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松井 今朝子 吉原十二月


前に読んだ松井今朝子の『吉原手引草』という作品に続く吉原ものです。正月から師走までの12月それぞれの風景を織り込んだ、連作短編12編より成っています。というより、12章に分かれた長編というべきかもしれません。

本作では「舞鶴屋」という大籬の楼主、四代目舞鶴屋庄右衛門の語りという形態をとっています。『吉原手引草』のときは聞き取りに応えるさまざまな人の語りでしたが、本作は楼主ひとりの語りです。

正月は深山花魁の二人禿であった「あかね」と「みどり」の紹介と、庄右衛門との関わりについて語られ、2月如月は16歳となった「あかね」と「みどり」が、それぞれに「初桜(はつはな)」と「初菊(はつぎく)」という新造名を得て振袖新造となり、次いで「小夜衣(さよぎぬ)」と「胡蝶」という花魁となる次第が、初午に絡めて描かれています。

このように、その月の行事などに絡めながら、二人の花魁の成長を親代わりでもある楼主の目線で語っていくのですが、そこは吉原での出来事なので、俗世の通念とは全く異なる絢爛たる世界が繰り広げられます。

エンターテイメント小説としてみるとき、特別に派手な出来事が巻き起こるわけではない本書は、若干の心配があります。『吉原手引草』ではミステリーとしての興味で読み進める面白さがありました。しかし、本書の場合それもないので、吉原という見知らぬ世界を覗くということに興味を持てない人には面白さを感じられないか、と心配になるのです。

「解説」を文芸評論家の杉江松恋氏が書かれていて、そこでは『吉原手引草』での直木賞選考委員の言葉を引いて本書の成り立ちについても解説しておられます。しかし、そこで書かれているような高尚な議論は一般読者が読むときには及びもつかない事柄だと思うのですが、読み終えてから改めて本書を振り返ってみるとき、自分が読んでいる時に感じた事柄の原因、理由を示している場合が多々あって、非常に力になりました。

でも、宮城谷昌光氏の、「作品と読者の距離」が本書では埋められている、と書かれてあるのは分かりませんでした。作者の視点の高さはやはり高いと感じたからです。

作者の知識の膨大さは読んでいればすぐに分かります。そして、読み手はその膨大な知識量、情報量を消化しきれないまま物語は進むので、若干取り残される感じはあります。それでも、本書で繰り広げられる絢爛たる吉原という世界の物語に引き込まれてしまいました。それほどに本書が垣間見せてくれる世界は魅力的です。

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