東野 圭吾 祈りの幕が下りる時




本作は、加賀恭一郎シリーズの第10作目の長編推理小説です。


三月のある日、越川睦夫名義で借りられているアパートの一室で女性の腐乱死体が見つかった。捜索願から被害者の身元は滋賀県に住む押谷道子ということが判明し、松宮は押谷道子が中学時代の同級生の舞台演出家浅居博美に会うために状況したことを知った。

滋賀の彦根で、押谷の営業先の老人ホームで、ある人物に対しアサイヒロミの母親ではないかと言っていたという事実を知る。松宮が浅居博美に会いに行くと、確かに中学時代の同級生の押谷道子が会いに来たと認め、またそこで思いがけなく日本橋署の加賀恭一郎の写真を見つけるのだった。

その後、加賀の事件現場から見つかった橋の名前の書き込みのあるカレンダーの話を聞いた加賀恭一郎は、自分の母親の遺品の中にも同様のメモがあったと言い、事件捜査に加わるのだった



本書を読みながら、松本清張の『砂の器』との類似性を感じていました。それは、今では成功し社会的な地位もある犯人と目される人物の悲痛な過去を探り出して明るみに出し、過去は過去として、そして罪は罪として断罪するというその構造からくるものだと思います。

事実、読後にネットで本書について調べると、本書の『砂の器』との類似を指摘するレビューが多数見つかりました。それくらい本書と『砂の器』とはよく似ているのだと思います。


勿論、似ているのは本書の構造だけであり、物語の内容は全く異なります。

本書の見どころは、何と言っても浅居博美の人生ですが、加えて加賀の母親の過去が明白になっていくことも大きな焦点となっています。

本書の導入部は意外性を持った始まりです。加賀恭一郎が本事件に関わる遠因が描かれているのです。そこから一気に押谷道子殺しへと物語は進みます。本書では松宮という加賀の従兄の目線で捜査が進みます。

ところが、加賀は自分の私的な事柄と本件とが結びつくことを知り、自ら捜査に乗り出すのです。

このシリーズの第八作目の『新参者』で日本橋署に移ってきた加賀恭一郎が日本橋署に居続ける理由が明らかになります。それはとりもなおさず、幼い頃に失踪した母親の物語に連なるものだったのです。

東野圭吾の作品は、人間ドラマの展開が、人間の心情の深いところへと繋がり描写される印象が強いのですが、本書もその範疇に入ります。

そして、時代性を反映して東日本大震災とその後の原子力発電所での除染作業の様子も詳しく描写されます。そうした時代性を見せながらも、追われる側と追う側のそれぞれに親と子の問題が描かれているのです。

物語としては少々設定が複雑に成り過ぎている印象が有りますが、それでもなお東野作品としての魅力を十分に持った小説だと思います。

ちなみに、本書は映画化され、2018年の1月に公開されています。勿論、加賀恭一郎はシリーズの他の作品と同じく阿部寛が演じており、松宮を溝端淳平、浅居博美を松嶋菜々子が演じています。
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