村田 沙耶香 コンビニ人間





本書のような作品を何と言えばいいものなのか。私には評価のしにくい作品でした。第155回芥川賞を受賞している作品であり、文学的な意味合いでは評価の高い作品です。

本書に「あらすじ」は、あります。しかし、本書の「あらすじ」自体にはあまり意味はないと思います。



主人公の古倉恵子は小鳥が死んでも哀しみという感情が理解できません。幼い友達が小鳥の死に哀しんでいるときも、何故そのような感情になるのか理解できず、焼き鳥にすれば皆喜ぶとしか考えられない子でした。

皆が感じる普通の感情を持つことができないでいると、親や妹は、古倉恵子が「普通」でないことを嘆き、どうすれば「治る」のかを心配するのです。

普通の人間の普通の感情を持つことができない主人公が、マニュアル通りに動くことで世界の一部になることができるコンビニはまさに、自分が普通に生きることができる場所だったのです。

その場所に白羽という新人が入ってきます。自分以外を否定することしかできない白羽は、当然のことながら皆に受け入れられないのでした。



ここでは、物語の筋ではなく、「普通」であることについての問いかけがあり、その問いかけこそがすべてであると思います。

あらためて、では自分は普通かと考えて見ると、普通でいたくない、と思って生きてきた気がします。かつて私が学生の頃流行ったディスコでの皆の同じステップに妙な違和感を感じたり、ファッションにしても、もともと関心がないこともありますが、流行こそが一番という感覚にはついていけなかったり、とにかく右へならえという風潮には逆らいたくなっていました。

しかし、本書の場合それとは異なります。主人公にとっての普通が、世間の普通とは違うために異物として扱われているのですが、私の場合は基本的に普通である人間が普通から外れようとしているだけのことですから。



本書には、コンビニにおけるまめ知識がふんだんに描かれています。長年コンビニ店員として生活をしてきている筆者ならではの目線なのです。

冒頭の場面からそうで、コンビニにあふれる雑多な音を聞き分け、自分が何をすべきか瞬時に判断し、そのように動く主人公の姿が描かれているのです。そうしたトリビア的知識の面白さも持っています。

そうした通常の感情を排した機械的判断のできる女性としての主人公だからこそ、白羽という男に対し、理性的、客観的な対話が出来るのでしょう。


その白羽という男がまた現実にいそうな男です。勿論物語の中では極端なまでに誇張され、ある種「危ない人」のような描かれ方がされていますが、自分が世の中に認められないのは世の中が悪いからだ、と思っている人物は誰しも思い浮かぶのではないでしょうか。

その人物の自分勝手な論理を、主人公が冷静に対処し、確信をついた反論をすると、白羽は論理をすり替えるか聞こえなかった振りをするか、まるで漫才のような会話がなされます。

一つには怒るということをしない主人公に対し、自分よりも下位と判断し付け込んでくる白羽です。そうした白羽について主人公なりに合理的に考えた末にある結論にいたります。


こうした会話の妙は、この作者の持ち味なのでしょうか。他の作品も読んでみなければとも思いますが、やはり、この手の作品は私の好むところではありません。

ただ、本書に関しては百五十頁と頁数も少なく、言葉も難しい言葉は使ってないし、会話文が多いためにかなり短時間で読み終えることができました。他の作品もこうであるのならば読んでもいいかなとは思いますが、多分そういうことはないでしょう。

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