今村 夏子 星の子




第39回野間文芸新人賞を受賞し、2018年本屋大賞の候補作品でもある、各メディアで絶賛されている長編小説です。

個人的には何とも評しようのない、あまり好みとは言えない、しかし妙に気にかかる小説でした。

この小説は全編中学三年生の「林ちひろ」という少女の視点で進みます。ちひろの認識した事柄だけを、ちひろの主観そのままに描写されていくので、彼女が見ていない事柄は勿論、思いが及ばないことは表現されないままに進みます。



ちひろの両親は、ちひろが幼いときに罹った病を治してくれた「金星のめぐみ」という水にはまり、その水を紹介してくれた父親の会社の同僚の落合さんが勧める新興宗教にのめり込みます。

そのうちに父親は会社もやめ、ちひろの家族は次第に小さな家へと転居を繰り返すようになります。幼いちひろは両親の奇行を目にしても何も思ってはいないようですが、五歳上の姉は反発し、家出をしてしまいます。

中学生になったちひろですが、林家の新興宗教中心の生活に違和感は感じているものなのか、教会への参拝も当然のこととして受け入れていながら、他方では、友達から「信じているのか」聞かれても「分からない」と答えるだけで、肯定しているものか否かよく分からないのです。



実に淡々と、ちひろの日常が描かれていくこの小説は、私には正直なところどう読んでいいものなのか、よく分かりんせんでした。

いわゆるエンターテインメント小説ではないこの小説は、林ちひろという一人の女子中学生の日常を、その中学生の目線で記した物語です。

普通の中学生なのですが、ただ彼女の両親が新興宗教にはまっているところが異なります。つまりは、ちひろの日常も普通の中学生とは異なることになるのです。「金星のめぐみ」という水に浸したタオルを頭に乗せて生活する両親は、着るものと言えばジャージのみになり、仕事も辞め、転居するたびに家は小さくなっていきます。

そうした生活に、ちひろはそのままに慣れていきますが、姉は家出をし、親戚はちひろらを、ちひろのこれからを心配しますが、両親は聞き入れようとはしません。

こうした物語をどう読んでいいものか、新興宗教に怖さを感じるべきなのか、単にこの小説の不思議気な空間を楽しめばいいのか、単純に一人の女子中学生の成長を見守ればいいのか、分かりませんでした。

結局は、文学とは何ぞや、の議論になってくると思うのですが、それが分からない私には普通に個人的な好みに合うのか、合わないのか、しか語る言葉がないのです。

そして、独特な雰囲気を持つこの小説は良い本ではあるのかもしれないけれど、私の好みではない、ということになると思います。

ただ、繰り返しますが、この小説の持つ味、妙味、佇まいなど、どう表現していいのかは分かりませんが、奇妙に惹かれるところああるのも否定できないところではあります。

池井戸 潤 空飛ぶタイヤ





主人公赤松の経営する赤松運送のトレーラーが死亡事故を引き起こします。事故を起こしたトレーラーの製造元であるホープ自動車は、その事故は赤松運送の整備不良による事故だとの結論をだします。当然のことながら赤松運送は社会的に非難を受け、取引先からは取引を停止されます。

倒産寸前の状態に陥りながらも、赤松は自社の整備不良という結論を出したトレーラーの製造、販売元であるホープ自動車の対応に不審なものを感じるのでした。

一方、ホープ自動車カスタマー戦略課の課長沢田悠太は、赤松運送からの再度の調査依頼を単なるクレーマーのたぐいだとして無視した態度を取り続けます。しかし、次第に自社内の品質保証部の態度がおかしいことに違和感を感じ、調査を始めるのです。

また、赤松運送から融資依頼を受けた東京ホープ銀行自由が丘支店の担当者は、赤松運送が有力取引先との取引が打ち切られたこともあり、融資に難色を示すのでした。そして東京ホープ銀行本店営業本部の井崎一亮は、自分が担当するホープ自動車製のトレーラーが起こした事故であることに一抹の不安を抱きます。

赤松は長男の拓郎が通う小学校のPTA会長を引き受けていましたが、拓郎がいじめにあっているらしいこと、また一部の親が赤松運送の事故を問題にしているらしいことを知り、そちらでも問題を抱えることになります。

まさに四面楚歌の中、赤松は赤松運送の専務で、赤松の親の代から勤めている宮代直吉らに助けられながら、問題のトレーラーを製造した財閥系の会社であるホープ自動車に対し闘いを挑んでいくのでした。



これまで『オレたちバブル入行組』や『下町ロケット』更に『陸王』など、池井戸潤の痛快経済小説を胸躍らせながら読んできましたが、本書はそれらの作品を上回る熱量を持った作品として一気に引き込まれてしまいました。

この作品は、2002年に現実に起きた三菱自動車のトレーラー事故をモデルにしている作品であるため、被害者、そして加害者となった運送会社が現実に存在していることがいつも頭にあり、この作品を単純に面白いとして読むことに微妙に後ろめたい気持ちを持ちながらも、引き込まれていきました。

本書実業之日本社版の文庫の解説には、「現実の事故をなぞって小説を書いたと誤解しかねないが、一読すれば明らかなように『空飛ぶタイヤ』は、全く独立した物語である」という言葉にホッとしたものです。

ただ、本書はその事故がきっかけに書かれただけだということは頭では理解していたのですが、現実の事故では事故を起こした会社は似たようなことがあったのだろうと考えずにはおれませんでした。

そした気持ちを抱きながらも、「熱い物語」という言葉がまさに本書を如実に表した言葉と言ってよく、主人公の熱さに引きずられてしまったと言わざるを得ません。そのくらいこの物語の熱量は凄いのです。

本書は赤松社長の視点を中心に描かれているのはもちろんなのですが、他方でホープグループ内部での視点も描き出してあります。ホープ自動車自身の沢田悠太、それに東京ホープ銀行の井崎一亮がそれで、こちらも財閥系の巨大企業内部の動向を、財閥系企業の持つ優越感、その内部でのサラリーマンとしての上昇志向、他方で営業マン、また銀行マンとしての良心などを複雑に絡ませた物語として成立しているのです。

この三つの視点が絡み合い、とくに赤松社長の家庭的な問題も加わって物語は加速度的な展開をみせ、目を話すことが出来なくなりました。

登場人物が、とくに敵役であるホープ自動車の重役の描き方などがステレオタイプであるという印象はありますが、その悪役が生きていることも事実で、赤松社長の前に立ちはだかる巨大な壁としての存在感を増しています。

だからこそ、そうした赤松社長に差し伸べられる救いの手が一層感動的になるのでしょう。まさに解説にあった「熱い物語」という言葉がピタリと当てはまる物語でした。

ちなみに、本書はWOWWOWで仲村トオル主演でドラマ化されています。また、2018年6月には長瀬智也を主演に、今をときめく高橋一生やディーン・フジオカといった役者さんを配しての映画化も予定されているそうです。

また、上記書籍イメージは実業之日本社文庫版ですが、2009年には講談社文庫版が上下二分冊で出版されています。

門井 慶喜 銀河鉄道の父




本書は、宮沢賢治という実在した人物を、父親の政次郎の視点で描いた物語で、第158回直木賞を受賞した作品です。

実在の人物を描いた作品なので。本書で描かれている事柄のどこまでが事実なのか、登場人物同士の会話など細かな点はもちろん作者の創作であるとしても、主題となっている父親の政次郎の心象のうちどこまでが記録などで確認されているものなのかなど、非常に気になりつつの読書でした。

本書には参考資料が挙げてありません。本書の内容は資料なしで書けるものではなく、相当数の資料を読みこんでおられると思われますが、父親の心象を残した記録などあるものでしょうか。

登場人物の内心の出来事ですから、作者の全くの想像だと考えるのが普通でしょう。ただ、大正を中心とする時代の父親像とは異なる描写であり、気になりました。

「宮沢賢治」をウィキペディアを見ると、本書で描かれている賢治らの学歴、職歴などは事実であり、政次郎が病に伏した息子の看病に泊まり込んで自らも赤痢やチフスに罹患したことも事実です。

つまりは本書で描かれている事柄のほとんどは事実であり、登場人物の心象こそが作者の想像の産物だと思えるのです。

単純に考えると、本書の政次郎は大正時代を中心とする時代の父親像とはかなり異なるのですが、描かれている事柄が事実である以上は、政次郎という人はこうであったのだろう人物として違和感ありません。それほどに本書の政次郎は当時の家長の雰囲気が薄く、愛情にあふれる父親像です。



本書中ほどまでは、何となく直木賞を受賞するほどの作品かという印象をどこかに持ちながらの読書でした。

しかし、物語も中ほどになり、賢治自身が話の中心になる場面が増えてくると、それはつまりは賢治が詩や童話を書き始める時期とも重なり、私が知っている宮沢賢治の作品が絡んだ話になってくるためか、自分の中で本書の評価が高くなっていくのを感じていました。

とくに、トシが肺炎で入院し、賢治と母イチとが看病のために上京する第六章「人造宝石」から、トシの亡くなる第七章「あめゆじゅ」、トシの死後の賢治の様子を描いた第八章「春と修羅」は、賢治本人によれば「心象スケッチ」と呼ぶべきである詩集「春と修羅」がテーマになっていると思われ、心に響きました。



ひとりの詩人、童話作家として天才と評される賢治ですが、第七章「あめゆじゅ」の中で、童話を書き始めた理由として、自分は大人が苦手だったため、どの童話も大人の世界からの逃避として、現実からの逃避として書いた、と言わせています。更には、より本質的には「・・・おらは、お父さんになりたかったのす」と言わせているのです。

つまりは「自分は質屋の才がなく、世わたりの才がなく、強い性格がなく、健康な体がなく、おそらく長い寿命がない」。嫁の来てがいる筈もなく、父親にはなれない。代わりに童話を生む、というのです。

以上は、賢治が原稿用紙に向かい始めたときの描写ですが、ここらあたりからこの物語がいっそう迫力を持ってきたように感じています。そして、このあとトシの死の床の描写へと続くのです。

やはり、私のような普通の人間は、自分自身が知っている事柄をもとにしていなければ、描写されている対象を自分の心裡で消化しきれないのでしょう。「春と修羅」の中の、とくにトシとの別れを描いた「永訣の朝」を中心に描かれている箇所なので、より鮮烈に迫ってきたと思われます。



また、本書が直木賞の対象である「エンターテインメント作品」なのか、「エンターテインメント作品」の定義にもかかわりますが私にはよく分かりません。ただ、賢治の親政次郎の、子である賢治に対する愛情を通して、宮沢賢治という人物を浮かび上がらせていることは間違いないと思います。

本書は父と子のあり様を正面から描いた物語でしたが、一人の父親としても心に沁みる物語でした。

田牧 大和 錠前破り、銀太 紅蜆




『錠前破り、銀太シリーズ』の第二作目の、長編の痛快時代小説です



銀太の「恵比寿蕎麦」で、ふた月で三人の亭主が死んだ後家さん、つまり「亭主を取り殺した後家」の話で常連客らが盛り上がっていた。秀次は、この話に貫三郎が気にしそうな話なのに何も言ってこないのは変だという。

そこに、第一巻目で登場した質屋の「亀井屋」の手代として「三日月会」の取りまとめをしていた蓑吉がやってきて、「三日月会」が動き出したと告げてきました。

その数日後、「恵比寿蕎麦」にやってきた貫三郎が、「亭主を取り殺した後家」の綾乃という女について相談があると言ってきたものの、その後家について調べてきた秀次と言い争いになり、帰っていってしまいます。

そのうちに貫三郎が行方不明となり、探しに出た銀太は以前傘を借りた仙雀の家でおしんという女の子と出会います。一緒に住んでいる爺さんが居なくなった話を聞き、銀太はおしんの爺さんも一緒に探すことになるのでした。



前巻の第一作目『錠前破り、銀太』でそこそこの面白さを持った小説だと感じていたのですが、本書を読み終えてその感をさらに強くしました。

ひとつには、前巻で「三日月会」の一員でありながらうまいこと逃げた蓑吉が、本書でも再度良く分からないキャラクターとして登場するのですが、この「三日月会」という組織がシリーズを通した銀太の敵役として設定されているのだろうと、敵役キャラとして何となくの魅力的を感じられるからです。

とくに本書でうれしく思ったのは、銀太の店に現れるという女形集団が、予想通り『濱次シリーズ』に登場する森田座の大部屋女形たちであるということがはっきりし、また、『濱次シリーズ』の登場人物の一人である有島千雀が重要な役割を持った人物として登場してきたことです。

馴染みのあるシリーズの登場人物が、思いもかけないところで更に魅力的に登場するというのは、エンターテインメント小説の一つの面白さでもあります。

逆に気になるところもあります。それは、たまたま仙雀と出会い、そこに綾乃が狙った爺さんの孫娘のおしんがいたりなどと、発生する事件が偶然に発生していることでしょう。仙雀の登場は偶然ではないにしても、おしんの存在は偶然としか言えないのです。

とはいえ、本書では緋名の回りの人物も少しずつ顔を見せたり、仙雀がはっきりと重要人物として登場したりと、各シリーズがリンクした世界感がはっきりとしてきました。

綾乃という女の仕掛けが少々回りくどい点も気になるところではあり、このシリーズの物語の組み立てが若干緻密さに欠けると感じる点はありますが、それでもなお面白い痛快小説ではあります。

これは私の好みに合致しているところからくる贔屓目かもしれません。

読了後、ネットを調べていると驚きの情報を見つけました。それは、本シリーズは『からくりシリーズ』のスピンオフ作品だと信じて疑っていなかったのですが、それは間違いで『濱次シリーズ』のスピンオフ作品だというのです。これは作者自身の言葉として書いてあるのでこれ以上のものはありません。

驚きでした。

今後の展開が楽しみです。

田牧 大和 錠前破り、銀太





「菜や肴が旨い、うどんはまあまあ、そして、蕎麦が不味い」蕎麦屋として名高い「恵比寿蕎麦」が、木挽町の近くの三十軒堀にありました。その蕎麦屋の主は銀太といい、弟の秀次と二人でこの店をやっているそうです。ただ、この蕎麦屋は蕎麦以外は良いが、肝心の蕎麦が茹で過ぎ不味いというのでした。

その店に、ある夜一人の幼い印象の男が店に飛び込んできたものの、二人の説得に応じて裏口から飛び出していきました。

翌日、幼なじみの北町奉行所吟味方与力助役の貫三郎こと、及川吉右衛門が訪ねてきて、質屋の「亀井屋」に押し入った盗人を捉えたものの、犯人とは思えないと言います。また、同じ晩に辻斬りも発生し、ただ、それまでの辻斬りと手口が異なるというのでした。

後日、貫三郎が「恵比寿蕎麦」に飛び込んできた加助という名の子供を捉え話を聞くと、「亀井屋」に忍び込んだのは自分であり、大切な人が書いたとされる偽造された借金の証文が、無関係の「亀井屋」にあるのでそれを取り返しに来たというのでした。

そんな中、銀太が「亀井屋」について探索を始めると、何者かに後をつけられ、訳もわからないままに襲われます。その翌日には錠前師の緋名が、秀次が大番屋に引っ立てられたと知らせてきたのでした。



読み始めるとすぐに一人の女錠前師が登場します。名を緋名といい、凝った細工の鬢盥を持っています。以前読んだこの作者の『からくりシリーズ』に登場する錠前師に似ている設定だなどと思っていたのです。

ところが、読み進めるうちに、この緋名にはいつも大福という猫が寄り添っており、「緋錠前」と呼ばれるからくり錠前の作り手であるというのですから、これは『からくりシリーズ』のスピンオフ作品ではないかと思いながら読み進めることになりました。

主人公は銀太というもと盗人であり、その弟の秀次が人たらしと言われるほどに人懐っこく、加えてこの二人の幼馴染として、貫三郎という与力を配置しています。この三人を中心として話は進むことになりますが、そこに前述の緋名という女錠前師が絡み、物語の世界が別のシリーズとリンクし、ぐっと広がります。

本書は、貫三郎のある事件の吟味に対する疑いと、それとは別の人助けの話とが絡み合い、緋名の力も借りつつ展開されるミステリー仕立てのエンターテインメント小説となっています。

当初は、まずい蕎麦屋などという設定や、銀太のもと盗人という背景も、何ともよくわからないままだったので、田牧大和の作品の中では今ひとつの作品という印象でした。

しかし、読み進めるうちに、緋名の正体が明らかになり、もしかすると、「恵比寿蕎麦」に来店するらしいお騒がせの森田座の大部屋女形たちも、田牧大和の『濱次シリーズ』という別のシリーズに言登場する連中かもしれないと思えはじめます。

加えて、敵対する「三日月会」という組織の存在が見えてくるにつけ、結構この物語に引き込まれていました。


文章そのものは田牧大和の作品ですからリズム感があり、読みやすい作品ではあります。問題は登場人物のキャラクターに難有りかと思っていたのですが、それも少しずつ魅力的に思えてき始め、最終的には続巻を読みたいと思うまでになっていました。

ただ、物語の展開がたまたま銀太の周りの世界で発生し、少々偶然が重なり過ぎるきらいは感じます。

そしてシリーズものの常として世界観がきちんと把握できるのに若干時間がかかり、また何となく物語の展開が舞台を見ているようで動きに欠けるきらいはあるのです。

しかし、読み終えて見ると、やはり面白い物語と言い切ることができる作品だと思います。

今野 敏 襲撃




今野敏の武術に明るい側面が出ている長編のアクション小説です。

空手の試合で膝関節を痛め、実戦空手の世界から遠ざかっていた美崎照人は、裏世界の顔役でもある中華レストランオーナーの劉昌輝から紹介を受けた星野雄蔵という空手選手の治療を終えもう少しで自分の診療所にたどり着くというところで襲撃を受ける。その場は正体不明の何者かの声かけにより助かったものの、襲われる理由が分からなかった。

星野の次の治療日の帰り、再び襲撃された美崎はナイフの傷を負うも、何とか逃げ延びることができた。翌日、すべての診療予定をやめ休んでいると、赤城がやってきてこの襲撃は劉昌輝絡みではないかという。

診療所を再開した美崎が劉昌輝の治療に赴くと、劉昌輝は自分に護衛をつけるという。自分のビジネスに関係する可能性もあるというのだった。


この作品は以前読んだことがある作品だと思っていたら、同様の設定の作品があるのだと、解説の関口苑生氏が書いておられました。それは『拳鬼伝』シリーズの1~3であり、後に『渋谷署強行犯係』シリーズの『密闘』『義闘』『宿闘』と改題され出版されているそうです。

本書が最初に出版されたのは2000年10月で、『拳鬼伝』が出版されたのは1992年6月が最初ですから、似た設定の作品を八年も経ってから書くというのは、それほどに作者が本書の設定を気に行っていたということでしょうか。

確かに、本書は今野敏という作者の作品に流れる格闘技を主題にした系列の作品として、作者の主張が明確に記されている作品のような気もします。それは現代のフルコンタクト制の空手の流れとは異なる、本書で言う琉球古武術の系統の護身術に近い守りのための武術を身につけた主人公の主張を前面に押し出した小説だということです。

それは決してフルコンタクト制の空手を否定するものではありません。そのことは患者の一人のフルコンタクト制の選手との治療中の会話の中で語られていることでもあります。

そもそも主人公の職業である整体も、現代の整体術を学んだ主人公が、自分が学んだ琉球古武術を生かしつつ施術しているように描かれているのです。

本書は、主人公が患者の一人である星野雄蔵という選手の治療を行うことから事件に巻き込まれていくのですが、格闘技に対する作者の考えに加え、中国マフィアという裏社会の闘争を絡めてエンターテインメント小説として仕上げてあります。これは今野敏という作者だからこそ書ける小説だと思われるのです。

そして、本書では膝を痛めている主人公は今でも武術の達人ではありますが、それでも膝の怪我というハンディを抱えていることに加え、達人であっても複数の暴漢に襲われれば、やはり簡単には撃退できない、などのリアリティも持っています。

とはいえ、色々と理屈はつけられますが、そうした話はどうでもよく、要は読んでいて面白い作品だ、という一点につきます。

川口 俊和 コーヒーが冷めないうちに




本書は、著者である川口俊和氏が舞台の脚本として書き、自ら演出も手掛けていた作品をこの小説の担当編集者が見て感動し、即小説化を持ちかけて実現したものだそうです。2017年 本屋大賞ノミネート作品でもあります。


とある町のとある喫茶店のとある席には望んだ通りの時間に移動ができるという都市伝説がありました。ただ、過去に戻るには非常にめんどくさいルールがあったのです。

例えばそれは、この喫茶店を訪れた事のない者には会うことはできない、だとか、過去に戻っても現在を変えることはできない、だとか、過去に戻れるのは注がれたコーヒーが冷めてしまう間だけなど、そのほかにも沢山の細かいルールがありましした。

時間旅行の話は数多く書かれていますが、本書のような切り口がまだあったのだと、あらためて感じ入るしかない物語です。

第一話「恋人」は、結婚を考えていた彼氏と別れた女の話。
第二話「夫婦」は、記憶が消えていく男と看護師の話。
第三話「姉妹」は、家出した姉とよく食べる妹の話。
第四話「家族」は、この喫茶店で働く妊婦の話。


どの話も心あたたまる、しかしせつない物語でしたが、特に第二話では不覚にも涙しそうになりました。

全部の物語が家族の話であり、誰しもが心のどこかに抱いているであろう家族への哀しさに満ちた思いを、情感豊かに、若干の感傷も加え描いてあり涙腺を刺激してくるのです。

全体的に計算され尽くした全四編の物語です。ですからそれぞれの話で描かれている細かな事柄が、後の話の伏線にもなっていて、あらすじを紹介しようとすれば、その紹介文自体がネタバレにもなりかねず、内容については触れないことにしました。

ただ、例えばAmazonのレビューを見ると酷評ばかりです。人物の書き込みがないとか、そのために物語が薄いだとか、話の展開がありきたりだとか散々です。

たしかに、そこで書かれていることも分からないではありません。それらの言葉に反論できないでいる自分がいます。

そうした言葉は的外れではないにしても、それでもなお、私にとっては面白く、心に響く物語でした。物語の「薄さ」とか、ありきたりな展開だという批判は余分なものを削ぎ取った簡潔さと映り、一場面ものの物語としてとても面白く読んだのです。

こうなると、あとは好みの問題としか言えないのでしょうか。本屋大賞のノミネート作品でもあるのですから多くの人に受け入れられている点も事実でしょうし、逆に薄っぺらいと感じた人もまた多いのでしょうから。

ただ、一点だけ、時間旅行ものでお決まりのタイムパラドックスの問題、それも過去の自分に出会った場合どうなるのかの点をあえてなのか無視してあります。ある物語で、隠れていた筈の自分が隠れていない点を何も説明してありません。本書は論理を追及するSFではないので、その点に言及することに何の意味もないのでしょうが、SF好きとしては若干気になりました。

それにしてもこの作品のもととなった舞台を見て見たいものだとも思います。そのうちにドラマ化もされるのではないでしょうか。

ちなみに、続編の『この嘘がばれないうちに』という作品が出ているそうです。早速読みたいと思います。

あさの あつこ 薫風ただなか




あさのあつこの描く青春小説であり、その時代小説版として青春時代小説と言えるでしょう。


「薫風」とは、「初夏、新緑の間を吹いてくる快い風。」のことを言うそうです( goo国語辞書 : 参照 )。



鳥羽新吾は、かつては「藩学」に通っていたのですが、石久藩中老の子息である瀬島孝之進の取り巻きに袋だたきにされ、それを誰もとがめない風潮に嫌気がさし、いまの薫風館へと通うようになっていました。

ある日、妾のもとに居続けている父兵馬之助が久しぶりに家に帰ってきたかと思うと、薫風館を探るようにと新吾に申しつけます。石久藩藩主の沖永山城守久勝を無きものにしようとする企みがあり、薫風館のものは皆庭田一派だというのです。

ある日、町中で薫風館でできた親友である弘太郎や栄太と談笑していると、瀬島やその取り巻きと会ってしまいます。その折に、弘太郎や栄太にやり込められた取り巻きらでしたが、その後、栄太が何者かに打ちのめされ、死線をさまようことになってしまうのでした。



本書はまさに青春小説でした。プロローグで、現代の薫風高校野球部の試合の場面から幕を開けているので、一瞬、装丁とは異なり現代小説なのかと思ってしまいましたが、本編が始まると、高校野球に打ち込む若人の姿がそのまま時を越えた若者の姿として物語が始まりました。

藩の上士の子らが通う「藩学」で今でいういじめにあい、より自由な校風の薫風館に通い始め、素晴らしき友を得て明るい日々と送っている主人公の新吾です。

その新吾の現在の鬱屈は、上士という身分に強いこだわりを持つ母親の存在でした。下士の子らも通う薫風館に、新吾が通うこと自体が許せないことなのです。

新吾は「身分」や「家柄」というものに重要な価値を見る母親の嫌味に日々付き合わねばならないことに嫌気がさしていたのです。

本書は、そうした新吾の社会を見る目の変化を如実に表しています。当初は「家柄」のみしか眼にはいらないと思っていた母親の意外な側面を見出し、同様に父親の有する地位を自らの実力と勘違いしているその息子の彼なりの苦悩を知り、信頼していた人の意外な一面を見たりと、元服前の少年の成長の様子が封建的な時代を背景に語られています。

その様子自体も物語としても面白く読み進めていたのですが、更に少年の視野が広がり、今まで見えていなかった事柄を知るにつけ意外な真実が見えてくるさまなど、ミステリーとしても面白い物語でした。

この著者の『弥勒シリーズ』で見せた、深い闇を抱えた登場人物のしつこいばかりの心象描写も本書ではあまり見られず、青春小説としての側面が強く前面に出ています。

シリーズ作品の多いこの作者の新しいシリーズものの開幕かと思いきや本作だけの単発での作品でしたが、時代ものの青春小説として面白く読めた作品でした。

青春小説としてかなり良くできた一冊ではないでしょうか。

柚月 裕子 パレートの誤算




いかにも柚月裕子氏らしい、社会性の強い長編のミステリー小説です。

津川市役所に就職したばかりの新人である牧野聡美は、予想外の社会福祉課の、それも生活保護にかかわる業務を任されることになります。同期の小野寺と共にケースワーカーの仕事を覚えるように命じられ憂鬱になっている聡美を、先輩である山川は親身になって心配し、仕事の説明をしてくれるのでした。

その山川が、訪問先のアパートの火災で死体となって発見されるという事件が起きます。調べが進むと、そのアパートには暴力団が出入りしていたらしく、であれば山川が暴力団について記録を残していないのは何故なのか、また安月給でありながら高価な腕時計をしていた理由は何かなどの疑問がわいてくるのでした。

こうした中、聡美は、暴力団の出入りという生活保護不正受給の可能性がある以上は自分たちの仕事であり調べる必要があるとの小野寺の言葉に同調し、小野寺と共に問題のアパートの受給者の身辺を調べ始めるのでした。


生活保護の不正受給の問題は一時期よくニュースでも取り上げられていました。本書内でもそうした事例を紹介してありますが、一軒のアパートに形ばかりの小部屋を作って生活保護受給者に住まわせ、その生活保護費の大半を吸い上げるなどのいわゆる「生活保護ビジネス」と呼ばれる手口が取り上げられていたのを思い出します。

また、役所も生活保護の認定をしたがらず、車を持っていたり、クーラーをつけていたことで認定からはずされたなどの事例がニュースでも取り上げられていたように記憶しています。

そうした現実を前提に、新人公務員を主人公としてケースワーカーという職務、そして生活保護制度を紹介しながら、また生活保護ビジネスなどの暴力団の食いものにもなっている生活保護のシステムの現状を絡めてあります。

その上で、ミステリーとしての面白さも十分に織り込んであり、社会派のミステリーの書き手としてのこの作者らしい物語として仕上がっていました。

特にラストの締めがこの作者らしいですね。社会的弱者を食い物にする人間に対する小野寺の言葉が作者の言いたいことの一つでしょう。また、はっぴい・はあとという冊子の中の「パレートの誤算」と題されたある学生の寄稿文を引用してあり、いろいろな法則で示される二割という数値も、社会的弱者とされる自分たちの努力でゼロにすることができる、と締めてあります。

こうした主張はこの作者の『佐方貞人シリーズ』で示される言わば青臭いとくくられる言葉の延長線上にあるもので、決して嫌いなものではありません。というよりも好きなタッチです。「青臭い」という言葉は正論を直接的に言うと必ず言われる言葉ですから考慮するまでもないと思われます。

ただ、それが考えが足らない場合をも含みかねない点があることには注意しなければなりませんが、この作者の場合はそれには当たらないと思っています。

一点だけ、この事件を調べている刑事の聡子らに対しての口調がかなりの上から目線で、実際の刑事があのような口調で質問するものなのかという、疑問はありました。でも、エンタメ小説上の技法ということも考えられ、特別に取り立てて言うほどのことでもないのでしょう。

月村 了衛 機龍警察 狼眼殺手




機龍警察シリーズの五作目です。

第一作目『機龍警察』では「龍機兵(ドラグーン)」そのものや「龍機兵(ドラグーン)」が属する警視庁特捜部の説明と、操縦者の姿俊之の過去といったこの物語の紹介的な作品でした。

その後、第二作目『自爆条項』ではIRAとライザ・ラードナーの過去と鈴石緑技術主任の関係が、第三作の『暗黒市場』では武器密売とユーリ・オズノフ元警部の過去、第四作『未亡旅団』ではチェチェン紛争で夫や家族を失った女たちによるテロ組織、また紛争地帯に現存する少年兵などの現実に対する問題提起、それに城木貴彦理事官と由起谷志郎警部補の過去などが語られています。

そして本書『狼眼殺手』では、すでに登場人物らの紹介は一通り終わっているためか、これまではっきりとは語られてはこなかった、警察内部に巣食う「敵」の姿がほんの少しだけ明らかにされます。というよりも、本書では謎の暗殺者狼眼殺手に振り回される警察の姿を通して、「警察」対「敵」の構図が明確になるのです。

いや、「敵」も警察内部に存する以上はこの図式は成り立たないでしょうか。そもそも「敵」の正体はいまだ明確ではなく、日本国の利益、存立を考えていることには間違いなさそうなので、その対立の図式もあやふやではあります。

ただ、本書で明らかになる「敵」の姿はごく一部ではあるものの、それは「機龍兵」の秘密にもかかわるものであり、更には世界的な国家の戦略そのものを根底から覆す可能性をはらむものですから、警察組織の在り方にも深くかかわってくるのでしょう。

ここらは実際読んでもらわないと、ネタバレになりかねないところなので深くは書けません。ただ、直接的には本書での具体的な敵対組織は「フォン・コーポレーション」であり、日中合同プロジェクト『クイアコン』に絡む一大疑獄事件へと連なり、そこに狼眼殺手という暗殺者がその立ち位置が明確にされないままに警察の組織を挙げて設けられた捜査本部を振り回すのです。

冒頭、とある中華料理店の一室で会合を開いている四人の男たちが一気に殺される場面から幕を開けます。この幕開けから本書がアクションメインの物語かと思っていると、この事件を含めた連続殺人事件に応じ、特捜部を中心にして警視庁の一課、二課、それに公安も含めた、先には一大疑獄事件まで見据えた前代未聞の捜査本部が設置されるに至り、これまでの四作とは異なる展開になります。

つまりは警察小説としての捜査活動が中心となった物語が展開されるのですが、このシリーズが普通の警察小説同様の展開で終わるわけはなく、実質上特捜の沖津旬一郎の指揮のもとに狼眼殺手という暗殺者逮捕、その先にはフォン・コーポレーションの実態解明へと動き出すのです。

そして終盤にはお決まりのアクション場面も勿論用意してあり、姿、ユーリ、ライザといった操縦者たちも、戦闘のプロとしての顔を十分に見せてくれます。

これまでとは若干雰囲気が異なり、より警察小説としての側面が大きいと思いつつ読んでいた本書ですが、読み終えて見るとやはり重厚感の漂う機龍警察シリーズらしい読み応えのある作品でした。

鳥羽 亮 剣客春秋親子草 面影に立つ





明けましておめでとうございます。

2018年になりました。
古希という節目の年まであとわずかな年齢となってしまいました。
年ごとに時の経過が早くなっている印象を持つのは私だけでしょうか。

このブログを訪ねてくださる皆様のご多幸を願いつつ、このブログのあり方も少々考えなければ、などと思っております。
本年もどうぞよりしくお願い致します。



さて、剣客春秋親子草シリーズの第三弾です。

前巻で島中藩の若君の指南役の座をめぐり、島中藩の鬼斎流との争いが描かれてましたが、今回もその流れは続いていました。

彦四郎と里美は島中藩へ赴き、花と若君の剣術の稽古をつけ、また彦四郎は藩士の稽古をつけることになりました。一方、千坂道場の門弟である島中藩の藩士二人が何者かによって惨殺されてしまいます。

島中藩の重役の言葉によると、殺された島中藩士を殺した者は島中藩にゆかりのものらしく、島中藩士の中の鬼斎流一門の中の出世頭の田代忠次一派が不穏な動きを見せているというのです。それに島中藩の国元から鬼斎流の遣い手の渋沢道玄と宇津桑十郎の二人が出府したらしく、加えて島中藩目付筋の「梟組」も江戸に入ったらしいというのでした。

そうするうちに島中藩の江戸家老浦沢三郎佐衛門が襲われ、更には直接に花が襲われるという事態が起こってしまいます。



本シリーズ第二巻の「母子剣法」と同様に、島中藩内部の争いに巻き込まれた形となった千坂道場ですが、話の運びが前巻同様になっています。異なるのは、単に島中藩内部の争いにとどまらず、指南役の地位を狙った他道場の妬みも絡んだ様相を示している、という点です。

とはいえ他藩の内部争いに絡んでいる点では同様であり、千坂道場の門弟が殺され、相手を探し出し先手を打たねば道場自体が立ち行かなくなるために、弥八や佐太郎らを使い相手の動向を探らせ、斬り込みをかけると点は変わりません。

このように藤兵衛らの手助けにより先手を取っていく点も同様であり、本シリーズをこの作者の作品の中でもかなり面白く読んでいた身としては、若干の淋しさを感じかねないものでした。

当然ではありますが、鳥羽亮作品としての面白さは持っている作品ですので、それなりに面白く読み終えることはできました。

ただ、いちファンとしては、このシリーズの読者の意表をつくような展開も期待したいところもあり、今後の展開に期待したいと思います。
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