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浅田 次郎 歩兵の本領


読み手の心に深く語りかけてくる浅田次郎の紡ぎだすこの物語は、読んでいる時間をとても「幸福な時間」と思わせる作品でした。「若鷲の歌」「小村二等兵の憂鬱」「バトルライン」「門前金融」「入営」「シンデレラ・リバティー」「脱柵者」「越年歩哨」「歩兵の本領」という九つの短編がおさめられています。

名誉も誇りもない、そして戦闘を前提としていない、世界一奇妙な軍隊・自衛隊。世間が高度成長で浮かれ、就職の心配など無用の時代に、志願して自衛官になった若者たちがいた。軍人としての立場を全うし、男子の本懐を遂げようと生きる彼らを活写した、著者自らの体験を綴る涙と笑いの青春グラフィティ。(「BOOK」データベースより)

本文中に、「昨年市ヶ谷で自殺した小説家がいた」という一文がありました。つまりは三島由紀夫の割腹事件が1970年の出来事で、私が大学浪人していた頃のことですから、私は本書に登場する若者たちと同世代ということになります。今でこそ自衛隊もそれなりに社会に認知されていると言っていいのでしょうが、本書で語られているように、あの頃の世相は今ほどには自衛隊が認知されているとは言えない状況だったと思います。

私の身内にも自衛隊員はいましたし、昔の仲間では自衛隊に入隊したり、防大に進学した者もいます。しかし、彼らから自衛隊内部での話を聞いたことはありません。自衛隊内部の様子は本作品で始めて知りました。ただ、かつてわが郷土の直木賞作家である光岡明氏が書かれた『草と草との距離』という作品が自衛隊員の物語だったと思うのですが、今では内容もほとんど覚えておらず定かではありません。間違っていたらごめんなさい。

本書『歩兵の本領』では、『天切り松 闇がたりシリーズ 』に見られるような、七五調の言葉でたたみかけてくるリズムはありません。ですが、その場の情景や人物の心情を挟み込みながら交わされる会話文の調子の良さ、見事さは浅田次郎の文章そのものです。読者はいつもの通りに浅田次郎の世界に簡単に引き込まれてしまいます。

終わり近くの「脱柵者」という短編があります。「脱柵」とは「脱走」のことであり、字面のすり替えの一つです。大学出の若者が主人公で、彼は自衛隊について考察する場面があります。自衛隊は「個人の行為が個人の責任に帰着しない世界」であり、「個性を滅却させて・・・細胞同士がおのおのの存在責任に関与し・・・緊密な連帯を保ち続けねばならない」ない世界だと言い、「娑婆」への逃走を図るのです。自衛隊という存在に対する浅田次郎なりの答えを、他の短編で示す以上に、本短編で明確に示しているように感じます。彼の行く末は本書を読んでもらうとして、自衛隊という「個」が否定される社会での人情味豊かな物語が展開されています。

実際の自衛隊の内情を知らない私なので、本書がどこまで自衛隊の真実を描いているのかは分かりません。現実は本書のような人情話では語られないような世界が広がっているのでしょう。しかし、せめて物語の世界では人情の温かさに浸っていたいし、また、現実にもそうした世界があるのだと信じたいものです。

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