FC2ブログ

鈴木 英治 武者鼠の爪-口入屋用心棒(38)




口入屋用心棒シリーズの第三十八弾です。


前巻で予想した通り、本書では、未だに帰ってこない秀士館の医術方教授の雄哲と、その雄哲を探しに行ったっきり帰ってこない一之輔を探しに出かけることになります。



秀士館では、館長の佐賀大佐衛門を始め、薬種教授方で薬種問屋古笹屋主人の民之助なども集まり、半月もの間、何の連絡も無いのはおかしいと、佐之助と民之助は一之輔が生国だと言っていた川越へと探索に向かうことになります。直之進は、御上覧試合の決勝で室谷半兵衛に打たれ骨折した右腕も癒えていないため留守番ということになったのです。

そのころ、川越の新発田従五郎の屋敷では、八重姫を助けるために雄哲が必死の看病を続けていましたが、その新発田屋敷を見張る目がありました。

一方、富士太郎も雄哲の探索に加わり、品川で雄哲が川越行きの船に乗り込んだことを聞き込み、直之進に知らせます。そこで、直之進も川越へと向かうことになったのでした。



何かと事件が起きる秀士館であり、その解決に奔走する直之進と佐之助の姿が、いつもの通りに描かれています。

やはり、痛快時代小説では主人公らの活躍の場面を見せねばならず、そのためには主人公が魅力的に活躍するための、魅力的な事件を設定する必要があります。

通常は、幕府なり、有力藩の勢力なりの強大な権力を主人公の敵と設定するなどして、シリーズを通して主人公の活躍を描きだすことが多いのですが、本シリーズの場合、今のところそうした手法は取っておられず、言わば巻ごと、少なくとも数巻ごとに新たな敵を登場させておられます。

そのためなのか、このシリーズに若干マンネリ感を感じているのも事実です。やはり、魅力的な主人公にはそれに見合うだけの敵役の存在がなければならないというのは、痛快時代小説に限らない基本的な事柄のようです。

その意味でも、この頃の本『口入屋用心棒シリーズ』には魅力的な敵役が存在していません。

以前は、その役こそが佐之助だったのですが、現在は逆に直之進の親友になってしまっていますので、なんとか新たな敵役を創出して欲しいものです。


本書では、川目郷之助という忍びの頭目が直接的な敵役として登場しますが、どうしても今ひとつの印象しかありません。本書『武者鼠の爪』というタイトルにも関わる人物として登場している男ですが、個性的な性格設定をしてはあるものの、佐之助や直之進らシリーズを通して成長してきたキャラクターに見合う人物とは言えないようです。

面白くないシリーズではありません。面白いのは面白いのですが、何とか、もう少しの奮起を願いたいところです。

辻村 深月 かがみの孤城





2018年の本屋大賞を受賞した、いろいろな要素の詰まったファンタジー小説です。



中学一年生のこころは学校どころか、外に出ることもできずに自分の部屋に閉じこもっていた。ある日、部屋にある姿見の鏡が激しく光り、鏡に手を触れたこころは鏡に吸い込まれてしまう。

現れたのは城の中であり、狼のお面をかぶった少女のほか六人の子供たちがいた。彼らも誰が何のためにこの場所に連れてきたのかは分からず、ただ、“オオカミさま”と呼ばれている狼の面の少女の言葉を聞くだけだった。

“オオカミさま”は、今日から三月の三十日までの間に「願いの鍵」を探し出し、その鍵で「願いの部屋」に入った一人だけにどんな願いも叶えてやるというのだった。ただ、城が開くのは毎日朝九時から夕方五時までであり、その後まで城に残っていると連帯責任で狼に食われるなどの制約だけがあった。



この本は、実に贅沢な本でした。というのも、読み手により様々な読み方ができる作品になっているということです。それは読み手の経験、物語の好み、更には、読書のときの読み方によっても変わってくると思えるのです。

そうしたことは読書という事柄の性質上ある程度は普通のことではありますが、本書の場合、作品の内容自体が様々な読み方ができる内容だと思うのです。


まずはファンタジーとして、実に面白く読むことができました。異世界に入り、自由に過ごすことができる空間を確保し、皆と仲良く過ごすことができる場所を、中学生のこころは楽しんでいます。

異世界と時間的な制約はあっても、自由に行き来でき、引きこもりという現実世界と、数は少なくても、友達と呼べる仲間と仲良く会話ができる異世界とをうまくつないでいくこの物語は、エンターテインメント小説としての面白さを十分持った物語でした。


もう一つは、いじめに押しつぶされそうになっている子供たちへ思いを馳せることができる作品だということです。

クラスで始まった無視、浴びせられる雑言、執拗な嫌がらせなどの仕打ちは、いじめを受けている子供にとっては自分の住む世界からの攻撃であり、学校だけではなく、家から、若しくは自分の部屋から出ることすらできなくなってしまうのでしょう。

そこに学校の先生らの間違った対処が加わると、遺体は一層悪化するという話はよく聞くことです。

そうした自分の居場所を無くした子供たちの心の動きを教えてくれる作品でもありました。多分ではありますが、作者の取材の末に書かれたであろうこの小説に描かれている子供たちの現実、そして心の動きは、ある程度事実に即したところもあるではないでしょうか。


そして最後にミステリー的な要素をも持っているということです。

こころたちが招待されたお城とは何なのか、“オオカミさま”とはいったいどういう存在なのか。そして、秘密の部屋やそこに入る秘密の鍵はどこにあるのか、本書の始めから貼られている伏線が回収されていき、本書のクライマックスで一気に、それも二段階の仕組みが明らかにされる過程は快感でもあります。

この、ミステリー要素だけをとってもかなり面白い小説です。それ以外のファンタジーや、いじめを受けている子供たちへの思いなどの要素を抜きにしても、よく考えられている小説だと言わざるを得ません。



勿論、上記の要素があいまっての本書ですから、どれか一つだけを取り上げて読むということではありません。それでもなお、いろんな要素が盛り込まれている本書だからこそ、読み手により様々な読み方ができる作品だと思うのです。

本屋大賞受賞作の名に値する、実に面白い作品でした。

辻堂 魁 冬の風鈴 日暮し同心始末帖3





日暮し同心始末帖シリーズの第三弾です。

序 三年三月
小石川小日向の質屋朱鷺屋長佐衛門が金と命を奪われてから三年と三月がたったころ、石川島人足寄せ場から解き放ちとなった常州無宿鉢助は、翌朝佃島の沖で死体となって見つかった。

第一話 春蝉
龍平は、鉢助が人足寄せ場におり、その前は越中島の岡場所で二十両の散財をしたのちに物乞いとなり、無宿人狩りに遭ったことを調べ出す。その後、鉢助の家を訪ねると、鉢助という男は既に死んでいたことが判明するのだった。

第二話 冬の風鈴
鉢助の死に関係する常次という男を使っていた火付け盗賊改同心土屋半助が龍平を訪ねてきて、常次は朱鷺屋長佐衛門妾宅への押し込みの一人の鉢助こと伝七を追っていたので、あとは自分に任せてほしいと言ってきた。

第三話 おぼろ月
朱鷺屋長佐衛門妾宅への押し込み殺の一人と思われる忍平ノ介の捕縛に、平ノ介の兄と名乗る男が同道させてほしいと言ってきた。平ノ介の過去にひそむ悲哀を胸に含み捕縛に向かう龍平だった。

桔 一刀龍
俊太郎が喧嘩をした相手に謝りに行く龍平は、傲慢な相手の親の言い分に従い試合をすることになる。


前巻で感じた「弱者の悲哀」という視点は今回もそのままでした。このシリーズの色合いとして定着していくのでしょうか。

本書ではやはり虐げられていた一人の女性が、妾としてでもまた旦那となる男からひどい仕打ちを受けている姿が描かれています。こうしてみると、この作者の『風の市兵衛シリーズ』よりも、『夜叉萬同心シリーズ』の方により近い雰囲気を持っていると言えるのでもしれません。

前作でもそうでしたが、本書は弱者を食い物にする非道の輩をやっつけるという王道の痛快ヒーロー時代小説です。

ただ、描かれる弱者が、前巻の濡れ衣を着せられた市井の銀吹き職人とその家族や、本書で描かれる家族のために身を売り、そして身請けされて妾となった女やその想い人などのように、虐げられてもなお生き抜こうとしますが更に試練が加えられるという、決して痛快小説というわりには明るくない内容なのです。

それでも、物語として重く、暗い話とはなっていないのは、主人公の龍平自身の持つどこかのんびりとして、捉えどころのない人柄や、龍平の家族のほのぼのとした雰囲気などにあると思われます。

周りからは、「その日暮らし」の使い勝手の良い下っ端、とみられている龍平が、実は剣をとっては奉行所一の腕を持つ、という痛快小説の定番を押さえてありながら、それがありふれた話になっていないのも、こうした設定のためであり、つまりはこの作者の手腕によるものでしょう。

そうした痛快さが堪能できる一編として、本書の「桔 一刀龍」などは典型的な話です。しかしながら、そこにカタルシスを十分に感じることができるのですから、この作者からは目が離せません。

辻堂 魁 花ふぶき 日暮し同心始末帖2





先日、大阪で大きな地震が起きてしまいました。二年前の熊本地震のとき、ガスの復旧に駆けつけてくれたのが大阪ガスの人たちだったと覚えています。雨の中を一生懸命に各戸の点検をし、復旧作業に勤めてくれている姿には感謝しかありませんでした。

いま、私個人としては何も恩返しはできません。ただ再度の地震がないことを祈るばかりです。二年前も地震の後大雨になりました。今回も大雨になりました。被災地の方々の無事をと願います。



ところで本書。

日暮し同心始末帖シリーズの第二弾です。

序 春の雪
橋場の渡しをすぎた隅田川で、公儀勘定吟味役阿部勘解由の子息伝一郎がさらわれ、娘義太夫楓染之助と船頭だけが残されるという事件が起きます。

第一話 送り錬
神田豊島町の藁店の黒雲亭という寄席にでている女義太夫が人気で、熱狂した客の送り連が増え、中でも部屋住みが集まった「飛龍魔連」はたちが悪く、柳原堤で起きている物乞いらに斬りつける「一、十、万」と叫ぶ一団は、「飛、龍、魔」と叫んでいるのだろうというのでした。

第二話 古着
龍平は、阿部伝一郎誘拐の探索を目じられ、伝一郎の着物が古着屋に出ていることをつきとめた宮三でした。果して古着を売った物乞いの熊造の住まいに伝一郎がいたのです。その熊三は話を持ちかけてきた男の住まいを知っているというのでした。

第三話 娘浄瑠璃
龍平のもとを訪ねてきた阿部家の足軽の高田兆次郎は、銀座屋敷の吉右衛門という見張座人が殺された事件について話し、伝一郎誘拐と吉右衛門殺害とは十二年前の茂七一家の事件とつながっているというのでした。

桔 花吹雪の杜
伝一郎誘拐のその後の処理が語られ、向島の隅田堤花見へと繰り出した龍平一家の姿がありました。


シリーズ第二弾の本書から、第一弾『はぐれ烏』で感じた色合いとは異なる雰囲気の物語となっていました。

前巻『はぐれ烏 日暮し同心始末帖』では、第一話、第二話と人情話の側面が強い物語でしたが、本書からは物語自体の世界観からして少し異なっているように思います。

物語の構成として三話からなり、その前後に「序」と「桔」が記されている点は同じです。ただ、第一巻ではそれぞれの話は一応話は独立した短編だったのですが、本書ではそうではありません。

「序」で起きた事柄が全編を通した解き明かされるべき事件となっています。その上で、その事件に絡みつつ、一つの解決されるべき事件が個別に設定されているのです。

第一巻の人情話的な物語から、一点、恨みを抱えた人物の復讐譚へと変化しています。それも単なる復讐譚ではなく、ただ理不尽な権力の前に耐えるしかなかった弱者の、どちらかというと怨念に近い心情の描写へと変化しているようです。

だからと言って暗いだとか、重いとかいう印象とは異なります。ただ、耐えるしかなかった弱者の悲哀を前面に押し出し、その悲哀を前に日暮龍平がいかに関わっていくか、が焦点となっています。

この作者のもう一つのシリーズ『夜叉萬同心シリーズ』ほどではありませんが、人間の哀切、切なさといった負の感情を、追い掛けている物語となっています。そこに龍平の剣が一つの救いとして登場しているのです。

辻堂 魁 夜叉萬同心 冥途の別れ橋





本書は『夜叉萬同心シリーズ』の第二弾となる痛快時代小説です。


「序」では、文化4年(1807年)に起きた永代橋の崩落事故での様子が描かれ、そのまま永代橋の崩落事故で行方不明になっている万吉という火消し人足を探すよう命じられた七蔵が描かれます。この事件の裏には、横暴な臥煙らの行いがあったのです(第一話)。

その後、御家人・林勘助のひどい暴行を受けた後のある溺死体があがりますが、林勘助とその妻袈裟は永代橋の崩落事故で共に大川に落ち、勘助のみ助かり、袈裟は行方不明となっていたのでした(第二話)。

「赤蜥蜴」という押し込みの一団を捕らえるために必死になっている中、同心春原繁太の遣う留吉と耕鋤が斬殺されるという事件が起き、七蔵に探索の命が下るのでした(第三話)。



夜叉萬同心シリーズ第一弾を読んで、三年以上が経っています。第一弾を読んだときには「残念ながら期待に反するものでした。」と書いています。

その間、先に読んでいた『風の市兵衛シリーズ』も第一シーズン全十八巻を終え、第二シーズンに入っています。それほどに『風の市兵衛シリーズ』は面白く、私の好みにも合致したようです。

そこで、辻堂魁というこの作家の他の作品をもう一度読んでみようと、『日暮し同心シリーズ』を読んでみたのですが、これが思いのほかに面白い。

その上、驚いたことにこの作者の『日暮し同心シリーズ』の第一巻『はぐれ烏』の中には『夜叉萬同心シリーズ』の主人公、萬七蔵が登場していたのです。

そこで、一度はあまり面白くないと感じた『夜叉萬同心シリーズ』を再度読んでみようと思い立ち、第二巻の本書『夜叉萬同心 冥途の別れ橋』を読んでみた次第です。

ところが、これがまた面白い。前作『夜叉萬同心 冬蜉蝣』での印象はどうしたのかと、自分で納得がいきません。多分、新人であるための文章のこなれ具合や、物語の構成の仕方などが今ひとつだったということもあったのでしょうが、読み手である私の先入観がそう思いこませたのではないでしょうか。

風の市兵衛シリーズ』を読んで、その面白さに引き込まれ、改めて本書『夜叉萬同心 冥途の別れ橋』を読み、その先入感が外れたのではないかと思うのです。

第一巻では「殺しのライセンス」を持つ同心、という書き方をしているのですが、確かにそれほどに剣戟の場面が目立つ作品です。

もしかしたら、前作では切り捨てごめん、の指示が出ていたのではないかと思うのですが、良く覚えていません。そこで、もう一度前作を読んでみようと思います。

金子 成人 付添い屋・六平太 獏の巻 嘘つき女




付添い屋六平太シリーズの第九弾です。

第一話 犬神憑き
付添い屋の秋月六平太は、北町奉行所の同心・矢島新九郎から「打ち首獄門にかけられる罪人の、市中引き廻しに同道していただきたい」と依頼される。隠れ家を密告され捕らわれた兇盗・五郎兵衛は、奪った金五百両の隠し場所を、打ち首と決まっても白状せずにいた。五郎兵衛は、死の直前、不思議な言葉を六平太に告げる。
第二話 宿下がりの女
新川の味噌屋「出羽屋」の娘・寿美は、つい最近、奉公していた武家屋敷から宿下がりをした。その直後から、編笠を被った侍に付け狙われるようになったという。寿美は、側室と家臣の密通をはからずも目撃してしまっていた。
第三話 となりの神様
六平太は鰻屋「兼定」の主人定松から、店で無銭飲食をしたまま出ていった亀助という男の居所を調べてほしいと依頼させる。亀助はどこの店に行っても金を払わない。だが、彼が長く滞在する店は必ず繁盛するというのだ。
第四話 嘘つき女
代書屋「斉賀屋」に勤める博江に呼び出された六平太は、ある少女が代筆を依頼した不穏な手紙の内容について相談される。一方、市中引き廻しとなった兇盗・五郎兵衛の一味の者たちが、六平太の身辺をうろつきはじめる。


今回は、まさに六平太の活躍が目立つ物語です。

第一話「犬神憑き」では、罪人の市中引き回しの付添いという、普通ではありえない依頼があります。そこは、普段付き合いのある同心の矢島からの依頼ということであまり突っ込むところではないのでしょう。

その上で、この話の「犬神憑き」というタイトルのもとともなった長屋の騒動などを織り込みながら、もう一つの意味でもある、「犬神」という二つ名の五郎蔵という盗賊が、打ち首前に、六平太にある言葉を言い残し、死んでいくのです。

第二話も、側室の秘密を見てしまったがために襲われる武家屋敷に奉公していた娘の付添いという、用心棒稼業の六平太ならではの物語です。

第三話は、ある種のファンタジーであり、本書の息抜き的な話になっていて、その男が店に来ると繁盛するという噂の男の物語です。剣戟の場面はなく、ほっこりとする人情話になっています。

そして、第四話は、博江に代筆を頼んだ娘に絡んだ人情話です。この話もほんのり心があたたかくなる話です。

その上で、第一話で語られた犬神の五郎蔵という盗賊が隠したと思われる金をめぐり、五郎蔵の残された子分たちが各話で入れ代わり六平太の前に現れ、五郎蔵の最後の言葉を探り出そうとします。

そして、第四話でほっこりする人情話と共に、五郎蔵の残した金をめぐる捕物が展開され、本書全体を通して五郎蔵に絡む金にまつわる物語が語られるのです。

そしてもう一点、行方不明となっていた、六平太の女だったおりくについての話が、少しずつではありますが語られます。今では博江という新たなヒロインと思われる女性が登場しているものの、おりくが再び登場するのであれば、六平太をめぐる色恋の話が繰り広げられることになるのかも知れません。

今野 敏 寮生 ─一九七一年、函館。




先日、今野敏の珍しい小説『精鋭』を読んだばかりだったのですが、本書『寮生』も、今野敏の小説としては珍しい小説です。

『精鋭』は警察組織の紹介を兼ねた、機動隊員として成長していく若者の話でしたが、本書は、多分今野敏の青春時代を反映させている、青春小説です。

舞台は一九七一年の函館ですから、私が大学に入った年になります。ですから、時代の雰囲気は同じはずです。


入寮してすぐに上級生が新入生である一年生をおどかす入魂会という儀式が行われます。ところが、古葉という一年生の仲間が、入魂会をやろうと言いだした連中のうちだれかが死ぬ、という噂を聞きこんできた二日後に、二年生が死んでしまうのです。

ここから、主人公たちは死んだ二年生について、本当に自殺なのかを調べ始めるます。

読み始めは今野敏のいつもの小説のタッチとは違います。主人公が高校生ということもあるのでしょうが、何よりも物語の進め方にリアリティが感じられず、かなり強引な進行です。

主人公である「僕」は仲間の言うままに上級生の死の真相を探るために上級生らに聞き込みを始めます。しかし、この「僕」が何とも主体性が無く、読んでいて感情移入できません。

青春小説というわりには寮内の様子しか描いてありません。これは実在する高校のようですが、遺愛女子高等学校の女のことのデート場面がほんの少しあり、その際に五稜郭公園などの名前が出てくることがあるだけです。

もちろん、描写が寮内の様子だけだからといって青春小説ではない、などということはできないと思いますが、単に場所が限定されているだけではなく、青春期の若者らしい心象や行いなどの描写も無いのです。

ミステリーとしても決して良い評価もできず、青春小説としても同様であり、今野敏の作品としては珍しく消してお勧めできない小説と言わざるを得ないようです。

西本 雄治 やっとうの神と新米剣客




第一回招き猫文庫時代小説新人賞・大賞を受賞した、ファンタジックな長編時代小説です。



京都での武者修行を終え六年ぶりに江戸に帰ってきた瀬川俊一郎は、壊されそうになっていた鈴見神社を救ったところ、五つか、六つくらいの、自分は神だという“鈴”と名乗る女の子につきまとわれてしまう。

鈴の扱いに困った俊一郎は、幼馴染みで清水という料亭の娘の“いち”に鈴のことを頼みこむが、いちは俊一郎に、稲元香純という女剣士を紹介する。香純は吉田道場の高弟で、御老中神谷家匡の御前試合に出場するのだという。

この御前試合には、小さな社を大きな神社に合祀する合祀改革に取り組んでいる武内源太郎という男と香純との婚約がかかっているとうのだった。

そうした中、香純が暴漢に襲われ、代わりに俊一郎が御前試合に出場することになる。御前試合で俊一郎に敗れた武内源太郎のそばには、威風と呼ばれるあの巨漢がいた。



「招き猫文庫時代小説新人賞」とは、白泉社が新たに設けたキャラクター時代小説のと竜門だそうです。白泉社という会社自体が「花とゆめ」「LaLa」という少女漫画雑誌を主に扱う出版社であるからなのか、この新人賞で大賞になった本書も実にファンタジックな物語でした。

ただ、ファンタジックであること自体はいいのでが、ストーリーが時代小説ではなかったのは残念でした。それは、個人的な好みの問題になるのですが、時代小説としての時代的な背景の印象が殆どないことからくるのだと思われます。

時代小説の面白さは、現代とは異なる価値観、物質的な環境の中で暮らす市井の人々や、侍の姿を描くことで現代小説では描き得ない事柄を物語ることにあると思っているのですが、本書にはその時代の香りが殆ど香ってこないのです。

単純に、コミカルな時代小説の衣をまとったファンタジーとして、それなりに面白く読んだ作品であることは否定しません。

無頼漢に壊されそうになっていた社を救った主人公に憑いて、やっとうの神として何とか助けていこうとする姿や、その神様もまだやっとうの神としては新人に近いこと、人の信仰がなければ神様も消えて行かざるを得ないことなど、話自体は面白そうなのです。

それに敵役もラスボスとして神自身が俊一郎の前に立ちふさがること、など、軽く読み飛ばしてしまう作品として、その限りにおいて面白くはありました。

でも、俊一郎の父親や、幼なじみのいちの描き方など、なんとも半端な存在であり、物語の中での存在理由が何なのか、疑問に思ってしまいます。

やはり、時代小説として今後も読むかと問われれば、否定的な言葉しか出てこないと思われます。

村田 沙耶香 コンビニ人間





本書のような作品を何と言えばいいものなのか。私には評価のしにくい作品でした。第155回芥川賞を受賞している作品であり、文学的な意味合いでは評価の高い作品です。

本書に「あらすじ」は、あります。しかし、本書の「あらすじ」自体にはあまり意味はないと思います。



主人公の古倉恵子は小鳥が死んでも哀しみという感情が理解できません。幼い友達が小鳥の死に哀しんでいるときも、何故そのような感情になるのか理解できず、焼き鳥にすれば皆喜ぶとしか考えられない子でした。

皆が感じる普通の感情を持つことができないでいると、親や妹は、古倉恵子が「普通」でないことを嘆き、どうすれば「治る」のかを心配するのです。

普通の人間の普通の感情を持つことができない主人公が、マニュアル通りに動くことで世界の一部になることができるコンビニはまさに、自分が普通に生きることができる場所だったのです。

その場所に白羽という新人が入ってきます。自分以外を否定することしかできない白羽は、当然のことながら皆に受け入れられないのでした。



ここでは、物語の筋ではなく、「普通」であることについての問いかけがあり、その問いかけこそがすべてであると思います。

あらためて、では自分は普通かと考えて見ると、普通でいたくない、と思って生きてきた気がします。かつて私が学生の頃流行ったディスコでの皆の同じステップに妙な違和感を感じたり、ファッションにしても、もともと関心がないこともありますが、流行こそが一番という感覚にはついていけなかったり、とにかく右へならえという風潮には逆らいたくなっていました。

しかし、本書の場合それとは異なります。主人公にとっての普通が、世間の普通とは違うために異物として扱われているのですが、私の場合は基本的に普通である人間が普通から外れようとしているだけのことですから。



本書には、コンビニにおけるまめ知識がふんだんに描かれています。長年コンビニ店員として生活をしてきている筆者ならではの目線なのです。

冒頭の場面からそうで、コンビニにあふれる雑多な音を聞き分け、自分が何をすべきか瞬時に判断し、そのように動く主人公の姿が描かれているのです。そうしたトリビア的知識の面白さも持っています。

そうした通常の感情を排した機械的判断のできる女性としての主人公だからこそ、白羽という男に対し、理性的、客観的な対話が出来るのでしょう。


その白羽という男がまた現実にいそうな男です。勿論物語の中では極端なまでに誇張され、ある種「危ない人」のような描かれ方がされていますが、自分が世の中に認められないのは世の中が悪いからだ、と思っている人物は誰しも思い浮かぶのではないでしょうか。

その人物の自分勝手な論理を、主人公が冷静に対処し、確信をついた反論をすると、白羽は論理をすり替えるか聞こえなかった振りをするか、まるで漫才のような会話がなされます。

一つには怒るということをしない主人公に対し、自分よりも下位と判断し付け込んでくる白羽です。そうした白羽について主人公なりに合理的に考えた末にある結論にいたります。


こうした会話の妙は、この作者の持ち味なのでしょうか。他の作品も読んでみなければとも思いますが、やはり、この手の作品は私の好むところではありません。

ただ、本書に関しては百五十頁と頁数も少なく、言葉も難しい言葉は使ってないし、会話文が多いためにかなり短時間で読み終えることができました。他の作品もこうであるのならば読んでもいいかなとは思いますが、多分そういうことはないでしょう。

田牧 大和 鯖猫(さばねこ)長屋ふしぎ草紙





なんとも奇妙な小説でした。

主人公は売れない絵師の拾楽なのでしょうが、一番存在感があるのは、拾楽と共に暮らしている三毛猫というのです。



「白、茶、鯖縞柄の雄猫で、三毛の雄はごく珍しい。大人の猫にしてはほんの少し小柄だが、すらりとした身体にしゅっと凛々しい顔立ち、毛並みもつややかで、青味がかった鯖縞模様は飛びきり鮮やか、殿様姫様の飼い猫もかくやというほどの美猫(いろおとこ)である。」と描写されるこの猫が、長屋で一番偉いのだそうです。

そもそもこの長屋はもとは差配をしている老人の名をとって「磯兵衛長屋」と呼ばれていたものでしたが、猫の指図に従ったところ命が助かった者が出たこともあって、猫が一番偉いのであり、ついには「鯖猫長屋」と呼ばれるようになったものらしいのです。

この猫、鯖縞模様であるところから名をサバと名付けられたのだそうで、白いご飯に鰹節を乗せ、醤油をひとたらしした食事をいいつけ、その他に、何かにつけ指図をする、というように拾楽には思えるのです。



この拾楽は、何か秘密を抱えていそうです。

その隠された事情を各章の冒頭に設けられた「問はず語り」と題された一頁にも満たない短文で、「其の一 猫描き拾楽」では義賊「黒ひょっとこ」の独白が、「其の二 開運うちわ」では「お智」についてというように少しずつ紹介されていきます。

田牧大和氏の小説では『からくりシリーズ』でも猫が存在感を持って描かれていました。本書の場合、更に猫の存在感が大きくなり、ある種狂言回し的な位置にいるのです。

このサバを中心として、この長屋を取り仕切る拾楽の隣に住む大工の与六の女房おてるをはじめとして、拾楽に想いを寄せるおはまとその兄の貫八兄妹、料理人の利助とその女房おきねその他の住人ら、そして新しく越してきたお智という娘に住まいは別だがこの長屋の差配である磯兵衛といった面々が、この長屋に降りかかる様々な事件を乗り越えていくのです。

なんとも毒気が無さ過ぎて、私の好みからするとはずれはするのですが、そこは田牧大和という作者のうまさでしょうか。水準以上の面白さは持っていると思います。

一応、シリーズとして追いかけて見ようという気にはなる小説でした。
プロフィール

siro

Author:siro
このブログの本棟として本の紹介のサイトを開いています。
(こちらです⇒読んだ屋
本ブログを別棟として位置付けて、読んだ本を記録していこうと思い立ちました。ここでの文章を母屋であるそのサイトに転記していくつもりです。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR