夏川 草介 本を守ろうとする猫の話





『神様のカルテ』シリーズの夏川草介による、本を好きな人に贈る長編のファンタジー小説です。

「背は低めで、少し厚めの眼鏡をかけ、色白で無口で、運動神経が悪くて、格別得意な教科も好きなスポーツもないごく一般的な高校生である」夏木林太郎は、「町の片隅にある小さな古書店」である「夏木書店」を残して祖父が亡くなっため、叔母に引き取られることになりました。

引っ越しも間近なある日の暮れ、来る筈もない来客の合図のベルが鳴りますが、そこにいたのは一匹の、それもヒトの言葉を話すトラネコだけでした。でも、林太郎はこの猫に導かれて不思議な場所へと連れて行かれることになるのです。

第一話「閉じ込める者」は、「一万冊の本を読む人間よりも、二万冊本を読む人間のほうが価値が高い。」と言い切る男。
第二話「切りきざむ者」は、「走れメロス」は「メロスは激怒した」と要約する、読書の効率化を追求する男。
第三話「売りさばく者」は、「売れることがすべて」と言う、初老の紳士。
第四話は、学級委員長の柚木沙夜をさらい、これまで林太郎が解放してきた迷宮の現状を見せつける女。

以上の四つの話が収められていますが、どの物語も、作者の「本」に対する愛情が満ち満ちた物語です。

読書量こそすべてであり、読み終えた本はケースに並べておくという男も、読書の速度こそ大事であり、究極的な読書の効率化を目指す男も、結局は同じことを言っています。

それは、本の読み方の画一化であり、形骸化だと、突き詰めて言えばそういうことなのでしょう。それぞれの話で、「人を思う心」こそが本の力だと信じ、「本を好き」なことや、「本に対する愛情」について述べる林太郎は、作者の心でしょうし、本を好きと言っている私たちへの警鐘ともとらえることができます。

本音を言うと、本の読み方に色々と指図されたくない、という思いはあります。しかし、作者の言うことも勿論理解できるのです。読むべき本が古典から新作までたくさんあると私も思います。

本書の終わりに、「読んで難しいと感じたら、それは新しいことが書いてあるから難しい。」という一文があります。また、「読みやすいってことは、知っていることが書いてあるから読みやすい。」のだとも書いてありました。

よみやすいエンターテインメント小説ばかりを読み、人間そのものを考えるような文学作品を敬遠してきた私には耳の痛い言葉でもあり、それいいじゃないか、とも思います。前述の、指図されたくない思い、というのはそういうことです。

ここで、このブログでも何度も書いてきた、純文学と大衆文学との違いは何なのか、という点にまた戻り、やはり答えは分かりません。エンターテインメント小説と呼ばれる作品、それこそ漫画の中にでも心を打つ作品はあると今でも思っているのです。

この作品で述べられている四つの物語は、本を読む行為についての考察が詰め込まれた作品でもあり、つまりは私たち自身の読書のありようだよと、作者は言っているようでもあります。

もしかしたら、本をあまり読まない人ばかりでなく、本好きだと公言する人にこそ読んで欲しいのだと、作者は思っているのかもしれません。
プロフィール

siro

Author:siro
このブログの本棟として本の紹介のサイトを開いています。
(こちらです⇒読んだ屋
本ブログを別棟として位置付けて、読んだ本を記録していこうと思い立ちました。ここでの文章を母屋であるそのサイトに転記していくつもりです。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR