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青山 文平 跳ぶ男





青山文平の久しぶりの長編の時代小説です。



本書の主人公屋島剛は道具役と呼ばれる藩士の家に生まれ育ちます。しかし、後添えである義理の母親に疎まれた主人公は野宮と呼ばれる野墓で一人能の稽古をするかありませんでした。

同じ道具役の家の生まれであり、能の稽古も見てもらっていた藩の秀才である岩船保を兄とも慕っていましたが、保も不始末を犯し自裁して果ててしまいます。

そこに現れた鵜飼又四郎に藩主の身代わりとなるように言われた剛は、自身の「能」を手掛かりに、保の言った「ちゃんとした墓参りができる国にする」という言葉を胸に、江戸へと向かうのでした。



やはりこの人の書く小説はいい。

特に本書はこれまでの作品とは異なった趣があります。

ここで「道具役」とは、能役者に扶持を与えるために、藤戸藩が宛がった御役目だそうです。「能」は武家にとってのたしなみであり大切な素養ですから、すでに「能」という芸事を自分のものとした能役者などを士分として取り立てるということもあったとあります。

本書はこの「能」という芸事を主題として、「能」を全く知らない読者を置き去りにして進んでいくようです。殆ど物語の全編が「能」を中心として紡がれていくのです。

ところが、普段「能」に全く接点のない身としては半分も理解が進まないままに物語は進んでいきます。とはいえ、「能」そのものについての理解はついていけないものの、剛や鵜飼又四郎らの侍としての生きざまについては、何とかついていけます。

結局、最後まで「能」を中心として物語は進むので、本書は「芸道小説」として位置づけられる作品だと思いつつ読み進めたものでした。



しかしながら、最後の最後でそれまでの本書に対する思いは見事にひっくり返されます。

こうして書くこと自体がネタバレになるとも思われ、これ以上は書かないほうがよさそうです。

とにかく、途中は若干読みにくいと思われるかもしれませんが、最後まで読み通してほしい物語です。

半藤拾史郎の人物像を始め、いくつかの疑問点は残ったままに終わります。終わりますが、多分、作者はあえてそうしたことは分かったうえですべて無視していると思えるのです。

その上でクライマックスの余韻を楽しんでもらいたいと思います。
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垣根 涼介 信長の原理






本作品は第160回直木三十五賞の候補作となった長編の歴史時代小説です。


  第一章 骨肉 / 第二章 増殖 / 第三章 制圧 / 第四章 均衡 / 第五章 亀裂 / 第六章 崩落


本書で描かれている信長像自体は、これまで種々書かれてきた信長像とそんなに異なるところはないと思われます。

吉法師と呼ばれていたころから若様らしくない「うつけ者」として陰口をたたかれるほどに暴れまわっていたこととか、長じて武将として天下にその名を知られるようになっても強烈な個性を持った癇性な殿様であったことなど、これまでと変わりません。



ただ、本書での信長の行動の基本には幼いころに蟻の行列から感じ取ったある原理がありました。

後に藤吉郎らに命じて確認することにもなりますが、懸命に働く蟻は二割しかいないという原理です。残りの蟻は六割が漫然と働き、最後の二割は怠けるだけなのです。

それは、現在「パレートの法則」やその亜流としての「働きアリの法則」と呼ばれているものであり、もともとは経済の分野においての経験則だそうです。



信長は、この原理に基づいて、より効率的な軍勢運営をなそうと苦労します。

ただ、この原理には藤吉郎も気づいていたらしく、のちに光秀にもつい漏らしてしまいます。その先にあるのは、私たちが知っている歴史的な現実です。



本書の一番の特徴としては上記の「原理」を中心に据えていることにあるにしても、さらに指摘すべきことは、登場人物らの内心の描写に多くのページ数を費やしていることが挙げられます。

信長はもちろん、藤吉郎や柴田勝家、さらには明智光秀といった武将たちの心の動きを、彼らの視点で丁寧に解析し、読者に示してあるのです。


また、信長が松永弾正久秀について、悪党なりの首尾一貫した行動哲学があるとして評価し、松永弾正の心情についてもかなりの紙数を費やして描いてあったことは、個人的に好ましく思ったところでした。



確かに、本書の六百頁弱という分量は少なくはなく、詳細な心理描写は少々辟易としましたが、それでも各武将たちの心象描写はそれなりに面白く、直木賞候補となるのも首肯できる作品でした。

とにかく、歴史小説として、独自の観点からの分析がなされていて面白く読んだ作品です。

小野寺 史宜 ひと





特別なことは何もない、ある青年の日常を描く長編の青春小説で、2019年本屋大賞の候補作になった作品です。

   目 次
 一人の秋
 一人の冬
 一人の春
 夏


父を亡くし、東京の大学に通ううちに母も亡くした大学生の男の子が、大学もやめ、たまたま立ち寄った総菜屋さんで働くことになった日々を、ただただ普通に描いてあるだけの青春記です。

本書で描かれているのは、「目次」からもわかるように一年間だけの出来事です。そして、最終章だけは「夏」となっている理由も読了後にわかります。

主人公は、名を柏木聖輔といい、両親を亡くし天涯孤独の身になった青年です。

この聖輔が有り金が五十五円しかないときに五十円のコロッケを買おうとするときに、ちょうど居合わせたおばあちゃんに順番を譲ったことをきっかけに、この総菜屋で働くことになるのです。


この青春記では大きな出来事は何も起きません。登場する人物は基本的に善人ばかりです。ただ一人、善人とは言えないだろう人物がいますが、それもその他大勢の一人と言えます。


主人公の聖輔の平凡な日常を平凡に描き出しているこの物語は、ただ聖輔の日常が描かれるだけで面白くもなく、本屋大賞候補作となった理由がわからないと思いつつ読んでいました。

しかし、それでもなお読み続けるうちに、妙に惹かれていきます。

聖輔の何でもない日常の中に、店に来るお客さん、同じ商店街に暮らす人、かつて在籍していた大学の友達、それに高校時代の同級生との再会など、日常の積み重ねの中に人とのつながりができていくのです。

そうしたつながりに読み手である自分の心が癒されていて、そこが本書に心惹かれている理由だと思われます。

そして本書最終行でその気持ちにとどめを刺されます。

特別ではありませんが、それでもなお心惹かれる作品でした。

知念 実希人 ひとつむぎの手




正面から医者と医療というものの有り様を問いかける、軽いミステリーの要素を持った直球勝負の長編のヒューマンドラマで、2019年本屋大賞ノミネート作品です。

医療の世界の物語と言えば『白い巨塔』という例えを出すまでもなく取り上げられるのは大学病院であり、教授を頂点とする階層社会です。

本書もその例に漏れず、純正会医科大学付属病院の心臓外科の医局が舞台になっています。



その医局の一員である平良祐介は一流の心臓外科医になるために心臓手術を数多くこなすことのできる富士第一病院への出向を希望していました。

そんな祐介に対し、赤石教授は富士第一病院への出向の条件として、明日からやってくる研修医三人のうち少なくとも二人を心臓外科に入局させることが必要だというのでした。

何日も病院に泊まり込み、家にも帰れない心臓外科の現実の診療現場を見せるべきか、悩む祐介に、循環器内科の諏訪野良太はありのままを見せるほうがいいと助言します。




本書で描かれているいくつかのエピソードはもしかしたら作者が実際に見聞きした事例をもとにしているのかもしれません。それだけのリアリティはあります。

しかし、本書で示されているエピソードは、設定自体はありがちです。ですが、入院患者と医者との関係性にそう数多くのパターンがあるわけでもなく、その点は仕方のないところでしょう。

ただ、患者の病状、具体的に抱えている事情はもちろん異なり、本書での心臓外科という特殊性を反映したエピソードは読み手の心に深く迫ってきます。



しかしながら、何故か全体的には物語の深さを感じません。個々のエピソードではそれなりに涙する場面もありながら、読み終えた時点で心の奥底に深く刺さっているかと自問すると、何となくのためらいを感じるのです。

何故そう感じるのかをみると、例えば心臓外科医局長の肥後のようなキャラクターがあまりに型にはまりすぎであるように、登場人物が定型的に過ぎると感じられることがあるでしょう。

また、主人公の祐介が弱さをも併せ持つ普通の人間として描かれているものの、少々人が良すぎるのではないかと思われることも原因ではないかと思われます。



現場を知る人間ならではの小説として、深いリアリティを持つ物語として読み手の心に迫るものがあるのは間違いないところです。だからこそ本屋大賞にノミネートされたのでしょう。

個人的には2018年本屋大賞の候補作『崩れる脳を抱きしめて』よりも好みの作品ではありました。

実際、この作者のほかの作品も手に取ってみようと思っているところです。

朝井まかて 銀の猫





現代の介護職である介抱人として働く一人の女性の生き方を描く、人情味豊かな長編の時代小説です。

銀の猫 / 隠居道楽 / 福来雀 / 春蘭 / 半化粧 / 菊と秋刀魚 / 狸寝入り / 今朝の春


長編小説と書きましたが、実際は主人公のお咲が派遣される客先のそれぞれの事情に一喜一憂する振り回されるお咲の様子が描かれています。



「介抱人」とは、身内に代わって年寄りの介抱を助ける奉公人のことを言います。

そして「鳩屋」は、急須を持つのが趣味の五郎蔵を主人とし、亭主よりも貫目がある女房のお徳が実質店を仕切っている、おなごの奉公人だけを扱う口入屋であり、介抱人も紹介しているのです。

主人公のお咲はこの「鳩屋」でも人気の介抱人なのです。

お咲は出戻りの身であり、別れた夫に母親の作った借財を返すために必死で働いています。この嫁ぎ先で舅の仁左衛門からもらったのが銀細工の坐り猫の根付でした。

お咲には佐和という母親がいますが、この母親が自分の容姿だけを気にかけて家のことは何もしない親で、お咲の悩みの種でもあります。



このほかに「隠居道楽」の話では、深川の干鰯商の相模屋の女隠居の“おぶん”の介抱に派遣されるのですが、このおぶんが物語上重要な役割を果たしています。

さらに「半化粧」という話では、日本橋の杵屋という貸本屋の主である左分郎太が、貝原益軒や、室鳩巣とは異なる今の世の支えになる新しい介抱指南書を作りたいといってきます。



このように、お咲の仕事を通じて語られる江戸の市井の暮らしはこれまでの人情ものとは少し異なります。それは、今の私の生活にも密着する「介護」のことが中心になっているからでしょう。

年寄りの介抱を担っている者の大半は一家の主だという話など、思ってもみない事柄でした。それは町人も武家もなく、一家の主が面倒を見てこそ「主君に忠、親に考」という幕府の指針にも合致するものだったと言うのです。


それでもなお、一般庶民には介護の問題は現代と同様の悩み事があります。そして介護の先には「死」が控えているのであり、そこに人間ドラマが生まれてくるのです。

「衰えて死に向かいかけた当人は、もう抗っていないのだ。限りある寿命を生き抜きた者にとって。死は抗うものですらないのかもしれない。」という一文などは我が身にもしみる言葉でした。



だからと言って、物語として決して重い話ではなく、また暗い話でもありません。それどころか、上質な人情噺として仕上げてあるところは朝井まかてという作者のうまさという以外にないのでしょう。

やはりこの作者は読みごたえがあります。
プロフィール

siro

Author:siro
このブログの本棟として本の紹介のサイトを開いています。
(こちらです⇒読んだ屋
本ブログを別棟として位置付けて、読んだ本を記録していこうと思い立ちました。ここでの文章を母屋であるそのサイトに転記していくつもりです。

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