、姫川シリーズの面白さは十分に持っている物語です。姫川玲子の気の強さ、その姫川を助ける菊田、姫川に腰ぎんちゃく的につきまとい口説こうとする井岡、常に姫川をかばってくれる林課長、それに何故か姫川を嫌うガンテツと呼ばれる悪徳刑事勝俣らが実に魅力的に動き回っています。

これだけ登場人物が生き生きとしているシリーズはそうはありません。その上にストーリー自体がよく練り上げられているために、読者に本を置く暇を与えないのです。

そしてなんといっても本書は誉田哲也のファンであればだれでも知っている物語である『ジウ』シリーズの流れをくむ『歌舞伎町セブン』の物語とリンクしているのですからたまりません。

ですから、東弘樹警部補はもちろん登場しますし、「欠伸のリュウ」こと陣内陽一も少しですが顔を出します。なによりも、本書で問題となる事件そのものが上岡慎介というフリーライターの殺害事件なのですが、この上岡自身が新生「歌舞伎町セブン」の一員なのです。

こうしてくると、本書と対になって出版された『硝子の太陽Noir』を早く読みたくなるのは当然です。Noirのほうは、『歌舞伎町セブン』『歌舞伎町ダムド』と続く物語であり、本書で残されたいくつかの疑問点などもそちらで解消されるのではないでしょうか。

それにしても、『歌舞伎町セブン』の物語は読んだ当時はそれほどの感激を覚えなかったのですが、今になって『姫川玲子シリーズ』との連携を見せつけられ、個々の出来ごとの裏の意味などが明確になってくるにつれ、あらためてその面白さが蘇ってくる気がします。

特に、『ジウシリーズ』を読んでからは数年を経ているので、はっきり言って内容はほとんど覚えていません。二つのシリーズの合流によって、一つの大きなサーガとして成立するのであるのならば、再度読み返してみようか、などとも思っています。

佐伯 泰英 夢幻: 吉原裏同心(二十二)


吉原裏同心シリーズの第二十二弾です。

さまざまな人生が交錯する吉原。その吉原で生計をたてていた按摩の孫市が殺害された。探索に乗り出した吉原会所の裏同心・神守幹次郎は調べを進めるうち、孫市の不遇な生い立ちと、秘めていた哀しき夢を知る。孫市の夢を幻にした下手人とはいったい―。ようやく追い詰めた下手人に幹次郎が怒りの一刀を放つ!ドラマ化された人気シリーズ、待望の第二十二弾。(「BOOK」データベースより)

このシリーズもネタ切れか、今回は吉原に暮らす按摩殺しについての捕物帳です。

天女池の近くで按摩の孫市が殺されます。吉原の裏同心たる幹次郎も当然現場に出張るのですが、そこでかすかに鬢付けの香りを嗅ぎ取ります。

何故に孫市は殺されたのか、按摩の孫市の生い立ちから調べていくと、一人の男が浮かび上がってくるのでした。

捕物帳としての幹次郎の本書の物語は、舞台こそ吉原ということで、吉原の細かな的な知識もちりばめてはありますが、吉原裏同心としての幹次郎の物語でなくても、他の誰でも成立する物語であり、残念な気持ちもありました。

とはいえ、捕物帳としてそれなりの面白はもっています。吉原で按摩として生きてきた孫市という男の来歴を調べ、ささやかな夢を持っていたことも突き止めます。その夢をも奪ってしまった男を捜し出し、捉える幹次郎であり、番方らであったのです。

普通の物語として読み、またそれ以上のものではありませんでした。

三上 延 ビブリア古書堂の事件手帖 5 ~栞子さんと繋がりの時~


「ビブリア古書堂の事件手帖」シリーズの第五作目です。

プロローグ リチャード・ブローティガン『愛のゆくえ』(新潮文庫)
第一話  『彷書月刊』(弘隆社・彷徨舎)
断章Ⅰ 小山清『落穂拾い・聖アンデルセン』(新潮文庫)
第二話 手塚治虫『ブラック・ジャック』(秋田書店)
断章Ⅱ 小沼丹『黒いハンカチ』(創元推理文庫)
第三話 寺山修司『われに五月を』(作品社)
断章Ⅲ 木津豊太郎『詩集 普通の鶏』(書肆季節社)
エピローグ リチャード・ブローティガン『愛のゆくえ』(新潮文庫)

本書はこれまでの各巻の構成とは若干異なり、各章建ての間に「断章」を設けてあります。

「断章Ⅰ」の小山清『落穂拾い・聖アンデルセン』とは第一巻で出てきた作品でした。

第一話は『彷書月刊』の逸話を通して見たとある夫婦の物語でしたが、一応の解決を見ました。しかし、真の解決は別にあり、それをここ「断章Ⅰ」で、おなじみの登場人物であるセドリの志田さん目線で示してあります。

第二話では、私もよく知っている手塚治虫の『ブラック・ジャック』がテーマですが、手塚治虫らしい逸話の数々に、やはり引き込まれてしまいました。普通に読んでいた漫画の背景にこんな物語が隠されていたとは驚きです。

そうした逸話がもとになっての第二話ですが、それが家族の物語として組み立てられていることにまた驚かされました。若干、前に出てきた話と似ているという印象もありましたが、そうした点よりも、読み心地の良い物語との印象が強く、面白く読むことができました。

そして「断章Ⅱ」は、今度は滝野蓮杖の妹のリュウによる語りで、栞子さんと母親千恵子との関係性がまた一つ進みます。

第三章の寺山修司も私たちの世代ではよく知られた人物であり、若者に大きな影響を与えた人物です。私はこの人の本は読んだことはなく、演劇も知りません。しかし、名前だけはよく知っています。問題となっている『われに五月を』も勿論読んではいません。

この第三章では、かつて栞子さんに多大な迷惑をかけたという門野澄夫という人物が登場し、、再び栞子さんをトラブルに巻き込みます。とはいえ、若干の感傷が入っている心地はあるのですが、読み終えて不快感も無く、それなりに楽しめる物語でした。

何よりも、千恵子と栞子さんとの関係性がより明確になり、栞子さんと五浦大輔との間の関係もはっきりとしてきます。また、栞子さんに傷を負わせた張本人である田中敏雄が再び登場し、続編を読まなければならない、実に気になる終わり方をしています。作者の思い通りになっている私がいました。

そして、エピローグ。ここにも驚きの仕掛けがありました。プロローグと併せて読者をトリックの罠にきちんと陥れてくれています。実を言えば、エピローグを読んで、変な終わり方だとの印象しかもたなかった私ですが、読後にネットで見ていて初めてここでの仕掛けに気付いた次第です。

私が如何に表面的にしか小説を読んでいないか、と思い知らされた仕掛けでもありました。

ともあれ、このシリーズも後二巻を残すだけとなりました。思いのほかに入りこんでしまった私ですが、書物のトリビアもあり、読みやすい文体も相まってなかなかに掘り出しものではありました。

森見 登美彦 夜行


第156回直木賞候補作であり、2017年本屋大賞ノミネート作品です。ホラーと言い切るには何となく抵抗があるような微妙なニュアンスの作品で、章ごとに語り手の異なる別な話が収められた、連作短編小説集とも言えそうな物語でした。

「第一夜 尾道」」 語り手 中井
中井は家を出ていった妻を迎えに尾道まで出かるが、妻が世話になっているという一軒家に妻はおらず、妻そっくりの女性がいるだった。仕方なくホテルに帰ると妻似の女性から電話があり、助けて欲しいというのだった。
「第二夜 奥飛騨」 語り手 武田
武田の勤め先の先輩の増田とその彼女の川上美弥、それに彼女の妹の瑠璃の四名で飛騨旅行へと行くことになった。ところが、飛騨へ行く途中でミシマという女性を拾うのだが、ミシマは「二人にシソウが出ている」というのだ。
「第三夜 津軽」 語り手 藤村
銀座の画廊で働いている藤村は、夫とその後輩の小島の三人で夜行列車に乗り津軽へと向かうことになった。旅の終わりの津軽中里で、見知った町のように歩く小島の行きついたところに三角屋根の二階家があり、そこで不思議なことが起きるのだった。
「第四夜 天竜峡」 語り手 田辺
田辺が豊橋へと帰る列車の中で、通路の反対側にいた中年のお坊さんと女子高生と知り合うが、その坊さんは田辺がかつて良く通っていた岸田という画家の家によく来ていた佐伯という男だった。しかし佐伯は、岸田を殺したのはそこの女子高生だといい、列車を降りてしまったのだった。
「最終夜 鞍馬」 語り手 大橋 鞍馬の火祭を見るために集まった、かつての英会話スクールの生徒たちたったが、十年前に同じように鞍馬の火祭を見に来た際に行方不明となった長谷川と同様に、他の四人が行方不明となってしまう。仲間に電話をかけるとどうも話が変で、中井と会うことになるが。

森見登美彦作品は始めて読みました。本書の終盤に至るまで、私が好きとは言えないタッチのホラー作品、それもあまり主張の見えにくい作品だと思いながら読んでいました。

最終話に至るまでの四話は、どの話も結論が見えず、読み手は何となくの気持ちの悪さ、怖さというよりも若干の不快さを感じるだろうと思っていたものです。

岸田道生という画家の「夜行」という一連の作品が焦点になっていることは分かります。

でも、長谷川という女性が行方不明になっていることとそれぞれの話はどのように結びついているのかよく分からないのです。

また、そもそもどの物語も、前提として五人の登場人物が集まっている現在から過去を振り返っての話であり、とするならば語られた過去の話は現在へとどのようにつながっているのか、など、疑問符が飛びまくりの物語ばかりだったのです。

しかし、最終夜の鞍馬の話で、前提であった筈の現在が前提ではなくなり、この作品全体が、独特の雰囲気を持った、計算され尽くした世界へと一気に変貌してしまいました。

では、各話の結末は明確になったのかというとそうではなく、相変わらずに不明確なままなのですが、全体としてのこの物語が、一個の不安定な物語として確立される、矛盾しているようですが、そのように私の中で落ち着いてしまいました。

ここに至り、やっとこの作品が直木賞、そして本屋大賞の候補になった作品なのだとやっと納得させられたものです。

なにせこの作者の作品は初めてなので、他の作品も読んでみるしかない、と思っているところです。

青山 文平 遠縁の女


どの作品も武士の暮らし向きが苦しくなる江戸も後期(と言っていいものか)の寛政のころを舞台としており、、やはり青山文平の物語だ、とあらためて感じ入ってしまう、文学の香りすら漂う三篇の物語からなる、中編小説集です。

三篇とも一人称で語られているのですが、この主人公の語りがしみじみと読み手の心に語りかけてきます。その上で、話の展開が実にミステリアスに進むのです。特に最終話である表題作『遠縁の女』は、上質のミステリーを読んだような印象さえあります。

「機織る武家」

入り婿とその後添え、そして姑という、全くの血のつながりの無い三人が一つ屋根の下暮らしています。戸主である婿は剣の腕もあり見栄えもそこそこであるものの、勤めに関しては全くの能なしである武井由人という郡役所の下僚です。姑は元百石取りの上士であったことだけが生きがいともいえる女でした。

あるとき、また家禄の差し替えとなり、三十俵が十表となります。勿論食えず、「わたし」が賃機をすることになるのです。この賃機が武井家の生活を変えることになるのですが、代わりに久代は久代でなくなり、由人もろくでなしが普通の人になってくるのでした。

自分の居場所を確保しようと必死になっていた縫。美濃紙一枚ほどの広さの由人の居場所の片隅に自分の居場所を見つけようとしていたのですが、知らずの内に自分の居場所は大きくなり、由人も姑も縫の居場所の片隅に住まうようになっているのです。

そのことを淋しく思う縫。その気持ちは何なのでしょう。久代を思う縫の心根は単なる「優しさ」と言っては間違ったことになりそうです。

最後にはわたしである縫の抱える屈託が明かされることになりますが、そこでの明かされ方がまた心をうちます。

「沼尻新田」

番方である父親から新田開拓の話を持ちかけられた私、柴山和巳は、知行取りの家にのみ下された今回の開発許可をあまり喜ばしいものとは思ってはいませんでした。というのも、新田の開発は録米の借り上げの代わりであり、沼尻新田と呼ばれるその土地は、砂ばかりの土地であるやもしれず、水すらないと思わねばならない土地だったのです。

現地に行った柴山和巳は、クロマツの林の中で「すみ」という野方の女と出会い、一目で魅せられてしまいます。そして、ある思いから新田開発を受けるのです。

当時の経済の仕組みの一端を垣間見せる物語でもあります。すなわち、武家の給料は、蔵米取りと知行取りとがあり、蔵米取りとは家禄を米俵で受取り、知行取りは領地をもち、そこからの年貢が給料ということになります。本来の武家は領地を持ち国を治めていたわけで、知行取りこそが本来の姿であったことになります。

また、野方の者とはその昔、人減らしの意味をも含めて原野に放り出した一族の末でした。「彼らは私だった」のであり、私は家のこと、御国のこと、そして何よりも「すみ」と野方衆のことを考えねばならなかった、のです。

藩の重鎮の右腕とされている自分の立場で最善のことを為そうとする一人の男の物語です。ある種のファンタジーでもある、一人の侍の一途な想いを語る好編です。

「遠縁の女」

好きでも無い学問はそこそこにできるが、好きな剣は頭打ちになっている片倉隆明は、五年を目途に武者修行へと出立します。

この五年の修行の様子そのものも惹き込まれる物語でした。

竹刀稽古から木刀での稽古までの本来の意味を盛り込みながら、強い百姓らの稽古する野の稽古場という道場に行きつきます。ここでの、百姓らの剣は生きるためであり、武士の剣は死ぬためのものである、という話は印象的です。

また、主人公の「かな字の欠片」という言葉、砕け散ったそれまでの剣の修行を再構築する必要性を「かな字の欠片」という言葉で表すその魅力には惹かれました。

この道場での生活は魅力的なひと時でしたが、急な知らせで郷里に帰った主人公を待っていたのは意外な事実でした。勿論、表題から予想できる「遠縁の女」が絡んでくるとは思っていたのですが、その絡み方が思いもかけない展開だったのです。


新しい作品を読むたびに、今までの作品よりも更に上を行くのではないかと思う、そんな気さえ感じさせる著者、青山文平氏のこの頃の作品です。本作品は、中でも素晴らしい作品でした。何故この作品にそれほどに魅せられるのでしょう。じっくりと考えてみましょうか。

畑野 智美 ふたつの星とタイムマシン


タイムマシンでは、行けない明日』と世界を共通にする、SFと言っていいのかな、と疑問符が付きそうな短編集です。

疑問符が付きそうな、というのは、本書が『タイムマシンでは、行けない明日』以上に科学的な描写は無いからであり、更には内容が実に「普通」であるからです。

本書の構成は

「過去ミライ」
 過去の自分に会い、ある忠告をしようとする女子学生の物語。
「熱いイシ」
 その石を持っていると、質問に対する答えが分かるという不思議な石の話。
「自由ジカン」
 望み通りに時間を操ることができる中学生の物語。
「瞬間イドウ」
 無意識に自分が思う場所へと瞬間移動するOLの物語。
「友達バッジ」
 これをつけていると誰とでも友達になれるというバッジの話。
「恋人ロボット」
 男子学生と恋人の美歩ちゃんと家庭用ロボットとの話。
「惚れグスリ」
 田中君と長谷川さんと惚れ薬の話。

となっています。

社会の全員が超能力者というわけではないけれど、超能力者であっても普通に暮らすことのできる社会。多分、今この私たちの世界とは異なる、パラレルワールドの出来事を描いた小説集です。

特に最終話の「惚れグスリ」は、『タイムマシンでは、行けない明日』に連なる話であり、共通する人物の名前が出てきます。共通する人物という点では第一話の「過去ミライ」もそうでした。

この第一話は仙台の大学の平沼教授の教室の話であり、そこにあるタイムマシンを使った学生の物語で、この物語をベースに、最終話の「惚れグスリ」の設定を膨らませた話が『タイムマシンでは、行けない明日』になった、と言って間違いではないと思われます。

どの物語も主人公の一人称で語られていますが、主人公の内面描写などはほとんど無く、実に淡々とした文章で綴られた物語となっています。

本書の惹句を読むと、一応SFというジャンルに括られているようですが、どうもSFというには単にタイムトラベルがテーマになっている話があるというだけで、物語の根底の科学的な根拠づけなどは何もありません。理由づけも無く既にあるタイムマシンを利用して過去に行く、という話であり、要は過去に行くという設定だけを利用してあるだけなので、SFというよりはもはやファンタジーという方がしっくりくる気がするほどです。

まあ、これはSFの定義にも関わってくる話ですが、そういうことはどうでもいい話でもあります。

とにかく、この作者の文章は心地よい。全く難しい単語は使って無く、こんな文章なら誰にだって書ける、などという不遜なことを言い出す輩が出てきそうな、それくらいに普通に思える文章です。

でも、このタッチで書けることはなかなかにできなさそうです。ほとんどの物語が、青春恋愛小説、と分類できそうな内容ですが、それでいて、全く湿った所がありません。それどころか、普通の言葉で若者の行動をさらりと描写することで、彼らの心裡を上手いこと表現しています。

ここのとは先に読んだ『タイムマシンでは、行けない明日』でも感じたことで、短めの文章でたたみ掛けるように描きながら、どこか俯瞰している印象なのです。

この作家の描く物語には全く「毒」がありません。暴力らしい暴力も無く、勿論悪人も出てきません。ただ、たんたんと事実を列挙しつつ、それでいながらどこかユーモラスで、ひねりも効いています。

軽く、時間も取らずに読めるので、もっと他の作品も読んでみようと思います。

ちなみに、本書の装丁もお笑いコンビキングコングの西野亮廣さんの手になるものです。私の中では、時計が組み込まれた自転車に乗っている女の子、というイメージは、背景描写も含めて予想外に良いものでした。

畑野 智美 タイムマシンでは、行けない明日


梶尾真治をを思わせる、タイムトラベルもののSF長編恋愛小説です。

高校一年生の丹羽光二は、ロケットの発射をみるために、同級生の長谷川葵さんと待ち合わせをしていた。そこに車が突っ込み、彼女は車の下敷きになってしまう。彼女を救おうと、光二はタイムマシンの研究をするために仙台の大学へとすすみ、そこで思いもかけず、過去へと旅をすることになるのだった。

ある日の図書館での返却済みの本のところにあったこの本を見つけました。すぐに借りてきた次第です。

というのも、私いつも参考にさせてもらっている「第二級活字中毒者の遊読記」の焼酎太郎さんと、そしてもう一人、ひだまりさんのブログ「*ひだまりさん日記* ~晴れ 時々 読書とパン~」に面白いと紹介してあった作品だったのです。

端的に言ってお二人の言うように面白い作品でした。タイムマシンもの、パラレルワールドの話は小説でも映像でも山ほどあります。作品のネタとして、アイディアさえあればどれだけでも面白いものが欠けるということなのでしょうね。

しかし、そのアイディアが難しい。

畑野智美という作家の作品は始めてなのでよく分からないのですが、本書の一人称で描かれる文章はかなり客観的です。主観表現が無いという意味ではなく、物語の場面を主人公が俯瞰的に眺めており、それを描写しているという感じなのです。そして、わりと淡々としている短めの文章がたたみかけられています。

このタッチは読んでいて小気味いいです。この物語の後半になり、主人公も年をとり、あちこちに、それこそ本書の始まりから物語の全体にわたって振りまかれている伏線が回収されていくのですが、その折にはこの文章がゆっくりと染み入ってきます。

とくにラストは印象的です。宇宙センターにいた村上さんはおそらく事故した村上さんの子供ではないかとは、焼酎太郎さんのブログに書いてあったのですが、たぶんそうでしょう。この点は読んでもらうしかないのですが、この物語の世界観が一気に広がった感じがしたものです。

焼酎太郎さんのブログには、この作者には本書と関連する『ふたつの星とタイムマシン』という作品もあると書いてありました。調べてみると『ふたつの星とタイムマシン』のほうが先に書かれた作品のようです。その作品あって、本書が描かれています。

この「パラレルワールド」という世界に関しては以前から思っていることがあります。本書の中でも主人公が言っているのですが、今自分がいるこの世界では自分(主人公)はそれなりの満足を得た生活をしているのかもしれませんが、自分が以前いた世界では自分の生活は以前のまま、つまりは自分の不満は解決されないままだということです。

本書で言うと、恋人は死んだままなのです。この世界では死んだはずの恋人は生きていて、自分はそれなりの満足を得ていますが、元の世界では何の解決にもなっていません。

小説では読者は主人公目線で考えますので、今の主人公の世界が大団円ですのでそれでいいと言えばいいのですが、その点がどうも気になるのです。

ちなにみ、本書のカバーイラストは、お笑いコンビキングコングの西野亮廣さんが描かれています。『ふたつの星とタイムマシン』もそうで、思いのほかにうまく、印象的な絵で感心してしまいました。悪くないですね。

三上 延 ビブリア古書堂の事件手帖 4 ~栞子さんと二つの顔~


「ビブリア古書堂の事件手帖」シリーズの第四作目です。

本書で紹介される書物は以下の通りで、本書はシリーズ初の長編ものとなっています。そして全編を江戸川乱歩の作品群で彩られていて、各章のタイトルも江戸川乱歩の作品名になっています。

プロローグ
第一章  『孤島の鬼』
第二章  『少年探偵団』
第三章  『押絵と旅する男』
エピローグ

シリーズも中盤となり、前作で感じた栞子さんの母親智恵子さんの影、というよりも本人がはっきりと登場してきており、シリーズ全体を通して物語を引っ張る謎の存在として、明確にその存在を主張するようになっています。

私の江戸川乱歩作品の読書歴は、ホームズやルパンを読みふけったあと、日本の探偵ものとして名探偵明智小五郎を読んでいます。その後、「少年探偵団」シリーズを読んで、小林少年や明智小五郎と怪人二十面相との対決を胸躍らせながら読んだ記憶があります。

そのほかに『屋根裏の散歩者』とか『黄金仮面』など、子供が読めるようにした作品があったと思うのですが定かではありません。実際、読んだ本のタイトルはほとんど覚えていないのです。

そうした、幼い頃の読書経験ですから勿論読んだ本の内容までは覚えていません。それでも、提示される書名にかつてを思い出しながら、読ませてもらいました。

江戸川乱歩という名前が、アメリカの作家エドガー・アラン・ポオに由来すると知ったのもかなり早い時期だったと思います。

本書はかつてのビブリア古書堂の顧客であった鹿山明の相続人である来城慶子からの、金庫を開けてくれたら鹿山明から相続した江戸川乱歩のコレクションをビブリア古書堂に売ってくれるというものでした。

来城慶子は鹿山明の愛人であり、本妻とは決して仲が良くないうえに、金庫の鍵や暗証番号などは本妻の家にあるというものでした。

そこで、栞子さんと五浦大輔とは本妻の家に向かうのです。

この金庫を開けるために江戸川乱歩関係の知識をふんだんに駆使し、鍵のありかや暗証番号を類推する様子は、いつもながらこのシリーズの魅力です。

また、栞子さんの母親の千恵子の存在の重要性が明確になってきました。本書の重要な登場人物ごとに千恵子の影が見え隠れし、本書で語られるそれぞれの物語の背後にも千恵子の意思が感じられるのです。

そしてもう一点。五浦大輔の栞子さんに対する恋心をはっきりとさせる時期が来たようです。その上で、栞子さんの母親千恵子と五浦大輔と、そして栞子の三様のあり方を結構面白く読むことができています。

ただ、難を言えば、少々ミステリーとしての興味が薄れているのも事実です。これは全くの読み手の問題であり、我儘ではあるのですが、古書に関する豊富な知識を前提としての物語は、これだけ続くと少々方向性に変化があっても良いのではないか、と思ってしまうのです。

とはいえ、物語として読みやすく面白い作品ではあり、残り三冊を読んでしまおうとは思っています。

中山 七里 連続殺人鬼カエル男


さよならドビュッシー』で第8回『このミステリーがすごい!』大賞の大賞を受賞した作者が、もう一点エントリーしていた作品が「災厄の季節」というタイトルだった本書です。

商業的に幅広い指示を受けるのは「バイバイ、ドビュッシー」だということで「バイバイ、ドビュッシー」(改題 : 『さよならドビュッシー』)が大賞受賞作品になりましたが、完成度は共に高いとの評価を受け、本書までも出版されることになったそうです。以上は本書の解説で書評家の茶木則雄氏が書いておられたことです。

口にフックをかけられ、マンションの13階からぶら下げられた女性の全裸死体。傍らには子供が書いたような稚拙な犯行声明文。街を恐怖と混乱の渦に陥れる殺人鬼「カエル男」による最初の犯行だった。警察の捜査が進展しないなか、第二、第三と殺人事件が発生し、街中はパニックに…。無秩序に猟奇的な殺人を続けるカエル男の目的とは?正体とは?警察は犯人をとめることができるのか。(「BOOK」データベースより)

『さよならドビュッシー』を読んで、クラシック音楽の描写の凄さに驚いていた私でしたが、本書はまた全く印象の異なる小説でした。ミステリーとしての意表を突くストーリーに驚かされたのもそうなのですが、殺害の描写がグロテスクという他ないのです。

最初の被害者はほとんど住人のいないマンションに顎からフックを掛けられてつるされていました。次は廃車になった車のトランクに入れられた死体ごとプレス機に掛けられます。三人目は解体と、その残虐性はとどまるところを知りません。

本書の中でも捜査官の一人である埼玉県警の捜査一課の古手川和也という刑事が心身ともに傷を負い、有動さゆりというピアノ教師のピアノに心を洗われる場面があるのですが、確かにその場面は『さよならドビュッシー』の「岬洋介シリーズ」の描写を彷彿とさせるものがありました。

また、物語の構成にしても読者をミスリードする手法は見事ですし、その先にあるどんでん返しに驚かされる点もうまいものです。

しかしながら、先にも書いた本書で描写される殺害場面のグロさ、残虐さは、誉田哲也の『ブルーマーダー』などの『姫川玲子シリーズ』にも引けを取りません。とてものことではないのですが、あのクラシック音楽を言葉で伝える際の美しさはどこへ行ったのかと思います。

このグロさを受け入れがたい人はいるかもしれませんが、タッチのグロさは物語の多様さでもあり、私としては、決して好みではないものの、物語として面白い作品として成立していれば何も言うことはありません。そして、本書は面白いと感じたのです。

ただ、若干リアリティーを欠くと思う個所は何箇所かありました。最大の問題は、本書の殺人犯に対する恐怖から市民が過剰反応を起こすという場面です。市民個人が個々の場面で感情的ににあるというのであればまだ良いのですが、本書のような反応は少々行きすぎでしょう。

また、古手川和也の超人的な体力もまた少々引きました。たたみかけられる暴力にあそこまで耐えるというのは私の中ではありえないことでした。

とはいえ、そうした様々な場面での過剰性を差し引いても、全体として面白い物語として読み終えています。この作者のストーリー構成の面白さはやはり目を離せないと、あらためて思いました。

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このブログの本棟として本の紹介のサイトを開いています。
(こちらです⇒読んだ屋
本ブログを別棟として位置付けて、読んだ本を記録していこうと思い立ちました。ここでの文章を母屋であるそのサイトに転記していくつもりです。

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