門井 慶喜 銀河鉄道の父




本書は、宮沢賢治という実在した人物を、父親の政次郎の視点で描いた物語で、第158回直木賞を受賞した作品です。

実在の人物を描いた作品なので。本書で描かれている事柄のどこまでが事実なのか、登場人物同士の会話など細かな点はもちろん作者の創作であるとしても、主題となっている父親の政次郎の心象のうちどこまでが記録などで確認されているものなのかなど、非常に気になりつつの読書でした。

本書には参考資料が挙げてありません。本書の内容は資料なしで書けるものではなく、相当数の資料を読みこんでおられると思われますが、父親の心象を残した記録などあるものでしょうか。

登場人物の内心の出来事ですから、作者の全くの想像だと考えるのが普通でしょう。ただ、大正を中心とする時代の父親像とは異なる描写であり、気になりました。

「宮沢賢治」をウィキペディアを見ると、本書で描かれている賢治らの学歴、職歴などは事実であり、政次郎が病に伏した息子の看病に泊まり込んで自らも赤痢やチフスに罹患したことも事実です。

つまりは本書で描かれている事柄のほとんどは事実であり、登場人物の心象こそが作者の想像の産物だと思えるのです。

単純に考えると、本書の政次郎は大正時代を中心とする時代の父親像とはかなり異なるのですが、描かれている事柄が事実である以上は、政次郎という人はこうであったのだろう人物として違和感ありません。それほどに本書の政次郎は当時の家長の雰囲気が薄く、愛情にあふれる父親像です。



本書中ほどまでは、何となく直木賞を受賞するほどの作品かという印象をどこかに持ちながらの読書でした。

しかし、物語も中ほどになり、賢治自身が話の中心になる場面が増えてくると、それはつまりは賢治が詩や童話を書き始める時期とも重なり、私が知っている宮沢賢治の作品が絡んだ話になってくるためか、自分の中で本書の評価が高くなっていくのを感じていました。

とくに、トシが肺炎で入院し、賢治と母イチとが看病のために上京する第六章「人造宝石」から、トシの亡くなる第七章「あめゆじゅ」、トシの死後の賢治の様子を描いた第八章「春と修羅」は、賢治本人によれば「心象スケッチ」と呼ぶべきである詩集「春と修羅」がテーマになっていると思われ、心に響きました。



ひとりの詩人、童話作家として天才と評される賢治ですが、第七章「あめゆじゅ」の中で、童話を書き始めた理由として、自分は大人が苦手だったため、どの童話も大人の世界からの逃避として、現実からの逃避として書いた、と言わせています。更には、より本質的には「・・・おらは、お父さんになりたかったのす」と言わせているのです。

つまりは「自分は質屋の才がなく、世わたりの才がなく、強い性格がなく、健康な体がなく、おそらく長い寿命がない」。嫁の来てがいる筈もなく、父親にはなれない。代わりに童話を生む、というのです。

以上は、賢治が原稿用紙に向かい始めたときの描写ですが、ここらあたりからこの物語がいっそう迫力を持ってきたように感じています。そして、このあとトシの死の床の描写へと続くのです。

やはり、私のような普通の人間は、自分自身が知っている事柄をもとにしていなければ、描写されている対象を自分の心裡で消化しきれないのでしょう。「春と修羅」の中の、とくにトシとの別れを描いた「永訣の朝」を中心に描かれている箇所なので、より鮮烈に迫ってきたと思われます。



また、本書が直木賞の対象である「エンターテインメント作品」なのか、「エンターテインメント作品」の定義にもかかわりますが私にはよく分かりません。ただ、賢治の親政次郎の、子である賢治に対する愛情を通して、宮沢賢治という人物を浮かび上がらせていることは間違いないと思います。

本書は父と子のあり様を正面から描いた物語でしたが、一人の父親としても心に沁みる物語でした。
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