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知念 実希人 崩れる脳を抱きしめて





本書は、2018年本屋大賞にノミネートされた、長編の恋愛ミステリー小説です。



実習のために広島の病院から神奈川の「葉山の岬病院」へとやって来た研修医の碓氷蒼馬は、そこで自分の名の弓狩環を濁らずにユカリと呼んで欲しいと願う一人の女性患者と出会います。その患者は、最悪の脳腫瘍(膠芽腫)を抱えた女性でした。

会社の倒産で莫大な借金を抱えたあげく、あるだけの金を持って女と逃げた父親に恨みを持っていた碓氷は、その過去に縛られ、医者になり金を稼ぐことだけを目指して勉強だけに浸る毎日でした。

一方、ユカリは相続により莫大な財産を有しており、それを狙う親戚が自分に危害を加える恐れがあるとして、病院の外には全く出ようとせずに、三階の病室でひとり絵を書いて暮らしています。

彼女の担当医となった碓氷は、彼女の部屋で勉強をさせてもらううちに、次第に惹かれていく自分に気がつくのでした。



現役の医師の手による医学ミステリー小説です。

本書冒頭のプロローグで、主人公の僕が僕の前から彼女を消した犯人に会うために、丘の上の病院に駆けつけるところから始まります。

そして回想の場面が第一章「ダイヤの鳥籠からはばたいて」であり、碓氷とユカリさんの生前の状況が語られ、脳の中に爆弾を抱えて生きるユカリさんと碓氷との次第に交わされていく心の交流が語られます。

この第一章は本書の恋愛小説としての要素が強い部分です。とはいえ、この第一章においても主人公碓氷の父親の逃亡にまつわる秘密をユカリさんが解き明かす場面もあり。ミステリーの要素がないわけではありません。

こうしてみると、この第一章の「ダイヤの鳥籠からはばたいて」というタイトルは、ユカリ本人の鳥籠の中の生活からの解放という意味と、碓氷本人の心の呪縛からの解放という二つの意味を持っているようにも読めるのです。

続いて第二章「彼女の幻影を追いかけて」は、実習を終え広島中央総合病院に戻った碓氷が、かつての恋人である同僚研修医の榎本冴子に、ユカリへの告白をたきつけられる場面から始まります。その碓氷のもとへ一人の弁護士により、ユカリの死の連絡がもたらされるのです。

第一章が回想として彼女の想い出を語る恋愛小説であるならば、第二章は現在に戻り、ユカリの死の事実に直面した碓氷が小さな疑問点をきっかけに、彼女の死にまつわる謎を解明していくことになる推理小説が始まると言えるでしょう。

そして、本書の惹句でいう「愛した彼女は幻なのか。」という文言が意味を持ってきて、読者は碓氷と共に奇妙な世界へと迷い込むのです。ここらの物語の組み立て方は少々技巧的な印象はあるものの、よく考えられていると感じながらの読書でした。

その後物語は終盤に至り、物語は意外な様相を見せ始め、大どんでん返しの結末を見せることになります。よく練られたミステリーであり、さすがは本屋大賞の候補作になるだけの作品ではあると思いました。

しかしながら、全体的に何か物足りません。人物の書き込みが足りないのでしょうか。惹句にある、「二度読み必死」という言葉の通り、もう一度読んでみようかとも思いましたが、それほどに心惹かれるわけでもないのです。

トリックもよく考えられており、読者のミスリードを誘う物語構成もうまいと感じます。でも、何故物足りなさを感じるのか読解力不足の私では分かりませんでした。

こうした場合、何故そう感じるのか、突き詰めたい気もしますが、読書時に分析的に読んでも面白くはないし、読後の作業として改めて分析することになるのでしょうが。それもまた嫌味なものであり、やはりいつもの通り読書時の感想だけを書くことにした次第です。

鈴木 英治 天下流の友-口入屋用心棒(36)




口入屋用心棒シリーズの第三十六弾です。

これまでの物語とは少々異なる流れの物語でした。本作では上覧試合という剣士にとってはまたとない設定が設けられ、物語の雰囲気も若干異なったものとなっています。



突然、直之進と佐之助が勤める「秀士館」に、駿州沼里城主の真興とその弟房興とが訪ねてきた。寛永寺において御前試合が開催されることになり、沼里藩の代表として直之進に出て欲しいというのでした。

まずは全国を十二に分けられた内の一つ、東海地方の代表とならねばならず、そのためには沼里で開催される予選を勝ち抜く必要があり、尾張藩の代表であり、柳生新陰流の本流と言われる尾張柳生の剣士を打ち破らねばならないのです。

予選参加のために沼里へと赴いた直之進やおきく、そして佐之助の一行は、沼里で跳梁する押し込みの一団の退治を頼まれます。

突然直之進の屋敷へ現れた尾張柳生の剣士新美謙之介とともに押し込みの一団を退治した直之進らは予選試合へと臨むのでした。



これまでのこのシリーズの流れとは少々異なる話の流れであり、マンネリ化を感じていた私としては待ちかねた展開だと言ってもいいかもしれません。

新たに現れた尾張柳生の遣い手の思いの他の登場の仕方や人間性であったりと、軽い意外性もあり、更には東海大会という予選を勝ち抜いた直之進のこれからの全国大会での活躍も待ち構えていて、これからの展開が楽しみになってきました。

尾張柳生のこのシリーズへの絡みもなんとなく含みを持たせてもあり、他に思いもかけない剣士も登場するでしょうし、続けて読みたいと思います。

ただ、この頃池波正太郎の剣客商売シリーズを改めて読み始めたのですが、やはり池波正太郎作品の読み手の心を離さない物語の展開の仕方、登場人物の魅力などに惹かれ、どうしても池波正太郎他の大御所の作品とそれ以外の時代小説とを比べてしまいます。そして、近年の時代小説の物語の作り方、表現の方法などの安易さなどを感じてしまうのです。

それは本シリーズも例外ではありません。勿論池波作品の模倣などであってはならず、その意味ではこのシリーズは独特の個性を持っています。ただ、話の運びが物足りなさを感じてしまうのです。

今後のより良き展開を期待したいと思います。

高田 郁 あきない世傳金と銀〈2〉早瀬篇




「あきない世傳金と銀」シリーズの第二巻目「早瀬篇」です。



九歳という年齢で大坂天満の呉服商「五鈴屋」に女衆として奉公することになった幸でしたが、同じ女衆のお竹らや番頭の治兵衛にも助けられながら、商売人としても少しずつ成長していました。

「五鈴屋」の店主徳兵衛は周りからは「阿呆ボン」呼ばれるどうしようもない四代目であり、そうした現状を憂える治兵衛は十四歳になった幸を四代目徳兵衛の後沿いにと図ります。しかし、治兵衛が卒中を起こして倒れ、「五鈴屋」からは身を引くことになります。

なんとか幸と四代目の祝言だけは済ませて呉服屋の仲間からも認められ、晴れて「ご寮さん」となった幸でしたが、四代目は幸の体を触ろうともせず、お歯黒も許さない日々が続くのでした。



第一巻で奉公に入り、一生懸命に奉公してきた幸がご寮さんになり、今度は「五鈴屋」の柱となって盛りたてていく立場へと変化します。阿呆ぼんと呼ばれるほどのどうらく息子の嫁となり、どんな苦労が待っているのかと感情移入する物語の流れです。

でも、幸を描く作者の筆がそれほどに暗いわけでもなく、それどころか、これからの「五鈴屋」を幸がどのように盛りたてていくのかという点にこそ読者の関心は移るように描いてあります。そうした点がこの作者のうまさなのだろうと本書を読みながらも考えていました。

波乱万丈という言葉がピタリと当てはまる幸の運命の変転ですが、読者にとっては意外というしかないストーリーの展開です。勿論、この意外性は面白さに通じるものであり、このあとどのように展開するのだろうと、作者の思惑に見事にはまっているのです。

物語の合間には、例えば見舞いに来た幸に病床の治兵衛がかけた「まずは知識をしっかりと身につけなはれ。」、「智恵は、何もないところからは生まれしまへん。知識という蓄えがあってこそ、絞り出せるんが知恵だすのや。」という言葉があります。

こうした言葉自体は現実にもよく言われる言葉であり、特別な言葉ではないのですが、物語の登場人物の暖かな言葉としてかけられると、あらためて心に沁みます。

このような、ちょっとした、決して特別ではない言葉のやり取りに読者が引き込まれていく一つの要因があるように思えます。なんでもなさそうな言葉を胸に頑張る主人公の姿を読者は待っているのでしょう。

前巻の最後でも思いもかけない展開があったように、本書も終わりにまた新しい展開が待っていました。このシリーズが人気シリーズになっているのもよく分かる展開でした。

早速次を読みたいと思います。

村山 早紀 百貨の魔法




『桜風堂ものがたり』で2017年本屋大賞にノミネートされた村山早紀による、また2018年本屋大賞にノミネートされたファンタジー小説です。

第一幕「空を泳ぐ鯨」
第二幕「シンデレラの階段」
第三幕「夏の木馬」
第四幕「精霊の鏡」
幕 間
終幕「百貨の魔法」


本作の舞台は『桜風堂ものがたり』で主人公が勤務していた銀河堂書店が入っている百貨店で、その名を星野百貨店といいます。本書の著者自身によるあとがきにも、本書は『桜風堂ものがたり』の姉妹作だと書いてあるように舞台が共通しているのです。

ただ、舞台が共通しているというだけで、本書はよりファンタジー色が強い作品です。本書は、星野百貨店で繰り広げられる、魔法の猫のもたらす奇蹟の話であり、こうした物語を好む人たちにはとても心あたたまる物語なのだろうと思える作品です。

一言で言えば、パステルカラーで彩られたファンタジーであり、とにかく善い人しか出てきません。エロスも暴力も、もちろん怒声すらもかけらも無く、ひたすら人の善意に満ち溢れ、その末の奇蹟のオンパレードです。

言うまでもなく好みの問題ではあるのですが、さすがにここまでくると少々辟易したのも事実です。

同じファンタジーでも、『桜風堂ものがたり』のときは主人公と目される月原一整の夢の実現に向けての努力があり、まわりの人の支えが描かれていて、それはそれなりに感動的な物語として受け入れることができました。

しかしながら本作品の場合、単純に奇蹟の物語です。登場人物の現在に至るまでの涙や苦労などが説明として描かれてはいるものの、物語としての背景説明でしかありません。

本書がファンタジーとして書かれており、作者の百貨店に対する考えが一定の意図のもとに構築されている物語なので、それはそれとして別に否定するつもりもないのですが、私の好みとは違うというだけのことですね。

これまでも他に本書同様の夢物語の話も読んでは来ているのですが、それらはある程度の現実感の上に立ったファンタジーでした。現実とは乖離している内容であったにしても、それはその世界観内での現実の上に成立していた物語でした。本書とは、よって立つ基本がちがうように思えます。物語の基礎が地についているか否かの差のような気がするのです。

第一幕「空を泳ぐ鯨」のエレベーターガールの松浦いさなと、第三幕「夏の木馬」の別館宝飾品フロアの佐藤健吾は、父や母に捨てられた過去があり、第二幕「シンデレラの階段」の地下一階にある百田靴店の咲子と、この物語全体の中心となるコンシェルジェの芹沢結子は、かなえられなかった夢があります。

その他の登場人物もそれぞれに今を生きており、秘めた思い、願いを持っていて暮らしていますが、その暮らしの中で有する小さな夢の実現を星野百貨店の猫に託した物語であり、それだけの物語でした。

梶 よう子 五弁の秋花: みとや・お瑛仕入帖




読み始めてすぐに、本書の舞台となる「みとや」についての、「食べ物以外なら何でも扱う三十八文均一の店」だという説明があり、本書の主人公である長太郎お瑛兄妹の境遇について述べてあります。その説明がどうも別の物語のように詳しいため本書の帯を見ると「みとや」シリーズ第二弾だとありました。

図書館で目の前に「梶よう子」の名前があったので、一も二もなく借りてきたため分からなかったのです。でも、第一作目を読んでいなくても十分に面白さを堪能できる物語でした。

本書は「鼻下長物語」「とんとん、かん」「市松のこころ」「五弁の秋花」「こっぽりの鈴」「足袋のこはぜ」の六編の連作短編からなる作品です。

兄の長太郎が店の仕入れを担当しているが、「ときどき、いわくつきの刀とか、大名家で誂えた高価な皿だとか、騒動の種となるような物」も仕入れてきます。

第一話「鼻下長物語」で仕入れてきたものも「黄表紙」、即ち大人向けの絵入りの読み物でした。ご隠居さまによると、鼻の下、つまり口から出る長い物語の意であり、早口言葉となるらしいのです。

このようなものがみとやで売れるものかどうか、お瑛は長太郎に文句を言いますが、聞く耳を持たない長太郎でした。

後日、長太郎の友人である寛平が、自分が約束をしていた吉原花魁の中里が旗本に身請けされてしまうと泣きついてきました。そこでお瑛が一計を案じ、もと吉原の花魁で、みとやの近所に「はなまき」を開いたお花やご隠居の力を借りて身請けを阻止するのです。

第二話「とんとん、かん」は、田舎にひっこむ船大工の茂兵衛、第三話「市松のこころ」はボヤを出した巴屋という人形屋から仕入れてきた人形、第四話「五弁の秋花」は菅谷直之進のために仕入れてきた平打ちの簪、第五話「こっぽりの鈴」、第六話「足袋のこはぜ」は店替えをするという手代から仕入れた下駄。

このように、物語は兄長太郎が仕入れてきた品物に絡んだ形で展開していきます。それと同時に、長太郎お瑛兄妹の身の上にまつわる話が縦糸として絡み、この作者の丁寧な文章のもとで人情話が繰り広げられるのです。

これまでの梶よう子の作品と同じく、とても読みやすく、それでいて心がホッとするような物語でした。それは、長太郎、お瑛兄妹の人物造形がとても心地よいものであること、兄長太郎という人物が今ひとつつかみどころのない人物として描かれていること、などのほか、ご隠居さんやお花などの脇を固める人物らの人物造形もうまいと感じられることなどからくるものなのでしょう。

これまでも『御薬園同心 水上草介シリーズ』などで人情話には定評のある作者ですが、また新しい魅力を感じる作品でした。勿論、シリーズの他の作品も読んでみるつもりでいます。

澤田 瞳子 火定





本書は「施薬院」を主な舞台として、歴史的に言うと奈良時代の最盛期にあたる天平の世(西暦729年から749年)に起きた天然痘の流行を描いた小説で、第158回直木賞の候補となった作品です。

「施薬院」とは京内の病人の収容・治療を行う施設であり、今から七年前の天平二年(七三〇)四月、孤児や飢人を救済する悲田院と共に、現皇后・藤原光明子によって設立された令外官であると本書には書いてありました。

この物語は、出世の見込めないこの施薬院からの脱出ばかりを考えている蜂田名代(はちだのなしろ)という下級官僚を主な視点として展開します。

主な舞台となる施薬院には他に、名代の同輩で有能ではあるが傲慢な高志史広道(こしのふひとひろみち)や、施薬院、悲田院の財政を一手に預かる丸々と肥えた四十がらみの尼である慧相尼、施薬院の診察を一手に引き受けている綱手という六十手前の里中医などがいて、突然のパンデミックに対処する姿が描かれます。

そしてもう一人、人に裏切れれ続け、医学の知識がありながら医者を毛嫌いしており、現在は有力者の藤原房前の家令である猪名部諸男という男を中心とした話の流れがあります。



名代と広道とが、先ごろ新羅から帰った使節(遣新羅使)が持ち帰った薬を購入するために向かった大蔵省で、すべての薬を買い占めたという猪名部諸男(いなべのもろお)という男に出会います。

少しの薬を分けて欲しいという名代らの願いを撥ねつけた諸男でしたが、その場で高熱を発した官人を、藤原房前の屋敷内の自分の部屋へと連れて帰るのでした。

施薬院に帰った名代らを待っていたのは、運び込まれてきた顔も肩も細かな疱疹に覆われた患者でした。裳瘡(天然痘)の跳梁の始まりです。



本書には天然痘の大流行という惨事が、これでもかと描かれています。患者は水泡に覆われ、息もできずに次々と死に絶えていくのです。

天然痘の流行に対し、一般庶民に医学的な知識などない時代のことですから庶民としては祈るしかありません。当然のごとく、諸男が獄舎で知り合った宇須という男の仕掛けた常世常虫(とこよのとこむし)という禁厭札(まじないふだ)も現れ、人々は簡単にそれらの妄言を信じるのです。

この宇須という男に本書のような緊急時に現れる人の弱みに付け込む人間たちを代表させ、その男と行動を共にする諸男の心の弱さを示すと同時に、弱さを持つ諸男だからなのか、宇須らの自己を正当化する言動への理解を示させています。

ただ、諸男の心の動き自体は個人的には、簡単には受け入れ難いものでした。名代らの懸命の活躍の鏡像的な意味合いをも持たせているとも感じられ、少々一人の人間に集約させすぎでは、と思ってしまいました。

でも、この手のパニックものの小説としてはかなり面白く読みました。何せ時代が天平の世ですから、本書の文章も感じが多く、人の名前も勿論読めず、官人の職名も馴染みのない名称ばかりで当初はどうも読みにくく感じたこともありました。

しかし、そうしたことは瑣末なことで、一旦病が広がり出してからの物語の展開は如何にもパニック小説であり、一気に引き込まれました。

パニックものとは言え、テーマが天然痘であり、そこに関わる人間としての医者、医療の問題を避けては通れず、人の命のはかなさを示しつつも、人の命の重さをも示す物語として仕上がっていて、感動的な余韻を残す物語ともなっているのです。

タイトルの「火定」とは、燃え盛る火の中に自ら投身することを言うそうで、「火定入滅(かじょうにゅうめつ)」という仏教用語から来ているのだそうです。

もしかしたら京を荒れ野に変えるが如き病に焼かれ、人としての心を失った者に翻弄される自分たちもまた、この世の業火によって生きながら火定入滅を遂げようとしているのではないか。
という名代の独白こそが、作者の思いではないか、とも思えます。



鳥羽 亮 剣客春秋親子草 遺恨の剣




剣客春秋親子草シリーズの第五弾です。



近頃、大店の娘を誘拐する事件が起きているという。その事件の関連なのか、誘拐事件を探索している北町奉行所の臨時廻り同心の坂口主水の息子も何者かにつけ狙われ、そのために千坂道場も休ませているというのだった。

そのうちに、藤兵衛の妻おふくの実家である藤田屋の娘お菊が攫われ、二千両という身代金の要求があったらしい。藤田屋は町方に相談するとおきくの命はないとの脅しを受け、藤兵衛に相談してきたのだった。

藤兵衛は弥八と佐太郎の力を借り、何とかおきくの居場所を突き止めようとするが、女衒の辰の名前は上がるもののお菊の居場所は依然として不明のままだった。逆に、千坂道場に二人の武士が現れ、探索から手を引かねば千坂道場の門弟や彦四郎の妻子の命も保証できないと言ってくるのだった。

藤兵衛が藤田屋に身代金を受け取りに来た犯人らの後をつけると、犯人らは船を使い逃れてしまう。その様子を一味に知られ、今度は直接に千坂道場が襲われる事態にまで陥るのだった。



前巻でパターンの変更を願うと書いたところ、今回は少々異なった筋の運びでした。

とはいえ、探索方の探索の結果に応じて藤兵衛たちが斬りこむ、という点においては同様です。

また、これまでも何度か感じたことがあるのですが、主持ちでない侍が人を殺めても同心らは乗り出さないのでしょうか。藤兵衛らが敵役を切り殺し、その後始末もしないままに放っておいてもいいものか、など、不要なことまで考えてしまいました。

また、攫われた娘らを救出しに行く際には坂口らの役人が居たほうがよさそうな気がするのですが、千坂藤兵衛らは殆どのことを自分たちだけで成し遂げようとします。何故役人を同道しないのか、その点が気にはなるのです。

どうも、あら探しのような読み方をしている気持ちになりました。

このシリーズはシリーズとして面白さは持っていて、これからも読み続ける気ではいるのですが、パターンが同じ雰囲気になっていて、考えなくてもいいことまで考えてしまうのかもしれません。

彩瀬 まる くちなし





異様な魅力を持った、七編の短編からなる恋愛小説集だといていいと思います。第158回 直木賞の候補作になった作品集です。

第一話「くちなし」
不倫関係にあった恋人に、私は、男の腕を置いていくことと引き換えに別れ話を受け入れました。その後は男が置いていった腕とともに暮らしていたのですが、ある日、分かれた男の妻がやってきて、男が置いていった腕を返してほしいと言ってきたのでした。


何とも奇妙な物語です。人間の体のパーツを自在に取り外し可能な世界。そんな世界での愛憎劇です。「愛」の本質を問うてはいるのでしょうが、この話の持つ奇妙な世界に戸惑い、慣れる頃には話が終わっていたというのが本当のところです。


第二話「花虫」
赤い糸ならぬ幻の花は、結ばれる運命のカップルにだけ見えるという花で、この花のおかげで私はユージンと出会ったのでした。しかし、私の弟のハルトのやっていた「幻の花」の現象の研究は、私とユージンとの運命に関わるものでした。


人間の体に巣くう虫に住みつかれた男女の物語。人間の感情が、人間の心以外のものに支配されていたとき、人の持つ愛の心はどうなるのか。色々と考えさせられるとともに、この作者の紡ぎ出す物語の持つ奇妙な魅力が迫ってくるのを感じました。


第三話「愛のスカート」
出張カットの出先で会ったのは、高校時代の同級生であったトキワだった。当時から絵のうまかったトキワは人気のアパレルブランドを立ち上げていた。私の片想いは相手には通じておらず、今もトキワの心は別な女に向いている。


ミネオカのトキワに対する愛情表現の斬新さに驚いた物語でした。第一話「くちなし」での直接的な不気味さ、第二話「花虫」での間接的な怖さとは異なり、どこか薄紙一枚だけ今私たちとはいる世界は異なる普通の世界での、愛情のあふれた片想いの物語です。


第四話「けだものたち」
昼と夜を男と女で棲み分け、男はその小さな体を大きな体の女の庇護のもとに生きていて、怒りでケモノに変異したオンナが、愛したオトコを喰らうことが不思議でもなんでもない世界での、ひと組の夫婦の物語。


物語自体はたそがれの中で語られているようです。そして、全編がほのかなエロスで覆われています。この物語はどう捉えるべきなのでしょうか。物語の中での個々の描写は何かの暗喩でもあるようですが、そうではなく物語全体が「愛」についての明確な考察の上に成立しているようです。ただ、この話の最後をどのように捉えるべきものなのか、よく分かりませんでした。


第五話「薄布」
夫と会話の無い妻は、北の国から避難してきた子供をおもちゃとして密かな楽しみを得ていた。単に甘いものを与え、抱きしめ、眠る、それだけの行為。息子は父親に似てきて、母親とは口もきかない。しかし、妻はその遊びにも飽き、夕食の買い物へと向かう。


この話はそのままに今の私たちの生活に当てはまりそうな、会話も無くなり、家事だけの毎日を送る母親にそのままに当てはまりそうな物語でした。


第六話「茄子とゴーヤ」
この作品集にしては珍しい、普通(?)の世界の話でした。不倫相手とともに事故で亡くなった夫の籍からも抜けた女は何をする気も起きない。それが髪の色を新しく染めなおした日から、何かが変わっていく。


普通の主婦の普通の日常を切り取っただけの、何の変哲もない物語。しかし、一人の女のまぎれもない真実なのだろうと、女心のわからない自分には思えます。


第七話「山の同窓会」
クラスの女の子の半数はもう三回目の妊娠を迎え、お腹に卵を抱えていた。三回目の産卵を果たした女は大抵力尽きて死んでしまう。でも、私には妊娠の欲求が無かった。ニワ君は来ておらず、同窓会の帰りに顔を見に行くと、私たちを守ってくれる海獣になるところだった。


仲間が皆卵を産み、死んでいく中で、ただ老いていく私の姿をただ淡々と描写してあります。主人公の女はいかなる役割を持っているものなのか、またこの物語をどうとらえていいものなのか、よく分かりませんでした。



全体的に、ほのかに官能の香りの漂う作品集です。現実とは少しだけ異なる、しかしながらその世界での日常は、われわれの日常と変わらない生活が営まれています。

SF作品とは言えないのでしょうが、手法はSFのそれであり、女性目線での「愛」についての作品集でした。登場人物の名前もカタカナ表記で、異世界のニュアンスを漂わせています。

何とも奇妙な魅力を持った作品集で、恋愛小説を得意とはしない私ですが、他の作品も読んでみようかと思わせられた作品でした。

塩田 武士 騙し絵の牙




2017年本屋大賞の候補作になった『罪の声』を書いた塩田武士が人気俳優の大泉洋を念頭に描く、今の出版業界の現状をリアルに描き出す長編小説で、再度2018年本屋大賞にノミネートされた作品です。



薫風社の月刊誌「トリニティ」の編集長を務める速水は、編集局長の相沢から「トリニティ」の廃刊を示唆され、半年の間のテコ入れを要求されます。何としても「トリニティ」の存続を維持しなければならない速水は、編集部員に対しノルマを課すことになるのでした。

「トリニティ」存続のために速水が打った手の一つは、前から目をつけていた文壇の大御所二階堂のスパイ小説のアイディアの実現に向けて動くことでした。

二階堂の接待は神経を使うものではありましたが、その時に二階堂から聞いたのは薫風社の二百人規模のリストラの話だったのです。

出版不況で他業種とのコラボ企画なども持ち上がり、またリストラや文芸誌の廃刊も告げられるなか、家庭では妻早紀子との間は冷え切り、小学五年生の一人娘美紀の成長だけが楽しみでしたが、「トリニティ」の廃刊を阻止するために家庭を顧みる余裕はない速水でもありました。



速水という編集者の、自らが編集長を務める雑誌の廃刊を阻止するために、必死に奔走する姿が描かれています。

雑誌の出版されるまでの編集者の仕事を、詳細に描き出し、これまで知らなかった業界の内部事情を緻密に描写してあります。それとともに、出版界の危機的な現状をリアルに描き出しており、加えて大泉洋という大好きな役者をあて書きとして描いてあるというのですから、なかなかに興味を持って読んだ小説でした。

しかしながら、出版業界の内部事情を描くことへの期待は、大泉洋のあて書きという謳い文句と併せて、一段とハードルを上げることになったようです。

本書は本書として面白いということを否定するものではありません。例えば、文芸誌の廃刊は、作家にとり「雑誌連載の原稿料が月給で、単行本化の際に支払われる印税がボーナスに当た」り、連載途中の廃刊は、物語の発表場所を奪うとともに、作家の収入の道をも奪ってしまう大変な事態であることなど、出版という業態に付随するさまざまな知識をちりばめてある点は実に興味深いものでした。

しかし、「騙し絵」というほどの「騙し」であったのか、「牙」というほどに鮮烈な鋭さを持っていたのか、というと、それほどではなかった、と言わざるを得ません。

また、速水にしても、天性の人たらしであり、人に取り入るのが上手いという点は、確かに大泉洋という人物から受ける印象そのままだと思いますし、ものまねを自在にこなすという点は分かりませんが、その場の空を読んで発言を自在に変え、その場を和ませ、また盛り上げるという人物像もその通りだと思います。

ただ、速水の人間像が私が思う大泉洋という人間像からは微妙にずれるのです。人間関係を繋いでいく上であまりにもスマートな印象があり過ぎたのでしょう。小説の主人公として実に魅力的ですが、微妙に大泉洋ではないのです。

ただ、大泉洋の印象ついては個人の印象しかないので、あえて言うところではないのでしょう。

一番は、はやりエピローグに描かれる速水の姿です。このエピローグこそが本書の目玉でもあると思うのですが、この点が前述の「騙し」「牙」と言えるのか、今ひとつ心に刺さりませんでした。

小説としての魅力はあります。しかしながら私が抱いてしまった過大な期待を満足させてくれた、とまでは言えなかったのです。

夏川 草介 本を守ろうとする猫の話





『神様のカルテ』シリーズの夏川草介による、本を好きな人に贈る長編のファンタジー小説です。

「背は低めで、少し厚めの眼鏡をかけ、色白で無口で、運動神経が悪くて、格別得意な教科も好きなスポーツもないごく一般的な高校生である」夏木林太郎は、「町の片隅にある小さな古書店」である「夏木書店」を残して祖父が亡くなっため、叔母に引き取られることになりました。

引っ越しも間近なある日の暮れ、来る筈もない来客の合図のベルが鳴りますが、そこにいたのは一匹の、それもヒトの言葉を話すトラネコだけでした。でも、林太郎はこの猫に導かれて不思議な場所へと連れて行かれることになるのです。

第一話「閉じ込める者」は、「一万冊の本を読む人間よりも、二万冊本を読む人間のほうが価値が高い。」と言い切る男。
第二話「切りきざむ者」は、「走れメロス」は「メロスは激怒した」と要約する、読書の効率化を追求する男。
第三話「売りさばく者」は、「売れることがすべて」と言う、初老の紳士。
第四話は、学級委員長の柚木沙夜をさらい、これまで林太郎が解放してきた迷宮の現状を見せつける女。

以上の四つの話が収められていますが、どの物語も、作者の「本」に対する愛情が満ち満ちた物語です。

読書量こそすべてであり、読み終えた本はケースに並べておくという男も、読書の速度こそ大事であり、究極的な読書の効率化を目指す男も、結局は同じことを言っています。

それは、本の読み方の画一化であり、形骸化だと、突き詰めて言えばそういうことなのでしょう。それぞれの話で、「人を思う心」こそが本の力だと信じ、「本を好き」なことや、「本に対する愛情」について述べる林太郎は、作者の心でしょうし、本を好きと言っている私たちへの警鐘ともとらえることができます。

本音を言うと、本の読み方に色々と指図されたくない、という思いはあります。しかし、作者の言うことも勿論理解できるのです。読むべき本が古典から新作までたくさんあると私も思います。

本書の終わりに、「読んで難しいと感じたら、それは新しいことが書いてあるから難しい。」という一文があります。また、「読みやすいってことは、知っていることが書いてあるから読みやすい。」のだとも書いてありました。

よみやすいエンターテインメント小説ばかりを読み、人間そのものを考えるような文学作品を敬遠してきた私には耳の痛い言葉でもあり、それいいじゃないか、とも思います。前述の、指図されたくない思い、というのはそういうことです。

ここで、このブログでも何度も書いてきた、純文学と大衆文学との違いは何なのか、という点にまた戻り、やはり答えは分かりません。エンターテインメント小説と呼ばれる作品、それこそ漫画の中にでも心を打つ作品はあると今でも思っているのです。

この作品で述べられている四つの物語は、本を読む行為についての考察が詰め込まれた作品でもあり、つまりは私たち自身の読書のありようだよと、作者は言っているようでもあります。

もしかしたら、本をあまり読まない人ばかりでなく、本好きだと公言する人にこそ読んで欲しいのだと、作者は思っているのかもしれません。

鳥羽 亮 剣客春秋親子草 無精者





剣客春秋親子草シリーズの第四弾です。



稽古中に知らせを受けた彦四郎が駈けつけて、三人の侍と対峙していた、若侍と十六、七と思われる娘を助け出すところからこの話は始まります。

後日、助け出した岩田要之助という若侍が、笹森という中年の武士とともにが道場にあいさつに来て、内弟子にして欲しいと言ってきます。娘は要之助の許婚で、千石の旗本小堀家の娘であり、同行の笹森は小堀家に仕えるものだというのです。そのゆいもまた、里美に剣術を教えて欲しいというのでした。

その後千坂道場の様子を探る侍が見受けられるようになり、また稽古をつけてもらいたいと直接道場の様子を探りに現れたりもするのでした。ついには、彦四郎や里美らが藤兵衛のいる華村に行ったすきを狙って道場を襲い、そこにいる要之助を狙ってきたのです。

永倉の機転で何とかその場はしのいだものの、このままでは済ますことはできずに対策を練る千坂道場でしたが、どうも小堀家の当主が病のため、ゆいの婿に収まり小堀家を乗っ取ろうとする当主の弟一派がいるらしく、そのために要之助が邪魔だったらしいということでした。



今回の千坂道場は、門弟らが町中での侍の斬り合いで男女二人組に助太刀をしたことから面倒事に巻き込まれます。

これまでは、とある藩の権力闘争に巻き込まれ、ひいてはその騒ぎが道場間の争いまで持ち込まれたりもしていたのですが、今回も、とある旗本の跡目争いに巻き込まれることになります。

そして、やはり弥八や佐太郎の力を借りて、敵対する侍の居所を探り当て、千坂道場の面々、藤兵衛、彦四郎、永倉らが先手を取って斬り込み、敵の力を削いでいくのです。

この弥八、佐太郎の力を借りて相手方の力を削ぎつつ、中心となる遣い手を倒す、という流れがこのシリーズの一つの形となっているようです。

前巻で、「話の運びが前巻同様」と書きましたが、それはこのシリーズの一つの形としてあるのかもしれません。それはまた、シリーズの登場人物を登場させようとすると、探索方の弥八、佐太郎と、彦四郎、藤兵衛、永倉という剣術方を全員その役割に応じて登場させると仕方のないことのようでもあります。

ただ、それは話のマンネリ化を招くことでもあり、このシリーズのファンとしてはパターン化して欲しくないという願いがあるのは勿論です。

しばらくは様子を見ることになるのでしょうが、読み続けたいとおもいます。

月村 了衛 追想の探偵





目次
「日常のハードボイルド」
「封印作品の秘密」
「帰ってきた死者」
「真贋鑑定人」
「長い友情」
「最後の一人」


機龍警察』や『土漠の花』といった重厚な冒険小説を書かれてきた月村了衛という作家のこれまでの雰囲気とは異なる小説です。アクションは全くなく、また誰も殺されることもない、人情小説にも通じる情緒を漂わせている、「日常のハードボイルド」という言葉がピタリと当てはまる物語でした。

主人公は不定期刊の雑誌「特撮旬報」という映画雑誌の編集長をしている女性で、「人捜しの神部」という通り名があるほどに人探しが上手く、その手腕で見つけた人材をもとにした記事やインタビューなどが彼女がこの雑誌のメインとなっているのです。

本書の一番の魅力は、神部実花の人捜しのノウハウを詳しく描写してあるところでした。それは一言で言えば「あきらめない」という言葉に尽きるのですが、実際は探索の端緒そのものへの着目点など驚かされることばかりです。

本書では、対象が特撮関係の人物探しということなので、人探しの着目点はまずは業界の人脈ということになるのでしょう。

例として第一話の「日常のハードボイルド」を見ると、『流星マスク』という作品が特集となり、その作品の目玉となる人物として、特撮作品のみならず国際的に評価された数々の名作映画に関わった佐久田政光という伝説の特殊技術者を取り上げることになっています。

しかし、この人物はもう三十年も前に映画系とは一切の縁を切っていて、家族の連絡先も不明というのです。

そこで、まず佐久田政光のプロフィールから連絡先を知っていそうな人物をリストアップし、バイトの八重樫に片っ端から電話をかけさせます。

その後、国会図書館や大宅壮一文庫に日参し、当時の新聞、雑誌のみならず、学年誌、児童誌などまで見ます。しかしながら、ここらは誰でもやることであり、その先を、落ち穂よりもなお細かい「綿毛」ほどの何かを見るのだそうです。

そこで囲み記事で見つけた「佐久田の親戚の球磨美大生」という言葉にかすかな糸を見出しますが不発で、現代ならではのネットという手段からその親戚は見つけ出します。でも、肝心の佐久田政光へは繋がりません。

ここでもう一度最初のアルバイトによる電話攻勢へと戻り、今度は自ら電話をかけなおします。今度は、上司が丁寧に電話をするということで、その間に思いだしていたことや、話に応じてくれることが多々あるといいます。とにかく忍耐力が限りなくいるというのです。

この第一話は、結局は別筋からの情報で佐久田政光にたどり着くのですが、その別筋でもまた人探しの努力が描かれ、その結果佐久田政光に絡んだ人間ドラマが待ち構えていたのでした。

本書は、「追想の探偵」というタイトルから一匹狼の探偵の抒情的なハードボイルドをイメージしていたのですが、私が事前に思っていた内容とはかなり異なる物語でした。

特撮映画という特殊ジャンルでの人捜し、というなかなかに癖のある物語です。後に、主人公にはモデルがいるとの作者の言葉を知りました。先にモデルの人物があり、本書が出来たのだそうです。

当初は、私個人の好みからは外れた作品だと思いつつ読み進めていましたが、そのうちに引き込まれていました。やはりこの作者の物語は面白い。
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