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あさの あつこ 燦 2


燦シリーズの第二弾です。

第一弾で、祖父の兎十や兄弟同様に育った與次や篠音とも別れ江戸の町に出てきた燦ですが、伊月も主の圭寿と共に江戸屋敷に住むことになります。

このシリーズでは、表紙の装画を丹地陽子という人が書いています。この装画が漫画チックなイラストであるため、本書の印象が少年少女向けのジュブナイル作品のように感じてしまうのではないでしょうか。丹地陽子という人を調べてみるとなかなかに魅力的なイラストを書かれており、私好みではあるのですが、本書の内容にはそぐわないように思います。もしかしたら、この物語を二人の少年の成長譚として捉えると、このイラストもありなのかも、とも思いますがどうも微妙なところですね。

ここで表紙のイラストの話を持ち出したのも、あさのあつこという作家の描き出す『弥勒』シリーズで見せている闇の部分が本書でも垣間見えるからです。その「闇」と装画とが若干違和感があったということです。ただ、若者二人の成長譚でもある側面がその「闇」の部分を閉じ込めているようでもあり、であれば、ありなのかとも思えるということです。

そして本書の表現ですが、あさのあつこという作家の為す心象の描き方が、若干感傷の匂いはするけれども、うまいと感じさせられるのです。

伊月が故郷の田鶴を思う場面で、

現身(うつしみ)は今に縛られるけれど、心はいとも容易く時を遡っていけるのだ。笑いながら伊月は、田鶴の城下を吹き通っていた風の匂いを思い出した。

という描写などは一つの例ではありますが、人の思いに軽くこだわりながらも「自由」を求める姿を上手いことあらわすものだと感心してしまいます。

また、本書では「物語」というものの面白さについて登場人物に語らせている個所があります。この言葉は著者の言葉でもありましょうし、読んでいて納得させられるものがありました。

それは、伊月が圭寿の頼みで、読み本を主に出している版元の「須賀屋」を訪ねた折、店主の須賀屋天三郎から言われた言葉です。

良い戯作というのは一口で筋を語れるものではありません。幾本もの蔦が絡まり合うように、複雑に筋が運ばれて・・・それでいて、読んだ後の印象がくっきりと鮮明で、いささかもぶれない。そういうものです。

当たり前のことを言っているようで、それでいてなかなかにこのように言い表すことはできません。作者の思いが表れているところでしょう。

やっと物語の本筋が語られ始めたところです。一冊が短い小説でもあり、軽く読めます。早速次を読みましょう。

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