冲方 丁 マルドゥック・スクランブル


なぜ、私なの?―賭博師シェルの奸計により、少女娼婦バロットの叫びは爆炎のなかに消えた。瀕死の彼女を救ったのは、委任事件担当官にしてネズミ型万能兵器のウフコックだった。高度な電子干渉能力を得て蘇生したバロットはシェルの犯罪を追うが、その眼前に敵方の担当官ボイルドが立ち塞がる。それは、かつてウフコックを濫用し、殺戮のかぎりを尽くした男だった…弾丸のごとき激情が炸裂するシリーズ全3巻発動。(「BOOK」データベースより)

天地明察』、『光圀伝』を書いた冲方丁の、第24回日本SF大賞を受賞した作品です。文庫本で全三巻、1000頁弱というボリュームがある大作です。私は2010年9月に出版された640頁の改訂新版と銘打たれた合本版を読んだのですが、同じ2010年10月に、完全版として文庫本三冊も出版されています。

少女娼婦ルーン=バロットの、ネズミ型万能兵器のウフコックとドクター・イースターとの力を借りて行う、反撃の物語です。

作者である冲方丁という人は、言葉に対する感覚が少々異なるように思えます。私が最初に読んだ『天地明察』ではそれほどには感じなかったのですが、次の『光圀伝』では、一読しただけでは理解できない文章が多かったように思います。

そして本書では、冗長と感じられかねないほどの文章と、難解な単語が使われています。冗長という点では、例えば、本書第一頁目から「死んだほうがいい」という「ほとんど声にもならない、吐息のようなささやきがこぼれた。」と始まり、このささやきについて十数行にわたり描写が続くのです。

特にドクターの台詞は学者の言葉ということもあって難解です。まあ大体の印象で意味を掴めればいい、その程度に思い読み進めました。

また、ルビが随所に振ってあります。電子攪拌、操作共にスナーク、空中はエアー、階級もクラスなどとあり、それはスタイリッシュな、そして電脳空間のイメージを持たせる意図でしょうか。

密度の濃い文体は、更に改行の少ない文章のために、他の小説の数割増しの文章量だと思われます。加えて頁数自体も多いのですから、本書を読むにはある程度の時間の確保が必要でしょう。

そんな緻密で、濃密な文章が続く作品ではあるものの、クライマックスに至るまで物語の世界に引き込まれてしまったのもまた事実です。

特に、シェルに雇われている委任事件担当捜査官であるディムズデイル・ボイルドとの戦いは、互いの心の交流と共に、アクション小説としても読みごたえがあります。

本書の世界観も分かりにくい世界です。この事件全体の根底にあるものが、マルドゥック市が定める人命保護を目的とした緊急法令の一つである「マルドゥック・スクランブル-09」であり、この法令に基づいてバロットは科学技術の粋を集めて蘇生されたのです。

そして、法務局という機関が多分強大な機関としてあり、バロットの事件の解決するための一切をドクターたちに委任することをこの法務局に認めてもらうことが前提となっています。それが委任事件担当捜査官であり、分かりにくいですが、相手方に雇われている前述のボイルドも同じ立場です。

委任事件担当捜査官とは、言わば法的には代理人であり、物理的にも用心棒のような立場でもあるようです。したがって、傍若無人な行動をとっているようでありながら、その実法令の範囲内で収まるように行動している、という建前がとられています。

人体の改変など当然の世界であり、そうした改変を施した誘拐一味も登場し、それなりのアクション場面もあるのですが、何といっても本書での注目すべき点はカジノを舞台とした場面でしょう。

それはアクションは一切ない、ルーレットやブラックジャックなどのゲームを、ウフコックというコンピューターの力を借りて、論理のみで追及していく頭脳ゲームであり、心理戦なのです。合本版で640頁という分量の本書のうちで三分の一以上がこのカジノの場面に費やされています。

この論理の追及の点は、この作者の『十二人の死にたい子どもたち』で見せている論理性にも通じるのではないでしょうか。

とにかく長かった。文庫本三冊以上の分量を読んだ気がします。でも、面白かった、としか言えない物語でした。

この物語は、このあと続編にして前日談である『マルドゥック・ヴェロシティ』、短編集の『マルドゥック・フラグメンツ』、その後のバロットを描く『マルドゥック・アノニマス 』と続くようです。

上田 早夕里 華竜の宮


壮大なスケールを持ったSF長編小説で、日本SF大賞を受賞している作品です。「*ひだまりさん日記* ~晴れ 時々 読書とパン~」で紹介してありました。

ホットプルームの活性化による海底隆起で、多くの陸地が水没した25世紀。未曾有の危機と混乱を乗り越えた人類は、再び繁栄を謳歌していた。陸上民は残された土地と海上都市で高度な情報社会を維持し、海上民は海洋域で「魚舟」と呼ばれる生物船を駆り生活する。陸の国家連合と海上社会との確執が次第に深まる中、日本政府の外交官・青澄誠司は、アジア海域での政府と海上民との対立を解消すべく、海上民の女性長・ツキソメと会談する。両者はお互いの立場を理解し合うが、政府官僚同士の諍いや各国家連合の思惑が、障壁となってふたりの前に立ち塞がる。同じ頃、「国際環境研究連合」はこの星が再度人類に与える過酷な試練の予兆を掴み、極秘計画を発案した―。最新の地球惑星科学をベースに、地球と人類の運命を真正面から描く、黙示録的海洋SF巨篇。(「BOOK」データベースより)

本書の舞台は、ホットブルームと呼ばれる地殻変動による海底の隆起で、海水面が260メートル近くも隆起した25世紀の世界です。当然、日本は列島としての機能を失って群島と化し、小さな島嶼が身を寄せ合い、人工浮島がその隙間を埋めている状態となっています。

この地殻変動は、白亜紀(クリティシャス)の頃に戻るという意味で「リ・クリティシャス」と呼ばれることになります。このリ・クリティシャス以降の地球は、陸地を失った代わりに新たな生活空間として海を得、その海で暮らすのに適した身体を持った民族が生み出されました。彼等は海上民と呼ばれ、彼らの生活空間として魚舟がつくられました。

海上民に対して、陸地に暮らす人々は陸上民と呼ばれ、新しい環境にも適応しつつ、それなりの繁栄の時代を迎えていたのです。

そうした時代の外交官である、青澄・N・セイジと、彼のアシスタント頭脳であるマキが本書の主人公です。青澄は公海上にある海上都市の「外洋公館」に属し、汎アやオセアニアの外洋公館の外交官らと情報戦を繰り広げているのです。

久しぶりに、物語の世界観が丁寧に構築された作品に出会いました。地表の大半を海に覆われた世界で、既存の国家体制が崩壊し、新たな政治体制の枠組みが組み立てられている中で、海上民という新しい人類の仕組みが秀逸です。

この海上民は、必ず双子として生まれ、片割れは将来魚舟として成長します。地域によっては、生まれてすぐに海に放たれ自力での成長を当然とし、無事生き残った魚舟だけが生まれ故郷へ戻り、双子の相方の朋として彼の乗り物兼住まいとなるのです。

この他にも、双子の片割れを失った魚舟の行く末が獣舟になることや、獣舟が陸上民を襲う際に変身することなど、細かなところまで考えられています。

本書の設定の緻密さは、人類の変質のみならず、ホットプルームと呼ばれる地球の核に熱せられて上昇してくる高温のマントルの流れについての説明や、本書のクライマックスに訪れる更なる地殻変動の描写など、過不足のない、SF好きにはたまらない設定でした。

勿論、登場人物の描写にもその緻密さは現れており、重要な登場人物の一人である海上民の女性長のツキソメについての設定などはその最たるものでしょう。

本書の抱えるテーマの一つとして人類の改変というSFでは珍しくない設定があります。地球の再度の地殻変動に直面し、更なる人類の改変の必要に迫られたとき、学者の議論の中で名も知れない人物が「そこまでして生き延びる必要があるのだろうか」という台詞がありました。

「人間も生物の一種である以上、生きる道を、簡単に捨ててはいけないのではないかと・・・。」という言葉が、作者なりのその答えだと思われます。ここに至るまでに種々の議論はあるのですが、少々考えさせられる場面の一つでした。

そして、更なる魅力はアシスタント知性体という存在です。この存在により、補助を受ける人間は常時万能のコンピュータを持っていることになり、疑似的なテレパシーすらも使用できることになるのです。

なお、本書に関しては、本書の原点とも言える『魚舟・獣舟』という短編集が出ているそうです。魚舟などの由来、など、本書ではもの足りないところが補完されていると思われます。また、本書の姉妹作品として、『深紅の碑文』という作品があるそうです。まだ読んでいないので、本書の続編と言い切っていいのかは不明です。

蛇足ながら、私は本書をソフトカバー版で読んだのですが、文庫版(上下二巻 : ハヤカワ文庫JA)も出ています。

三上 延 ビブリア古書堂の事件手帖 7 ~栞子さんと果てない舞台~


「ビブリア古書堂の事件手帖」シリーズの第七作目です。

プロローグ
第一話 「歓び以外の思いは」
第二話 「わたしはわたしではない」
第三話 「覚悟がすべて」
エピローグ

今回はシェークスピアの作品がテーマとなっています。

各タイトルは、第一章は「ヴェニスの商人」。第二章は『十二夜』や『オセロ』。第三章は、『ハムレット』の名台詞だそうです。

第一章では、老獪な道具商である吉原喜一という男が登場し、栞子さんの弱みに付け込んで、太宰治の『晩年』を八百万円という法外な値段で売りつけます。

この章では、吉原が置いていったシェイクスピアの『人肉質入裁判』、つまりは『ヴェニスの商人』の古書の話が絡み、更に吉原が明かした栞子さんら姉妹の祖父、祖母についての新たな事実などの話が錯綜しています。

その後、第二章では、シェークスピアの戯曲を集めた最初の作品集であるファースト・フォリオの話が展開され、その複製本であるファクシミリの話へと広がります。

そして第三章に至り、赤、白、青の三冊のファクシミリが競りにかけられ、栞子さんと智恵子、それに仕掛け人である吉原との対決の場面が繰り広げられるのです。

次第にシリーズへの関心が薄くなってきたこのシリーズですが、それは、このシリーズをきちんと読みこむためには、提示されている古書に関しての知識を丁寧に消化していかなければ、このシリーズの物語が理解できず、つまりは面白さも分からないことによるものでした。

結局、読み手である私の問題だったようです。

また、古書に関する知識の深さもさることながら、本シリーズの場合、登場人物の多さと、その人物間のつながりもまた複雑だったのです。

本書の冒頭、タイトル頁の次の見開きには「主な登場人物」と「相関図」とが載せられています。この相関図を見てさえ、登場人物相互の関連はすぐには理解できませんでした。加えて、この相関図に出てくる人物以外の登場人物もこの相関図に絡んでくるので話はさらに複雑になってきます。

本当は、第七巻まで読んでやっと大まかな登場人物相互の関係がつかめてきたところですので、これから再度一巻から読みなおせば、一段とこのシリーズの面白さが増していることと思います。

本書の場合は、これまでのシリーズとは異なり、ファクシミリの競りという明確なイベントがありました。この競りにむけて本書での話が展開してきたのであり、また、この競りの様子がかなり読み応えのある、サスペンスに満ちた展開となっています。

予想外と言っては失礼ですが、本書に至り、シリーズの面白さを再認識しました。

母親千恵子という人物についてもう少し書いて欲しかった、などという印象はありますが、そこらは、著者自身のあとがきで「登場人物たちの前日譚や後日譚」を考えているということですので、そちらで書いてくれることを期待したいと思います。

「本(古書)」が好きな人のための物語として、ユニークな地位を占めるシリーズだと思います。トータルとして面白い作品でした。

長岡 弘樹 白衣の噓


この作家では初の医療の分野を舞台にしたミステリーの短編小説集です。
「最後の良薬」
職員わずか四十人の、専用のホスピス病棟もない個人病院に、進行性胃がんのために緩和ケアを受けるしかない女性患者が転院してきた。副島真治は何故かこの患者を担当させられるのだった。
「涙の成分比」
バレーボールの日本代表の選手である彩夏は、姉の多佳子を乗せて運転しているときにトンネルの崩落事故に遭い、足をはさまれてしまう。
「小医は病を医し」
T町役場入庁六年目の角谷は、心筋梗塞で入院することになった。ある日、担当医の指示で移った二人部屋には喬木という盗犯係刑事がいるのだった。
「ステップ・バイ・ステップ」
曽根川共済病院の医師上郷仁志は、外科部長の西本直守から、無断欠勤が続く研修医の様子を見て報告するようにといわれ、うつの兆候が見られるその研修医に脱感作療法を命じる。
「彼岸の坂道」
S総合病院の救命救急センターを率いる、ミスが皆無という津嘉山の退職が迫り、その後を継ぐのは、友瀬逸朗か、それとも生原なのか。そんなとき、津嘉山が救命センターに運ばれてきた。
「小さな約束」
N署地域課に勤務する浅丘秀通の姉の美鈴は、刑事課勤務の末に腎臓を悪くして入信することになった。担当の貞森慈明医師によれば腎移植が必要だというのだった。

これまでのこの作者の作品である『傍聞き』や『赤い刻印』などと同様に、緻密な計算の上に構築され、読者の想像の裏を行くように描かれている短編集でした。

どの物語も特定の個人の視点で語られています。その語り手の知らないところで起きている事柄が、物語の方向に影響を与え、読者の思いもかけない結末へと導いてくれます。

そして、本書では、他のミステリー作品のような事件はおきません。第一話の「最後の良薬」にしても、副島真治という医者に、自分には分からない理由で特定の患者の担当にさせられ、後にその理由が判明するのですが、その理由が、貼られていた伏線の回収の過程で明らかになっていきます。

こうした意外性こそが、特に短編のミステリーの醍醐味と言ってもいいと思いますが、長岡弘樹という作家は、そこのひねりが上手いと思うのです。

個人的には、多分オチ、結末を最初に考えられ、その結末に向けての人間ドラマを構築されていると思うのですが、そこの人間ドラマに若干の強引さ、を感じないでもありません。

しかし、そうした強引さを差し引いても、読み終えた時の裏切られ感といいますか、意外性が心地よいのです。

人間ドラマが展開しやすい医療の分野で長岡弘樹という作家の上手さが光った作品集だと思います。

作者自身、「医療にはネタがたくさんありそう」と思っていたそうで、もしかしたら、本書以外にも医療ものの作品を書かれるのかもしれません。その時を楽しみに待ちたいと思います。

三上 延 ビブリア古書堂の事件手帖 (6) ~栞子さんと巡るさだめ~


「ビブリア古書堂の事件手帖」シリーズの第六作目です。

プロローグ
第一話 『走れメロス』
第二話 『駆込み訴へ』
第三話 『晩年』
エピローグ

このシリーズを読み進むにつれ、次第に関心を失っていく自分が分かります。シリーズ当初に感じた古書に関する多くの豆知識と共に、主人公の栞さんと五浦大輔青年との関係、栞さんの家族、特に母親である篠川智恵子の持つ秘密など、なかなかに惹きつけられて読み進めたものでした。

しかしながら、一つには謎が古書関連に限られていることもあってか、物語の状況設定が似てくることもあり、関心を持続させることが困難になってきました。

また、本書は太宰治のみを取り上げ、太宰関連の書籍にまつわる謎を追いかけています。しかし、私個人が太宰を全くと言っていいほどに読んでいないためもあり、謎の対象に思い入れを持てないという点も関心を持ちにくい大きな理由かとも思いました。

しかし、これまでのシリーズの中でも全く知らない作家の本についての謎もそれなりの面白さを持って読んでいることを考えると、やはり対象作家だけの問題ではなさそうです。

ひとつには、登場人物が多く、人間関係を把握するのが難しい、という点もあると思われます。本書での太宰関連の古書には、栞子さんや五浦大輔の祖父母、そのほかの人物らという多くの登場人物が関わってきており、その関係性を理解するだけでも苦労します。

本来であれば、シリーズ第一巻目で登場し、栞子さんに重傷を負わせた田中敏雄が再び登場し、そこでも問題になった太宰の『晩年』の初版本がまた謎を読んだりと、それなりに興味を持てそうな展開の筈なのです。

でも、今ひとつ物語世界に入れません。

ともあれ、このシリーズも余すところあと一巻のみです。最後まで読みとおすつもりではいます。

梶尾 真治 怨讐星域Ⅲ 約束の地


怨讐星域シリーズの第三弾です。

ノアズ・アークは172光年の旅を終え、約束の地・エデンの遷移軌道上に辿り着いた。一方でエデンの住民は、首長アンデルスの号令の下で皆兵化と軍拡を進めていた―全てはノアズ・アーク乗員の皆殺しのために。地球消滅から長い年月を経て、再会を果たす人類の末裔たち…。やがて空前の大災厄がそれぞれに襲いかかるとき、最後に残されるのは積年の怨讐か、それとも―。人間と人間の相剋と未来を問うSFクロニクル完結。(「BOOK」データベースより)

星間宇宙船ノアズ・アークはいよいよ目的地に到着し、エデンの軌道上で地上の様子を調査するまでになり、あとは移住計画に従って、第一次移住開拓員の選択を始めるまでに至っていました。ところが、目的地エデンには先住民族の存在がうかがわれ、なんと英語類似の言語さえ聞こえてきたのす。

一方、エデンではアンデルス・ワルゲンツィンを中心として、ノアズ・アークの乗員たちは悪魔の子孫であり、皆殺しにすべきだという主張一色になっていました。その結果、幼い子供まで竹やりを手に、憎むべきアジソン一派の子孫たちを刺し殺すべく訓練を重ねる日々になっていました。そしていよいよ両者の邂逅の日になったのです。

やっと全三巻の文庫本の、通してみると1000頁を軽く超える物語を読み終えました。

端的に言えば、梶尾真治の特色である、アイディアに満ちた、心地よい驚きに満ちた物語とは少々異なった、私の好みからは外れた作品でした。

基本的なアイデアはいいのですが、世代間宇宙船という設定なので、登場人物の入れ替わりが前提となります。そのためもあって、積み重ねられた短編のそれぞれの話のつながりがわずかしか無く、各々の物語の存在意義が見失われたような印象でした。

極端に言えば、途中の物語は無くても、出発時と到着時の話だけでこの物語は成立してしまうのです。もうすこし、途中の物語が全体を通した流れの中で連続性を持つなどの、何らかの存在価値があればと思いました。

ただ、そうした感想は、私の本書の読み方が、一日少しずつひと月以上をかけて読み終えたという点にもあるのかもしれません。以前読んだ内容をはっきりと覚えていないままに読み進めることになったからです。

クライマックスも、作者自身が異論もあるでしょうと書いておられるように、ここまで引っ張ってきたわりにはあっさりしたものでした。もう少し、両陣営の邂逅の様子を書きこんで欲しいとは思いました。それこそが本書の一番の醍醐味だったのではないでしょうか。

もしかしたら、作者は戦前の日本のような、若しくは今のアジアのとある国のような、一般国民が一握りの為政者により洗脳されていく社会を描きたかったのかもしれませんが、そうだとしてもその点も明確ではありませんでしたし、だとすれば、本書の設定はあまりに安易に感じます。

結局、さまざまの点において中途半端に終わってしまい、せっかくの大河小説がもったいない、という印象が最大のものでした。

畑野 智美 南部芸能事務所


お笑い中心の弱小芸能プロダクションである「南部芸能事務所」を舞台に繰り広げられる、芸人たちの日々を描いた連作の短編小説集です。

大学2年生の新城は、親友に誘われて見た「南部芸能事務所」のお笑いライブに魅了され、その日のうちに芸人を志す。漫才の相方探しをするうちに、女芸人の津田ちゃんから、同じ大学に通う溝口を推薦されるが…。弱小お笑いプロダクションを巡る愛すべき人々を、誰にも書けない筆致で紡ぐシリーズ第1弾! (「BOOK」データベースより)

この作家の作品はこれまで三作を読んできました。当初は読んだ作品がタイムマシンをテーマにしている物語だということもあり、短めの文章をたたみ掛けてくる書き方をある種の効果を狙っているのかと思っていたのですが、どうも違うようで、この作者の個性のようです。

本書には全部の七つの物語がありますが、そのすべての話が異なる人物の一人称で語られています。

問題は、どの物語も似た雰囲気であったことです。短めの文章のタッチがどの物語もあまり変わらず、語り手が変わっていることを忘れてしまいそうになります。

本書は売れていない芸人の物語です。芸人として売れるということが何を意味するのか、テレビに常時出ることなのか、それとも少なくてもいいから本当に芸人の芸を見に来てくれるお客さんを掴むことなのかなど、悩むところのようです。

しかし、本書の登場人物たちのほとんどは、売れることの意味を考える以前の段階にも達していません。彼等は、グループを続けていいものなのか、芸人の道をあきらめ、普通の社会生活に戻った方がいいのではないかを悩んでいます。

そんな彼らを優しく見守ってくれているのが、南部芸能事務所の社長である南部というおかまさんです。南部社長はいつも抱えている芸人たちの様子を観察し、芸の行き詰まりなどをチェックしてくれています。そして保子師匠もこの事務所の重鎮として見守ってくれているのです。

お笑いコンビピースの又吉直樹が書いて芥川賞を受賞した『火花』も同様の話でした。しかし、本書は、芸人自身が書いた芸人の内面を真摯に見つめる『火花』とはかなり異なります。本書の場合、人物の心象描写にしても、一人称で語られているにもかかわらずどこか客観的なのです。

タッチが同じだとか、人物の描写が深みに欠けるとか、残念な部分は少なからずあります。とはいえ、この作者の他の作品と同様に本書も実に読みやすく、さらりと読み終えることができました。言いたいこともそれなりに描かれているとは思います。今は終了しているこの全部で五巻になるシリーズを最後まで読むことでしょう。

原田 マハ キネマの神様


映画に対する愛情で満ち溢れた、心に迫るファンタジックな長編小説です。

39歳独身の歩は突然会社を辞めるが、折しも趣味は映画とギャンブルという父が倒れ、多額の借金が発覚した。ある日、父が雑誌「映友」に歩の文章を投稿したのをきっかけに歩は編集部に採用され、ひょんなことから父の映画ブログをスタートさせることに。“映画の神様”が壊れかけた家族を救う、奇跡の物語。(「BOOK」データベースより)

歩の父親はギャンブル依存症で、「男はつらいよ」の寅さんのように、はたで見ている分には愛嬌があって笑っていられるのですが、現実には到底一緒にいることはできない、そんな生活破たん者です。そんな父親が、こと映画に関しては実に人間的です。

歩の父親の唯一のまともな趣味が映画鑑賞でした。歩の勤める映画雑誌を出版している「映友」という会社のサイトに、歩の父親が書いた文章を載せたところ、ローズ・バッドというハンドルネームを持つ人物が反論らしき文章を書きこみます。それに対し父親がまた書き込み、そのやり取りが人気を呼び、「映友」のサイトが世界的に大ブレイクしてしまうのです。

ここに至るまでにも、映画に関する文章が随所に語られているのですが、その文章が映画好きにはたまりません。

この物語の序盤に、歩が一文を書く場面があります。そこで書いている映画が、あの「イタリアの離島の小さな映画館を舞台にした、映画技師と少年の友情物語」である「ニュー・シネマ・パラダイス」でした。

ここの一文だけでも映画が心から好きな人の文章だと分かります。名画を「夏の夜空に咲く花火を」「川の匂いと夜風を感じる川辺で見上げればひときわ美しいように、映画館で観れば、それはいっそう胸に沁みる。」と締めくくるその文章はさすがです。

本書で重要な位置を占める場所として「テアトル銀幕」という映画館、いや名画座があります。そして、本書は名画座の価値をこれでもかと知らしめてくれてもいます。

私も学生時代は東京のあちこちの名画座によく通ったことを思い出しました。確か四十年ほど前には飯田橋に名画座があったし新宿にも、それに高田馬場駅にも山手線の内と外にそれぞれ一軒、渋谷の東急会館のところもありました。

そのそれぞれに足繁く通ったものです。勿論ロードショウを見る金が無かったということもあるのですが。そう言えば、私が住んでいた西荻窪にもありました。

本書に出てくる映画の題名のうち、私が見たことがあるのはその半分くらいでしょうか。後にテレビで見たものもありますので、実際名画座で見たものがどれくらいかは分からないのですが。

本書の登場人物のそれぞれが皆映画にかかわって生きています。みな映画が本当に好きな人たちなのです。本書を読んでいると、また映画を観たくなります。映画を見てその映像美に驚き、物語に感動し、涙を流すのです。

小説も読者を小さな旅に連れて行ってくれますが、映画もまた同様です。小説は自分の想像力の範囲内での味わいですが、映画には映像と音、音楽がある分だけ限定されますが、逆に自分の想像力を越えたところにまで連れて行ってもくれるのです。

本書はファンタジーです。現実にはあり得ない物語です。しかしながら、心から映画を愛する人たちへの賛歌としていつまでも心に残ると思います。

実に良い本でした。

塩田 武士 罪の声

1984年から1985年にかけて関西方面で実行された、多数の食品会社を対象に為された脅迫等事件である、いわゆる「グリコ・森永事件」をモデルとしている長編の推理小説で、2017年の本屋大賞ノミネート作品です。

京都でテーラーを営む曽根俊也は、ある日父の遺品の中からカセットテープと黒革のノートを見つける。ノートには英文に混じって製菓メーカーの「ギンガ」と「萬堂」の文字。テープを再生すると、自分の幼いころの声が聞こえてくる。それは、31年前に発生して未解決のままの「ギン萬事件」で恐喝に使われた録音テープの音声とまったく同じものだった―。(「BOOK」データベースより)

大日新聞で、年末企画の「昭和・平成の未解決事件」という特集で「ギン萬事件」を扱うことになり、英検準一級をもつ文化部記者の阿久津英士が、社会部の事件担当デスクから、ハイネケン誘拐事件のロンドン取材を命じられます。

しかしながら、事件記者でもない身での事件取材がすんなりと上手くいく筈もなく、殆ど手ぶらでの帰国となります。交通費の無駄遣いと揶揄されながらも、次第に事件取材にのめり込んでいく阿久津記者は、次第に事件の真相に肉薄していきます。

一方、テーラを営む曽根俊也は、父の遺品のなかに、「ギン萬事件」への関与を疑わせるテープやノートを見つけ、自らその真実を探ろうとするのです。

作者の塩田武士は、神戸新聞で記者をやっていたそうです。記者と言っても将棋担当記者であったそうで、本書の阿久津記者と同じ文化部と言うことですね。とはいえ、本書での阿久津記者の取材の模様は、取材の折の記者の心象など、現場を知る人間だからこその描写もあり、そうした点はかなりの読みごたえを感じました。

でも、新刊書で四百頁を超える分量があり、読み始めから少々冗長だと感じてしまいました。その印象は終盤まで続き、クライマックス近くなり、犯罪の全容が次第に明らかになっていく頃やっとサスペンス感が盛り上がり、物語の世界に引き込まれる感じを持ったものです。

また、曽根俊也の観点は、素人の調査で新事実が出てくるものなのか、と最後まで疑問に思いながら読み進めることになりました。

勿論、本書が力作であるということを否定するつもりは全くなく、逆に「グリコ・森永事件」についてよく調べてあるな、という印象は本書全体を通して感じられるところです。

確かに、犯人と目される人物の家族の視点を入れることで、物語は厚みを増すことにはなると思います。また、現実に起きた「グリコ・森永事件」の概要を知る読者はほとんどいないでしょうから、「ギン萬事件」の説明がないと、本書の構成自体がその体を為さなくなってしまうのは分かります。

その点をもう少し冗長にならないように書いてあれば私の好みにも合致したのに、と思ったのです。

しかしながら、多くの人が今のままの作品を評価し良しとしたからこそ本屋大賞にノミネートされたのですから、私のような意見は少数意見でしょうね。

プロフィール

siro

Author:siro
このブログの本棟として本の紹介のサイトを開いています。
(こちらです⇒読んだ屋
本ブログを別棟として位置付けて、読んだ本を記録していこうと思い立ちました。ここでの文章を母屋であるそのサイトに転記していくつもりです。

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