FC2ブログ

辻堂 魁 遠き潮騒 風の市兵衛19





風の市兵衛シリーズ第十七弾です。Amazonなどでは通し番号で「風の市兵衛19」となっていますが、上下二巻の作品も二冊として通し番号を振ってありますので、作品としては十七番目の作品です。



公儀小人目付役の返弥陀ノ介は、幼なじみである松山卓、寛治兄弟の家を訪れていた。卓の父辰右衛門は、船橋の了源寺の随唱という住持が、三年半前に銚子湊の務場から姿を消した卓らしき人物を見かけたらしいので、弥陀ノ介に確認に行って欲しいと言うのだった。早速旅立つ弥陀之助だったが、それには信正からの頼みを受けた市兵衛も同行することになる。

一方、深川西永代町の干鰯〆粕問屋≪下総屋≫の主人善之助が殺された事件を追う北町奉行所同心の渋井鬼三次も、犯人が銚子湊の者らしいとの話を聞き込み、銚子湊まで行くことになっていた。

銚子湊の幕府務場の改役・楢池紀八郎と、楢池の相談役を務める二木采女は、下総屋本城別店番頭の峰吉を相手に、銚子湊の顔役である侠客の五郎蔵から島竜へと縄張りを移す算段をしていた。それにはまず、五郎蔵から縄張りを譲り受けた飯岡の助五郎の縄張りを島竜のものとし、その後五郎蔵を片付けようというのだった。

務場で楢池らから卓が屏風ヶ浦の断崖から身を投げた様子を聞き、その足で卓が身を投げた場所へとむかうと、三度笠の男らに助五郎のもとへと案内される。助五郎から卓らしき男の話を聞き、翌朝、助五郎の子分の案内で卓のもとへと向かった弥陀ノ介らは、妻のお千とともにいる卓に会うのだった。



久しぶりに今シリーズを読みました。このシリーズとしては普通に面白く読んだ物語でした。可もなく不可もなくと言い換えていいのかもしれません。

ただ、このシリーズの雰囲気が、本書は特に、物語として厚みが無くなってきている感じがします。物語が、語りものとして、感傷面だけをあおるものになると、人間描写が置き忘れられた中身のないお話に堕しかねません。

本書では、物語の中心になる弥陀之助自体の活躍も、勿論市兵衛の活躍もあまり無く、弥陀ノ介らは卓の消息を単にたどるだけであり、弥陀之助も、同行している市兵衛も事態の流れに身をまかせているだけです。

流れに身をまかせた結果、卓に会い、無計画な楢池や二木の襲撃を撃退しているのであって、弥陀ノ介や市兵衛らの存在が感じにくいのは残念でした。

それは、五郎蔵や飯岡の助五郎といった講談『天保水滸伝』に出てくる実在の人物を登場させているにも拘らず、こちらも印象が中途半端に終わっていると感じるのと同様だと思われます。

今回はかなり辛口なことを書きました。繰り返しますが、物語として面白くない、と言い切っているわけではありません。面白さはあるのですが、少々厚みのない物語になりそうな危惧を感じたため、今最も好きなシリーズの一つであるからこそ書いた次第です。

上田 早夕里 魚舟・獣舟





本書は、五編の短編と、一編の中編からなる、SFともホラーともつかない作品集です。

本書の構成については、「ブルーグラス」と「小鳥の墓」を除いた四作が、「異形コレクション」という光文社文庫で刊行されているアンソロジー・シリーズで既出の作品を著者の短編集として組みなおしたもの、とSF評論家の山岸真氏による本書の解説にありました。

特に冒頭の「魚舟・獣舟」という作品は、堀晃氏が「2006年のベスト短編である」と絶賛されるように高い評価を受けた作品です。

「魚舟・獣舟」
この作品は、私が先に読んだ傑作長編の『華竜の宮』とそれに続く『深紅の碑文』のもととなった作品です。本書の、陸地の大部分が水没した25世紀の、陸上民と海上民と別れて暮らしているという設定は、それも、海上民の生活基盤が、「魚舟」と呼ばれる生物の体内で暮らし、この「魚舟」の変形として「獣舟」が存在する、などのアイディアは本書のこの作品が出発点となっているわけですね。

この世界観のもと、今では陸上で暮らす海上民となり、陸に上がってくる獣舟の討伐隊員となっている「私」と、自分の「朋」である獣舟を助けようとする幼なじみの海上民の美緒との物語。三十頁ほどの短編の中で表現されている世界の緻密さは見事です。

「くさびらの道」
解説によると、「幽霊の考察」というお題に対して書かれた作品だということですが、まさに幽霊の話です。九州で発生した寄生茸に体を食いつくされる病気の研究をしている主人公は、突然近畿に飛び火したこの病のために立ち入り禁止となった実家へ、妹の婚約者と共に訪れますが、そこにいたのは茸に食いつくされた筈の両親であり、妹でした。

「饗応」
主人公の貴幸は本社への出張の時、ホテルの手違いで本館の部屋が取れず、別館のよりグレードの高い部屋へと案内されます。そこにあった露天風呂で、ゆっくりと体のパーツがはずれてゆき、自分が生まれたときのことを思い出していた。

いかにもSFらしい、そしてひねりの効いたショートショートです。

「真朱の街」
ちょっと目を離したすきに五歳の娘が攫われてしまった邦雄は、捜し屋の「百目」に会い、自分の命と引き換えに娘を探すことを引きうけてもらいます。文字通り百の目を持つ鬼だった「百目」はその子を捜し出しますが、その子は特殊な能力を有していて、攫った女にも邦雄にも手元に置いておく必要があったのです。

人間と妖怪とが共存する特別区での、異形の者らの姿が描かれます。

「ブルーグラス」
彼女との想い出が詰まったブルーグラスというオブジェを、彼女が去った後O県M岬沖の海域に置いた伸雄は、その海域が立ち入り禁止になるらしいというニュースを聞いて、再びM岬を行ってみる気になりました。

ここで描かれているのは汚染され、死滅していく珊瑚などの現状の告発以外には「感傷」しかないのでは、と思っていたのだけれど、解説には「ダイビングをフィーチャーした海洋SFでもある」とありました。でも、この解説の意味はよく分かりませんでした。

「小鳥の墓」
通称ダブルE区、正式名称を教育実験都市という子供を健全に育てることに特化した街で育った「僕」は、中学部の二年になったときに勝原という生徒と同じクラスになる。この勝原にダブルE区の外に行くことを誘われた僕は、彼の誘惑に逆らうこともできたのだけれど、結局、共に外へ出かけることを選ぶのでした。

本文庫の半分以上を占める、もう中編というしかない一編です。著者の上田早夕里のデビュー長編の『火星のダークバラード』に登場するある重要な脇役の前日譚だそうですが、本書だけで独立した作品として読むことができます。

上田早夕里の作品は、どの作品もかすかに倦怠感にも似た雰囲気が漂っていると感じるのですが、本作も例外ではありません。というより、本作は特にその感じが強いと言えるでしょう。




もともとが「異形コレクション」の中に収められていた作品であるところからも分かるように、ホラーの要素も持った作品が集められています。

そのぞれの物語のSFとしてのアイディアも見事ではあるのですが、この作者の一番の魅力は、彼女の作り出す世界観にあり、その世界の中で生き生きと活動する人物造形に私は惹かれているようです。

先にも書いた倦怠感は、作り出された世界の中で生きていながらも、その世界から拒絶されている、若しくは自分から拒否している登場人物たちの、その世界に対するあきらめからくるもののようです。

「魚舟・獣舟」の主人公も海上民から陸上民としての生活を選び、惰性的な生き方をする中で幼なじみとの邂逅があり、陸上民として生きる自分を改めて見つめなおします。「小鳥の墓」の主人公はさらに明確に、自分の親、そしてダブルE区という管理社会からの脱出を図ります。

このように、そのあきらめを乗り越えて脱出を図ろうとする、その姿勢に惹かれるのだと思います。

今野 敏 棲月: 隠蔽捜査7




今野敏の隠蔽捜査シリーズの第七弾の長編警察小説です。


ある日電車の運行が止まり、その原因がシステムがダウンしたことによると聞いた竜崎は、皆が調査対象場所が管轄外であることやこの程度のことでと二の足を踏む中、その原因の調査を命じます。

そのうちに今度は銀行でのシステムダウンが起きます。都市銀行のシステム障害だということであり、そこにも捜査員を送るように命じる竜崎でした。

当然のことのように第二方面本部の弓削方面本部長からの管轄違いとのクレームが入りますがまったく意に介さずにいたところ、今度は警察本部の前園生活安全部部長から捜査員を引きあげろとの連絡が入ります。しかし、これも無視する竜崎でした。

家庭では息子の邦彦がポーランドへ留学したいと言いだしており、その相談に乗ろうとしていた竜崎ですが、自分の身にも異動の内示が出そうだとの噂が耳に入り、動揺している自分に驚くのでした。

翌日早朝殺人事件が起き、大森署に捜査本部が置かれることになります。被害者が少年、それも以前から目をつけられていた非行少年ということもあり、仲間と思しき少年らに話を聞いてもなかなかこれという話を聞くことはできないでいました。

なかなか犯人に結び付く手掛かりが見えないまま、システムダウンした電車や銀行へ捜査員を派遣したことへの各方面からの反発をさばきながら、捜査本部とシステムダウン事件の両面に対処する竜崎でした。




いつもの通り、一旦読み始めるとやめられませんでした。といっても、新刊書で333頁という分量でありながらもそれほど時間はかかりません。会話文と改行が多いために頁数からくる見た目の厚さほどには時間はかからないと思います。

とは言え、物語の内容が無いわけではなく、読後は十分な読み応えがあるのもいつもの通りです。

ネット社会での情報操作の怖さと少年犯罪の特殊性を考慮しつつ、竜崎には理解しがたい人間関係のしがらみを原理原則論で貫き、伊丹俊太郎刑事部長の同意を得ながらも思う通りの捜査方針を貫く竜崎の姿は、痛快であり、爽快感すら感じます。

いつもの通り合理的と信じる途を歩んでいる竜崎の姿が描かれている本書ですが、かつてとは微妙に異なる思考、感情を抱く自らを疑問に思う様子などもあって、大森署に赴任してからの竜崎を思い起こすかのような流れとなっています。

それは、本書では序盤から竜崎の異動の噂の話が伊丹からもたらされ、いつもと異なる竜崎がいることも影響しているようです。竜崎自身が、その移動の噂に予想以上に動揺する自分や、大森署を去りたくない自身の心に気付き、改めて驚いたりという姿があるのです。

その姿は、竜崎自身の家庭での、妻冴子との会話にも表れています。「大森署があなたを人間として成長させた」という冴子の姿は、いつもの竜崎家の姿とはかなり異なり、警察官竜崎と、それを支える妻冴子の関係がよくあらわされています。

しかしながら、その冴子も、竜崎に対する態度とは異なり、息子のポーランドへの留学の問題で、いざ息子が自分のもとからいなくなる話になると、途端に母親としての姿が表面に出てくる様子などには、感心すると同時に温かく思え、物語の厚みを感じます。

次巻からは大森署赴任当初のような、竜崎のことを理解する人間が誰もいない状況を最初から繰り返すことになると思いますが、シリーズのマンネリ化も防ぎ、新しい風を入れる手法として、このシリーズのファンとしては今回の異動の話は大歓迎というところでしょう。

次巻が発売されるのがかなり待ち遠しいと思わせられる一冊でした。

団 鬼六 真剣師小池重明




真剣師(しんけんし)とは、賭け将棋、賭け麻雀といったテーブルゲームの賭博によって生計を立てている者のことである。( ウィキペディア : 参照)


勿論、賭け将棋は違法であり、真剣師という存在自体は日のあたるものではありません。しかし、賭け事の歴史は人類の文明の発生と同じというほどですから、世の中から無くなるものではなく、人間社会の陰の側面として常に存在するものなのでしょう。

事実、何より公の機関が運営主体となる競輪、競馬を挙げるまでもなく、私たちの日常生活の中にパチンコやスロットマシンがあり、またゲームとして行う麻雀、囲碁、そして将棋など、結果として勝敗がつくゲームはまず賭け事の対象になっています。

その将棋では近年藤井聡太氏の連勝記録や六段昇進、羽生永世七冠の誕生などで人気になっていますが、本書は「将棋」で行う賭博の物語で、実在した小池重明という真剣師の物語です。



著者はSM小説で名を馳せている団鬼六です。この作家の作品はその名は知っていたものの、SM官能小説を読む気にはなれず一冊も読んだことはありませんでした。

しかしながら、本書にはそうした官能のニュアンスは全くなく、小池重明という社会生活不適合者と言ってもよさそうな人物像をわりと客観的な視点で描き出してあります。

著者団鬼六は、自身が書いた「はじめに」と題された文章の中に、小池重明について

この男には不可思議な魅力があった。人間の不純性と純粋性を兼ね合わせていて、つまり、その相対性の中に彷徨をくり返していた男である。善意と悪意、潔癖と汚濁、大胆と小心、結城と臆病といった相反するものを総合した人間といえるだろう。徹底して多くの人に嫌われる一方、また、多くの人に徹底して愛された男である。


と表現しています。

人妻との駆け落ち歴三回。寸借詐欺事件を起こして、アマ・プロ棋界から追放された男。新宿で世話になっていた恩人の将棋道場兼居酒屋で、女かギャンブルかで店の金を何度も盗み出し逃亡し、最後には茨城県の別の恩人の店の店長をしていたものの、店の金と新車を盗み女と共に逃亡するなど、破天荒という言葉を越えた無法な生活をしていた男。

それでもなお、どこか憎めない男であったようで、裏切られ続けてもなお応援し、その人物の代わりにまた誰かが助けてくれる人が現れるのです。男も何故か見捨てられない、そういう人物だからこそ女もまた惚れるのでしょう。

著者自身、そうしたお人よしの一人でもあり、自分の小池重明に対する、迷惑でありながらも気になって仕方がないという心の内をはっきりと書かれています。

しかし、一旦将棋盤に向かうと連続二期アマ名人となり、プロ棋士との勝負にもことごとく勝ち続けます。あまりに強過ぎ、真剣師として相手になるものもいなくなったそうです。

本書は小説ではなく、評伝と呼ぶべきものでしょう。著者が小池重明自身の手記や彼を知る者からの聞かされた談話、そして著者自身の小池との交流経験をもとに「出来るだけ真実に近い小池重明伝」とした書かれたものです。

従って、いわゆるエンタメ小説の面白さはなく、代わりに荒唐無稽なギャンブル小説にも似た、普通の人生ではありえない人生を垣間見ることが出来ます。


本書は、柚月裕子の新刊『盤上の向日葵』を読む前に、真剣師の小池重明について調べてから読んだ方がいい、との焼酎太郎さんの勧めで見つけたものです。『盤上の向日葵』の内容は全く分からないものの、もうそれほど遠くない時期には読めるでしょう

北野 武 ラストシーン 北野武





「取材を語る」「恐怖を語る」「運・不運を語る」「弟子の名前を語る」など、時代の最前線で表現を続けるビートたけし/北野武の核心を問う全14本のインタビューを収録。なぜ、彼だけが特別であり続けられるのか。笑いと納得だらけの金言が満載です!(「BOOK」データベースより)


本書は、ロッキング・オンから刊行されている雑誌『SIGHT』、『SIGHT ART』で長期連載中である北野武の自叙伝インタビューと、本書用に収録されたインタビューも収録した単行本シリーズの第十二弾です。

北野武という、現在のお笑い界の最高到達点にいる一人の芸人へのインタビューをまとめた聞きとり集で、これまでも『北野武 自叙伝シリーズ』として十一冊が刊行されています。

北野武という名前だけで、インタビューの聞き取り形態での出版が出来るのですから、北野武という人間の人気度の高さが知れます。

芸人として、また人気監督としての発言そのものが小気味よく、含蓄ある言葉として読者は受け取り、本人は金が入るだけですから笑いは止まらない筈です。

でも、北野武という人物に興味があり、彼のインタビューは聞こうと思うのですから仕方がない。彼の語った言葉が活字になっているだけでそれを読もうと思うのです。惚れた弱み、ということかもしれません。

でも、自分で金を出してまで買おうとは思わないし、実際、本書も図書館で借りて読んでいるのですから、私にそこらのことを言う資格はないのですが。

とにかく、この人の生きざま、そして彼の作り出す番組、作品は文字通り破天荒であり、ユニークで面白いのだからどうしようもありません。

かつて「大橋巨泉」というテレビの申し子がいたけれど、あの人を越えたのかもしれないと思うこともあります。それほどに、テレビの世界に残したものが大きいし、映画の世界にもその足跡を残しているのですから、何も言えないのです。

とにかく、「戦場のメリークリスマス」に抜擢されて役者をやり、希代の殺人犯大久保清などの極悪人を演じた頃からずっと見ているたけしであり、北野武ですので、その他大勢の一ファンとして更に見つめていきたいと思うのです。

高田 郁 あきない世傳金と銀〈3〉奔流編




「あきない世傳金と銀」シリーズの第三巻目「奔流編」です。

番頭の治兵衛が卒中で店を退き、阿呆ボンと呼ばれる四代目徳兵衛の妻となった幸でしたが、突然その阿呆ボンが逝ってしまいます。跡継ぎの四代目の弟の惣次は、「五鈴屋」の跡取りとなる条件として、幸が自分の妻になることと言ってきたのでした。

惣次の嫁となって町内にも認めてもらい、晴れて「五鈴屋」のご寮さんとして働き始めた幸に対し、惣次は、五鈴屋を日本一の店にする、そのために江戸への出店するという夢を話して聞かせます。そのために力を貸してほしいと言ってきます。

ただ、惣次は商売に身を入れ必死で働きはするものの、お家さんの冨久からすれば、奉公人を頭から怒鳴りつける惣次の姿は、ただ心がない商いとしか思えないのでした。

師走でのまとめての支払いである「大節季払い」を「五節季払い」とし、利息がかからない分商品の値段を下げるなどの改革を打ち出す惣次であり、五鈴屋の名を世間に知らしめるための宣伝の方法などの知恵を出す幸の姿もあり、五鈴屋は次第に順調人割り始めます。

しかしながら、「商いは情でするもんやない」という惣次はまた、幸に感謝をしつつも「私の陰に居ったらええ。何があったかて、私が守ってみせるさかいにな。」と言い、戦国武将になるつもりの幸の心とは微妙に異なる道をすすむのです。

その後、「店の外側を変える」、つまり呉服の仕入れの流れを変えると言いだした惣次でした。



やっと五鈴屋も軌道に乗ってきました。その間、四代目徳兵衛から五代目へと夫が変わりましたが、幸は更に商いの上での武将になるという思いを実践していきます。

実際、幸のアイディアを惣次が実行し、五鈴屋の世間への認知度は飛躍的に上がります。本書では、幸が商売の道の入り口に立って一歩を踏み出した姿が描かれているのです。

でありながら、夫にはなかなかに恵まれず、阿呆ボンの次の夫の惣次は、女である幸を認めるようでいてやはり自分の陰に置こうとします。

その結果、本巻の終わりには五鈴屋は大きなトラブルを抱え込むことになり、やはり幸の身の上に大きな転換点が訪れようとするのです。

なかなかに面白いシリーズとして大いに期待して読み続けていますが、その期待は今のところ裏切られることはありません。早速、続刊を早く読みたいと思うばかりです。

長岡 弘樹 教場0: 刑事指導官・風間公親




あの鬼教官が、殺人現場に臨場!

第一話 仮面の軌跡
日中弓は、借金の肩代わりに芦沢健太郎と交際を続けてきた。大企業の御曹司から見初められ別れを告げるが、芦沢に二人の秘密を暴露すると言われる。
第二話 三枚の画廊の絵
画廊を営む向坂善紀は四年前に離婚し、息子匠吾の親権を手放した。高校二年生の匠吾には、抜群の芸術的センスがある。本人も芸大進学を希望しているが、その夢を阻む者が現れた。
第三話 ブロンズの墓穴
佐柄亜津佐の息子である小学三年生の研人は、学校でいじめに遭い、登校拒否になってしまった。だが担任の諸田伸枝は、いじめの存在を認めない。面会を拒否する諸田に、佐柄は業を煮やしていた。
第四話 第四の終章
派遣社員の佐久田肇は、隣室に住む女優筧麻由佳の美しさに惹かれていた。その佐久田のもとへ、麻由佳が助けを求めてやってくる。彼女の部屋にで俳優の元木伊知朗が、自殺しようとしているというのだ。
第五話 指輪のレクイエム
自宅でデザイン事務所を営む仁谷継秀は、認知症の症状が進む妻・清香の介護に疲れ果てていた。仁谷は五十歳、清香は七十歳。こんな日が来ることを覚悟はしていたが、予想よりも早かった。
第六話 毒のある骸
国立S大学の法医学教授である椎垣久仁臣は、服毒自殺した遺体を司法解剖する際、事故を起こし、助教の宇部祥宏に大けがを負わせてしまった。事が公になれば、自らの昇進が流れてしまう。
(「内容紹介」より)



教場』で一躍人気ものとなった鬼教官・風間公親の、刑事としての現場時代を描いた全六篇の短編小説集です。

各話の内容は上記「内容紹介」に譲りますが、これまでの『教場』『教場2』に比べると、その面白さは半減したように思えます。

物語は、T県警の各署にいる経験三か月の刑事が定期的に本部へ派遣され、風間公親という指導官の下で三か月間みっちりと教えを受ける、風間道場という刑事育成システムに送り込まれた新米刑事の話です。

これまでの教場が警察学校での話であって、風間公親がそこでの教官であったように、本書の場合は現場の刑事の話ではあっても、これまで同様に風間刑事の指導の様子が語られているのです。

ただ、本書の場合、閉ざされた社会内部での話ではなく、警察現場での話であり、風間刑事の指導も学生に対するそれではなく、実際の事件に即した刑事としての着眼点なり、考え方についての指導であり、その点ではかなり異なる内容の話となっています。

目星の付いている犯人の犯行を如何に暴いていくかという、「誰が」ではなく「如何にして」若しくは「何故」といった観点からの指導の物語であり、新米刑事の着眼点を、落第、つまりは駐在所勤務からのやり直しという脅しともとれる言動で叱咤し、犯人へとつながる道筋を見つけさせるのです。

その過程の描写で犯人の側からの視点がまずありますので、犯人が何故そうした犯行に及んだのかという動機の描写がまずあり、犯人のトリックなり、アリバイ工作なりを覆し、犯罪を暴きたてることになるのですが、ここで私は、犯人側のやむを得ない事柄の結果犯された犯罪について、犯人に対しての言及が何もないところに違和感を感じたようです。

これまでのこの著者の各作品では、登場人物の心象の描写があり、起きた事件の事後処理なり、結末報告なりのフォローがあったと思うのですが、本書の場合は犯人の側の後始末はありません。

トリックにしても、どこか現実感を書いた犯人側の設定、そして描写であるためか、これまでのような切れのよさのある伏線の回収は感じられませんでした。

もしかしたら、風間シリーズに対する私の期待感がそう感じさせたのかもしれません。

伊吹 有喜 彼方の友へ




数年もすれば太平洋戦争へ突入しようかという昭和十二年から終戦の昭和二十年に至るまでの少女雑誌編集部を舞台にした、第158回直木賞の候補作となった長編小説です。



十六歳の佐倉ハツは、思いもかけず銀座にある大和之興業から出されていた少女雑誌「乙女の友」の編集部に勤めることになります。

長谷川純司という画家の抒情画と主筆でもある有賀憲一郎の詩が人気のその雑誌は、ハツの愛読書でもあり、全国の少女たちの人気の雑誌でもありました。

編集部は高等教育を受けた人達ばかりであり、小学校しか出ていないハツには場違いな職場ではありましたが、ハツにとってはあこがれの有賀憲一郎と長谷川純司のいる編集部は夢の世界だったのです。

また主筆の長谷川純司にしてみると若い女の子は迷惑な新人でしたが、ハツの「乙女の友」に対する愛情が本ものであることを知った後は、その態度も改まるのでした。

時代は太平洋戦争へと突入し、戦中、そして終戦へと至る「乙女の友」も移り変わっていくと共に、ハツもまた変わっていくのでした。



過去の出来事を回想の形式で語るというこの手法に出会うと、必ず『初恋のきた道』という映画を思い出します。ある若者の母親が少女時代を回想するこの映画は、私の母にも青春時代があったのだと改めて思い知らされたものです。

そして本書の場合、それ以上に中島京子の『小さいおうち』という作品を思い出していました。平井家の女中である一人の女性を通して、その想いと共に、太平洋戦争へ突入前の昭和の時代を描き出している名作で、第143回直木賞を受賞した作品です。

本書と時代背景も同じであり、主人公の回想で主人公の秘めたる思いを描き出すという構成も同じです。また文章の雰囲気も共にあたたかな目線であり、膨大な資料を読みこんだであろう時代描写も本書同様に素晴らしいものでした。

勿論内容は全く異なり、『小さいおうち』は一人の女中さんの眼を通して見た平井家の様子が中心です。また太平洋戦争直前の世の中の様子の描き方も、平井家という世界から世の中を見ているため、通常の描かれる殺伐とした世の中ではありません。

一番異なるのは、時代の雰囲気の描き方もそうなのですが、本書『彼方の友へ』のほうが『ちいさなおうち』に比べより情緒的だというところでしょうか。

何より本書で語るべき点は、本書の舞台背景が少女雑誌の編集部であるというところでしょう。読者を「友」と呼んで、その「友へ最上のものを」届けるという編集者たちの情熱は、読んでいて胸をうたれます。

本書の「乙女の友」という雑誌は実際にあった「少女の友」という実業之日本社が出していた少女向け雑誌だそうで、本書に登場する画家の長谷川純司は、「少女の友」の人気に一役を買った実在の中原淳一という画家だということです。この人の画はある程度以上の年齢の人であれば見覚えがあるかと思います。

ただ、否定的な感想が無いわけではなく、本書の冒頭近く、主人公ハツが危うい場面から救い出される場面で母親の過去が思わせぶりに描かれています。でも、そこらの両親の来歴は詳しく語られることはありません。

また、有賀憲一郎が招集されるときの扱いも、推測はできるものの詳しくは語られません。そこは作者の狙いなのでしょうが、もう少し明確にして欲しかったという気もします。

そして、全体的には、少々情緒過多であるというところでしょうか。でもこれは本書の舞台設定上仕方のないところかもしれません。

しかしながら、少々情緒過多気味ではあるものの、フローラ・ゲームというカードゲームのように、小道具の使い方のうまいことや、太平洋戦争直前の雰囲気など、何も知らない戦後世代の私にも真実味を持って迫ってくる文章力など、思わず惹きこまれてしまう文章であるのは間違いありません。

そして本書の場合は最後に思わずほろりと来るような感動的な場面も用意してあります。この場面は人によっては感傷的に過ぎると忌避感を持つ人もいるかもしれない書き方でした。

個人的には本書が直木賞を受賞していてもおかしくはないのではないか、と思う作品でした。

知野 みさき 雪華燃ゆ: 上絵師 律の似面絵帖




長編人情小説「上絵師 律の似面絵帖シリーズ」の第三弾です。

本書冒頭から涼太から求婚を受けた律の姿が描かれています。思いもかけない突然の求婚だったため、嬉しいながらも、何かと気もそぞろな律でした。

一方、前巻の終わりに受けた着物の上絵の仕事が上手くいかずに悩む律の姿が本巻の全編を貫いています。この仕事は雪永からの依頼であり、池見屋の類の妹の千恵に贈るのだそうです。しかし、その千恵の気にいる下絵が描けないのです。

着物の上絵の下書きがなかなか気にいって貰えない律でしたが、そこに、お勢という女からの、金を騙し取った将太という男の似面絵を書いてほしいという頼みが舞い込みます。

その後、千恵に会いに行った帰りに将太らしい男を見かけた律は急いで皆に知らせますが、皆が将太を捕まえに行くと既に将太は逃げおおせていました(「春の兆し」 )。

雪永から依頼の着物の下書きもはかどっていないなか、今度は慶太郎が店のお客のおせんという女を連れてきて、おせんが捜しているとい姉さんの似面絵を書いて欲しいと言ってきました。弟の頼みでもあり似面絵を描く律でしたが、このおせんという女の裏の顔が知れるのもすぐのことでした(「姉探し」)。

おせんの事件が落ち着くと、今度は涼太の父親で青陽堂の主の清次郎が仲間内の集まりで吉原へ泊まり、いつまでも帰ってこないという事態が起きます。共に吉原へ行った仲間に聞くと、翌朝には帰った筈だというのでした(「消えた茶人」)。

ある日千恵のとの話の中から雪華を描くというアイディアが浮かび、借り物の雪華図説をもとに仕上げた下絵はやっと千恵の気にいります。吉原で涼太の相方だった女郎の足抜け騒ぎもありますが、なんとか着物をしたてることができるのでした(「雪華燃ゆ」)。


まだあまり世に知られていない作家さんなのでしょうか。ネットでもあまりレビューを見かけません。

新たな人情作家としてなかなかに読み応えがあると思うのですが、時代小説が一つのブームとなっているとも聞くこの頃です。何かきっかけがあれば一気に火がつくのではないでしょうか。

ただ、前に読んだ『しろとましろ 神田職人町縁はじめ』は、面白くないということはないのですが、今ひとつ物語世界に入り込めず、小説としての奥行きの無さを感じたことからすると、作品に安定感がないのかもしれません。

でも、このシリーズに限定して言えば、物語の形態が似面絵という縛りがあるためか、捕物帳というには主人公の活躍は無く、かといって恋愛ものでも勿論ありません。人情ものというべきなのでしょうが、それにしては似面絵に基づく各話の出来事が少々安易な気もするなど突っ込みが色々と出てきます。それでもなお個人的には物語として面白く、引き込まれるものがあるのです。

このシリーズはまだまだ脇を固める人々についての書き込みなどが為されてくるでしょうし、そうすれば物語としての厚みも一段とできてくると思われます。

律という女性の成長譚ともとらえられるこのシリーズは、これからの人情小説の書き手としてのこの作家の伸びが期待できるシリーズだと思います。

池井戸 潤 ルーズヴェルト・ゲーム




痛快企業小説の第一人者である池井戸潤の、社会人野球チームの活躍をも交えた、ちょっと視点が変わった痛快小説です。



本書の主役は、かつては名門と言われた野球チームを有する青島製作所という中堅電子部品メーカーです。

しかし、社会的な不況の中で会社の業績は下降線をたどるばかりで、会社内には社会人野球チームを配しするべきという声も起きていたのです。そんな中、村野三郎野球部監督と社長とが喧嘩別れをし、村野監督はあろうことかチームのエースと主軸打者を連れてライバルのミツワ電器に移ってしまう事態が起きるのでした。

野球部部長の三上文夫総務部長は、大道雅臣という男を推薦され、新監督として迎えます。ただ、古参の選手たちは新監督のデータ重視の方針に異を唱えます。

一方、不況は会社の存続そのものをも危うくし、主要取引先から取引の縮小を告げられ、青島製作所社長の細川充は今後の方針に苦慮し、銀行の圧力もあって、リストラ策の実行を決断します。

ライバルのミツワ電器の値段を無視した攻勢があり、また青島製作所の専務である笹井小太郎を筆頭とする野球部の廃止を求める声が次第に大きくなってくるなか、廃止の危機を迎える野球部は沖原和也という強力な戦力を手にするのでした。




著者の池井戸潤は、2008年9月に起こったリーマン・ショックによりもたらされた不況下で、「読んで元気になってもらう小説を書こうと考え」、映画『メジャーリーグ』を念頭に、「企業間競争の代理競走である社会人野球にスポットを当てることに決めた」そうです( ウィキペディア : 参照 )」。

本書は、青島製作所の存続、つまりは対外的な経営努力と会社内部での派閥争いという普通の経済小説の流れの他に、野球部の活躍という新たな要素が加わり、特定の主人公は置かない多視点で描かれた小説として、物語としての魅力を増しています。

まず青島製作所自体の、ミツワ電気やジャパニクス社との間での経営陣の駆け引き、苦労があります。

その上で青島製作所内部での細川社長と、笹井専務ら一派との派閥争いがあり、また青島製作所野球部の廃止を主張する笹井専務らと、野球部存続に奔走する野球部部長の三上総務部長との確執があって、そうした状況が重畳的に描かれているのです。

勿論、それらの争いは個別ものではなく、青島製作所の生き残りという経営問題を中心にした一つの話であり、その軸のもとにそれぞれの話が描かれています。

青島製作所自体の物語も、青島会長というこの会社を立ち上げた人物が魅力的です。笹井専務という誰しもが次期社長と考えていた人物ではなく、コンサルタント会社に勤めていた細川充という人物を連れてきて社長としたのもこの青島会長でした。

その期待に応えて青島製作所の売り上げを伸ばした細川社長でしたが、世間は不況の波に襲われ、青島製作所もリストラ策を実行しなけらばならなくなる事態にまで陥っていたのです。

当然のことながら、野球部の存在自体を否定するものが現れるのは当たり前でした。青島製作所はその経営を維持できるのか、風当たりが強くなるばかりの青島製作所野球部は廃止されてしまうのか胸躍る物語が展開されるのです。

特定の人物を主人公として据えるのではなく、多視点で描いているこの物語は、だからなのか、若干ですが中途半端な印象もありました。

例えば、新しい野球部監督はもう少し話が広がるかと思えば若干知り切れな印象ですし、野球部の救世主の沖原和也も少々物足りません。かなり悲惨な仕打ちを受けていた沖原ですが、彼についてのエピソードがやはり物足らないのです。

本当は、これだけで一つの話ができそうな野球部の物語なのに、企業小説の一側面としてこれだけ描き出してあるのですからよく描いてあるというべきなのかもしれませんが、もう少し膨らまして盛り上げてほしい、と思ったのです。

それだけ面白かったのであり、もったいないと思えたということです。
プロフィール

siro

Author:siro
このブログの本棟として本の紹介のサイトを開いています。
(こちらです⇒読んだ屋
本ブログを別棟として位置付けて、読んだ本を記録していこうと思い立ちました。ここでの文章を母屋であるそのサイトに転記していくつもりです。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR